はてなキーワード: ストレッチとは
気持ちの浮き沈みのある日々が続いている。
今日はすごく元気だなぁ、もう薬もいらないかもなぁと思って活動的にしていると次の日疲れて起き上がれなくなる。朝起きた時に「あぁ、今日はだめな日だな」というのがわかるようになってきてそんな日は無理して起き上がることはせずそのままベッドで横になっている。もう二度と起き上がれないんじゃないかと不安が襲ってきてシクシクと泣くこともあった。
かと思いきや朝シャッキリ目が覚め、部屋の掃除やストレッチを済ませて散歩へ出かけ、家に帰ってもまだお昼前だということに気づき「無職最高ーーーー!」とバンザイするような日もあった。
ただ、そんな時でも外を歩いていると5秒に1回は「しにたい、生きるの辛い」と頭の中で呟きながら歩いていた。橋の上など高いところに立っているとスーッと吸い寄せられるような感覚があった。電車も怖くてしばらく乗っていなかった。
よせばいいのに会社のメールを見て、自分が残した仕事を後輩がつつがなく完了させているのを見て落ち込み、自分なんてやっぱりいないほうがよかったんだとまたシクシク泣いた。この頃には声をあげて泣き叫ぶことは無くなっていたが、暴力的な衝動は突発的に現れて、壁を殴ったり、カフェで窓際の席に座っていた時に、目の前のガラスを叩き割りたい衝動に駆られた(流石に行動に移してはない)。
小説やドラマなどは見れるようになったが、ニュースやバラエティなど喋っている声がキンキン響くものは相変わらず見れなかった。YouTubeでは焚き火の映像などを見ていた。勉強を頑張っている社会人のvlogが好きで、いつもそれを見てモチベーションを上げていたのだが、病気になってからは見ると動悸、頭痛がして視聴することができなかった。この人たちはこんなに頑張っているのに自分は…という罪悪感で心がやられてしまったのだと思う。
本屋に行ってうつ関連の本を立ち読みしたりした。以前は本屋で時間を潰すのが好きで、自分の仕事関連の専門書のコーナーに行きワクワクしながら本を物色していたのだが、この頃はそのコーナーに近づくと頭痛と動悸がし、涙が出そうになっていた。
適応障害についての本を買って読んだが、頭がぼんやりして内容が入ってこなかった。
全然眠れないと思ったらものすごい眠気に襲われる日もあり、風呂も入らずに眠る日も度々あった。
活動できるときはとにかく歩いていた。2駅隣のTSUTAYAまで歩いて漫画を30冊借りて、また歩いて帰るというようなことをしていた。
病院では「元気な時とダメな時がある」と伝えると、「そうやって波を繰り返して徐々に良くなっていきますからね。元気な時に無理しすぎないようにね」と言われた。なんかそのくらいなら自分でも言えそうだな、などと思った。特にカウンセリングなどをされるでもなく、5分くらいの診察の後処方箋をもらって帰るという繰り返しだった。
この頃、友人の結婚式があり久しぶりに大人数のいる場に出かけていった。電車に乗ることもできてほっとした。
長い間会っていなかった友人たちばかりだが、お互いの近況を話したりするのは楽しかった。自分の病気のことも話したが、全く平気そうに振る舞った。友人の目にどのように映ったかはわからないがみんな気遣ってくれた。
久しぶりに会えて楽しかったが、やはりひどく疲れてしまい家に帰ってすぐに寝た。翌日も疲れは残っていた。コロナのおかげで二次会とかもなくサクッと終わったのでまだ良かった。
薬の服用量も減った。2種類の薬を服薬していたが、1つは不安になった時だけ飲めばいいとなった。
この頃から少しずつ自炊もするようになり、なかやまきんに君のYouTubeで紹介されていた野菜スープなんかを元気な時に作り置きしていた。ただ野菜を切って煮るだけだが、キッチンはぐちゃぐちゃになり、効率的な動きもできなかった。料理はものすごく難しい作業なのだと知った。
転職活動を始めた。休職した瞬間から、もう前の職場には戻らないと決めていたので、とりあえず職務経歴書や履歴書を準備し始めた。ただ、そのテンプレートを埋めるのも一苦労で、リモートワークに使っていた机に座るだけで具合が悪くなった。仕事関連の本を見えないところにしまい、机の位置を変えた。できるだけカフェなどの外で作業するようにした。1日に30分~1時間ほどしか作業することができず職務経歴書を完成させるのに二週間ほどかかった。
転職サイトに登録するとありがたいことに色々な会社やエージェントから声がかかり、面接の予定がどんどん埋まっていった。
