はてなキーワード: モノトーンとは
友達がいない隠キャのくせに、おしゃれ好き。
いわゆる「ちょっとしたパーティーでも着られる」、一生日の目を
みないかもしれない服(苦笑)
してるけど、本当はバーンと一枚で素肌に着て、ヒール合わせて真っ赤な
口紅とでっかいギラギラしたイヤリングつけて海外セレブっぽく肩で風切って
歩きたい!!
自分で言うのもなんだけど、そういうハードなスタイルが似合うのですよ。
普段からモノトーンやブルベの服ばかり着てるから、ボーイッシュにみられがちだけど、
外に出ないだけで、家では派手な化粧して遊んでるし。
家族にも違和感ないと言われるけども、行動範囲が地味すぎるのが難点。
図書館、ミスド、百均、スタバ、スーパー銭湯、近所のイオン、ほっこり系のカフェ・・・
が、私のテリトリー。
これでも20代の最初の頃は背伸びして、お、オーセンティックバー?なんてものにも
一人で乗り込んでたりした。
テレビで見た「マティーニ」を注文して、鼻から噴きそうになったりね・・・
若かったあの頃。
アラフォー になった今、経済的事情もあるけど、バーなんて自分に合わなかったのだと
理解して、もともとお酒もそう好きでなかったし、今の生活圏に落ち着いたけど。
服だけは、まだ落ち着かず、まだとんがっていたい。
たとえ普段ミスドのカフェオレ飲んでほっこりしてても、夜は化けたい。
ただ、冒頭でも書いたとおり、隠キャで友達がいない。
一人でバーに入る度胸も若さも失った。(年令的にはちょうど良いんだけどね)。
自由に着たい服を着て集まって、みんなでパーティをするという企画。
私一人がボロッと紛れても大丈夫そう。
顔は写ってないけど、年齢層も幅広そう!(38歳のゴスロリとか、すごい!)
やっている感じだけど、至って普通の方が関東以外で主催されているのも素晴らしい。
まだ正式に日程は決まっていないようだけど、決まったら
即行く!
メチャクチャ濃い化粧して行く!!
Twitterまた作り直して、DMで申し込む!このためだけに!
すっごい嬉しい!
パーティをしなさそうな人にこそ、パーティって需要があると思う。
いっそ婚活パーティで着るか?と思ってたけど、前回もちょっとしたパーティー
コーデで参加したらみんな普段着に毛が生えたような格好で、がっかり。
ここまではっきり突き抜けて、かつ自由な指定があるのはすごくいい。
ものすごーく楽しみ。
恒例の「別に出なくてもいいんだよ? 飲み会」にて、いつも大人しくて可愛がられていた経理が遂に爆発した。
「経理ちゃんは美人で得してるねえ」そうですね「経理ちゃんは肩凝りひどそうだねえ」そうですね「妹さんもそうなのお」
バチコーンの音が三回続いた果てにチーフと副社長の「まあまあ」が飛び交い、さらに小一時間たった後、経理はこっちにやってきた。
いつになく顔が真っ赤で、酒臭い。これはアルコール限定解除したっぽいな。
これから話すのはこの経理に関する顛末だ。長くなるが大丈夫な人は聞いていってほしい。主に俺のために。
翌日マグカップに不審なポストイットが貼ってあった。「実はカタチから入るタイプなんで一緒についてきてもらってもいいですか」
謎の距離感に戸惑いつつも俺は、週末に”しまうら”に連行されることになった。
「RPGでも町についたらまず装備を揃えるタイプなんで」誰だってそうだが。
というか経理ってこんなやつだっけ。職場では昼休みとかに話す仲だが、基本無口でイワユルおっとりさんの印象があった。例の宣言が効いてきているのだろうか。
いままでは、タイトなジーンズ・カカトがあまり高くないパンプス。上半身フワリを下半身で締める。フェミニンな見た目だったが窮屈だ。まずはここらを改善していく。
”しまうら”は近年ではラインナップがかなり充実してきているみたいだった。petit price でも大人の全身が問題なく揃うのだ。
昔のユニクロのようにシャツだけはヤメトケみたいなのは無いし、縫製も下手な若者向けブランドよりはよほどシッカリしていて、何より値段が安い。
安すぎて不安が頭をもたげてくるくらいだ。
ねえ、いい大人がスリッポン・アンダー二千円で通勤は流石にどうかと思うし、せいぜい紐靴にしようよ、スニーカーはニューバランスが大正義だよ、革との混合もあるよ。などと申し上げた。
「徹頭徹尾ラクでいいじゃん。ベジータの戦闘服みたいでさ」旧型の肩のないアレか。
やがて試着室から出てきた経理を見て唸らざるを得なかった。なるほど。これはパーフェクトに過ごしやすそうな格好だ。カジュアルコーデに擬態したジャージみたいだ。
実際あまりにも楽チンだったらしく、経理は服のタグを切ってもらい、礼をくれたあと、そのまま着て帰った。
面白いので次の日は早めに出社して、経理の出社を観察することにした。
しまうら装備で全身を固めた経理はさらにサングラスを重ねてやってきた。頭部の強化もバッチリだね。
はたして、モーセが海を割るように、様子をうかがっていた有象無象は散っていった。先週の三連撃が効いているのか、マネージャー界隈も文句は言えないようだった。
ギョッとしたので忘れられないのだが、この朝の経理は仕事の手始めに机の上を、散らかし始めたのだ。書類の束をひっくり返していた。
後にこれについて、経理はまず原則論を説く。「片付いた机は美的見地からみると、良い」環境が美しく整っていれば、それは周りの人間の生産性を向上させる。へえ。
