はてなキーワード: 山登りとは
ヤギログって皆さんご存知ですか?http://www.jimpei.net/
ほら、あのやたら人を煽ってサロンで金集めてキャンピングカー生活してる
最近どうもきになってるんだけど、依然やぎろぐの人を車に乗せた気がするんだ。
俺は山登りが趣味なんだけど、確か2年前の6月、長野の常念岳に登って、帰りに安曇野から名古屋に向けて中央自動車道を走ってたわけ。
ただ、当初一泊の予定が早い事登ってこれたから日帰りに変更した事もあって眠気がぴーくだったんです。だから帰り道に
耐えきれずSAで車止めて仮眠をとってたの。
で、爆睡してたら窓をコンコンってやるなんか汚らしい風貌のにーちゃんがいたわけ。
で、寝ぼけて話聞いたら
「財布無くしちゃって動けなくなったので車乗せてください」
みたいにいわれて、俺もまぁなんか断るのもあれだし乗せてあげたのよ。
臭い。とにかく臭い。1週間以上風呂に入ってないヤツの臭いがした。拘束は知っているのにとにかく窓全開にあけて
車中、次のSA着いたらどうすんの?とか色々聞いたけどなんか回答が曖昧。
「や、次のSAから徒歩で友達の家に行けます」とかなんとか。怪しすぎる。だんだん怖くなってきた。
どこ行きたいの?名古屋まで行くから行きたいとこまで乗っけてってやるよ?と言っても
ごにょごにょするだけ。
財布なくて困ってるなら少しお金渡そうか?と言ってもごにょる。なんやねん。ホントに財布忘れたわけちゃうやろ。
ヒッチハイクならヒッチハイクって言え。っつーかちゃんと風呂だけは入ってくれ。
結局、駒ケ岳SAで降ろしたら例もいわずに逃げるようにどっかに行ってしまった。
やぎろぐの人、もし心当たりがあったら教えてください。
気になってしょうがないです。
多分だけど。
ホストとかヤリチンを肯定していながら、モノ扱いされるのに怒るところが非論理的なんじゃないか。
それだけならまだしも、ホストでもヤリチンでもキモオタでもない普通の男をディスりだす。おいおい、ホストやヤリチンにモノ扱いされてるイライラをまったく関係無い男に言い出したら、そりゃ叩かれるやろ。
ホストとか、ヤリチンとか、イケメンとか。まあ、いいと思うんですよ。ヒマラヤに登りたいのは、他人が止めるってのはおかしいと思うし。
でもさ、ヒマラヤで怪我したなり、身内死んだなりしたとして。
それを日本の山を管理してる警察とか医者とかのせいにするか?せんだろ。
「日本の山はロッククライミングや世界レベルのアルピニストが育たない」とか言われても。高尾山に文句言うとかキチガイでしょ。
結局、「ま~ん」っていうのは、「山キチガイ」とかってのと同じかと。
勝手にやってりゃいいんだけど。なぜか普通の男を叩きだす。迷惑をかける。
それが嫌なんですな。
が、その上で、「ヒマラヤで怪我した!山管理してる奴らが悪い!」とかオイオイ、キチガイかよってなるやん。
女に対する、ま~んってこれに似てるんじゃないかな。
営業マン、社長、駅弁の売り子、自動車工場の社員、空港職員、人形浄瑠璃の演者、農家、伝統工芸の職人、撮影スタジオのカメラマン、楽団員等々、様々な職業の人の働く様子とともにその人のランチ風景を紹介する。
全く知らなかった職業、各人の仕事への取り組み方や職場の雰囲気を知れる面白さと、日本各地の美味しそうなランチが魅力的。
その家独特のおにぎりを紹介する「おにぎり百景」や、お昼どきのオフィス街で道行く人に声をかけスタッフと一対一でランチをさせてもらう「サシメシ」、視聴者の投稿したお弁当写真を紹介する「みんなのサラメシ」等、毎回3〜4つのコーナーに分かれている。
印象に残っているのはおにぎり百景で紹介された桜おにぎり。桜農家が収穫時期に1日だけ満開の桜の木の下に集まり、桜の塩漬けを混ぜ込んだピンク色のおにぎりを食べている様子は素敵だった。
何の気なしに見れるので録画しておいて見たいものが無い時に見ている。
「おくのほそ道」、「風姿花伝」、「般若心経」、「アラビアンナイト」、「遠野物語」等、大抵の人が題名くらいは知っている名著を、25分×4回の計100分で月に1冊ずつ、その分野を専門とするゲスト(基本的に大学教授、たまに僧侶や詩人)が分かりやすく解説してくれる番組。
本の内容はもちろんのこと、毎月登場するゲストの人となりも楽しみの一つ。いかにもその分野っぽい人が登場することが多いのだ。