転職活動はオンラインでできるので助かった。ただ、1日にいくつもやると流石に疲れるので、午前中に1件やるのみとしていた。転職の選考のスピード感についていけず、働いている体で「現職の都合が…」とスケジュールをできるだけ引き延ばした。
今思うと、こんなに早く転職活動する必要はなかったが、当時はとにかく不安で、焦りがどうしてもあり、早めに始めてしまっていた。傷病手当金がもらえるギリギリまでのんびり休んでいれば良かったと思う。
仕事を始めた時に備え、資格の勉強などを始めた。面接のない日はカフェで参考書を開いて勉強していたが、この頃勉強したことは全く頭に残っていないのでやる必要はないと思う。それよりもゆっくり休んだほうがいい。
この頃は寝られない日が2日続き、翌日はぐっすり眠れるというようなサイクルになっていた。昼寝は相変わらずしていた。
人の多い店などにも行けるようになり、ジムに行くこともできて、回復しているのを感じた。
寝られない日は日中に筋トレやHIITトレーニングをして体を疲れさせるようにした。
だんだん見られるものも増えてきて、アドラー心理学の本なども読んでみた。あとはスマホでゲームなんかも始めてみた。久しぶりにやるとめちゃくちゃ面白くて、没頭できた。ゲームをしている間は他のことを考えずに済むのが良かった。
ついに内定をもらい、入社条件の交渉になった。正直こんなに早く決まると思っていなかったので、もっと休みたい気持ちがあり、現職の都合で~とか、まだ他社の選考が~とか色々言って提示された入社日から1ヶ月延ばそうとしたが受け入れてもらえず、やむなく病気のことを話した。内定取り消しになってもしょうがないと思ったが、意外にもそうはならず(法律上のしばりとかもあるのだろうが)、提示した条件で入社するかを決めて欲しいと言ってもらえた。
とにかく前職を直ちに辞めたかったので、体力的に不安ではあったが(あと、もう少し無職でフラフラしていたかった)内定を受けることにした。
病気がひどかったときは早く働かなくてはと焦っていたので、働きたくない、無職でいたいという欲求が出てくるのはむしろ健康になったのかもなぁなどと考えていた。
次の職が決まったので上司に退職の連絡をした。先日休職延長の連絡をしたばかりなので少し気まずかったが特に何を言われるでもなく、たった9分の電話で退職連絡が完了してしまった。
その後、各種手続き書類が自宅に郵送され、粛々と退職手続きが進められていった。
頭痛も睡眠障害もまだ治っていなかったが、医者に内定をもらったことを告げると「良かったですね、まあ新しい職場でも無理しすぎないようにね。最初は頑張っちゃいますからね」と言われただけで、復帰なんてまず無理、とは言ってくれなかった。
働きたくない働きたくないとひたすらごねていたが、自分でもわかるくらいに体調は回復していた。朝起きてジョギングをしたりもできるようになっていた。昼寝もしなくても大丈夫な日も増えてきていた。
つづく→適応障害と診断されてからの記録⑤
何度も言われてる話だけど、電マはマジでやめよう
すぐイけて時短だけど、セックスの時指や舌じゃ物足りなくなって演技をするハメになる
なるべくディルド(バイブ機能とかないシンプルなやつ)と指だけで頑張ろう
目安は最低でも1週間 できたら2週間〜1ヶ月近く
それから指だけでするようになって2ヶ月くらいたった時、ついには5分たらずで指でクリイキできるようになった
あとエロい気持ちとオナニーのための余裕のある時間 これも大事
電マなら強制的にすぐイけるから、ちょっとモヤモヤした時でもすぐスッキリできると思う
でも指だと違う
もっと繊細な感覚だから、惰性でオナニーするのはいけないしイけない
それと自分は実際に人と比べたことがないからわからないんだけど、
おそらく(裏垢女子たちのオナニー動画を見る限りでは)濡れにくい方の体なんだと思う
過去、セックス時たしかに興奮しているのに相手に「濡れてないね…」と言われたこともあった
そういう時のためのローションだ
今は可愛いパッケージのもの、1回分ごと小分けでポーチに入れられるようなものなど色々ある
あとは普段から風呂につかり、体をあたため、血流がよくなることを色々しよう(ラジオ体操や適当なYouTubeのストレッチでもいい)
やらないよりはやった方が濡れ方もいくぶんかマシだと思う
皆でいっぱい気持ちよくなろうな!
