はてなキーワード: 上前とは
10年以上前、半ば無理やりに友人に池袋のキャバクラに連れて行かれたことがある。その時私の横についた女性は母子家庭の長女で弟が高校生という身の上だった。私が予備校講師だと聴いてその弟を大学に行かせたいけどどうしたらいいかというガチ相談になった。私もガチで弟さんの話を聴いてしまった。
結局私は自分の事はほぼ話さず、彼女の弟さんのこと、お母さんについての思い、将来自分は池袋等で終わらず銀座でトップをとりたいという将来の夢について語る彼女の話をじっくり聴き、それを肯定したり励ましたりすることに徹してしまった。これは職業病なのだろうか。
そのお店は時間ごとにぐるぐる女性がローテションするシステムで、次に来た子は大学になじめず体験入店で来ているということだった。また私はほとんど自分の事はしゃべらず地方から来たその子の東京になじめない話をじっくり聴くことに集中してしまった。自分も地方出身者だったからすぐ共感できた。
その二人の持ち時間が終わった時点で私の入店時間が終わり友人を置いて先に店を出た。二人の悩みや人生を真剣に聴いてしまって心理的に疲弊してしまったからだ。もうこれ以上はきつかった。面白かったのは二人ともローテションで移動する時「え?もう終わり?延長できない?」と言ってたこと。
延長はお客である私が求める事であって、接客者である彼女たちが要求する事は出来なかった。それでピンと来た。ああ、そうか。彼女たちはこの店で稼いで別の店で私ではないイケメン君達に話を聴いてもらってるんだ、と。だからつい「延長できない?」などという客の立場の言葉が出たのだ。
性的な欲求ももちろんだけど、むしろそれ以上に男女ともみんな「話を聴いて欲しい」「真剣に自分を見て欲しい」という切実な思いがあるのではないか。そういう風に思うようになった。そういう体験をして、キャバクラ等のお店がより一層苦手になった。行けばつい真剣に聴いてしまい疲弊してしまうから。
「私の話を聴いて分かって欲しい」という承認欲求と、単純な性的な欲求を、区別できる人と出来ない人が恐らくいる。それが出来ない人が男女ともおり、その発現の仕方で暴力的なストーカーや路上売春などの犯罪に走って推しに貢ぐ人になったりするのかもしれない。
https://twitter.com/HirMiura/status/1789307253000147002
この人、これを書いただけなのに「そんなのキャバ嬢の「若い女性の相談に乗ってあげてる気分になりたくてたまらないおじさん」に対する常套手段に決まってるじゃないか。何勘違いしてるんだよ。自分が相談に乗ってやって喜ばれてとるとでも思ってるのか」って叩かれていてかわいそう。本人悪意もないし、性的な欲求もないし、自省的だし、キャバ嬢が本当にそういう意図だったかどうかもわからないし、そもそもこの人はこれでキャバにのめり込むどころか嫌になってるのに、よってたかってここまで決めつけて蔑む必要があるのか。
こんなことで叩いてたらそれこそ世の中の男性はみな、キャバ嬢であろうがなかろうが、この女性は一見自分に相談してるように見えるけど何か意図があって自分の「相談に乗ってもらいたい欲」を刺激しようとして演技してるだけだからまともに取り合わないようにしよう、って思うだけになるのでは。
警察などのアドバイスを参考にしながらアルバイトをはじめ、出かけられるようにはなった。
10年以上前の話。まあ、今でも家から出る瞬間や帰宅の瞬間は警戒しているが。
先週、私をそう追い込んだ人達にあった。その時は何とかやり過ごせた。
数日たって辛くなってきた。このままだとまた家から出られなくなる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240506172415
まったく同じ「便利じゃないからEVにしない。環境なんてどーでもいい」式の議論が繰り返されているな
rider250 だから「まともな」自動車評論家や自動車ジャーナリスト、業界人は「まだまだ当分(50年くらい)はICE車はなくならない。必須」と言い続けてる。ICE全廃=途上国人と貧乏人切り捨てだとハッキリ書いてる人もいた。
だから我々先進国が率先してEVに変えようって言ってんだけど...
ってか、未だにバッテリー交換とか言ってる人はなんなんだろう...
