はてなキーワード: 情報量とは
流石に就活時期くらいは化粧してたこともあったけど、それ以外はほぼノーメイクで生きています。
幼少期~学生時代、周りがほぼ皆ノーメイクだったころは、かなり「可愛い」と言われることが多かったので、おそらく、元が良いタイプ。
化粧をしても何が変わったか良く分からなくて、「ただ高くて時間かかるだけじゃん」って思ったのも、興味を持たない理由の一つかもしれない。
純粋に、時間とお金がもったいないんだよね。メイクとかファッションとかって。
身だしなみとか整えてる暇あるなら、1分1秒でも長く、本読んだりアニメ見たりゲームやったりしてたい。
とにかく、情報を消費することしか、自分にとって快楽にならないんだよね。
メイクやファッションで可愛くなったところで、そこに情報ってないじゃん。
母親が、普通かそれ以上に、メイクやファッションに興味がある人で、ちょっと出かけるたびに何十分もかけて身支度してるの、本当に無駄だと思ってた。
いつも同じ服でノーメイクだったら、5分で身支度終わらせて遊びに行けるのに。
タイトルの通りの身分です。学生です。自分の書いている文章を客観的に見れず、もうどうしたら良いのか分からなくなってきました。文章遍歴です。長ったらしいです。
まともに文章を書き始めて一年ほどの若輩者です。二次小説を書き始めた動機は絵が下手だからというとても不純なもの。本が好きで、作品が好きで、なおかつ小さい頃から人並みよりさくさくと文章を書けるタイプだったので軽い気持ちで書き始めてしまいました。
普段は旧Twitterと支部で短編を上げています。人気ジャンルのCPで書いたものが400ブクマ付いて喜んでいる程度の薄っぺらな書き手です。
衝動で書いた一作品目に評価がついたとき、初めて文章の質というものを意識しました。そういえばこれって他人に読ませる文章じゃん、と。慌てて自分の書いた文章と、自分が大好きな作家さんの文章を比べました。適切な比喩、ちょうど良い一文の長さ、形容詞の位置、描写の順番……などなど、素人でも分かる違いが山ほどありました。それはもうバスタオルと羽毛布団くらい違いました。要するに幼稚な文章なんです。色がありません。温度もありません。パッサパサの乾パンでした。
次に文章を太らせようと思いました。もうちょっと情報量を増やそうと。そしたら今度はすごく冗長でつまらないものが出来上がりました。文字の量を増やすだけでは10Lに薄めたカルピスみたいな読むのが苦痛な作品になるだけでした。
ここまでもし読んでくださった方がいたらこいつど素人にもほどがあるだろうとお思いになると思います。字書き経験のある先輩方でしたら尚更です。ごめんなさい。
語彙を増やそうと思いました。毎日通学時に周囲の写真を撮って、匂いや気温を書き取って、その時に見た景色をメモ帳に描写しました。Web辞典と、プロの一次作家様の文章を横に並べながら。なんだかちゃんと文章を書いてる気がしてだんだん楽しくなってきました。「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる……」また比喩を使っちゃいますが、枕草子みたいな感じです。
よっしゃやるぞーと思ってまた二次創作を書き始めました。今度はプロットなるものが立ちはだかりました。起承転結というやつです。この辺りで私は、あれ、小説書くのって想像以上に難しいのでは……と気づいてしまいました。二〜三千字くらいのワンシーン切り取り型の書き方ならともかく、私は数万字に及ぶ長編に憧れてしまったのです。プロット無しの見切り発車で書くのはあまりに危険でした。しかし、見様見真似で書き起こしてみるものの全然上手くいきません。浮かぶのはつまらない展開ばかりでした。そんなこんなで今は三千から五千字のものをちまりちまりと書きながらいつか長いもの書きてぇとぼやいています。
冒頭に戻ります。本当に良い描写は脳みそにスッと入ってくるんです。たった一文で全部を分からせてくるアレです。難しい言葉も要らないし、何度も言い換えて重ねる必要もない。あれって天賦の才なんですかね。最近、解像度の高いものを書こうと思って気合を入れて書いた作品が、2週間後に読み返してみたら装飾過多、結局何が言いたいの?と思われそうな駄文になっている、ということを繰り返しています。カッコいい文章に憧れます。
ネット上の二次創作においては、流麗な描写よりもオタクに刺さる台詞のある作品のほうがたぶんウケます。自分もそういう作品は好きでした。自分自身、以前は難解な地の文なんかポイポイっと読み飛ばしてキャラ読み(?)していたわけですから。でも書き始めてから、読み手にウケるかどうか以前に自分が「こんな適当な文章で推しを表現したくない!」という執着に取り憑かれてしまったんです。もう自己満足の部分もあると思います。推しの眺めている花はただの花じゃなくて、真っ白で、透けるくらい薄くて、とても良い匂いがして……
文学オタクの扉が見えてきました。もう戻れません。知れば知るほど、私の小説はつまらない。どうつまらないのか分からないけどとにかくつまらない。引き込まれる表現が足りない。たぶん内面描写も浅いし、そもそも二次創作として、公式設定資料を読み込むのを怠っていました。なんてことだ。しっかりとした長編で評価されている方々は本当に凄いです。
自分が心底納得のいく小説が書ければきっとある程度の評価はついてきます。でも、その「自分が納得のいく小説」までにどれだけの差があるのか、具体的にどこがダメなのか、分かりません。あぁ、誰か私の小説に適切に文句をつけてくれる人居ないかな。雑魚メンタルですが最近批評が欲しいと思えるようになりました。
長々と書き連ねましたが、要するに良い作品が全然書けなくて、目標までが遠すぎて死にそうです。文章の指南書をこの前注文しました。でも本当にあんな凄いものが書けるのか……?神字書きの皆様へ尊敬と羨望と、諸々の気持ちが溜まっていきます。