避妊は忘れずに
よくある平均的なサイズ感からはおよそ逸脱していると見て憚らず、温泉で同席した友人たちからは「花の慶次」の主人公である前田慶次郎利益にも例えられたことがあるほどだ。
それともう一つ、私は身体が硬い。
生まれつき足が15度以上開かず、「この子は歩けないかもしれない」と産婦人科の医師から母に宣告されたこともあったらしい。その予想は幸い当たることなく現在も日常生活に支障はないが、未だ全身の柔軟性に欠けている。
そんな私の特徴が結びつく、ちょうど近しい他人に言えないラインの話を聞いて欲しい。
私はつい最近、右手の親指を亜脱臼した。母指CM関節と呼ばれる、パッと想像する親指の付け根っぽい位置から更に下にある手首と親指を軟骨で繋げるような関節部だ。
そこが、整形外科にて撮影したレントゲン写真ではっきり分かる程度には左側にズレていた。
問診票に従った質疑応答の後、「普段、お仕事以外は何をされていますか」と医師から質問を受ける。私は、数年前から趣味で絵を描き始めていた事を端的に伝えた。
スケッチブックに齧りつき、鉛筆を使って日夜絵を描くことの楽しさを知り、それ以前にどうやって休日を過ごしていたのかも分からないのに。もしや、これが原因か?
医師は言った。「多分、それよりも前の……鉛筆じゃないな、何握ったんだろう」。
私はとっさに、絵を描く前までは休日に空手を習っていた事を話した。握り拳からペンに持ち替え、挨拶も「押忍」から「おつです」に変わった私の話を聞き、医師は納得した。
だが、私はこの時とっくに気付いていた。医師がレントゲンとにらめっこしながら脱臼に合わせて想定される握り方をシミュレーションしている時。
ペンから和太鼓のバチ、そして野球のバットとその精度が上がるごとに、明らかに見覚えのあるサイズ感の円筒形が形作られ始めていることに。
そうだ。
絵を描き始めるよりも前から握っていたものなんてひとつしかない。
原因はペンではなく、陰茎に決まっている。
私の絵を描くよりも古く長い趣味は、マスを掻くことだったのだから。
その後の医師の話すところによると、指関節付近の柔軟性の欠如によるものだそうで、痛み止めを飲みながらストレッチを繰り返して脱臼箇所を治療していく事が重要であると教えられ現在はその通りに治療を続けている最中だ。
医師の助言は的確で、ストレッチによってジンジンとした疼痛は日を追うごとに回復してゆき、こうしてキーボードを打つことも問題ないと太鼓判を押されたのだが。
こうして文章を綴っている今も思う。
おそらく今回の脱臼の原因はちんちんがデカくて身体の硬い男の自慰による長期的ダメージの結果なのでは、と。
タイトルの通り、もう一度問う。
痛みというのは、もちろんいろんな原因があるんだけど、
1つはその痛む部分が血行不良により酸欠状態になっていることがあります。
要は血液から十分に酸素が供給されなくて、苦しくなってる細胞が痛み成分を放出することで
痛みが発生します。
このような場合、痛い部分の血行を良くすれば良いのかと考えがちですが、
実は血液が滞ってる原因となる場所は、痛い部分とは別にあります。
血流でいうと、痛い部分の上流につまりがあるのです。
痛い部分ではなく、原因となる詰まりの部分を上手く
揉んであたためてストレッチできると良いのですが、
これがまた難しい。
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ハンディマッサージャーで、体の内部の奥深くまで振動を与えます。
ただ振動を与え続けるのではなく、30秒ぐっと押し付けてブルブル震わせたら、30秒は離して何もしない
というカタチで、小休止を入れるようにしてください。
以前はよく来ていた、私よりも少し年下くらいに見えるお客様。夜遅い時間に来店しても不機嫌に店員に当たるということもなく、むしろ店員に対しても礼儀正しい人だった。そのお客様を最近見ないなと思ったら、久しぶりに来店したその姿があまりにも変わり果てていたので、驚いた。しばらく床屋に行けていなさそうで伸びた髪は全体のあちこちがむしられたように抜けてぼろぼろ、軽快だった足取りは重く、顔色も悪く10歳以上も老け込んで見えた。長く見かけないと思ったら、病気療養中だったのか……。
「これやっといてください。事務所入ってていいんで」
