はてなキーワード: 一部の人とは
ネットに激増している「幼児の性的虐待」の実態 虐待画像や映像の数は過去最高に https://t.co/hweOtVxygg
「捜査は感情的にも心理的にも非常に負担が大きく、やめる人が後を絶たない」。実在児童への性虐待という地獄と向き合うよりは、二次元萌え絵を叩いて回る方が精神的にずっとラクなんだろうな。— ClaraKeene (@clarakeene) 2019年10月23日
こういう悲惨な現実を無視して、二次元規制に血道を上げてるのが国際児童保護団体という連中の実態なんだよ。特にECPATとかがそう。日本でも散々実在児童保護の邪魔したし、国連に創作物規制をさせようとした。https://t.co/PooQxk9tBB— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) 2019年10月26日
https://toyokeizai.net/articles/-/309872
学費を出してくれている親には申し訳ないと思いながら毎日を生きている。
原因は人間関係だが教員と揉めたわけではなく、学生同士で揉めた。
そこから行ったり行かなかったり曖昧な生活を続けて数か月が経つ。
こちらに落ち度はなくむしろ完全な被害者なので、うわさを聞きつけた高校時代や大学での友人、部活の先輩後輩が
代わる代わる話を聞いてくれた(愚痴を聞いてくれたともいう)。
気分が晴れない生活を続けているが、素敵な人たちと人間関係を築いてきていたこれまでの自分を誇りに思えた。
ただ一方で、人に対して幻滅したこともあった。いま所属する場所の一部の人間である。
それまでは「普通の」人間関係を築いていた。もちろんうわべだけかもしれないが、うわべだとしても滞りなく日常生活を送っていた。
卒業が迫っているのに結果が出なくて焦っていることを、
自分は追い詰められているのに、その状況を味わっていない後輩がいることを、
どうも許せないらしい。
態度でも文章でも八つ当たりされているがそれを避けられる心の余裕もない。
受け流す心の余裕もない。
研究がうまくいかないどころか研究を進める場所に行けない状態で、
揉めた原因で相当追い詰められたが他人も同じようにその苦しみを味わえばいいのになんてお世辞でも言えない。
こんな思いをする人が一人でも減ってほしいと思いながら生きている。
どうして八つ当たりされなければならないのか不思議で、もやっとする。
人の本性を見た。
自分はめっちゃオタクだしオタクコンテンツが規制されることは苦しい。絶対にいやだ。本当にいやだ。
オタクってだけでバカにされるのももちろんやだ。高校時代は部活でエースだった。一年でレギュラーとった。先輩を差し置いて。でもオタクだったから友達がいなかった。それに、レギュラーをとったのもなにかと先輩の調子が悪かったからとか顧問に気に入られてたからとかなにかと難癖つけられたわ。
自分をオタクだって知らない誰かと仲良くなりかけても、増田はゲームキャラのキーホルダーつけてるよ、とか、休憩時間教室のすみでオタクとデュエルしてるよ、とか広められて、仲良くなりかけた人も俺から離れていった…。
こんなのはひどい。ほんとにひどい。つらかった。
オタクってだけでなんで…。部活の練習も人一倍頑張ってたし、ウェイ勢よりずっとまじめに授業受けてた。
オタクのコンテンツだからって世の中から否定されるのはつらい。オタクコンテンツの中にも素晴らしいストーリーやキャラクターがいる。そして尊敬するクリエイターもいる。
ただ、いかに愛するコンテンツといえど、場を誤れば非難の対象になるのは仕方がないというのは理解している。
一時俺の好きなコンテンツにウェイ系を流入しようと合う動きがあった。あの時のプロモーションはひどかった。勘弁してほしかった。やめてほしかった。
おそらくいまキレてるフェミ連中もその時の俺と同じ感情なんだらう。そう考えたら理解できない感情ではない。
べつに一部の人間に否定されたって俺の愛するコンテンツの価値は変わらない。これをオタクコンテンツの否定とは思わない。
わかるやつだけわかればいい。
わからないやつに理解しろと詰め寄るのはどう考えても加害だ。俺だってされたくねえ。
俺の好きなコンテンツが献血コラボしないことを切に祈っている。
※もともと俺は承認欲求が強い人間じゃないし、日向に出たい人間じゃない。だから自分が愛するコンテンツに対してもそんな国民的人気を期待しないという部分があるのかもしれない。自分が愛するコンテンツを国民的人気作品にまで押し上げたいオタクにとっては、今回の件はつらかっただろう。
僕はバイセクシャルだ。
