はてなキーワード: ブルーライトとは
それは初めて聞いたけど納得
なんか平均的に日本人はブルーライトに強いか、強いって前提で物がデザインされてる気がする
完全に嘘つきでクソゲボのカス
それはそれとして、日本眼科医会のpdf中にも論理の飛躍があるように思う。
今、出先なので正確な引用はできないが下記のような論理展開してる。
③だからブルーライトカット眼鏡は有害である可能性が否定できない
もともと「眼精疲労に効果あり」なんてメーカーも言ってなかったんじゃないかな。
ブルーライトカットが話題になりはじめた頃は「網膜に悪影響があるかもしれない」というのが一番に言われていた。
具体的にどのくらい悪影響があるかはわかっていないというエクスキューズつきで。
「眼精疲労を軽減する」は「そういう説もある」くらいでごまかされていた。
でも「網膜に悪影響」から連想ゲーム的に「目が疲れない」と勘違いしているユーザーは多かった。
そのあと「体内時計に悪影響がある」と言われはじめた。
これはかなり確度が高かったのでメーカーは一斉に飛びついた。
ソースも醤油もないけど前から思ってんだけどアジア人ってコーカソイドに比べて、ブルーライトに強く、鳥目(夜目が効かない)の人間の割合が多くないか?
それが日本人含むアジア人が夜家の中を煌々と照らし、欧米人は家の中を真っ暗にして過ごす差なんじゃないかと前から思ってる。
蛍光灯とかブルーライトたっぷりの光に欧米人はマジで弱い。別に薄いブルーアイズの人間に限らず、ブラウンアイズの人でも辛がっている。日本人は家の中明るい方が嬉しいし、障子とかもガラスがない時代に外の光を取り込む工夫だろ?欧米人が障子を作らなかったのは家の中が真っ暗でも全然平気だからだと思う。海外のホテルの部屋は高級ホテルでも照明が少なくてマジで暗い。
そういう視点からいくとブルーライトカットレンズの恩恵って全体的に光刺激に弱いコーカソイド(アフリカ系も?知り合いのアフリカ系の人は欧米人しかいないのでコーカソイドの欧米人と同じ環境が快適そう)にはあるけど夜も家の中ギンギラギンに照らしてそのまま平気で寝れるアジア人にはあんま意味ないかもしんないと思ってる
JINSピンチ、日本眼科医会が「ブルーライトカットに眼精疲労を軽減する効果はない」と公式見解 : 市況かぶ全力2階建
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kabumatome.doorblog.jp/archives/65978784.html
なんかみんなの反応に見おぼえがあると思ったんだけど思い出した。耳掃除は有害のやつだ。
まじでやめよう耳掃除。米医学会が声を枯らして警告 | ギズモード・ジャパン
メガネも風呂あがりの綿棒も、あまりにも長年続けてきた習慣であるために、
https://twitter.com/sakata_yoshi/status/1382260319368585218?s=19
https://twitter.com/sakata_yoshi/status/1382438514747342848?s=19
ブルーライトカットが有用かという話たびたび上がって、そのたびにこのツイートのリプ欄みたく眼鏡屋の過剰な広告では!?とか無駄なんですね!っていう短絡的な解決になってそろそろ本質捉えたいよ(もちろん研究中という話ではあるけど)
俺の話だが大学からPCを一日中見るようになって目の疲れの解決方法として一番効果があったのがブルーライトカットメガネだった。それから7年お世話になり続けてるから長時間PC作業する人の疲労軽減には効果があると思ってる。
ホテントリに上がってる「小児のブルーライトカットに〜」は対象が小児だけどブルーライトカットはどういう人にとって有用か、デメリットとして何があるのか結論がほしい。
ブルーライトは意味がないとか、目に優しいとかさ、さんざん眼鏡専門店とかが言い続けてきたのに
ここに来て『いや?意味がないです。むしろ悪影響です』なんていうし、
食材とかもあれが体にいい、これが体にいいって言いながら、しばらく経つと『いや、意味がないです。むしろ体に悪影響です』なんて言い始めるし、
じゃあ、今まで身体に良いと信じてきた人たちは何なのよって思うわけだよ。
良いものなんだねって信じた人たちがかわいそうじゃん。
信じた人が悪いって言うクソみたいな奴らはいると思うけど、やっぱある程度話題になって騒がれると信じたくなる人もいるでしょ。
ある日Twitterで、「夫を松潤扱いしてみた」というブログを拝見した。
ただ私を松潤扱いしてくれるような人は周囲にいない。
では自分で自分を松潤だと思いこみながら生活してみるのはどうか………いや、無理だ!!!ゆで卵嫌いだし、あそこまでストイック生活できない!!
