はてなキーワード: アルツハイマーとは
感想を一言で言うと「お金を払って見る価値はあるけど糞映画」でした(意味不明)。
1,200円(レイトショー扱いだったので少し安め)返せとは言わないし内容もそれなりに良かったけど・・・って感じ。あと最近の映画に共通してるけど観客を驚かせることに注力してる感が強すぎる。話題さらってドヤ顔したいだけだろと。
以下感想(ネタバレはあんまり含まないと思うけどこれから見る予定って人はスルー推奨、それと全体的に馬鹿にしてるんでそういうのが苦手な人も同じくスルー推奨。)
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そんなこんなで感想。異空間含め前作よりもぶっ飛んでる箇所が多かったように思うw。スタッフ薬決めてるだろwwwってレベルだった。
まどか…言わずと知れた神様。前回予告の結末から予想してたよりかは出演回数多かったけどやっぱり影薄いっすね。
ほむら…ゴミ。産業廃棄物。今までも嫌いだったけど今作でより嫌いになりました^^
マミ…評判に違わぬ通り俺TUEEEしてて良かった。お姉さんお姉さんしてて良かったし強かったんだけど、中盤以降割と無能なんだよなぁ・・・。
さやか…やっぱりさやかちゃんが一番可愛くて強い!。というか精神状態もかなり良くなってるし戦闘力もインフレしてるし普通に強いと思った(小並感)。
杏子…今作一の無能。さやかとの掛け合い(意味深)が良かった。割と何もしてない。
動いてるマミさん&さやかを見れただけでもう十分だ…(観客の鑑)。
□上映前
・ワーナーが配給してて草。東宝とかで良かったんじゃないんですかね。
・何故か物語シリーズから八九寺真宵が登場。登場冒頭観客に挨拶を求めるシーンで「せーのっ」の掛け声から照井君を連想して吹き出してしまったwww
□開幕~ケーキ登場
・そもそもまどマギを見たのが久しぶりだったこともあって、開始後は今まで読んできた同人だったり「こんなの絶対かしこまり!」を思い出して頭が混乱してた。もう許せるぞオイ!
・ケーキのシーンはマジでキチガイじみてると思った。犬カレー空間とか抜きで薬でもキメながら作ってたんじゃないんですかね…?
・ナイトメア封印後マミさんがケーキたかられてて泣いた…(´;ω;`)ウッ…
・杏子 無能 アルツハイマー 記憶違い 仕方なかった ラーメン屋 仕方なかった(さり気なくラーメン屋で淫夢営業してる可能性が微粒子レベルで存在する…?)
・マミさんTUEEEE!そもそも弾数は無限だろうし銃で撃ってるだけじゃ限界が来るんじゃないんですかね?ほむら()
・というかそもそもベベを疑う前に色々インキュベーターとか調べあげるべきじゃなかったんですかね…?
・まどかだって誰かを失うことゎとっても辛いんだよ←当たり前だよなあ?
・正直この辺は???って感じ。インキュベーターVS魔法少女、魔女化した理由etcについてはイメージとしては何となく分かる。
・悪魔になった理由は本当に意味が分からない。「あなたには分からないわ」って単にキチガイレズってこと何じゃないんですかね?
□~エンディング
・ほむらの顔つきが明らかに変わってて草不可避。成長したのかな?
・あ・・・やっと、平和な世界がもとに戻ってきたんやな・・・(適当)
・アスミスのやってた魔法少女って小学生やったんやな(GP)。というか出番少なすぎィ!
