はてなキーワード: 家長とは
http://anond.hatelabo.jp/20161113105839
家長制度が崩壊してダメになったと言われる若い世代が父親になって家長になってええんかという疑問と
教育コストのかかる今は一家を満足に養えるほどの金銭力を持った父親の存在は難しく、金もないのに偉そうにして尊敬されるかという疑問がある
結局は、家長になれるような立派な精神と能力を持った人を育てるための教育が必要なのだから
教育に力入れないとだめじゃない?
昔の父親は(暗黙の)制度のおかげで強かったのか、制度なかったら雑魚なのかって話にもなる
そういう都市と田舎でライフスタイルが違っている中、家長制度を復活させたらどうなるんでしょうね?なんか地獄絵図が見えるんですが、かといって、そういう方向へ進むのをおしとどめるようなパワフルな反論が見当たらないのです。
トランプトランプ言ってる人が多すぎるみたいだけどはっきり言って過大評価しすぎ。
トランプは本気で移民排斥とか完全保護主義とかしようと思って大統領になったわけじゃなくて、そういう主張すれば低学歴で低収入の人間に受けるってわかってたからそうしただけ。
株価とか円が一日で戻ったのも結局たいしたことはしないって判断した利口な人が多かった証拠。
日本でもトランプに続け!鎖国的保護主義とか家長制度復活のきざし!とか鼻息荒くしてる連中がいるけど、それは次の選挙でいいように利用されて票集めのお題目にされるだけ。
トランプに投票した低所得層はそれで勝った気分を味わえたけど、それ自体がただのガス抜きだったことに気づいてない。
そもそもで自民党の家族の復活とか言ってるのは、ただ介護とか看護とかを家族におしつけて社会保障費を減らしてたいって浅ましいところが出発点だからものすごく論拠の根が浅い。
家長制度って、「個人」→「家族」→「社会」の間にある「家族」という枠組みを強化しようってことなんだと思ってます。
個人主義は、その「家族」の縛りをゆるくするってことで、責任を「個人」に帰属させるとも言えるかな。
こんなのでいい?
ねえ、みんなに聞いてみたいんだけど、日本会議あたりが提案している家長制度って、そんなに悪いもんなの?
というのも、アメリカのトランプの勝利とも関係してるんだけど、日本は日本でかなりリベラルというか個人主義に寄りすぎて、不満がたまっているんじゃないかと思うんだ。
個人的には家長制度でも個人主義でも、社会的に殺される人、社会的に活かされる人、どちらも発生すると思う。
家長制度のもとであった「(長野の山奥で行われていた)次男坊以下の人を地下牢で一生を過ごさせる」なんていうのはひどいもんだけど、個人主義・自由主義下では、それが見えにくくなってるだけじゃないのかな?
たとえば、個人主義ではみんな社会に出て稼がないといけないわけだけど、みんながみんなそういうのに向いているとは思えない。逆にそういう人が家にいて、子育てなんかの戦力になったほうがいいんじゃないかと思うこともあるわけだよね。
他にも自由恋愛のせいで、パートナーを見つけられない人もたくさんいるけれど、家長制度であればお見合いが主になるから、日本における「最大多数の最大幸福」はそっちのほうが実現しやすいんじゃないかと思ったり。
元々、日本は家長制度を採用していたんだよね。それが経済成長で余裕が出てきたから、個人主義の台頭を容認できたんじゃないのかなぁ。もちろんそれはその時点での最適解だったと思うんだけどね。
でも、これからさきは人口動態やグローバル化の影響で、経済的に縮小していくのがだいたい確定しているわけだよね。そういう膝を抱えて縮こまるときに、コアとして残るのは旧来から慣れ親しんでいるコンセプトのほうじゃないの?特に田舎は家長制度との親和性はまだまだ高いわけだし。
そう考えると、日本の戦後個人主義のピークは、2000年後半の民主党が勝利したときがピークで、ここから先は揺り戻しなんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう?リベラルの人たちはこれに対する有効な(これを跳ね返せるだけのパワフルな)反論って持っているのかな?