文章うまいね、そんな言葉1ミリも要らないんです。いや嬉しいは嬉しいんですけど、要らないです。正直やっぱ欲しいです。でも上手くなるほうが大事です。批判が欲しい。
そういえば触れてませんでした。一次創作書けばいいじゃんっていう話についてです。私の今のモチベーションの核は、ひとえに好きなキャラを最強の文章と構成で表現したいという衝動で成り立っています。つよつよな文章で推しが喋ってる……うおお……という感動を味わいたいです。それだけです。
世の中、腹が立つ作品には批判が飛んできます。でもつまらない作品には何も言ってもらえません。ありふれた話ですが、それをとても実感しています。
月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた
入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作の言葉が飾ってあった
最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロードは仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した
また最近亡くなった宗教家のコネとマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロードの神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした
展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんのコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう
展示内容としてはもともとのシルクロードの地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した
ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った
序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラやデザインを楽しむ方向で見ることにした
老齢の御夫婦がトルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した
デザインとして気になったものとしては後漢の時代の『車馬儀仗隊』
三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた
向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた
そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドだからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った
ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう
あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った
こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた
なんか最後に日中友好の証として送られてきたらしいラクダのはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった
わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った
年末に祖父母宅へ行く道中の1時間半、昔は長くて長くて仕方がなかった。
車内にモニターがついて映画を流せるようになったりDSを手にしたりで、娯楽を得てからはいくらかマシだったけれど、それ以前はもう退屈で仕方がなかった。
しりとりも手遊びも20分が限界だ。じゃがりこで気を紛らわすのも5分で終わる。高速の景色なんか5秒で見飽きる。眠って時間を消し飛ばそうにも活力が有り余って眠れやしない。反抗期で常時不機嫌だった姉とよく喧嘩になっていたような気がする。車に酔うなんて感覚がまるで分からなくて、狭い車内を動ける限り動き回っていた。
小学校高学年くらいの頃、車の運転に拘束されている親は気が狂わないんだろうかと思った。自分も窓の外だけを眺めて過ごしてみようと試してみた。最初は車間距離の表示を眺めてスピードを感じてみたり、少しでも情報量の多い中央分離帯や遠くの景色を眺めて気を紛らわした。その内何も考えずボケーっとする無の境地に至り、そこに入れば到着までは案外すぐだった。落ち着きというものを手にし始めた頃かもしれない。
今は手元の板でいくらでも時間を潰せる。そればかり見つめても酔ってしまうので、ラジオの音を右から入れて左から流してみたりもする。
中央道の山々をボケーッと眺めるのもいい。自然に癒やされるだとか、情報量の少ない景色を前に自分の内面に意識を向けるとか、そういう事ではない。マジで本当にボーッとしている。
眠たれば眠ればいいし、眠れずとも目を瞑ってうつむき意識をログアウトさせる術は身につけた。
無為に時間を潰せるようにならなければあまりに苦痛な場面が人生には割とあるようで、それは必要な道具なのだとは思う。でも限りある人生の時間を消し飛ばす術を身に着けてしまったのはちょっと恐ろしくもある。子供の頃のあの焦燥感や落ち着きのなさをすっかり忘れてしまえば、人間はただのロボットになってしまう気がする。
言葉の定義が理系ほど正確じゃない…?数値化できないから厳密な定義ができない…?