毎回伊集院光が面白い着眼点で質問したり感想を述べたりしていて感心する。
「いい質問ですね!さすがです!」なんて派手なリアクションの先生もいれば、興味無さそうに受け流しちゃう先生もいたりして掛け合いも面白い。
印象的だったのは「種の起源」の回で紹介されたダーウィンの生い立ちで、ダーウィンは医者の息子だったので医者になることを望まれていたが、当時は麻酔がなかったので子供の手術なんかに耐えられないタイプで医者になれず研究者になったというエピソード。昔って麻酔無しで手術してたの?!という衝撃が…。全然本の内容関係無いけど。
録画して100分まとめて見ている。
視聴者のお悩みを専門家の手を借りて解決するという極めてシンプルな内容の番組。司会の松嶋尚美と三宅裕司のおかげで重たい悩みでも番組の雰囲気は明るい。
強烈だったお悩み1「キレイと言われたい」
容姿に自信のない相談者(女性48歳・既婚子持ち)は過去の経験でがんじがらめになって自分に本当に似合う服を受け入れることが出来なくなっていた。解決策としてスタイリストが提示した方法は、町や駅で見ず知らずの人に「今日の私の服、似合っていると思いますか?」と聞いて回ること(!)。見ていてほんとに居たたまれなくなったけど、みなさん案外フレンドリーに答えてくれていてホッとした。
最終的には結構いい感じに解決していた。
家には大量のマニュアル本を揃える婚活中の相談者(男性)。「女性には寒くないですか?と声をかけよう」とのマニュアルに基づき、人混みで熱気ムンムンの婚活会場で「寒くないですか?」と声をかける相談者。みんなから「むしろ暑いです」と答えられていた。
お悩みを解決してくれるきわめびとは冒険家、解決方法としてグループで山登りをするというよく分からない展開になるのだが、山登りのために買ったマニュアル本を山に持ってくる相談者。コントか?!
山登りで自分の殻を一枚破れた様子の相談者だったが、まだまだ道のりは遠そうであった。
タレントやクリエイターが母校の小学校に出向いて6年生の1クラスに2日に渡って授業をする番組。
テレビで見たことある人が先生だからなのか子供達が素直に授業を楽しんでいる様子が好ましい。
詳しく紹介しているブログがあったので貼っておく。てかすごいブコメ付いてるから今更感が…
http://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/touch/20140516/p1
子供達が今までと違う視点を身につけて少し自由になれたように思えるいい授業だった。
まず自分で思い出せるだけのことを詳しく年表に書き出し、次に家に帰って親に書き足してもらう。ここで「お母さんこんな話知らなかったよ」と親が子の事を知る事が出来たり、子が自分の覚えていない小さい頃の事を親に教えてもらう事が出来たりと、家族にもよいきっかけになっていた。
次の日はクラスメイトがそれぞれの相手に持つ思い出を一つずつ書き加えていって年表は完成。体育館に全員分を貼ってみんなで読んで回って授業終了。「クラス替えの後初めて話しかけてくれた」なんて思い出を書き加えてもらい「そうだっけ?全然覚えてない!」とまた新たな自分を発見。中学校に上がる前に一つのいい区切りとなる授業だった。これは水道橋博士がいなくてもどこでも出来ていいと思った。
1人で登山している。自分は標準タイムの1.5倍と遅いので、後ろから来た人には大抵道を譲る。追い抜かされて、また追いつくことはないし、万が一追いつきそうなら、自分も風景を見たり手前で休憩したりペースを落としたりして、自然な距離を置くことにしている。
先日、近隣のメジャーな山に行った。3連休ということもあり、たくさんの人がいた。空いている時は後ろの人に先に行ってもらったが、とにかく人が多いので、私も前の人のペースに気をつけていて、後ろを気にしていなかった。そんな時、真後ろにぴったり付かれた。嫌だったので、とりあえず先に行ってもらった。その人たちは速いペースで追い抜いていった。少し先で、その人たちは写真を撮っていた。今度は私が追い抜いた。また、その人たちが私の後ろにぴったり付いた。「なかなか靴紐が結べないねぇ」と、1人が言っていた。この時私はこの人たちが嫌になり始めていたが、先に行ってもらった。その人が、また少し先で道にしゃがんでいた。靴紐を結んでいる。私は困惑した。なぜ追い抜くまえに直さないんだ。また私は追い抜いた。その先で、その人のツレが歩いていた。しばらくして、後ろからその人がやってきて、ピタリと私の後ろに付いた。私は、こうなることがわかっていた。もう道を譲らなかった。しばらくするとツレが立ち止まり、私は抜いた。真後ろででかい声で話していて、また譲ってくれというアピールを感じたが、そんな義理はなかった。道が広くなったところで抜いていった。しばらく歩くと足をさすってベンチに座っているその人たちがいた。私は抜いた。そしてもう、抜かされることはなかった。