早速松潤になることは諦めたが、他のジャニーズになりきって生活してみるのも面白いのではないかと考えた。
そこで厳正なる審査を経て、選ばれたのはSnow Man向井康二氏だ。
2 タイ語喋れる
3 服装が好み
5 個人的に好き
4に関して。
私はとてもとてもズボラだ。とにかく部屋を片付けられない。掃除機がかけられない。布団から出られない…と言った悩みを抱えている。
しかし雑誌等での発言を見る限り丁寧な暮らしをしていそうな向井康二になり切れば少し改善されるかも知れない。
(なお今回の向井康二生活は、雑誌などで見かけた向井康二エピソードを元に「康二くんならこうするのでは?」と想像しながら行ったものであり、必ずしもこれが向井康二さんの生活であるとは限りません。もし全然違うやんと思われる向井康二さんがいらっしゃいましたらひっそりご連絡ください。)
少し前のnon-noでモーニングルーティンを教えたくれたのでそれを参考にしながら1週間を始めた。
普段なら5度寝するところだが、今の私は向井康二。2度寝でちゃんと起きて、朝食。
雑誌にはカプチーノとヨーグルトと書かれていたが、ヨーグルト嫌いなのと朝からカフェイン取ると気持ち悪くなるのでスムージーとパンで代用。実家生活以来の朝食だった。
この日は大学の授業があったので日中はそれに専念することした。
夜は友人と夕飯に。そこで大変なことに気がつく。
「カメラ忘れた…」
向井康二ならきっとこういう時もカメラを持ち歩いて写真を撮っていただろう。その友人が普段私が被写体として撮影してる友人だったので、余計悔しさを感じた。
帰宅後は酒のせいもあってメイクも落とさずそのまま寝落ち。やっぱ初日から100%向井康二にはなれない。無理ない範囲で適度に向井康二要素を入れていくことを決意した。
久しぶりにパックなんぞしてみる。パックするとなんか肌の調子が良くなって気分が上がるような気がしないでもない。
昼は暇だったので、Weiboの投稿を真似て数年ぶりにギターを持ち出して弾いてみた。難しくて早々にやめた。
夕方は久しぶりにスーパーへ。朝食用のパンと夕飯の食材を購入した。久しぶりの自炊、意外と楽しいかも。
夜もパックして、就寝。パックした自撮り写真をノリで室龍太的存在の先輩に送ってみた。
この日は向井康二氏のようにお風呂上がり以降スマホを見ないことを実践してみた。
寝る前にブルーライト見なかったせいか、いつもよりすっきりとした目覚めだったような気がする。
この日は母の誕生日だったので、少し照れ臭いがテレビ電話してみた。普段LINEで済ませがちだが、悩みの相談乗ってくれたりアドバイスくれたりと、たまには電話してみるのもよいなと思った。来月帰省することを決意。
大学の講義を終えて暇だったので、カメラを持ってお散歩へ。何気ない景色をフィルムに収める。身近にSnowManという最高の被写体がいるなんて向井康二羨ましいなとふと思った。
夜も引き続き自炊。ついでに友達からおっそわけしていただいた"つけのも"も頂く。いや逆ゥ!!(CV.向井康二)
そういや向井康二さん、ベッドの上コロコロするって言うてたな…と4日目にして思い出す。試しにコロコロしてみたら、まあ色んな髪の毛やらなんやらひっついてくるわ。
普段あんま気にならないけど、たまにはコロコロするのもいいなと思った。
ついでにカーペットもコロコロ。久しぶりにコロコロ使ったから、コロコロくんも目が回ったことだろう。
この日はリモートではあるが久しぶりに働いた。家の中で数時間働くだけで疲れるのに、コンサートやリハーサル等何時間も動き回るジャニーズの皆さんの体力半端ないなと尊敬した。
夜は友人とディナー。今回はちゃんとカメラを持ってきた。ちょうどフィルムを使い切ったので、その足で現像に出した。データ楽しみ。
この友人は宮舘涼太さん的な子で、なんと言うのか独特で面白い子だ。ちなみに彼女は馬術部なのでリアル白馬の貴族だ。いや、普通に一般市民やけどな!と私の中の向井康二がツッコむ。
วันนี้จกินอาหารกล่องวันกับเพื่อน.
