はてなキーワード: ピーとは
そういえばうちの大叔母(ばあちゃんの妹)さん、
もう80ぐらいで、名前がとめ子って感じで、
その妹にもそんな感じの名前の人が居て、
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・
・
昭和8年にラテックス製コンドームが出来て、このころまでは性病予防の側面があって
と書いてあった
受胎調整運動とかで(参考:https://www.sagami-gomu.co.jp/condom/history/)
あんまり関係無さそう(当時の人の意識にめっちゃ左右されるし)
グラフ見ながら
前から思ってたんだけど
出生率のピークは大正時代、1920年くらいで、そこからまっすぐ落ちていってる
http://honkawa2.sakura.ne.jp/1553.html
戦後の2回のベビーブームは単純に異常値であって、それ以外は綺麗に減っていってる
俺が本当に知りたいのは
・大正〜昭和初期にかけてなぜ減っていったのか?その因子は何か?
なんだけど、歴史に明るいわけじゃないからマジで戦前のことが分からんのに
ちなみに富国強兵政策かなと思ったんだけど、むしろその時期は出生率が減ってる時期だとわかった
価値観の大きな変化はたぶん江戸時代→明治時代だろうから、西欧化が原因というのも多分間違い
むしろ女性の有り様の変化とか、文化的側面とか、近代化の何かだと思うんだけど、とにかく明治〜昭和初期に明るくないとわからん
______
→確かに1923年で、ピークの2年後くらいだ、何か関係あるのかな
・産業革命
→確かにこれ大きいのかも、例えば第二次産業の普及と共に子供の資産価値が一旦上がったとか?
・電気の普及
→ていうか張ったページに書いてあるねw
>大正時代における出生率の増加から減少への転換の契機となったのは、産児制限への動きや一般家庭への電灯の普及の影響と考えられている。
>電灯は庶民の「夜の生活」を変えた、といっていいだろう。電灯のもとで、人々は雑誌や書籍を読むこともできたし、夜なべ仕事も容易になった。大正期に始まる都市の出生率の低下は、電灯の普及と少なくとも時期的には一致している。都市では夜の娯楽が増え、農村に比べてそもそも低かった出生率は、さらに低くなった」
大正時代といえばまだ子供が資産だった時代だと思うけど、それでも娯楽の影響は大きいんだろうか
そういえば昔、初体験の年齢が地方と都市で異なると聞いたことがある、それに初婚年齢も都市部のほうが遅い
・富国強兵の時期って1870年頃〜1905年くらいなんだね、出生率の上昇と一致する
気づいたこと
仮説
・娯楽が充実すると子供は減る
・富国強兵はうまく行っていた?
不明なこと
・産業革命が及ぼした影響
娯楽を減らすなんて無理だし
『「南海キャンディーズ」の山里亮太、幸せオーラ振りまきまな娘に「デレデレです」』
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6436133
また高齢出産叩きとそれに対する反論、再反論が盛り上がってるようだけれど
妊娠する前ならともかく妊娠した後やましてや子供が生まれた後で高齢出産叩きをしてどうするんだろう…
いや周知の事実なら今わざわざ言う必要なくない?わざわざ叩いて当事者を傷付ける意味は何処に…?
でもまあ、高齢出産叩きって6,7年前が酷さのピークで、それに比べたら今は反論も出るだけちょっとはマシになったと思う。
あの頃は本当に酷かった…。
若い頃に産んだ方がいいなんて女はみんな体感的にとっくに知っててそれが出来なかっただけなのに
「卵子の老化」キャンペーンを貼って「知らなかった」と言わせて罪悪感を持たせて35歳以上の出産を一律に止めようとする。
あれで氷河期世代の駆け込み出産がかなり潰されたと思うんだよね。あの時ならまだまだ子供を産める女性の数も多く、高齢出産歓迎の姿勢を見せておけば少子化も少しは緩和されただろうに、完全に逆をやって少子化推進キャンペーンを進めていた。
その後は出産可能な年齢層の女性の人口そのものが減るので「少子化」の主要因としての「少母化」まっしぐら。
高齢出産叩きって、「障害児は産むな」「完璧で健康で社会の役に立つ子供だけを産め」という少数精鋭嗜好とは相性がいいんだろうけれど
