はてなキーワード: 唐突とは
元次官長男とネットで関わり持っていた女性「彼の励ましが心強くて」 - ライブドアニュース
「最後は3通くらいメールが来ていたんですが、忙しくて返すことができていなかったんです。内容は全部、私を励ますものでした。『リアルダウン』という言葉を使っていたんですけど、“自分はリアルダウンも考えたんだけど、ゲームを通して大切な人を見つけることができた。だから大丈夫だよ”っていうような内容で。リアルダウンは“自殺”という意味で使われていたのですが、そんな大きなことを告白してまで、私を励ましてくれた」
両親に日常的に暴行を加えていたという報道もあるが、普段の彼からは、そういった印象は一切受けなかったという。
「激高することもありませんでしたし、何よりも最後のメールにはいま『幸せ』だということが繰り返し書いていました。大切な人というのは“好きな人”ができたという意味だったと思います。だから『いまは幸せですよ』と。
そのメールを私に送った2日後に、彼は尊敬していた父親に殺されてしまった。私には唐突過ぎて理解できなかった。彼は本当に川崎の犯人のような人間だったのでしょうか」
うーむ。
13話までみた
アイドルものに昼ドラをぶち込んだロボットアニメと教えてくれた増田がいたが、その通りだな
そう思ってみると、「なんだこれ」感はだいぶ軽減されて「そういうものか」と思いながら見れた
しかし、巨人さんの内乱をランカちゃんの歌で鎮めるみたいなシーンは唐突すぎてびっくりした。流石にもうすこし伏線というか序章というか、何かこちら側に受け入れる準備をしてからああいうシーンを入れてほしい。
ランカちゃんは可愛いが、ポニテ男はイマイチ受け付けない。女性受けしそうな設定背負わせたラノベ主人公感は否めない。ポニテ男の後輩と同級生はどちらもなんか気持ち悪い。特に後輩はぶりぶりしてて無理。アレを受け入れられる人は素直に尊敬。
あと、シェリルかランカがピンチ→主人公男が助ける、のパターン多すぎ。そんなに要らない。飽きた。キリトくん的なウザさを感じ始めている。
歌はたしかにとても良い。ランカも可愛い。それ以外は要らなくね。SF世界を背景に歌で戦う女の子の話でいいじゃん。ロボとか飛行士とかゴジラみたいなのとか巨人とか、詰め込めすぎや。特に恋愛要素はセンスを感じないので抜いてほしい。
あれは高校2年の夏前だっただろうか。突如として部活同期の中でスクフェス が流行り始めた。これをやったら色々終わると直感でわかった。でもダメだった。面白そうという誘惑に負け、秋に誰にもバレないようにひっそりと始めた。次の年の節分にはもうバレた。それから年末までイベントは確実に2枚どりできるよう頑張った。大学に入ってからも最低でも4枚、通常は6枚取りを目安にコツコツ続けた。
大学1年の夏にラブライブ!サンシャイン‼︎一期の放送が始まった。無印の方は全く本放送をリアタイ視聴できなかったのでワクワクしながら見た。次の年には高校の部活同期と3人で初めて聖地巡礼をした。
大学2年の秋にサンシャイン二期をみた。もう一度沼津に行った。大学3年の冬には劇場版も見た。一人で函館にも行った。
今日唐突な発表があった。自分の大学の知り合いもtwitter上で戸惑い、歓喜しているようだった。
純粋にμ'sへの思い入れが少なかったからなのだろうか。確かに高校の時みんなで映画を見ようとなった時も断ったしファイナルライブが行われた時もライビュに行くわけでもなかった。ただ大学でラブライブ!を知った人間も今日感情をぐちゃぐちゃにしていたのでそんなのは言い訳に過ぎないだろう。
わからない。何もわからない。こういう風に書けば感情が動かなかった理由がわかると思った。でも何もわからない。
もしかしたら自分はラブライバーではなかったのかもしれない。当日に近づくにつれてじわじわと事の重大さに気づいて感情が大きく揺れ動くようになることを期待して筆を折る。
世の中には腐った遺伝子というものがある。もちろん、科学的にはそんなこと認められないってのは分かってる。でも、そうとしか考えられない人間ってのは確実にいる。俺みたいに。
