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はてなキーワード: タクシーとは

2012-02-12

今日これから披露宴自分のw

友達数人と居酒屋で飲んでて、私が結構酔っ払ってしまって

家までタクシーで送ってくれた男の子とやってしまった。

家で飲み直そう、といいつつ私はコタツウトウト。寝るなー、ビールまだ残ってるよー、とかいいつつ乳首つまんだりクリいじったりされて

気付いたら自ら腰振ってたorz

どうしたの、腰動いてるよ?とかびちゃびちゃだけどどうしたの?とか優しい口調だけど結構なSっぷりで、物凄く感じてしまった…

お互い恋人いるのになぁ。

誰にも言えない

2012-01-31

初めてインドっていうかケーララ州へ旅立つ人へのアドバイス

http://samuraibp.com/column/first-india-trip

この記事を見て、去年の2月に3週間ほどインド南部のケーララ州+インド最南端のカニャクマリを回ったことを思いだしました。そのことをかきます

たぶんリンク先の記事は、インド北部のメジャーどころを念頭に置いて書かれてるんだろうと思います自分10年前にデリーやバラナシを巡りましたが、その時は確かにこんな感じでした(IT化は全然してなかったけど)。でも、同じインドでも場所によって結構空気が違うんですよねえ。リンク先の記事はコンパクトなのにツボをおさえていて良い記事だと思いますが、地方を巡った経験からの、ちょっと異なるアドバイスを敢えて書かせていただきますよ。どっかしら観光地として日本ではマイナー感漂うケーララを推すべく。

オートリキシャ、サイクルリキシャ、人力リキシャ、タクシー

何故かケーララ州ではぼったくりが(あまり)ありませんでした。全般的に、デリーやバラナシの人たちと比べてギラギラしたがめつさが希薄しかも、どうやらリキシャ運転手同士で客引きルールが設定されているらしく、長距離バススタンドや駅といった場所では日本のようにリキシャが客の順番待ちをしていました。僕が間違って列の後ろの方の運転手に話しかけると「俺の順番じゃないから先頭に行ってくれ」と言われました。信じられますか。インドでですよ。3週間滞在しましたが、金のことでもめたことはほぼありませんでした。

(ここからは推測。ケーララはインドで唯一共産党政権とってる州でして、そのせいか妙に皆の団結力が強いそうです。リキシャの運転手たちも、全員で示し合わせてストをしたりしてるそうで。上記の話もその土地柄の一環なのかもしれません。彼らに直接聞いたわけではないですが)

(あと、田舎に行けば行くほど、観光客向けの商売人からギラギラさが薄れる気がしますね)

市街ローカルバス

ムンバイコーチンではよく見かけましたし利用もしました。

でもこの町では、バス結構難易度が高かったです。なんせ、バスの路線番号表示がアラビア数字じゃなくて現地語なんですよ。読めねえ。安いし、車窓が高いので町の見物にもってこいなんですけど、目当ての路線を探すのに手間取る可能性があります。あと当然車内アナウンスはないので、おりたい場所に近づいたら結構必死で町並みを観察していないといけません。もし自信が無ければ隣に座ってるおいちゃんに教えてもらうか、諦めてリキシャるかするといいと思います

鉄道

ケーララは長距離バス網が異様に発展しているので使いませんでした。

ちなみに鉄道はほぼ予約必須なんですが、最近ネット経由で予約ができるそうです。わざわざ駅に行って朝から窓口に並ぶ必要がない。すばらしい。はずなんですが、なぜか自分クレカ(viewスイカ)は使えませんでした…。使えるカードと使えないカードがあるみたいなので、渡航前に実際に予約サイトに行って、使えるかどうか実験しておくといいとおもいます。予約の件は日本人から教えてもらったので、日本クレカが全部ダメってわけでもないんでしょうけど。

長距離バス

公営バスがちょう整備されてます。ケーララを旅するためのメイン交通機関です。まちがいない。

うっかりデメリットの説明の方に力が入ってしまいましたが、便利だったのは間違いないです。ケーララは鉄道の本数が少ない土地なので、うまくバスを使いこなしていただきたいところです。

余談ですが、公営バスは全部、黄色と赤の共産党カラーで統一されてます。窓から見える風景には、鎚と鎌のあのマークがよく落書きされてるので、共産趣味の人は楽しめるはずです。

国内飛行機

前述の僕のクレカは、こちらのオンライン予約ではなぜか通りました。べんり。

携帯

SIMロック外したあいぽんと現地で買ったSIMカードとの組み合わせ最強です。foursquare普通にチェックインできます。でも、何故か、SIMカードを売ってくれる店と売ってくれない店がありましたね。コーチンなどの都会では、店はたくさんあるけど何故か売ってもらえず、地方都市のクミリーでようやく買えました。

噂によると、外国人SIMカードを買うためには、パスポートと、住所の確認が本当は必要で、住所がないバックパッカーは売ってもらいにくい、とのことです。とはいえ僕の英語力に問題があった可能性も大なので、本当かどうかはわかりませんが……。もし携帯を現地調達するなら、パスポートの写しと滞在ホテルの住所を持って行った方が吉かも。

