はてなキーワード: パンとは
言ってねーよ文盲
これニーターパン
これニーターパン
(o´・ω・`o)わかりにくいわー
…欧米人の子供の好き嫌いテッパンネタに出てくるくらい不味いレシピの代名詞なんだから、やっぱ麦は加工が前提の食物だってわかんだね
あのさ、
任天堂Switchの2本交換できるチケットが締め切り迫りまくりまくりすてぃーだったので、
私は新作の今度発売されるスーパーマリオにしようかと、
躍起になってそれを飛び込み前転で交換に望んだら、
チケット交換期限より先の発売日のソフトは交換できないよ!って盲点に
それなんてワンダー?って
えー!?そうなの?
うーん、
これじゃ交換して遊ぶソフトがないんじゃない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃったわ!
なんか私の好きな感じのゲームじゃないのよね。
って言うのもピクミンは小さな生き物に酷いことしている感じがなんか慣れなくて、
仕方なく交換したソフトが『ファイアーエンブレムエンゲージ』なのよ。
びっくりマークを思わず大盛りにしてしまいそうなほどの面白さで、
私は意表を突かれたわ。
どうせキャラ推しの温いシミュレーションアールピージーなんでしょ?
って括る高もないはずだったのに高を括っていた私が間違いだらけのローラだったわ。
それは傷だらけのローラだけど本当は。
でね、
なにが面白いかと言うと、
キャラ濃いすぎなのよ。
ケインが濃すぎるように、
グラフィック性能が低くて色々な繊細な表現ができない分セリフ回しでキャラの個性を爆発させる手法を
いやその島の人たちは全員なんで関西弁?って思うし、
私が推しているユナカとか「ですな!」って絶対語尾につける女の子なんている?って思うほど、
セリフ回しでなんとかキャラクターを立たせる!って技法だけが今にも残っていて、
ツッコミどころ満載のキャラのセリフ回しにコテコテさを感じ得ないのよね。
まあそこも魅力かもしれないけど。
でね、
私はファイアーエンブレム初体験なんだけど、
一緒にカフェで食事ができて友好度というか好友度を一緒にご飯を食べることによって上がるんだけど、
物語の始めの始め序盤の序盤なので、
なんかそのチープさがじわじわくるわ。
でもさー
神が実態を表して実物として存在していてしかもみんなが崇めている対象が実在するとなると、
一緒にご飯食べよう!って誘われる人誘われない人たちが出てくるので、
ここは神として神竜として
お気に入りのキャラクターとばかりご飯を食べているのもどうかな?って
みんなに分け隔てなく接するのが神様じゃないの?って
一緒に食べるものが食パンのトーストってしかも素のトーストなのよ。
バターも塗ってないのよ!
神様なのにご馳走してくれるのは、
食パンなわけ?って
一応はリアクション「わーい!」とかって喜んでくれてるみたいだけれど。
もうまさに食パンしか食べたことないものだけが食パンを投げなさい!っていうあの教えと一緒よね。
そんなの数えてらんないわ!