俺などは誰かに片付けろと言ったことも言われたこともないけれど、なんとなく散らかすのが気が引けて、備品の山からくすねてきたブックシェルフやらトレイやらで書類を整頓し、ティッシュボックスを磁石バーで机の天板の裏に貼り付けていた。部署内では割と褒められた。増田クンのとこもキレイだね。となりで仕事してて気持ちいいよ。エヘヘ。
しかし経理は原則を完全に無視した。「個人の効率性の観点からは結論は、全く異なる」いま必要な書類を最も手近な場所に文字通りぶち撒ける。好き放題スペースの許す限り広げる。物理的に距離が近いんだから、アクセス速度は最速になる。
俺の部署にはデジタル管理派も多いのだが、経理は紙の書類を愛した。いわく「紙は縦引きができないが、代わりに解像度が最高で、レスポンスも最速のデバイス」らしい。
不要になったらそのタイミングでガッとまとめる。付けやすく取り出しやすいクリップで留めて雑にボックスにブチ込む。経理はクリップの役目をプラスチックの洗濯バサミに負わせていた。
「もう手段は選ばないことにしましたから」全体が下がったぶんを突出した誰かが補えば、まあ帳尻は合う。
経理は化粧もそこそこに、ときには髪を振り乱して仕事と格闘していた。明確に差が出てきたのは三ヶ月後だった。
チーフを通して噂話として聞いたのだが、解き放たれた経理は旧版の実に二倍の速度で稼働しているだけでなく、こっちの部署からも進んで雑務を引き受けているということだ。俺はこれは咎める必要があると思った。
なあ、華を拒絶だの女を捨てるだの言ってたけどさ、もともとそんな役割みたいなのを経理が背負う理由はないんだし、だから捨てた分を仕事でカバーしなきゃ舐められるみたいなことは考えなくていいんだよ。
無理しなくていいんだよ。
このようなことを赤坂のバーにて弥勒菩薩の表情で述べショットグラスをあおったところ、直ちに喉にチョップを食らった。
ゴッ ゴホッゴホッ な、なにすんねん
「増田のそういうとこ、言うなれば気の抜けたコーラだと思われます。ワンペナね」ペナルティを食らってしまった。
フォローしてくれる気持ちは嬉しいけれども、と断った上で、いまの自分は仕事が純粋に楽しいからやっているのだと打ち明けてくれた。
もはや制限はない。邪魔は入らない。前よりはるかにペースが速い。成果が目に見えて現れる。能力の向上を実感する。成長している感覚が身に染みてわかる。
化粧の省略やら洗濯バサミの工夫やらハードディスクをSSDに変えた話やら完全栄養食の検討やら、エンボディチェア導入の話やら。エンボディチェア?
話には聞いたことのある椅子だ。経理いわく発売日はちょっと古いが、めちゃめちゃ背中にフィットして、時折ぶり返す腰痛のために良いだろうとのこと。
しかしその椅子、とにもかくにも値段が張るはず。ひょっとして十万超えるんじゃないの?
「近所の人同士で直接売り買いできるサイトがあるんですよ。そこで中古を買えば送料込みでもっと安くなる」
うーん、それって経費で落ちるの。っていうかそもそもそこまでやる?
真剣な目だった。
経理はただただ自分の為だけを考えてる。考えればそれは仕事人として当然のあり方である。そんな経理を上から目線で慰めんとした俺は、なるほど気の抜けたコーラである。しつこく粘り気のある苦さが残る(いや無理やりの解釈だこれ。真意不明ナリ)。
酔いでボンヤリとした脳が、まれな顧客との会合のために十万円のセミオーダースーツを注文していたのを思い出していた。もちろん言えなかった。
「増田もわたしも、一日の時間の大半を会社の椅子で過ごすじゃないですか。だったらそこにカネ掛けるのが最もコスパがいい」
気の抜けたコーラを脇目に、拘束具を脱ぎ捨てた経理はすでに周回差をつけつつあるようだ。
夜がふけて、経理は俺の背中にしがみついていた。類人猿ゲーム「Ancestors」で子供のお猿が親のお猿にしがみついてたみたいに。飲みすぎですよ経理さん。
タクシーまで担いでって運ちゃんにドン引きされたあと、マンションに辿り着いた。エレベーターまでが意外に長くて、経理の意識はすでに朦朧としていた。
経理いわく「アルコールが眠気に変換される体質・眠り上戸」らしい。そういうのがあるんだ。
「すみませんねえ…」
キミ体重重いよ。
「一理あるっすねえ… もってくれよぉ! お前のカラダぁ!!」
不意打ちを食らい、よろけてしまった。急に笑かすなや。
経理の部屋の内装は、むしろ男っぽかった。木製の棚板のアイアンのシェルフ。自然色をベースにしたモノトーンに寄せた家具。経理はもともとはこういう奴なのだ。
無印良品と思しき匿名的なベッドに経理を押し込んで、覚悟を決めた。終電は既に消え失せていた。
ある程度以上酔っていると、体質次第では急性アルコール中毒になりかねない。寝ているうちに吐瀉物が喉に詰まって呼吸ができなくなるケースを聞いたことがある。
今夜、この部屋を離れる訳にはいかない。
「ごめんなさいねえ… 増田、男性なのに」そっちにワンペナ、これでチャラな。
応答を聞かず寝入ってしまった経理を尻目に、タバコをくゆらせて一服し、冷蔵庫から引っこ抜いたコーラ缶(150ml増量)をカラにして灰皿とした。これくらいはいいだろうと思ったんだが、これが完全に裏目に出て翌朝こっぴどく叱られてしまう。息つく暇もない、情け容赦なきフルボッコだった。
長くなったが、以上が経理に関するレポートである。俺は考え直さなければならなかった。会社には経理以外も女性がいる。そして俺たち男性についてはどうだろう。