俺は日に何度も、人を殺す妄想に襲われる。
道を歩いていて肩がぶつかったなんて時はもちろん、こっちがしんどい時に幸せそうにしてるやつが目の前にいるだけで、そいつをめちゃくちゃに拷問して虐殺する妄想をしてしまう。
楽しくてするわけじゃなく、自動的に脳が妄想を開始するのだ。嫌な思いをした時だけじゃなく、何でもないような時でも、過去に受けた嫌なことを思い出して虐殺の妄想をしてしまう。
この妄想に耽っている間、俺の顔は酷いしかめ面になる。手は握り拳を作ってわなわなと震える。口から小声で薄汚い言葉が漏れていることもある。すれ違った人が驚いて俺の方を振り向くことはしばしばだ。
一人で家にいる時ならいいが、道端でも会社でもこの状態になってしまう。気づいたらなるべく深呼吸して落ち着くようにしてるが、妄想に囚われて我を忘れている時もあり、どうしようもない。
大人になって気づいたのだが、この悪癖は俺だけじゃなく、父親にもあったようだ。親父は唐突に「殺してやる」と言い出したり、握り拳を振り回したり、机をどんと叩いたりするようなことがあった。
小さい頃は、単に怖い父親だと思っていたが、そうじゃなかった。俺と同じ殺人の妄想に襲われて、それを抑えることができなかったのだ。
このことに気づいた時、俺は怖くなった。ああ、俺は遺伝子が腐ってるんだ。腐った遺伝子が代々受け継がれて、俺という人間を作ってるんだ、と。
同時に親父を許せなくなった。なぜこんな人間が子供なんて作ったんだ。俺は絶対に子供なんて作らないぞ。この腐った遺伝子は、ここで終わりにしてやる。それが世のためなんだ。
そんな考えに囚われて生きてきたから、当然友達も恋人もできない。家族とも疎遠になった。仕事も集中できないので、すぐ辞めてしまう。やがて精神も患った。
精神を病めば病むほど、妄想に襲われる回数も増える。俺は不幸だ、俺を不幸にしたこの社会は許せない、そしてこの社会を構成してるやつらはみんな敵だ、というように思考が進む。
幸い最近は、自分をある程度客観的に見れるほどには、精神が安定している。
しかし、今日の登戸の事件を見て、また自分が恐ろしくなった。犯人の男も俺と同じ「腐った遺伝子」の持ち主だったのではないか。狂った妄想に襲われて、遂に実行に移してしまったのではないか。俺もいつかはああなるのではないかーー
俺に生きている資格はあるのか。あの男のようになる前に、死んでしまうのが世のためではないのか。
やはり、腐った遺伝子は実在するのだ。そして、この遺伝子を持った人間は、この世に生を受けた瞬間から死すべきなのだ。だが、死ぬのはもちろん怖い。ならばせめて、安楽死でもさせてくれたらどうだ。
こんなことを言うと、きっと励ましてくれる人が現れる。強く生きようよ、生きていればいいことがあるよ、と。俺はひょっとすると、そんな風に言ってもらえることを期待して、この文章を書き出したのかもしれない。
誰かに救ってほしいという淡い期待と、俺は死ぬべきなんだという絶望と、俺をこんな風にした社会を許さないという妄想とが、さっきから頭をぐるぐると巡っている。
「志望動機は良いので、あなたが働く本当の意義を5つ答えてください。」これは、とある企業の面接で唐突に聞かれた言葉である。このことを聞かれた際、一瞬頭が真っ白になってしまった。
本来ならば、頭が真っ白になったとしても単純に思い出す、というよりは腹のなかに溜まっているものを取り出すことができれば問題なく回答を続けることができた。できるはずだった。
「自分の知見を広げるため」
ここまでは回答が出来た。ここまでは良かった。(今考えれば「働くという行為の中でわざわざ取り上げる必要ある?」と返されているので全然良くなかったが。)
しかし、それ以上がどう考えても出てこなかった。
詰まりながら無理やり捻り出した言葉が「地域」「日本」という単語であった。
自分が仕事の内容自体は知っていても、それを数あまたとして関わる人たち、会社というものの具体化が出来ていないこと、頭の中での拙い想像でしか考えが出来ていないことを先の厳しい言葉で指摘されてしまった。