それがさることながら
主人公対キャラクターでの組合せのやり取りしかないと思ったら、
他のキャラクター同士たちのショートコントも用意されているから、
その仲間同士との会話も進めて行くこの芸の細かさが
これ全部に寸劇用意されていると思うと凄いわ!って思うわ。
私はファイアーエンブレム初心者の初めてのワンワン物語なので、
簡単めの設定で、
ユニットが死んでも立ち直れるモードでゲームを始めてみて楽しんでいるわ。
街を訪れて村人ともれなく全部話しかけるトーナメント戦がなくて、
こりゃーシミュレーションアールピージー楽ちんでいいわ!って思っていたけど、
落ちている食材やなんやらのアイテムを拾い集めなければいけないのと、
そこらじゅうにいる犬猫とかの動物を保護して動物園を作らなくてはいけないのとか、
やってみると色々とめんどくさいなーって思っていたのよね。
でも会話は必要な人物の最小限度の会話でフラグが立つ立たないの合図が出ているので、
私が嫌いなアールピージーの村人全員に話しかけるトーナメント戦をしなくていいところなのよね。
物集めや会話集めなどしなくてはいけないところがちょっとめんどくさいけど、
キャラクターが良いので、
思わずニッコリって感じよ。
最近私と一緒に戦ってくれませんね!ってグサッと心に釘を刺すようなことも言ってくるから、
よし!今度は一緒にカルタしよう!って
そして今日も推しの彼らとまだ物語序盤なので拾って持っている食材が小麦粉だけで作れるのが食パンだけなのがちょっと寂しいけどね。
なので、
スプラトゥーン3とかだと1戦1戦集中していなくちゃいけない分、
これはこれでファイアーエンブレムは時間が無限にあれば一生食パンを一緒に食べ続けられる、
それなんて三木道三さん?って思うほど、
一生一緒に食パンしか食べられないの?って推しのキャラクターたちに見透かされないようにしなくちゃって思ったわ。
でさー
主人公というか指輪を持っているキャラクターのユニットばかりでどんどん進んでいけばいいってわけでもないところが、
上手にできているわ!って思うのよね。
やっぱりシステムの仕組みが良くってさ
これが目に入らぬか!ってエンゲージして1回だけ決められる強い技がまさに「印籠」感があって
単調になるバトルの戦いを
ここでエンゲージ使って攻め込む!って自分の中で話を膨らませたりなんかしちゃったりして。
バトル中ではそんなことユニット同士ではしゃべってないけど、
私が今助けに行くから!って心の中で
私自らが出る!ってあの名台詞を彷彿とさせるドラマが作中とは別に私の心の中でもキャラがしゃべってるの!
これじゃ単純なジャンケンじゃない!つまらない!って思ったけど、
ファイヤーエンブレムのそれも
槍剣斧の三すくみあんじゃん!ってこれポケモンと一緒に理屈だけど
ファイアーエンブレムだとしっくり納得できるところが、
私はやっぱりポケモン向いてないんだなって理由なのかもしれないと思ったわ。
あとどうしてもポケモンで解せないのは
ピカチュウって唯一無二の他にない存在じゃないの?って思っていたので、
ピカチュウが2人以上いたところを見つけたときはなんかちょっと幻滅しちゃったわ。
そこまでピカチュウ人気に縋らないといけない?って
そんで
捕獲したポケモンを放す牧場みたいなところがアルテウスにはあるんだけど、
ポケモンの話は置いといて、
ファイアーエンブレムはキャラがかっこいいからそれだけでご褒美って感じがして良いわ。
最初にも言ったけど、
どうせファイアーエンブレムってただのキャラクターありきのそれだけのゲームっしょ?って思っていた昨日までの私自身に謝りたいわ。
これは手強いシミュレーション!必ず帰ってくるぞ!とさあ勇ましく戦いに行くのよ!
いやーこれは大きな誤算だったわ。
消去方で私がしたことない体験したことのない感じが得られるゲームってことで
仕方なくファイアーエンブレムにしてみたけど、
もうさそんでさー
フェスでも今回またボロ負けだし、
私の投票して選んだチームはいつになったら優勝できんの?って思う悲しさ。
SNSで最後に愛が勝つ!って絶対にそれなんて大事MANブラザーズバンド?ってその歌をデンモクで検索しようものならKANの曲です!って
パフィーさんのカニ食べに行きたい曲の「渚にまつわるエトセトラ」を歌いたい時に間違えてかけがちな「アジアの純真」とにて非なるものだと思うわ。
でさ、
ふと思ったんだけど、
一番最初の作品ではちゃんと実在するキャラクターだったんでしょ?
何がきっかけで
それなんてメトロポリタンミュージアム?って大貫妙子さん現象が起こっているのよね。
ストーリーを進めて行ったら、
このメトロポリタン美術館になった理由も解き明かされるのかしら?
ふとそれが気になったわ!
うふふ。
まだ食べてません。
ファイアーエンブレムのせいでスプラトゥーン3を1日1回やんのも昨日すっかり忘れていたわ!
お昼何か美味しいものでもテイクアウトしてブランチにしましょうかしらね。
ストックたくさんあるので、
天気悪くって
お買い物で掛けられなくってもご機嫌さんよ!