ここに断っておかなければならない。俺は、経理の女性を捨てる観念が必ずしも妥当なものだとは考えていない。相互作用的に周りを巻き込むのは良いが、そもそも捨てずに済むなら越したことはない。
経理なりのリミッター解除の方法が、ただそこにあったんだと思う。
先に述べた顛末のあと俺は海外に飛ばされた。連日ケチャップとマスタードの濃い味ファストフードを食みながら、自らを振り返った。結果、男性であることはむしろ自分自身をブーストする効果があるという結論に至った。
カフェインのような働き。
ギリギリに追い詰められた状況で「おれは男だ!」の考えが、必要なエネルギーを強制的に絞り出す。たちの悪いことには、深いレベルに刷り込まれた思考の習慣は常時起動型の特性なので、都合の良いときにだけ発揮させるのは、たぶん、難しい。
ならば捨てるか。あの人のように。
迷いを残したまま、つい先日、俺は再び日本に舞い戻ってきた。さてじゃあもう一度、元の職場で頑張りますかという矢先に、懐かしの経理から久々のラインが来たんだ。
皮を被り直したみたいに、経理ははじめ、煮え切らないスタンプでごにょごにょ言っていた。
そういうのいいから、さっさと用件を言ってくれと頼むと、
結婚が決まった、とのこと。
おめでとう。間髪をいれずにクラッカーを打ち鳴らすスタンプを出すことができた。職場の外では女性である。解っていたことだ。もちろん。
ここ三年で知り合いの女性の八割(八人)もが結婚した。良いことだろう。人生を前に進めた、という言い方はペナルティを食らうかもしれないが。
でも正直にぶちまけるとこのとき瞳は高速でサッカード運動を繰り広げていた。お・お・お・め・め・め・ででで
これからどうしよう。
何もかも押し殺して「割と仲の良い社員ふたり」の関係に落ち着く?
この世界で誰も彼もがやってきたように。自分の気持ちに蓋をして「男女の友情はあるんだ」学派に転向したフリをする。
生活を、やっていく。
みんながやっているように。それが男… いや人間の強さである。これこそが真の勇気である。
そんな振る舞いができるだろうか。
「できる」んだなあ。
どうしようもなく「可能」なんだよなあ。そういうのはさあ。
20代後半男、160cm、40kg
それは挨拶だったり注意だったりキャッチだったりビラ配りだったり道を尋ねるものだったりいろいろで老若男女外人を問わない
キャッチやビラ配りの類は俺を見つけると確実に目線を合わせてくるし、駅のホームでスマホを弄っていれば意味不明な婆さんにいきなり話しかけられるし、クソ忙しいはずのスーパーのレジ係までもが俺の買うものをネタに瞬間的な雑談を振ってくる
最近まで自覚していなかったが、どうもこれは見た目が原因であるらしい
世にいる大半の引き籠りの同意を得られる自信があるが、俺は人間が大嫌いだ
今まで穏便に対応したり無視したりして来たが、良い加減鬱陶しくなってきたので対策を取ることにした
自分で考えたが、話しかけられたら凄んだり怒鳴ったりするとか、顔に刺青シールを張るとかしか思い浮かばなくて詰んだ
見た目で舐められないようにするにはどうすれば良い?教えてくれ
起きたら伸びててワロタ
残念ながらそうではなく、穏やかでない連中にもきちんと声を掛けられている
駅前で人ごみのど真ん中だと言うのに、行きと帰りで同じ人間に二度絡まれたエピソードを一つ紹介する
スーツ姿のサラリーマンで一見普通だが、通路の真ん中付近で立ち止まり話しかける人を物色してる感じの不審者
彼我の距離10mほどでちらりと俺を見やったと思ったら、不自然に目をそらしながらこちらの歩行に合わせて近づいてくる
横を通りかかるタイミングで「あの、ちょっとお尋ねしたいんですけども」と声をかけられる
まさか同じ奴をもう一度引っ掛けようとは思うまいと普通に横を通り抜けようとしたら突如こちらに向き直って
「あのこれ違います?」「落としましたよ」「すいません!すいません!」と粘られる
もちろん何も落としていなかった
断る
教えてもらった方法を整理してみた
俺だけでなく誰かの役に立つかもしれない
皆さんありがとう
話しかけられたくないだけならこれは多分最良の案
この種のアイデアにはネタが混じっているので実運用可能と思われるものを抜粋した
職質と通報に注意
髪型を変えたり染めたりは簡単で効果ありそうなのでぜひ検討したい
これは俺がいるグループが話しかけられるという経験が多々あるので有効性が疑問だ
ミックスしたり、外したりするのがオシャレ。
だから、色んなコーデを楽しみたい私にはとても
ありがたい時代。
数少ない服でも、組み合わせしだいでいくらでもコーデは
今日は数少ない服でどうやって色んなスタイルを生み出すかについて
書いてみたい。
1、自分に似合う服を知っている
これはもう言うまでもなく、大前提でしょ。
特に色と形は大事で、どのテイストの服を買う時も、この二つだけは
死守してる。
2、どんな服にでも合う定番を揃える
どんな奇抜なものを合わせても受け止めるだけの度量がある
気分転換や好みの服はその後に付け加える
どんなコーデにも合う靴やバックなんて、どのコーデも
台無しにする気がする。。
例えば、黒いトートバックを私も長年愛用していたけど、
ある日ふと垢抜けないのはこのバックでは?と思って、やめた。
試しに白や明るい色味のバックを持つと、抜け感が出るし
季節に合わせてPVCバックや冬に敢えてファーのついたカゴバックも
オシャレだと最近気がついた。
靴も同様。
これ一足あれば、なんてものはない。
最低でも、
・サンダル
は必要!
