はてなキーワード: 落語とは
どこでもいいから書きたかった。何か残るところにと、考えもせず書き殴っている。保険をかけておくと、文章を書くなんて何年もしていないししかも最後に書いたのは必死こいてやった卒論だ。私的で深夜テンションで酒も入っているしちょっと無気力な気分だし句読点は正直苦手だからきっと中々入ってこないけれど、それでも書きたかったのだ。そして文章の癖として自分に酔っているような文になる。よし、ここら辺でいいだろう。
今日は久しぶりに昔の曲を引っ張り出して聴いていた。ごちゃまぜのプレイリストから昔に聞いた曲が流れ、青春のようなものを思い起こしては消えてしまいたい欲に駆られていた。ああ好きだったなと曲を聴いては曲名とアーティスト名を検索してもいた。そのなかに、約3年前に亡くなった人がいた。
情報には疎いほうなので当時死んだということを知るのに時間がかかったが何ヶ月経っても新曲の情報が流れてこなかったり急激にカバーが多くなったりとうすうすは感じていたのだと思う。ああ、死んだのか。死ぬということにあまり感情が動かない、というよりその他諸々の感情も中々動かないのだが、実際その程度だった。皆が悲しんでいるのを見て、ああ人が死んだら悲しむのが正解なのかと葬式に参加しなければならないときはいつも感じていたしその時もそう感じていたのだと思う、多分。よく覚えていないや。酒を追加する。
そして今日、ツイッターで名前を検索してみたら多くの人が悲しんでいてさようならとありがとうが溢れていた。各々故人を悼んでいるのだろう、絵や歌詞が呟かれRTやいいねが沢山ついていた。一番多い言葉は「大好きでした」だ。本人最後のツイには多くのリプが来ていたが、今年のものは少なかった。死んだことを忘れたのか、それが日常になったのか。プロフィール画面から遡っていくと、確かにそこに存在し生きていた。
インターネットを検索すると、様々な情報がわかる。その信憑性はまちまちだが話半分で聞いているぶんには面白く、そして時々胸を穿つものが現れる。目を引いたのは「大人になりたくなかったのですね、だから大人になる前にと」
大人になりたくなかった、だから死んだのか。その真偽はどうでもいい。その文が目に入ったとき考えたのは「置いていかれた」だった。
実際には置いていかれるほどこんな一個人ましてやちょっとファンであったやつのことを置いていったとも思ってはいないだろう。ただ単に、大人になりたくなかった自分が絶望しただけだ。
何が言いたいのかわからない。まってろ酒を追加する。
言えるのは、それでちょっと悲しくなって自分は何をしているんだろうとこんなのうのうと死んでいないだけで食料を無駄にして電気を無駄にして物語を終わらせたくないからとゲームを積んでエンディングを見ず作り手の意思を反故にしてまた新しいゲームを買っては通帳の数値を気にして積んで自分が死んだらこの数字は銀行に吸収されるのだろうなとか中学生の時に親に自分の好きな曲を否定されたことを思い出して好きなことを話題に出しては否定されるか変にプレッシャーをかけてきては自分が間違っている気になってしまって親に好きなことについて話すこともなくなって文章を褒めてくれた教授は40も下の男にも女にもなりたくなかったあの子を性的対象と見ていたことを卒業してから言外に伝えることに成功したただの勘違い人間だったし中学生の時友人とみていいのか分からなかった人をフィクションとして書いてどうしてそんなことするのと失望されてひとりになって成人してもなお好きなことや煙草を吸っていることすら周りの人間に秘密にして死にたいという願いを込めて書いた文章は生きたがっているようにみえると言われ学年が上がることに不安になって受験も就職も推薦やらなんやらで周りの大人がなんとかしてくれて本当に自分は資源を無駄にするだけの人間なんだと、改めて思ったということだ。
希望を持ったこともある。二十歳になる前に死ぬと天啓のように思っていて近づくにつれて身辺整理というものをしてみたしどんどん清々しい気分にもなっていたが、後に残ったのは妙に片付かれた部屋と成長しきれない心だけだった。
死にたかった。誰の記憶にも残りたくなかった。でも自殺する勇気も行動力もなくて生命保険のこととか考えてしまって結局布団の中で静かに首に手を当て某児童書の「死ぬとは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ」という言葉に望みを抱いて朝が来ないように祈りながら眠りにつくしかなかった。そして結局ハッピーエンドの物語のように朝は来る。
夢の中では知らない誰かが何度も殺しに来てくれて血の流れる感触を覚えているのにそのまま眠りにつくことすら許されず眩しさに目を開けるしかないのだ。
最悪だ。
いっそ死ぬような病気だったのならと何度考えたことか。きっと物語のように生きたいと願いながら死ぬことができるのだろう。それが羨ましくて仕方がない。社会不適合者であるという点を除いては全くの健康体であるのがもったいない。もったいないおばけがでるぞ。
そうだ、この際気に入っているものを全て言ってしまおう。今は酒の力で無敵である。