ちなみに日本SIMカード海外ローミングを使っても通信はできます。当然一日1000円以上の高価な通信料がかかりますが、極めてお手軽なので、なんかあったら使えます

あ、それと、あいぽんコンセント形状さえなんとかすれば変圧器なしで充電できます

現地人とのおつきあい

子供の物売りやコジキは、引き際を知らないので大人より扱いに疲れます

他の旅人とのおつきあい

ケーララは日本人ぜんぜんおらんかったですよ。多分地球の歩き方で割かれてるページ数が少ないからだと思います。クミリーの動物保護区でトレッキングに参加したら「おれのツアーに参加した日本人はお前が始めてだ」と言われました。そのあとサファリツアーに参加したんですが、欧米人リア充カップルの群れに混じって、ぼっちジープに乗るのは辛いものがありました。ケーララは風光明媚だし商売人がギラギラしてなくてゆっくり過ごせるので、もっと日本でもメジャーになってもらいたいものですよ。

ageha


若い人の指名が多い人も居たけど

私、おじさんに人気があった。

やっぱり、普通にお金持ってるじゃない。

同伴だったりアフターだったりは

誘われれば頑張るし、

優しくするよ。

男性ってやっぱり優しくされたら嬉しいじゃない

でも、頑張ってる自分が怖くなるの。












頑張って仕事する自分は怖いの??
















うん。だってね頑張るって営業すると

1日3桁の売り上げくらい、簡単に出来ちゃうわけ。

おまけに店外ではおいしいものたべさせてもらって

プレゼントまで買ってもらえる。

なんかもう、罪悪感でいっぱい、って感じ。

奥さんとか子どもに注いで上げればいいのにって。














でも、男ってそういう風にどうしようもないバランスのところで

バランスをとりながらじゃないと守るべきもの

守れない種族なんだよね。














でもさーどうしてもダメだった。

お金を運ぶ人だけとはどうしても見れなかった。















商売人になりきれなかったんだね。














そう。作戦で「そんなに高いの入れてもらわなくてもいいです」って言う子は

いるけど私は本当にやめてほしいと思った。

そういうことが重なると自分がなくなっていく。

アフターで寝たとしても

罪悪感だったりよく分からない不安だったりで

寝たのにお金いりません、その代わりまたお店来てくださいって言う余計なサービスしちゃったり。













うーん、売り上げの増やすために働いているはずなのに

どんどん自分が減っていくんだ。
























そうなの。あと同伴とかアフターで色々買ってもらったりお小遣いもらったりすると

嬉しさってまったく無いの。

自分が怖くなるから予定外の臨時収入を得たとき

タクシー無駄につかったり服買ったり友達呼んでパーッとしたり。

あとは、男友達と3Pしたりして

なんか、自分が壊れそうなのをさらに壊そうとしてた。


















じゃあ、羽振りが良かったり散財するのは

何も標準の生活レベルで暮らせないわけでも見せ付けて賞賛されたいからでも

はなくて罪悪感を消すために罪悪感の元になるお金を捨てるように遣ってるんだ。

















うそう。なんか通帳に一緒混ぜちゃ行けないお金のような気がして



そういう心の持ち主でよく3年もNO5前後キープできたね

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。



村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。



といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」



実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。



彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。



この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。



驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。



「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事



村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。



2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である



車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。



村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。



こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。



こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。



世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

1 - 2 - 3

2012-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20120108203809

だよな!増田同士仲良くやろうぜ!