5、コーデを決めるときはその日の予定に合わせて
スムーズ。
合わせるようにしている。
その割合は人によって違うけど、覚えておくと困らない。
掛け合わせるのは服だったり、小物だったりするけど、
そんな感じで日々調整しながらやっとります。
見たまんまの女じゃねえぜ、というアンチテーゼも込めて。
ずっと見た目で「真面目」「優等生」と言われ続けて
骨格診断、パーソナルカラー、顏タイプ診断。すべて受けて自分に似合う服は総じて
「クール」
だった。
他の人は知らないけど、3つの診断の傾向がすべて同じなのには笑ってしまった。
つまり、一番似合うのは、上質なスーツなどのカチッとしたデザイン、色はモノトーンや寒色系、赤などのハッキリした色、と言った次第。
私がかつて好きだったのは、フリルとかレースとかほっこりフェミニンで淡い色なんだけど、診断を受けて潔くあきらめた。
実際、診断にあわせた服を着ると周りの反応がすごい良かったし、自分も確かによく見えるもの。
よく考えると昔は人に嫌わないように、優しい人ぶるところがあった。服もそれに合わせたぶりっこ風。
でも実際は我の強い、ハッキリした性格。目力の強さは定評あり。優しくなくはないと思うけど、どうしてもクールに見られがちだったっけ。
自分の個性を受け入れる方がおしゃれになる。似合わない服を無理して似合わせる工夫をする方が大変だしね。
ただし、毎日スーツなんてもちろんあり得ないし、仕事柄まず着ない。
フリーランスで服装自由なのに、かっちりした服着る筋合いもなく。
ニットやタイトスカート、シャツなどのプレーンな服をメインに、スニーカーやカゴバック、ロック柄(ロック好き♪)など自分らしさを一匙混ぜるのだ。
元々好きなガーリーな服も、革ジャンとゴツイブーツでハードに振れば程良くクールに締まる。
もちろんざっくりでいい。
組み合わせながら、自分に似合う甘辛バランスの数値に納めていく。
簡単なのは、まず100%甘い(辛い)コーデをして、そこから逆のテイストのものと1アイテムずつ交換していって、ちょうどいいところを鏡の前で見つけること。
たとえば革ジャンと黒スキニーの女の子をこないだ見かけたけど、ハードすぎて近寄れない印象。
(最近、ちらほら見かけるんだけど、こういう子。はやってる?)
私だったらバッグをファーバックにしたり、インナーにレースを合わせたりするかな。
同じはずしアイテムでGジャンをガーリーなワンピに合わせるのもあるけど、私にはまだ甘みが強すぎる。。
ちなみに、甘辛の見分け方は、男が着てもおかしくないアイテム=辛い、女だけ=甘です。
そんなわけで私の家は、モノトーンにブルー系が多く、一瞬男のクロゼット?に見えそうな中、急にピンクのプリーツスカートや赤のカーで、大きい花柄のワンピが並んでおります(笑)
かっちり、ハッキリしたものが似合うストレートウインターには、このくらいの振り幅が必要なよう。
逆に中途半端が一番ぼやけるんだよなぁ。
アラフォー女です。
****
中1くらいに生理を迎えてから、生理が止まった大学時代3年間、
夜は「ウィスパー すっきりスリム」の多い日昼用や夜用などを使い分ける。
「 さらふわスリム」と「すっきりスリム」に分かれたのは15年くらい前だった気がする。
妊娠する直前、AmazonのP&G 製品まとめ買いセールでシリーズ大量購入。
商品名:ウィスパー さらふわスリム ふつうの日用 羽つき 26コ、数量:4
¥ 300
商品名:ウィスパー 超すっきりスリム 多い日昼夜用 羽つき 18コ、数量:2
¥ 300
¥ 367
¥ 367
多すぎたかも……と思い、実際、数年使うことなくストックになっていたわけだ。
出産後、再開まで間が空き、ストックもあるのでドラッグストアの棚すら見ていなかったところ、
今年1月、唯一在庫があったAmazonで「さわふら」だけ追加購入してあったものの、
そのストックも尽き、Amazonでも1パック900円など、大幅に値上げされてしまった。
なぜ気に入っているかは、説明しづらいが、とにかく他社製品は気に入らないのだ。
第1子後、疲労からずっとレスだったが、はっきりと第2子、第3子が欲しいと伝えた。
代用品がない以上、使わずに済む道を選ぶしかない。ウィスパーは日本の少子化対策のため撤退したのか?