聞き役は話を拾う役なんだから、単語から連想して更に相手が拾いやすいワードを散りばめた返事しないと。
「このローストポーク美味しいですね」→「そうでしょ、僕これ好物なんだよ」
→「豚肉好きなんですか? そういえば昔、九州で食べた豚肉がすごくおいしかったんですよ」
みたいな感じかな。
そこから九州のどこにいったの? 何を食べたの? とか相手も話を広げられる。
九州自体の話になるかもしれないし、料理法の話になるかもしれない。
「どこいったの?」→「鹿児島です」→「あー、今桜島怖いよね、噴火するかな?」→「どうでしょうね、でも山登りとか今怖いですよね」→「○○君は山登りしたりする? 実は俺よくいくんだけど……」みたいにどんどん転がしていけばいい。
>何のために生きているのだろう。
それを考えるために生きてるんだよ。
>壁のシミを睨みつけながら、そんなことをぼーっと考える日々が続いている。
壁のシミを睨むために今日を生きてるんだよ。
>こんなものは本来、中学生あたりで卒業すべき問いなのだろう。
過去を振り返るために生きてるんだよ。
>けれど、僕は中学生でそれを考えることをしなかった。なぜか。その頃は、それなりに生きることを楽しんでいたからだ。
>生きることが楽しいなら、生きる理由などを、わざわざ理論武装する必要もない。楽しいから生きる、それで十分な理由に成り得る。
それを考察するために生きてるんだよ。
>少し前まではその素朴な考え方で十分だった。でも今は違う。
それを否定するために生きてるんだよ。
>今になってこんなことを考えているのは、お察しの通り、人生がつまらなくなったからである。辛いからである。
察されている立場からの不利である状況説明のために生きてるんだよ。
>最初はその辛さから逃げようと思った。意識を低くして、できるだけ慎ましく生きようとした。
自身の貢献度について外界に知らしめるために生きてるんだよ。
>人と接するのは辛い。だから友達は作らない。勉強するのは辛い。だから勉強はしない。
>そうやって、辛さからの逃避計画を少しずつ遂行していった。それとともに、もともとあった些細な生きる喜びは、ますます少なくなっていった。
自身の不利な状況は自身の努力によって改善されていない現状を訴えるために生きてるんだよ。
>それでも良かったのだ。幸福でもないが不幸でもない人生。悪くないだろう。
結果を甘んじて受け入れる自身の寛大さをアピールするために生きてるんだよ。
>そうして、2年が経った。
二年は生きていることを確認するために生きてるんだよ。
>惰眠を貪り、相変わらずぼんやりと液晶画面を眺める毎日である。学校にはすっかり行かなくなり、このままいけば、留年まっしぐらだ。
自身の比較的困窮した私生活をなんらかの期待をこめて紹介するために生きてるんだよ。
>ネットはそれなりに楽しいし、自分を邪魔立てするものは何もない。幸福でもないが、不幸でもない毎日。なのに、なぜか辛い。息ができない。
しかし救済の余地がありそれは大きく早急に必要であることをアピールするために生きてるんだよ。
>こんなはずじゃなかったのだ。
他に得られるべき快適な環境があったはずでそれは何かによって剥奪されたことを訴えるために生きてるんだよ。
>やはり、辛さから逃げようとする態度が良くなかったのではないか。人生とは本来辛いもので、それから逃げようとするのがそもそもおかしいのではないか。
自身の選択肢が問題であることと同時にそれは不可抗力であったことを考察するために生きてるんだよ。
>そう考え直したところで、僕には辛さと戦い続ける気持ちには全くなれなかった。
自身に問題があったとしてもそれはさておき、世界が自分を救済すべきであるという立場を説明するために生きてるんだよ。
