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2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2013-05-28

正直言って本を読まない人を見下しているについて

http://anond.hatelabo.jp/20130528133141

 この話にはいくつか疑問符がつくとこがある。第一に、本を読まない人は「話の裏付けがない」と言ってるが、「本を読まない人って、ツマラナイ人間が多い」という発言にも「話の裏付け」がない点。まあ、これはそもそも「ツマラナイ人間」の定義が謎だし、裏付けしようのない話なのでおそらく「本を読まない人って、ツマラナイ人間が多い(ように感じる)」という筆者の感想なんだろうが、それなら断言などせずにそういう表現しないといけない。ちなみに当たり前だが個人の感想に話の裏付けなど必要ない。

 第二に、価値観多様性を認めるなら能力の差異も認めないといけない。例えば、将棋世界プロがみな羽生善治になれるわけではない。それどころか将棋好きな人間が全員プロになれるわけではない。これは野球しろサッカーしろ同じ事で能力にはどうしても差異がある。学問世界だって数学が得意な人、国語が得意な人、いろんな人間がいる。価値観が多様であることを認めるなら「個性」を認めなければならないし、「個性」を認めるならば能力の差異や多様性も認めなければならない。

 この筆者の最大の問題は「価値観多様性を認める」と言いながら「こんなヤツと一緒に働きたくなんかありません」などと他人をバカにし、自分の足を引っ張る人間を疎ましく思っている点だ。つまり、「価値観多様性」なんて全く認めてないし、認めていたとしても自分と同じ価値観の範囲での多様性自分以上の能力を持った人の価値観多様性を認めてるだけなのだ

 だけど、本ではない実際の世界では、個性があり個性がある以上能力に差異が生まれる。

団体競技などをやればよくわかるが、足を引っ張られる事もあれば、助けられることもある。会社に入って1年目の人間10年目の人間会社における能力に違いがあるのは当然だし、会社における能力がその人間のすべてではない。

本を読むことの重要性については同意するが、本を読むことを欲していない人間強要して本を読ませてもほとんど意味は無いだろう。

2013-03-29

電王戦第2局 佐藤慎一四段とPonanzaの対局によせて

基本情報

将棋棋士過去の対局によったイロレーティングによるランキングが有志の手で公開されている。

2012年度 棋士ランキング(http://homepage3.nifty.com/kishi/ranking2.html)。

大雑把に抜粋して以下のような感じ(2013/03/29時点、太字が第2回電王戦出場棋士)。現役プロ棋士はこの時点で総数163名。

順位名前レート今年度増減
1渡辺明竜王棋王王将197573
2羽生善治棋聖王位王座196529
12三浦弘行八段175110
32船江恒平五段16599
43阿部光瑠四段162315
79遠山雄亮五段*11543-84
95佐藤慎一四段*21511-10
100塚田泰明九段14961
105.5奨励会員*31478-41
125.5アマチュア*4142635

私の事前の予想では三浦八段、船江五段、阿部光瑠四段はおそらく安牌、佐藤慎一四段が勝てるか怪しい、塚田泰明九段は負ける、といったところだった。GPSの賞金イベントからコンピュータ将棋プロ上位クラスに及ぶとは到底思えず、しかし(短い持ち時間ではあるが)清水アマ*5には完勝している、というところからプロ中位以下にはソフトも善戦すると見積もったのだ。

そんなわけで明日佐藤慎一四段対Ponanza戦は、現役プロソフトに負ける可能性が高い重要な対局になるわけである、と思われた、のだが。

第1局(阿部光瑠四段 対 習甦)のおさら

事前にソフト提供を受けた阿部光瑠四段は習甦を見事丸裸にして*6、本番でも研究手順に誘導し研究通りに圧勝した。

くわしくは日刊SPAレポートとかを見てくださいと。

プロ棋士が解説「第2回将棋電王戦」初戦で人間が勝てた理由(http://nikkan-spa.jp/409911)

第2局(佐藤慎一四段 対 Ponanza)の展望

研究されればプロ圧勝というのはほぼ確定の模様。現状のソフトは様々な戦形において地雷のように弱点となる筋が埋まっているようだが、しか機械学習による評価関数パラメータ構築では個別局面における弱点を潰すことは難しい。古くなった定跡をそうと知らずに学習してしまうという問題もあるらしい。

Ponanzaはプロ側へのソフト提供を断っている。研究されることの圧倒的な不利を回避したわけだ。

しかソフト側の別の不安要素も明らかになった。

第1局のニコ生では参考用として、局面毎のボンクラーズ*7による評価値が表示されたのである

このボンクラーズの形勢判断、習甦の(プロが一目で無謀と判断した)仕掛け以降、ニコ生解説者阿久津主税七段のそれとことごとく食い違った。一時は習甦大優勢とも言える+400点をつけながら、習甦の攻めが切れるに至って頭を垂れ手のひらを返したのだ。

阿部光瑠四段は習甦の研究を重ねることで、実質的ボンクラーズ改めPuella αにも勝利した、といえる。

そしてPonanzaと(PonanzaはもはやBonanzaチルドレンではなかったです。追記有り)Puella αはともに先駆的将棋ソフトBonanzaの発展形(Bonanzaチルドレン)、、、

ソフト思ったより強くない。てか佐藤慎一四段圧勝じゃね?

おわりに

阿部光瑠四段が習甦に圧勝し、同時にPuella αが株を下げまくったおかげで、第2回電王戦趨勢が見えてしまった感がある。明日の第2局で佐藤慎一四段がPonanzaに勝利すれば、おそらく第4局で塚田泰明九段もPuella αに勝つだろう。第3局の船江五段は勝つんじゃないかな多分。三浦八段はさすがに格が違う。

はいえ。

最強棋士羽生三冠の通算勝率は0.7236、これから最強棋士渡辺明三冠は0.6877(いずれも2013/03/28時点)。

プロプロレベルの相手に5局指せば、一発二発くらいは食らうものではある*8。


追記

Ponanzaは2012年からBonanzaライブラリは使っていないようです。

第21回世界コンピュータ将棋選手権 参加チーム

http://www.computer-shogi.org/wcsc21/team.html

第22回世界コンピュータ将棋選手権 参加チーム

http://www.computer-shogi.org/wcsc22/team.html

これは熱戦が期待できる、かもしれない。

追記おわり


*1 将棋倶楽部24レーティング3000になかなか届かないらしい、最近2800台に落ちたともfrom将棋連盟ライブコラム

*2 著名なカツラ棋士佐藤紳哉六段、どちらもサトシン。

*3 ここでの奨励会員は三段リーグ参加者プロとの公式戦対局数が少ないため一緒くたに扱っている、順位が小数なのは引用元では順位が空欄のため。

*4 アマチュア奨励会員と同様、一緒くたに扱っている、順位が小数なのは引用元では順位が空欄のため。

*5 断トツに最強のアマチュア棋士、実力はプロレベルって渡辺明三冠ブログに書いてた。

*6 阿部光瑠四段が事前に習甦とみっちり練習対局してきた(できた)ことは、個人的にはどうかなと思う。言ってみればタイトル戦の相手とスパーリングしておいて、相手側の記憶だけ消去するような行為で、圧勝もさもありなんとなる。ソフトプロ棋譜食べて強くなってるわけだから問題ないって意見もあるが、棋譜と実戦は違うでしょ。今後のプロソフト戦ではソフト本体の提供は無し、代わりに本番に近いバージョンでの棋譜を戦形ごとに何枚か公開、とかがいいと思う。

