はてなキーワード: 漢文とは
横増田です。
増田の主張は結構一理あるんだが因果が多分逆で、増田の言うバカ(教育を受ける機会に十分に恵まれない人)でも文章が読み書きできるようするために言文一致が求められたのではないだろうか。
明治時代の「国民」創出の中での義務教育で、日本漢文に近い読みは効果的ではなく、その時代の発話に近く、かつ公用で使える表現が求められたのだと思う。
だからむしろ小説や講談よりも、新聞や雑誌などが言文一致を担ったのだと思う。そうしたフォーマットを用意することで、初めてバカ(教育を受ける機会に十分に恵まれない人)は書く機会に恵まれる。
形式がないと、増田の言うバカ(教育を受ける機会に十分に恵まれない人)は自分から書けないのだと推測します。
そして事態を難しくさせていることは、以外に文語文が時代の洗練を経て便利だったと言うこと。結構生き延びる。
こちらもまた、高等教育になるのだろうけれども形式に慣れてしまえば文語文もまた利便性があったのだろう。
専門じゃないけどそんなふうに思っています。
子供のころ、両親共働きで帰りも遅くて、地元の公民館にあった図書室に入り浸ってたから色々小学生で読んだら不味そうな本とかも読めて学校の図書室より面白かった
公民館のイメージが地域によってバラバラみたいだけど、基本毎日9〜19時くらいまで開館してて、事務所にいつも何人か職員の人がいて、老人がカルチャー教室とかで集まったり、地域の会合とかがあったり、ちょっとしたホールがあって演歌歌手のどさ回りがあったりする感じのやつ
子供向けの本のコーナーは全体の1/4、郷土資料とか図鑑とかが1/4、あとは娯楽小説とかのハードカバーって感じだった(文庫本や漫画は確かなかった)
佐藤ラギのギニョルとか、当時意味わからないなりになんかヤバいものを読んでる…と思ってたりしてめちゃくちゃドキドキした
高校生になると市の大きな図書館が高校から歩いて30分くらいにあったからそこでも毎週上限まで借りて、高校の図書館は文庫本が多めだったからそこでも毎週上限まで借りて、めちゃくちゃたくさん小説を読んでた。
新書とか論評とかは全く興味なくて今に至るまで読んだことがない。あれだけ流行ってたバカの壁とかも読んでない。
高校の図書館は毎年貸出冊数の表彰してくれてて三年間毎年図書カードをもらってたし、国語のテストや模試の成績だけはいつも良くて、現代語の小説しか読んでないのに古文や漢文も小論文も苦労なく解けてた。
大学ではオタクになって、生活費を削る勢いで商業BLの小説と漫画を読み漁った。
それなのに就職したら全く本を読まなくなった。文庫本一冊読みおわるまで集中力もたなくて何度も中断して結局よみかけの本がたくさん棚にある。
その代わりにずっとTwitterみてる。いろんな人の本当かどうかわからない呟きも小説みたいなもんだな〜と思うとダラダラと何時間でも見てられる不思議
あれだけ本読んでた私が本読まなくなるほど高負荷の労働をそれなりにこなして、趣味にも家庭にも力入れられるとか世の中の人どうなってんだろな…偉すぎる
実際に高負荷だった新卒で入った会社を辞めて、楽な方に楽な方に流れてきて、月の残業10時間未満の仕事に就いてるけどそれでも土日は布団でゴロゴロしてるとすぐ終わるし、平日も20時に帰宅して飯風呂即布団みたいになるし…
まとめると、本に簡単にアクセスできる環境で育ててラッキー、多読してる分国語の成績は良いけど他の教科の勉強してないからトータルするとバカの部類、労働は体に悪い
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 84 | 8053 | 95.9 | 36 |
01 | 39 | 10228 | 262.3 | 72 |
02 | 85 | 12608 | 148.3 | 49 |
03 | 29 | 7177 | 247.5 | 46 |
04 | 19 | 1887 | 99.3 | 44 |
05 | 37 | 3935 | 106.4 | 25 |
06 | 35 | 5268 | 150.5 | 43 |
07 | 46 | 4701 | 102.2 | 42 |
08 | 103 | 11669 | 113.3 | 46 |
09 | 76 | 6903 | 90.8 | 57.5 |
10 | 72 | 10356 | 143.8 | 50 |
11 | 102 | 15737 | 154.3 | 45 |
12 | 145 | 11242 | 77.5 | 39 |