家父長制ってのはアレだよな、家族の生き方は家長が決定しまーすっていうシステムだよな。それが個人の自由な生き方を阻害してるってのはわかる。スゲーよくわかる。
直接的に言うことを聞かせるんじゃなくても、別に言う事聞かなくてもいいんですよ? 自力で生きていけるならね? みたいなのがクソってのは超よくわかる。人生ハードモードになること知ってて、あるいはノーマルモードでも生きていけないようにしておいてそういうこと言うのほんとクソですよ。
家父長制はクソ。うん。それはわかる。わかるんだけどさあ……
誰かを批判するときに「うんたらかんたらは家父長制的な発想でどうたらこうたら〜」っていうような意見よく見るんだけど、そのうんたらかんたらが家父長制的かどうかぱっと見よく分かんないし考えてみてもやっぱりよくわかんない、そういうこと多いんだよね。
もっと悪いのが「うんたらかんたらは、これこれこういう理由でダメです」みたいな話をしてへーなるほどダメなんだなーって思ってたら「こういうのはいかにも家父長制的でそういうことを言ってるこいつが言ってるあれもこれもとにかく全部ダメ」みたいなやつ。お前がそいつ嫌いなのはすげーよく分かったけど、今家父長制すっげー唐突に出てこなかった? いいの? そこを軸に別の話にもっていっていいの? 信憑性なくない? 今まであった信憑性まで放り投げてない?
それはあれなのか? 感じないとダメなのか? 「この感じ……家父長制……!」みたいな感じで感じ取れないと議論に参加できないの? ジェダイかよ……そういうのやめてくださいよ……ついてけませんよ……
そこちゃんと「うんたらかんたらはカクカクシカジカの理由で家父長制的です」って説明してほしい。そうしてくれたら納得できるし。
自分そこまで老人じゃないから関係ないなーと思っていたんだが、
んで、障害者年金とか遺族年金貰っている人もさんまんえんがもらえるらしい…。
ウチは障害者年金受給者(私)と遺族年金受給者(母上)がいるので、
上手いこといけば二人分でろくまんえん…。おおう。
申し込みとかは老人向けとかが終わってからの話になるみたいだけど。
いつも給付金は家長である母上に吸い上げられてしまって、手にしたことはないのだけれど、
今回は何とか手にしたい>さんまんえん。
何せ本人、65歳にあと1年届かなかっただけで老人向けの給付金がもらえないーと悔しがっていたので。
嫁いでから1年ちょっとだけど、同じ県下の自分の家には月1でしか帰らないが、同じ市内の義実家には週2以上帰っている。
昨日も、「今日~明後日まで、義実家で泊まるけど、どうする?」と言われたが、
もうエネルギーが尽きていて、「お出かけは一緒に行くけど、泊りはやめておくね」と言ったら、ものすごい罵詈雑言を浴びせられた。
私だって、自分が専業主婦で時間が有り余っていて、夫の稼ぎだけで暮らしているなら、昔の人のように家長に従うけどさ。
月~金まで働いて家事もする兼業主婦が、土日は義実家で過ごして、自分の好きなこともできないってなんだよ!と思ってしまったんだよ。
仲良くしなきゃいけないのはわかっているけど、さすがにもう疲れてしまった。
義実家の人たちも、いい人なんだけど、付き合いだって1年ぐらいの年上の人たちと、そう簡単に打ち解けられる性格じゃないんだ。
夫の方は、GWは10日くらい義実家で連泊する算段らしく、「それはさすがに気を遣うし疲れてしまうから、連泊は無理だ」というと、俺の要望はいつも聞いてくれない!とわめく。
嫁ぐというのは、やはり、自分の意思を捨てて、夫色に染まるということなのだろうか。
追記
コメントもトラバも読みました。こんなにご意見をいただけるとは。ありがとうございます。
小町は男性が極端に少ないので、元増田のみなさんにお聞きした次第です。
昨日、80歳の祖母に「あなたの旦那さん、マザコンだから心配してたのよ」と言われ、
家制度があった時代、同居が当たり前の時代に生きていた年代の人にさえ、こう言わせるうちの夫が異常なんだな、とわかって肩の荷がおりました。
なんとか、生き延びてみせます。
http://1-az.com/mt/sexual/555_1.html