*7 このボンクラーズは先の日刊SPAレポート(http://nikkan-spa.jp/409912)によると第4局のソフト側「Puella α」の最新版とほぼ同じバージョンであるらしい(Puella αはボンクラーズの改称名)。

*8 羽生渡辺は相手もほとんどトッププロでこの勝率云々

2013-03-20

作画オタク界隈のジャーゴンについて

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130318/1363707421#c1363722838

きてる 2013/03/20 04:53

Gl17さんは「作画を語るスレ」を全スレ読み直す所から初めてはいかがでしょうか。でないとお話にもなりませんので。

我々は「きてる」「たまんね」で全ての意思疎通が行えるんですよ。歴史と訓練の積み重ねでここまでやってきたんですよ。あなた出来ないでしょ?あなただけですよ。そんなの。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130318/1363707421#c1363738926

Yoshitada 2013/03/20 09:22

>>我々は「きてる」「たまんね」で全ての意思疎通が行えるんですよ

悪い。オレもそれはつきあいきれない。

ついでに指摘すると、その手の高度に内輪で最適化された言説が、世代を超えて浸透/伝承されることはない。

これ、ジジイ経験則な。

http://b.hatena.ne.jp/kowyoshi/20130320#bookmark-137280062

kowyoshi コメント欄

コメント欄の「きてる」という捨てハンの主張…えーと、ディープな作画オタクってそういうものなの?いやまあ、なんJもそうだけどディープコミュには特定のジャーゴンってありますが… 2013/03/20

このへんの。

我々作画オタクは、自称アニメオタクさんとアニメを語り合ったときに作画の話題が通じず歯痒い思いをした、という経験をおそらくみな一様に持っています

人知関係はもちろん、アニ研漫研mixiTwitterリアルでもネットでもこの悲劇を何度も繰り返しています

ところが作画スレでは一切の遠慮無く伝わってしまうんです。

それを端的に表しているのがこち亀のこれ。

http://livedoor.blogimg.jp/shake1728/imgs/0/5/052c46a0.jpg

もちろん作画スレには作画オタクしかいないので当たり前なんですが、この作画オタクというのが非常に少ない。

作画スレは1日1スレを消費するので人が多いのかもと思いがちですが、アップローダダウンロードカウントを見る限りROM含めて100人もいません。

Twitterにはアニメーターすら上回る知識を持つガチな方からにわかと呼ばれるカジュアル勢までいますがこれですら数百程度。

ただTwitterは3〜4年前の移住から既にコミュニティ成熟してしまっています

ブロガー連中は萌え豚と売り豚がほとんどで、真面目にアニメを観ているのは宮台東宇野かぶれの前島くずればかりという悲惨な状況。

新たに参加しようとしても冒頭の悲劇が繰り返される恐れがあるのです。

このような背景があり、我々作豚はお互いにシンパシーを感じ、馴れ合い感情を抑え切れないことが多くあります

「なあ」「つれえよ;;」「すげえわかる・・・

作画スレの会話はこんなのばかりです。

作画スレは疲れた作豚がボノボ最後の居場所なんです。

「きてる」「たまんね」はお互いの存在を確かめ合う言葉なんです。




今まで書いたのもネタとかではないのですが、それとは別の視点から

作画オタクが少ないというのを書きましたが、たまに「戦闘シーンがすごいアニメを挙げるスレ」みたいなまとめを目にすることがあると思います

わりとカジュアルに色んな人が語り合っていて、ブクマ結構ついたりします。

これはつまり作画がすごいということを話しているスレなんですが、そのスレで語っている人たちにそういう意識はあんまりないです。

というかアニメ制作についてもそんなにわかってないです。

原画動画とかレイアウトと原図、ひどいときにはコンテと原画の区別すらついてません。

そんな人たちでもある意味作画を語れているんですよね、戦闘シーンに限っては。

しかし芝居のアンテナは作画オタクしかついてないんです。

我々作画オタクは丁寧な芝居を非常に好みます

具体的にどんな作画が好まれるかについては御先祖様万々歳全部やゴールデンボーイの紀ちゃん、

最近のだとあの花2話の焼肉とかザムド最終話の大人ヤンゴと船長

みんなが観てそうなのだけいおんクリスマス回のプレゼント交換を思い出してください。(だいぶ系統違うけど丁寧ではあるということで)