何を話し直そうにも、この事実が存在している時点で私の発する言葉は面接官には一言も響かない。
「考えが散漫している」
「自分で何でもできると思っているでしょ。そんなの仕事じゃないよ」
ただただ正論を提示されているだけなのに、半ばパニック状態になってしまった自分にはもう正常な思考が出来なかった。
せめてもの耐えとして表情だけは曇らせなかったが、もはやそんなことはなんの意味も為してないことは自ずより明らかであった。
思えば、自分というものなんて高々20年ちょっとの塵のようなものの積み重なりでしかなくて、そんなもの風が吹こうものなら一度になくなってしまう。
環境にはとても恵まれていた。助けられて、助けられてようやく大学に受かり、サークルで活動して、代表をして、勉強をした。することができた。
それなのに、知らず知らずのうちに「自分の努力だ」なんて励ましの言葉を鵜呑みにして、誇るようになってしまった。
「自信を持っていい」なんてなんて励ましの言葉を鵜呑みにして、尊大な人間になってしまった。
「傲慢」
暴かれたくなかった。
傲慢な自分を見透かされることではなく、「傲慢」という殻の中に何も残っていないような、それこそ芥子粒のような自分が見られたくなかった。
あぁ、就職活動がもはや何を意味しているかすら分からなくなってきた。
すれ違う人々、車内で隣に立つ人々が日々夢や目標に憧れているとは思えない。「会社辛い」「やめたい」なんて言葉が世に溢れているのだろうか。
何で就職活動では謙虚さを求めておきながらリーダー経験、特殊な経験を求めるのだろう。
矛盾しないはずなんだろうけど、そうなんだろうけど、若輩者にそんなのは無理だ。いや、自分が「ダサい」だけか。
「お祈り」はマッチングミスだなんて言葉があるけど、どうやら私は社会とマッチングミスしているみたいです。
何とかして手に入れた経験や体験を「面白い」「すごいね」と評価していながら「お祈り」する人たち。
だからと言って面と向かって否定なんてされたところで潰れてしまいますけどね。
心のどこかで「傲慢」を取り去れば上手くいく、なんて「傲慢」が私を覆っているのです。
自分自身で自分の経験を否定したくない「身の丈」が分からない「世間様」としては善いとされる学歴と経験を身にしたそんなものを自ら捨てられない捨てればいいって言うんだろうお前はそんな体力も気力も心も全部否定と「肯定」という名の否定の嵐ですり減って今にも倒れそうなんだ世間はお前のことをそこまで気にしていやしないと言うだろうだからってそれを観ているのは自分だそう感じているのは自分だそうだよ私は承認欲求がなければ生きていけないんだよ自己肯定感がないんだよ苦しいんだよ苦しすぎて逃げ道も逃げ道への逃げ方も足の踏み方も足の上げ方も全部全部全部見失ったよ
それでも悪いのはこの自分です。
まずセクハラ描写が男の願望だとか真似する奴がいるとかは間違いな
だって男の願望と言うなら今の漫画にはもっと高品質なものがたくさんあるから
凝ったシチュエーションで美少女にごほうびもらったりちやほやされたりさ
セクハラ描写というのはそういう凝ったシチュエーションを描けない作家(妄想力不足であったり照れであったり)がやるソリューションなんだよ
プロとしてお色気的なものを入れたい、けどそれに割ける創作力もページ数も乏しい、
そういうエロいことに奥手な漫画家ほど唐突なセクハラ描写を入れがち
セクハラは触ってゴラー言われて1ページ以内で完結するからエロいことにリソース割きたくない人ほど手軽に感じて採用してしまう
だからセクハラ描写やる漫画家がすけべだとか女を軽視してるとかは必ずしもそうではない
(ポリコレ的な知識があるかどうかとそれらとは実は別のことだ)
女との関係性もコミュニケーションも貧しい昭和前半の男のアクションであり
ワートリのケツさわりだってあんなもんサービスになってないし、トリトン体のスーツとか(熊谷隊の戦いは作画パワーが高くて素晴らしかった)のほうがよほど喜ばれてるわけで
ああいうつまんないセクハラ描写はもはやほっといても滅びていくから一部のまだやってる漫画家のことは旧弊を脱せない老人として生暖かく見守ればよい
