はてなキーワード: 自営業とは
タイトル通りです。
地方都市で、しがない個人塾を父親がやってます。講師は父親一人。社長兼講師ってやつです。
みてるのは小学生から中学生まで。高校は難しいから教えられないって言ってた。
お月謝は学年によるけど、1万円から1万5000円くらい。週3、2時間+週末3時間です。
これまで延べ1000人以上の生徒さんをみてきて、高校はみてないにもかかわらず、
大学に合格したらわざわざ挨拶にきてくれたり、卒業してからもずっと年賀状を送ってくれたり、
卒業生の子供が親子二代にわたって通ってくれたりと、それなりに愛されている先生なんだと思う。
子供からすると、父親は働きっぱなしで、休みもなく、全然遊んでくれないので、不満もあったけど、
自営業なので父親が働いている姿も見てたし、それなりに誇らしく思っていた。
なんかふとしたときに、父親が「うちは賤業で、すまんな」と言ったことがあり、かなりショックだった。
父親としては、サラリーマンだったり、公務員だったり、学校の先生だったり、そういうのがまともな職業で、
自分のことは賤業として認識しているのか、ととても残念に感じた。
というのも、自分が大人になってみると、「塾に通わずに大学まで行った」とか「塾は下駄をはかせているだけ」とか
「塾は金儲け」といって塾を敵視する人にすごく合う。そのときはばつが悪いので、実家が塾であることを隠すのだが、
あまりに無意味に攻撃をされているときは、「うちの実家は塾だけど、そんな感じじゃないよ」というようにしている。
(そういうと、彼らはバツが悪そうに、小さい個人塾じゃなくて、大手の予備校みたいなところの話ね、と言い直すのだが、一緒じゃねえか!)
事実、塾に通わずに大学まで行った人は経済的で賢い人だと思うし、
塾が金儲けというのは、他のすべての職業と同様、事実だと思う。あなたが通う定食屋も携帯電話も病院もすべては金儲けをしているのだし。
でも、スイミングスクールやお絵かき教室、体操教室やスポーツクラブが悪者にされないのに、
なぜ塾はいつも悪者扱いなんだろうか?子供のころから不思議でたまらない。
学校の勉強が簡単すぎる子には、難しい問題を与えて、問題解決の面白さや知的好奇心の大切さを伝える。
それって、そんなに変な職業なんだろうか?
学校が既にやっている?そりゃそうだろう。
じゃあ、図工の授業も、体育の授業も、学校にはあるのに、
なぜみんなお教室に通ったりするの?
それは良い指導者と出会って、子供の可能性を伸ばしたい、いろんな刺激を与えたいからじゃないの?
学校に自分の子供と相性が良い先生がいればそれはとても幸運だけど、
それこそ選べないから、みんな自分でお金を払って、いろんな教室に通ってるんだと思うんだよね。
※追記
おそらく父親の世代にとっては、自営業がみっともないと思っていたのではないかと思う。
父親は早稲田出身で、たとえば大学の同期などと比べたときに、みんなが名のある大企業のお偉いさんになっていたりするのに、
自分は地方都市の自営業だったので、引け目を感じたのではないか。
急に廃業というのがその通りで、他の商売も同じかもしれないけど、
たとえば、毎年各学年30人くらいの生徒さんがいたと思ったら、
急に次の年の新入生は10人になったり、
かと思えば別の年には教室に入りきらないくらいの入塾希望が来て、お断りしなきゃいけなくなったり。
全然需要が読めない。毎年同じように教えて、同じように広告を打っていたとしても。
そういう商売です。
ブコメを見てると、みなさん塾に対する悪印象がないようで嬉しい。年末帰った時に伝えてあげよう。
はてなにいる人は高学歴だったり、教育の大切さを知っている、または学校教育の問題点を認識している人が多いから、
塾を擁護してくれる人は多いけれど、
たとえば、いまだに「子供は外で遊ばせるべき。塾なんて詰め込み教育!かわいそう!」と
塾に通っていない人は、塾というのは教育の場ではなく、受験のための小手先のテクニックを教える場所だと
思っている人がかなりの数、います。
学校の先生も、塾に対して嫌味なことを言ってくる人は多いです。
事実、私は小学校・中学校では、教師にめちゃくちゃ目の敵にされていたので…。
良い点を取ると、お前は塾の息子だからと言われ、悪い点を取ると、父親は教えてくれなかったのか?と言われました。
悔しかったし、塾の評判が下がると困るので、めっちゃ勉強しましたが…。
会社に入ってからも、小学校から大学まで全部公立or国立で塾に通わずに卒業した上司がいて、
その人は都内有名私立中学出身の社員をめちゃくちゃいじるめんどくさい人がいました。
「おぉ、お前ら、こんなこともできないのか。これは鉄緑会で教わらなかったのか?」みたいな。
(もちろん彼の場合はなんらかのコンプレックスを発症していただけだと思います)
「え、東大生・京大生を腐す人なんて見たことない!」と言うはてなーの人はいるかもしれませんが、
塾が悪者にされたシーンを一度も見たことがない、そんな人に出会ったことがない、という人へ。
92年うまれ。塾ブームが起きて、塾でたむろするDQNが授業を軽視するのが気に食わなかった。だから塾には行かず進学した自分が誇りだったし、増田が言われたようなことを思っているし実際に言った。これは現実の話。 |
私もずっといろんな人に同じことを何度も言われたことがあるので、個人攻撃するつもりでの引用ではありません。
でも、父親や私がよく言われてきたのは上記のようなコメントです。
父親が70年代から塾をやっていたのと、私が地方出身のためか、塾ブームがなんなのかよくわかりませんでした、すみません。
https://www.sankei.com/politics/news/191118/plt1911180045-n1.html
「塾ばかりがもうかる世の中にすれば、日本は滅びる」んだそうです。なんで?