ありとあらゆるものが好きだ。人間の感情にぶれぶれな所が好きだ。腐が好きだ。百合も好きだ。じれったいのも好きだし万人と同じくエロも好きだ。あれは感情の振れ幅が大きくて理解しやすい。推理小説は昔から好きだし切なく終わるものも好きだ。つまりメリバというやつだな。バッドエンドだって好きだし魔法学校の物語も好きだしジャンプも好きだ。悪魔や妖怪が出てくるものもすきだ。転生しちゃったりトリップも好きだ。アイドルや魔法少女もしゃべるぬいぐるみだってゴミを固め続けるロボットだってすきだ。国も刀も艦隊も人造人間もヒーローも好きだしグロも好きだ。Rー20なんて足りないくらいだし食人だって好きだ。いいぞ、もっとやれ状態である。ギャグも日常系もそれに人外も好きだ。異形頭は一等気に入っているし一つ目も多目も分け隔てなくすきだ。それにケモナーでもあると言っていい。ベースがきいているものが好きだ。前にしていた部活の影響か裏打ちが好きだ。ジャズもクラシックもすきだ。エレクトロニカも好きだしポップもきく。ボカロは青春と言ってもいいし洋楽は夢の塊だった。歌舞伎も能も好きだ。落語の入り込む時が一等好きだしミュージカルも好きだ。舞台に立つ喜びも知っているからか演劇も好きだ。格闘ゲームはゲーセンでもやるくらい好きだし音ゲーもゲーセンでやるくらい好きだ。パズルゲームも好きだし脱出ゲームなんてやり続けてるしRPGも好きだ。その影響かTRPGも好きだしものを作るゲームも好きだ。ほかにももっともっと好きだと言えなかったものが沢山ある。
つまり、何でも好きなのだ。何でも好きと言うことは何も好きではないことと同義だと考えてしまう。そして、何も好きなことがないということと同じなのだ。
お酒を追加したい。
あのアーティストでさえ死んだことが死んでいると言うことが日常になる日がくる。日々は誰かが死んで出来ている。乗り越えるとかそういうことじゃない、ただそうであるということを受け入れて日々を浪費していくしかない。他人を完全に理解することは難しいしきっと一生無理なことは分かっているが、それでも親に「ちょっとぽっちゃりしたね」と言われて密かに筋トレを始めるような自分とはおさらばしたいし、何か誇れるものがあれば死にたいと思うことは少なくなるのではと少し希望を持ってはいる。大人になんてなりたくなかったけれど過去に戻りたいかと言われれば戻りたくない。温室のような過去に戻りたくはないが砂漠に雪を降らすことも出来ないので、きっと死神の目には見えている寿命を全うするしかない。
3年前に亡くなったアーティストの曲を聴いて勝手に悲しくなってその感情をどうすることもできずにただ書き殴るしかできない酔っ払いの今までを消化できるようお祈りし、悼辞の言葉と代えさせていただきます。おーい!誰もおまえのことなんて覚えていないし考えてもいないからお前が死んでもただ数値が1減るだけだぞー!じゃあな。
落語とか大昔のネタでは殿様がアホなことしたりしてて、だいたいのものは笑い飛ばしてしまう勢いだった
たぶん時には結構ヤバいラインも踏んでたと思うんだけど、現代では噺家の皆さんはもちろんファンまでもがジジババばっかりになり、思い切り保守化してしまっている
まあこれは歌舞伎なんかと一緒で、もう庶民の娯楽じゃないってことなんだろうけど、今のお笑いって別にそういうわけでもないじゃん
なのにああやっていちいちその場の権力者の顔色を窺わないといけないっていうのは、別の意味で笑えてしまう
「なんで日本では政治家をネタにする笑いがないのか?」とかもっともらしいことほざいてるのがたまにいるけどさ
近くのボスにもヘコヘコしなきゃならないのに、そいつより偉い奴なんかネタにできるわけねえだろうが
そりゃまあわかるよ、ああやって番組にするまでに人も金も動いてるんだから、自分の好きなようにやりたきゃ小さい箱でやれということぐらいは
まあポリコレみたいに特定の属性ばっかり肩入れしようとするのは最悪で、それに比べりゃ何も言えなくなる方がずっとマシだけど、
それよりは全方位笑える方がまだ健全に思える
https://anond.hatelabo.jp/20181117123024
寄生獣、サイコパス一期、蟲師、カウボーイビバップ、プラネテス、四畳半、落語心中、有頂天家族、宝石の国、ジョーカーゲーム、新世界より、91days、ACCA、
↑【この辺りは間違いない。作画良し、ストーリー良し、大人の視聴に耐えられる内容】
萌え系ではないけど、萌え描写なりかわいい女の子出るってだけなら、今やってるゾンビランドサガ、今年の宇宙よりも遠い場所。宇宙よりも遠い場所は今年のアニメで一番だよ。
ウテナ、モーレツ宇宙海賊、ガルパン、うさどろ、放課後のプレアデス、響けユーフォニアム、SHIROBAKO、プリンセスプリンシパル、ガッチャマンクラウズ一期、
↑【この辺りは萌え系の絵柄だけど、あからさまな描写はないし、作画いいし、内容がしっかりしてるもの、】
挙げたの全部年間ランキングでトップ3には入るようなアニメだからな!見ろよ!!はてなのコメントに書いておくから見ろよ!
