はてなキーワード: ネットユーザーとは
汚い言葉遣いは「表現」なので、TPOがある程度使い分けられるんだよね。
一方で汚い話しかできない奴って、本当にどこでもどんな話題に対しても同じようなことしか言えない。
何でもかんでもシモの話に持っていって、創造性のない繰り言ばかり言っている。
昔からある例で言うと、「淫夢厨」か。あれらは本当に何を話しても話題が続かない。知能が低い。
でも、ああいうのがニコニコの一部の動画でコメントし続けるだけでなく、どこにでも表れて我が物顔で占領し出すようになったのはここ数年だと思う。
悪化は良貨を駆逐するなんてつまらない言葉で諦観したくはないが、本当にネットユーザーの平均知能低下はとどまるところを知らない。
グッチ(GUCCI)、ディオール(DIOR)など高級ブランドが梨泰院(イテウォン)事故に哀悼の意を表し、海外ネットユーザーに予期せぬ逆風にさらされている。
先月30日、グッチとディオールは公式インスタグラムアカウントを通じて「梨泰院で発生した悲劇的な事故に対して深い哀悼とお見舞いの気持ちを伝える」という文章を英文と韓国語の解釈をともに掲載した。
該当掲示文を見た海外ネットユーザーは不満を示した。特に、イランやインド、ウクライナなど、現在事故や戦争などで苦しんでいる国から不満の声があがった。
彼らはウクライナ戦争、インドの橋崩壊事故、イランのヒジャブ疑問死デモなどに言及し「先進国だけに選択的に哀悼するのか」「韓国が大きな市場だと贔屓する」「私たちのためにも声を出せ」などのコメントを書き込んだ。
習近平はどこで食事をしても、必ずお金を払うことを忘れない。 あるとき、習近平は正定西蔵洞コミューンにブリーフィングに行き、食堂で食事をした。 食事をする「テーブル」は、コミューンの庭にあるコンクリートのタイルで、その下にレンガを数枚敷いたものだった。 椅子がないので、そこにしゃがんで、普通の水を飲みながら食べる。 食後、習は "私が払います "と言った。 当時は肉まん2個で8セント、キャベツの炒め物で10セント、合計18セントだった。 食事代は習近平が全額負担してくれた。
2014年、習近平は蘭香を再訪し、昼食に蘭香打包、開封小籠包、白米を食べ、カリフラワーの乾物炒め、中原チャウダー、羊肉の煮込み、キノコ入りローストビーフ、冬瓜と豚バラ肉のスープという4品とスープを食べた。 食事が終わった後も、習近平は今まで通り食事代を支払った。
2014年、習近平がランカーオを訪問した際の食事代領収書は、当時の実勢レートと食事回数に応じて支払い、合計160元が満額となった。
習近平は友人を招いたとしても、迎賓館での夕食に招待することはほとんどなく、もし招待しても自腹を切るのが常であった。 たいていは、缶詰や野菜などを買ってきては、事務所でその友人たちをもてなす。 週末であれば、友人とお酒を飲むこともあったようだ。 また、食堂に行って料理を2品注文することもあったが、その場合も必ず自腹を切っていた。
正定県委員会の規則では、公金で客人を接待することは認められていない。 しかし、『正定が新天地に立つ』が出版されてからは、記者がどんどんやってきて、食事の問題が顕在化してきた。 また、「確かにジャーナリストは "お客さん "だが、仕事をするために降りてきているのだ。 気軽に食事ができるようにするべきだ。"
習近平の言うことは一理あると誰もが感じた。 習近平国家主席は、さらに3つのおもてなしの指針を示した。1つ目は、礼儀正しく接すること。 2つ目は、無駄がないこと。 第三に、食事に同伴できるのは一人だけで、他の幹部やスタッフには同伴できないことである。 当初、記者には一人分の餃子を食べてもらうことにした。 その後、正定で買った麺類、麻婆豆腐、バクラヴァなどの軽食に変わり、安くて美味しかった。
外からの客人を伴って食事をする場合、自分の分まで、客人の分と合わせて、すべて自分の懐から出して、いらないと思ってもダメです。 国民が払うべきでない金に対して、いつも「計算」していた。
当時、国内では前例がなく、正定で行われた仕事は画期的なものだった。 習近平はまた、組織や機関の幹部が公金で飲食することを禁じ、単位で宴会に招待することを禁止する規則を作った。
は、"Science "の略称で、"S "は "Science "を意味します。 1989年3月、彼は率先して「地方委員会と行政院の指導的幹部の清廉さと自己規律に関する若干の規定」を制定し、その内容は12条からなり、その中の一つに、草の根の人々はたくさん飲食してはならず、接待基準に従って食事を運営し、必要な食費を支払うことを厳格に要求される、というものがあった。 この経済精神は、その後の習近平政権にも反映され、2013年には「飲食物の無駄遣いの抑制を呼びかけるネットユーザー」に対して、「党、政府、軍の各級機関、人民組織、国有企業、そして各級指導幹部は、先頭に立って公式接待制度を厳密に実施し、あらゆる経済措置を厳格に実行すべきだ」と書き込んでいます。 政府、各級政府機関・軍機関、人民組織、国有企業、各級指導幹部は、率先して公式接待制度を厳格に実施し、各種節約策を厳格に実行し、公的資金の浪費に断固として終止符を打たなければならない。