ฉันกินพาสต้า
(私はパスタを食べた)
กลับบ้านและเรียนภาษาไทย
(家に帰ってタイ語の授業を受けた)
สัปดาห์นี้ฉันเป็นโคจิ
(今週私は康二だ)
พูดภาษาไทยได้นะ
(タイ語喋れるよ)
แค่ยังไม่เก่งค่ะ5555
(でも上手ではないんだけどねwwww)
5555555555555
(だから多分この文章も間違ってると思うと言いたかったが上手く文章化出来なかったので取り敢えずタイ語のwにあたる5((タイ語で5はハーと言い、それを連続させるとhahahaとなる為。ん、なんか突然ジェスさん出てきたな。))を生やしてみる。)
ここ最近タイ語の授業がついて行けなさすぎて、苦手意識を持っていたけど、今日の私はタイ人のオカンを持つโคจิ。やればできるっ!!とはいえやっぱり躓いてしまった。難しすぎるやろこの言語。でも明らかにタイ語能力は向上してきた。この調子で頑張ろう。สู้ๆ!!!
朝食時に紅茶を淹れてみた。なんかちょっとだけ生活がアップグレードした気分。
この調子で部屋もアップグレードしてみようと思い、地層のように溜まっただしっぱなしの洋服をひたすら整理することにした。
洋服好きの彼は収納にも拘っているようだが、今持っている設備ではそれを真似することは出来ないので、代わりに愛情持って服を畳んで、いつもより丁寧にしまった。ここでふと気がついたが、これはもはや向井康二でもなんでもない。普通の人や。
でも普段避けがちなことでも、「今日の自分は〇〇(本名)じゃないから!」という意識を持つと、第三者的視点から自分の行動を見つめ直すことができるような気がする。普段の自分ならなんとも思わないけど、もし別の人がこの部屋の有様をみたらなんと思うだろう…と考えると自ずと次の行動が見えて来るような気がする。知らんけど。
こうしてもはや向井康二だか誰だか分からないけど、私以外の私になった私は久しぶりに洋服が散乱していない床を目にすることができた。
ついでに地層の底から化石という名の無くしたと思ってた指輪を発掘した。
君にいいことがあるように…
この日も朝食はトーストfeat.紅茶。やっぱ紅茶って美味しいなと思った。
昼過ぎ近所に住む友人を呼び出してお散歩がてらミニ撮影会をした。うん、最強にかわゆいお写真撮れた。二度目になるが、最強の被写体が身近にいる向井康二さん羨ましい…とはいえ私の友人もSnowManに負けないくらい最強の被写体だけどね!とSnowManに対して謎の対抗意識を燃やす。
話は変わるが、自分の撮った写真を喜んでくれる人が存在するだけで、カメラマンやってて良かったなと思う。私の場合喜んでくれるのは被写体のみだが、向井康二氏の場合被写体となったメンバーの他に大勢のファンも喜んでくれるのだから、きっとカメラマン冥利に尽きるんだろうな。うーん、やっぱ一度ガチで向井康二になって、各方位に喜ばれるようなお写真を撮りたい…
今日は夕飯の時間が短かったので、グリーンカレーとそうめんでちゃちゃっと。そう、松竹座でお馴染みのアレだ。たまたまそうめんとグリーンカレーあったので組み合わせみたら美味しかった。タイでもこんな感じの組み合わせ食べたことあったな…とふと思い出す。
巷でいう"担タレ"のようなことをした1週間だった。
結末を一言で言うと「私は向井康二にはなれなかった」一方で、「苦手なことをそれが得意な人になりきって行うと少し苦手意識が薄れた」ような気がした。