原始神道では、神が宿る対象は特定の巨木や山などに限られていたのは増田の言う通り。
しかし平安時代初期(8世紀~)から中世にかけて神仏習合が進むにつれて、森羅万象に神が宿るという思想に変わっていった。
特にこの時代の神道は密教の山岳信仰と密接に結びついていて、山中のあらゆるものに神が宿ると考えられるという思想が、現在まで続く概念の起源となる。
その後は伊勢神道(9世紀~)が「森羅万象に神は宿る」という思想を広め、
江戸時代の吉川神道の開祖である吉川惟足(1616~1695)が明確に「神は幽玄にして森羅万象に充満し、一草一木もこれ神ならずということなし」と表明した。
「赤いスポーツカー 心理」で検索してたら公認心理師の過去問解説サイトがヒットした。
まず「22歳の男性A、無職。奇異な言動を心配した家族に」の時点でもう病名はほぼ統合失調症に絞り込める。
あとは鑑別と除外。「半年以上前から」で短期精神病性障害と統合失調型パーソナリティ障害は除外できる。
空笑・独語・まとまりのない言動・関係妄想という教科書的な典型的な統合失調症の症状の記述で確定。
これが分からないレベルの人間が心理職についてたら不味い(医療に繋げることができないため)。
国家資格である公認心理師ですらここまでレベルが低いんだから、この資格すら持ってない自称カウンセラーにかかるのは相当リスクが高いと思う。
まとめるとこんな感じだった。
①吸引の際は結構咳き込む。心配されるくらい咳き込むけど、体感としては端から見るほど辛くない。
②5分くらいしたら、口の中がめちゃくちゃ渇く。渇いたときに水分がなくなるからか口の中は苦くなる。そして、身体の表面がそわそわする。強さによっては、この時点で揺れてる感じがしたり、回転してる感じがしたりして、気持ち悪くなることも。これは意識変容の最初のサイン。
③まずは、知覚が変容する。音が立体的に聴こえたり、色彩がビビッドに(赤と緑が強くなる気がする)なり、強さによっては少し歪む感じがすることも。そして五感が有機的につながって、ひとつの体験として感じられる。
④そこまできたら、感情が昂ぶっているのを感じるだろう。そして、思考がまどろんでいく。自分が何を考えてたか忘れちゃったり、距離の感覚が把握できなくなったり、腕が催眠術にかかったみたいに固定化されちゃったり、身体や足が椅子や地面と一体化しちゃったり。いわゆるストーン。個人的な体感として30分〜1時間くらいで落ち着く。
⑤上記と並行して、いろいろと気がつくことがある。この体験内容はセットとセッティング(心的構えと使用環境)によって大きく変わる。バッドトリップしないためにも、品質の良い大麻で、事前に偏見は取り除き、正しいセットとセッティングを整えよう。(当然、セッティングには安全な環境≒合法的な環境であることが望ましい点も含まれる)
⑥だんだんと普段生きている世界に帰ってくる。大麻では問題ないと思うが、意識変容体験であることは間違いないため、グラウンディング(心的着地感)についても気をつけよう。具体的には、黄泉がえりだ。つまり、あちらの世界(彼岸)からこちらの世界(此岸)へ、体験を持ち帰ってくるのであって、彼岸に魂をおいてきてはいけない。グラウンディングが適切に行えるかで、体験の質は大きく変わると思う。
個人的に、マリファナ体験でよく報告されるところの「マンチー」(食欲亢進)はあまり感じられなかった。
詳しくレポートしていく。
まず、体験した国名については推奨するわけではないから敢えて伏せておく。自分で調べてくれ。
もちろん、日本では違法だから吸うんじゃないぞ。合法大麻とか言って売ってる合成カンナビノイドもやめとけ。あれは信頼性の低いデザイナーズドラッグだ。最近は成分もよくわからんのが出回ってる。CBNクッキーとかまでにしておくといい。
さて、ここはとある大麻調剤薬局(ディスペンサリー)。清潔感のある店内で、店頭にはさまざまな品種のマリファナが取り揃えられている。価格としては、日本円にして1,200円〜2,800円/gほど。値段が2倍以上異なるのは、品種ブランドによるためだ。