習近平の "メニュー "とは? 手料理に勝るものはない。 しかし、これらの料理には、習近平の民衆に対する献身的な姿勢、心からの素朴さ、そして清らかな決意が感じられます。
出典:『正論』『新華社』『人民日報オンライン』などの習近平編集部/斯青(シーチン
https://news.sina.cn/gn/2019-08-06/detail-ihytcerm8718713.d.html
一般的にネット民、ネットユーザーとしてネット上に文章を残す人達が存在するが、
ネット上に文章を残すには、それに相応しい自己肯定感や承認欲求があると思っている。自己肯定感については、よくネット上で自己肯定感がないといった文言を見る。しかしそれを全世界に垂れ流してる時点で変な感じがする。自己肯定感があった頃は何とも思っていなかったが、自己肯定感がなくなりそうな私は自分がネット上に文章を残すこと自体汚らわしいことだと感じ始めたからだ。一部のサービスでは辞めた。また、言葉を検索すると自分の存在が出てくるから、場合によってはそれを意識しなければならない。自分の主張を発信する際に、それが特に恐ろしいことではないだろうか?検索という不特定多数の人が行う行為に自分の存在を押し出すということに恐怖感を感じ始めた。そこで、検索をあまり意識しない(最低限のモラルは守っている)スタイルで全世界にキモ言動をしていた過去の自分が恐ろしく感じ始めた。自分の過去の発言はどうあがいてもキモくて自己主張してはならないものだという意識が根付き始めたからだ。その文章は消したが、ツイッターYouTubeニコニコ2chなどで自分を押し出すことに専念していた頃の自分が怖くてたまらない。そこで私の今はネット界隈の中で自分を押し殺すことに専念し、発信することを辞めたいと思っている。この文章もキモいかもしれない。ネットに文章を残さず、見るだけの人達、その人達はかなり賢いのではないだろうかという考えが浮かんだ。
今回の事件の詳細が明らかになるにつれ、はてなやツイッター、さらにはあのヤフコメでさえも、容疑者に対しての同情と、安倍の統一教会との生前の関係について批判が多く見られるようになってきてる。
しかしこのようなネットの風潮とは一線を画す領域が存在している。それが中高生が主ユーザーのtiktok。
(ごめんセンセーショナルに「はてな民が知らない」と書いたけど、実際には多くのネットユーザーがこの状況を知らないと思う。)
tiktokにおいては上記のような主張はほとんど見られなくて、「犯人許すまじ。」「何も悪いことしていない安倍さんがかわいそう。帰ってきてほしい。」という意見が主流。
確かに本件についてのニュースを積極的に摂取しない中高生だったら、安倍元首相は彼らの人生の半分近くを自分が暮らす国のトップであったわけで、その彼が銃撃というショッキングな理由で殺されたのだから、このような反応一色になるのは十分に理解できる。
でもそれだけでは理解できない部分がある。それは彼らが寄せる安倍ちゃんへの思慕の深さ。
tiktokの投稿動画を見ると、少なくない中高生ユーザーが推しのアイドルに対してするように安倍への追悼として彼の画像を複数集めて、それらを音楽に乗せた編集動画を投稿してる。(主に麻生や昭恵夫人、プーチンやトランプと談笑する写真や、単に飯を食ってる写真とかが使われてる)
それも普段全く政治的な発信をしない、ジャニーズやKpop好きの普通の中高生が、そうしてる。
さらに驚くべきことだけど安倍支持の連帯を示すファンマークも存在している。(ファンマークとはユーザー名の末につける絵文字で、これをつけることで特定の人物のファンであることを外にアピールする風習がある)
冗談のように聞こえるかもだけどこれは本当の話で、結構なユーザーがこのマークを自身のユーザー名につけてる。(試しに検索してみるといいかもね)
こんな感じの特定の人物に向ける素朴かつ深い思慕、なんか既視感あるなと思ったら思い当たる例があった。
それは上皇様。彼に対して多くの若者は近所の優しいおじいちゃんに対してのそれに近い親しみの感情を持ってた。
安倍ちゃんにtiktokの中高生が寄せてる感情ってこれにめっちゃ似てると思う。
なんで安倍ちゃんってこんなに中高生に親しまれてるんだろ。岸田や菅が同じように長期政権を築いたとしても同じようになるとは思えないし、もっと言えばノンポリの(のように見える)普通の中高生が政策の話など抜きに無条件に特定の政治家に親しみを抱いてるってこれまでの日本の政治シーンに無かったことだと思う。
はてな民はどう思う?この辺が解明できれば今後色々有用だと思うんだけど...。
・譲位の事実から勢いで諡を書いてしまっていた部分を上皇様に修正。ご指摘ありがとうございます。
・書き方が分かりづらくなったけど安倍ちゃんに対しての思慕は、素朴さと深さの点で上皇様のそれに似てるから引き合いに出したけれど、おじいちゃんへの思慕とは安倍ちゃんの方は違うように感じてます。