どうぞ台風来ているところは気を付けて!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
交際から数えてなんやかんや4年ほどになる妻のことをもしかしたら発達障害なのかもしれないと思うようになった。
詳しい人がいたら意見が欲しい。
自分の気持ちは「なんでわからないの?考えればわかるでしょ?」と共感を求めるが、
こちらのつらさや悲しみはわからないし説明しても理解できない。
こちらが休日に寝ていると「いつまで寝てるつもりなの?」(妻は普段昼まで寝ている)
「バカだな~」とか「あんたは料理が下手だからね~」とかを平気で言う。
本人は冗談のつもりなのかもしれないが普通に失礼な時もあることに気付いてないっぽい。
やんわり指摘しても「事実を言ってるだけ!」「じゃあもう何も言わない!」とか怒るので言えない。
ほぼ家事をしないのにこちらがやったことに「パンの焼き加減はこうじゃないって言ったけど?」とか言われるとちょっとしんどい。
あと説明書通りやらないとダメなときと妻の自分ルールが正解になる場合がバラバラなので予測ができない。
たとえば俺に用事があって出かけると「私のことは誘ってくれない!」
遊びに行こうと誘うと「それはしたくない。あれがいい」
妻の行きたいところに行くと「つまらなかった!思っていたのと違った!」
記念日に休みを取って旅行に行ったのに1カ月後「全然どこにも連れて行ってくれないよね」と言われた時はさすがにどうしていいかわからなくなった。
ものすごい気を遣うかと思ったら親しくなった相手には感情を全部ぶつけてしまう(甘えるとも言えると思う)
以下とも関連
というかすぐ離れてしまう。
妻の友だちに会ったり俺の友だちに会わせたりもしたが、
最初は人当たりがいいんだが上記のような性質のせいでやがて互いにヘイトが生まれて壁ができてしまうっぽい。
長続きしてるのは妻の性質を受け入れてくれている年上か、後輩など服従せざるをえない人かのどちらかに見える。
関係が深まるにつれて「子どもっぽすぎるな」と思うことが増え、
色々調べてるうちに発達障害に似たような事例があることを知った。
全部がそうだとも思わないし、まだ妻にはそういう話はしていない。
愚痴っぽくなってしまったが(実際愚痴でもあるが)、妻を批判したいのではなくこういう状況で俺にできることがあったら知りたい。
わりと切実です。
「人はパンのみで生くるのではない」と言ったのはイエスであるが、とはいえ生きるためにパンは必要不可欠である。マルクスはキリスト教の布教以来、永らく西洋を支配してきたこの上部構造優位主義をひっくり返し、人類史をヘーゲル的な精神の発展史ではなく、労働あるいは階級闘争の歴史として解釈した。しかし、階級闘争の必然的な帰結としての共産主義社会の実現という展望には、判明な階級とその意識的な担い手が存在していることが前提となっている。
本邦において、小泉政権以来、階級意識は様々な仕方で言い換えられて来た。勝ち組/負け組、上級国民/下級国民、そして強者男性/弱者男性…などである。これらの区分に共通するのは、強烈な階級意識を内包しながらも、それらが政治経済的な問題を慎重に避けているという点である。
たしかに、上級国民/下級国民などは比較的強い政治経済的なニュアンスを帯びている区分のように思われるが、そこで意識されているのは政治経済という下部構造の問題ではなく、単に「どの家庭に生まれたか」という、不可逆的な問題でしかない。階級は、政治経済によって規定されたものではなく、単に生まれの問題でしかないのである。このような階級意識は、「親ガチャ」という言葉で端的に言い表さられることになる。他の区分についてもやはり同様である。そこにおいてはもはや変更すべき政治経済に対する抵抗は行われず、変更不可能なガチャの結果に対する諦念のみが存在する。現代日本人の階級意識をこのように捉えたとき、ガチャをやり直す「転生モノ」や、出世それ自体を否定する反出生主義などの思想が流行するのはある意味必然と言える。