金曜日は外食することにしてる。テキトーな外食ね、そんな高いやつじゃなくて。割と近くのショッピングモールに行くことが多い。飲食店がそこそこ入っているし。ついでにちょっとだけ服をみたり、隣接するスーパーで来週分の食料を調達したりする。買い物効率が高い。スピーディに食べて買い物して帰ってくると、週末にやるべきことが少し減る。やったね〜
世界は人口が増えてそれに比例して経済発展もするから、インデックス連動の金融商品に投資したら長期的には必ず勝てる、みたいな理論。
2050年には97億人。
2080年の108億人くらいがピークでそれからは減少するというのが国連の予測。
今までの30年は人口の伸び率は50%。
今から30年の伸び率は20%
さらに30年の伸び率は10%
こそから先は減少。
しょうもない中小企業で働いている。女性はすぐ辞めるからという社長の見解により男女比率が5:1くらいの会社で、私は女性社員で、事務職として働いている。
幸いなことに私はわりあい仕事ができる方で、ありがたいことに上司は性別に関係なく仕事ができる人間を昇進させようとする人間だった。私は女性の中では出世頭となり、規模が小さいなりに細く長く存続する会社で初めての女性管理職になった。
未経験だが簿記2級を持っているというだけで採用され、前任者は私の入社後3ヶ月で退職したため、がむしゃらに働き、経験はなくとも度胸だけは一人前にあったのでなんとか監査法人による会計監査や税務調査を乗り切った。当時なんら役職をもたない未経験の人間によく監査法人の対応を任せたものだと思うし、監査法人もよく受け入れたものだと思う。
そのように働いていたため、とんとん拍子に出世したのは正直自分でも当然のことと思っている。
何年も前から会社を辞めたいと思っていた。会社の業務に対し、身を粉にするほどの価値を感じられなかった。他社の同様の業務をする人間より年収が100万ほど低いことは耐え難かった。ただ、辞めたい気持ちがピークに達する度私は昇格または昇進し、このタイミングで辞めると社長がほうらやっぱり女は辞めると言い出しかねず、辞めるに辞められなかった。ようやく他部署でも女性が出世するようになってきたのに、水をさすようなことは私にはできなかった。
たとえ小さな企業であれ、女性の社会進出という面では私も幾ばくかは貢献できたところもあるだろう。ただ、自分の幸福を追求できたとはどうしても思えない。転職したほうが自分にとっては良いのだろう。が、私の退職による他の女性社員への影響を考えるとどうも踏ん切りがつかない。雁字搦めになってしまっている。
昨日女性の部下と面談を行った際に、上司が増田さんだからこれまで仕事を続けられました、と言われ、印刷した退職願をどうしたものかと迷っている。
妻: 育休中
1日目
私と妻は、謎に「まあ大丈夫だろう」と言っていたが、その夜に子供が発熱。
2日目
保育園を休み、朝イチで近所の病院でPCR検査をしてもらった。結果は翌日の午前中に連絡してくれるとのこと。
診察や処方箋を待つ間は、建物外にいるルールなので日陰を探して待機。暑い...
この日は昼過ぎくらいから子供の熱が高くなっていき、夜には40度くらいになった。それから保育園から他の園児1名が陽性になったとの連絡が。
これはうちの子も罹ってそうだと感じ始める。
子供はなかなか熟睡できず、1時間おきくらいに泣くようになる。首元を冷やしたら少し落ち着いた。
3日目
午前9時くらいに病院から陽性との連絡。その後、保健所からも療養中の行動について連絡が来る。
4日目
妻が本格的に発症する。妻は倦怠感と発熱でほぼ寝たきりになったので、私はワンオペで育児。
子供はこの日も常に抱っこ状態。寝始めたと思ってもベッドに置こうとするだけで泣くので、ヒップシートで抱っこし続けた。
私も少し喉がイガイガしていたが、強い症状が出ていなかったのでこのまま軽症で済むかなと思っていた。
が、夕方くらいからだるさが出てくる。妻はダウン、子供はグズグズでこのときが一番キツかった。
抱っこして寝かしつけようとしていたが、夜9時頃に私もダウン。まだ寝つけてない息子を寝室に置いて、その隣で横になり、トントンしながら一緒に寝てしまった。
次に目を覚ましたときは夜中の1時くらいで、子供はすやすや寝ていた。一応リビングに移動してまた寝た。
5日目
私もかなり体がだるくなって、熱が39度くらいまで上がる。
幸いなことに私が動けなくなるタイミングで妻が回復してくれたので、子供のご飯やオムツ替えなどをお願いすることができた。
この日は子供の食欲も結構戻り、一人遊びをしてくれたり長めにお昼寝してくれたりでとても助かった。