と言った。今までじぶんしかやったことのない作業を他人に頼むなんてことをAさんは決してしない人なので、何で急に? と思って固まってしまった私だったが、Aさんが
「事務所に入っていいですよ」
と強い口調で言う、その肩越しにストーカー客が入店する姿が見えた! やべえと思って急いで「わかりました」と答えて事務所に逃げ込んだが、時すでにおそし。ストーカーに私が出勤しているのはもろばれ。
最近、ストーカー客が奇妙な動きをしているということを、Aさんやフリーター女子アルバイトさんから聞いていて、警戒していたのだけど、21時過ぎにストーカー客が来店することは稀なので、今日は来ないだろうと思い込んでしまい、油断していた。一時間ほど前に、ストーカー客の父親が来店したので、警戒しておくべきだった。
Aさんによれば、ストーカー客が来店したちょうどその時、Aさんは番重を外倉庫に仕舞おうと思って店から出たところだった。そこでストーカー客の車が来たのが見えたので、Aさんは番重をほったらかして店内に戻り、ひと芝居打って私をごく自然に事務所へ入るよう誘導しようとしたが失敗したということだった。ごめんね、私、察しが悪くて。
事務所で監視カメラの映像を見てストーカー客の動向をチェックした。ストーカー客はコーヒーを買って一旦店を出たが、5分以上車の中にいて粘っていた。その間レジはAさんが担当。私はやることがなく、しぶしぶアキレス腱のストレッチをしながら監視カメラの映像を見ていた。
どうやら、店の出入口にAさんが番重を起きっぱなしにしたので、それを片付けるためにAさんが店から出てくる、その隙をストーカー客は狙っていたのだろうと思われる。最近ほんと、気持ち悪さが増し増しだなぁ。
実は一昨日もストーカー客の父親が来店したのだけど、その時はオーナーがいた。ストーカー客がその後来店しなかったのはオーナーに見つかるのをおそれてのことだろう。
昨年の8月、大学院の授業を取り終わり、生活リズムが崩壊してから一日中スマホをいじるようになった。眼精疲労でまともな生活ができなくなり、好きだったことも煩わしくなり、ひどい倦怠感の中でできることがまたスマホをいじることだった。
そこから不眠からの鬱というお決まりパターンで実家で療養することになった。復学できるように鬱を治しましょうってことで1年間抗鬱剤飲んだり、カウンセリング受けたりしながら自分なりの療養をしていたんだけど、未だに気だるさは無くならない。当たり前だよね、1年間スマホいじることやめなかったから。
最近ようやくスマホの時間制限をして、とにかく目と首に負担をかけないように生活してる。パソコンで見れるもの、できることは極力パソコンでやるようにする、風呂上りに首と肩のストレッチをする、等々。自分でケアするようになってから睡眠の質が良くなって、朝起きた時のだるさが劇的に改善した。姿勢を保つことも前ほど苦にならなくなった。
(今は回復して、通院も服薬もしていない。仕事にも復帰している)
同じような病気で今辛い思いをしている人や、身近な人が発症してどう接すればいいか悩んでいる人たちの参考になればいいと思う。が、基本的には自分語りなのでさらっと読み流してほしい。
発症してから体調、精神的にどんな変化があったか、どんなことをして過ごしたかを中心に書いていく。
自他共に認める意識高い系で、朝は5:55起き(落合陽一の影響)、ストレッチやヨガ、休日はカフェに行って勉強。スマホゲームや地上波のテレビなどは見ない。YouTubeもタメになる系の動画しか見ない(それも倍速)ような人間だった。働く上で将来的に達成したい目標があって、その実現のためにいつも努力していた。
ホワイト企業ランキングに乗るような大企業に勤めていて、職場の人たちもいい人ばかりだった。
ただ、コロナで完全在宅勤務になり、そのタイミングで部署異動もあって対面で会ったことのある人はほとんどいない状態だった。上司も新しい人になり、一から信頼関係を構築しなければならなかった。
新しい部署での自分のパフォーマンスは正直言って良くなかった。周りは優秀な人ばかりだったので、早く追いつかなければとかなり自分を追い込んだ。睡眠時間もプライベートの時間も削って勉強した。緊急事態宣言中なこともあって、年末年始も帰省もせずに家から出ない生活をしていた。