母系大家族制度は、祖母(おばあちゃん)が家庭の中心で、一族の資産を管理します(家長と財産は、代々女性に引き継がれていきます)。家族全員が祖母(おばあちゃん)の血を引き、結婚という制度をとらず、男は、妻を娶(めと)らず、女は嫁(とつ)がず(お嫁にいかず)、生まれた家で、母親、兄弟、姉妹と、生涯を一緒に暮らす女の国です。
~
男性は、子どもの養育義務も無く、父というよび方も無い存在です。
~
この地に住むものにとって、何の疑いも無く女系社会は最高に良いといいます。女は自立するし、好きな母親、家族と生涯助け合って過ごすことが出来るし、子どもも全員で育てるから素直で良い子になるといいます。
うちの両親は思想的な理由からだと思いますが、婚姻届は出さずに夫婦別姓を通していました。そして自分は生まれたときから母親姓です。役所の書類上は父親から認知もされていません。
なぜか分かりませんが、小学校時代に「田中君のお母さんの旧姓ってなに?」と同級生が聞かれたりすることがありました。また様々な提出物の保護者欄に父親の氏名ではなく母親の氏名をいつも書いていたため、周りから「田中君ってお父さんいないの?」と聞かれたりすることもありました。
小学生相手に「うちの両親はあえて夫婦別姓を通して」うんぬんと説明するのもあれなので、「うちのお母さんは結婚してないから旧姓はないよ、ずっと田中だよ」とか、「お父さんはいるけどお母さんが強いからお母さんの名前を書いてるよ」と答えていました。
ほとんどの小学生にとって、子供を持っているカップルは普通は結婚しているものであり、結婚したら姓は父親の姓に変えるものであり、保護者欄には母親ではなく家長たる父親の氏名が書かれるものなのです。なぜそのように小学生が思い込むのかは分かりません。同級生の親たちがわざわざそんなことを教えているわけでもないでしょう。恐らく、小学生の彼らは自然と「普通」を感じ取り、「普通」じゃないものに対して敏感に反応するのです。
そしてそのような「普通」じゃない小学生は、自分の「普通」じゃない部分に後ろめたさを感じます。できる限りそういう話題を避けたり、ぼかして答えたりするようになります。父親の職業が普通でないこともあり、この小学生の田中君は友人に両親のことを話すのはあまり好きではありませんでした。母親は専門職でしたが、「うちのお父さんは医者なんだぜ」とか「弁護士なんだぜ」などと自慢する他の子とは違い、両親の話題になるのを避けるため、母親自慢も特にしなかったと記憶しています。
そういう後ろめたさを感じる以外、なにか他に不利益があったかというと、夫婦別姓による不利益は今まで感じたことがありません。もちろん、法制度がちゃんと整備されないまま事実婚を今後選択する人達は、税の控除や生命保険の受取人など、不利益蒙る人も出てくるはずです。しかしそれは法整備をちゃんと行えば良いだけの話であり、子供が受ける不利益というのは思いつきません。
自分の場合に唯一発生した不利益は、「普通」じゃないこと。この一点です。これは夫婦別姓を認めて色々な人がいるのだと小学生も理解するようになれば、母親姓を名乗る子供たちも今後苦しまなくてよくなるでしょう。家族の一体感が損なわれる?どうでしょうね。比較しようがないので比較できません。
サウスパークS19E06、遅ればせながら見ましたが、やっぱ腐女子というか、百合厨もだが、カプ厨が持ってる気持ち悪さってあるよね。
とりあえず、ポリチカルコレクトネスを気にするあまり「俺ゲイに寛大だわアピール」ゲームが行われている昨今、ゲイは過剰にサポートされちゃう、というのが話の本筋だと思うのですが……
カートマンの妖精が再登場している、という点にも注目するべきだと思うんです。
妖精の初登場はS16E07ですが、このエピソードでカートマンは
「あのカップリングってマジいいよね~~~完璧だわ」と腐女子あるいは百合厨さながらの発言をしております。
この発言は、トークンとニコールという黒人カップルに向けられたもので、明確な差別主義的発言ですよね。私も不快感を覚えましたし、カイルたちからもドン引きされています。
しかし、ここでのカートマンの気持ち悪さって、人種差別性から来ているだけではない、とも思うんですよね。
「自分の関係性は棚にあげて」「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」っていうのは、普遍的な気持ち悪さを持っている。という議論は結構されてますが、S19E06もこの筋の話として見れないこともないんじゃないかと。