元増田の話だけど。

親でもない人から金をもらうって結構怖いことだと思うけどな。

なんでくれるの?見返りは?って考えてもいいと思う。

骨折したとき結構大変だよね。まあ、タクシーの運ちゃんに買ってきてもらえるんだったらよかったじゃないか

昭和時代だったらご近所づきあいで助かることもあったかもなあ・・・

非モテ非コミュのだけどさ、そこそこに裕福な家に生まれてるからまあなんとか上手く生きてこれたわ。

一応は正社員で、クビになってもなんとかなりそうな資格の1つ2つは持ってるんで、男一人の人生ならなんとかなるだろう。

でもさ、金はないけどいろんな人に愛される人ってやっぱ羨ましいな。

一番凄い例だと、27歳で大学に入り直すってんで、中学校の時の担任が100万ばかし資金援助してくれるって話を聞いたよ。

あと友達カンパで50万くらいだっけかな、とにかく凄いわ。

そういや民主党前原も顔見知りの焼肉屋のおばちゃんからお小遣いをもらってたよな。

たまには、いるんだろうな、そうやって親でもない人から金品を貰えるような。

まあ、金に困ってない俺は別に幸せじゃあないんだけどさ。

たまに寂しくなるわ。

一人暮らしなんだけど、足を折ってほとんど歩けないとき、辛かったな。

タクシーコンビニまで行って、運ちゃんに買ってきてもらった。

俺には、金しかよりどころがない。

2012-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20120107224256

父親の職業については結局何も言ってないしな。

彼女の父はタクシードライバーです。 私もよくタクシー使いますけど大変な仕事ですよね。

美術史なんつー悠長なもんを専攻できることからも育ちが容易に推測できるよね。

まぁ私も「なんつー悠長なもん専攻してるんだ」とは思ったw

結婚するとき、嫁さんの家にいったんだけど、どうかな。教養あるか、ってーとよく分からんですね。

http://anond.hatelabo.jp/20120107002026

元増田です。

ありがとう


なんかさ、巷に溢れる節約レシピとか、「ボーナス出たので牛肉買っちゃいました♪」とか

ananの「一人暮らし自炊してお弁当も作って一か月の食費一万円!」特集とか

そんなの見てると自分はすごい贅沢してるような気がしてきてしまって、ちょっと不安になった次第です。

しかに飲みに行く事ってほとんどないですね。

車社会なんで、飲むとしたら代行頼むかタクシーにするしかないですし。

2012-01-04

私の全て ②疑惑

そんな穏やかな日々が一変する出来事があった。


その年の春頃、私はある病院システム設計担当していた。

その病院リーダーだったその人とは、頻繁にやり取りをしていた。


当時まだSE歴1年半、何も分からなかった私に時間を割いて色々教えてくれたその人とは

自然と仲良くなり、仕事が終わった後飲みに誘われる事もあった。


仕事が終わった後誰かと飲みに行くぐらいは普通の事だし、

彼に咎められることもないだろうと思っていた。

それにその人には、結婚して1年半になる奥さんと、1歳の娘がいた。

それを知っていたのもあり、「この人は大丈夫」と、完全に安心し切っていた。


それが間違いだった。


その人が私を誘う頻度は増えていった。

そして、いつものように仕事帰りに軽く飲みに行った後、

ホテルに連れ込まれそうになった。


さすがにもう限界


その出来事から1ヶ月ほど経ったある日、出張先の福岡で偶然その人を見つけた私は、

仕事が終わるのを待って、こう告げた。


もう誘わないでください。

あなたとは会社の先輩と後輩以上の関係になるつもりはありません。

それにあなたには、奥様と娘さんがいるでしょう。。。


自分に付き合っている人がいる事は、言わなかった。

彼のことはその人も知っていたし、彼に変に疑われたり、

他の人に付き合っているのがバレてしまうのが嫌だったから。


その人は、分かった、とだけ言った。

そして、しばらくは平和な日々が続いた。


その年の年末は、システムの本稼動を控えていたため彼は忙しく、

会う事はできなかった。

でもそれが終われば少しは落ち着くし、久し振りにゆっくり会おうという話をしていた。


ある時、私は彼にメールをした。

でも、いつもなら仕事が終わったタイミングで返信が来るはずなのに、その日は来なかった。

電話をしても、繋がらなかった。

私は元々、自分から恋人に頻繁に連絡を取るタイプではなく、

相手から連絡がなくてもあまり気にしなかった。

でも、次の日も、その次の日も連絡がつかなかった。


何日か経ってようやく電話がつながった。


何回もメールしたのに。どうしたの?と少し拗ねた私に、彼はこう言った。


あのメール、どういうこと?


彼によると、1週間前に、知らないアドレスからメールが送られてきたらしい。

何て書いてあったの?と聞いた。少し時間が経ってから、彼が答えた。


舞ちゃんって、いいカラダしてるね。俺のものにしたい。


全く身に覚えがなかった。

ただ、私は携帯ロックをかけていなかったから、誰でも携帯操作することはできた。


その時、ふと思い出した。

その1週間前、出張先で携帯をなくしていた。

会議に出ている間、他の荷物と一緒に携帯を置きっぱなしにしていたはずなのに、

戻ってきたらなくなっていた。

どうしても見つからず、仕方なく帰ろうかとしていたところに、

携帯、落としてたよ」と声をかけられた。


「もう誘わないでください」と告げた日から一度も会話をすることはなかった、あの人だった。

ありがとうございます、とだけ言って、空港に急いだ。


あの人だ。絶対あの人しかいない。


でも、その人の事を彼に言うのは躊躇われた。

ただ仕事帰りによく一緒に飲みに行っていただけで、何もやましい事はなかった。

から、話して誤解を解けばよかった。

隠す必要はなかったのに、誤解されるのが嫌で、その事は言わなかった。

それに、送られていたメアドフリーアドレスで、その人がやったという証拠はなかった。


その後彼とは、すれ違う日が続いた。

私はその当時電車で帰れる日が全くないほど忙しく、イライラはピークに達していた。

彼のほうもまた、目前に迫ったシステム本稼動に向けて、忙しい日々を送っていた。


その間にも、問題の男からの不可解なメールが彼に送られていた。

つの間にか、私とその男がデキているという噂をする人も現れた。

誰がそんな事を言い出したかからない。

問題の男は既婚者だったので、もちろん自分からそんな話を誰かにするとも思えない。


会社の人事部の、セクハラなどの相談窓口にも行った。

でも、証拠がない以上、どうすることもできなかった。


私も彼も疲弊していた。

たまに電話をしても、お互い素直になることができなかった。

ちゃんと話すことができないまま、時間が過ぎた。


このままじゃいけない。そう思った私は、彼の東京出張タイミング

無理矢理時間を空けてもらうように頼んだ。


10時をまわってから会社の近くで二人で会った。

久し振りに会う彼は、明らかに疲れた顔をしていて、少し痩せたように見えた。

深夜まで話した。でも、溝は埋まらなかった。


このまま何時間話しても無駄だ、と思った。

そして、彼がタクシーに乗り込む後姿を見送った。

台北で年越ししてみた(2011-2012)