13 | 122 | 13625 | 111.7 | 44 |
14 | 100 | 7678 | 76.8 | 42.5 |
15 | 106 | 10698 | 100.9 | 49.5 |
16 | 90 | 8882 | 98.7 | 50.5 |
17 | 93 | 7654 | 82.3 | 42 |
18 | 124 | 13754 | 110.9 | 40 |
19 | 175 | 17306 | 98.9 | 36 |
20 | 198 | 15545 | 78.5 | 44 |
21 | 176 | 14977 | 85.1 | 42.5 |
22 | 167 | 12513 | 74.9 | 35 |
23 | 222 | 27247 | 122.7 | 37 |
1日 | 2445 | 259643 | 106.2 | 42 |
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以前別な増田で書いた事があるが、多くの人が受ける受験科目では「時代によって内容が変わる」のは不向きである(安定した能力を持つ教員を多数確保するのが困難なため) 古文・漢文は変わらないがゆえに、法律や情報処理より受験科目として適していると言える。
もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論も操作できることが多い。
ただし、数値データを必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。
数値データの必要性を、「国民としてのアイデンティティ形成」に限定して書く。
が、この比較は教育では難しい。ある群に「教育的に行うべき」と考えられていることを「あえて行わない」ことが倫理的に許されにくいからだ。
日本の場合、古典教育を行わなかった時期は存在しない。そのため、時代を変えて比較することもできない。あえて行うなら、不登校層などになるかもしれないが、その場合その他の条件が異なりすぎる。その他のフリースクールなどを参照することも考えられるが、これも前提条件が異なりすぎて比較にならないだろう。
参照するなら、他国におけるデータになるだろう。これは探せば存在するかもしれない(以前は行っていたが行わなくなった、あるいは、行っていなかったものが行うようになった、など)。
また、短期間のデータ(古典教育を行う前と行った後でどのように変わったか)も存在するだろうが、短期間で「効果がある」と言えるのかは疑問(短期的には何かしら影響は出るだろうが、長い期間では剥落するかもしれない)
もちろん、その他の「意義」に関しては、各種質問紙調査(などでよければ)であれば、データは玉石混淆で存在している。
もっとしっかりとしたデータを取った方がいいんじゃないか、ということであれば同意する。
義務教育に高等学校も含むということなので確認しておくと、まず、高校に入学した「全員」が必修で受けるのは高校では古文と漢文を合わせて「40時間」くらいだ。仮に1作品に3時間かけるとしても、13本くらいしか触れられない。
古事記、竹取物語、大鏡、源氏物語、平家物語、枕草子、徒然草、奥の細道、論語、史記、唐詩、故事成語類 ぐらいか。この中にも「選択」に回されているものもある。
この40時間は、上記の「まあ存在は知っといてほしいことになってるよね」という古典におおまかに触れる、くらいしかできないだろう。かつてこの国で、どういったものが読まれていたか/書かれていたかについて学ぶ時間を40時間も取るべきではない、と言われたら、「そうですか……」と沈黙するしかないが、「矛盾ってなんで『矛』と『盾』でパラドックスって意味なんだろうな」という国民が大部分を締めるのはちょっと勘弁してもらいたい。ただし、自分もここは「現代語訳」をもっと使ってもいいんじゃないかと思う。ただ、現代語訳使っていいよ、と一度学習指導要領でなったんだが、教科書会社や現場が着いてこなかったんだ……。
で、こういった「古典」を相対化していくのは義務教育(正確には高校教育)の「選択」の役割だろう。これは、全員が受けるわけじゃないんだから、高校生には要求してもいいんじゃないか。一部の、日本文学科などに進んだくらいの人しか古典を相対化できないというのは、これはこれで望ましくないだろう。
