はてなキーワード: ビリビリとは
最近やっと気づいたのだが私は自分の気持ちは人に見せたり話したりするほどの価値はないと思っているらしい。これが本当かどうかはわからないがそうだとしたら色々なことに説明がつく。
感情や感覚は人に気づかれる前に殺すものだと思っていて、感じるすべてのことを否定し続けた結果ほとんどの感情がわからなくなった。
いつも胸の奥が苦しくて、正直もう生きることを辞めたいしその理由も言語化しようと思えばできるが他人の時間を私の感情論に使わせたくないため話したいと思えない。
こう思うようになった理由はこれまた推測でしかないのだが、小さいとき欲しいものを買ってもらえなかったことだと思う。正確に言うと、ものを欲しがったときに欲しがった気持ちごと否定されたことだ。欲しかったものそのものだけでなく、楽しいことをしてみたい、友達が持っているものを私も持っていればもっとみんなと仲良くできるかもしれないという私の気持ちは絶対的な権力者である親によって否定された。10年も前のもう親も覚えていないようなことを根に持っていても仕方ないとは思うが、ずっとあの言葉に取り憑かれてしまって抜け出すことができないのだ。
他の人といる時に感情のある普通の人を演じるのは辛いが、5年も嘘をつき続けていることが周りに知れたらどうなるだろう。大多数の感情はわからなくなってしまったが、1人でいるときにふと胸が痛くなったり息が苦しくなったりはある。辛いか何もわからないかだけの生活をもう投げ出してしまいたいと思ってしまうが、辛い感覚を手放せば私はもう私でいられないのだろう。苦しいのは嫌だけれど、苦しさにしか縋れない。きっとこれも長くは続けられないし失ってから大切だったと気づくのだろう。
前と比べてできないことが増えていっているように感じる。記憶力、思考力、集中力、計画性、継続力など明らかに能力が落ちている。その要因はきっと、気持ちを殺すことに迷いが生まれているからだ。前まではなんの戸惑いもなくやるべきことがあるなら殺す、が当たり前だったしそれで得てきた評価はたくさんある。今更だとはわかっているが、このまま殺し続けて自我を失うのが怖い。肌がビリビリするような本能的な恐怖が身体中を支配していて動けない。小さい時から周りを怒らせないこと、評価されることばかり考えてきておいて、やっぱり怖くなっただなんて情けない。幸せも普通もいらないから失う前に消えさせて欲しいなんて馬鹿なことを考えてばかりだ。当然、逃げられる場所なんてないし、どこへ行ってもきっと変われないし抜け出せない。あとは私が諦めるだけなのだ。
怖いを免罪符に怠けている生活に区切りをつけるために書き出した文章だったが思いのほか長くなってしまった。こうして文章にしてみると、もう引き返せないのになんでこんなことで2年も悩んでいたのだろうと不思議なくらいだ。自分は執着しない方だと思っていたが、自我のためならいくらでも意地汚くなれるというのは一つ発見だったなと思う。
最近やっと気づいたのだが私は自分の気持ちは人に見せたり話したりするほどの価値はないと思っているらしい。これが本当かどうかはわからないがそうだとしたら色々なことに説明がつく。
感情や感覚は人に気づかれる前に殺すものだと思っていて、感じるすべてのことを否定し続けた結果ほとんどの感情がわからなくなった。
いつも胸の奥が苦しくて、正直もう生きることを辞めたいしその理由も言語化しようと思えばできるが他人の時間を私の感情論に使わせたくないため話したいと思えない。
こう思うようになった理由はこれまた推測でしかないのだが、小さいとき欲しいものを買ってもらえなかったことだと思う。正確に言うと、ものを欲しがったときに欲しがった気持ちごと否定されたことだ。欲しかったものそのものだけでなく、楽しいことをしてみたい、友達が持っているものを私も持っていればもっとみんなと仲良くできるかもしれないという私の気持ちは絶対的な権力者である親によって否定された。10年も前のもう親も覚えていないようなことを根に持っていても仕方ないとは思うが、ずっとあの言葉に取り憑かれてしまって抜け出すことができないのだ。