子供は熱が下がり元気に遊んでいる。まだ鼻水が出ているが、ピークは過ぎたみたいだ。
ちょっとバランス感覚が悪くなったというか、よく転んで顔に傷をつけているのが心配。
妻もまだ咳は出るが、かなり回復してきた。
私は喉が赤くなっていて食べ物が喉を通ると痛い。あとなぜかしゃっくりがよく出る。
夏休みは、東北の義実家に遊びに行く予定だったが、当然新幹線をキャンセル。
妻の両親に子供をお願いして、久しぶりに妻と二人でご飯を食べに行こうとレストランを予約していたけどこれもキャンセル。
いろいろと予定がキャンセルになってしまったが、なんとかピンチを乗り越えられたので良しとしよう。
子供が保育園から持ち帰って風邪を親がもらうことはあったけど、今回はこれまでと比べ物にならないほどキツかった。
もし妻と私が同時に発症していたら...とか、もしワクチンを打ってなかったら...とか考えるとゾッとする。
症状が出ている時は、お互いに「ありがとう」、「助かるよ」と体調悪い中でポジティブな声かけができた。
1歳の子供も療養期間で「あれが欲しい」という感じで、お茶や食べたいものを指差すようになって、親の育児を助けてくれてるような気がした。
ただドリンクバーだけ頼むのは個人的には大人として恥ずかしいと感じるし、ピークタイムだったら迷惑そうだなと思うだけ。
あと、もし仕事してるリーマンがファミレスで家族連れに向かってうるさいって思ってるなら、どう考えてもリーマンの方が非常識やろ……。
出国前のPCR検査も、現地での検温も空港での入国時の検温も問題なく抜けて帰宅した。帰宅後に抗原検査キットで確かめても、陰性だった。
しかしその夜のうちに発熱し、翌日には38度台まで上がった。そして発熱外来で改めて受けたPCR検査で、陽性が発覚した。
不在のあいだしていたやりとりで、私が危機感を覚えたタイミングはいくつかある。
みっつ、日本に到着した際に、喉が痛いと彼から申告されたとき。
いまの主流株は喉の症状が多いと聞く。ゆえに私は、空港での検査を進言した。彼もそのつもりだと言っていたが、結局しないで帰ってきた。
その日の彼のフライト時間は、トランジットも含めて17時間。待っていられるだけの体力が残っていなかったのだという彼を、私は責めることができなかった。
空港のある地から我が家はそこそこに遠く、ホテル療養が可能かもわからない今、ハイヤーで自宅まで送迎となったら恐ろしい請求金額になったはずだ。
出国時に熱があれば残るつもりだったと彼は言う。
私も私で、異国でこの流行病の陰性が証明されるまで彼が過ごさねばならないことを考えると、進んで「そうして」とは言えなかった。
空港での検査がせめてもっと短時間ならよかったかもしれないが、自宅でしたそれも陰性と出ている。その時点で引っかかったとも限らない。
現在彼は、高熱のピークを越え、けそけそと咳をし、だるさを訴え、しきりに眠たがっている。
私は、喉の違和感を覚えている。咳とくしゃみと鼻水も出る。熱は今のところないけれど、恐らく罹患しているのだと思う。
こういう一人の行動が積み重なった結果が昨今の陽性者数なのだとしたら、どうするのが正解だったのかな。
自己判断、というのなら、彼はどの時点で留まればよかったのだろう。あるいは私は、どこで「帰って来ちゃだめ」と言えばよかっただろうか。
オーナーがしおしおに打ちひしがれた状態で店に電話をかけてきた。Aさんが電話を取ったのだが、オーナーは特にこれといって用事があった訳ではなく、ただ消え入りそうな声で長々と愚痴を言っただけだったらしい。
最近、当店は人手不足に拍車がかかり、女子フリーターアルバイトさんとその母親とオーナーが揉め、しかもオーナーの奥さんが体調不良でダウンするという不幸が重なった。それでオーナーはかなり参っているそうだ。
客足が途絶えたとき、Aさんから女子フリーターアルバイトさんとその母親がオーナーと揉めた時の顛末(オーナーサイド)を聴いたが、私が女子フリーターアルバイトさんから聞いていた女子フリーターアルバイトさんサイドの話とはだいぶ風景が違った。
なんでも、二カ月ほど前に女子フリーターアルバイトさんからオーナーに「もっとお金を稼ぎたいからシフトを週5か6に増やして欲しい」という要求があったらしい。この人手不足の時に彼女の要求はオーナー的に願ったり叶ったりで、すぐその様にシフトを組み変えた。