こういう芝居にスゲェ!と目を見開いてしまうのは作画オタクだけなんです。

そして芝居というのは語るのが非常に面倒くさい。

粘っこいエフェクトとか派手なサーカスとか全然ない。

そのうえ下手なこと言うと突っ込まれて優越感ゲームが始まってしまう。

作画オタク教養主義たる所以です。

でもお互い共通認識は持っている。

もう「たまんね」でいいでしょ、だってたまんねえんだもん、となります

最近羽生善治が演技だ演技じゃないって盛り上がってましたよね。

増田で貼られてた動画観ましたがプロ2人の解説でもすごい素晴らしい天才だくらいしか言ってないんです。

僕は将棋からないんですが、それほどたまんねえ一手だったんでしょう。

たまんねえものにはたまんねしか言えないんですよ。

2013-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20130306014237

梅田望夫の「ウェブ進化論」で羽生善治が語る学習高速道路論でも似たようなことが書いてある。

ITインターネット進化によって将棋世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。

でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています

将棋格ゲーインターネットという情報高速道路によって、多くのプレイヤーが便利で効率が良く強い戦法を習得し、ワンパターン化が加速した。

多くのプレイヤーが一気に強くなって大渋滞になったが、他人と同じことしていても大渋滞を抜け出せない。

からこそ、その渋滞を抜けだ出した本当に実力のある強いプレイヤーが注目され、今の格ゲーは史上最高におもしろ時代になってきていると思う。


ウメハラの「勝ち続ける意志力」でもこう書かれている。

ここまでインターネットが普及すると、誰でも知っていることが多くなる。

例えば、このやり方が相当強い、それを知らない人にはだいたい勝てるといった戦い方もかなりの量流布している。

ある格闘ゲームのあるキャラクターけが使える便利な技があるとする。

すごく性能が良くて、それを使えば強いのは誰の目にも明らかといった技だ。

すると、みんなその技を使いたがる。そして、みんな同じプレイになる。

それでは10の強さは手にできるが、そこが行き止まりだ(10とは一般的な努力で到達できる最高点ということだ)。

時間がかかっても、バカにされても11,12,13の強さを目指す。

誰にでもできる戦法は選ばないし、それによる不利を苦とも思わない。

遠回りすることでしか手に入れることのできない強さがあると信じているからだ。

ウメハラのようにストイックに上を目指すのは常人では無理なので、とりあえず、便利で効率が良くて強い戦法を使う人の真似をしてみるといい。

そういったいわゆる格ゲーセオリーを完全に習得できたとしても、それでも勝てない相手がいつか必ず現れる。

その相手との自分の差は一体何なのかと考えることができるようになると一気におもしろくなるはずだし、たとえ全くプレイできなくてもセオリーさえ知っていれば、将棋プロスポーツ試合観戦と同じように、上手い他人の試合を見るだけでも楽しめると思う。

2011-05-10

「各界から絶賛の声が」

というのを読んで、てっきり「角界」のことかと思って、「なんじゃこれ。曖昧な書き方だね。誰が言ったんじゃい。羽生善治が言ったんなら認めてやらんでもない(キリッ」と言って恥をかきましたとさ。各界っていろんな業界って意味なんだね。国語は得意だったけど、世の中いろんな言葉があるね。

2010-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20101123002445

1.

足りないのは時間ではなくて頭。

未来を考えている間に今が過去になっていくんだよ

夢も目標理想も他人のウンコたいなもの

俺らが生きているのは今であって

1,2、3秒前は過去であって

未来だって必ず来るとは限らない

さあ、今を楽しもうぜ

過去を思うことは今を楽しむことに入らないのか?)

考えるだけ無駄だよ

努力するだけ無駄だよ

悩んでる時間もったいない

悩んでる間に死ぬかもしれないんだぜ

2.

努力なんかしても無駄

キミがどんなに努力したとしても世界残酷

大抵の夢希望願いは叶えてはくれないし

書店に並ぶ自己啓発本を読んだって

自己開発セミナーに通ったって

キミがどんなに努力したってキミは絶対に変われない

(あたりまえだろ。何を言っているんだ)

一言時間無駄」で片付けられる

努力なんてするだけ時間無駄

自己啓発セミナーを『努力』と言われてもアホかとしか言えない)

極端に考えればもっと分かりやすい

キミはイチローにも羽生善治にも

堀江貴文にも尾田栄一郎にもなれない

キミは特別な存在ではないんだよ

(それらの人を同列に語る時点でダメなんだよ。個別に見ていない)

「だって60億分の1なんだぜ俺が俺である確率

それに親父の精子の数だけ分母が増えて…

だから俺は特別な人間なんだ!!!」

とか真顔で言われたら、ああなんて不幸なんだ、としか思えない

この世界はそんな確率で生まれてくる人が

60億もいる奇跡なんだから

生まれてきた時点でキミの奇跡は終わりです

落ち着こう

精子云々ってお前が落ち着けや。どれだけ頭の中が精子だ)

動物園の檻の中にいるのは自分

と悟ったゴリラはその瞬間に死ぬだろうか

きっと自分を相対化して正当化するだろう

あんな小さな檻に入れられている

他の動物よりはマシ」ってね

それこそが「配られたカードで勝負する」ってことなんだ

受刑者はだから反省しないんだよ)

3.

理想も夢も目標も全部クソ

そんなもんどっかに捨ててちゃえよ

理想はその状態からの乖離

常にストレスを生み出す心の負債

「そうありたい」と願うことは一転

「そうなってない」という今にとって

これ以上ないストレスになる

幸せになるために最もいらないものだ

(そりゃお前さんが目標に向かって最短距離だと思う行動をしていないからだろう)

目標を定めた自分とそれを実行する自分には

時間軸のズレか生じていて

それが結局マンネリを生むから

これも心の負債

昨日の目標明日マンネリだよ

塞いだ心に理想目標も重すぎる

世界はキミに寛容ではない

(忍耐力が足りないんじゃねえの?)

努力している人がみな成功するわけではないが

成功している人はみな努力している」

ダウトダウトダウトダウト

精神障害者っぽいからやめろ)

この世には努力しなくても成功する人ばっかりなんだ

キミがイケメンになろうと努力しても

生まれて瞬間それを達成している人がいる

そういう人を「運がいい」と世間は呼ぶ

(運がよい以外に何があるんだ?)

違うんだよ、よく考えろ

「運がいい」ことこそが全てなんだ

努力しても運が良くなるわけじゃない

将来設計人生設計未来図も

全部全部捨てちゃえ

(あほか)

スポーツ世界では努力してもプロになれない

ということをキミは体感しているのに

なぜ生きていく上で必要なお金を稼ぐということ

このことに関しては努力すればプロになれると

思ってしまうんだい

(え、自分仕事プロだという自覚がないの?邪魔な奴だ。真剣仕事をする。仕事のことだけ考える。これだけできりゃその時点でプロだろ。あほくさ)

4.

「キミが死にたいという今日は昨日死んだ誰かが

どうしても生きたかった明日なんだ」

キミが明日のために捨てた今日

明日のキミが楽しみたかったイマなんだ

夢や理想に向かって努力している間

キミは貴重な今を犠牲にしている

(今を楽しむ。全力で取り組む。だから夢が叶う。)

どうするつもり?夢が叶う前に死んだら

明日だってくるかわからないんだ

交通事故明日死ぬかもしれないじゃないか

(常に全力なら後悔はしない)

そしたら将来のための

投資なんか意味ないものになる

やめようぜ、今を犠牲にするの

もっと楽しいことしようぜ

今夜はぱーりーだぜ

(きっとそれじゃ楽しめないよ)

5.

幸せっていつ感じるんだろうかって

しかないじゃんか

今が楽しければいいじゃんか

将来のことで悩むなんてアホかよ

太く長く生きようぜ

人生ゲーム

(まったくその通りだ)

お金を持っている奴が勝てるように仕組まれた

セーブもできない鬼畜ゲーだ

燃えるね)

でもゴールは幸せらしい

幸せってなんだい?なんだと思う?

それはキミが人より不幸ではないということだよ

だからその基準も尺度もキミ次第なのさ

絶対的な幸せなんかないんだ

(味覚障害とか不感症か?)

世界平和って

世界中の人々が一斉に不幸になること」

って知ってる人が少ないんだよ

キミも分かるだろ

キミより不幸な人がいない世界なんて想像できないでしょ

だから世界平和にならないんだよ

今すぐ天国に行く確実な方法は

今すぐ死ぬことなんだよ

(そう思うなら死ねば?)