台北には何回か行ってるけど、今回は2011-2012の年越ししてみた。

ガイドブックにあんまり乗ってなかったことを中心にメモっておきます。参考にでもなれば。


空港周辺のバス停に幾つか止まってから、高速に乗り、台北市内に入る。市内でまた幾つか止まって、民権西路に着く感じ。

歩道橋のある四つ角交差点が降りる目印。

http://tombi00.sakura.ne.jp/taiwan2/taiwan121.htm

を参考に…

  • 士林夜市の駅前のグルメ街は、少し離れた地下に移動。かなり小綺麗になった。個人的には、饒河街夜市の方が好き。
  • 市内の移動はほぼMRT。いちいち切符(青いコイン型)を買うのはめんどいので、easy cardというチャージ型カードを買ったほうが便利。料金も二割引きになる。

自分のたちは、101の東側、永春駅の少し南の駐車場で見た。そんなに混み合ってなく、見やすかった。

http://g.co/maps/u9576

↑このあたり

自分たちは、永春駅あたりからタクシーで民権西路付近に帰った。市政府付近の道が混みまくり。運転の上手い運ちゃんだったので、なんとか抜け出したけど、頑張ってMRTに乗っても良かったかなとも思う。

  • 北投の野外温泉は、湯船に腰掛けて足湯してはダメらしい。ちゃんと湯に浸かりなさいと、注意された。

 (淡水と書いてましたが、北投ですね、、、すいません。)

  • ティンタイフォンは、混んでいる時、番号付きの伝票を渡してくれる。それが整理番号みたいになっているので、何分待ちか言ってくれる。待ちの間、永康街を散策出来る。
  • 道を渡る時は車優先?日本感覚で車が止まってくれると期待すると、死にかける。

2011-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20111226111211

どのタクシーよりも親切丁寧な運転を心掛けて、定期的に成田-都内間とかみたいなロングを指名で利用してくれるお客さんを100人ぐらい確保すれば、給料は数倍になるし、その人脈をもったまま独立すれば会社にピン跳ねもされなくなる。

実際に俺の知り合いはそれをやって、今は個人タクシーの元締めをやってさらに儲かってる。

彼は勤め人時代、サラリーマンでありながら、スケジュール表が彼を指名する予約で埋まっていて、予約以外の客はほとんど乗せなかったって言ってたね。

2011-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20111225102647

デート権手に入れたらタクシーに載せて

ラブホ連れてってやるだけやるわw

2011-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20111216003747

日本の小児医療無償化した自治体では

軽い症状でも「薬局で薬買えば金かかるけど病院に行けばタダだから」と病院に行く馬鹿親が増えて小児科パンクしているけどね。

小児夜間救急も安すぎるせいで「昼は仕事休みたくないから」と言う馬鹿親が多くてパンクしていて(小児だけじゃなくて大人もだが)

医者は疲弊しまくりだし、本当に救急医療が必要な重症患者診療に影響が出ている。



アメリカアメリカで色々行き過ぎだが、日本医療には適切な対価を取るべきだよ。

救急車タクシー代わりにする馬鹿をタダで受け入れるのはいい加減やめろと。

2011-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20111214223009

そうかな?

そういうキャラってわかってくれてれば、複数人の時には全く問題ない。

べつにいちいち疑問を挟まずとも、うんうん、ってなんの話か推理しながら聞いてれば割と楽しいし、

みんなが話してるから話題の邪魔にもならんだろ。

初対面とかキャラがまだ伝わっていない場合には

むしろ浅田真央って誰?っていって「えー、知らないの?」って言いながら皆の話題を壊さないように教えてもらえばいい。

教えてもらうと言うよりは、知らないけどみんなの話聞いててわかってきたよ、位の感じで話せば邪魔にならんと思う。

あとは1対1の時にはわざわざTVの話題は振られないから、お互いの話がたくさん出来て良いと思うけどな。

下でも誰かが書いているが、友人と言うよりはタクシーの運ちゃんとかと思うと確かに面倒だね。

べつに、タクシーの運ちゃんとは話しもりあがんなくても気にしないけどw

http://anond.hatelabo.jp/20111214220020

横だけど、趣味仕事を通じての付き合いだったり、何かしらはっきりした目的のある場で知り合った間柄だと、

テレビの話題は最後最後、話題に困るぐらい話した後でやっと出てくるかどうかという感じになると思う。

逆にほとんど接点がないのに話をする同士(タクシーの運ちゃんと客など)だと早めにテレビ的な話題が出る。

2011-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20111209000307

ソープにいたw

ソープって建物が古いしつくりもそんなにしっかりしてないから怖かった

とりあえず揺れがおさまって、ここで死んだらかっこ悪いなあと思ったよ、と言うと

嬢が、あたしもだよー、と言った

嬢が窓を開けたので外を見たら、

たくさんの嬢が店の衣装?の上にコート羽織って店から道へ飛び出していた

泣いてる嬢もいたしとにかく異様な光景だった

店がタクシー呼んでくれた

タクシーに乗ったら運転手が、あんなに揺れたのに津波は40CMらしいですよ~と気楽に言うから

いやいやこれからだよ、絶対すごいの来るよ!と言ったんだ

しかしその後、まさかあそこまでのことになろうとは・・・

2011-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20111117161117

タクシー代わりに考えてただけじゃねーの?あと、美人局とか怖いから乗せずに正解。

2011-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20111103230905

大事に。病院いってきなよ。つらかったらタクシーつかってもいいんだよ。

2011-10-31

からスティーブ・ジョブスへの弔辞

A Sister’s Eulogy for Steve Jobs

モナ・シンプソン (Mona Simpson)