人は往々にして「自分は〇〇だからできない」と決めつけて、可能性を自ら狭めてしまうことが多い。私も朝起きられないことや、部屋を片付けられないことがもはや自分にとってのステレオとなっており、自らそのステレオタイプ化した自分を打開することを恐れていたのかもしれない。
私はこのある一種のズボラさの原因を、性格云々ではないところにあるのだと予想している。それはきっと医者に行くと診断が付くかもしれない。薬を処方されることでマシになるものかもしれない。
ただ私は怖いのだ。
仮に薬を飲んで整理整頓できる規則正しい人になったとしたら、果たしてそれは私なのだろうか。
今まで積み上げてきた「私」という人格はどこか消えてしまうのではないか。
それが異様に怖いのだ。
しかし短期間だけ別の人に"なり切れば"、元の自分の人格を持ったままいつもとは違う行動を起こす勇気が出るのだ。
今回たまたま選ばれたのは向井康二氏だったが、別に芸能人でなくても良い。身近な友人やアニメキャラ、妄想上の人物でも良い。
そと間だけでも自分が苦手なことが得意な人になり切ることで、少し勇気がでたような気がした。
他人に完全になり切るのは最早本人からしたら恐怖だろうし、自分の人格そのものを否定することになるので、推奨は絶対にしないが、短期的に誰か別の人物になり切って行動するのは良いかもしれない…と思った1週間だった。
最高に頭が混乱し、最低のグッドトリップをした経験を、忠実に、正確に、有意に脚色を加えて書き残す。実に珍しいことだと感じたので。
12月9日午後12時35分、就寝。男は一晩中寝ていなかったらしい。漫画を読み、充足感と不足感のままに乱暴に寝た。夢は見なかったそうだ。
12月9日午後6時18分、起床。外は暗い。男は電気を点け、あまりの明るさに愕然とする。どうせやることもないし、このままもう一度寝てしまおうか、とも考えたが、蛍光灯とブルーライトにやられた目と脳は閉じることを拒んでいた。
男はなにも考えていなかった。なにも考えられなかった。夢と現実の狭間に迷い込んだかのようだった。外の暗さと部屋の明るさに、矛盾した鬱憤をかかえながら、ただ時間を過ごしていた。とりとめもない文章を連ね、他人に送りつけたりしていた。46億の人々の生活を消費し続けたりしていた。孤立していた。
12月9日午後7時24分、男は世界が一つではないと気づいた。その瞬間、目に映る文章、天井のライト、部屋の景観、今までのすべてが、文章となって脳になだれ込んだ。あまりにも煩かった。慄いた。これまでの自分にあった全てを悔い、取り消そうとした。しかし気づいている男は、そんなことができないことにも気づいているのだ。どうしようもなく時間は早く進む。不可解な理解から逃げ出したかった男は、もう一度布団にくるまった。
12月9日午後7時48分、逃げ出した男は、なにかに縋った。とにかく狭間に帰るべきだと考え、今の自分がいかなるものかを他人に伝えた。まるでそれらが自分ではないように。なにもない狭間になにかを忘れてきたかのように。男にとってそこは、唯の狭間ではなかった。すべてを満たす無に安堵を覚えていた。凪の水面に落とされた水滴、もとい大雨は、大きな波紋を広げ、自己を顕示する力を生んだのだ。
12月9日午後7時57分、男は気がついた。ここにはなんの変化もない。
12月9日午後7時57分、私は気がついた。ここにはなんの変化もない。
何も起きていなかった。安堵した。凪の水面は存在しなかったのだ。あわやヒトという環に取り込まれそうになった私は、なんの問題もなく生活を取り戻した。システマティックに組み込まれたひとは、再び運動を始め、するすると抜け落ちた狭間の快楽に気づくこともなく回り続けている。
男達は偽物だったと思うことにした。