他の人といる時に感情のある普通の人を演じるのは辛いが、5年も嘘をつき続けていることが周りに知れたらどうなるだろう。大多数の感情はわからなくなってしまったが、1人でいるときにふと胸が痛くなったり息が苦しくなったりはある。辛いか何もわからないかだけの生活をもう投げ出してしまいたいと思ってしまうが、辛い感覚を手放せば私はもう私でいられないのだろう。苦しいのは嫌だけれど、苦しさにしか縋れない。きっとこれも長くは続けられないし失ってから大切だったと気づくのだろう。
前と比べてできないことが増えていっているように感じる。記憶力、思考力、集中力、計画性、継続力など明らかに能力が落ちている。その要因はきっと、気持ちを殺すことに迷いが生まれているからだ。前まではなんの戸惑いもなくやるべきことがあるなら殺す、が当たり前だったしそれで得てきた評価はたくさんある。今更だとはわかっているが、このまま殺し続けて自我を失うのが怖い。肌がビリビリするような本能的な恐怖が身体中を支配していて動けない。小さい時から周りを怒らせないこと、評価されることばかり考えてきておいて、やっぱり怖くなっただなんて情けない。幸せも普通もいらないから失う前に消えさせて欲しいなんて馬鹿なことを考えてばかりだ。当然、逃げられる場所なんてないし、どこへ行ってもきっと変われないし抜け出せない。あとは私が諦めるだけなのだ。
怖いを免罪符に怠けている生活に区切りをつけるために書き出した文章だったが思いのほか長くなってしまった。こうして文章にしてみると、もう引き返せないのになんでこんなことで2年も悩んでいたのだろうと不思議なくらいだ。自分は執着しない方だと思っていたが、自我のためならいくらでも意地汚くなれるというのは一つ発見だったなと思う。
ビリビリに移るだけなのでは
庭はイングリッシュガーデンみたいになってて土日は母の焼いたケーキを家族みんなで庭で食べる
テーブルもおしゃれなクロスを敷いて、皿やティーカップ等はウェッチウッド/ロイヤルコペンハーゲン/マイセンetcで揃える
家の中の調度品もよく分からないが高そうな皿や絵が飾ってあり、普段のご飯もものすごく豪華
友人からは漫画の中のヨーロッパ貴族みたいな生活してるねと言われる様な家だった
執着が強すぎて、私の着る服、習い事、部活、筆箱、鉛筆等母親意にそぐわないものは一切できないし持たせて貰えなかった。やりたくなくても辞めさせても貰えなかった
ドレスとまでは行かないけど発表会で着るようなフリフリのワンピースか母の作った不格好なワンピースしか許して貰えず、嫌で嫌で仕方がなかったので、祖母にお願いしてイオンでジーパンとトレーナー買って貰った時はヒステリーになり奇声を上げながら祖母と私の前でビリビリに破かれて1週間口を聞いて貰えなかった。
授業参観でクラスの男の子と話しているのを見られれば家に帰って髪の毛掴んで2階と1階の階段を往復して引き摺られたりもした。
けどこれを誰に話しても信じて貰えず、いい暮らししてるんだからそのくらい我慢しろと言われる。
大人になってもう実家には帰ってないので自由にできるが、当時からの友達には帰ってあげなよ寂しがってるよいいお母さんじゃん、わがままだよと言われる
彼氏を1度連れて帰った事もあるが、良い親じゃん!そんなに気にする?子供の頃の話だし子供なんて親の好きなようにしてなんぼだよと口論になり別れた。
いくら親であれここまでするのは頭がおかしいと思うがいまだに我慢できなかった自分が悪く、我慢できてたら今でも親といい関係でいれたのではと思うことがある。
ゴールデンウィークで実家に帰ると、誰からもらったか知らないが、12ヶ月分のカレンダーが文字として編まれた布地が居間に掛かっていた。
しかし、カレンダーが編まれた布地なんて最大で一年しか使えないんだから、もったいない労力のかけ方じゃねえのかと思ったりする。
掛け軸しかり、もっと長年大事にされるものにこそ、布を編むなり書を書くなりの労力をかければいいのにと思ったのだ。
おそらく既製品であり、手編みでは無いんだろうが、カレンダーなんて紙でよく、毎月ペリペリとはがせばいいだろうと思ったのだ。
それでもだ。未来にはどうなるのだろう。
書籍だけでなく、あらゆる紙製品がそうなっていく。何ならホログラムになったりもするだろう。
そして、それはカレンダーにおいてもそうだろう。
そうなったとき、紙のカレンダーは、私が居間で感じたあの感覚を以て捉えられるのかもしれない。
そう考えると、布地のカレンダーも紙のカレンダーも、未来人にはまさに五十歩百歩なんだろう。
だから、私の、紙と布のその区別こそ、思考する労力をかけるような永続性を持たない。