2011年10月30日



私は母子家庭一人っ子として育てられました。

しかったので、そして父はシリアから移民だと教えられていたので、

父については、オマル・シャリフのような人ではないか想像していました。

裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。

のちに面会したとき、私は、父は理想燃える革命家で、アラブ新世界を導く人だったのだと、

から転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。



私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。

二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。

25歳になってその人に出会いました。

それが兄でした。



私は当時、ニューヨーク処女作を書こうとしていました。

他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌仕事をしていました。

ある日、弁護士が私に電話をかけてきました。

その弁護士は、上司健康保険をねだるような、カリフォルニア中流階級の娘である私に、

「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。

同僚編集者たちは騒然となりました。

時は1985年、そこは新興文芸雑誌の事務所、

それでも私は大好きなディケンズ小説の筋書きに放り込まれたようでした。

弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。

一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ

私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズ後継者

何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。



初めて会ったときスティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。

オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブユダヤの顔立ちでした。



私たちは長い散歩しました。

偶然にも二人ともそうするのが好きでした。

何を話したのかはあまり覚えていませんが、

とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています

彼はコンピュータ企業で働いていると言いました。



コンピュータのことはあまり知りませんでした。

私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。



コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。

Cromemcoという名前でした。



スティーブは、そのときまで待ったのは良かったと言いました。

彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。



これからスティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います

つの期間、合計27年間に渡って、私は彼を知っています

期間を区切るのは年数ではなく、生き様です

彼の充実した人生

彼の病気

彼の死。



スティーブ自分の愛するもの仕事しました。

彼は頑張って働きました。

毎日働きました。



とても単純ですが、本当のことです



彼は散漫の対極のような人でした。



彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。

スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。



彼はAppleを追い出されて、つらい時期を過ごしました。

彼はシリコンバレー指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。

スティーブはそこに招待されなかったのです



彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。



スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。



イノベーターにしては珍しく、スティーブは物事に忠実でした。

シャツが気に入れば、同じものを百枚注文しました。

パロアルトの家には、黒いコットンのタートルネックが、

おそらくこの教会にいる全員分はあると思います



彼は流行や小道具を好みませんでした。

自分と同世代の人が好きでした。



彼の美学はこういう言葉を思い起こさせます

ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの



スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。



彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。



パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーNeXT に通い、

あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。

それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、

ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。



愛について話す時間の長さにかけては、スティーブ女の子並でした。

愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。

はいつも、一緒に働く人々の恋愛生活を気にしていました。



女性が気に入るかもしれない男性を見つけると、

独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。



彼がローリン出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。

「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」



リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族愛情を注ぎ続けました。

彼はどの子にとっても実の父親でした。

リサの彼氏と、エリン旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。



リード卒業パーティに出席した人はみな、リードスティーブゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。



ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。

はいつでも、どこでも発露するものだと彼は信じていました。

スティーブ皮肉や冷笑や悲観とは無縁でした。

私は今も、そのことを学ぼうとしています



スティーブは若くして成功した人でした。

彼はそのことで孤独を感じていました。

私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。

ロスアルトから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。

二人にとって、リサとリードエリンイヴ普通の子供として育てることは重要でした。



彼らの家には押し付けがましい美術品などはありませんでした。

スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、

夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。

一種類の野菜をたくさん。

一種類だけです

ブロッコリー

旬の野菜

簡単な調理。

とれたてのハーブなど、適切なものを適切なだけ。



若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。

ジーンズを履いて待っていてくれました。



家族会社電話をしたときには、秘書のリネッタが

「お父さんは会議ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。



リードが毎年ハロウィン魔女のかっこうをしたがったときには、

スティーブ、ローリンエリンイヴ魔女になりました。



彼らはキッチン改装に取りかかったことがあります

何年もかかりました。

そのあいガレージでホットプレートを使って料理しました。

同じころ建設されていた Pixarビルはその半分の時間で完成しました。

パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。

バスルームは古いままでした。

ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。

スティーブは目利きでしたから。



彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。

何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。

パロアルト自転車屋に行って店内を眺めて、

その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。



そして実際、買いました。



スティーブ謙虚でした。

スティーブは学びつづけるのが好きでした。



彼はある日、育ち方が違っていれば自分数学者になっていたかもしれない、と言いました。

彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードキャンパスを歩くのが好きでした。

最後の数年間、彼はマーク・ロスコ絵画の本を研究していました。

それまで知らなかった美術家を知ってから

未来Appleキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。



スティーブは物好きなところがありました。

イギリス中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッドオースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?



はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。

たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、

きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います

彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム

彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、

ニューヨークタイムズを開いて会社特許の特集をみたとき

こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。



四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブ楽しい人生を送りました。



彼は幸福大事しました。



そしてスティーブ病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。

それまで彼は、パリ散歩するのが好きでした。

彼は京都で手打ちそばを見つけました。

スキーでなめらかに滑降しました。

ドタドタとクロスカントリーしました。

もうできませんでした。



最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。



ですが、私が驚くと同時に彼の病気から学んだことは、

多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。



兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。

彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。

メンフィス病院廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、

そこで座って一休みして、

引き返してまた歩きました。

彼は毎日歩みを数え、毎日より遠くまで進みました。



ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。



あなたならできる」と彼女が言うと、

彼は目を見開いて、唇を引き締めました。



彼は挑戦しました。

いつもいつも挑戦しました。

その試みの中心には愛がありました。

彼はとても直情的な人でした。



その恐ろしい時節、私は、スティーブ自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。

目標をさだめていたのです

息子リードの高校卒業エリン京都旅行

家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。



病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。

看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。

トレイシー、アルチュロ、エラムです



スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき医師はすべてを、氷をも禁じました。

私たちは標準的なICUユニットにいました。

スティーブは普段割り込んだり自分名前ものを言わせたりすることを嫌っていましたが、

このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。



「これが特別治療だよ」と私は伝えました。



彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。



挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。

そしてiPad病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。

新しい液晶X線装置設計しました。

特別さが足りないと言ってユニットをもう一度描き直しました。

妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。



一生のお願いから、頼む、と彼はメモ帳に書きました。

こちらを見上げて、お願いだから、と。



彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。



私たちは自分が何年生きられるか知りません。

スティーブ健康だったころには、その最後の数年にも、

彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。

オランダ造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。

三人の娘はまだ結婚していませんし、二人はまだ女の子です

私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。



私たちはみな、最後には、途中で死にます

物語の途中で。

たくさんの物語の途中で。



ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、

スティーブの死は私たちにとって突然でした。



二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。

どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです



火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。

声には熱と愛情がこもっていました。

同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまたかのようでした。

申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、

私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。



彼がさよならを言おうとしたとき私は引き止めました。

「待って。行きます空港タクシーで行くから。きっと着くから



「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」



着いたとき、彼はローリン冗談を言い合っていました。

毎日一緒に暮らしてきた夫婦のように。

視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。



昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。



そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。



呼吸が変わりました。

つらそうに、やっとの思いで息をしていました。

彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。



これが私が学んだことです

彼はこのときにも努力していたのです

死がスティーブに訪れたのではありません。

彼が死を成し遂げたのです



彼はさよならを言い、すまないと言いました。

約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。

そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。



フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。



彼はその夜を越しました。

ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。

彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。



やらなければならないことでした。

はいまだに、厳しいハンサムな顔立ちをしていました。

絶対主義ロマンチストの顔立ちをしていました。

その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。



山を登っているようでした。



その意志、その使命感、その強さと同時に、

そこにはスティーブ不思議を求める心、

美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。



その数時間前に出た言葉が、スティーブ最期言葉になりました。

それは三度繰り返す単音節言葉でした。



船出の前、

彼は妹のパティを見て、

子供たちをゆっくり見て、

人生の伴侶ローリンを見て、

そして皆の肩の向こうを見ました。



スティーブ最期言葉は次の通りです

OH WOW. OH WOW. OH WOW.

2011-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20111022162441

貴女の経験には心の底から同情する。けれど、私は「個人タクシーなら礼儀正しいよ」という話をしているんだよ…。

遅くなったときなどは、乗りたいときもあるでしょ? 乗ったとたんに「抜け道を指図」するとかすると(こいつ、道に詳しい)と警戒してくれて、そんなにぼられないよ。

私はメーターが倒されてなかったことがある。家に着いたら運ちゃんが「料金がわからない」と言うから「いつも、このくらいなんで、これでいいですか?」といつもの金額に心持ち上乗せしたら、「いやいや、メーター倒さなかったのはこっちのミスなんで、こんなにもらえません」といつもの1割減の金額で手を打つことになったよ。タクシーもいろいろだ。

(追記)あ、「個人タクシーを止める」と書いたので誤解させたんだね。ごめん。タクシーを呼び止めるって意味だったんだ。

タクシーをあまり使いたくない

下衆な人間が運転手であることが多いから。

2011-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20111006221554

場所は、中心部から離れた辺鄙な場所にすること。

カジノ駐車場なしにして(熱中症で死ぬ乳幼児ゼロにするため)

どうやってそのカジノに行けばいいんだ?常にタクシーか?