6.

それでも努力するキミへ

キミが勝てない相手はキミがいるから勝ってるんだよ

キミも今の場所にいるのは誰かに勝っているからだよ

誰かしらがどこかしらで泣いているんだ

(俺は負けることも嫌いじゃないが)

キミも誰かの犠牲の上に立ってそこにいるんだから

キミも誰かの犠牲になることを嫌がったらだめじゃないか

(うん)

7.

書籍にはおそらく意味のあることが書かれている

というか意図して意味あること書いている

(そんなことはない。クズたいな本は山ほどある)

ただ所詮推敲されてない文章は

書くことに意味があって

書いたものに意味があるかは重要じゃないんだ

しかしなくてもキミが読んでいるこの文は

俺の思考の整理の副産物つまり死骸

だから人に会って話を聞かなきゃダメなんだ

(死骸の方が一方的に食えるから俺は好きだけど)

いか

キミの見ている世界は多分

キミが思っているよりも残酷

そこで生き延びるにはコツがいる

そのコツを教えてくれるのは誰だろう

自分自身の過去だろ)

今のキミにはわからないだろう

けど

しかしたら明日のキミはわかるかもよ

そしたらちょっと

生きてみようって思えるんじゃないか

いか

キミは特別な存在じゃないんだよ

(特別の定義からはじめろよ)

8.

そして全ての

「夢を語る」なんかクソ喰らえ

(微笑ましいじゃないか。どうしてそう邪険にする)

乗っている船の状態も知らないキミが

見ている夢はそう、本物の夢でしかないのだから

まずは今を分析することが

キミがすべきことじゃないのかい

(じゃあしろよ。いますぐにだ。三秒で分析しろ)

努力とは、馬鹿に与えた夢である」

立川談志も言っているじゃないか

キミはバカにもなりきれないよ


馬鹿にされたっていいだろう。周りの目なんて必要以上に気にするな。

無駄努力でもいい。むしろ無駄努力も良い。無駄努力をしてこなかった人間も、その人間を好きになる人間にも関わりたくない。自分自分を嫌うような人間にはなりたくない。

自分自分馬鹿にしてるんだよ、あんた。

努力すればなんとかなると思っているキミへ

1.

足りないのは時間ではなくて頭。

未来を考えている間に今が過去になっていくんだよ

夢も目標理想も他人のウンコたいなもの

俺らが生きているのは今であって

1,2、3秒前は過去であって

未来だって必ず来るとは限らない

さあ、今を楽しもうぜ

考えるだけ無駄だよ

努力するだけ無駄だよ

悩んでる時間もったいない

悩んでる間に死ぬかもしれないんだぜ

2.

努力なんかしても無駄

キミがどんなに努力したとしても世界残酷

大抵の夢希望願いは叶えてはくれないし

書店に並ぶ自己啓発本を読んだって

自己開発セミナーに通ったって

キミがどんなに努力したってキミは絶対に変われない

一言時間無駄」で片付けられる

努力なんてするだけ時間無駄

極端に考えればもっと分かりやすい

キミはイチローにも羽生善治にも

堀江貴文にも尾田栄一郎にもなれない

キミは特別な存在ではないんだよ

「だって60億分の1なんだぜ俺が俺である確率

それに親父の精子の数だけ分母が増えて…

だから俺は特別な人間なんだ!!!」

とか真顔で言われたら、ああなんて不幸なんだ、としか思えない

この世界はそんな確率で生まれてくる人が

60億もいる奇跡なんだから

生まれてきた時点でキミの奇跡は終わりです

落ち着こう

動物園の檻の中にいるのは自分

と悟ったゴリラはその瞬間に死ぬだろうか

きっと自分を相対化して正当化するだろう

あんな小さな檻に入れられている

他の動物よりはマシ」ってね

それこそが「配られたカードで勝負する」ってことなんだ


3.

理想も夢も目標も全部クソ

そんなもんどっかに捨ててちゃえよ

理想はその状態からの乖離

常にストレスを生み出す心の負債

「そうありたい」と願うことは一転

「そうなってない」という今にとって

これ以上ないストレスになる

幸せになるために最もいらないものだ

目標を定めた自分とそれを実行する自分には

時間軸のズレか生じていて

それが結局マンネリを生むから

これも心の負債

昨日の目標明日マンネリだよ

塞いだ心に理想目標も重すぎる

世界はキミに寛容ではない

努力している人がみな成功するわけではないが

成功している人はみな努力している」

ダウトダウトダウトダウト

この世には努力しなくても成功する人ばっかりなんだ

キミがイケメンになろうと努力しても

生まれて瞬間それを達成している人がいる

そういう人を「運がいい」と世間は呼ぶ

違うんだよ、よく考えろ

「運がいい」ことこそが全てなんだ

努力しても運が良くなるわけじゃない

将来設計人生設計未来図も

全部全部捨てちゃえ

スポーツ世界では努力してもプロになれない

ということをキミは体感しているのに

なぜ生きていく上で必要なお金を稼ぐということ

このことに関しては努力すればプロになれると

思ってしまうんだい



4.

「キミが死にたいという今日は昨日死んだ誰かが

どうしても生きたかった明日なんだ」

キミが明日のために捨てた今日

明日のキミが楽しみたかったイマなんだ

夢や理想に向かって努力している間

キミは貴重な今を犠牲にしている

どうするつもり?夢が叶う前に死んだら

明日だってくるかわからないんだ

交通事故明日死ぬかもしれないじゃないか

そしたら将来のための

投資なんか意味ないものになる

やめようぜ、今を犠牲にするの

もっと楽しいことしようぜ

今夜はぱーりーだぜ

5.

幸せっていつ感じるんだろうかって

しかないじゃんか

今が楽しければいいじゃんか

将来のことで悩むなんてアホかよ

太く長く生きようぜ

人生ゲーム

お金を持っている奴が勝てるように仕組まれた

セーブもできない鬼畜ゲーだ

でもゴールは幸せらしい

幸せってなんだい?なんだと思う?

それはキミが人より不幸ではないということだよ

だからその基準も尺度もキミ次第なのさ

絶対的な幸せなんかないんだ

世界平和って

世界中の人々が一斉に不幸になること」

って知ってる人が少ないんだよ

キミも分かるだろ

キミより不幸な人がいない世界なんて想像できないでしょ

だから世界平和にならないんだよ

今すぐ天国に行く確実な方法は

今すぐ死ぬことなんだよ

6.

それでも努力するキミへ

キミが勝てない相手はキミがいるから勝ってるんだよ

キミも今の場所にいるのは誰かに勝っているからだよ

誰かしらがどこかしらで泣いているんだ

キミも誰かの犠牲の上に立ってそこにいるんだから

キミも誰かの犠牲になることを嫌がったらだめじゃないか

7.