マリファナには、文化慣習として大きく2つの品種分類があるとされている。夜の使用に適していると言われるリラックス効果が高いインディカ株、感情の高ぶりや笑い上戸、しゃべり上戸になりやすいと言われるエネルギッシュなサティバ株だ。なお、この分類は最近になって実際の化学構成(ケモタイプ)とはあまり関係がないことが明らかになってきていて、あくまで文化慣習的な目安だという。
ディスプレイされているさまざまな品種の前には、その効き方の目安として「意識の上昇」「多幸感」「意識の集中」「睡眠」「会話」などさまざまな効能が書かれている。私は、その中から3種類を選び、それぞれ1gずつ購入した。
ちなみに、購入したらその場でジョイントを巻いてくれた
さて、さっそく試しに吸ってみようと0.5gのジョイントを1本。同行していた友人とシェアしたので、半分の0.25gほどだろうか。火をつけてタバコと同じように吸い込んで、深く肺に入れる。
キック感がかなり強く、咳き込んでしまうわけだが、咳き込んで頭に血が上るような感覚ののち、段々と知覚が変わってくることを感じる。
まずは、口がすごく乾く。砂漠になったかと思った。あとは、少し喉が痛い。一気に吸い込みすぎたかも。喉が痛くて口が乾くから少し気持ち悪い感じがする。というか、世界が歪んできてる?酔っ払って三半規管が狂ったときみたいな、だけど意識はハッキリしてるみたいな、不思議な感覚が襲ってくる。
あれ、いつからここにいるんだっけ?あれ?今何してるんだっけ?聴こえてくる音楽が、風の音が、バイクの音が、なんだかすごく立体的に、リアル以上にリアルに感じるような気がする……
あぁ、そうだ。マリファナだマリファナ。いま吸い終わったんだ。5分くらい?経ったのかな?時間はー、えぇと、うん、進んではいるみたいだね。でも、進んでるとかじゃないよ。ただ、いまここに在るだけなんだから。
あぁー、完全にさっきいた場所とは違うみたいだ。いや、同じなんだけどさ。あれ、いまなに考えてたっけ?あぁ、そうだ。別の世界に来た感じっていうか。景色も随分とビビッドだし、鮮やかで、キレイだなぁ、あれ、時間って経ってるっけ?あぁ、腕が動かない。固まっちゃったみたいだ。あれ?なんか足が、足の裏が、地面が、あれ?どこから地面と足が分かれてるんだ?あれ?分かれてなくないか?一体じゃないか?
身体が椅子に、足が地面に根を張って、私はいつのまにか大樹になっていた。
1時間ほど経った後だろうか?だいぶ落ち着いてきて、立ち上がって歩けるくらいにはなってきた。まだ、世界は鮮やかだし、心は躍ってる。そのまま寺院観光に行ったけど、黄金に輝く仏像に、カラフルに彩られた建築が、なんだかこの世のものとは思えないほど荘厳に見えた。
上の体験記だけ読むと、ちょっと、いやかなり怖いものなのかなと思うかもしれない。たしかに、マリファナ体験の核となる意識変容体験は、認識に現れる世界をその根底から覆してしまうような、そんな衝撃があった。まさに、別次元の体験といっても差し支えない。だけど、不思議と怖いものではなかった。そこには、底しれぬ一体感があり、神秘の愛に包まれるような感覚がある。
思考がまどろんでいき、幸せな気分(THCの主作用に陶酔感、多幸感が含まれる)に包まれていく。「これはあれ」といったような識別作用、分別作用が弱くなっていく。だけど、不思議とそれを冷静に見つめる一つ上の自己みたいなものは保っていられる。そして、そんな変容意識体験においてしか、気がつけない「ナニカ」がそこにはあり、その「ナニカ」を受け取って日常世界に帰って来る。その体験は、さながら黄泉がえりであり、セラピューティックな気付きに溢れている。
自然の中での一服では、鳥の鳴き声、風の音、擦れる木々、すべてがハーモニーを奏でて聴いたこともないほど心地良い交響曲となっていた。
その日は一日観光をしてご飯も済ませたところで、23時頃だったかな。ホテルに戻ってきた。帰りに、ペットボトルに装着するかたちで使えるボング(簡易水タバコみたいな吸引器具)を買ってきた。個人的に、ジョイントでの喫煙は量の調整が難しいし、私は喫煙経験が浅いこともあって、こちらのほうがずいぶんと吸いやすく感じた。ボングの場合は喉の痛みもほとんど緩和されたし、氷水とかで試したらもっと快適そうだ。