つか実際にこれやったら(出来る訳がないが)近くに民営の駐車場が出来るだけだろ。

2011-10-02

中国韓国でもモンゴロイド=自国人、それ以外=外国人という前提で人を見るのか

仕事で一週間ほど中国本土と香港マカオに行ってきた。

どこ行っても中国語広東語北京語)で話しかけられたので多分現地民かもしくは中国大陸からの移住者または旅行者と思われていたのだろう。

こちらの反応がないのを見て外国人だと悟り英語で話しかけられる。

世界中から人が集まる上海空港でも香港マカオの一流ホテルでもそうだった。

外国人と分かったら「日本人?」「韓国人?」「日本人韓国人?」と聞かれることが多かった。

空港や著名な観光地では白人などもたくさんおり、彼らには最初から英語で話しかけていたようだった。


どころか日本人から英語

「これはマカオパタカで表示されているのか?香港ドルか?」と聞かれたので、

わざと現地民のふりをして英語で答えた。

最後

「Are you Japanese? You spoke Japanese,I heard.」と言ったら

Yes,you understand Japanese?」と返されたので

Yes,of course,because I am Japanese!」と言ってやったので相手もびっくりしていた。

ローカルコンビニでのことだったので、地元しかいないと思っていたらしい。



日本でもほかに情報がない限りはモンゴロイド人間がいたらまず自国民だと信じて日本語で話しかけるだろうし、

西洋人だったら日本語を理解する可能性を想定せず英語で話しかけると思う。

日本語に堪能な非英語圏白人日本帰化して日本人になっても、

白人というだけで英語しか会話させてもらえないということで、

自分はいつまでたってもガイジン扱いだ」と嘆いていたのを思い出した。


中国とか韓国とかでもモンゴロイドなら自国民と信じ、白人だったら最初から国語など理解することのできない英語話者とみなすのだろうか?



また中国本土と香港マカオとではだいぶ差があったし、

中国本土内でも上海都市部ローカル田舎とでもだいぶ差があった。

香港マカオではほとんどどこに行っても英語が通じる。

ローカルなお店を除いては大抵英語併記。マカオに至ってはポルトガル語も加えて三言語併記。

ローカルなお店やタクシーの運転手に通じないこともあるが、

少なくとも通じる人をどうにかして捕まえられる環境は常にあったと思う。

ところがマカオから海をフェリーものの10分渡って中国の片田舎に入ると、

英語併記はまったくなく、住民も英語を理解しない人ばかり、

こちらが中国語を理解しないことを分かっていても中国語で話しかけてくる。

物価もずっと安いしトイレもきれいじゃないし、国境を越えただけでここまで環境が異なるのかと啞然とした。

2011-09-22

東京マスコミ

ここ3日間の東京マスコミ(全国放送での内容)

台風がくるようです。強いです

台風九州にいるようです

和歌山土砂ダムがくずれそうです危険です

名古屋で100万人が避難対象です。風と雨が強いです

全国の皆さん!今東京が大変です!ほら!新宿駅でみんなが困ってます

東京がすごく大変です!全国の皆さ~ん!みんな駅で立ち往生してますよ!

大変だと思いますか?ですよね!東京人が今大変です

池袋も大変ですよ~!!ついでに横浜も大変です!風が強いです首都東京が大変です!!

水没してます社員のみなさんは会社に止まるそうです

あ~大変だ!日本首都東京がすごく大変です

見て!タクシーが木の下敷きになりました!これはすごく大変な状況です

これは大変だ!どうしようもないです大都市首都東京暴風域です

みなさん気をつけてください!!

ああ~日本首都東京台風で大変だ!みなさん!東京台風で大変ですよ!ほら!!

今は東北が大変です。がんばって

昨日の品川駅の大惨状は人災

はじまり

午後3時半に品川駅京浜急行改札に辿り着いたが

そこは既に見渡す限りの人の波だった。




今回の台風接近に、いつもの如く、

「なにか言い訳さえ立てばすぐサボる」でお馴染みJR組各線が

早々ギブアップして自分達の乗客全ての輸送を放棄し、

振替輸送」として京急に投げたのだ。




地震の時もそうだったが

JR京浜東北初めとした近接線を押し付けられた時点で

京浜急行キャパ限界になる。




京浜急行のホームは入場制限が開始され、

大量の人間が改札前の階段広場で待つことになった。




高いミンドと適当な指示

過去の同様の事例でもそうだが

このとき京急職員もJR職員も

全くと言っていいほど整理や誘導をしない。

手持ちスピーカーを使い、少ない情報と指示を叫ぶだけだ。




見てるだけで恐ろしくなるような大量の人の密集列は

ただ日本人特有らしい「ミンドの高さ」「従順さ」とやらに頼って維持されている。

踊り場と踊り場の間に階段があり、

あそこが転んだり雪崩れたりしたら怖いと思うが

そこに人を立たせない程度の整理もしない。




それでも雪崩も起こさず、押し合いもせず、喧嘩もせず、

老若男女がじっと同じ方向を向いて辛抱して待った。

ホームに電車が入るたび、待ち行列の先頭から一定数だけホームに入れるが、そこでも粛々としたもの

駅員が「今回はここまでです!」と叫べばピタリと止まる。

誰1人として制止を無視したりしない。

これは地震の時も今回もそうだ。




クラッシュ

だが徐々に

そして完全に

電車自体がホームに入ってこなくなる。

そこから更に30分ほど経った頃、

断片的なアナウンスによると、

どうももっと前の駅で「人が溜まりすぎて危険な為電車を発車出来ないで居る」という。




人が溜まって危険なのに電車を止めたらもっと人が溜まるのは子供でもわかる。

何故電車を止めなければいけないのか。

全ての乗客が集中しだした京急仕事を投げたら全てがクラッシュするにもかかわらず。




危険な為」というが、

誰一人として駅員に逆らわず怒らないこの羊の化身のような民衆が

どこかの駅で「危険」になったとすればそれは

誘導・指示の係が最低限の仕事をしくじったかサボったかだ。




ホームどころか改札の10メートル前で止められても

大変な人口密度で立たされっぱなしになっても

一言の怒りの声も上げない民衆である

どこかの駅の馬鹿駅員が無計画に列を進めてホームを人で溢れさせるかしたのである




嘘の指示

品川駅改札前の人の大群は、先頭は2時間以上待っていると言うことだったが、

ここでついに駅員が、「この改札は人が集まりすぎて危険なので〇〇側改札へお回りください」と言い出した。

これはよくある欺瞞の指示だと言うことがぴんと来た。

きっと、〇〇側改札に回ったところでホームには入れない。(この予感は当たっていた。)