ところが、女子フリーターアルバイトさんは言うだけ言って当日のドタキャンを平気でする。しかも、間もなく女子フリーターアルバイトさんの母親が早朝勤務で雇われると、途端に女子フリーターアルバイトさんは態度を変えて「もう辞めたいです。辞められないならシフトを週1にしてください!」と言い出した。オーナーはその理由がわからず戸惑ったという。ベテランのDさんが円満退職するのが決まって、これ以上人が減ったら店が回らないという危機的状態になった頃だ。で、オーナーが頭を抱えていると、女子フリーターアルバイトさんはやっぱり辞めないで働くと言い出したものの「熱が出た」と言い欠勤し、翌週は一回もシフトに入らなかった。
女子フリーターアルバイトさんの言うことがコロコロ変わった理由は、外野の人間(私、Aさん、Dさん、シフトリーダー等)の方がよく知っている。まず第一に、女子フリーターアルバイトさんが誰かに唆されてガールズバーのバイトを見つけたこと。第二に、女子フリーターアルバイトさんの母親が早朝勤務で「オーナー夫妻から酷い仕打ちを受け」て腹を立てたこと。第三に、女子フリーターアルバイトさんが些細な事で母親と家庭内暴力レベルの大喧嘩をして母親を庇う気をなくしたこと。そして第四に女子フリーターアルバイトさんとその母親が実はコロナにかかっていたことだ。
ガールズバーと当店でのバイトの掛け持ちというのは、オーナーに知れたらかなりまずい事になるので、我々外野は女子フリーターアルバイトさんの為に知っていて黙っていた。コロナの事はオーナーが信じなかっただけで、Dさん調べで仮病ではなくガチだと判ったのだが、個人情報でもあるのでやっぱり話せなかったのだ。
一方、我々外野が知らなかったのは、女子フリーターアルバイトさんの母親もなかなか常識知らずというか癖が強いというか頭が悪いというか……なんか変な人だったという事と、女子フリーターアルバイトさん母娘がコロナにかかって大人しく欠勤したものの病院を受診せず、「コロナにかかったかもしれないから休みます」と言ったきり一方的に二週間ぶんのシフトを蹴った事だった。
女子フリーターアルバイトさんの母親は、女子フリーターアルバイトさんから半ば強引に当店の早朝勤務に入らされた形で勤め出したのだが、他の仕事(かなり遅くまでかかるらしく、帰宅が0時を回るほどだという)との掛け持ちで疲れてミスをしたとか、仕事を覚えられなくて、オーナー夫妻をイライラさせちゃったのかなと思いきや、オーナー夫妻が怒ったのはそういう事ではなく、女子フリーターアルバイトさんの母親の勤務態度が素で非常に悪いからだった。しかも、女子フリーターアルバイトさんの母親は勤務態度が「最悪」な上に唐突に二週間の休みを取ったものだから、その理由(という名の言い訳)「コロナにかかったかもしれない」をオーナー夫妻は信用できず、一層女子フリーターアルバイトさんの母親への当たりをいっそう強めた。そしたら女子フリーターアルバイトさんの母親は突然「もう辞めます。明日から来ません」と言って本当に翌日から来なくなった。オーナーサイドではそういう事なのだが、女子フリーターアルバイトさんはその現場を見た訳じゃないから、自分の母親がオーナー夫妻に理不尽に虐められたと思い、報復の意味で「辞めるかシフトを週1に減らす」宣言をしたのだった。
だが、それから暫くした後、女子フリーターアルバイトさんは母親と下らない事で凄絶な親子喧嘩をしたために、母親を守るのを辞めた。それでやっぱりシフトは減らしませんーと言い出した矢先にコロナにかかったという訳だ。女子フリーターアルバイトさんも母親と同様「コロナにかかったっぽいのでしばらく仕事には行きません。でもお金がもったいないから病院には行きません」と一方的に言って欠勤中だ。
コロナにかかって自主的に二週間休むのはいいとして、言うことを二転三転させたり、訳も言わずにオーナーに対してキレ散らかしたりした後で休むと言い出したら、それは気紛れではなく本当に休むべきなので休んでいるのだと、オーナーに信じてもらうのは無理だろう。(そもそも母親が感染した時点で母娘揃って出勤停止になるべきだったし……)
そんな訳で、女子フリーターアルバイトさんのシフトの組み方が彼女の感情まかせで、そこにコロナ感染が不幸にも重なったので大変な事になった。オーナーには訳のわからない事件だったが、我々外野の者達にしてみれば、女子フリーターアルバイトさんの感情の動きは明らかで、なるほどそういう訳ねーと理解は出来た(共感はしないし非常識かつ不義理だと誰もが思った)。
