はてなキーワード: ラッサとは
取り急ぎ追記するが、排除とか多様性とか言っている人がいるが、では職場や居酒屋から水着のグラビアポスターがなぜなくなったのか教えてもらいたい。あれははてブでもセクハラだとして、なくなったことを喜ぶ声が大半だった筈だ。
さらには「私作る人、僕食べる人」以降、「ブレンディ 卒牛式」「志布志市 うな子」「サントリー コックゥ~ん!」「アフロヘア黒人女性 ツヤッツヤのサラッサラになりたい」「リカちゃん 個人情報暴露」など不適切として取り消された広告はいくつもあるのだが、それらは一切取り消す必要はなかったという認識で良いだろうか。もちろん今回の「仕事は、楽しみですか」も含む
それら全てが、本件とは全く問題が異なる事例ですね。(これらはこれらで個別に論点が異なりますが。)
私はこれらに全く興味が無いので、肯定的でも否定的でも、そちらは勝手に論じてくれれば良いと思います。
フィクトセクシュアルという言葉が社会学の論文に現れるようになったのも最近の話ですし、フィクションやキャラクターを性的対象としたり、イラスト・創作表現やアバターを介してファッションやジェンダー・エクスプレッションを表現する人々が確かに存在するということが発見されたのは、つい最近のことなんですよね。
それまでの間、私たちの存在はずっと周縁化され続けてきたわけです。対人性愛者の、対人性愛者による、対人性愛者のための論理によって、一方的かつ不当に断罪され続けてきたわけです。
私はフィクトセクシュアルですが、私にとって「私はフィクトセクシュアルである」というアイデンティティの中心は、「二次元キャラクターを性的対象としている」ことよりも、むしろ「人間を性的対象としない」ところにあります。空想のキャラクターを人間の人格と同様、あるいはそこに紐付ける論理、バーチャルなアバターを物理的な身体と同様、あるいはそこに紐付ける論理は、対人性愛を自明視した論理でしかありません。私たちは、キャラクターがキャラクターだから性的対象とできるし、アバターがアバターだからファッションとして消費できるのです。あなた方対人性愛者とは、全く異なる常識、文化圏に生きていることをまずは認めてください。「私たちの論理」を尊重してください。
そして、「私たちの論理」は、必ずしも、私のように対人性愛を一切持たないフィクトセクシュアルのみが共有しているものでもないでしょう。セクシュアリティはスペクトラム状の広がりを持ちます。実際のところ、譬えばバイセクシュアルのように、対人性愛と二次元性愛を両立させている人が大半でしょう。しかし、彼らがキャラクターやアバターを消費する時もまた、「私たちの論理」に即した消費が行われているように私には見えます。対人性愛者の論理と、「私たちの論理」が、ある程度適切に使い分けられているように見えます。(完全に無垢無謬とまでは言いませんが。)
あの程度の表現が、許容できないほどに「性犯罪を誘発する」「ジェンダーバイアスを強化する」と言うならば、「異性と結婚する」ことや「自身のジェンダー・アイデンティティに一致する服装・メイク」などの方が、よほど「性犯罪を誘発」し「ジェンダーバイアスを強化」するでしょう。このようなミラーリングは、先程述べたようなスペクトラムにいる人々にも受け入れ難いもののようですが。
対人性愛者の論理と、「私たちの論理」の使い分けは、時に未熟なこともあるかもしれません。だからと言って、その責任を私たちに押し付けるのはいい加減やめてください。「対人性愛者の論理に一括すれば、問題は起こらない」と、民族浄化しようとするのをやめてください。「私たちの論理」に一括するのではいけないのですか?野蛮で危険な対人性愛を一刻も早く卒業して、誰もがキャラクターのみをパートナーとし、誰もがアバターのみで自己表現を行うようになればいいと私は思います。「(俺たちの)常識に合わせろ」と言うなら、逆に、「私たちの常識」に合わせてくれてもよいのではないですか?