冗談ではなく、愛用者が妊娠・出産年齢に突入して使わなくなり、
それより下の世代は絶対数が少なくて採算に合わなくなったのだろう。
どうも店頭をを見ていると「薄さ」を求めるニーズが少数派なのだろうな。
Twitterで別の女性がつぶやいていたけれど、生理用品はおおむねパッケージのセンスがおかしい。
ウィスパーはかなりマシなほうだった。
生理用ナプキンは強い吸収力で他用途でも活用できるそうなので、
男女問わず買いやすい、モノトーンなパッケージ製品も用意して欲しい。
自分語りさせてくれ。
なのに、周りの人からは
「なんか○○さんって少女って感じ」
などと言われる。
顔は面長で年齢相応だし、服装はグレー・ブラウン・ホワイト・ブラックなどの無地モノトーン系が好きでフリルやレースのついた服は嫌い(ただし化粧や身だしなみはきっちりしたいタイプ)。
なのになんでこんなことを言われなければならないのか。
胸の膨らみは多少あるものの、Aカップなんて胸があるようでないような感じなので、近所のコンビニに行くときはノーブラにパーカーである。パーカーがぶかぶかで乳首が浮かないので問題ないのだ。
少女になりたいなんて一度も思ったことないのに、なんでこんなことを言われなきゃいけないのか。
いい歳して純粋だね!ってことが言いたいのか。
「少女っぽい」「女の子って感じ」ってわざわざ他人に言うのは失礼ではないのか。
舐められてんのかな。
ただし、詩人の目を通すと、そのルーティーンは、シラブルに分解されて、音韻を持ち始める。
詩の律動で切り取られた何気ない日常の美しさは、何者でもない私達の日常の可能性だ。
男は詩を愛し、誰に発表するでもない詩をノートに書き留める。
控えめで、寡黙。
生活に彩りは乏しく、時代から取り残された男という印象すら持つ。
映画を見た後の彼の生活の印象は、その外見上の説明から想像する様子とはまるで異なる。
同じカメラワークを使うことを慎重に避けているように感じた。
そのおかげか、彼のモノトーンなはずの1週間には決して同じ日はなく、
宙に浮いた謎掛けのように繰り返し用意された双子のモチーフは、
男はやや風変わりではあるが、決して孤独ではない。
スマートフォンとタブレットを持ち、テレビ通販でギターを買ってしまうような
世俗の人として描かれる。
蔑みでもなく、諦めでもなく、あるいは赦しのような高みに立った者の視点ではなく、
ただ、優しさと理解が溢れている。
彼女の存在は、彼が世界をどう受け止めて、愛しているかの象徴であるように見た。
彼はそれに居心地の悪さを感じながらも、否定せずに受け止め、
彼の方法で愛している。
彼の詩には、その把握の仕方が反映されて、
それは詩としてのこの映画全体にも同じことが言えるように思えた。
彼女はコートなのかワンピースなのか何なのかよくわからない物を着ていた。
セーラー服のように肩から背中に垂れ下がった布切れには両側の隅に十字架の切り抜きがなされていた。
素材はフェルト。そのモコモコ感を童貞はガーリッシュだと思い込む。
こんな不穏なオーラを発する服を着込んで街を闊歩する輩など童貞殺し以外にはいないだろう。
頭頂部から肩にかけて華厳の滝の如く真っ逆さまに降ろされた童貞殺しの髪は、
僕は漆黒のその髪からちらと見える顔から目が離せなくなっていた。
化粧っ気のない、地味な顔。
いや化粧をしていてもパッと目立つようなタイプではない。あっさりとした顔立ちである。
だがしかし均整の取れた造形ではある。
僕はまじまじと彼女の顔を観察する自分に気がつき驚きおののく。
童貞殺しは童貞に飽き足らず素人童貞である僕まで魔の手にかけようとしているのか?!