「次分の関係性は棚にあげて」、におけるポイントは、自分のノーマルさは担保されているということです。すなわち白人(カートマン)だから黒人(トークン)やヒスパニックのカップルを「消費」できるわけで、同様にガチガチの異性愛者だから同性愛も消費できるわけです。
ここでは白人―有色人種、あるいは異性愛―同性愛という権力関係が担保されていない限り、すなわち自分が相手とは違う高位の地平にいるのだという差別意識がない限り、どんな快感も生まれない。
今回腐女子とサウスパークの住人は、妖精と同じような役割を担う存在として描かれました。すなわち、本人たちがその気も無いのに「あのカップリング最高!」と言って、そして「ゲイなのが俺じゃなくてよかった~~(権力関係の発露!)」とこぼしながら強制的にカップルをつくりあげるエートスは、人種差別主義者が「黒人同士くっつけばいいよね~~」と口走るエートスとそれほど変わりは無い。差別主義者カートマンの行ったのあのきわめて不愉快な「カップリング活動」が、今回腐女子を通して再演されているのは興味深いことです。
次は「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」というポイントですが、これは明確に父権的権力の行使に結びついた快感なんですよね。基本的に自由恋愛って、「くっつけ!」っていう力に対する反逆行為だと思うんです。例えば親の決めた結婚相手とか、同じ階級の結婚相手とか、あるいは同じ人種の結婚相手、そういう存在とくっつけ!と強要してくる諸力に対して、断固たるNOを突き付け、「俺はあの子が好きなんだ!」を貫く。これが近代的な意味での自由恋愛だし、そういうのを描くからこそ広義の恋愛文学にはパワーというか新しさがある。これに対して、自分の思い通りの相手と「くっつけ」たがる存在というのは、もうこれはコテコテの父権なんですよね。カップリングワールドを作り上げる快感は、家長が自分の血族を計画的に婚姻させていく快楽と同根だと思う。普通の教育を受けて育った人なら、やっぱりこういう父権的なものって気持ち悪いと思うんじゃないでしょうか。
結論。カップリング厨ってたまたま同性カップルを扱ってるから、昨今の寛容ムーブメントにがっつり乗れてる感ありますけど、その根底にある思想はきわめて保守的・復古的なものなのではないか。すなわちカプ厨の根底には、差別主義と父権主義があり、とてもじゃないがリベラルプログレッシブポリチカルコレクトネス民を名乗れないのではないか、と思う。思った。
まだ小学生に上がる前だけど
「父さん母さんの老後が心配だし地元に残りたい」なんて子に育ってくれればそりゃ気持ちは嬉しいけれど
盆と正月も毎年帰らなくてもいい
それでもどうしても地元がいいっていうなら
ジジババばっかりだし
数少ない若者も
自分は無能さと家庭の事情で大学は東京だったけど就職で地元の糞田舎に残ることになった
(そもそも俺が地元に残ることになったのは無能さ7:家庭の事情3くらいなのでそんなに大変な事情があるわけじゃないんだけど)
息子のことは大好きだけど
大好きだからこそこんな将来性のない田舎になんかいないで家を離れて欲しい
今のところこのことに関して俺も嫁も同意見なんだけど
改めて「この親戚一同が嫌いだなあ」と思った。
「〇〇ちゃん」「〇〇ちゃん」とまあみんなフレンドリーにしてくれる。
しかし彼等と心の通じ合う気分を持ったことが一度もない。
些細なことで笑いあって少し心が通じる、その程度のこと、
そういうのすらあの親戚達に対しては一度もない。
彼等なりに気を使ってくれてるらしい配慮はこちらには全然響かない。
彼等親戚同士のコミュニケーションを見てもぶっきらぼうぶっきらぼう、
あれでどんな風に心が通じ合うのか想像もつかない。
笑いのネタや話題も「誰々が〇〇した」ばかりで抽象的な会話やジョークは皆無。
(たまにしかいかない私にはその”誰々”の解説をしてくれるが、興味ないし知ったこっちゃない。)
「血が繋がっててもここまで絆を感じないこともあるんだなあ」
と毎度感心する。
そしてとっても居心地が悪い。
旅行で泊まる民宿でもあの親戚一同と一緒にいるよりはよほど心が休まる。