書籍にはおそらく意味のあることが書かれている

というか意図して意味あること書いている

ただ所詮推敲されてない文章は

書くことに意味があって

書いたものに意味があるかは重要じゃないんだ

しかしなくてもキミが読んでいるこの文は

俺の思考の整理の副産物つまり死骸

だから人に会って話を聞かなきゃダメなんだ

いか

キミの見ている世界は多分

キミが思っているよりも残酷

そこで生き延びるにはコツがいる

そのコツを教えてくれるのは誰だろう

今のキミにはわからないだろう

けど

しかしたら明日のキミはわかるかもよ

そしたらちょっと

生きてみようって思えるんじゃないか

いか

キミは特別な存在じゃないんだよ

8.

そして全ての

「夢を語る」なんかクソ喰らえ

乗っている船の状態も知らないキミが

見ている夢はそう、本物の夢でしかないのだから

まずは今を分析することが

キミがすべきことじゃないのかい

努力とは、馬鹿に与えた夢である」

立川談志も言っているじゃないか

キミはバカにもなりきれないよ

2010-10-09

木金、竜王戦がはじまる

名人と並ぶ称号、竜王。この二つを同時に得てこそ、将棋界のチャンピオンといえよう。

名人になるにはまずいくつか方法でプロ棋士にならねばならない。そしてプロ資格を得るとまず、序列で最下位の地位を得る。毎年、プロ棋士160名ほどを5層に分けたリーグ模様の対局を行い、各層の成績で上位下位の2~4名を入れ替え序列も整え直す。これを順位戦という。最上位のA級には10名の騎士が在籍し、各棋士がそれぞれ年9局を戦い、最優秀者が名人への挑戦権を得る。

名人になるには最短でも5年もかかり、さまざまな相手に勝ち続ける必要があるので、安定した実力がなければ名人にはなれないであろう。

竜王になるには一年でよい。そして女流枠や資格が必要とはいえアマチュア枠もある。そのかわり、竜王戦で実績を積んである1組16名から5名、2組16名から2名、その他3~6組130名ほどから4名のなかに選ばれ、さらに11名からなる変則トーナメントを駆け上がらなくてはならない。特に3~6組に割り振られたら誰にも負けずに駆け上がらないと挑戦者資格は得られない。

竜王になるには、たった一年間でもいいが、その間は誰にも負けないほどの実力が必要となる。

竜王渡辺明。20歳から6年間その座に就いている。竜王戦にて倒してきた挑戦者も森内、佐藤(康)、木村、と実力者ばかりである。名人挑戦への道である順位戦も、苦労しながらようやく挑戦者リーグであるA級に食い込んだ。いま成績三位であり十分に挑戦権を狙える位置にいる。そしてなにより牙城の竜王戦、土壇場で絞り出される底力は凄まじいものがある。

名人羽生善治40歳に到達するがますます強さを増している。七冠独占をはじめ、20年間近くどれかのタイトルを保持し続ける、対局相手のほとんどがトップレベルにも関わらず千局以上指して勝率が七割を優に超える、あと一度でも竜王を奪れば全七大タイトルで永世・名誉位が揃う。さらに今年度は現在勝率八割をも超え、王座戦では19連勝中での19連覇中と勢いが止まらない。

そして、二年前を思い出す。

そのときも渡辺は、羽生竜王挑戦者として迎えていた。大局観、読み、研究手を咎められ、渡辺は三連敗し、崖っぷちに追い詰められた。後が無い第四局目も玉将を裸にされ、負けたかとうなだれる。しかしギリギリで詰みがないことに気づき、攻め、逆転勝ちを収めてしまう。そして続く第五・第六局を絶好調の羽生相手に圧勝、乱戦の最終局まで決め手を躊躇させたのか制してしまう。将棋界初のタイトル戦3連敗4連勝が刻まれた瞬間であった。

あれから二年。今年の挑戦者は、羽生善治名人

竜王戦が、はじまる。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

注:誤りが無いようにと努めてはおりますが、記事の内容は保証しません。

2010-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20100718133504

羽生善治の他にプロ棋士何人いると思ってんだ。

あがくとか無意味とか両方おかしいぞ。

2010-06-26

日本代表羽生善治

サッカー日本代表グループリーグにおける進化を目の当たりにして、棋士羽生善治言葉を思い出した。

勝負どころで一番大切なのは自分を信じること。自分を信じられるかどうかが一番難しい。他人のことは100%は知らないので、簡単に神格化できる。日常から自分を信じられると、決断しなければならない場面において不安がなくなる

初戦のカメルーン戦、続くオランダ戦、そして歓喜のデンマーク戦、この3戦における日本代表進化はまさしくこの言葉通りではないだろうかと思う。

岡田ジャパン戦前からコンセプトに掲げていた、運動量組織力によるディフェンス。何戦も行ったテストマッチで全くと言っていいほど結果が出ず、岡田監督が目指すサッカー自体に問題があると、ほぼすべてのサポーターは思っていたはず。

オランダ戦を終えた時点でディフェンスに関する不安は払拭出来ていたからこそ初めてデンマーク戦でオフェンスが機能した。

過去オフェンスが機能しなかったのは、テクニカルな要素以上にディフェンスに自信を持ちきれなかったことが一番の要因だったかのように思える。

さらに言うと、こんな短期間で劇的な進化を体現できたのは、それがW杯という大舞台ゲームだったから、ということ。

タイトルのかかったような重要な一局であえて得意ではない戦法を試すのはなぜかという問いに対し羽生は、

今一番手堅い戦法は次の一局に勝つためにはベストだが、五年後、十年後と長期的に見るとベストかどうかと言われるとそうではない。リスクをとって大舞台でやってみなければ学べない、怖い思いをしてやらなければ吸収できないものはたくさんある。

将棋自体には詳しくないのだが、この言葉を聞いてそれを感覚的に理解できても、ある意味勝ち負け二の次でそんな場面を自分進化に利用している羽生は恐ろしいほどの境地にいるように思えるが、それほど大舞台では人間進化できるということ、それを成功させた日本代表に更なる勝利を望む。

2010-04-14

ほんとうの強者は敗北をもってしか語れない

2006年から、将棋大賞に「名局賞」が制定された。文字通り、その年の最も素晴らしい対局に贈られる賞である。

羽生善治はこの名局賞を三年連続で受賞した。表彰されたのは、すべて羽生が負けた一局であった。

 

第35代横綱双葉山の70連勝を阻止した安藝ノ海に、師である出羽親方はこう言ったという。

「勝って褒められる力士より、負けて騒がれる力士になれ」

 