>「私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起こしているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。」
そんなのしらない。
>この一節に、僕はすごく共感する。
自分の好みを外界に向かって発信するために生きてるんだよ。
>僕は今、ひどく腹痛で苦しんでいるので、山を登らない。どうせ登らないから、山頂の見はらしなんて大したことないだろう、と酸っぱい葡萄式に世界を俯瞰している。
協力がなければいつまでもここにいるということを発信して救済しやすさを向上させるために生きてるんだよ。
>だから、僕にまず必要なのは、腹痛のあとの、見はらしの良い景色だ。辛い山登りの後の、至福の一瞬だ。
必要なものを具体的に提示することで提供者が現れる確率を大きくするために生きてるんだよ。
>とりあえず、部屋を出ることから始めよう。
できもしないことを言ってみる自分がかっこいいと陶酔するために生きてるんだよ。
どう?わかった?
人が生きてるっていう意味みたいなのは総計の代名詞でひとつですまないし、意味をひとつにしようとしてついでに欲求願望を垂れ流すための接頭語なんだよ。
生きてる意味を、毎秒毎に全部知りたい?
たった一秒でも意味を失って生きていない状態になる人、そんな選択肢、そういう運命に出会う人はいるんだよ?
知って絶望したりしない?
何のために生きているのだろう。
壁のシミを睨みつけながら、そんなことをぼーっと考える日々が続いている。
けれど、僕は中学生でそれを考えることをしなかった。なぜか。その頃は、それなりに生きることを楽しんでいたからだ。
生きることが楽しいなら、生きる理由などを、わざわざ理論武装する必要もない。楽しいから生きる、それで十分な理由に成り得る。
少し前まではその素朴な考え方で十分だった。でも今は違う。
今になってこんなことを考えているのは、お察しの通り、人生がつまらなくなったからである。辛いからである。
最初はその辛さから逃げようと思った。意識を低くして、できるだけ慎ましく生きようとした。
人と接するのは辛い。だから友達は作らない。勉強するのは辛い。だから勉強はしない。
そうやって、辛さからの逃避計画を少しずつ遂行していった。それとともに、もともとあった些細な生きる喜びは、ますます少なくなっていった。
それでも良かったのだ。幸福でもないが不幸でもない人生。悪くないだろう。
そうして、2年が経った。
惰眠を貪り、相変わらずぼんやりと液晶画面を眺める毎日である。学校にはすっかり行かなくなり、このままいけば、留年まっしぐらだ。
ネットはそれなりに楽しいし、自分を邪魔立てするものは何もない。幸福でもないが、不幸でもない毎日。なのに、なぜか辛い。息ができない。
こんなはずじゃなかったのだ。
やはり、辛さから逃げようとする態度が良くなかったのではないか。人生とは本来辛いもので、それから逃げようとするのがそもそもおかしいのではないか。
そう考え直したところで、僕には辛さと戦い続ける気持ちには全くなれなかった。
「私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起こしているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。」
この一節に、僕はすごく共感する。
僕は今、ひどく腹痛で苦しんでいるので、山を登らない。どうせ登らないから、山頂の見はらしなんて大したことないだろう、と酸っぱい葡萄式に世界を俯瞰している。
だから、僕にまず必要なのは、腹痛のあとの、見はらしの良い景色だ。辛い山登りの後の、至福の一瞬だ。
とりあえず、部屋を出ることから始めよう。
いや、ちょっと待て。人は見かけで判断しちゃいけないな。ちょっと調査してみるか。
とりあえず記者会見の動画見るか。 Youtube に上がってる?これか。
あと Twitter やってるか検索。うーん、Twitter はやってない。
ほとんど関係なさそうなページばっかりだな。お、これはデザイン会社のサイトか。
ウェブサイトの作りはテンプレっぽいし更新されてないから会社の規模は小さそう。
会社概要どこだ?資本金の表記ないな。なんで隠してんだよ。1円起業かおい?