こいつ文系エアプすぎるだろ
定量化されてて説明が簡単で一瞬で終わる理系に比べて、むしろ歴史だの事例だの類似例だの比較だの語義だの理系よりはるかに大量の前提情報を参照してなければスタート地点にすら立てない文系は、定義一つですら既に知るべき情報量が多すぎて一言の解説では難しいだけだよな
数値化できない定量化できないものを扱う学術的技術を文系と呼んでる(本来は文系理系なんか存在しない謎概念だから若干違う)んだから、お前の謎定義とは比較にならないほど厳密やぞ
バカにとっては困難すぎて、正確じゃないとしか理解できないのだろうが
何が
だよ
どこが文系やねん
・DINKS叔父叔母の新築の屋根裏貯蔵庫に昇らせてもらって見た広島市街地の夜景
…叔父のお古のカメラを借りて初めてバルブ撮影をやってみた(手ブレして流れた…)
・バブル景気真っ最中「一回で1万円の夜勤バイトがあるぞ」て同回生部員から紹介されたビッグな印刷会社の紙箱折り機とコンパクト洗剤インジェクション成形機のライン12時間労働で中休みの工場最上階大展望食堂から見える京都市街地の夜景
…写真部だったけどさすがに撮影はダメだろうなぁとおもって撮らなかった(そんな気力もなかった眠すぎて…)
・親族の用意してくれたタワマン内ゲストルームから見える多摩川の向こうの東京首都圏の夜景
…さすがの情報量というのか、遅い時刻なのに光源が多くて濃かった、スマホしか持ってなかったが∞ピント固定できるアプリでなるべく手ブレしないようにガラスにくっつけて撮ったがアングルつけようとしたら離さざるをえず結果手ブレした(チカチカ、チラチラと動いてる灯りが綺麗なので動画でも撮ってしまったがどうすんのこれ…)
スマホ使いたての頃はたくさん撮ってたけど確かに今全然撮ってないかも
大体風景とか動物とか写真より実物の方が完全にいいなって思うようになってから撮らなくなっちゃったな
写真の腕がないだけなんだけど
猫いた頃はアルバム猫ばっかりだったけど死んでから本当に何にも撮ってない
写真って声が入らないもんね
今唯一撮ってるのは最近初めて使ってこんなのあるんだと知ってから度々使うアペックスのコーヒー自販機の紙コップ
犬と猫のキャラクターがかわいくて、6種類全部コンプリートするまでと思って新しいの出るたび撮ってる
https://www.apex-co.co.jp/?news=221020
結構買ってるのにまだそろわないんだよね
あとちょっと前に祖母とそれ以前の世代のアルバム整理してて白黒の古くてエモい写真だけスマホで撮って残したくらいかな
単純に知ってる人の若いころとか当時のファッション建物文化見られるだけでおもしろいけど写ってる空気感が違うというかさ
今みたいに気楽に撮れる時代じゃない頃の方がなんか一枚に写ってるものの情報量が多い気がする
かえってどこでもいつでも撮れると思うと撮らなくなるものなのかな
と思うのがオバチャンやで。前面に虎の絵が書いてあるトレーナー買っちゃうやつな。全身柄物で固めて良いのはチェッカーズだけやで。