あとは宮崎アニメならコナンとか、エヴァ好きならナディアとか。
つーか、漫画は?ヴィンランドサガとか、乙嫁物語とか、約束のネバーランドみたいに、この漫画がすごい!に選ばれてるやつなら読みやすいぞ。質が良くて。
NHKで放送中のドラマ「昭和元禄落語心中」の主題歌である「マボロシ」である。
ゆずといえば「栄光の架け橋」や「虹」などの前向きな応援ソングや「夏色」や「飛べない鳥」などのフォーク色の強い爽やかな曲が多い中、「マボロシ」は公式サイトでも「これまでのゆずを手放した、幻想的なバラード」と記されてる通りあまり彼らの曲では聴き慣れないような曲調と歌詞になっている。
私はゆずのオタクなので(公式のファン名称である”ゆずっこ”の響きは私にとってはあまりにも明るくて爽やかでこっ恥ずかしいのでこう記す)PVが解禁され初めて聴いたときはとてもびっくりした。
まあとにかく暗い。オタクとして少し心配になった。ゆずの病み期とも言われたりするアルバム「トビラ」を聴いたときと同じ様な気持ちになった。
しかし「昭和元禄落語心中」の主題歌であり、作詞作曲の北川悠仁氏も原作を読み込み作成したとも言っているためこの暗さも納得できる。
個人的には新しいことに挑戦することはいいことだと思うし曲の感じエモエモのエモなのでこの曲はとても好きです。
しかし不満がある。この「マボロシ」は配信限定シングルなのである。一曲単体で配信されている。何が言いたいかというとこの曲にはB面の曲が存在しないのだ。
ゆずは2015年の「終わらない歌」を最後にB面のあるシングルを出していない。(先日発売された「マスカット」にはB面があるが元がA面の既存曲のため除く)昨年は20周年だのEP盤を出すだのしてたためしょうが無い気もする。それでももう3年B面のある曲が無いのだ。
オタクの戯言であるがこの曲にはB面が必要だったと思う。いくら「落語心中」の曲だとしてもオタクとしてはどうしても作り手の顔が浮かんでしまう。
岩沢厚治さん、この曲聴いたときどう思いましたか?歌ってなにを感じましたか?
B面だからといってA面への答えや対となるような曲が収録されるとは限らない。しかし必ずその曲がB面として収録された理由があるはずなのである。
その理由がある曲が欲しかった。彼らのバックボーンを知ってしまっているオタクにとって単体でこの曲を聴くにはあまりにも重すぎる。(…聴くけど)
この曲は北川悠仁氏の曲のため、今まで通りだったらB面は岩沢厚治氏の曲だろう。最近は発表数が少ない岩沢氏だが、「マボロシ」を歌って感化された部分とかなにか絶対にあったろうと思ってしまう。B面が路上時代のリメイクだったとしてもこの重くて強い曲のB面にする重くて強い理由があるはずだろう。
オタクはそれが知りたかった。聴きたかった。2曲を延々リピートし続けたかった。
やっぱりCDは売れなくて儲からないから作らなくなったのかしら。でもいくらお手軽に曲が買えるようになって便利になっても、変えちゃいけないところや減らしてはいけないところがあったのではないか。
それだけ
飽きないかどうかはわからないけど、個人的に好きで飽きずに見たものを。上3つは特におすすめ。
・ACCA13区監察課(群像劇、考えながら見れる、暗め静か)
・僕だけがいない街(サスペンス群像劇、考えながら見れる、暗い)
・活撃刀剣乱舞(バトル、暗い)
・恋は雨上がりのように(純愛、静か)
・機動戦士ガンダムUC(SF、暗め)
・リトルウィッチアカデミア(学園ファンタジー、明るい)
昔から診断系・占い本などを複数やったり読んだりしても、確実に一つだけ絶対に言われるブレない要素がある。
何十年経ってもこの芸術性に関しては書かれている。
なんなのだ芸術性とは。別に絵は上手くないし、小説は趣味でたまに短いの書いているが、素人の文章丸出しでとても売れる内容とも思えない。
音楽は色々なジャンル好きだけど歌は下手だし、楽器もリコーダー以外触ったことない。
DTM等でちょっとしたBGMでも作ってみたいなとは考えるが、それで食おうだなんて考えもしない。