抜毛症というものがあるのは知ってる。
それかもしれないし、単なる癖かもしれないし、趣味かもしれない。
傷んでチリチリになってる毛がとにかく許せない。
幸いにも髪質はサラッサラのストレートで、傷んでる毛はほとんどない。
抜きごたえがある。痛くはない。プチっと抜けるのが快感なのかもしれない。わからない。
これまた幸いにも、毛量は多い方なので抜いても抜いてもそこまで目立つことはない。
担当の美容師さんは気づいてるかもしれないけど、まだなにも言われていない。
多い日は何時間もひたすら抜いてる。何百本と抜く。抜いた毛の束ができる。
抜毛による見た目上の心配はないとはいえ、髪抜いてる時間、文字どおり不毛。時間の無駄にもほどがある。
高校生くらいのときにはすでに抜いてたので仕事のストレスとかではない。数十年抜き続けてる。
やめたほうがいいんだろうなと思うけど、やめられてたら苦労はない。
私にはとてもカラダの相性の良い愛人がいる。(♂40代、♀30代)
いつからか、彼女がセックスの最中に「ああああ、なになに?何かが漏れてる!あああぁ」と言うようになった。いわゆる潮吹きの状態だ。
AVで見るように、フィンガーテクでブッシャーと出るわけではなく、彼女の場合は挿入の状態で液体がアソコから漏れ出る。
(つーか、女仁王立ちで、男が手を震ってる、ってシチュエーションは実際のセックスではファンタジーに思えるけどな)
ジャバッ、ジャバッ、、、
ブジュッ、ブジュッ、、、
ピシャッ、ピシャッ、、、
シーツ一面が濡れていく。睾丸に滴る体液。湿る互いの陰毛。恥ずかしがる表情。
と、なると、大興奮、お互いにケモノのように、なんて思うだろ、童貞諸君は。
ちげーよ。
普通の愛液のヌルヌルと違って、サラッサラだから、チンコが引っかかるの。
オナホ買ってローションの代わりにチンコに水つけて挿入してみ。痛いから。
もちろん濡れたお尻を鷲掴みにしたり、滴る水分を感じながらのバックは興奮するぜ。
それならローション買い込んどけ。
たぶん官僚も医系技官、要するに医師免許保持者なはずなので、厚労省側だってプライドがある。
医者は軍隊教育を受けてるので、現場判断で裁量が任される一方で、上の決めた方針は絶対。
突然外部から今までの取り組みを全否定されたら、軍隊として成り立たない。
DMATの面々は臨床医師として覚悟と使命感で戦場にやってきたのに、患者をみないで病原体のほうばかりみてる連中に口を出されたらたまったもんじゃないってことなんじゃないかな?
「陽性のうち何人は症状が出てなかった」なんて報道があると、「無症状キャリアが巻き散らすから全員検査!」となるのも頷けるが、検査で陰性だからって本当にキャリアじゃないとは言い切れない。
それよりも、どういう風に感染が広がっているか、指標は発熱でもなんでもいいから時系列で追うことが大事なのに、それが出来てなかった。
もちろん、発熱なんかじゃなく毎日4000人の検査をして、時系列で並べればいいが、ようやく全員の検査が終わったと報道されてることからすると、そんなパワーはなかったわけで。
だが、実際症状が出る前にウイルスを排出する感染症はごまんとある。
1日前から排出されるのか、3日前から排出されるのか、そんなものは程度の問題。感染初期でもウイルスを排出してるからといっても、肺炎でゴホゴホしてる時と同じくらいウイルスを撒き散らしてるかといえば、そんなわけはない。
発熱者がコロナなのかインフルエンザなのか風邪なのか花粉症なのかを見分けるために検査ならわかるが、片っ端から検査をしても目的が検疫なら経過観察と得られるものは同じ。
実際、二次感染がない前提でなければ、ある時点でで検査陰性だからといって、次の日から陽性に転じる可能性があるわけで、船内で感染が拡大してる中では全てが無意味。
医師と看護師たちは患者、個別の症例を見るプロだったが、感染症と病原体を見るプロの目からみたらお粗末な対応だったということだろう。
アフリカ帰りのラッサ熱の患者をたった1人隔離するのと、今回みたいに何千人もの集団の感染制御は、別のノウハウがいるわけで。
病原体は、1人の患者が平均2人以上に広めれば、遅かれ早かれ世界中に広まる。
逆に、1人の患者が2人以上新しい患者を生まなければ、患者が治癒すれば収束する。
世界中に広まるウイルスは、むしろ1度広がればもうあまり流行らないとも言える。
そんなわけで、致死率がめちゃくちゃ高い感染症でなければ、今年と来年あたりは猛威を奮うかもしれないが、人類を滅亡させるような、経済をノックダウンするような力はない。
エボラやラッサ熱が世界中に広まらないのは、患者を殺しすぎるからだ。
世界中に広まる力があり、世界中に広まった後、もう一度インフルエンザウイルスに出会う頃には、また微妙に変異してて、何度でも罹ってしまう。
結核もまた特殊だ。具体的にどう特殊かは今回は書かないが、結核では毎年200万人死んでる。
そんなもんじゃない数の死者を出してる。
ともかく、現代今なお脅威となっている感染症は、それぞれ特殊な理由があって、脅威となってる。
今回話題になってるコロナウイルス肺炎が、ただただちょっと感染力が高い、ちょっと致死率が高いという程度なら、それだけだ。
観光客は一時的に減るのは間違い無いが、人々の生活が激変するほどのことはない。
えっと、言いたいことは、株価下がると俺が困るんだよ!
