はてなキーワード: 日本式とは
NZ増田が、NZの暗い面に目を向けすぎたせいで、日本の問題に目が向かなくなっている気がして仕方ない。「どちらにも一長一短があり、歴史や文化に沿った最適に近い形が実現されている」というのが、普通に考えてバランス良い落としどころだと思う。
NZ増田の話は、異文化について学ぶという意味では興味深い。そして、NZ増田が言うように、そのまんま日本にもってきてもうまくいかない、という意見にはもちろん同意するが、それをもって「日本式が優れている」という意見にも同調しかねる。日本には日本に合ったやり方があるが、それでうまくいっていないことももちろん多々あり、決して今ある形が完成形ではないはずだ。
社会に余裕があっていろんな選択肢があったのに、選べるルートを教育の結果道を狭めたから落伍した人間が大量に出た氷河期世代と違って
今回の就職氷河期は欧米の悪いところと日本の悪いところをミックスしたようなものが襲ってくると考えていい
ここの増田たちが底辺の精神障碍者ばかりになる前の数年前の記事を探して、海外の就活事情がどんだけ冷酷非道か読めばよくわかるだろう
あれに日本式の雇用の流動性がさらに低くなった状態のミックスみたいな状況で就活に挑まざるを得ない
ベンチャー?何言ってんの?10年前ならいざ知らずもうベンチャーなんかマトモな人間いないよ?マトモな会社に入れないからベンチャーで食わざるを得ないのしかいない、反社スレスレの人間しかいないのに何の仕事のスキルになるのかね?
グローバル化した社会において、それは、いつの間にか意味を失って空洞化した。
都市という箱があるのに、価値を生み出せないジレンマをバブル崩壊後に経験し、その後やがて
箱がなくても価値を生み出せることに気が付かないまま、箱のある日常が価値を生むと信じる時代がつづいた。
箱のなかにいることで感染が広がるコロナになって、狭苦しい箱のなかで3密回避を強いられ、ようやく都市という過密な箱の価値を見直し始めた。
満員電車に乗って、都心の高層ビルに通う価値がわからなくなってきた。
おそらく古今東西、都市というのは、本来、そういう閉塞的なものではなくて
外に開かれ、多様な価値が交錯する場所だっただろう。路地裏があり、道を外れれば新たな発見があった。
巨大だけども、同じ箱のなかで似たような人が似たようなことを考えている。
どこにいっても似たようなものを売っていて、郊外にイオンがある景色が同じだ。
何を売るか。その命題もまたモノからサービスへとテーマが移っていった時代に、あいまいになり
明確にとらえることを怠ってきた。ブランドとして売るべき価値をしっかりとらえるようになってきたのは
ここ10年の話。しかし、それでも「日本すげー」的なナルシシズムへの囚われから脱却できないどころか、ますますはまり込んでいる傾向がある。
かつての日本はプロダクトアウトの発想でモノを売れた。市場価値とグローバルスタンダードは自社が確立し、人々を自社製品をとりこにさせる意気込みがあった。
このマインドが亡霊のように世代に成功体験として引き継がれ、さまよい続けた結果、マーケットイン(あるいはゼロベース)から
スタートする設計思想がはぐくまれない世代が全世代に蔓延した。
明治期には世界とりわけ西洋文明に対する学びの動機付けは強烈なものであったが、それによる成功体験が財産となるにつれ
徐々に失われ、渋沢栄一の時代の渇望はもはや存在しない。世界で何が起ころうと関心がない。先進国でコロナワクチンを占有され、途上国は必要なインフラもリソースもなくあえいでいるというのに、オリンピック開催にまい進しようとしている姿は森元というより、日本社会自体の老害化を象徴している。
かりにもSDGsオリンピックを謳うのであれば、途上国へせめて超低温冷蔵庫の無償プレゼントくらいしてアピールしてやるべきだが、外務省の国際協力の実態としては
インフラ輸出などさまざまな分野においてここにきて、世界各地で中国にオセロの白黒をひっくり返されているのが実情だ。
端的にいって、日本の国際協力はニーズのつかみ方が根本的に間違っている。日本式ありき、であり、自分が思い描いた「日本すげー」「日本式」が売れることがとにかくプライド。
それがいかにも押しつけがましい。しかもそんな態度が煙たいのに本人気が付かない鈍感さがセットで。
それは無自覚なプロダクトアウトであり、状況の変化に鈍感でニーズを何も学ばない老害だ。
都市というのは、そういう老害のウイルスにあふれていて、都市にいればいるほど、人間がダメになる気がするほどだ。
コロナ危機というのは、幸いなことに、過密への忌避、都市への忌避を通じて、都市がこれまで生んできた価値への反省を呼び起こす、とてもいい機会になった。
郊外や地方、あるいは場所を選ばないグローバル社会のバックグラウンドとしての価値、ということだけではなくて、