映画や落語は好きだが、作り手・語り手方面に関しては興味はない。料理は出来るが、レシピ通りに作れるだけ。
デザイン方面も何かアイデアがあるワケでもない。カメラも多少構図や露出などは気にかけるが、プロを目指すだなんてとんでもない。
何故私の結果だけこうも芸術性に関してはブレずに言われ続けるのか。自分が当てはまる結果以外をみても、それぞれ違うことが書かれているのに。
多かれ少なかれバーナム効果の可能性もあるだろうし、なんなら、はてな民がこういう占い関係に関しては否定的なのは分かっている。
藪医者(やぶいしゃ)とは、適切な診療能力や治療能力を持たない医師や歯科医師を指す俗称・蔑称である。
同義語に庸医(ようい)がある。
古くは1422年に「藪医師」、1283年に「藪薬師」の記録がある
語源については、諺「藪をつついて蛇を出す」(余計なことをしてかえって事態を悪化させてしまう)からとする説、
「薮柑子」「薮茗荷」「薮連歌」など、似て非なる物に「薮」の字を冠するところからとする説や、
腕が悪くて普段は患者の来ない医者でも、風邪が流行って医者の数が足りなくなると患者が押し寄せ忙しくなることから、
「カゼ(風)で動く=藪」という説もある。
「藪のように見通しがきかない」医者という説も存在し、この説に基づき、藪以下の全く見通しのきかない未熟な医者を「土手医者」と呼ぶこともある。
また藪医者以下のひどい医者のことは、「やぶ医者にも至らない」「藪にも至らない」という意味を込めて「筍(たけのこ)医者」と呼ぶこともある[3]。
藪医者を人名になぞらえて、“藪井竹庵”(やぶい ちくあん)とも言い[2]、落語などで藪医者を登場させる時、この名を用いることがある。
最近、脳のトレーニングとしてことわざや漢字などを覚えるようにしている。
落語を覚えることにも挑戦していて、ここ数日は、落語の寿限無の名前を覚えようとしているのだが、これが私にはなかなか難しい。
まではスラスラと暗唱できるのだが、問題はその後だ。3回に1回は
と言ってしまう。
そして水餃子と言うか言わないかに関わらず、さらに3回に1回はその後の
雲来末 風来末
が出てこない。
いかに日頃から記憶するという行為から怠けて、邪念の中で生きているのかを思い知らされている。
落語に関しては、まずは内容を覚えた上で抑揚をつけてしゃべるまでを目標としている。
秋ということで目黒の秋刀魚などにも挑戦しているが、台本を読みながらでさえも抑揚をつけてしゃべるのは上手く行かない。
鍛錬の日々だ。
心がアレな人にやさしくしてたら怖いことになったVTuberが話題ですね。
「うっかり信じちゃダメ」っていう俺たちにとって大切な真理も言葉で言われただけでは理解できないのもしゃーないものですから心の病がある限りこういった事例が無くなることはないでしょう。
もちろんここで言う「信じる」というのは俺たちみたいな社会不適合者が他人とまともにコミュニケーションを取れる可能性にすがってしまう件のことなんですけど、きららアニメみたいな他人と関わってるだけで幸せみたいな人生を夢見るヤングに「お前には死んでも無理だから他人に距離を詰めるのをやめろ」なんて言っても聞き入れてもらえないのはまあ無理からぬことなんですよ。
人生一度しかないわけですからすがっちゃうんですよ希望っぽいものが見えたら。
そんで無理なのに他者との関わりをやっちゃって自分をさらけ出して結果自分は傷つくし客観的に見ればこっちが加害者だし散々ですねもう。
我々の感覚としては優しくされると「この人だけは大丈夫かも?」とか思っちゃうんですよね。俺くらいになればもうその後どうなるか完璧に予測できるので全力で回避しますけど。
本心を殺してこちらの気分がよくなるような言葉を投げてくる人いますけど俺からすれば俺の好感度を上げるRTAをやられてるようなもんですよ。何俺の心を弄んでくれてるんですか。
落語に子褒めっていうお世辞を知らない人にお世辞を教える笑い話ありますけど俺はあれで笑えない。無理。
まあ辛いけどせいぜい健常者のフリをがんばって生きていこうや。
そういえばミナミノミナミノに似たような一幕があったっけ。二巻マダー?