二月の勝者は自分も今年読んで爆笑したので、父親にも夏に読むのを勧めました。
読みながら、東京の塾、こんなに高いのか…僕は経営下手くそだからなぁ…って笑ってました。
二月の勝者は大手の進学塾の話なので、生徒よりも親を見る、お客様扱いして集金するといったえげつないことをしてて
そこはうちの塾とは違うけど(してたら、いまごろうちの地域でいくつもの教室を運営してたと思う笑)
生徒や親のエピソードは塾業界あるあるすぎるので、塾関係者は「あ〜こういう子(親)、いるいる」って笑えると思う。
伸びる子、伸びない子は本人や親と話すとすぐわかるって言ってました。
逆説的ですが、父親的には成績を上げることや受験に受かることを目的にしちゃうとよくなくて、
問題を解くのって面白いと思わせたり、もっと知りたいという知的好奇心を刺激したりすることが重要で、
生徒さんによってそのレセプターが違うので、手を変え品を変え、いろいろと玉を投げているようです。
二月の勝者、続きが気になりますが、すべての生徒さんにとって、受験が自分ごとになるとよいですね。
→読みました
https://anond.hatelabo.jp/20191120041544
あと,みんな、思った以上に塾のこと好きだったみたいなので、
いま30代でも40代でもいいから、通ってた塾の先生が存命なら年賀状で近況報告でもしてあげてください。
「へぇーなんとか君、いまどこそこでこんな仕事してるのかー」とか
「なんとかさん、子供大きくなって、いまどこそこに通ってるのかー」と
学生の頃に戻った夢を見た。
勉強もせず赤点を取ったり、部活の練習をせず大会を棄権したりして、
それに愛想を尽かして両親が拒絶して、置いてかれる。
目が冷めてかなり後味が悪かった。
手が物凄い冷えていた。
こんな夢を見たのは眠れなかったからかもしれない。
仕事を片付けて、3時くらい床についたけど
眠れなくて5時を過ぎていた。
それに、ここ最近昼夜が逆転していた。
まだ元気だけど、こんな生活が続いたら何処かでツケが回ってくるなって不安があったり、
もし、もっと勉強して良い会社に入ったり転職して安定した生活を維持していたら、独立せず会社勤めを続けていれば
って考え込んでしまう時がある。
あと、妹が今逆のような立場にある。
成人しているし、結婚もしているから心配する必要はないかもしれないけど、
何かあったのかもしれないと思うのと、これは辛いな…と思ってしまった。
オタクだけでなく、ツイ廃や意識高い系のはてな民にも尋ねたい。最近、大学の教授なんかも含め、周りの人間全員、SNSで世界が回ってると言わんばかりにツイートするが、どうやったらそんなにネットに溶け込めるんだ?