主要取引先はけっこう大手が混ざってるな。ほー、いくつか有名な賞とかもらってるんだ。
大手で実績作ったエースが独立して個人経営してるってとこか。そこそこ儲かってんだろうな。
お、タイムラインに続報きてるな。
Facebook やってんのか。山登りしてるんだ。妙義山や八海山に登ってる?どこだそれ。すごいのかな。
へー、雪洞作ったり山頂目指したりするのは遭難時のセオリーなのか。アウトドアの達人って言われてるな。
ふんふん。へー。そうなんだ。なるほど。けっこうしっかりしてるんだ。
入山届は出してなかったのか?そこは減点だな。それ以外は慣れてるっぽいのか。なるほどなるほど。
しっかり準備はしてるようだし経験もそれなりにありそうって言われてるな。
服装はちゃらいけどこいつはしっかりしてるやつだ。記者会見でも反省している様子だし。
よし、90点。他人様に迷惑かけてるけど90点なら合格だ。こいつは叩くとこないな。
ただ入山届けの件は問題だな。ここだけは言及したほうが良さそうだ。山を甘く見てるやつらへの警鐘として。
しっかしテレビの連中は会見なんかさせて吊し上げるなんて卑怯だな。外見だけで判断するなんて差別だ。
なぜそうなるのか考えてみる。
これは本当に深刻なレベルの人が多い。
正直な話、大学すら出ていないとなると会話が通じる自信がない。
『トートロジー』『加藤周一』『構造主義』『リーマン積分』『尤度比検定』『緑の革命』
このどれか1つすら知らない人ってのは、正直会話できないと思う。知的レベルが低すぎる。
頭のよさどうこう以前の、「硬い文章なりを読みこなしたり調べたりして理解する」っていう過程を踏んできていない人間に議論なんて絶対無理。
「本当に頭のいい人の文章は分かりやすい!」って聞いて、「じゃあなんでお前の理解できない数学の本があるんだよ」ってのがスッと理解できない系の人には話が通じない。どれだけ簡潔で理路整然としてても受け手に理解力がなかったり理解しようという力が無かったりすると話なんて通じない。
そりゃ、日常会話は表面的にってならできるかもしれないが。
装備なしにエベレスト上るようなもので、知識なしである程度以上の会話ってのはできない。
エベレストに自然体では登れないように、人間の脳みそってのは高度な思考を自然にできるようにはできていない。
これがわからない人が多い。
たとえば、アルコールで酔っているときに、数学なり解けるだろうか?意識としてはどんなにクリアに思えてもできない。
それと同じで、脳みそが正常に働かない状態の精神状態や脳みその状態で考えようとしても、無理。
③未成年
こうなると、まともな思考は厳しい。殆どできない。
中二病にコツコツしたトレーニング方法を教えても意味が分からないだろう。
④男女差
差別するつもりはないが、女は男に比べて単純な空間把握とかができない。なので、話にズレが生じてくる。
また、感情の処理も男に比べて女はできない。
人類が生み出してきた『議論』って手法は男の脳みそに合わせて作られたフシがあるので、女には厳しい。
女独自の思考方法もあるし女の思考力がすぐれないとは思わないが、現状作られたフォーマットには女は適さない。
たとえば、スポーツというフォーマットでやってしまうと女が男に平等な舞台で勝つのは厳しいように、議論っていうのはちょっと女には向かない。筋肉と同じく女は脳みそは伸ばしにくい(もちろん、音楽とか感性とか経営管理とか、そういうのは明らかに男より優れる部分も多いと思う)
スポーツが男の仕事だとすぐ納得できるならば、議論も男の仕事と考えてほしい。女は同じ土俵ではまず勝てない。
⑤議論と交渉の差がわからない。