競馬に"Upset"(番狂わせ)という名前競走馬がいた。

競馬史上最強の一頭であるMan O' War(21戦20勝)に唯一土を付けた馬であり、この一勝とその馬名のみによって、今でも強く記憶されている。

 

野球の打撃"二冠王"のうち、最も稀な組み合わせは首位打者本塁打王である(NPB史上11例、三冠王と同じ回数)。

この二冠を獲得できるくらいの打者なら、打点王も獲ってしまって当たり前だからである。

しかし王貞治NPB史上ただひとり、この首位打者本塁打王を3回獲得している。

直後の4番に長嶋茂雄が控えていながら、それでも敬遠され続けたがゆえの珍記録である。

 

ほんとうの強者は敗北をもってしか語り得ないのかもしれない、と、タイガー・ウッズマスターズ4位コメントを見て思った。

2010-03-17

継続できる情熱=才能 Doblog - CHANNEL50%

ttp://www.doblog.com/weblog/myblog/1524/2536290#2536290

以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた、しかし今は、十年とか二十年、三十年同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。直感でどういう手が浮かぶとか、ある手をぱっと切り捨てることができるとか、確かに個人の能力に差はある。しかし、そういうことより、継続できる情熱を持てる人のほうが、長い目で見ると伸びるのだ。 『決断力』羽生善治 著 ~P.170~

2009-06-04

梅田望夫氏のいうところの「ハイブロウ」「超一流」とは?

日本Webは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)への反応まとめ

ttp://twitter.g.hatena.ne.jp/maname/20090603/1243895829

「そういう言われ方をすれば、もうみんなそう思っていると思うけど、僕はそういう人間だよ。

ハイブロウなものが好きですよ。それはしょうがないじゃない。」

「やはり僕は、こういう超一流の世界が好きだから。」

ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/02/news062.html

さて、梅田氏のいうところの「ハイブロウ」「超一流」とはなんでしょ?

羽生善治日本トップクラスというのはわかる。

しかし、梅田氏が仕事パートナーとして選んだ対談相手・共著者は以下の面子だよ。

茂木健一郎フューチャリスト宣言」(ちくま新書

齋藤孝私塾のすすめ ここから創造が生まれる」(ちくま新書


茂木に齊藤!

異常なペースで内容スカスカな本を量産するエセ学者

上の2冊ももちろん内容スカスカな薄味対談本でしかない。

雑誌「本人」6号の、西村博之ロングインタビューでは、ひろゆき

梅田氏から対談を断られたエピソードが語られている。

つまり、対談相手を選んだ結果が茂木や齊藤なわけ。

「超一流」好きのくせしてこの2人を選んでいるのだから、

その眼は曇っているとしかいえない。

また、この2人がスカと知っていながら組んでいたとしたら、

一流嗜好は抑えてマスをターゲットとする覚悟、割り切りが必要だ。

結局どっちつかずだから嫌われたんじゃないのかね。

「上の子」向きというが、「上の子」だったらこんな駄本をまず読まないよ。


□□□□□□□□□□□□

□□□□□□□□□□□□


あと、余談となるが、この人のコンサルとしての実力はどうなんだろう?

コンサルベンチャーキャピタリストの本を読むと、本人の経歴と実績が

守秘義務の範囲内で)これでもかと書かれていることが多い。

自己アピールしてなんぼの業界であり、本などというコンサルに比べると

恐ろしく儲からない仕事をする理由はそこにしかない。

(主張の説得力を高める効果もあるが)

しかし、梅田氏の場合、本やインタビューを読んでもコンサルタント業の

実績がよくわからないんだ。

謙虚で奥ゆかしい性格である可能性はあるんだけど、だったらそんな人がシリコンバレー

やっていけてんのか、という疑問が湧く。

この人、コンサルとして一流なの、二流なの?

取締役として参画しているはてな経営状態が証拠だ、という意見

とりあえず抜きにして。

2009-05-10

シリコンバレーから将棋を観る」英語版からの超訳版。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20090420/p1

を受けて、

http://d.hatena.ne.jp/shotayakushiji/20090508/1241797762

http://modernshogi.pbworks.com/

と言う形で下訳された「シリコンバレーから将棋を観る」の英語版。

これにエキサイト翻訳をかけ、だいたいのところをつかみつつ、超訳をかましてみました。

シリコンバレーから将棋を観る」のリバースエンジニアリングと言えます。

リバースエンジニアリングに正当性を持たせるため、「シリコンバレーから将棋を観る」は購入はもちろん、ブログ引用などに目を通すことすらしていません。純粋英語版だけを元にしています。

このため、特に邦題、固有名詞、会話の語調などが間違っている可能性がありますので、その点はご承知おき下さい。

また、今のところ実施したのは前文のみです。

下訳は1時間超訳は全く別のDVDながら見しながら3時間ほどで終わらせましたので、その程度の精度と取っていただければ。

ツールとして、アルク英辞郎(http://www.alc.co.jp/)を始め、オンライン辞書Amazon書籍検索Wikipediaなどを活用しました。IT革命仕事のツールが便利になったってのは本当ですね。

忙しい人のために要約しておきますと、

と、こんな感じみたいですが、実際のところどうなんでしょう?

前文「指さない将棋ファン」宣言

 20世紀末に起きたIT革命と急速なグローバル化社会はより複雑に大きく変わりました。得られる情報は増え、仕事に使う道具も増えました。その結果、昔(と言っても20年ほど前ですが)に比べ、今は、自分に合った仕事をやりたいとか、やりがいのある仕事をやりたいとか、そういった仕事できちんと生活したいと思うと、一人前になるために必要な期間も、そうなってから働く時間も、ずいぶん長くなってしまっています。良いか悪いかは別にして、「自分趣味に関することを勉強しよう」とか「趣味仕事にしよう」というのがなかなか難しい時代なのです。

 将棋は、日本社会日本の文化として、日本人の心に深く根付いています。日本人なら、小学生、あるいは中学生の時は、将棋でよく遊んでたな、という人も多いでしょう。ただ、そんな時代は長くありません。将棋に夢中だった男の子女の子も、10代後半以降、専門の勉強が増えるなどして忙しくなると、だんだん将棋を指さなくなります。私も他の皆さん同様、そうやって将棋を指さなくなったうちの一人でした。

 10代末から始めてきた自分の専門をいかして働き、それで家族を養っていこうと、日本を去りシリコンバレーで生活してきた、というのが、私のこの25年のことでした。そうして私は自然将棋を指さないでいました。

 とはいえ、日々忙しいなか、たま余暇には将棋に関する情報に触れていました。著名な将棋関連本でしたらほぼ全ての書籍を読んでいましたし、雑誌"将棋世界"を定期購読したりしていました。ですから、遠く離れた場所から、日本将棋棋士の魅力にとりつかれていたと言えます。