駄目だ。このままこの人を見つめていては駄目だ。
そう言い聞かせ僕は目線を逸らして下車する駅まで待った。
視線の先には190cmはあろうという長身に女子中学生のそれ程の大きさしかない頭部がのっかった、
それまで自分が乗っていた車両は童貞殺しを乗せたまま隣町のほうへ発車してしまった。
童貞殺しは多分明日も童貞を殺し、オタクどもが集ったサークルという名のまやかしを崩壊させる。
Aesthetics of Destroy
そんなことを思いはせながら改札を通ろうとすると横から割り込む若い男が。
何だと舌打ちしてその姿を見て僕はこう思った。
そしてハロウィン当日。
まずミミセンだが、耳のよすぎるあいつは、世の中の多すぎる雑音が嫌いで耳栓を普段つけている。
つまりミミセンがないとあいつの普段のパフォーマンスは著しく落ちる。
入浴時などの耳栓を外している僅かな隙を狙って奪取、自宅にあるスペアも回収し、買いに行くにも取り扱っている店はこの日は休業だ。
そしてタオナケだが、あいつの超能力は10回に1回成功する程度で、かつ成功しても時間がかかる。
シロクロは住処をクラスメートたちと総力をあげて見つけだし、あいつのハロウィンの衣装をド派手な色にすり替えておいた。
モノトーンではない衣装では、あいつは普段の半分以下の力しか出ない。
こうして、残ったのは弟だけとなった。
「それでも、俺が目の前にいるのは意外って顔だな」
「白々しいことを言うなよ。俺が念のため、ドッペルゲンガーを置いていたのも分かっていたんだろう」
弟には他にも仲間がいた。
弟と背丈が同じで、人の真似をしたがるドッペルゲンガーだ。
こいつを利用して影武者にすることで、撹乱する可能性を予測していた。
もちろん、そいつと弟をよく知っている俺ならば見分けることは容易だ。
「ドッペルゲンガーを捕まえたという連絡を先ほど貰った。その連絡係は俺の弟だといっているがな」
実の所、俺の考えたバカげた作戦なんてなくても、全員を捕まえることは可能だっただろう。
対策本部のほうが圧倒的に人数が多く、子供の知恵と行動力で出来ることには限りがある。
だが、それでも俺が大人げなさにこだわったのは、弟の信条を切り捨てられなかったからかもしれない。
「大人の理想を子供に押し付けるな! トリックかトリート。どちらもあって、そして本気でやるのが俺たちの『楽しくやりたい』なんだ」
避けずにあえてそれを受け、俺のメガネが真っ赤に染まる。
伊達メガネの俺にとって、それは弟の最後の悪あがきでしかない。
俺の無慈悲な一撃によって弟は頭を垂れ、ハロウィン大作戦は幕を閉じたのだった。
イタズラという行為は、ある意味でコミニケーションの一環でもある。
相手が許してくれるだろうという信頼と、そして許すという反応で信頼を示すわけだ。
もちろん、そんなことに確証なんてないのだから「イタズラはいけない」と大人たちは言うだろうし、それは何一つ間違っていない。
今年もハロウィンの時期がきた。
馴染んでいないし、今後も馴染まないイベントだと感じる人もいるけれども、俺の町では楽しみにしている人も多いようだ。
とはいっても、やることは茶番で、あらかじめ決められた住所で、あらかじめ用意していたお菓子を貰うだけ。
トリック・オア・トリートではなく、トリート・オア・トリートってことだ。
弟のマスダや、その仲間たちはそういうのが気に食わなかった。
トリックもトリートも存分に堪能してこそのハロウィンだと考えているようだ。
俺個人としてはハロウィンそのものには関心がないが、弟の明瞭な考え方は評価したかった。
だが、そういう崇高さの割を食うのは大人たちだ。
特にマスダ家の隣人であるタケモトさんは、いつも酷い目にあっている。
そんな傍若無人っぷりに大人たちは戦々恐々とし、様々な注意喚起を呼びかけたが、弟たちは子供の発想力と行動力で、どんどんお菓子をくれない人間にイタズラを仕掛けていった。
その実力行使役として白羽の矢が立ったのが俺だった。
それは俺にバイトをするノリで大人たちの味方となり、弟たちの敵になれということを示していた。
そして、俺がそれを断れない程度には大人でもあるということも知っていたのだろう。
俺は同じく対策員であったクラスメートたちと、来るべき時に備えて作戦を練った。
「で、対策つってもどうするんだ」
「弟たちの破天荒さに面食らって錯覚している者もいるが、身内の俺から言わせれば実のところ大して頭のいいことはやっていない」
「じゃあ、どうして大人たちは出し抜かれるの?」
「まあ、大人のプライドから子供を舐めてかかっているのもあるが、弟たち個々の能力の高さによって、多少強引でも可能に出来るからだ」
俺は弟や、その仲間たちの説明を始める。
シロクロ。本名は知らないが、モノトーンの服装ばかり着ているので周りはそう呼んでいる。大人顔負けの体格と、子供もドン引きするレベルの頭脳を持ち合わせたアンバランスな存在だ。
ミミセン。日常生活のほとんどを耳栓をつけて過ごしていることからそう呼ばれている。優れた頭脳が武器だ。
タオナケ。チームの紅一点らしい。無機物を破壊する超能力がある。
「厄介だな。こいつら全員に思うがまま暴れられたら」
「とはいっても実の所、大人が本気で止めようとすれば、止められるレベルだ」
「じゃあ、なぜそうしないの?」
「子供を大人の理屈でもって従わせるのに、その大人が大人げないことなんて出来ないわな」
まあ、ある意味で俺たちにそれをやらせる時点で、それはそれで大人気ないとは思うんだが、大人たちの理屈ではこれはセーフということなんだろう。
「それで、結局の所は当日どうすればいいんだ?」
「何か作戦があるってこと?」
「そんな大層なものでもないが、考えがある」
そうは思わない。
>理由も分からずシールを貼らなくなり、考えてみたが大人っぽい貼り方があるのかな? "と思った。"
主の日記の要旨はそれだけであり、一番大切な、自分自身の趣味を肯定するという部分がない。私はそれが大人に必要な条件の一つだと考えた為、他人の真似をした処で根本的な解決にはならないのではないか、と考えた。
仮に、だ。
エッジだけを転写してエンボスのみにするであるとか、薬剤でモノトーンに変色させてIT系ガジェットにシックなワンポイントで決める、等のアドバイスがあったとしよう。しかしそれは主が考えたのでも不変の原理でもなく、単なるアドバイザーサイドの趣味に過ぎない。篠原ともえやきゃりーぱみゅぱみゅがポップデザインとして成立しているのはアーティストである発信者側としての自己肯定があるからで、それを真似るのは一過性の流行に過ぎない。廃れれば年齢とは無関係に"ダサい"デザインになるだろう。旅行鞄のトラベルステッカーを引き合いに出してもいい。自分で決められなければ意味がないのではないか、と言いたいのだ。
たかがシールを貼るか貼らないか、ではあるが、それすら自分の感覚で決められない主にアドバイスをして果たして意味があるのか?