それはさておき、ぶくぶくぶく。
もう慣れたもので、吸って5分くらいすると、口の渇きと身体のソワソワ感、その直後に「完全に別のリアリティに来た」という明確なテレポート感を感じたら、トリップスタートだ。
吸って30分くらいは、やはり少し混乱するし興奮する。2mくらい先にあるペットボトルを取りに行こうとするんだけど、動けない。なんというか、水取りに行こう、あれあんな遠くにあったっけ?あれ、何しようとしてたっけ?あぁ、水だ水。あれ、手を伸ばせば伸ばすだけ遠くにあるような感じがする。あぁ、もういいや、Let it be. だ、そういう感じ。
人間の慣れとはすごいもので、こんな超越体験でも1度経験してしまえば、体感のコントロールは効きやすくなる。30分も経てば、波は超えて、穏やかなチルタイムが始まる。
布団で横になって目を瞑ると、身体が風になって、世界の中空にただポツンと漂ってるような、そんなビジョンが浮かんでくる。ただポツンといる。そのはずなのに全く淋しい感じはしない。それは、まさに、風であるような体験だ。漂っている風はどこからか吹いてどこかへと消えていく、何かが振動し、その振動は空気を伝う。自然の振動は、どこかで区切られるものではなく、それは全体性の連関の中で生まれては消えていく。
風は一人ぼっちじゃない。この世界に〈私〉は一人しかいないし、実存的な〈私の世界〉は誰とも共有できない。だけど、ひとりじゃない。家族、友だち、社会、人間に限らずモノだったりコンピュータだったり、自然だったり、ありとあらゆる万物の関わり合いの中で、ただポツンとそこにある。そんな感覚が、ワンネスが愛そのものなんだ。
内省的で詩的なことを考えていたと思ったら、気が付いたときには朝だった。眠っていた。こんなにも熟睡できたのはいつぶりだろう、というくらい本当によく眠れた。眠りに入っていくその瞬間まで愛に満ちたまま眠れた。
もう3ヵ月以上前の話。日本に帰ってきてから無理をしてまで入手して吸いたいとは全く思わない。
あったら幸せだけど、捕まるかもとか勘繰りながら使ってたら安心してチルアウトなんてできたもんじゃないからね。それなりに異常な体験だし、セットとセッティングには気を付けたい。
いずれにしても、1回吸ったら廃人になる、気づかないうちに依存症になってるなんて類のものではない。世界でも解禁の流れは進んでるんだし、もうちょっとマトモな議論をしたほうが良いんじゃないの、とこの間のアベプラを見て思った。
おそらく25年以上前に、科学技術館でRPGで遊んだ記憶がある。なぜか不気味なものとして記憶に残っているんだが、あれがなんだったのか誰か分かる人がいたらおしえてほしい。
以下、うっすら残っている記憶
Fランや専門の情報学校って、単純にIT土方養成学校なんだよね
とりあえずまともな四大を目指すのはだるいけど
そういうやつに限ってリアル土方をバカにしてたりするわけで、結果はお察し
ああ、コーディングは別に自分でやる必要にないな、って思って他の専攻を選んでたわけ
GAFAにしろ何にしろ、現実世界の痛みを改善することでのし上がってきたわけで
仮想世界に浸かりきりで表に出てこない人間にソリューションが生み出せるはずもない
そして情報系で教えているレベルの話は、まともな四大に行ける知能があれば
本を片手にパチパチ叩いていれば普通はできるわけ
リモートワーク兼趣味用に使ってたiPadが調子悪いから買い換えるか迷ってて、
絵描くだけなら別に板タブでもいいかなーと思って今日ワコムの8000円弱のペンタブを買ったんだけど
マジで使いにくいな
iPad買う前はワコムのデカい板タブ使ってたから使い方に不慣れなわけではない
というか、昔使ってたし板タブでいいか!と思って買ったんだけど
iPadとApplePencilに慣れたあとに板タブ使うと本当に使いづらい
ツール切り替えるのも取り消し操作もレイヤーの設定も全部面倒くさい
こんなストレスフルな環境で10年以上前の俺は作業してたのか?