多分。
どちらかというとゲイ寄りだとは思うが、まあ一応異性との性交渉経験もあるのでバイセクシャルだと思う。
そして僕は、バイセクシャルであるという点において『異常者』である。
ここでの『異常』の定義は難しいが、とりあえず『大多数の人間が持つ価値観にそぐわない行動や思想』とでもしておこう。軽い言葉にすれば『変わってる』という表現になるだろうか(国語の成績はあんまりよくなかったので、言葉の使い方がおかしかったら指摘していただきたい)。この表現を使えば僕は性的指向に関して異常であり、変わっているといえる。またこの表現を性的指向以外に拡張すれば、例えば「UFOを信じているのは異常」「ゲームばっかりしてるのは異常」「障碍者は異常」…まあいくらでも例は挙げられそうだ。
で、『異常』であることそのもの、それはまったくもって差別的な接し方をしていい理由にはならない。と、思う。
昨今、LGBTに対する意識を変えようという運動が盛んである。勿論これは肩身の狭い思いをしてきた僕にとってとてもうれしいことなのだが、どうも一部の人々が「LGBTであることは普通のことなんだから認めるべき」という的外れな運動をしているように見受けられる。
他のLGBTの方がどう思われているかは知らないが少なくとも僕の意見としては、この運動の根幹にあるべき考えは「異常者でもいいじゃないか」であって「異常者扱いするな」ではない。だってそうでなきゃLGBTではない他の『異常者』は救われないし、人間がまた新しい『異常者』のレッテルを生み出すかもしれない。せっかく世界的にLGBTの受け入れの波が進んでるんだ、ここいらでどかんと『異常』そのものを多様性として受け入れてはくれないか。
UFO信者もゲーマーも障害持ちも、みな等しく『異常者』として健常者と同じように受け入れられる。
そんな社会の実現を信じて、改めて言わせていただこう。
僕は異常者だ。
10代の頃からヒール靴を履き続けて10年以上の女子…でなくなりつつある社会人ですが、#Kotoo運動にはモヤモヤしているわけでして。
自分の美意識ゆえに、某うの氏の名言「オシャレは我慢」を胸に、新しいヒール靴を買うたびに足を血だらけにしながらヒールでファッションを楽しんできました。
しかし、自分の周囲にヒールを履くような同性の女子があまりおらず、「ヒール履いてるけど大変じゃない?」と言われることはよくありました。
だから、女性の中でもこんなにヒール靴が嫌われていたなんて、思っても見ませんでした。
今にして思えば、「ヒール靴履いてるなんて、お高くとまっちゃって」とやっかみや嫉妬で言われていただけかもしれないですが。
それに、「ヒール靴を強要される職場が世の中に存在する」というのも、この運動が起きるまで知らなかったんですよね。
むしろヒール靴を履いて行って怒られたことがあるぐらいで…(運動靴で来いよ、と言う意味で注意された)
確かにヒール靴を履きたくない人に強要するのはよくないのですが、ヒール靴を積極的に履きたい女性の立場からすると、#Kotoo運動にはどうにも共感できないのです。
さっき、ローファーを履いたスーツ姿の女性とヒール靴を履いたスーツ姿の男性が写った冊子の表紙を見たのですが、「ヒール靴を強要しているのは男」というメッセージのように見えて、良くないなぁと思いました。
ヒール履きたくない女子が追い詰められているのは「周りの女子はみんなヒール履いてる」という被害妄想だと思うんですよね。
ヒール愛用女子に引け目を感じて「ヒール靴履けない自分がみじめだ」と感じているんじゃないかと。
ヒール靴なんて「かわいく見せたい」「できる女風に見せたい」「男にモテたい」みたいなことを考える一部の人たちのファッションでしかありません。
それに、男でもヒール靴履きたいなら履けばいいわけで…(まぁドラァグクイーンのような一部の男性にしか広がっていないですが)
今の#Kotoo運動は確かに「ヒール靴の強要がある」という問題を世の中に知らしめた、そしてヒール靴を履くことに苦痛を感じていた人に「あなたは悪くない」というメッセージを伝えたという意味では意義があったと思います。
ただ、これ以上はやりすぎだと思います。
色々言いたいことがあるとは思うけれど、まずは前後の文脈も含めて読まなきゃダメよね。
だから前後込みで訳してみたわ(原語およびドイツ語版より)。機械翻訳に頼っているので変なところがあったら指摘してちょうだい。
日:なぜならば、彼女は[私たちに見えない/私たちが見て欲しくない]ものを見ることができたからです。
ス:För hon såg det som vi andra inte wille se.