私はそう考えた。
日の丸の赤というのはまさに暖色の中心の赤。
それを中心に据えながらCool Japanを表現する難しさはデザインを心がけた人間ならすぐに分かることだ。
セレモニー中に使われている暖色は赤のみ。しかも、FF0000と表記したくなるくらい原色の赤。
それに対して、ショーのメインとして使われているのは白黒のモノトーンと、赤の補色に当たるシアンとそれより寒色側に位置する青系のみ。
基本となるモノトーンは、潔さや清潔感を想像させる白、礼儀や誠実さを感じさせる黒という日本の代表的なカラーと言える。
そこにただ寒色系を織り交ぜだだけでは無機質で寒々しいショーになってしまっただろう。
しかし、日本の象徴であり暖色の代表格と言える赤を、さらにテーマカラーではなくアクセントとして時に大胆に用いたことで、内に秘める情熱やたぎるような生命力が見事に表現されていたのだ。
恒星は青くなるほど温度が高くなる。そんなことをも思い出させてくれるような、火傷では済まない熱さが伝わったはずだ。
そのために黄色や緑などの生命感溢れるカラーを徹底的に排除し、それが生命力溢れる原色を前面に押し出すリオのショーに対して真っ向から挑むことになったのは単なる偶然ではないのかもしれない。
リオが押し出したのが生命や自然だったのに対し、マリオやドラえもんなどの非実在キャラクターや都市やテクノロジーなどが存分に登場するムービーがそれを物語っていると言っていいだろう。
多くの観衆や視聴者はこのたった10分間だけのショーを見ただけで、リオオリンピックは過去のものになってしまったと感じたはずだ。
その証拠に、東京五輪セレモニーを挟んだ前と後のショーとでは全く違うものに見えたのはわたしだけではないはずだからだ。
一見挑発ともとれるこの行為は、まさに地球の裏側であり全く文化の異なる国にバトンが渡されたことを意味するには効果が絶大であり、オリンピックが終わった直後であるにも関わらずすでに4年後を期待させるにはこの上ない演出となったと言っていいだろう。
居合わせた観衆や視聴者の誰もが東京五輪に少なかぬ期待を抱いたはずだ。
ここまで大したデザインも勉強したこともなく、ホームページの配色くらいしか担当したことのない人間の妄想だったがいかがだったろうか。
しかしそれよりも何よりも、自らの人生40年を振り返って、まるでその集大成を走馬灯のように見させられたかのようであまりにも感慨深かった。
本当に近頃の商用文化だけでお茶を濁すようなものにならなくてほっとしている。この時代に生まれてよかった。
ただこの考えで行くと、小池百合子氏が選んだ高価なお着物の配色は東京五輪のテーマとはそぐわなくなってしまうのだがこれは何かの暗示だろうか。
とにかくキャラデザがニクい。
主人公の千夏がキレッキレの、モノトーンとかトリコロールが似合いそうな、クールでシャープな面持ちなのに対し、
相方の春太は童顔で、フルーツのようなポップな色が似合いそうな、キュートで愛らしい風貌と来ている。
この2人、対照的とまでは言わないけど、それぞれ全く別のベクトルで魅力を放ちまくっているというキャラ配置が凄い。
しかもこれ、普通は男女逆であることが多いキャラメイキングなんだよ。
モノトーンが映える黒髪男子、女子向けアニメではまんまその魅力で攻めていて、そうじゃないアニメだとカジュアルな服を着ていて、それが却って野暮ったくてどこか垢抜けない主人公とか、あるあるですね。
ポップで童顔なヒロインに至っては、もはやアニメでは定番的キャラだし。
このキャラ配置だけでもはや視聴決定な件。
劇場版『ハーモニー』の公開から一週間が経過し、『ハーモニー』LINEスタンプとか『ハーモニー』Tシャツといった危険信号を無視して戦場に足を踏みいれたオタクも大半が死んだ。不満はいろいろとみかけるが、もっとも多いのは「謎のピンクの日本」と「ラストの『愛してる』」のふたつのようだ。ところがどっこい、このふたつは同じものである。
