2024-04-20

私には設定上の田舎があり、年に何度かイマジナリー帰省している

というのはお土産を配るためである

コミュニケーションにおいてお土産というもの効果を発揮すると経験的に体感している。

しかしながら私は東京まれ東京育ち、妻も同様である

もちろん、どこかに遊びに行って…という形でお土産を渡していいのだがそれにはひとつ問題がある。

それはお土産を渡した人に、「こいつは何処かへ楽しく旅行してきやがったんだ」ということへの妬みの感情を引き出してしまうかもしれないからだ。

世の中、孤独な人は多い。

私自身も10数年前までは一人ぼっち人生を送ってきて無駄他人を妬むことが多かった。

そして、そのことに自分では気づけない。

そういう人は私以外にもいるだろう。

そのような人から私への敵愾心を除くために、

「いやあ親が帰ってこい帰ってこい孫の顔見せろとうるさくて」

みたいな雰囲気あくま雰囲気、実際に言葉にするわけではない)を醸し出し義務としての帰省を消化した、その副産物としてのお土産ということにしたいのだ。

ただ、この方式欠点はたまに私のイマジナリー田舎と同じ出身地の人に接するときだ。

一応、現地には実際に行ったことがあるし日々情報仕入れて(いっとき爆サイなどもチェックしていた)知識アップデートしている。

それでも不意をつかれるとボロが出かねない。

から、あまりお土産と持ってきた人にその土地のことを事細かに話かけるのはやめて欲しい。

それはイマジナリーお土産かもしれないからだ。

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