俺は家が自営業だったおかげで、小1のとき古いPCを譲り受けて以来ずっとインターネットやMMOと共に生きてきた。ネットの知識だけで独学して、プログラミングや作画、作曲、最近では統計分析なんかも含め、PC関連の仕事は一通り受注できる水準に達した。だが、俺みたいな最底辺コミュ障は自分のフィールドでも周りに馴染めず、ニュースやYoutubeくらいでしか外の世界を見ることはない。
そもそも俺はオタク特有のノリについていけない。工学系の大学に進んだが、周りの技術水準が予想以上に低く、逆にオタク度が高すぎることに驚いた。二次元の好きなキャラを訊かれたとき、俺は初めて自分が世間的にオタクであることに気付いたが、実は二次元の萌えキャラも無理で、オタク仲間の中でも浮いている。こういう人種は他に存在しないのか? いたら友達になってくれ。
全然まとまってない、ずっと誰にも言わなかったことを誰かに見て欲しくなってそのままのテンションで書いている。面白みもない。嘘も混ぜている。よくある家族ネタだしつまらないので途中で読むのをやめてもいい。
うちの家は父 母 兄 自分の4人家族で3人暮らしだった。物心つく頃から父親は家に住んでおらず、週に1回〜月1くらいで家に顔出してた。頻度はまちまち。稀に泊まった。友達の家や漫画やテレビに出てくる家庭では父親は同居しているから不思議だった。母に聞くと仕事としか言わなかったので足りない頭で出張が多いと思っていた。姓は全員父親と同じだったので、普通の家とちょっと家族のあり方が違うくらいにしか思ってなかった。あまり顔を合わせないので父親は自分と兄には優しめで、車で遊びに連れ出してくれたことも結構あった。親同士は普通に会話していたけどよく口論になる。別に仲良い雰囲気はない。でも全然不満とかなかった。ちょっと母親は神経質でヒステリックだったけどそれは自分が悪いことしたときぐらいのことだったから気にならなかった。
小学校卒業までそんな感じ。中学から父親が買ったマンションに引っ越したが新しい家に父の部屋はなかったので引き続き3人暮らし。父親は仕事、母親はパート。しばらく平和だったけど兄が3つ上で高校受験と大学受験が重なったり、兄が浪人決定したり自分も思春期だったりで家がどんどん殺伐としてくる。母親は常にイライラして、他の人間を家にあげるのを嫌がった。
更に父親の会社が経営難?で家が差し押さえられそうになってたっぽい。実際売りに出されたり家財が持ってかれることはなかったけど、よくわからないうちにその騒動は終わった。
自分はというと中学卒業後、高校は適当に近い公立に決めてしまった。安いしいいかと思った。ただその後に何したいかは考えてなかった。学校生活を送ればいいと思っていた。いずれ大人になって働くことが全く想像できてなかった。高校でやりたいことも勉強したいことも見つけられなかった。当然やる気もなく勉強にはついていけなくなった。あれよあれよと月日が流れせっかく入った高校は3年生で不登校気味になってしまった。学校は行ったり行かなかったりで行ったとしても遅刻ばっかり。母親は驚き怒っていた。不登校気味になってから毎日布団で寝ていると母親が部屋に入ってきて、学校に行け勉強しろ、恥ずかしい ちゃんとしないからこんなことになる 生まなきゃよかったと言っていた。大学受験をしない気なら身体を売って生活でもしろと言っていた。なんとか学校へ行っても母親の声が聞こえてくる気がした。よくわからないけど母親は学校に電話して担任にキレ散らかしていたらしい。色々限界になり父親に連絡し、消えたい死にたいと話した。
そうすると謎のお金持ちパワーが発動して、あっというまに自分だけ引越しすることになる。正直びっくりした。家は貧乏だと思ってた。だって差し押さえられてたし、公立行ったのもちょっと気を使ったからだしこんな裏技が人生にあるのかと思った。家賃も光熱費も全部父親のお金だ、夏休みから一人暮らしだ。でもうつ病になって毎日泣いて暮らしていた。
なんとか高校を卒業すると父親から連絡があってこれまたびっくりしたのだが、結婚すると言ってきた。子供が生まれるんだとも言った。父親はいつの間にか新しいウクライナ人の奥さんと結婚していた。奥さんの方には連れ子もいるらしい。情報過多すぎて感情が追いつかなかったことだけ覚えてる。いつの間にか離婚したことは誰からも一切知らされていなかった。
なんとなくこの家の人を書いて終わる。
半年前まで働いてもう辞めた。貯金で生きてる。高3の夏休みから一人暮らしだった家は出た。
母
元看護師?仕事は介護系だった気がする。誕生日を知らなくて誰も祝ったことがない。春だった気がする。たぶん60代後半。離島出身 。
父
自営業 。この人も誕生日わからないけどたしか1月。たぶん70くらい、東北出身 。ウクライナの奥さんとこに3人子供がいるらしい。
兄
3個上 自分以外の家族で唯一誕生日はっきりわかる。頭良い大学卒業したあと派遣で働いてたはず。ほぼ片親状態の家であそんだり面倒見てくれてあんまり子供っぽくなかった気がする。小学生のときに性的ないたずらされてたこと思い出してから連絡とってない。