それなら、私たちは紙のカレンダーも、布地のカレンダーのようにその労力を尊び、大事にしてもいいんだろう。
ましてや、布地のカレンダー。その丁寧な目の運び。細やかな仕事の出来。機械折りとしても、しっかりとした作り。
そういう目で見ていると、愛おしさが生まれてくる。
お祭りの最後に燃やされるのを知ってなお一生懸命、色紙やクーピーで色付けたのだった。
そんな懐かしいことまで思い出せたのだった。すぐ失われるとしても費やしたあの労力は、本当に美しいものだった。
そう考えると、目の前にある布地にも慈しみが生まれ、引きちぎるように引き寄せてはゴミ袋に詰め、その役割を強制終了させる。
また、どこのご家庭にもある紙のカレンダーは、実家にも当然あった。
5月を示すそれらのカレンダーは目につく限り全てはがし、ビリビリに破ってからゴミ袋に詰める。
ゴミ袋でも、カレンダーとカレンダーの夢の共演が繰り広げられている。
しかし、そんなのに浸っていてはいけない。こんな破滅的な感情は正しくない。
なぜなら、ホログラムは滅びることはない。
永遠に生き続けるのだから、文章を編み小説を書くような労力をかける意味がある。
と思って目を開けると、カレンダーは元の位置にあり、龍は斜め上を見上げていた。
その先には、ソースのようなしみが何個か付着していた。
こんなり!生まれて初こんな感じたこ ゛ぅ゛わぅ゛ぁ゛ぁ~ ねえ パパ 狂っちゃう ♪
どぅしよぅ おかしくなっちゃう... ソナー感じる 伊号から クルクルクルクルクルクル ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
ああぁぁ~ イっちゃうよぉおおお Ψ Ψ Ψ
おっぱいと𝔸𝔹ℂ𝔻𝔼 おしりの感覚が 𝕒𝕓𝕔𝕕𝕖 ごっちゃになる♡
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
奥まで届いて る ⌒ ─ ⌒ ─ ⑅ ⑅ ⑅ ㅤㅤㅤ
全身の血が下に集まってく ☯ ☯ ☯
パパ 愛してる 愛してる 愛してる 💞 ଘ ଓ ଐ
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こんなの 初めて 𝓯𝓮𝓮𝓵𝓲𝓷𝓰 𝓼𝓸 𝓰𝓸𝓸𝓭
パパのおっきいの 奥に 刺さって
ビリビリ くる 𝓋𝒾𝒷𝓇𝒶𝓉𝒾𝓃𝑔 ෴ ෴ ෴
Ⓜ️ マジで 死んじゃうかもぉおお ⚰ ⚰️ ⚰️
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
喉の奥まで 届いてる
ムセちゃいそう 𝓖𝓪𝓰 𝓻𝓮𝓯𝓵𝓮𝔁 ૮ ・ﻌ・ა
目が ✦ ̤̫ ٩(˘ö˘)۶ チカチカ
パパの 精子 飲む 𝓼𝔀𝓪𝓵𝓵𝓸𝔀𝓲𝓷𝓰
𝕔𝕦𝕞 𝕚𝕟 𝕞𝕪 𝕞𝕠𝕦𝕥𝕙 んん~ყɿ૦ཱུ
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
全身がビクンビクン 痙攣しちゃぅ! ‱ ※ ‱ ※ ‱ ※
こんなに 出して ε=ε=ε=ε=┏(゚ロ゚;)┛ ワー
量 多すぎ Ꮚ˘̴͈́ꈊ˘̴͈̀Ꮚ♡ʬʬʬ
ああぁぁぁ~ 𝕕𝕪𝕚𝕟𝕘 ༶் ༝ ་༶் ༝ ་
パパ 一緒に 逝こぉ 𝒸𝓊𝓂𝓂𝒾𝓃𝓰 𝓉𝑜𝑔𝑒𝓉𝒽𝑒𝓇
以前「そんなことある?都市伝説じゃないの?」って書いたら「本当だ」とか「自分は実際に習った」とかいう反論があった。
https://maidonanews.jp/article/12843944?page=2
ググったら、関西電気保安協会の人も、そんな話は初めて聞いたとか言ってるじゃん。
こんな嘘っぽい話が広まって「自分はそれを習った」とかいうところまで信じこんでる人までいるって恐ろしいな。
(信じてるわけじゃなくて面白くてわざと嘘を広めてるだけかもしれんが)
感電してる人をドロップキックで救出するって、感電してすでに倒れてたら無理じゃん。
ビリビリ感電しながら、体が硬直して立ったままじゃないとだめだよな。
そんな状況ってめちゃくちゃレアケースだろ。
それに救出する方も、なれてないドロップキックをして失敗して感電者の上に倒れこんだりしたら二人で感電して二次災害になるじゃん。
新しくジャスコで買って来たそれは、
なんと3秒測定!!!
は、速すぎる!
測ろうとした矢先、電子体温計端末の電源が切れる。
電池切れかしら?