女子フリーターアルバイトさんみたいなのをオーナーが許すようでは他のパートアルバイトも次々と辞めて行ってしまうし私も辞めたくなるだろうが、オーナーは人手不足で猫や馬鹿の手も借りたい状況に汲々としつつも彼女に対して本気で腹を立てている。当店のオーナー、案外まともなとこあるじゃん、と我々外野の従業員達は胸を撫で下ろしている。とはいえ、まだ当分は女子フリーターアルバイトさんのワガママに総員振り回されることに変わりはないのだが。
最近、夕方辺りに来る常連のおじさん・お兄さんなお客様達がとても物言いたげだ。普段猛烈にダルそうなそぶりで店員の顔など一瞥もせずに買い物をしていく、とある20代後半くらいの男性のお客様も、なんか言いかけてやっぱりいいやという感じで口を噤んで帰って行った。女子フリーターアルバイトさんがこのところずっとシフトに入っていないからだ。
突然長期の欠勤に入る前の彼女の吸引力は凄かった。おじさん・お兄さんなお客様達がまるで誘蛾灯に惹かれる蛾のように彼女にホイホイされていく。男性客の多くが彼女のレジにしか並びたがらないので、店が混雑していても一緒にシフトに入ってる相棒は暇だし、女子フリーターアルバイトさんに惹かれないタイプのお客様達はすいすいと会計が済んだものだ。
Aさんは、
「女子フリーターアルバイトさんと仕事する時は楽でよかったです。俺は一歩下がるだけで客から見えなくなるんで、あとは彼女が全部レジ打ってくれるから」
私は「それなー!!」と答えた。女子フリーターアルバイトさんと組んでる時は、たった一歩後ろに下がるだけで、私の存在は見事にステルスされる。とても不思議で面白い光景だ。動画に撮って見せてやりたいくらい。
女子フリーターアルバイトさんがとても可愛いのは確かなのだが、彼女よりも可愛い人も世の中にはいくらでもいるのに、必ずしもそうはならない。それに女子フリーターアルバイトさんはサボりが多いとはいえ勤続丸二年になるところで、可愛いことにかけては勤め始めてからずっと変わらないので、最近になっていきなりおじさん・お兄さん達を引き寄せまくるようになったのはとても興味深い現象なのだ。
「さあ……もしかすると匂い? 若い女の子特有の匂いっていうのがあって、それは物凄く人を惹き付けるらしいけど。年齢的にちょうどその匂いを発するピークなんじゃないの」
「言うても俺、全然惹かれないんですけど」
「えー、好みのを問題かなあ、しらんけどw」
なんてAさんと話したが、我々も女子フリーターアルバイトさんのことをコイツはもうダメだとか思いつつ何だかんだ許容している辺り、彼女にすっかりホイホイされている側なんじゃないだろうか。
世の中には飛び級で修士や博士を取る猛者もいるけど、研究のペースなんて人それぞれなんだから、自分のペースで納得いく研究をした方がいいよ。
私の周囲には、ボスが厳しくて5年在籍して博士号がやっと取れた人や、妊娠出産などライフイベントがあって4年で取得した人、定期的にメンタルがやられて4年で出た人、などなど3年以上在籍で博士号取った人がたくさんいるので、在籍年数はさほど大きな問題ではないと思ってるよ。
増田のように、研究の遅れに加えて経済的な事情もあって、1年休学して翌年に取得した人もいる。1年働いてお金を貯めて、休学中に論文書いていた。多少の実験であれば、ボスのはからいで許されていたらしい。国立だったので休学中の学費は免除されていた。
研究計画性が最も重視される研究機関(理研とか)に就職したいのでないなら、在籍年数よりも研究の内容を大事にしよう。アカポスの面接は研究者なんだから、研究内容の面白さを重視する人が多い。だからこそ論文は在籍年数よりも優先順位が高い。
私の周囲にも、ボスが放任過ぎて、博士課程に6年在籍したのに博士号取れなかった人がいる。彼はうちのラボに来てテクニカルスタッフやってたけど、再就職もうまくいって今は他大学でベンチャーの職員をしているよ。
アカポス以外の道もたくさんあるよ。DC1取ったけど、その後にアカポス行けなくて、弁理士の資格取って働いている人もいるし、アカデミアは肌に合わないから数年でやめて、ラボの共同研究先に就職した人もいるよ。
才能がある人が多い世界ではあるけど、凡才だけど研究が楽しいから続けてる人もいるよ。あと一部の突出した才能の持ち主以外、アカポスにつけるかどうかは運。
今、増田は疲れがピークに来ているから、人生について悲観しちゃうと思うの。1週間でも1か月でも休んで、疲れをとってくれ~~