2019-05-28

世の中には腐った遺伝子というものがある。もちろん、科学的にはそんなこと認められないってのは分かってる。でも、そうとしか考えられない人間ってのは確実にいる。俺みたいに。

俺は日に何度も、人を殺す妄想に襲われる。

道を歩いていて肩がぶつかったなんて時はもちろん、こっちがしんどい時に幸せそうにしてるやつが目の前にいるだけで、そいつをめちゃくちゃに拷問して虐殺する妄想をしてしまう。

楽しくてするわけじゃなく、自動的に脳が妄想を開始するのだ。嫌な思いをした時だけじゃなく、何でもないような時でも、過去に受けた嫌なことを思い出して虐殺妄想をしてしまう。

この妄想に耽っている間、俺の顔は酷いしかめ面になる。手は握り拳を作ってわなわなと震える。口から小声で薄汚い言葉漏れていることもある。すれ違った人が驚いて俺の方を振り向くことはしばしばだ。

一人で家にいる時ならいいが、道端でも会社でもこの状態になってしまう。気づいたらなるべく深呼吸して落ち着くようにしてるが、妄想に囚われて我を忘れている時もあり、どうしようもない。

大人になって気づいたのだが、この悪癖は俺だけじゃなく、父親にもあったようだ。親父は唐突に「殺してやる」と言い出したり、握り拳を振り回したり、机をどんと叩いたりするようなことがあった。

小さい頃は、単に怖い父親だと思っていたが、そうじゃなかった。俺と同じ殺人妄想に襲われて、それを抑えることができなかったのだ。

このことに気づいた時、俺は怖くなった。ああ、俺は遺伝子が腐ってるんだ。腐った遺伝子が代々受け継がれて、俺という人間を作ってるんだ、と。

同時に親父を許せなくなった。なぜこんな人間子供なんて作ったんだ。俺は絶対子供なんて作らないぞ。この腐った遺伝子は、ここで終わりにしてやる。それが世のためなんだ。

そんな考えに囚われて生きてきたから、当然友達恋人もできない。家族とも疎遠になった。仕事も集中できないので、すぐ辞めてしまう。やがて精神も患った。

精神を病めば病むほど、妄想に襲われる回数も増える。俺は不幸だ、俺を不幸にしたこ社会は許せない、そしてこの社会構成してるやつらはみんな敵だ、というように思考が進む。

幸い最近は、自分をある程度客観的に見れるほどには、精神が安定している。

しかし、今日登戸事件を見て、また自分が恐ろしくなった。犯人の男も俺と同じ「腐った遺伝子」の持ち主だったのではないか。狂った妄想に襲われて、遂に実行に移してしまったのではないか。俺もいつかはああなるのではないかーー

俺に生きている資格はあるのか。あの男のようになる前に、死んでしまうのが世のためではないのか。

やはり、腐った遺伝子実在するのだ。そして、この遺伝子を持った人間は、この世に生を受けた瞬間から死すべきなのだ。だが、死ぬのはもちろん怖い。ならばせめて、安楽死でもさせてくれたらどうだ。

こんなことを言うと、きっと励ましてくれる人が現れる。強く生きようよ、生きていればいいことがあるよ、と。俺はひょっとすると、そんな風に言ってもらえることを期待して、この文章を書き出したのかもしれない。

かに救ってほしいという淡い期待と、俺は死ぬべきなんだという絶望と、俺をこんな風にした社会を許さないという妄想とが、さっきから頭をぐるぐると巡っている。

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