 将棋を"指したり"、"腕が上がったり"、する暇は全くありませんでしたが、今でも将棋を"観戦したり"、棋譜を"読んで楽しんだり"、将棋から"人生のヒントを得たり"することは日常のことになっています。例えば、米長邦雄永世棋聖(日本将棋連盟会長)が記した名著「人間における勝負の研究 - さわやかに勝ちたい人へ」(82年、祥伝社)は私が大学にいる時に出版されたものですが、私にとっての必携の本でした。重要な決定に関わる時、この本が自分を助けてくれたことが何回もありました。また、金子金五郎九段については、おそらくこの本の中でも何度も語るでしょうが、単に彼の本がいい、だけにとどまりません。彼の本は、私の執筆の手本となっていますし、彼の生き方が、私が後半生に目指したい生き方でもあります。

「指さない将棋ファン」である私。

 私はこうして将棋に係わってきましたが、将棋はほとんど指してきませんでした。そのため、将棋が好き、といったことや、趣味将棋、といったことを公言してはいけないと思っていました。将棋を好きと言うためには将棋が上手くなければいけない、そんな空気があるように見えるのは私だけでしょうか。将棋界の一員になるには、敷居が高すぎると考えたのです。それで、私は一人静かに将棋を愛し続けました。

 40代になり、暇になってきたので、私は愛する将棋について、自分ブログでつぶやき始めました。

 すると、驚いたことに、かなりの反応があったのです。日本にも、将棋を指さなくなって長くなっても、心の中では将棋を愛し続けていた人がいたのだとわかりました。

 小学校の同級生で、今は外科医をしている友達に30年ぶりに会った時にいちばん盛り上がった話題は、前に私がブログで書いた話がきっかけでした。

梅田、お前、子供の時から将棋が好きだったのか。俺も下手の横好きでな。医学部に入ったら、将棋を指す暇なんてなくなっちゃたけど。でもなあ、今度中二になる俺の息子が、将棋クラブに入っていて、毎週あいつと毎週日曜のNHK将棋番組を見るのが楽しいんだよな」

「なら、将棋の大ファンじゃないか」

「いや、未だに将棋を指す時間はないし、下手だし」

将棋を見るのが好きなら、俺と一緒で、十分趣味と言えるよ。プロ棋士はすごいよなあ」

「今から5,6年経ったら、オペも引退だろうし、そうしたら暇になるから、その時は将棋観戦ももうちょっと楽しいだろうな」

彼と将棋について話している時間はあっという間に思えましたが、それは子供時代にタイムスリップしたひとときでした。

また、S社の技術関連責任者10名と、新技術商業化に関してぶっちゃけ会議を行った時のことです。会議の後で、そのうちの1人のソフトウェア技術者、私はこの人とは初対面でしたが、彼が私に話をしに近づいてきました。30代で、凄腕の技術者です。

梅田さん。将棋が好きって本当ですか?」

「ええ」

ブログ将棋に関するエントリ、読むの好きですよ」

「それはうれしい。仕事のあとでそういう話が聞けるのはいいですね。」

自分高校の時には初段を取ったくらいの腕前だったんですが、大学に入ってからはソフトウェアにかかりっきりで、将棋を指す暇がなくなってしまったんですよ。でも、時々雑誌とかテレビとかインターネット将棋をみていましたし、それで鳥肌の立つこともありましたよ。あれは本当に面白いものです。学生時代将棋に没頭する人たちがいて、彼らはアマ有段者だったりするんです。そういう人が仕事場にいるんですが、ああいう人たちを見ていると、どうも自分将棋ファンだと公言するだけの資格がないように感じてしまって。」

「そんなことはないでしょう。あなたは"指さない将棋ファン"だし、"趣味将棋観戦です"と言えばいいんです。私は自分趣味を言う時には"将棋"ではなく"将棋観戦"と言いますよ」

また別の機会には、K社の役員会議オブザーバーとして加わって、そこの社長と話しました。

「ええ、自分羽生さんの本を会社経営の参考にするためにいつも読んでます。生きている間に1度は彼に会いたいと思っています。10年以上もアメリカで疲れる暇もなく働いているせいで誰とも将棋を指せなかったのですが、でも将棋に関する雑誌はずっと読んできました。役員会に招集されて日本に戻っても、すぐに世界一周に飛び立たないといけないので、雑誌を読むのは主に機内でですけどね。将棋を指す暇は全くありません。」

将棋の大ファンじゃないですか!」

「いえいえ。上手くはないんです。子供の時にはいつでも将棋で遊んでましたが。今となっては将棋の腕を磨く時間すらとれません。今はコンピュータ将棋も強くなりましたが、自分にとっては羽生さんが活躍しているのを遙か遠くから静かに見守るのが、自分将棋の腕を磨くよりもいいと考えてます。」

「そのうち、タイトル戦の大盤解説を一緒に見に行きましょう?」

「いいですね」

将棋界は完璧才能で成り立っています。谷川浩司。あの人が出てきた時は、まさしくそ才能完璧才能の人が現れたと思いました。しばらくしたら、羽生善治が現れました。10年経って、別の完璧才能が現れるんです。なんというか、将棋界はかくも信じがたき世界ですよ。私が強く将棋に惹かれるのもそこです。でも私は将棋を指すのがうまくないんです。上手くないですから、将棋界の外から静かに見守ります。」

どうも世界中に、彼らのような"指さない将棋ファン"がまだまだ隠れていそうです。

 最初ブログ将棋エントリをこわごわ書いていました。将棋の上手い人がそれを読んで「こいつは将棋を知らないな、まともに指せもしないのになんでこんなことを書いているんだ」と思われるのではないかと思ったのです。

 しかしながら、隠れ将棋ファンの皆さんから来た思いがけない反応をみて、私は将棋界で何かお役立ちの一端を担えるのではないか、また"指さない将棋ファン"というコンセプトが、ファン層を厚く、広くするために重要ではないか、と思うようになりました。

 子供将棋人口を増やすために親に将棋を広める、というのも大事ですし、それ以上に、将棋グローバルになるるためにも大事です。

 また、羽生さん、佐藤さん、深浦さん、渡辺さんのようなプロ棋士と仲良くなったのですが、同じようなことを皆さんも常々考えていたようで、"指さない将棋ファン"や"将棋観戦のファン"が増えるよう、私を励ましてくれました。

 将棋を見て、楽しむのに、特段必要なものはありません。

 誰でもすぐに「指さない将棋ファン」になることができます。

 将棋を指さなくなっても、将棋界のことを考えている人、理由はともあれ将棋好きだけど、将棋が上手いとは言えない人、将棋を今まで指したことがないけれど、棋士の輝きに魅了されて、そのため将棋により興味が湧いた人。