独:Weil sie das sieht, was wir anderen nicht sehen wollen.
グレタは私たちの二酸化炭素を裸眼で見ることができる、数少ない一人でした。
Greta tillhöde det lilla fåtal som kunde se våra koldioxider med blotta ögat.
Greta gehört zu den wenigen, die unsere Kohlendioxide mit bloßem Auge erkennen können.
彼女は私たちの煙突から流れ出る温室効果ガスが空に立ち上り、風に乗り、大気を巨大な不可視のゴミ溜めへと作り替えていくのを見ることができました。
Hon såg hur väthusgaserna strömmade ut från våra skorstenar, svävade uppåt med vindarna och förvandlade atmosfären till en gigantisk osynlig soptipp.
Sie sieht, wie die Treibhausgase aus unseren Schornsteinen strömen, mit dem Wind in den Himmel steigen und die Atmosphäre in eine gigantische unsichtbare Müllhalde verwandeln.
Hon var barnet, vi var kejsaren.
Sie ist das Kind, wir sind der Kaiser.
そして私たちはみんな裸でした。
Och vi var alla nakna.
Und wir sind alle nackt.
この文章の元ネタはScener ur hjärtat (英題Scenes from the Heart,でも英訳版はまだない)という本よ。
ドイツにてFrankfurter Allgemeineという新聞社がドイツ語版の一部を抜粋して公開し、その中の一文だけを抜き出してグレタ氏の画像と共にツイートしたのが今回の件の発端。
これは主にドイツ語圏のツイッターなどで盛り上がっていたのだけれど、それがスイスのNau、ベルギーのHet Laatste NieuwsやVRTNWSといったニュースサイトに飛び火。それがWUWTのような温暖化否定論者のブログに取り上げられたことで、英語圏にも拡散していったのね。
そして先日、ShareNewsJapanのグレタさんの母「娘は空気中の二酸化炭素を裸眼で見ることができる」という記事で日本に到着。Frankfurter Allgemeineのツイートが4月29日なので、5か月ほどかかったみたいね。
ちなみに、この日本語記事の元は文中にもあるようにAfrinik.comの“My daughter can see CO2 with the naked eye”という記事よ。
Het Laatste NieuwsやVRTNWSなんかは「文脈無視した切り取りじゃないか」といった批判を受け、マレーナ氏と出版社に問い合わせたところ双方から「比喩やで」という返答をもらっており、翌日に記事を訂正しているわ。
これは日本語記事の元ネタたるAfrinik.comの記事にも反映されており、ShareNewsJapanがこれを無視しているのはちょっといただけないわね。
まあ機械翻訳って書いてあるし、実際に読んだわけじゃないのでしょうけれど。
ちなみにドイツベルギー(2019.09.27修正)のfactcheck.vlaanderenでも独自に問合せをしており、グレタの両親スヴァンテとマレーナ両氏から「比喩やで」と回答されているわ。
結局、フェイクニュース(って言っていいのかしら?)が言語でロンダリングされながら5か月かけて日本にたどり着いたってのが今回のお話。
残念ながら、一部の人たちは引っ掛かってしまったみたいだけれどね。
マレーナ・トゥーンベリ氏が「娘はCO2を目視できる」と本気で信じているとは、文章から断定することはできないでしょうし(私としては比喩と思う)、実際に本人が否定している以上、この話はそこで終わりよね。
どうしてもグレタ氏の母(ひいてはグレタ氏本人)を「バカな考えを持っているヤベー奴」認定したいというのなら止めはしないけれど、それならもっと別アプローチでやった方がまだしも分があると思うわよ。
それじゃあね!
factcheck.vlaanderenはオランダやで