たびたび北海道のローカル線の廃線や使われていない道路などの議論がネット上ではあり、
無駄な公共投資の削減、コンパクトシティ化の促進、計画的撤退などの議論がなされます。
日本がこれから人口減少を迎えるにあたって、日本が小さな政府を目指すか、北欧型の福祉国家を目指すか、
さて、どちらを目指すにしろ、つまり、皆さんの思想がどちら側であるにしろ、
どちらも最低限の国家の機能として「安全保障」と「治安維持」は必要不可欠です。
100年以上前に夜警国家論がラッサールに批判されたときですら、
関東近郊、たとえば群馬、栃木や静岡あたりまで含めた地域に、日本国民全体を集めて住まわせることは
東京と同程度の人口密度をキープすれば可能でしょう。超コンパクト国家です。
では、我々が廃棄したエリア、つまり人が住んでいない四国や北海道、東北、沖縄あたりをどうしましょうか?
人が住んでいないので、公共サービスを提供する必要はないですよね?水も道路も電気もいらない。
放置しておきましょうか。
すると、何が起こりますか?
超過密の東京国の生活に合わなかった人たちが抜け出し、スラムをつくるでしょう。警察もいないですから、無法地帯ですね。
捨てた北海道や沖縄はどうなりますか?沖縄はアメリカが欲しがるかもしれません。
北海道はロシアや北朝鮮に占領されちゃうかもですね。それでよいのでしょうか?
つまり、小さな政府であれ、福祉国家であれ、日本が現在の日本の領土の「安全保障」と「治安維持」を
実現するには、国の中に交通ネットワークを引き、警察や軍隊に類似するものを配置し、
川や山、海岸線を維持管理する必要があるんですよ。もし人が東京近郊にしか住んでないとしても。
これは北海道のローカル線の廃線うんぬんの話ではないです。ネオリベな人たちが赤字路線を廃線したいならすればよいと思います。
しかし、ローカル線を廃線し、辺境の民をすべて東京に移住させたとしてもなお、
我々は国境線を維持する必要があるんですよ。そのコストのことをどう考えていますか?
どっちみちそのコストが必要ならば、その周辺に住みたい人に住んでもらって、維持管理コストの一部を負担してもらってもいいんじゃないですか?
こういう考え方が、地方や辺境の維持管理が必要な理由の一つだと思います。
※追記
誤解されると困るので、「だから、地方や辺境の維持管理が必要です。非効率のように見えても、地方に人が住んでも良いのです」と言いたいわけではなくて、
非効率な居住形態を縮小しましょう、みんな大都市近郊に住みましょう、と言っている人たちが
「安全保障」と「治安維持」の維持管理コストをどのように考えているのか知りたい、というのが本稿の目的です。
大都市圏に集中して住んでも、日本の現在の国境線と山、川などの国土を管理しようとすると、
どちらにしても膨大なコストがかかるわけで、人がいなくなればそれだけコストが増大します。
たとえば維持管理のための基地への道路ネットワーク、食料、生活必需品はどうしましょうか?全部空輸しますか?
東京都市圏に甚大な影響を与えるであろう川やダムは放置しますか?維持管理しますか?
特定のエリアに住むことを諦めたとしても、川や土地は繋がっていますからね。上流の影響は下流(=都市圏)にくることは不可避です。
すべてのサーバを関東に置きますか?地震がきたらどうしましょう?クラウドで米国か第三国に置きますか?
でも、それなら、縮退後にこれらのコストがかかったときに、「こんなはずじゃなかった!」というのはやめてほしいのですよ。
そんなの五輪で十分です。
コストカットのために縮退して、日本国民全体で東京に移住したのに、実はさらにお金がかかるような国土構造になってしまった、なんてのはまっぴらごめんです。
だって、そうでしょう。効率性のために、居住の自由を制限し、冗長性も失い、ある種の人権を放棄するわけです。目の前の効率性のために。
そして、結果として効率的じゃなかっただなんて、愚の骨頂でしょう。
これらのコストも踏まえたうえで、それらを含んでも日本は縮退を目指すべきだ、と言ってほしい。
もしくは、これらのコストは膨大なので、日本は一部国土を切り捨てて、四国や九州、沖縄は放棄する、とちゃんと言ってほしい。
そうして、やっと議論ができると思うのです。
この時期になると増える、雪国の人間が東京に対して「そんな雪程度で騒ぐなよw」ってマウンティングマジできらい
サラッサラの雪で完全な雪対策施された装備してぬくぬくあったまっりながら言ってると思うと尚更腹立つ
テメーらと違って東京様は夏もあるから雪ばっかに構ってられないしそもそも雪質だってぐちょぐちょで滑りやすいんだよわかってんのか?