この文章はpomera DM30という機械で書いている(アップロードはiPhoneでやってる)。知っている人も多いと思うが、pomeraとはKINGJIMが出している、テキスト入力しかできない機械だ。
pomeraのシリーズを買うのはこれで3台目だ(はるか昔、初代が出たときに買った記憶がある)。かなり久しぶりにpomeraを買った。
なぜ買ったかというと、夜にブルーライトの出る画面を見なくてもテキスト入力ができる機械を探していたからだ。
最近は夜になんだか寝付きが悪い、どうやら、スマホやらiPadの画面を寝る間際まで見ていることがよくないらしかった。多くのタッチスクリーンはブルーライトを出すらしい。それが寝付きを悪くしているのかもしれない。
そう思ったが、自分はネット上でくだらない文章を書き込むのが好きだった。なんでかはよくわからないが、言語化してみると自分の考えていることがわかったような気になるところが好きなのだ。そしてそういう文章を書く時間は夜、寝る前ぐらいしかないのだ。
だから夜、寝る間際まで文章を打ち込むことのできる機械、さらには画面からブルーライトの出ない機械を探していた。
そんなことを増田でモジャモジャと書き込んでいたら、トラバでアドバイスをもらったのだった。pomeraはどうかと。
https://anond.hatelabo.jp/20201207221408
そういえば、そういうものがあったことをすっかり忘れていた。そして検索すると、なんと、電子ペーパーの画面を備えたpomeraが売っているらしい。
この、電子ペーパーを備えたpomera DM30というモデルの発売時の価格は43000円(税抜)だったらしい。2020年12月現在、Amazonだと1万5千円くらいで売っている。ポチったときには、なぜこんなに価格が暴落しているのか、考えもしなかった。
で、今日初めてこの機械を使って文章を書いているので、感想を書き残しておきたい。
まず、このpomera DM30という機械は、製品として非常に微妙な出来であると思う。
なんといっても、打鍵時の反応速度が遅い。キーボードに文字を打ち込むと、電子ペーパーの画面に表示されるまでに、かなり気になる遅れがある。これはテキスト入力機としてかなりまずいのではないかと思う。とはいえ、こうして文字を打ち込んでいる間に遅さに慣れつつある。
さらに電子ペーパー上の残像がすごい。どいういうことかというと、文字を打ち込んだ後にスクロールしたり、メニュー画面を表示して閉じた後に、それらの残像が染みのように画面に薄く残ってしまうのだ。これは電子ペーパーの特性上、致し方ないものらしい。F12キーを押すと画面がリフレッシュされ、残像は消えるのだが、そんなこといちいちやってられるかあほと思うくらいに頻繁に残像は出る。長い文章を書きながら下にスクロールし続けていると、まるで罫線を引いたように画面全体に残像が残る。
とはいえ、この製品を市場に出してくれたことには、やはり感謝せざるを得ない。
どのような欠点があろうとも、ブルーライトをまったく気にせずテキスト入力ができる点で、自分にとってこの製品は大変すばらしいからだ。この製品のおかげで、いままでできなかったことができるようになったのだ。
KINGJIM社におかれては、このDM30だけで電子ペーパー画面に見切りをつけず、ぜひとも新機種の開発を続けていただきたいと思う。
よっぽどの緊急電話は固定の方にかかってくるはずなのでたぶん問題ない。
とはいえ寝付くまで暇なのでKindle Paperwhiteだけは使っていいことにしている。