評論家の町山智浩は自分の田舎の親戚一同が嫌な奴等だったからという理由で
あの映画のことも「現実はクソなのに美化している」みたいに言って叩いていたが、
私は自分の親戚一同が嫌いだからこそあの映画に夢を見て満足した。
年に1、2回集まるなら十分楽しい親戚一同で
すごい智慧と慈悲のある家長がそれをまとめ上げてるファンタジー。
そこに少し緊張しながらも迎え入れられて一員になるあの話は楽しかった。
授業で近代文学読んでると「あーうちのことだ」って思って冷静でいられなくなる
ひいおばあさんが死ぬまで本当に地獄で、ああやっとこれで楽になるんだ、みんな自由になるんだ…って思ってたけどそんなことなかった
おじいさんおばあさんが家長の座に移っただけだった
何も変わらないどころかもっと悪くなるばかりだ
不動産でお金を儲けて子供にはいい教育を、私立に入れて安心させて
そういうサイクルに乗ってきたことに自信を持ちたくて、孫にまでそれを期待して信じてるのを感じる
小さな頃からお墓まいりのときには「このお墓に入るんだよ」って言われてきたから私は婿をとらなきゃいけないんだーって思ってたけど、全く同じことをすでに母が強いられて焦って結婚して結局何もかもが破綻して、現状離婚すらできない最悪の状態だし
母は経済的に自立していくしかないし、でも好きな男の売れない居酒屋でバイトしてるし、私は母のこと大好きだけど客観的に見ればダメダメだし
私の婚約者は本当にいい人で立派で優しくて思慮深くてこれ以上の人いないって思うけど、彼はおじいさんおばあさんが望むようなタイプではもちろんない
今日も散々遅くまでおじいさんおばあさんに色々追い詰められて、久しぶりに吐き気がするほど泣いた
こういうことっていろんな家にあるのかな?うちだけじゃないんだよね?
おじいさんおばあさんと一緒にいると辛いって言っちゃえばその響きだけでもうヒトデナシだし
早く家を出たい
でもこの家を継いでお墓を守らなくては、そうしなければ祟られる気がする
一番かわいそうなのは母だ
ま、あと何十年かすれば死んじゃうし、そしたら遺産で母と妹とどっかに遊びに行きたいなあ
それまで歯を食いしばって耐えるしかない
弱者男性の主張って
「別に女性に対して悪いこと(もいいことも)する気ないんだからとにかくほっといてくれ、十把一絡げに男性扱いして敵視しないでくれ」ってこと?
それに対するフェミの主張って
「行動上は何もしてないかもしれないけど女性を弱者に位置づけようとする価値観を内面化してないかどうかは一応考えてほしいんだけど」
「考えてくれないなら敵視する範囲に入っちゃうのは仕方がないんだけど」
「とにかく敵視されるのは不満で指摘するにしてももっとお母さんみたいに言ってくれないとイヤだって?なんでケアまでこっちがせなあかんねん……」
てことなの?
日本の父権的社会ってもう1000年単位で続いてきたわけですよ。家長制度、長男継承とかそう言うのね。現存する男性はそう言う利益を受けて生活しているわけです。ですからフェミニズム的には男性はすべて不当に受益しているわけですよ。たとえば資産数千億で広大な土地やグループ企業をもつ政治家の家系ってのがあったとして(げんにあるわけですけど)彼らのその資産ってのは、100年単位の女性搾取で(妻女の人権の犠牲の上で)形成されたと考えることが出来る。だからその分を返してくれ、と。
で、この「返してくれ」という運動を簡単に「男性ひとりあたま50万円かえしてくれればいいよ」ってものに置き換えてみたとしますよね。そうした場合、前述の政治家さん(いわば強い強者男子)はお小遣いで「どーぞどーぞ、フェミ賛成。女性の権利素晴らしい!」っていえちゃうんですが(もうすでに十分金持ってるから)、いまの日本には弱者男性もたくさんいるわけで「なんでおれら受益もしてないのにそこまで憎まれなきゃならんの? 家長制度とかなん? わい遺産も受け取られへんし、っていうか親の介護で鬱なんやけど……」ってなるわけですよね。
もちろんこれは極端なカリカチュアなんですが、フェミニズムのいう「父権的社会による男性優遇の歴史」みたいなのが実感レベルで死んでいる。優遇どころか、男性でいることで不遇がある。弱者男性ってのはその実感があって、そのうえで「男性は優遇されている」というフェミニズムの主張自体がすでにして自分への攻撃に感じていると。