そしてあれが喜ばれてるとか真に受けられてるとかいう珍分析を披露していた一部の女性は
たぶん男性とあんまり付き合いがないしコンテンツとしての性的なことに対する感性も鈍い、つまりセクハラ描写するような漫画家に負けず劣らずの奥手な昭和人間だと思う
私は一時期、小さなギャラリー兼レンタルボックスによく行っていたのだが、そこでボックスを借りて作品を売ったり、作品展をやったりしている人たちが不思議で仕方なかった。その作品は、手作りアクセサリーだったり、写真だったり、手芸作品だったり、アートなのか何なのかよく分からない物体だったりした。ちょっと不便で入りにくいところにある小さなギャラリーで、その代わりギャラリー代がかなり安くて無審査だった。自分もお付き合いでギャラリーのグループ展に参加したことはあるけれど、あくまでもワン・オブ・ゼムに過ぎず、自己満足でやっているという感じしかしなかった。
これはご本人達に聞くよりオーナーに聞いた方が早いのかも知れないけど、「お金のためにやってる」と言い切れるほど儲かる場所には見えなかった。一部の人の作品のクオリティはかなり高かったけれど、それならばもっと立地のいいところで、宣伝になるようにやらないと意味がない。あくまでも作るのが楽しいからやっているというなら止めないけど、これだけで生きていこうとするとかなり厳しいとお見受けした。それでも手作りアクセサリーなどで人気のある人は、他のレンタルボックスにも作品を出したり、デザインフェスタみたいな大規模イベントで作品を売ったりしていた。ちょっとしたお小遣い程度にはなるのだろうか?
そして質問その2「作品を作り続けるモチベーションはどうやって維持してますか?」
これ。本当に不思議でしょうがないのだ。私が行っていたところ以外でも、結構あちこちのギャラリーで分かる人にしか分からない作品をせっせと展示している人たちがいて、それなりに格の高いギャラリーではギャラリー代も相当かかるし、沢山の作品を事前に提出してギャラリーの審査に通らないとそもそも展示できない。だいたいどの作品にも値段がついていて、買いたい人は買えるようになっているのだが、わざわざ買って帰って家に飾りたいと思えるものはそうそうない。もっとも私は著名な画家や写真家の作品(複製を含む)であっても、同じものをずっと飾り続ける趣味がないのであまり参考にならないかも知れないけど。どっちかといえばカレンダーみたいに一ヶ月ごとに違う絵が見られるものの方が好きなのだ。
それにしても、私は子ども時代、手作りが大好きだった。折り紙とビーズ細工にはかなり熱中した。子ども時代…といっても高校生になっても続けていたし、当時はわりと高度(?)な作品も作っていた。折り紙だと連鶴(一枚の紙に切り目を入れて、何羽もつながった鶴を折る)やユニット折り紙(沢山のパーツを折って組み立て、さまざまな立体を作る)をやっていたし、ビーズではビーズフラワーなるものを作っていて、ビーズで花びらなどを作って花の形に整え、茎に刺繍糸を巻き付けてまとめて仕上げたものをコサージュにしたり、小さな花束にして人さまにプレゼントしたりしていた。
が、正直作る作業が楽しくてやっていただけで、作り終わった作品はどうでも良かった。人さまにあげたり売ったりするほどの出来でないものも多かったし、折り紙はかさばるわりにつぶれやすいので、運搬や保管が難しかった。でも今ならば、手作り作品をブログで発表したり、ハンドメイド作品販売サイトで売りに出したりすることができる。そんなにお金に執着しなければ値段を安く設定すれば良い。だが、自分のモチベーションがすっかり下がってしまい、地道に作品作りに励むことができなくなってしまった。老眼になって細かい手元の作業が苦痛になったとはいえ、だいたい定時に帰れる職場にいて、時間の余裕はあるはずなのに、何も作れない自分が情けない。ちなみにいまだに折り紙やキレイな柄の包装紙などには目がなくてついつい購入してしまい、材料だけが増えていく状況である。誰か私のやる気スイッチのありかを見つけてくれないだろうか。