紙の本は電灯をつけた状態でないと読めないがKindleは明かりを消していてもバックライトの明かりだけで本が読める。
eINKなので液晶画面ほど目が疲れないしブルーライトもない。
読んでるうちに寝落ちする。
ああ、そろそろ寝なきゃ。おやすみなさい。
寝る直前までスマホの画面を見続けているせいか、頭の片隅が疲れているのだけれど、いざ寝床に入って目を閉じてもなかなか寝付けない。
スマホを大型画面のモデルに変えてからさらに寝付きの悪さが悪化している気がする。
寝床に入る少なくとも2時間前からスマホをいっさい見ないようにしようと思って実行してみたが、2日目で挫折した。
手の届くところにスマホがあると、LINEの返信をしないと悪いような気がして、ついつい見てしまう。そのついでにTwitterを覗いてしまったり。
絶対に、絶対に見ないようにするんだと思ってスマホの電源を切ってみたが、しばらくすると頭の片隅がむずむずしてきて、つい電源を入れ直してしまう。
あと、こんな時間にここに書き込んでいる通り、ネット上にどうでもいい文章を書いて投下すること自体が好きなのでついやってしまう。
スマホを見ないように自分で自分をコントロールすることができなくなっている。そのことは自分でわかっているのに、どうしようもない。
せめて画面から出てくるブルーライトの量を減らして目への負担を減らせないかと思って、スマホからiPod touchに切り替えてこれを書いている。SNSを見るアプリは入れないようにして、テキスト入力だけはできるようにしてみた。Night Shiftにして画面の色を暖色系にもしてみた。
こうすると少しだけ目への負担が減った感じがある。
できれば夜に画面をいっさい見ないようにしたいが、それはまだできていない。
スマホが普及する前にはできていたはずなのに、なぜ今はできないのだろう。
寝る前はペンとメモ帳だけしか使わないようにしてみたが、自分の書いたものをどうしてもテキストデータで残しておきたくなってしまい、けっきょく挫折した。
テクノロジーは人間を自由にすると思っていたのに、自分の場合は依存してしまって、かえって不自由になっている。
この状態から抜け出したいと思っているのに、できないでいる。どうしたらよいのか、もうわからなくなっている。
本当にどうすればよいのだろうか。
1日でも寝れなかったり寝れなかったせいで起きれなかったりするとおわりじゃん
さらに泣きつくと、運動しろ、ブルーライトカットしろ、寝る前に風呂に浸かれ、ホットミルク飲め、二時間前から寝る準備に入れ
いや、そんなの続かないし
で毎晩9時ごろには眠気が到来してないことに絶望しながら、寝れなかったらまた努力が足りなかったと自責の念に押しつぶされながら眠れない夜を2時間ぐらい過ごすじゃん
暗い部屋でじっと横になってるとどんどん思考が鬱々していくじゃん
あーもう無理だと思ってスマホ弄ってまた寝付くのは明け方じゃん
月曜なんか寝ずに迎えることが9割だし自律神経ホルモンバランスぶっ壊れて生理周期がめちゃくちゃだし食欲ないから体重落ち続けてるし
生活にも健康にも支障をきたしてる上に、自己肯定感もどんどん失われていくじゃん
週末も生活リズムがおかしいから出かけられないし、人とも疎遠になってくじゃん
そりゃあお医者様としては安易に睡眠導入剤に頼らせたくないと心からの親切で薬を処方してくれないのかもしれないけど
この生活をもう何年もやってる身としては、睡眠導入剤に依存してでも普通の生活リズムを取り戻したい
どんなに優しい精神科医でも、睡眠に関しては努力しろって言ってくるんだよな
私は今、好きな同性のクラスメイトがいる。