何を価値創造するか、売るか、ということにも立ち止まって考える機会を与えたと思う。
また、東京という超過密な箱のなかで行われるオリンピックというイベントをめぐって、さまざまな欺瞞と矛盾が浮き彫りになった。
なにより浮き彫りになったのは、都市の箱の価値を無自覚に信じつづける自分たち自身、日本社会全体の老害化だったと個人的には思う。
服装や建物はだいたい天外魔境だよね。職業は侍、忍者、芸者、力士、陰陽師、僧侶など。武器は刀、槍、弓、中国の武器。魔法は火の玉の術や癒やしの術など。敵は妖怪やもののけということになるので妖怪ウォッチ的な感じでドラクエのコミカルなデザインに近づける。
ドラクエは多くの国が中世ヨーロッパ風なので、こちらの世界は古代~中世の日本・アジアの文化が基本。特に中国は大国なのでこれをベースにするとよい。
スタート地点の日本みたいな島の外には高麗、唐(から)、遊牧民の国、天竺、羅馬(ドラクエIIIのジパング的な異文化)などのような地域がある。地形が実際の地球のものと異なっていてもよい。
暗黒大陸か北か南の寒冷地にラスボスの居城がある。城は日本式でもよい。新大陸には裏ボスがいる。暗黒大陸や新大陸を未開の地として描くのは差別的だが、全然地形が違う地球Bなら大丈夫。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の超過死亡の記事をみました?日本を含む59カ国の超過死亡を調査し、コロナによる死亡者数分析しているんですけど、世界中で例年より12パーセントも死亡者数が増えていて、世界に甚大な影響ですよ。
ところが、そのうち9カ国はなぜかむしろ超過死亡者数が減っていて、特に日本はものすごく減っています。
これどういうことか、あたまのえらいはてなーさんならわかりますよね。コロナ対策しすぎて、人が死ぬどころか、むしろ死んでもおかしくない人が死ななかったんです。
日本に於ける新型コロナウイルスのファクターXとやらの存在については山中教授らも言及していますが、まだ明確な特定には至っていません。
ただ少なくてもこの1年を振り返ると、日本では新型コロナウイルスの死者数というのはインフルエンザ死者数(例年2000人から3000人)よりは多かった(5000人超)ものの、超過死亡の減少を考えると総合的に大きく変わらない。
日本とアメリカやヨーロッパを同列に考える必要はないでしょう。変異は恐ろしいですが、確認されていない情報に振り回されるよりも、データーをみましょう
日本にはゆるふわロックダウンで乗り切ってきた実績もあります。
とりわけです。若年層の死者数は本当に少ない。え、っていうくらい少ない。若年層にだって重症化する可能性はもちろんあるのだけれど、それはインフルエンザだっておなじ。
後遺症も報告されていますけど、これもインフルエンザだっておなじ。ダメージを受けた肺などの臓器は簡単に回復しないんですよ。なんで知らなかったの?
要するに若年層のリスクってのは、自然死に遠く及ばないのです。交通事故の件数や死者数のがずっと多いけど、日本社会から車を廃止しますか?
そして実際、高齢者や重い基礎疾患を持っている人(以下高齢者等)は、リスクが高いんです。治療期間はインフルエンザより遙かに長く、感染力も高い。院内感染とかがすごくおこりやすい。この人たちが増えると医療が崩壊する。これもまちがいありません。
もうわかりましたね。
日本式のコロナ対策として重要なのは、高齢者等がコロナにかからないようにすることです。ハイリスクでない層にもやりすぎているからこそ、世界で類をみないほど超過死亡がものすごく減少しています。
もう一回問います。
交通事故をなくすために、車を廃止しますか?そんなはずはありません。
ではなんで日本経済止めてるの?倒産件数、自殺者増えてますね。これからも増えますね。将来的には社会保障も存続できなくて、もっと人が死ぬ。
高齢者等には引き続き自粛が必要です。なんなら今以上の自粛が必要です。高齢者等にはロックダウンが必要かもしれない。
gotoの時百合子さんが言いましたね。「65歳以上は自粛してください。」本当にそれだけなんです。
申し訳ないけれど、いのちを社会を守るために、まだしばらく高齢者等は自宅にいてください。自宅でも接触を最低限にしてください。
そしておなじく、いのちと社会と未来を守るために、それ以外の人は経済を回していきましょう。
街が消えていく、未来が消えていく、自殺者すごく増えてますよね?経済を守るって、いのちを守ることですよね?いのちを守ろうよ。
オリンピックだってそうでしょう?いまさらやめて、経済的に日本にとどめをさして、もっとたくさんの人が死ぬのを選びますか?そうして生まれてこれなくなるこどもたちのことはどう考えるの?