・(次回予告は)ないです←は?(威圧)。あんなラストだったから心の中で「うっそだろお前www全然ゆる映画じゃんwww」って思ってた。
天の邪鬼だからこういう王道を征かない展開も嫌いじゃない。けど好きじゃないよ(どっちつかず)。
浅い考えだけど「神VS悪魔」みたいな展開でまた映画だったり何かが作られそうな気がしなくもない。というかそうじゃなかったら今まで作り上げてきたまどか☆マギカってコンテンツはこんなキチガイレズのラストのためにあったんですかね?(疑問)
http://anond.hatelabo.jp/20130614231123
(1)発症年齢が若い 一般的にアルツハイマー型認知症は65歳以上で発症することが多いのに58歳で発症というのは稀。しかし前頭側頭葉変性症ならば65歳未満発症でも稀ではない。
(2)「脱抑制」という前頭葉障害に起因する症状の記載がみられる。”突然怒り出すようになった” ”暇さえあれば悪口を言うようになった” ”病院でも少し待たされただけで受付のお姉さんに怒鳴りつけたりする” ”食事も自分の分が食べ終わると、他の人の皿に箸を突っ込むようになった”
(3)「被影響性の亢進」というこれまた前頭葉障害に起因する症状の記載がみられる。”大きな声で遮るようにテレビと会話をはじめる”
(4)家族からみて明らかな性格変化がみられており、発達障害の可能性は皆無。幼馴染の医者はメモを見ただけで本人を診察もせずに好き勝手なことを言っているので、信用できない。
脳ドックは大脳動脈の狭窄や動脈瘤の有無を中心に診ていると思われるので、たぶん前頭側頭葉変性症では異常は出ないです。
前頭側頭葉変性症は治療の方法がない進行性の病気ですが、それでも病気と分かっていれば周囲の対応の仕方もわかってくるので、早期診断の必要性は大です。
専門医は日本認知症学会 http://dementia.umin.jp/g1.html または日本老年精神医学会 http://184.73.219.23/rounen/a_sennmonni/r-A.htm で探しましょう。
先日、私の祖母が亡くなった。85歳だった。
祖母との思い出といえば、私が生まれてから成人するまでのおよそ20年間、元旦に直系の親族一同とともに正月祝いを行っていたことを思い出す。正月祝いと言っても、細田守の「サマーウォーズ」に描かれるがごとき祝祭的な性格のものというよりは、近況報告を兼ねて親族同士で気を使いあう儀礼的な色彩のつよいものであった。
祖母には一人の息子と三人の娘がおり、息子が一番年長、その下に長女、次女、三女と続く女風上の一家で、この末娘が私の母である。四名とその家族が毎年元旦に祖母のいる実家へ帰省していたわけだが、態々そのような古臭い集まりを続けていた理由は簡単で、いずれの親族も実家から車で1時間以内の場所に住んでおり、集合するのが容易だったためである。
長男は、礼儀正しく気の優しい人で、奥方とも仲睦まじいが、子宝には恵まれなかった。長女は結婚してすぐ最初の孫――――私のいとこに当たる娘を産み、次女もまた結婚後すぐに娘を一人もうけたので、祖母からすれば、自身の若いうちから孫を抱いて可愛がる楽しみを得ることが出来た。私が生まれたのは次女の娘よりも5年ほど遅れてのことだったが、あとから母に聞いたところによれば、祖母にとっては初めての男の孫であったから、幼少時の猫可愛がりは尋常ではなかったということだった。現在を見てみれば、いい年をして結婚もせず、祖母の期待に沿う形には成長できなかったのだが。
私に遅れて妹と弟がそれぞれ誕生したが、正月にはこれらが皆、映画のように広い日本家屋などではなく、昭和のごく平均的な一軒屋に集まるわけだから、私たち孫の小さいころの祖母は片付けや食事作りなどにてんやわんやで、忙しそうに家中を動き回っていた。
生前における祖母と祖父のおしどり夫婦ぶりは母や親戚から伝え聞いているが、その足取りは大抵のものではなかった。
大正生まれの祖父は、呉服屋の息子で自らも商店を営んでおり、利発聡明と専ら評判の若者であったが、当時の男性としては体は丈夫なほうではなかった。そのためかは定かではないが、第二次大戦時もなかなか徴兵されることはなく、結局日本が敗戦する直前になって突如として徴兵されることとなったという。