私より美人で運動神経も良くて頭もいい、誰にでも優しい女の子。
女子校での生活が6年目ともなると、最早男の子という生き物がどういうものなのかを忘れてしまっている気がする。
私が知っている今の私と同い年の男の子というのは、ブルーライトの向こう側の細くて可愛い子たちくらいで、実際の同い年の男の子がどんな感じなのかは正直想像もできない。
ブルーライトの向こう側にいる彼らでさえ、もしこちら側に来たらと考えると真っ先に浮かぶのは恐怖だ。自分よりも体が大きくて力が強い、そして何を考えているのか分からない未知の生き物。
この間私は誕生日を迎えて、18禁の暖簾をくぐれるようになった。その時にふと気づいたのは、今の自分がいる箱の特異さだった。
私の周りだとセッ○スという言葉は大抵の場合ネタにされるかタブーのような扱いを受ける、なぜなら殆どの人がその言葉に実感を持たないから。私もその1人なのだけれど。
性的欲求は汚らわしい悪いものだ、という言葉にされることの無い同調圧力。
なのに、二次創作やシチュCD文化に触れている人は多く、私たちはセッ○スという行為からは乖離した『セッ○ス』という概念の話は当たり前のようにする。
女子校、という括りにするのが正しいのか最早定かでないが、少なくとも私の学校はパーソナルスペースという概念が崩壊している。
勿論人を選んではいるが、仲の良い友達同士は当たり前のように手を繋いだり、ハグをしたりする。
それがふざけてとかではなく、日常的に当たり前のように行われる。
私も、好きな某クラスメイトへの感情が恋愛感情だと気づく前は、彼女に当たり前のように抱きついたりすることもあった。別にそこに対して特別な気持ちは無かったような気がする。
けれど今、私は毎日彼女を見る度に彼女に触れたいと思っているし、そんな自分が心底気持ち悪い。
触れたい、と言っても別に大層なことを望んでいるのではなく、私の学校の子達が当たり前に友達にするようなことがしたい。でもそれは、私にとっては抑え込んだ性的欲求の代替行為なのでは無いかと思うと、自分に触れるなんて汚らわしいと思ってしまう。
彼女は、それに対してなんのリアクションもしなかった。多分、無かったことにされた。彼女は、以前と変わらず誰に対しても優しく、その優しさを私に対しても向けてくれる。彼女は私のことを友達かそれ以下に留めておきたいのだろうし、そんな彼女に対して今の私が触れようとするって、これが仮に男女の恋愛だったら大問題だよな、と思ってしまう。
先日、その場のノリだけで、さよならをするついでになんとなく彼女と手を合わせたことがあった。柔らかさと体温と、なによりもっと触れたいと思った自分が忘れられなくて、そのことが心底気持ち悪かった。
もう消えてしまいたい。それか昔に戻りたい。
彼女への好意をまだ恋愛感情だと認識していなかった頃に。いや、あの頃は別に今の私みたいなことを考えて触れ合っていた訳ではないのだけれど。
彼女に気持ちを伝えた時、正直私は彼女に気持ちを否定されることを望んで伝えた節があった。まさか無かったことにされるなんて、これっぽっちも思っていなかった。
宙ぶらりんなまま今も私の気持ちは彼女に向き続けていて、最早隠しきれていないであろうその気持ちに彼女は何も言わない。
私は毎日のように彼女にどうやって話しかければいいのか考えているし、下らない話題を振っては弾まない会話に心底後悔して、でも彼女と話せるというそれだけの事に幸せを感じて。
毎日、楽しくて辛くて苦しくて、こんな生活早く終わってしまえばいいと思っている。
もうこんな恋愛は二度としたくない。
次に好きになる人がまたヘテロの同性だったらと思うと、心底怖い。