賢明なる読者におかれてはマイケル・ラザフォードの『1984』を思いだしていただきたい。本作においてはビッグ・ブラザーの支配する全体主義国家がモノトーンに近い暗い色調で、対照的にウィンストンが恋人と逢引きするシークエンスが鮮やかな色調で撮影されている。原作ではこいつらが明るくて前向きの元気ハツラツの若者だったら全人類のハーモニクスはおきなかったといわんばかりの〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の老人たちが、劇場版では思わぬ躍進をとげ、全人類の情報をにぎり管理する巨魁となっていた驚きはまだ記憶にあたらしいと思う。そう、劇場版『ハーモニー』の主題は全体主義との対決なのである。「『ハーモニー』のテーマは全体主義との対決じゃないだろ」といわれても、それは脚本を書いた山本幸治にいってほしい。となると日本がピンクの単色で描かれていた理由もわかろうというものだ。対照的に学生時代の回想は背景の自然を強調して鮮やかな色彩で描かれている。劇場版ではトァンとミァハはAからはじまりセックスまでしているのが、いかにも国家と個人の対立らしい。『1984』でウィンストンと恋人は逢引きするたびにセックスして、むしろセックスするために会っているのではないか、さすが1948年、現代の草食系の若者とはちがうと思うがそれはどうでもいい。
劇場版をみてなんで意識を消滅させるかわからなかった観客も多いようだが、それもそのはず、意識を消滅させる根本の動機である生命主義社会への違和感とか、生きづらさにたいするトァンの独白はばっさりカットされている。劇場版で意識を消滅させるのは、単純明快に「ヤツらに管理されない」という〈次世代~〉の老人たちへの反逆である。シュタウフェンベルクはその手先なのでもちろん同情の余地はないし『働きマン』の上司よろしく最後の最後で態度を変えてトァンをねぎらったりもしない。というわけで、根本的に意識を失いたくはないわけである。しかし〈次世代~〉の老人たちの管理支配体制を脱するために意識は消滅させなければならなくて、トァンが「でもミァハは、私が好きだったミァハのままでいて。愛してる、ミァハ」といってミァハを射殺するわけである。なので、『Ghost of smile』の歌詞も惜別を唄うものとなっている。死んで悲しむくらいなら殺すまえに意識を失っても生きていたいかどうか確認くらいしたらとツッコむのは無粋である。
では劇場版『ハーモニー』は原作とはちがうはなしなのかといわれたらそのとおりである。とはいえマーケティングを考えれば当然で、J・G・バラードにならった個人の精神世界がそのまま世界に直結する内宇宙(インナー・スペース)の物語でも、ノイタミナをみている女子大生に「生きづらいから全人類の意識を消滅させる」といったら、「ナイーヴすぎる」とか「周りがみえてない」とか「『ガキ使』をみれば意識が必要だってわかるよ」とかいわれて終わりである。もし「テクノロジーと情報過剰の帰結として自動車事故でセックスを疑似体験する」などといおうものなら、「なにそれ。キモ」といわれるのがオチである。
それでは劇場版『ハーモニー』が原作への理解にもとづいて制作される可能性はなかったのか。たとえばタルコフスキー監督である。リリシズムと内宇宙(インナー・スペース)への理解があり、ついでに日本通のタルコフスキーなら『ハーモニー』を完璧に映画化してくれるにちがいない。タルコフスキーなら映画を『007』さながらのニジェールのドンパチではじめたりはしないだろう。学生時代のトァンが自宅でふつうに起居するところからはじめて日常生活をしばらく撮影するにちがいない。そしてトァンと出会うシーンになるが、だいたいこんなカットのはずだ。
①ベンチに座るミァハ(遠い)
②トァンの後ろ姿
① ② ③
そこでミァハとの会話がはじまる。途中からキアンもくわわるが、ともあれえんえん一時間くらいずっと会話がつづく。そこでようやく十三年後になりキアンが自殺する。トァンも政府高官だとわかるだけで詳しい説明はないだろう。物語が淡々と進んでコーカサスに登攀し、なんか濛々たる霧に覆われて半分くらいみえなくなっているバンカーにはいる。もちろん内部は水浸しだ。ミァハとトァンの対話がはじまるが、水中に没している十字架を写すカットが意味深に挿入され、「ちょっと待ってくれ」といいたくなるが映画はとまらない。ミァハとトァンの対話がまた長い。そして最後で唐突にトァンがミァハを射殺し、瀕死のミァハをずるずると屋外まで引きずっていって、だんだん白霧が濃くなってゆきホワイトアウトする。ショットが替わり、チェチェンの広大な大地を少女が遠景に去ってゆくところを長々と写し、クレジットが表示される。BGMに思いっきりヘンデルの「メサイヤ」が流れ、オタクたちが「やっぱり宗教モチーフで全人類のハーモニクスが『最後の審判』に読み替えられてたじゃねえか!」といきりたつが当のタルコフスキーは原作者と同じく夭折していてこの世にいない。いたらいたでコーカサス山脈に撮影に都合のいい海や湖がないからブチ切れそうだ。というかミァハたちの会話がえんえんと一時間もつづく劇場版『ハーモニー』なんてどう考えてもつまらないし、正直なところ①②③とか書きはじめたあたりからどうでもよくなっていた。劇場版『ハーモニー』はあれはあれでいいと思う。