非常によく分かる。
KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-はキャラクターを追ってきた人間にはまだ評価されているが、その勢いのあるストーリーや伏線の回収、感情を揺さぶる説得力を楽しみに見ていた人間には不評という印象です。
自分が気に入らないのはプリズムのきらめきが失われた後、観客の歌で唐突に復活するシーン。いやーレインボーライブでの彩瀬なる感動のライブはなんだったのかとがっかりしたし、歌で復活するってのは、みんな友達、みんなアイドルのプリパラでこそ効果を発揮してファルルが復活する。プリパラでは説得力あるけどキンプリでその論法出してきても唐突だし説得力のかけらもありませんねぇ。と冷めた目で見てました。
何がリンクとエンゲージやねん。そういう舞台やショービジネスと添い遂げる!みたいな覚悟を持ったエピソードってせいぜいユキノジョー先輩くらいだったのでは…(逆にいうと、ユキノジョー先輩の脚本が完璧過ぎて他の話にもそれくらいのクオリティを期待してしまった…)(例えばミナトの話は好きよ。でも、リンクとエンゲージ!というほどの覚悟を表現するのとはまたちょっと違うよねという話)
今回はアホかって思うくらいエヴァオマージュたっぷりだったので、TV版が終わる辺りで、総集編映画と新作の予告が入るんじゃないですかね!このままじゃ終わらないって信じてるからな!期待してるぞ!!!!!11!!
pixivで絵を探してたら
よくある「令和になったことだし描いてみましたー」的な投稿があったんだけど
そのコメント欄に唐突に「独裁者アベのせいで日本は令和で終わる!」みたいな政治批判マンが登場してて困惑した
おそらく本人的にはスパムではないつもりのようだが…
「話は聞かせて貰いましたわ!」
「じ、じょ、ジョウ? なぜここに? 話を聞いていたって、どこで、どうやって……」
フォンさんは娘の電撃来店に慌てふためく。
この場に居合わせているだけのタケモトさんやマスターは尚さら事態が飲み込めない。
「あー、えーっと、ですね……」
「お父様、ワタクシはここ最近、不思議でしたの。お父様の『キュークール』に対する、病的なまでの活動。ただハマったというだけで納得するには、あまりにも異常でしたもの」
センセイが順を追って説明しようとしているのに、ジョウ先輩はそれを遮って一方的に語り始めた。
自分の述懐を優先させるところはフォンさんと似ていて、やっぱり親子って感じだ。
「あそこまで執着していたのは……ワタクシのためでしたのね、お父様」
だが俺たちにはまるで理解できない。
「な、なんのこっちゃ……誰か、誰か説明してくれよー!」
タケモトさんの悲痛な叫びが店内に木霊した。
それから語られる、ジョウ先輩の断片的な思い出話。
それを俺なりに組み立てると、こんな感じだ。
自分の考えを表に出さず、行動も控えめで周りに言われたことしかやらない。
口調も普通だ。
それは親に対してもほぼ同じだった。
フォンさんは仕事で忙しく、家にほとんどいなかったため娘と会話すらマトモにできなかったんだ。
年頃の親子とは思えないほど、二人の関係には距離ができていた。
しかし、そんな状態を『キュアキュア』とかいう、当時やっていたアニメが救う。
ジョウ先輩はその映像に魅了され、時に親の忠告を無視するほど熱中することもあった。
しかし、そんな困った状況をフォンさんは逆に喜んだ。
だから、その心を育むため、フォンさんは娘の趣味を咎めなかった。
娘が好きなものを好きなように愛せるよう、怖気づかせないように、その姿を見せ続けた。
何となくだが、ようやっと話が見えてきた。
フォンさんの『キュークール』に対する愛情表現は、その頃の“クセ”ってことか。
子供の趣味を、子供のように大人が楽しむには、多少の羞恥心は気にしてられない。
ひとまず、どっかそこらへんに置いておく必要がある。
多少やりすぎでも、娘がそれで自信を持ってくれれば、と。
だけど、フォンさんは置きっぱなしにしてしまった。
どこに置いておいたのか忘れてしまったんだ。