電車が止まって群集を解散させなければいけなくなったが

今更そんなことを正直に言うのが恐い電鉄会社現場駅員が

誤魔化しの指示でなし崩しに人をばらけさせようと考えたのだ。




怒ったのはたった一人

ここでさすがに列の中ほどの1人の男が

「ふざけるんじゃねえぞ!今更なにを言ってるんだ!」

「先頭の人達なんか何時間待っていると思っているんだ!」

「でたらめのことばっかりしやがって!」

スピーカーの駅員を言い負かすぐらいの声量で

周囲をアジるような感じの声を上げだした。




が、怒声をあげたのは彼だけだった。

見渡す限りに詰め込まれて待たされた人達の中で、彼1人だけ。

(彼は行儀がいいとは言えなかったが、

 日本人の高ミンドの評判を損ねる恥さらしかもしれなかったが、

 ここまでくるとむしろ

 彼のほうが人間味のある正気人間なんじゃないのかという気もした)




例によって〇〇側改札がどこで、どう進むのが望ましいか

などのアナウンスや誘導が一切ないので

「あぶないよー!ちゃんと誘導して!」と叫ぶ女性もいたが、やはり誘導はなかった。

あれだけのストレス状況で一切押し合わないという、群集の高いモラルのみに頼った移動が始まった。




台風はさっさと去った

これが4時半位で、

ここから時間は飛ぶ。

品川駅から離れて駅のほうを眺めていたが

から溢れ出し駅を取り囲む人の群れはとんでもない密度と大きさになっていた。




ご存知のとおり、台風ウキーの足は速い。

5時半ごろには完全に東京を通り過ぎ、雨も風もやんだ。

しかし溜め込んだ乗客に責任感を見せる様子のない電鉄各社は運行を再開しない。




みんな電車が頼み

JRなどは「線路内に障害物が入った影響で…」などと口実を作った(JR利用客は誰も信用しないいつものアレだ)ようだが

京浜急行などは線路になんの障害もなかった(確認済み)。

「人が多くて危険」というアホのような理由で運行を再開させない。




鉄道会社と言うのは代替がしにくい、独占企業・専売企業のような存在である

同等サービスをする別会社へ行く、が出来ない点で東電に近い。

「人が多い」状況は電鉄会社努力して運行を再開する以外では解決しないのに

それをするのを嫌がって、なんと8時半まで運行を再開しなかった。

高い金を払って泣く泣くタクシーに乗り込む人もいたが、タクシーちもとっくに長蛇の列である




整理のノウハウマニュアルはあんのかな

運行が再開しても、

危険なので入場制限をします。駅から離れてお待ちください」等と

ボンヤリしたことだけをスピーカーで繰り返し、

自ら作り出した超大量の帰宅難民の消化に意欲も責任感も見せない京浜急行




「待っていてください」以外何の指示もアナウンスもしないのだ。

時間待っても電車が少なく、人も少しも減る様子がないのを眺めていると

駅の交番を通して

品川駅京浜急行は大変混雑しているので、並んでも長時間電車に乗れません」

「なるべく他の交通手段で帰宅してください」

という放送。




今更言うな、の二回目だ。

「お待ちください」「お待ちください」と散々言って

時間以上待たせてからこんなことを言い出す。




難民の苦しみに興味がなさそう

その後、勝手に隣の駅「北品川」まで徒歩で移動したところ、電車には簡単に乗れた。

要するに品川駅が、上層部現場の思考硬直・怠慢で麻痺していて、

せっかく運行している電車すら満足に生かせていなかった。

なにしろ北品川に来る電車はどれこれも、混んでいないのだ。電車によってはスカスカ




品川駅駅員どんな入場制限をしているのか知らないが、

辛い思いをして待っている大勢の人間を少しでも早く多く救うことより

人の波の整理・誘導の苦労を嫌ったに違いない。




当初、現場駅員の数が平時と変わらなかったのも印象的だった。

改札前の切符センターなど、大量の人員が中に居る部署がある筈だが

切符業務などなくなっているにもかかわらず現場応援に来ていなかったような。

(これは確認していないので、あとから応援に来ていたかもしれない)





結局、あの人達は帰れたの?

品川駅から溢れ出し、大交差点の対岸まで溢れていた人たちは今どうなっているだろうか。

チンタラ運行とポンコツ誘導・入場制限に阻まれた人達がまだ帰れないであそこにいるのじゃないだろうか。

まさかあの人達を見捨てたまま、電鉄会社が「本日の運行は終了しました」などと言っていないだろうか。

心配だ。

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