終戦後、祖父は無事帰還したものの、兵役の最中に肺結核を患っており、生業である商売もままならず、しばらくは寝たきりの生活を余儀なくされた。戦後の結核治療の確立から一命はとりとめたものの、後遺症か定かではないが、原因不明の発熱と咳に生涯悩まされることとなり、商店の経営にも難渋した。
祖母は、看護学校を卒業していたが(戦中、従軍看護婦になることを希望していたのかもしれない)、卒業後すぐに祖父と結婚したことから、看護婦となることはなく、祖父の徴兵後は夫に代わって商店を切り盛りしていた。しかし、祖父の体調不良もあって戦後いよいよ先行きが怪しくなり、結局私の母が生まれて5年後に閉店したという。
その後の祖母は、しばらく職を転々とした後、昭和42年ごろ、某市の市立病院の看護婦となる。祖母にとっては、高校以来の看護業であり苦労は並大抵ではなかったというが、持ち前の剛毅さと天性の快活な性格にナースは天職であったようで、中途採用者としては異例の副婦長の地位まで昇進したという。60歳で定年した後も、市内の私立病院に嘱託職員として居場所を得、4人の子供を成人させ、病の夫を支え続けた。
しかし、その祖父も私が5歳のときに癌で帰らぬ人となる。確かではないが、病室で遺族が泣き伏せる中、祖母は一度も涙を見せなかったと幼いころの私は記憶している。
祖母との最後の思い出らしい思い出は、一昨年の夏のものである。
何とか就職が決まり、自分の車を手に入れた私は、何を思ったか一人で先祖の墓を参りたいと考え、祖母に親類の墓地の場所を尋ねに行った。その前の年、私の父が母と離婚しており、20年続いていた正月の集まりは中止されてしまっていた。祖母の顔を見るのは、同年の冬、祖母が初期の癌を患っていることが判明し、見舞いに訪れた病院以来であったと思う。これは治療により完治し、祖母は実家で一人暮らしを再開していた。
唐突に尋ねてきた孫に、祖母はメロンを振舞ってくれた。墓地の場所を教えてもらい、私はひとり車を走らせる。天気は伸びぬけるような快晴であった。セミが絶息の声を漏らして、草だらけの殺風景な墓所に風情を齎していた。確か、わざわざ花を携えて行ったと記憶している。
墓めぐりが終わって、私はもう一度祖母の自宅を訪ねた。最近腰が痛くて食器の片付けに苦労するというので、洗物を手伝い台所の片づけをした。年季の入った炊事場の汚れを見ると、正月に走り回りながらおせち料理を拵えてくれた、祖母の苦労が感じられるようだった。帰り際に、祖父の眠る仏壇へ線香を立てた。
帰り際、私を何事か心配そうに見つめながら、祖母は言った。
「私はもう、長くない。私が死んだら、後のことは頼む」
私は、何を言っているの、おばあちゃんは癌になったって死なない人でしょう、と言った。豪快な祖母のしおらしい一面を見て、私は意外に思いつつ、やや後ろ髪を引かれながら岐路に着いた。
その2週間後、祖母は脳梗塞で倒れた。
以後の祖母の容態は、芳しいものではなかった。脳梗塞からただちに生命の危機には至らなかったが、脳の神経が一部破壊されてしまったことから、記憶の維持に支障が生じ、軽度のアルツハイマーの様相を呈していた。また、翌年の冬、恐れていた癌の再発が認められた。
近年の病床の不足から、祖母は短期間の転院を繰り返し、結局地元の病院(かつて勤務していた病院ではない)に落ち着いた。最後に会ったのは、今年の5月ごろであったと思う。もう、私の顔はあまり分からなくなった様子であったが、お見舞いに来てくれているのはわかっているようで、こちらが手を振ると童子のように身振りで返してくれた。黒かった御髪はすっかり白くなり、顔も痩せて、さながらどこぞの聖人のようでもあった。母は週に一度見舞いに行っていたが、亡くなる前日までは、元気に呼びかけに応えており、当日は眠るように安らかに逝ってしまわれたという。
通夜には、上述した親族はもちろん、各地に散らばっていた祖母の兄弟の他、長女の娘の息子と次女の娘の娘、つまり祖母にとっては曾孫に当たる二人も参列した。二人とも終始、お経が退屈で帰りたいとぼやいていたが、赤ん坊のときにまだ健全だった祖母に抱かれたことは記憶にないのだろう。