ガッデム!
昔使ってた電子レンジ、
説明書見ると音が変更できると言うことで、
ただのブザーに変えたわ。
その後窓から放り投げて捨てたけど。
ケーブルを出したり戻したりしてると
恐らく断線したのか、
ビリビリこなくなったのね。
思いっ切り窓から放り投げて捨てたの。
今日は何色の折り畳み傘を持っていこうかしら?って悩みが発生するのよね!
何だっていいじゃないって思うし、
あるときは一升炊きの炊飯器を炊けたご飯がパンパンになったままで渡されてどうしようかと思ったわ。
さすがに一升炊きのご飯の物量は食べきれないので、
これでも召し上がれ!
うふふ。
もうマスクいらない!って
窓から投げ捨てちゃったけど、
また拾ってくるわ!
うふふ。
ガラケーでツイート出来ていたメールのその仕組みは廃止されたみたいなのよ。
その機能が無くなった途端に
鍋肌に仕上げに潤いを足す加湿を怠ったばかりに
その地球で最古と言われる砂漠ナミブ砂漠のトカゲの味がするチャーハンの味だって言われるのよね。
もう迷いっぷり半端ないほどのジプシーさ加減が炸裂してしまって全然手に馴染まなくてこれは流石に買うのを間違えちゃった令和入ってからの一番のテヘペロ案件であることには変わりないぐらい窓から投げ捨てて放り投げたわ、
私もクリスマスプディングをノールックで匙にとって食べたもんだからこんなことになっちゃったのよね。
捨てるのは葉っぱの方のはずだけど、
人間が食べたらいけないと一瞬で感じる囓ったらヤバイ葉っぱをクリスマスプディングに乗せるなよ!って大にした声で言いたいぐらいの山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ。
世の中パソコンがなければただの箱ね。
もう、本当に窓から放り捨ててやろうかと思ったけど、
うかつにそんなことできないわ。
これはさすがにどうよ?と思いつつ
またそっと扉を閉めたんだけど、
マラソンする人が走るときに腕につけるウォークマン入れも付属してたから、
ああこれスポーツマンシップに則ったやつかーって
選手宣誓しそうなほど私にはあまり使い道無さそうで窓から捨ててしまいたいところだけど、
破らなければ窓から捨てないようにするわ、って決めたところなのよ。
だから安直に直角を描くような放物線で窓から捨てるわけにはいかないから、
なんか持て余してどうしてもヒマなときに使ってみることにするわ。
新しく新調した折り畳み傘は
そう思っていたけど、
手に馴染まないのでやっぱり窓から投げ捨てました。
投げ捨てたのは嘘だけど、
戻ってきて自分の頭に当たりそうなので、
止めたのよね。
新しいキーボードはやっぱり段ボールにしまって引き出しに入れておくことにしました。
まあ使えないことはないので、
最近は
本当に物騒で
買い物カートだとかレンガだとかが落ちてくる事件が多発してるので、
私もうかうかイラないものを窓からポンポン捨てる癖を本当にどうにかしたいものだし、
今回はなんとか思いとどまって、
さすがにあれは重たくて私一人じゃ担げなかったわ。
まだまだ
ガスコンロでいっかなーって思ったワケなのよ。
古い灯油ってどのぐらいまで使って平気なのか?
平気じゃなかったらどこに流して捨てたら良いのかしら?って
流石にいつも窓から必要のないものを放り投げて捨てているようにはいかないわ。
みんなどうしてるのかしらね?
それが2本ってのもサラミソーセージ系だって事に気付かなかったら絶対に買わなかった
結局は食べたんかーい!ってなるけれど、
あっと言う間にタマネギは4玉分みじん切りになったのよ。
これどうしようかなーっていい加減に食べ始めないと減らないのよね!って
いっそのこと美味しいの出来たよ!って実家に鍋押しつけてみるか、
それともまた私の得意技でもある窓から投げ捨てる方法もあるけど、
その時はコーヒーとか買うときオマケが付いてる!ってションテンが上がるけど、
家に帰ってきたら、
もう気が済んじゃってそのオマケマグのことをすっかり忘れてしまっている自分がいることに早く気付いて!って
思って片付けることにしたわ、
踊りながら捨てるの窓から!
