今回の震災で生き残った人たちというのは、ただ運が良かっただけではない。生き延びようとする強い意志があったからこそ、倒壊する建物から必死にはいずり出たり、押し寄せる津波の濁流から必死に走って逃げることができたはずだ。震災にかかわらず、事故でも殺人でも、生と死の境は毎日そこにある。それがたまたま3月11日に東北関東地方にやって来てしまったということだ。多くの良い人たちが死んだ。そしてわずかであっても犯罪者たちも死んだことだろう。生き残った人たちを助けようという、ヘルプの輪が地球上に広がっている。俺も募金したし、たくさんの人たちが金銭的援助をやっている。だが、これが本当に正しいことなのかどうか俺には断言できない。
すぐそこに助けが必要な人がいたらすぐに助けるべきか?こんなことに躊躇するような人間は社会人ではない。当然すぐに助けるべきだ。
と、大勢の人間たちは言うことだろう。だがどの程度まで助けたらいい?老人のことを考えてみたことがあるか?俺の祖母は地震で骨折した。手術が必要で入院することになった。だが彼女は重度のアルツハイマー型認知症を抱えている。だれか他人が一生つきっきりでいなければ、彼女はもはや一人で生きていくことすらできない身体にもかかわらず、彼女は生かされてしまっている。彼女は助かりたいと言う。一日でも長く生きていたいと言う。たとえ家族や他人に迷惑をかけようとも、できるだけ長く生き続けたいと言う。でもそんな彼女に俺は言う。もし、いざという時になったら、俺はあんたを見殺しにしてでも、自分だけは生き延びようとするだろうと。
震災に生き残った俺たちも、いつかは死ぬんだ。今日かもしれないし明日かもしれない。次の地震で死ぬかもしれないし、それか原発の放射線で死ぬのかもしれない。または心臓発作かもしれないし、そんなこと誰にもわからない。
この大震災で俺たちは何を学んだか?何も学んじゃいない。これが天罰だったか?我欲が洗い流されたか?今日も地球上のいたるところで、戦争や略奪、強姦が行われ、誰かが金をせしめ、うまい飯を食い、いい男やいい女とセックスをしている。そして俺たちは多くの不安と闘わなければならない。いつ死ぬのか、という恐怖とも戦わなければならない。結局俺たちは何も変わっちゃいないんだ。
俺たち生き残り組には、明るい未来なんて残されてない。死ぬまで恐怖と苦しみと闘い続けるだけの日々が続いていくだろう。そんな日々の中で、ちっぽけな幸せを手探りしながらせこせこと生きていく。
頑張れ?ああ、頑張るさ。頑張って死ぬまで生きてやる。どんな文句を言われようとも。