はてなキーワード: 小学校とは
<略歴>
2011年 12月〜2012年 3月 カリタス小学校 総合的な学習講師
2020年 12月〜 早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点共同研究 研究分担者
2021年 9月〜 京都市 伝統芸能リサーチ&アーカイブオフィス 令和 3 年度「伝統芸能文化復元・活性化共同プログラム」代表
俺はそういう感性ゼロなのでマジ気が知れない。60年近い人生、自分が好きなものだけを消費してきた。スーパーカーブームも完全無視したし。まあ友達がいなかったからそんなのしなくていいから楽ではあったが。言っとくけどあまのじゃくとは違うよ。たまたま世間と自分の興味が一致してヒット作を見ることも当然ある。『のだめカンタービレ』とか。要は「周囲とは無関係・独立」ということ。でも実際「他人と話をあわせるために好きでもない面白くもないアニメ等を見る」ってどういう感覚なんだろう。マジまったく想像つかないのでその心理がちょっと知りたい、とは思うかな。まあわざわざ調べたり研究したりするほどではないが。そういう連中が「スクールカースト」とかいう愚にもつかんタワゴトほざくんだろうね。
ブコメでちょっと勘違いしてる人がいるみたいなので追記。これはべつにアラ還の今だから思うことじゃなくて、小学生のときからそうだったの。「スーパーカーブームも完全無視」ってところ読み飛ばしたのかな。俺は 1966年生まれなのでブームは小学校高学年くらい。同年代の人ならわかると思うけど、けっこう凄いブームだったよ。でも車に興味なかったので完全無視。
ふと、あいつの性格とか一緒に過ごした時間とかではなく、出会ったこと自体がめちゃくちゃ自分の人生変えたなと思う友達のこと思い出した
8クラスある中学で3年間クラスが一緒だったY君。小学校(全4クラス)で一度も一緒のクラスになることはなかった。高校時代も遊んだけど学校は別。
受けた影響。
・Y君のお父さんの仕事を聞いて、その道へ続く学部(大学)へ入った
・Y君の兄の部屋の漫画にめちゃくちゃ影響受けた
どちらも今は実家に居ないし、社会に出てからは2~3回同窓会であっただけで連絡とってない。最後がもう10年前ぐらい
ねえ聞いて。
子どもがゴールデンウィーク明けから体調崩して、1週間くらい看病した。そのあとから背中がだるい。もうしばらく続いている。頭(首)を後ろに倒すと痛いから、頚椎の問題かな?とは思ってる。
疲れからか、身体もずっとダルくて。ご飯が作れない時もあった。レトルトありがたい。
子どもは小学校1年。帰宅するとそのへんにランドセルを放り出すし、給食セットも出さない。帽子はぶん投げてテーブルの下。
私、片付ける気力がない。
私は帰宅したらノンストップで、お風呂洗ってお湯を張り、ご飯の準備をする。
お風呂とご飯が終わったら、寝かしつける。寝落ちすることも多い。しかし洗い物が残ってしまう。時間がある時は寝かしつけ前にやるんだけどね。
寝落ちした時は夫がやってくれることもあるが、毎回ではない。
私は双極性障害で。でも躁はあんまり目立たなくて、鬱の期間が長い。今回はもう2年くらい鬱だ。
パートで仕事をしている。いろいろと薬を試しているが、なかなか合う薬がない。
私が鬱だという点で、夫には負担をさせているのかもしれない。
今日は部屋が片付いていないことについて、夫から注意を受けた。この前もランドセルが放り投げてあったことに対して、「ちゃんと片付けて!息子が片付けられない子どもになっちゃうじゃない」と言われた。
今日、子どもの上着がなくて「見つからない」と言ったら、一緒に探してくれるんじゃなくて「妻がいつも同じところに片付けずにその辺に置くから無くなるんだ」とまくしたてられた。
探しても探しても見つからなかったら、「最後に見たのはいつ!?」「いつもはどこに置いてるの!?」と強い口調で言われた。
私はパニック。
実際、子どもは学校に忘れてくることもあるので、2着3着、用意しておかないとダメだね。
そのあとも行き違いがあって、私はもう疲れ果ててしまった。
責め立てられて、大声で泣いた。
夫は近寄りもせずに、「俺だってつらくないとでも思ってるのか!!!」と叫んだ。
そうか、夫もつらいんだなとは思った。
その後、買い物があったので私は1人で買い物に向かい、なんとか落ち着いたけど、2時間くらいかかった。今も本当の意味では落ち着いていない。
しんどい。
しんどいんだよね。どうしたらいいのかな。
夫は「息子のことは怒らずに叱るように」というのに、息子の前で私のことをキツく注意する。かなり高圧的に感じる。
高圧的で怖いので、やめてほしい。前は声を荒げることなんてなかったのに、ここ何年かで急激に増えた。
実母の前でもキツく叱責するので、母が心配していた。
私はもう、どうしたらいいのかわからない。
聞いてくれてありがとう。
小学校低学年~中学年くらいの男の子に小児科で治療中の私(中学年)の股を凝視されたことあるから普通に嫌だわ
弟と母親の付き添いで来て母親の注意が弟に向いている間に勝手に衝立の中をのぞき込んできた
たまたま動画見てておとなしくしてようが(音垂れ流しな時点でおとなしくもないけど)飽きてぶらつきだしたら私と同じ目に遭う人増えるよ
新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。
小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。
非常に面食らった。
まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。
なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化が存在しなかったし、他人を「金持ちだから羨む」という人に初めて出会った。
そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供の教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。
加えていうと中高一貫の女子校ではバイトが禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)
私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。
かかった学費のことを親は何も言わない。
「医学部に受かってよかった。」
それだけである。
またさらにびっくりしたのが、
どこかに遊びに行こう!となった時に
と言われたことだ。
「お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。
遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルでランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)
遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化。
そんな文化があることも知らなかった。
というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏だから節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである。
現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。
田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。
友達と遊ぶ時はテレビか雑誌で特集していた店に行き、大きくなってからは食べログの評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れたら伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセールで爆買いしてみたり。
レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。
地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードのポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである。
前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチのロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。
他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである。
地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。
小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ。
何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ。
でも私は知っている。
たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、
医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。
私たちはちょっとだけ努力するのが上手だったか、ちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ。
夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。
私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。
うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ。
「昨日、コンビニにいたね」
いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから。
東京は、何をしてもいい。
何をしても、誰も何も言わない。
近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。
早く卒業したい。
早く東京に帰りたい。
生まれ育った土地が自分には一番合っているというだけなのに、田舎と東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。
だからこっそり、ここに書く。
毎日凄い臭いがしてソイツを学校にこさせないための努力 と称したイジメが行われ何度も学級会が開かれていた。
結論から言えば ソイツの悪臭の根本原因は 家が貧乏なことだった
一番安い洗剤 一番安い洗濯機 乾燥機は買えない ベランダは排ガスでいつもモクモクしていてとても外干しが出来ない。
本人の努力 両親はともかくとして小学生が頑張っても解決しない経済的事情により ソイツはいつも臭い服を着て生活していた。
臭くない服を着るという当たり前のスタートライン そこに立つためには金がいる。
金がない人間の存在を社会は認めない その子供さえも金のある人間の子供が排斥しようとする。
お金がなくても幸せになれるなんて簡単に言うやつに限って 最低限の金がない人間に対して臭いから消えろと平気で言う。
本当に金が無いとどういう生活になるのか。
基本的人権ガン無視で女性をあてがえ論とか意味不明なことを言い出すやつにも言ってやってください、お前小学校すら行ってないんか?と!悲しいかなお互い弱男のせいで同レベルよ!
都市と田舎の文化資本の格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。
その点において、俺はやはり都市と田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差したコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。
まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれた僻地の農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業と林業ぐらいしかない、田舎の中でもさらに田舎の方だ。
その俺が上京して15年経つが、田舎と東京の違いは、何よりもコミュニティの多様性にあると思っている。
東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから、町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。
あらゆる社会階層の人が東京に暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティを形成している。
学校や職場も一種のコミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。
人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティの形成が可能になる。
人口流入はほとんどないのでコミュニティのメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。
地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。
大きな会社は存在せず、大学も存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。
大学進学でも目指すとなると、必然的に田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。
一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。
「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティに所属しないのは不利だ。
受験勉強にしても、周囲の大人に受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代の受験生仲間が少ない、といった形で田舎の受験生は不利を強いられる。
東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。
もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。
なので、田舎に生まれた子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。
田舎に美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。
そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市と田舎の格差なのではないかと思う。
俺が想定したレベルの田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。
ほんまそれ
人間として育てられてない
サルと仲良くなりたい女なんかほぼいない
刀を買ったんですよ
刀っつっても真剣ではない
刃の入ってない、研いでも切れるようにはならないような金属で作られた、いわゆる模造刀だ
しかし、ちょっと振ったらポッキリ折れてしまうお飾りの刀ではなく、居合道の練習なんかでブンブン振り回しても平気で、造りは真剣に近いようなやつだ 居合刀ともいうらしい
お値段なんと9万円で、その金でブッ壊れたチャリを買い替えた方がいいのは明白なんだけど、俺は衝動に勝てなかった
刀、昔から憧れてたんだよ
それこそ中学生くらいのときに憧れのピークがあって、毎日のように両親に模造刀を買ってくれ〜!と言っていた
俺は飽きっぽかったし、粗忽者でうっかりカッターで指を切ったりしがちだったのもあり、モチロン両親は断固として買ってくれなかった
俺はじゃあ木刀ならいいやろ!と強固に主張して、結局2万円くらいするいい木刀(鞘つき)を買ってもらったことで模造刀熱はおさまった
おさまってなかったんだよな
おさまってなかったってことなんですよ 俺はずっと刀が欲しかったんだ
ロマンじゃないですか
鞘なんかも段々になってて渋いし、鍔は透かしの入った丸いやつでかっこいい 柄の装飾もかすみの図だかなんだかで、和風でええ感じだ
居合やってる人がある程度実力をつけてから買うようなグレードのやつなんだ多分 いい刀なんですよ
俺の刀経験っつったらホント、幼少期の地元の武者行列再現イベントで、抜けないように紐で縛られた刀を腰に差して歩いたことがあるくらいだ
そこなんだよ
武者行列イベントで俺は"副将"の役を押し付けられて、雑兵役と比べるとちょっといい鎧・ちょっといい刀を身につけた
しかしやっぱり、刀の鍔と鞘は紐で強固に括られていて、ガキには絶対に抜かせねえという意思が感じられた 俺は真面目なガキだったんで、これ抜いてみたい…なんて言い出すことはできず、いちども刀身を拝むことはなかった
黄色というか金色というか、そういうやや趣味の悪い鞘に収まった大小で、手の届かない棚の上に鎮座していた
校長先生と仲良くなろう!みたいな企画があって校長室で給食を食ったとき、その刀のことがずっと気になってたんだけど、やはり言い出せず、刀はただ視界の端で存在感を主張するばかりだった
ぜってえ小学校にあった刀よりいいのを買った
9万円だぞ9万円 校長室に飾ってある刀とはいえ、9万円の居合刀よりはショボいはずだ
俺の勝ちってことなんですよ
20年弱の時を経て、俺はあのときの刀に勝ったなあ、ってワケですよ
そんでその刀なんだが、まだ届いてねえ
即納品と書いてあって、1〜5営業日以内に発送って話で、頼んだのは6日前とかなんで、理論上今日あたり届いてもおかしくない感じではあったんだが、ショップから来たメールの感じだとまだ発送されてないっぽい
おそらく刀身の長さをカスタムしたのがよくなかったんじゃないかと思うが、詳細は不明
文句はない 待つ楽しみというのは確実にあり、それが伸びるというのはむしろありがたいことだ
俺の刀が来ようとしている
どうするんだ俺
刀を振る場所なんかねえ たぶん下手に振り回したら天井に穴をあけることになる
パッと見で「すげえ!」「人間離れした動きだ!」とはならないし、むしろ「ただちょっと素早く刀抜いてるだけじゃん」とすら思いかける
でも、何度か見ていると、異常にブレが少なく動きが洗練されていることがわかってくる これは多分、到底真似できねえぞと思いはじめる
居合刀がきたら、真似してみてえ 全然無理だ!!ってなりてえよ
楽しみだ 楽しみすぎる
いい使い方だったんじゃないだろうか?9万円…
小学校の時は娯楽が少なくアニメというだけで早起きしてこのアニメ見てたんだけど、横で一緒に見てた母親がこんなの日曜の朝からやってるの…?と何故かドン引きしてた。
(一緒に見てたのはその時だけだったと思う)
今になって思い返すと確かに日曜の8時台にやる内容じゃなかったな。ドロドロ愛憎劇が過ぎる。
OPは今でも好きだけど主人公と相手役は好きになれないでいるが、今また日曜の午前中に放送したらそれなりに受けそうだなとも思ってる。
経済的豊かさとか社会的地位とか外向きの実利でガッチリ結びついた夫婦ってすんげえ冷え込む時あるけどあれ怖えよ。
「同僚が大嫌いだけど、仕事だし、いっぱしの大人だから職場でそんな態度はおくびにも出しません。これが数年、十年続こうがそれが社会というものです」
みたいな感じで粛々とそういう現象を受け入れてる人いるやん。主に慇懃無礼カッコイイな界隈で。
そのノリを家庭でモロにやってる感じ。
まあ俺の両親のことなんだけど。
子供の前じゃ努めて仲良くご機嫌な夫婦を徹底して演じてるのも凄いキツかった。小学校入ったあたりから実際の夫婦仲はさすがに分かってたわ。