市民形成のためには、「国家」がどのような装置なのかを学ぶ機会があることは必要だ。もちろん、それは社会や地歴公民でも学ぶことができるが、ただ書名として「論語」や「古事記」と認識するのと、「ああ、ああいう中身の本が祭り上げられたわけね」とピンとくるのとでは全然違うと思う(これは主観なので、「いや、別に中身知らなくてもよくない?」と言われたら、特に反論はない)
個人の役にたつ可能性はかなり小さい。個人的メリットのみを重視するならば教育課程から除外すべき教科であることは間違いない。
ただし、日本文化の研究、伝承、保全等もろもろのことを国家的に維持していこうとした場合、裾野を広げるために古典(古文・漢文)教育を中等教育課程においておく必要性はある。それがなければ大学で日本古典文学、日本史学、日本語学を専攻しようとする人の数が激減する上に、専攻するための基礎知識のレベルが一気に下がる。それを個人が必要ないというのはそのとおりであるが、国として教育課程維持の必要性は十分にあるだろう。
日本古典文学、日本史学、日本語学なんて役にたたないからやらなくてもいいというのは個人的判断として別にいいが、それを日本国政府が言い出したらいよいよどうしようもないだろうね。某作家が書くような妄想日本史や江戸しぐさが「事実」ということになっていく可能性が強まるだろうね。
増田は「専門家がやればいい」と思うことが多いみたいだけど、それはそのとおり。自国文化の専門家を全滅させないために中等教育で古典を扱っておく必要がある。大学に入ってからやればいいという考え方もあるだろうが、それだとパイが小さくなりすぎる。
正直、数学よりよほど使う場面は多いよな。
歴史や言葉の成り立ちを知ろうと思えばすぐに古文(や漢文)にぶつかる。
もちろん最近ならオンライン辞書や翻訳ツールで9割方は済むんだけど、
英語と同じでツールを使うにもある程度の基礎知識が必要だからな。
数学の方がいらんよ。
古文漢文の表現って、語彙やリズムの取り方という点において、現代的な文章表現にもとても役に立つのに。それに、現代文の中に古語の表現を紛れ込ませると、ちょっとしたアクセントになって面白いのに。
層が同一なのかはわからないけど、はてなって「文章が上手くないたい」「いい文章を書くには」系の記事に多くのブクマがつく割に、古文漢文の意義に冷笑的な人が多いのなんなんだろうな。
古文漢文の表現って、語彙やリズムの取り方という点において、現代的な文章表現にもとても役に立つのに。それに、現代文の中に古語の表現を紛れ込ませると、ちょっとしたアクセントになって面白いのに。
古文も漢文もセンターはALL三番でいったけど、困ってないな。
美術館で古い書を見る時に、もしきちんと学んでいたら読めるのかなとも思えるが、受験でちょっとかじったぐらいじゃ無理だよな。
どうでもいい人にはどうでもいいだろうな。
野山の自然と人間の心の連動、花鳥風月に美しさを見出し、歌が神の心を動かすロマン、人の営みの自然の前での儚さ。
そういったものを経て日々の物事の見方、感じ方に変化はないだろうか。長い歴史の中で形成された、美意識の端っこを継承することができるチャンスが、あれらの学習に含まれているんじゃなかろうか。
わかりすぎて草
昔の人のゴシップやんけ感はある
漢文、自転車でいうところの補助輪みたいなもんだと思ってるんだけど、補助輪つき自転車でトラックをビュンビュン走らされてるような違和感がある
たとえうますぎ
高学歴ニキやろな
全然役立った気がしないぞ
確かセンター古文満点だったし、漢文も1ミスくらいだったから、少なくとも「古典が大の苦手」ってことはない あんなんカンで結構読めるしな
俺の「活きた」のハードルはかなり低い
ナショナルジオグラフィックとか見てて、森の中にひらけた場所があるのが映ったとき「あ!ギャップだ!ヤッター!」と思えればもうそれは活きた判定になる
そうすると、かなり色々活きてるんですよ
現代文:評論文を読もうという気になれる 漢字が読める 問題に使われた小説を読もうと思う
科学:科学番組を観てて楽しい 擬似科学を警戒できる ドクターストーン的な作品をより楽しめる
英語:洋楽を聴いて楽しめる 洋画を原語で見ると楽しい 英語圏インターネットを楽しめる
数学:日常のなかでちょっとした確率計算とか測量の真似事みたいなことをして楽しめる お金の計算にも役立つ
ほら、ホントに色々役立ってるんスよ
俺が日本史に興味薄いからそっち系コンテンツに触れることが少ないっていうのももちろんあるけど、それにしたって活かす機会がなさすぎる
「枕草子のパロディでウケられる」みたいな話を古典学習のメリットとして出してくる奴いるけど、枕草子くらいのメジャー作品って逆に古典の時間にあんましっかりやらなかっただろ!