日本は衰退国家っていわれています。あと1年こんなことやっていたら、本当に事実上中国(かアメリカ)に吸収されていくでしょう。
データーをみよう、世界に稀な推移です。日本に勝機は十分にある。
日本のコロナ対策重点項目は高齢者等。超過死亡のデータが雄弁に語ります。
あと高齢者等だけ自粛!とかいうと、やっぱりさみしかったり気に入らないと思うので、個人的には高齢者等を「保護」するという名目にして、もしかしたらそこにはお金やサービスを投入してもよいかもしれませんね。
お金をあげるから、お願いだから家からでないで。健康管理とかちゃんと自治体とかでやりますからって。
っていうか、実際に高齢者等は本当にハイリスク、あっという間に悪化して死んだりします。いのちの危険があります。あなたのいのちを守りたいから、家からでないでください。
よくいったじゃないですか、若いもんはって、戦後の混乱を乗り越えてきたあなたたちならできます。さいごにもう一度大和魂をみせてくださいよ、ほんと。
5月頃だったかな、自治体レベルで競うようにコロナ対策や経済対策をしていた時期があったとおもうんです。○○県すごい!とか、△市いいなー!とかよくおもってました。
高齢者等保護政策も、どこか地方の自治体からやってくれるといいなって思います。田舎とかコロナに敏感だし、高齢者保護したほうがいいのではないかな。若者はがんばったほうがいいのではないかな。
あ、議員さんたちももちろん適用対象になるので、若い議員さんたちは大変だと思うけれどがんばってください。高齢者のいのちを守ろう。ちょっといろいろ年齢層あがってしまったし、この機会に高齢者から日本を取り戻そうよ。
というわけで、高齢者は家にいてください。あなたのいのちを守りたい。
はてな村民より。
元増田です。
それにしても、マナーズ博子…。す、すごいものを見てしまったような…。
でも、リンク先の内容自体は、変なマナーを創ったというよりは、ウェブカメラ&音声を通して会議(コミュニケーション)をする際の注意点を言っているだけ、という感じだし
(メイクが必要なのか、というところは、そこまでばっちりうつるのか、とか、逆に、メイクをすると気が引き締まる効果があるのか、とかの功罪が判断できず、何とも言えない)、
本の内容は分からないけれど、少なくとも現状では、
「テレワークには上座がある」といったことを、マナーズさん()が言ったというソースはなさそうだね。
ということは、アレだ。
ツイッター&togetter界隈の奴らもブクマカも、大喜利やら、マナー講師が言い出したかどうか分からない先入観に
(挙げてもらったリンク先では、「一部の会社では『部下は上司の退席を待ってから退席』という日本式のマナーが~」とあるけれど、マナー講師の指導でそうなったとは書いていないし)
釣られまくったという結論で、まあよさそうだね。
ほんとうにブクマカは学ばねえな。
まず上村充弘のツイートについては書籍名から大喜利的にネタを書いただけだと思う。
ゴゴ通信も、本の内容とは無関係に「世間一般にこういうマナーがあると言われている」と書いただけ。
どちらも本の内容に言及していないが、そう受け取られやすい書き方だった、ということだろう。
一方で、西出ひろ子は「マナーズ博子」名義でこういうことを書いていたらしい。
本記事ではSNSのマナーを含むビネスマナーコンサルタントとしても活躍中のマナーズ博子さんに、在宅勤務(リモートワーク)中のWeb会議におけるNG行動7つとおすすめの行動を教えていただいています。その7つとは、「1.話す声が聞き取りづらい」「2.どこを見ていいかわからず目線が泳いでいる」「3.自分の表情を気にしていない」「4.メイクなど身だしなみが整っていない」「5.声が聞きとりづらいなどのときにあからさまに嫌そうな顔をする」「6.Web会議に慣れず、ネガティブなワードばかりを言う」「7.自分の部屋が映るのを嫌がる」でした。
また西出ひろ子とは関係ないがITメディアがリモートワークのマナーについて書いていた。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2004/20/news051.html
三上氏は「一部の会社では『部下は上司の退席を待ってから退席』という日本式のマナーがWeb会議にも反映されていると聞く。そんなことをしていては、部下から嫌われてしまうだろう」。
https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2004/20/news056.html
「オンライン会議を終わる時、取引先や目上の人がログアウトするまで出ない」
「相手に不快感を与えないよう、背景はバーチャル背景を使わなければならない」
「例え画面越しであっても、相手の目をしっかり見て話す」などだ。
そんなことを主張する記事も出始めている。