私にとっては従甥・従姪にあたる二人の相手をしながら、私はかつてこうして祖母の実家で遊んでいた時代のことを思い出していた。辛櫃の前をずいぶん騒がしくしてしまったが、生涯をかけて一家を守ってきた祖母にとっては、たぶんこの光景が一番望んでいたことであったのだろう。
おばあちゃん、生前は本当にお世話になりました。
小学校のころ両親が共働きの僕は、ばあちゃんが面倒を見てくれていた。元小学校の先生をやっていたばあちゃんは、体力も他のお母さんたちに負けないくらい元気で、一緒に歩いていると親子によく間違えられた。田舎に夏休み連れて行ってくれるのもばあちゃん。算数や国語を教えてくれるのもばあちゃん。なにか学校で困ったことがあると来てくれるのもばあちゃんだった。
小学校4年の時、2回分の誕生日とクリスマスのお願い計4回をあわせて、ようやくファミコンが解禁となった。発売日に出たドラクエ3を買い、すぐに没頭した。はじめてのファミコン、はじめて自分家で楽しむドラクエ。どんどん強くなる「自分の名前を付けた」勇者。ピラミッドでは苦労しながら黄金の爪を手に入れ、賢者の書を使い、ダーマの神殿で賢者にはじめて転職した時、事件は起こった。
僕がプレイしている間、ばあちゃんが掃除機をひっかけてファミコンにぶつけてしまった。深夜のテレビの砂嵐のように画面が激しく揺れると、ぷっと電源が切れた。僕はあわてて再起動すると、「おきのどくですが、ぼうけんのしょはきえてしまいました」の文字。自分の血の気が引いていく感覚を感じた。
やり場の無くなった、怒りと悲しみは、ばあちゃんに向けられた。自分がどんだけこのゲームをやりこんでいたのか。消えたセーブは二度と帰ってこないのにどうするんだ!!と。それからずっと怒り、泣き叫び、ばあちゃんを罵倒し続けた。ばあちゃんは「ごめんね。ごめんね。」と謝っていた。その日はずっと、僕はばあちゃんと口を聞かなかった。
僕とばあちゃんの状況がおかしいことに気づいた父親は、ばあちゃんから事情を聴きだした。そして、「ゲームで怒るなら、もうお前からゲームを取り上げる。」結論がくだされた。死ぬほどハマっていたドラクエ3もファミコンも隠されてしまい、僕の前から姿を消した。
それから、年月はあっという間に経ち、僕は社会人6年目になった。ゲームを取り上げられた反動がゲームへの想いを募らせたのか、ゲームを開発する仕事についた。ゲーム会社へ就職するときも、訝しげな顔をする両親を「この子はゲーム本当に好きだから。長い間、やれなかったゲームへの想いをここまで残せるのは、この子の才能だから」と説得してくれたのはばあちゃんだった。
そんなばあちゃんが先月入院した。進行性のアルツハイマー病だった。半年くらい前から物忘れと約束を破ることが増えており、看病しつづけるのが困難になってきていた。思った以上に、入院が長引きそうだったので僕はばあちゃんの部屋の荷物を病院にいろいろと届けることになった。
ばあちゃんの部屋で荷物をまとめていると、1冊の日記帳が出てきた。
「昨日、○○のゲームを壊してしまった。ファミコンを買ったお店へ電話してみたが、直せないらしい。戻す方法は同じようにゲームを進めるしか無いらしい」と書かれてあった。それから、ばあちゃんは親戚のいとこに電話して聞いてみたり、電気屋さんに聞いてみたりとしながら、ゲームを進めようとしていた。でも、解らない。進めないという事が書かれていた。僕のファミコンがなくなっても、いつか返してもらえた時に消してしまったセーブデータを復活させるためにこっそりと進めてくれようとしていたようだった。
僕は、たまらなくなり父親にファミコンを、ドラクエ3をどこに隠したのか聞いて見つけ出した。何年も使っていないホコリの被ったファミコンとドラクエ3をさたちあげてみると、僕の名前の入った冒険の書があった。
国による安楽死施設があるとこんなに利点が。
・自殺されると様々な迷惑がかかるが、それらが一掃される。巻き添えも無くなる。
・死の病にかかった人が、計画的に資産を使える。