面白いと思ってんのかもしれないけどいい加減飽きたし、東京人が甘ったれてるだけみたいな口ぶりでウザすぎるぞ
いくら田舎で東京にマウンティング取れないからってここぞとばかりにシュバりたがるの分かるけどさぁ...
暖かくなってきた。
暖かくなってきたから、国民全員が三週間くらい全裸で生活したらどうなるのか考えてみた。
以下、シミュレーション。
全裸を拒否、または期間中の着衣者に対しての射殺許可も認める。
多くの反対を押し切り、完全全裸週間が実施される。
全裸週間が始まってしばらくはAKB48のライブ会場に数十万人が殺到するなど、
だが二週間を過ぎたころには、意外にも
「全裸の光景にも慣れてきた。全裸とか関係なく、みんな全裸で生活してる」
という状態になる。
その後、全裸週間が終わっても国民の二割程度は構わず全裸で生活を続ける異常事態が発生。
「とても爽快です」
「せっかく日本に始まった全裸ムーブメントをここで終わらせるのはもったいない」
とか言い出す人がたくさん出てくる。
「バツイチだし。処女でもあるまいし、別に恥ずかしくないです」
「全裸きもちいいよ」など発言し、全裸文化の浸透に一役買うこととなる。
結果「日本は夏の間、服を着ないよ法案」が可決される。
可決に対して、ユニ○ロ社長は
「文明国家として最悪の恥ずべき決定。まったく理解できない」とコメントする。
法案可決から二ヶ月後、正式に全裸季間が実施される。
実施から一月後
「全裸の人に遅刻なんかで怒るのもバカバカしいので、遅刻くらい良いかと思うようになった」
というような意見が数多く載せられる。
後に、通勤ラッシュが軽減しているという調査結果が東京メ○ロから発表される。
実施後、痴漢行為による逮捕者が0人になったことが警視庁から発表される。
「触るまでもなく全裸だし。わざわざ痴漢しなくてもいいかなって」と答える。
元レイピスト「すでに全裸の人に暴行を働くなんて酷い事できないっすよ」
文化人気取り「私、日本人であることが恥ずかしいとか言っちゃってましたけど、すでに全裸なのにこれ以上恥ずかしいとか言ってられません」
スポーツジム経営者「はじめ何ヶ月かは新規入会がたくさん来たんですが、しばらくすると元に戻りました」
元プロストリーキング「ストリーキングをストリートキングと勘違いする人が減りました。ストリークって動詞なんですよ、知ってました?」
その他の影響。
全裸の人たちが怪我をしないようにインフラ整備がどんどん進む。
フランスのタブロイド紙・サンに「全裸なのに最も近代的な国家」として日本の紹介記事が掲載される。
流行語大賞に「衣替え」が選ばれる。
服を脱ぐ事で、みんな季節の変化に敏感になり、大々的な俳句ブームがおこる。
空前のむだ毛ブームが起こり、女性がむだ毛処理の手間から解放される。
みんなの体が丈夫になり、風邪とか引かなくなる。
その後、首相は国際和平会談に全裸で出席する(ただし、正装としてネクタイのみ着用)
それについてあの国の大統領は
「こんなに興奮した和平会談は始めてだよ。ところでこいつを見てくれ、すごく・・大きいだろう?」
と首相を評価する姿勢を示す。
発表から二日後「チラリズム原理主義・青縞の牙」による大規模なパンツテロ事件が発生する。
その際、某都知事は「君たちのやっていることはテロではない。エロだ」と述べ、 87543枚のトリ○プ製しまパンツを投げつけられる。
二針縫う軽傷。
この問題に対し、首相は「エロ本のモザイクは外しません。あれは日本の文化です」と発言する。
発言から20分後、問題は沈静化。
この問題から出版物のアンダーヘアを隠す事が再び義務づけられるようになる。
全国のPTAの人たちも「少し健全になったので良かったです」と喜ぶ。
なおパンツヌード写真とは、実際にモデルがパンツをはいた状態で撮影した写真ではなく、
子どもたちも全裸ということが問題視され、実態の調査が行われる。
結果は、傷をつけると目立つという理由から、虐待を受ける子どもがいなくなる。
痩せすぎてると目立つので、ご飯を食べさせてもらえない子どももいなくなる。
ロリコンが喜ぶかと思いきや、かえって冷静になり、悪いペドフィリアがいなくなる。
など、とっても良い事ずくめだったので某団体もなんとか納得する。
なお、調査資料は出版社の茜○社から提供された。
国際ナチュラリスト協会フランス本部から名誉ナチュラリスト国家として認められる。
「全裸で生活するような連中に鯨とるなとか言っても無駄だろ」ということで、捕鯨への風当たりが弱まる。
以上をもって「二年に一回くらい誰かが言い出しそうな事を言う会」
今年度の活動ノルマを達成した事をここに報告します。