というか全員と連絡取れない。これでおわり。
16時、預け先から3歳の息子が帰ってくる。
いない間急いでやっていた、明日の朝納期の仕事も終わらず無理矢理きりあげ、家の外まで迎えに行く。
息子はいつもの様にそのまま家に入りたくないとゴネ、三輪車に乗って公園へ遊びに行く。
私は急いで家に入り、夕食の支度をする。
はやめに食べてはやく寝かせたい。この頃の子供にしては、睡眠時間が少し短いのではと心配している。
夫と息子が一緒に帰ってきて、夫はお風呂の準備をする。
夫が入れられればその間に食事の準備ができるのだけど、最近はままといっしょに入ると泣いて抗議するので、急いで夕飯をつくったあとお風呂に入れる。
もう18時になる。はやくご飯にしないと。
走り回る息子を追いかけて服を着せて、さっき作った夕食をテーブルに並べようとすると、今度はいっしょにご飯を作りたかったと泣く。
もう作り終わっちゃったから、じゃあこの冷ご飯の入った茶碗をレンジで温めてもらおうかな。レンジのドアあけて、と頼むと
違う、作りたいの、嫌だと泣く。
じゃあ洗ってある食器ふいてみる?ぜんぶ「ご飯作る」の中に入ってるんだよ、食器と布巾をもって見せる
嫌だ、と泣いて急にきびすを返し、自分の背丈ほどあるテーブルの上に向かってパッと手を伸ばした。
今作ったばかりの、重たい皿にたっぷり入った煮物をレンジに運ぼうとして、小さい体を伸ばしてテーブルの上から取り、
持てずに床にぶちまける。
もてなかった、と泣く。
レンジで…といった私の言葉を覚えていて、温めるのはこの皿なのかなと思ったのだ。
さっきやりたくないと泣いて嫌がったことを、次の瞬間にはやりたいと泣くのなんていつもあるのに。
お手伝いしようとして、それを私の指示が甘かったため誤解して、失敗してしまっただけなのに、本人だってびっくりしているのに、そもそも届くところに皿を置いておいたのは私なのに。
もしその重たい皿が頭の上に落ちてたら?熱い煮物を頭からかぶっていたら?
声を荒げて怒ってしまった。
息子は大声で泣いた。
拭きかけの食器をみて、ごめん、これやってたから目を離したんでしょう、食器洗いは自分がやるから置いておいてもいいんだよと優しく言った。
でも食器洗いいつも嫌そうで、シンクにたくさんあると洗う気が起きないんだよねとか
干したままあとで拭こうと置いておいたの見つけて、なんだこれ、とか呟くじゃない。
夫に愚痴られたくないから先んじで手を打ってるのも私が勝手にやってる事
なのにすぐ人のせいにして息子を怒ったり夫の愚痴を頭に並べる
なんか全部ひとりよがりのようなきがして、涙がでてきて、でも泣いたら息子も夫もびっくりしてしまうから堪えて、
堪えてたら頭が痛い。
息子を寝かせたらまた深夜まで仕事がある。
もう何か月も休みなくて、常に忙しくて
父は自営業だった。
子供の頃、自分の部屋の下に父の事務所があって、家を出るときは必ず事務所を通る必要があった。
後ろからディスプレイが見えるのだが、結構な確率で父はパソコンの将棋をしていた。
子供心に、「遊んでばっかりだな…。」って思ってた。
それに、少し短気でぶっきらぼうな印象があった。
今ならわかる。
仕事が手に付かないくらいやる気が出ない時はあるし、必ずしも日中にスイッチが入るわけじゃない。
それにゲームが楽しいんじゃない。ゲームやってると仕事に比べて楽なんだ。
一人で全て考えなきゃいけないから、余裕がなくなる事だってある。
こんな気持ちだったのかもしれないな。
関西在住。
地震はまあふんわりといつかやってくる くらいに理解してたんだが、去年の関西の地震で恐怖の実感がでてきた。
あと台風は毎年決まった時期に確実にやってくる驚異として年間スケジュールに組み込まれた。
なんとなく 大災害で被災したら死ぬ くらいのふわふわした不幸は想像できたんだけど最近の台風地震のニュースをみてよりはっきりと将来を予想するようになってきた。
実家が復旧できないくらいの打撃を受けて再建に大金が掛かる とか 自営業の親の生活基盤が崩れたらどうやって生活をしてもらうか とか
久々に平日に有休をとり実家に帰ってきたところ、父親が酒を飲んでいた
酒を飲み、テレビに向かって「これはおかしい」「こいつは嫌い」とひとりごとのようにつぶやいていた
少しショックだった
父親はもうすぐ70代
父親は50代の頃に病気を発症し、身体が不自由で自営業をやめてから、自分の意思で出掛けることもできず
これまで動けていたのができなくなってすごくストレスなのも分かる
元々お酒が好きなのは知っていたが、平日休日関係なく、昼間から飲んで、ふて寝して、夜また飲んでの生活をしている事が悲しいと思った
大好きだったタバコもやめ、仕事もやめ、酒まで取り上げることができないと
父親はたまに酒で口が悪くなり暴言を吐くことかある人だから、介護殺人などにならないといいのだけど
自分に何か出来ることがあるだろうか