・アルツハイマー等で周りに迷惑をかけることを恥と感じる人達への救済。
・40歳以上で生活保護を受けている等、絶望的な人生を送る人に余計な苦しみを与えなくてすむ。
・貧困利用者には臓器提供を義務付けると、移植用の臓器が大量に手に入り、見込みのある人が助かる。
・国や自治体も大幅に福祉予算を削れるし、本当に必要な人達を助けることができる。
・急速な高齢化・少子化による人口ピラミッドの歪みを是正できる。
別に脅かすんじゃないけど
祖母も祖父に先立たれてアルツハイマーになってから性格がかなり変わってさ。
すごくなんに対しても批判的・否定的なコメントばっかするようになったんだよね。
他人だったら「よくあるお婆さんだな」で流してたと思うけど、
祖母は元は全くそういう人じゃなかったのね。
それでハッとなったんだけど、「よくある老人性格」やそれに類似する態度って
脳の細胞が病変したり死滅したりしてるのを外側から性格の問題だと誤観測してんじゃないのかって。
あなたの今言ってる
「何を見ても飽きる」っていうのが本当に祖母に似てるんだけど。
一緒に暮らしてる家族にちょっと聞いてみて、性格変わったとか言われたら、
念の為に病院いってみたほうがいいじゃないの。
話を聞いいていると、アルツハイマーになっても不思議じゃなくて、心配になる。
他人を馬鹿っばっかと見下している姉の言動が、非常に困ったものである。
それにちょっとでも反論すると、怒鳴る姉。
実家に帰省すると、姉と父が喧嘩してるので、空気悪くて、日帰りというパターンだった。
父がいた時でも、母に対しても、バカにして大きな声を出していたりした。
父のなくなった今の実家は、姉が母をバカにして大きな声を出す日常なんだろうと想像できる。
こんな状況だと、ストレスでアルツハイマーになるのも不思議じゃない。
母を自分が引き取るという判断もできるが、昔からの地域のコミュティのある実家から、全然知らない土地に移すのは、大丈夫だろうかという疑問がある。
さらに、経済的に厳しいしなぁ。
仕事内容に「正社員からの理不尽な要求に耐えること」とか「正社員様に向かって汚い言葉遣いをしないこと」なんて書いてなかっただろうがファッキンくそったれがマジで死ねクソが肉人形みてーなきったねーツラと身体しやがって死ね一刻も早く死ね、そして俺が死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そうだ、冷蔵庫の中の棚は四段あって、そのスペースの、下2段だけを空けろって話だったんだろう?
そして(やっとのことで)空けたスペースを、生菓子を扱わない我々の店のスペースを、クリスマスケーキ様をお売りあそばす貴様らの特設会場とやらのために空けたスペースを、貴様らは悠々自適にケーキをお並べあそばせなすって、そう、その優雅っぷりといったら反吐が出るほどで、一段につき四十センチ強はあろうかという高さの棚に、高さ十センチほどのケーキをただ一面にずらりと並べるだけの、それはさあーあのーえっとぉー番重を使ったりだとかちょっと積んだりだとか、そんなふうにしたら棚一段で足りるんじゃないですかねアーユーオーケィおまえらバカなの死ぬの?
というような、ただでさえ苛々くる所業に対して従順にも22日のうちに下2段を空けた我々の、23日朝の、開店13分前になってから、
「上2段空けてもらってないんですけど?」
じゃ ねーーーーーーーーーーーーよ!!!!!!!!!!!!!!
ハァ? 死ねよファッキンおまえら下2段だけって言ってただろうが毎年そうなんだろうが!!!!!!!!!!!!!!!!
「去年も全部空けてもらってたよ?」
じゃ ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっよ!!!!!!!!!
死ねよカスが無能がデブがクッソがマジで今すぐ死ねよカス!!!!!!!!!!
少なくとも10箱の段ボール箱があるの、見ておわかりになりませんでしょうか?
その段ぼーるを、早番のわたくしめがたった一人で、開店までに、どうにか何処にか退かすことが、可能だとお思いあそばさったんでしょうか!!!!!?????????