 それらの人たちに向けて、私はこの本を書いています。

 将棋を指さずとも、将棋の楽しさはわかるように、素晴らしい棋士楽しみを感じられるように、何か変わったことがほしくて将棋を見始めたくなるように。

 本当にそうなって欲しいなと願いながら、私はこの本を書いています。

2008-12-13

将棋界をドラゴンボールで例えてみた

id:essaさんのエントリーにあるように、竜王戦(羽生vs渡辺明)がいま盛り上がってるのね。

第21期竜王戦 -- 高速道路の先にある名勝負

流れを簡単にまとると、

羽生が開幕から三連勝で今年の竜王戦は事実上終了

→いつもは旦那に対して辛辣or無関心(を装ってる?)な渡辺夫人がブログ上で異例の励ましメッセージ

 妻の小言。 : 『スラムダンク』

はてブ2chで、( ;∀;)イイハナシダナー

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 【渡辺明竜王夫人】伊奈めぐみスレッド 

渡辺明がありえん三連勝で同星

 「めぐみが流れ変えたん?」

→最終戦に持ち込まれて将棋ファンワクテカ

将棋界って棋士キャラクターも人それぞれで面白いのね。

このワクテカ増田のみんな(15人くらい?)で分かち合いたいと思って、

将棋を知らない増田のために、わかりやすく棋士ドラゴンボールで例えてみたんだけど……

逆にわかりにくいかな。

梅田望夫 = ヤジロベーで雰囲気だけ掴んでもらえたらと思う。

将棋ファンだから、いつかドラゴンボール七つ集めて村山聖を生き返らせるんだ……。

2008-11-28

竜王戦第四局個人的メモ

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このメモは個人的なものであり誤りが大量にある筈なので、くれぐれも絶対だとは信じないこと。指摘大歓迎。

1.将棋には、タイトルのひとつとしての竜王と、駒のひとつとしての竜王がある。駒の一つとしての竜王飛車という駒が裏に成ることにより現れる。

2.相掛かりでなければUFO銀や棒銀は珍しくない。

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最高位の座を名人位と二分するタイトル竜王[1]、四連覇中の若き渡辺明竜王挑戦者するのはこちらも計六度竜王であった有名な羽生善治名人、どちらも五連覇もしくは計七度保持すればえられる永世竜王それも初代をかけた戦いになった。

渡辺は第三局まで三連敗の上に内容が悪くなっていっているのではとも噂されはじめ、しかも四局目は戦型を選びにくく不利といわれる後手番であった。

その渡辺羽生は近年凄まじい高勝率をあげている相掛かりという戦法で襲い掛かる。普通なら角道を開けて拒否するのだが渡辺には「相掛かりを受けて立って悪くなるはずがない」という信念があり、真正面から受けて立った。

相掛かり自体は前例がたくさんあるのだが、早くから羽生好みの銀が「右」からUFOのように昇っていく形は珍しいらしい[2]。少しでも踏み外せばあっという間に勝負がつきかねない激しい変化にもかかわらず局面はどんどん進行していく。

速い戦いにせざるを得ないと読んだのだろう、渡辺は玉を真っ直ぐひとつ上がり守りの駒を少し離して「中住まい」にした。この利点は守備が早く完成する事、駒を均等に配置するので持ち駒を放たれてしまう隙間が少ない事、そのわりに玉が逃げ回る空間は広い事である。

しかしなんと羽生UFO銀を「左」に下げて守りに使い出した。

矢倉といえば普通は金矢倉であり、銀矢倉は最近姿を消していた。それは主に築城にかなり手間がかかり、その間に相手に好き放題されてしまいかねないからである。しかしそれを羽生は成し遂げた。

この固い守りに渡辺はすぐに手が出せない。かといって渡辺が本来得意とする、熊が冬眠するような堅い守りにしようとすると、組み上げるときにどうしても避けられない大きな隙を狙われるため不可能。対して羽生は隙をみせずにもっともっと守りを固めていくことができる。これは一日目にして既に勝負あったのではないかと考える人もいたようだ。

もはや渡辺には攻め抜く道しか残されていなかった。

銀矢倉でほぼ自陣を固めきった羽生に対し、極限まで駒を攻めに向かわせた渡辺渡辺の陣容はその左右対称性からインベーダーとも呼ばれた。美しく見える人もいたかもしれないが、いざ攻められると非常に脆く崩れやすい。ここで手が封じられて翌日へ…。

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いよいよ渡辺の猛攻が始まった。苦悩の果てに羽生の銀矢倉への正面突破をみせる。だがそれに応じ羽生は銀矢倉から更に硬い囲いに組み上げた。観戦する誰かが局面を後手の渡辺側から見てみろよと言い出すと、方々から渡辺絶望的との声が上がる。そして渡辺は貴重な守りの駒さえもひとつ犠牲にする。

と、ここで渡辺は駒を渡す。また千日手(繰り返し)のようで千日手ではない似たような手順を繰り返す。妖しい手に戸惑う観衆。その手順から渡辺飛車が間隙を縫って、羽生の守りとは離れたところに突入し、竜王[1]と成った。

竜王を頼りに敵陣に突入できるできるかもしれない、と微かに望みが繋がった渡辺。とはいえ、その間に羽生は激しい攻撃を繰り出したり、かと思えば絶妙のタイミングで守りに切り替えたりして、渡辺を崖っぷちから逃さない。

竜王を頼りに敵陣に突撃してゆく渡辺の玉、させまいとする羽生。もし突入されてしまうと、規定により駒数が少なくなってきた羽生は負けかねない。複雑な変化を掻い潜るなかで、遂に羽生の手が震え始める。

「手が震えたという事は、羽生ギリギリの勝利を確信したのか?」と噂され始める。敵陣に突入しかけるが更に厳しい迎撃に合う渡辺。お互いに勝負を決する難解な選択が連続する。やがて震えることもなくなり力強く渡辺竜王を取り飛車として駒台に乗せる羽生。勝負はあったのか…?

対局の直前に渡辺は「諦めたらそこで試合終了だよ」と嫁に励まされていた。

なんと再び羽生の手が震え始める。その中で玉が非常に危険なのにも関わらず果敢に飛車を打ち込む渡辺、そして再び成って竜王とする。羽生は全力で渡辺の玉を追うが、なんと打ち歩詰め禁止のルールゆえという際どさで凌いでいた。

加えて将棋は後ろに攻めにくいようになっているので、羽生陣の奥に突入された渡辺玉はもう捕まらない。だから勝敗は駒の数で決する規定が適用される事になるのだが、それも渡辺玉を捕まえるために手放し過ぎてしまった。遂に羽生は敗北を認めた。

第5局は12月04日・05日、和歌山県西牟婁郡白浜町むさし」で行われるようだ。

メモ

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