丁度10年ほど前、パソコンで絵を描く人は皆ワコムの板タブを使っていた SAIが流行っててまだクリスタもなかった時代だ GIMPとかもあったな
アナログで描いた絵をスキャンして色塗りだけデジタルみたいな人もわんさかいた
板タブの方が良いみたいな意見も当時見かけた気がする 実際今のものに比べたらまだ使いづらいところはあったのだろうと思う
液タブはプロのイラストレーターとか、趣味でもお金をかけるタイプの人が使う高価なツールだった
ところがあれよあれよと言う間に液タブ全盛期に突入した
液タブというかiPadかな
ちょっとしたイラスト程度ならiPad1台で事足りるようになった
勿論板タブと比べれば高価だが、動画も電子書籍も見られるとなればやはりiPadは便利だ
iPadが広まる一方で、中華製の安価な液タブも広まった 2万円前後でそこそこの液タブが買えるのは画期的だった
そうこうしてるうちにワコムも安価な液タブを発売した 6万円ほどと割高だが従来のワコム製液タブと比べれば遥かに安く、質も良かった
おやつの時間があるとか、万引きしたポテチを違う味に交換してもらおうとした生徒がいるとか、沼津市民から抗議があって沼津北高校(ぬまっき)から誠恵高校に改名したとかいうアレ
アンサイクロペディア見ると「学校法人 誠恵学院 理事長 小野裕弘」を名乗る人が削除依頼出してる
本物の理事長かどうかわからんが、こいつが他のサイトにも削除依頼を出しまくったのだろう
そして削除依頼を見ると
「おやつの時間あるの?」と聞いてこられるご父兄の方がおられます。
「おやつの時間」は本校では実施したことはなく、個人的に勝手に行っていた事実はあるようですが、その者達は30年以上前に解雇しました。
ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校の教員を3年間やってきました。
始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います。
いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます。
—-
教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長の評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からのフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当な時間に質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明やプレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います。
とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。
さて、私は大卒で専門学校のことも知らないし教員歴もありません。
なので、経験のある社員教育(OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。
②課題解決のための材料の提供のみ行い、課題解決は自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分の努力で解決したという自意識を持っている。
③「なぜこの課題を解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。
こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。
基本方針は
①専門知識は全て教員が持ち、必要な情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係」
②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者の医療サービスを受けるような「医者と患者の関係」
③RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者と武器屋の関係」
③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。
また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てもしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。
基本的に学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生からの好感度・信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)
朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。
これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリに通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。
専門学校が大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ・研究室がないことです。
コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携はほとんどないように感じました。
大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事にしますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。
こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。
細かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生が自主的に使ってくれました。
特に人気があったのはMiro(ブレインストーミングやカンバンなど)、Figma(アプリのデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。
ツールの使い方、どんな図面・ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生が自主的に動いてくれました。
統制が取れた、良いチームワークができたと思っています。
統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人が自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。
フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。
1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後の学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校で基本情報の勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。
卒業の1年以上前に内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生のフォローを手伝ってもらいました。
「面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報は学生が1番詳しいです。
教員や就活支援担当のいうことより、同年代の学生の経験談の方が、説得力もありますし、学生も真剣に聞いてくれます。
さらには、就活フォローの名目で、学生との1on1に当てていました。
「自己PRのネタ探し」などの名目で、学生の経験などをかなり詳しく聞くことができます。普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。
私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。
実技メインなのは助かりました。
技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。
技術リーダーの仕事は「自身のスキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。
受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。
特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバーの技術、知識、経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術をベース(CRM自体を学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。
引き継いだシラバスから、デザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います。
実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。
このあたりは、工夫というほどではないですね。
専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。
なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。
逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります。
この辺り、授業進行・クラス運営は技術ではなくアートだなと強く感じました。
基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生は個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・
ただ、できる学生だからと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。
で、そういう学生には「こちらからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。
直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちらからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。
結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。
総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生が結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。
高校時代の出席率が良くない学生は、(高校の入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。
ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当はオンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。
人数はそう多くないのですが、高卒資格で入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生のコミュ力は結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり、就活が大変になるということです。
調子の良くない学生の典型例として心療内科の受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から他教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります。
私の場合、心療内科受診を勧めた学生に受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています。
対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。
前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソが大人に通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者・担任の連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソが通用しないことは気づきます。基本的には保護者から「先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。
やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から「父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。
出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとだけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月からは新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、
一方で補習中ずっと説教モードの教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。
事前に全く想定していませんでした。
私自身、大学どころか、高校、中学の先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。
とりあえず
「できるだけエビデンスを揃える」
で臨みました。
成績の良くない学生・就職を控えている学生の保護者との面談は特に重要です。
「もうすぐ社会人なのだから、自分で決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちらももとよりそのつもりです。
単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。
最新の就職事情がわからない。自身はIT系の人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去の学生の活動事例、本校学生の就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。
大学の就活に関する情報はネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。
「先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。
1. とにかく忙しい。
去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった
その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。
2.やることがなくなってしまった
2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ。場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった
校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。
4. 他教員と話が合わない
4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判的精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。
スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。
実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。
4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした
5.他教員が働かない
2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーターに誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20
○ご飯
朝:なし。昼:キャベツとブロッコリーとたまごのスープ。キュウリ。トマト。夜:ウインナー、大根、人参、キノコ、トマト、たまごのスープ。冷奴。納豆。バナナヨーグルト。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
○刑事J.B.ハロルドの事件簿 キス・オブ・マーダー
1987年に発売されたコマンド選択式ADVのSwitch版リメイクを遊んだので感想を書く。
JBハロルドシリーズの第三弾、前々作で事件の本筋とは関係していなかったが印象に残る色気のあるキャラだったサラ・シールズが殺害されるところからストーリーが始まる。
……あれ? 2作目と同じ導入なんだけど? と頭がはてなで埋め尽くされたので少し事前情報を仕入れた。
どうも、3作目というよりは番外編で2作目のマンハッタンレクイエムの素材をそのまま使ったパラレルワールドの作品らしい。
なるほど、パソコンゲーム黎明期ならこういう手法もアリだったのかな? 当時の空気感はいかほどだったのか気になるところだ。
1〜2作目と同じく、ひたすらに聞き込みを繰り返すコマンド総当たり式アドベンチャーゲーム。
とはいえ、前作マンハッタンレクイエムと素材が同じだけど異なるストーリーなので、正直続けて遊ぶと頭が混乱してしんどかった。
その上、今作は輪をかけてストーリーらしいストーリー、謎らしい謎がなく、淡々と自供で話が進んでいく。
加えて、聞き込み相手ではない、ハロルドの仲間と証拠や証言を整理するパートが多い。
聞き込み相手はある程度当たりをつけつつ総当たりするのでそれなりに遊びがあっていいのだけど、仲間との整理は正直脈絡なく本当にただただ総当たりするしかないのが辛い。
さらに後半、聞き込み可能な相手が減ってくると、犯人と会話、仲間と会話、犯人と会話、仲間と会話と。まるで伝言ゲームのように仲間と犯人の間を取り持つことになるのは辟易させられた。
また集めた証拠品も結局関係あるのかないのかよくわからないものが多く、しっくりこない。
まあ、素材を使い回してパラレルワールドの作品を一編作ったことに、制作上のドタバタがあったのだと思うと、30年以上前の作品にあれこれ言うのは野暮なのかもしれない。
しかし、JBハロルドシリーズならではの、ひたすらに聞き込みを繰り返すゲーム性が嫌いなわけではなく、無口なハードボイルド刑事のハロルドのことも好きなので、そういういつもの部分を楽しんだ面もある。
現行のコンシューマゲーム機に移植されているシリーズはここまでだが、プロジェクトEGGなどでパソコンでなら続きも遊べるようなのでまたいつか次作も遊んではみたい。