だとしたら救いようのないバカだからさっさと死ね!!!!!!!!!
いじめって、やったほうは覚えてないけど、やられたほうは覚えてるらしいです。
その論理でいくと「どかせよ」っておっしゃりあそばすった貴様らは記憶がおぼろげかもしれませんが(更年期障害アルツハイマー記憶喪失かもねかもねそうかもね!!!!!!!?????????)
こっちのほうが確実に覚えてまっすよねええええええええええええええ
私は去年この店にいなかったのでわかりませんが
どう見てもクソババアみてーな貴様とブッサイクな趣味のわりー紫色のセーターをお召しになっていらっしゃるテメー、御歳は存じませんが確実にオーバーサーティであらせられるとお見受けいたしますそこの無能バカマネージャーよりも、わたくしめは僭越ながら自分の店の店長と先輩店員を信用しますよおぉおおおおおおおお!!!!!!!!!!
今からどかすのは、どう考えても無理だっつってんの!!!!!!!!
店長に電話確認したら下2段だっつってんの!!!!!!!!!!
冷蔵庫じゃないほうの倉庫も天井までビッチリ積んであんの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
氏ねとか市ねとかじゃなくて、今すぐに、その醜い身体をどうにかして死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
無理なら俺が殺してやるから、その醜い身体とキンキン高い声をどうにかしてくれ、つまり今すぐ死んでくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
クソババアに向かってクソババアつって何が悪いんだよ!!!!!!!!!
「あなたなあにその言葉遣いは?」「仕事なんだからそんな言葉遣いじゃだめよ」
じゃ ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっよ!!!!!!!
俺の仕事は!!!!!!!!!!!!!!!!!貴様に媚を売ることではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「条件はみんな同じだからね~」
同じならコンテナの手配くらいしろよ!!!!!!!!!!!!!!
天井まで段ボール詰めよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
命の危機を感じながら棚の一番上まで登れよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
みんな同じなら、うちだけじゃなくて他のとこから借りろよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そんで結局冷蔵庫の棚の一番上は使わねーってなんだそれ!!!!!!!!!!!
冷静に考えりゃそりゃそうだろだって一番上に積んだら手を頭上に揚げないと届かないからケーキ置いたら危ないもんね!!!!!!!!!!!!!!!!??????????
つまり!!!!!!!!!おまえらは!!!!!!!全部空けろなんて!!!!!!!!!!どう考えても言ってねーーーーーーーーーだろっつってんの!!!!!!!!!!!!!
クソが、クソがこの理不尽が、俺の仕事はあくまでお客様相手に商品を販売することであって、貴様らみたいなバカなクソに向かって丁寧な言葉遣いで対応することではないのだ、それは正解であるが、この世には正しいことには何の価値も意味もない、もし正しいことがすべてだったら、コペルニクスは殺される必要なんてなかったからだ。
間違えていた教会は、今も世界のナンバーワンベストセラーたる聖書を世界中にまき散らしているのだ、から!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
クソが、クソが、さっさと死んでしまえ、そうやって願う最短ルートは私が死ぬことだ、けれど私は怖くて死ねない、クソが、クソが、ああもうやだよぉ苛々するよぉ泣いちゃう泣いちゃうどうにもなんない、そうやってわたくしめは自分の、この自分ごときの腕をまた切りました!!!!!!!!!!!!!
法律に反するようなら、むしろ取り締まるべきじゃないの。
それ以前だろまず。
左翼教師の、
君が代に関する、
思想なんですか?