議論ってのは、ある一定の知識を前提に合理的に話を進めていけばいいんで、そこに感情とかいらないんだけど。
交渉となると話が全然違う。
この場合、Bがかつ。勝っているのは議論ではなく、交渉。
なぜBが勝ってしまうのかというと、「話を破たんさせている」から。
Aは正しい正しくないは別として、話を積み重ねていけば、エアコンの温度を下げるっていう行動にある程度の意味合いを持たせうる。Aは議論を吹っかけている。
たいしてBは、「この話をまとめると嫌なことになる」→「話を崩壊させてしまう」という手法を取り出す。Bの話に正しさとか論理とかまったくないんだけど、Bは自分の感情を通すために交渉を吹っかけている。
そもそも、議論に感情が出てくること自体がおかしいのだけど、Bのように知的レベルが低い、あるいは知的レベルが高いけど交渉でご破算にさせてしまうっていうのに味をしめている人は、Bのような態度に出る。
一度暴力でものを通してしまった子供は、ずーっと暴力でものを通そうとして成長が無くなってしまう。それと同じで、交渉に頼って学ぶことを辞めた人間はこうなってしまって、話が通じなくなる。
①たいていは60%できれば合格する。
ってことで、80%の領域を80%の精度でできれば、80%×80%=64%で、十分なマージンを持って合格できる。
他にも、30%×90%+20%×80%+30%×60%=27%+16%+18%=61% とか、できないところはできないで放置しても十分合格は目指せる。
最初から100%を目指さない。むしろ一発目はどこをどれだけやってどこを捨てるかを決めるためにあるようなものwそんなガチでやらずに、さらっと適当にさっさと終わらせる
②やればできる=先行逃げ切りできてる
やらなきゃいけない量の30%を、締め切りまでの時間の20%の時間でできていれば、先行逃げ切りは決まっているし、「やってできている」と言える状態になっている。
たとえば、3時間しごとしようとして、最初の30分になかなか取り掛かれないというように、メンタルはスタートを遅くする。
だから、メンタルが折れているときはスタートまで30分かかることを見越してじっくりやる。
これが、焦って最初の15分くらいでできないできないと焦りまくっても駄目。そこで逃げて別の事始めるとまた最初からになる。
メンタルが折れているときは、最初の時間はお茶しながらパラパラやる程度に抑える。
逆にメンタルが折れてなければ普通にスタートできるので、隙間時間もちゃんと使える。
がしかし、トレーニングしてない時間に次のトレーニングのやり方を考えたり、今やったトレーニングの反省をじっくりしたり。
トレーニングのイメトレをするほどケガが少なくなったり効率が上がる。
今日生きて積み重ねたことが意味があったか?を尋ねてみると、復習にもなるし、想起しやすくなる。また満足感も得られる。
山登りややってる時は苦しいが、上り終わったらやってよかったなって思うもの。一日も、目の前の事だけやってると苦しいが終わってみるとやったなってのは感じる。上ってる最中は山の形や高さは想像もできないが、終わってみると達成感として全体が俯瞰できる。
なんでもいい、
「今日帰ったら漫画描くの楽しみだなー、そのためのネタ考えるの楽しいなー」
「今週末山登り行くぞー。楽しみだなー」
そのくらいでいい。
なんか、欲しい。
計画性が足りないんだろうか。
いつも追い詰められているような。
いや、今結構追い詰められる時期だからしょうが無いのかもしれないけど、余裕なさすぎだろ俺。
風呂、飯、寝る。 このあたりがもう少し充実しないかなあ。 もっと肯定的に受け取りたいはこの日常を。
<追記>
ああ、なるほどな。
「○○したい!」→「ああ、それ能力的に結構きついし、疲れるよ」