他方で、積極的な闘争が行われている政治的な領域も存在している。人種やジェンダーなどに関わる、いわゆるアイデンティティ・ポリティクスの領域である。本邦では主にジェンダーの分野で闘争が繰り広げられているが、近年ではそこから派生して表現の自由の問題なども盛り上がりを見せている。しかし、これらの領域の闘争も、根本的には資本制そのものを揺るがすものではない。というのも、これらの闘争が目指しているのは資本主義やそれが生み出す抑圧的構造の否定ではなく、むしろその内で自己のアイデンティティを確立すること、資本主義による自己の承認でしかないからだ。
どうしようもない諦念と強烈な承認欲求。この二つが現代日本の階級意識の帰結である。それらから生じる運動や思想は、きわめて政治経済的な性格を内包しながらも、実のところ政治経済的問題に対する根本的な抵抗を巧妙に回避することによって、資本主義をより堅固で絶対的なものとして確立することに資している。
卵の値段がここ5年で倍になってることからも分かるように最近はとにかく物価が高い。
一方給料は据え置きだ。
全然上がってない。
コロナが終わって会社の経営が回復してきてボーナスは出るようになったが、単にコロナ前に戻っただけで物価上昇には追いつけるはずがない。
おおむね1割程度だがこれでも十分しんどい。
元々の食生活がリッチだった人間ならともかく、元々普通のものを食べていた層にとっての打撃は甚大だ。
大雑把に言えば、食費を今までと同じ水準に保つためにはトップバリュを食べなければいけないという状態に突入している。
トップバリュは知っての通り他の加工食品と比べて値段が1割ほど下がり、その代わり味が5割下がるという貧民食だ。
我々はそれを食べるか、貯蓄の予定を修正するかを迫られている。
パン売り場においても近所のパン屋から降ろしてきたパンではなく片親パンを手に取る必要に迫られている。
メロンパンは高級品なので我慢してチョコスティックパンを食べるのだ。
それも厳しくなったら安物の食パンを買ってきてバターをつけずに食べる。
牛丼屋で豚汁に変更していたのは辞めなければいけないし、飲み会の回数も減らす必要がある。
薄利多売を繰り返すうちに会社の競争力は衰退し、新商品開発の意欲も失われ最後には外国からやってきた商品に駆逐される未来が待っている。
恐ろしいことだ。
トップバリュは本当に不味い。
これを書きながらウィスキーを飲んでいるが信じられない味がする。
特定の人種や同性愛者をテーマにした「あの人達はこんなに差別されていました!本当に許せませんね!」っていう映画結構出てるじゃん?
あのノリで「昭和・平成の時代オタクはめっちゃ差別されていました!」っていう映画がそろそろ出てきてそうな気がしてね。
でもこういうのってどういう単語で検索すりゃええのか分からんし人力検索にかけたいわけだよ。
オタクが一昔前のオタク迫害時代にタイムスリップする作品や、オタク差別が激しかった時代のオタクの独白みたいな漫画はちょこちょこある。
「オタクでもイケメンで清潔感があって現代テレビで主流の価値観に媚びへつらうことが出来るやつは美男美女と恋愛させてやるよ」みたいなのしかない印象。
「気持ち悪いオタクは悪人だとテレビで差別されていました」っていうのが登場人物の過去として描かれている漫画やアニメは結構あるけど、それを歴史的な事実として描いているのはあんまないかな。
ぶっちゃけ「10万人の宮崎勤」自体はマリー・アントワネットの「パンが無ければ」や池田勇人の「貧乏人は麦を食え」のような、悪意を持った他者による発言の捏造だったという説が強いわけだが、『それぐらいの事をいつ口にしてもおかしくないような人間だったという共通認識』がその時代にあったのは間違いないんだよな。
その時代の空気感を描いた作品、まさにオタク版「シンドラーのリスト」のような映画が実は既にこの世界にもうあるのではないかと。
流石にまだないか?
オタクを差別した人間が記憶喪失を起こして「そんな奴らがいたのか。俺がもし近くに居たらぶん殴ってやったのに」とタイムスリップセルフ暴力宣言をぶっかますにはまだまだ本人たちの記憶力が元気過ぎるかな。