きっちり答えろな。
ここから逃げていこうとしてるあたり、
もうお前もまずいこと口走ったことに気づいてるだろw
それが後悔するってこと。
どこにそんなこと書いてあんだよw
アルツハイマーに気をつけろよw
だからってどうということもないけど。
「思想」だの「思想とかかわりない一部の暴走」だの「どうでもいいこと」だので
思い出の卒業式ぶち壊されたり自殺に追い込まれたりした方はたまらねえよw
迷惑かけられるほうの人権はどうなってんだいったいw
今回の震災で生き残った人たちというのは、ただ運が良かっただけではない。生き延びようとする強い意志があったからこそ、倒壊する建物から必死にはいずり出たり、押し寄せる津波の濁流から必死に走って逃げることができたはずだ。震災にかかわらず、事故でも殺人でも、生と死の境は毎日そこにある。それがたまたま3月11日に東北関東地方にやって来てしまったということだ。多くの良い人たちが死んだ。そしてわずかであっても犯罪者たちも死んだことだろう。生き残った人たちを助けようという、ヘルプの輪が地球上に広がっている。俺も募金したし、たくさんの人たちが金銭的援助をやっている。だが、これが本当に正しいことなのかどうか俺には断言できない。
すぐそこに助けが必要な人がいたらすぐに助けるべきか?こんなことに躊躇するような人間は社会人ではない。当然すぐに助けるべきだ。
と、大勢の人間たちは言うことだろう。だがどの程度まで助けたらいい?老人のことを考えてみたことがあるか?俺の祖母は地震で骨折した。手術が必要で入院することになった。だが彼女は重度のアルツハイマー型認知症を抱えている。だれか他人が一生つきっきりでいなければ、彼女はもはや一人で生きていくことすらできない身体にもかかわらず、彼女は生かされてしまっている。彼女は助かりたいと言う。一日でも長く生きていたいと言う。たとえ家族や他人に迷惑をかけようとも、できるだけ長く生き続けたいと言う。でもそんな彼女に俺は言う。もし、いざという時になったら、俺はあんたを見殺しにしてでも、自分だけは生き延びようとするだろうと。
震災に生き残った俺たちも、いつかは死ぬんだ。今日かもしれないし明日かもしれない。次の地震で死ぬかもしれないし、それか原発の放射線で死ぬのかもしれない。または心臓発作かもしれないし、そんなこと誰にもわからない。
この大震災で俺たちは何を学んだか?何も学んじゃいない。これが天罰だったか?我欲が洗い流されたか?今日も地球上のいたるところで、戦争や略奪、強姦が行われ、誰かが金をせしめ、うまい飯を食い、いい男やいい女とセックスをしている。そして俺たちは多くの不安と闘わなければならない。いつ死ぬのか、という恐怖とも戦わなければならない。結局俺たちは何も変わっちゃいないんだ。
俺たち生き残り組には、明るい未来なんて残されてない。死ぬまで恐怖と苦しみと闘い続けるだけの日々が続いていくだろう。そんな日々の中で、ちっぽけな幸せを手探りしながらせこせこと生きていく。
頑張れ?ああ、頑張るさ。頑張って死ぬまで生きてやる。どんな文句を言われようとも。
期限が迫ってるのはわかってる。もう友達は裏切れないし裏切りたくない。でもどうにも頭と体が動かない。とても大切な事、今本当にやらなきゃいけないことを先延ばしにしてしまう。
「よしやるぞ!!!!・・・風呂入ってからな!!」ってな具合に。糞だわ。
去年の9月じいちゃんが死んだ。癌が見つかって半年ほどで。ばあちゃんはアルツハイマーで一日の9割寝てる。ばあちゃんがアルツハイマーになったときじいちゃんは献身的に家事をしたりしてたらしい。それまでお茶も自分で入れない人だったのに。
ばあちゃんは葬式の時目を開けた。俺は車椅子に乗ったばあちゃんの背中を持ち上げて仏になったじいちゃんを見せてあげた。ばあちゃんは泣いてた。理解したのだろう夫が仏になった事を。
ばあちゃんももうすぐなんだろな。
親しい人が死ぬのは初めての経験で、俺はその時思った。「ああ、人生は有限なんだな。俺も自分のやりたい事やってがんばらなきゃ。」って
思ったはずなんだけど・・・
自分はとても臆病で自分の知らない世界や人に触れるのがとても怖い。それは自分の事を好きだとは限らないから。否定されるのがとても怖い。
夢がある。それに向かって努力するのが怖い。叶わなかったら、現実を見て絶望するのがとても怖い。
こうやって言葉にして出すことで自分が変わればいいなと思って短い文だけど書いた。実際今ちょっと楽になったわ。明日の朝まで続いてますように。おやすみ。