1989年12月29日、日経平均株価は38,915円87銭(ちなみに翌日のザラ場では38,957円44銭というのがありました。)
その日のPERは予想で61倍でした。益回りにすると1.64%。これに対して同じ日の10年国債利回りは5.616%。1989年12月のCPIは2.6%ですから仮に予想インフレ率も同じくらいとすると実質金利は3%。今より潜在成長率が高かったとはいえ元本保証の国債利回りより値下がりリスクのある株式の益回りの方が低いなんて異常でしょう。直近のブレークイーブン・インフレ率はだいたい1.5%なので、実質金利がマイナス0.5%から3%まであがるとすると名目金利は4.5%になります。今、10年債が4.5%になって、日経平均がPER60倍=148,000円まであがりますか?そんなシナリオを口にしたら頭おかしいと言われるでしょう。でも当時は経済学者や証券会社の社長からNTT株に殺到した庶民まで、誰も気にしていませんでした。
なお予想益回りが当時の長期実質金利と同じ3%になるとPERは33倍、仮にスプレッドを現在Fedが過去30年のS&P500の予想益回りと10年実質金利の平均とする470ベーシス取ると(今の日本では小さすぎるけど、当時の潜在成長率を考えればまあそんなものでしょう)益回り7.7%、PERは13倍です。当時、私は業界の名もなき先輩の示唆と大学のマクロ経済学の授業で習った流動性選好理論のアナロジーから株式益回りと長期金利のイールドスプレッドについて考え始めていました(これがDCF法と同じ発想で、Fedのバリュエーションにも使われていると知ったのはずっと後になってからのことです。)。そのロジックによると株価は8300円、5分の1ぐらいになるはずです。でも24歳、社会人2年目の私はバブルに煽られ、理論的に突き詰めて考える姿勢にも欠け、異常なバリュエーションを異常と思いませんでした。翌年の大発会から株価はまさに「フェアバリュー」(!)にむかって真っ逆さまに転がり落ちていきます。
もっとも当時は「バリュエーション」なんて考えている余裕がなかった。マーケットもメチャクチャなら、売ってる人も売らせている人もメチャクチャでした。朝6時に独身寮に流れるラジオ体操で叩き起こされて7時に出社、タバコの煙で株価のボードもかすむオフィスで1時間毎に怒号とともに予算(ノルマ)の達成をチェックされる。セクハラだのパワハラだの概念自体が存在しておらず、予算未達のセールスは椅子を取り上げられたあげく、受話器をテープでぐるぐる巻きに手に縛り付けられた状態で電話させられて、集計後に上司に殴られていました。配属された早々客に「週末俺の別荘に来い」と言われた女性(1989年は私の会社で初めて営業店舗に女性が配属されました。)は営業課長に「てめえなんで行かねえんだよ」と怒鳴りつけられていました。
多くのセールスは外回りに行けば客に名刺をビリビリに破かれたり、水を引っかけられたりしていました。でもこちらも数字ができなければ勝手に客の名前で注文を出していたのだから(いわゆる「ダマテン」。会社にはさまざまな苗字の三文判が常備されていました。私はしてなかったけど、研修中で店を離れていた間に営業課長に虎の子の客でやられました。)、そのぐらい当然でしょう。1989年、私の勤務先ともう一つの大きな証券会社が全セールスに号令をかけて売らせていた東急電鉄株。稲川会の会長に17億円も儲けさせるためだったなんてバブルが崩壊して社長が国会に呼ばれるまで知りませんでした。もっともそれを知っても驚きませんでしたけどね。
連日へとへとになって会社を出るのは夜中の12時過ぎ。丘の上にあった独身寮の窓から、その年に開業したみなとみらいの観覧車のライトを眺めて「こんな生活いつまで続くのかな」と思っていました。4年弱の在籍中に死んだ先輩も2人知っています。大学アメフト部出身の偉丈夫だったKさんは寮のベッドで朝起きてきませんでした。Iさんは倒れて、亡くなったのが私が辞めた直後でしたので詳細は知りません。まだみんな20代だったのに。
よくあんな生活送ってましたよ。毎日毎日、生きていくだけで精一杯でした。健康を害さず、精神も病まず、犯罪で後ろに手が回ることもなく転職できただけでもよかったのかも知れません。
今日の日経平均株価は終値で39,098円68銭。34年2ヶ月前を少しだけ超えました。でも今は投資家も、株を売らせている人も、売っている人も、人格、経済に関する識見、人権意識、モラル、マナー、当時を知る者からするとすべてにおいて比較することすらおこがましいほど優秀です。
株価はとても大事な経済指標です。上がるに越したことはない。でも上がれば何をしてもよい、数字さえよければ中身はどうでもよいというものでは決してない。バブル崩壊以後、日本の株はダメだダメだと言われ続けてきました。今日ようやく失われた30年が終わった、34年前に戻ったと解説する人もいます。でも私はそうは思わない。株式市場に携わる人々は、この間に達成した株価に反映されることのない成果を誇ってよい。心からそう思います。