ああいうのはむしろ中学校の初期とかにサラサラっと通すだけなんだよな そのころの教科書にはだいたい結構しっかりした現代語訳も載せられていて、ホントに入り口っぽい感じの運用なんだ
で、そういう体験ツアーみたいな感じで読むメジャー作品の話しか出てこないんだよマジで 古典の話するときはさあ!
とりかえばや物語とか落窪物語とかそういうのもやった記憶はうっすらあるんだけど、ホントにうっすらした記憶なんだよな
「古文ってほとんどカスだな……昔の日本人、ゴミだったのか……」みたいなことを思いながら読んでた記憶しかない
分からないからつまらないとかじゃなくて、文意をしっかり解釈できた上で、「で?」という感想しか残らないんだ
つうか、かきつばたを見て都を思い出すのはいいけどよ、そこで「この気持ちを歌にしよう、そこにかきつばたの頭文字を織り込もう!」ってなるのがホンマに気色悪いねん
ミュージカルじゃねえんだから気持ちをいちいち歌にするな 薄ら寒いねん 俺はもっと自然な感情の発露が見たい
歌が技巧的だと「こいつこんな小手先のテクニック弄してる余裕あるし、実は全然感情動いてねえだろ」ってなる
逆にシンプルな歌だと「クソつまらんヘタクソな歌だ、こんなん読むくらいなら黙ってた方がマシだろ」ってなる
和歌文化、ホントに心から嫌いなんですよ マジで気色悪い 死んで欲しい(もう全員死んどるか!ガハハ!ざまあみろ!!)
友蔵心の俳句と本質が同じなんですよね オッサンが事あるごとにヘッタクソな俳句を詠んで聞かせてきたらマジでぶち殺したろかと思うが、古文読んでると常時その気持ちになる 常時
あと、なんかムダに引用みたいなのを会話に織り込んでた記憶もある 内輪ネタへのリファレンス=賢さみたいなノリ本当にキモい 淫夢ネタでゲラゲラ笑ってるのと何が違うのか
そんで漢文だよ
漢文、さすがにバカでけえ中国産なだけあって内容はやや面白いことが多い そこは認めよう
でもこう、なんつうか、儒教的?すぎるんだよな
基本的にオチというか教訓が読めるんだ この展開ならこういう教訓を引き出す方向に行くだろうっていうのが容易に読めてしまう こぢんまりと纏まってるんですよね サプライズがない
そんで、あの形式をわざわざ読めるようになる意味がマジでまったく感じられない
返り点とか漢文の授業以外で一切見たことねえもん 最初から書き下して出してくれればいいじゃん
古文にも共通する話だけど、漢文ってもう増えないじゃん いや、増やそうと思えば増やせるだろうけども、増やす意味がない
中国語をそのまま読むわけでもなく、かといって日本語でもなく、なんなんだ?マジで
というか、機械的に書き下せるものをワザワザあの若干読みにく形で出してくる意味がマジで分からない
漢文、自転車でいうところの補助輪みたいなもんだと思ってるんだけど、補助輪つき自転車でトラックをビュンビュン走らされてるような違和感がある
ガッツリやりたいなら補助輪をとれ 軽くやりたいならそれなりの軽さにしろ 半端やねん全てが
つか、内容、古文よりマシとはいえ意味わからんのも多いしな なんか突然神仙要素が出てきて、昔の中国ってこんなノリなんだ〜…ホーン…と思いつつ終わることが多かった
とにかく、古文漢文、文法からガッツリやるようなものではないんだよな
それよりスペイン語でもやったほうがいいですよマジで スペイン語やったらイタリア語・ポルトガル語あたりもうっすら分かるようになるし、英語への理解もより多角的になる感じあるもん
¡Que mueran los hatenars! ¡Os odio!
ホラかっこいいじゃんスペイン語
マジでこんなクオリティの和歌ときどき出てきてたからな 問題用紙破り捨てたくなるもん
古文、いくら読んでも軽蔑の念しか出てこないんだよな 垣間見文化とかもキモいし、とにかく全体的にキモすぎる
あと平安あたりだと都なんかに住んでる貴族しか出てこないのも腹立つ 所詮金持ちのボンボンどもが暇にあかせて遊んでるだけやんけ
本当に嫌いなんだ俺は