そんな風に追い込んでいるのに、何をやってもうまくいかなく、それでいて自分の目標実現に近づいているとも思えず、他にも色々な要因があり段々とストレスが溜まっていった。
朝はちゃんと目が覚めるものの、布団から出られなかった。体がずっしり重くて、起き上がるのをずるずると先延ばしにした。普段ならシャキッと起きて、YouTubeを見ながら運動を始めていたり、早朝からやっているジムに行っているところが、なんとなくSNSを開いてぼんやりと1時間も2時間も眺めるようになっていた。もういいかげん起きないとという時間に無理矢理起き上がり、朝食を食べる時間もなくPCの電源を入れるといった日が増えた。
休日も、予定があってもギリギリに家を出るか遅刻、予定のない日はいつもなら午前中に活動を始めていたのに、どこかに出かける気力が湧かなくなった。
次に、涙が出るようになった。
仕事をしながらポロポロと涙が流れるが、在宅勤務なので誰かに気付かれるわけもなく、電話やWeb会議の時は無理に明るい声を出してなんでもないように振る舞っていた。仕事後はぐったりとし、まだ夕方の6時だというのにベッドに横になった。資格の勉強をしないといけないので、本当はここからカフェにでも勉強に行きたいのだが、外に出る気になれなかった。資格試験用の本を買っても、3万円を払って試験予約してもやる気は起こらなかった。
あとは、胃痛が起こるようになった。
Web会議をしているとき、胃がキリキリと痛み、押さえながら無理して喋ることが度々あった。
泣きながら胃を押さえて喋っていて、会議に全く集中できなかった。
仕事の進捗も遅くなり、自分で立てた計画を度々やぶってしまっていた。
周りはいい人なので責められはせず、どうして遅れてしまうのか、無理があるなら他の人と分担しようかとか一緒に考えてくれた。仕事をサボってごめんなさいという罪悪感でいっぱいだった。進捗会議をなんとなしに誤魔化して、来週までに無理すればなんとかなるとまた机に向かうのだが、入り組んだ仕事はできなくて、ただただ単純作業の部分だけこなしてなんとか進捗を誤魔化していた。英語の論文など読み込む必要がある仕事だったのだが、そんな精神状態でできるはずもなく、何度も同じ箇所を読み返して理解できない自分が情けなくて泣いていた。
自分はやばいのかもと思ったのは、無理してジムに行った時のことだった。グループトレーニング(トレーナーが音楽にノってぶち上げてくれるタイプ)中にぼろぼろと泣いていた。体が悲鳴を上げているようで、仕事のこと、上司の言葉などが頭の中で反芻されて、叫びながら泣いていた。幸いにも、ガンガンに音楽が鳴っているので声はかき消されていた。帰り道も、涙は止まることなく、子供のようにわあわあ泣きながら帰った。緊急事態宣言中で人はほとんどいないとはいえ、人前で声を上げて泣くことを、もう30も超えたいい大人なのに、理性で止める事ができなかった。
食事もだんだん適当になっていって、自炊はできなくなっていた。買い置きしていた食材の賞味期限が切れていくのに気づいていたが料理することができなかった。
何かを食べて美味しいとか、何かをして楽しいとか、仕事終わったらあれしようとか、週末どこ行こうとか、そういう些細な楽しみさえ感じられなくなっていた。
部屋は荒れ、脱ぎ捨てられた服や、本などが床に散らばっていた。掃除をしたり、洗濯をするのもしんどかった。
ただ、ちゃんと夜眠らないと明日の仕事に支障をきたすから、仕事が終わったらすぐに横になる日が続いた。
後から知ったが、うつ気味の社員を見極めるにはまず勤務態度を見よというのがあるらしい。遅刻や欠勤を繰り返す社員は要注意ということだ。
例に漏れず自分も勤怠が悪くなっていって、9時始業だが5分とか10分の遅刻をするようになった。(一応会社の勤務ルール的にはフレックスなので問題はない)ある日、どうしても起き上がる事ができず、10時の会議ギリギリに勤務開始した事があった。
その日即座に上司から電話がかかってきて、勤務開始時間について咎められた。フレックスとはいえ、連絡なしに遅く出勤されるのは困ると(当然だ)。
電話を切った後、また泣き叫んだ。壁を殴り、意味をなさない声で叫んだ。
ひとしきり泣いた後、もう限界だと思い会社のカウンセリングを予約した。
コロナ禍でカウンセリングもオンラインになっており、家にいながら受けられるので助かった。
メールで簡単な症状を書いて、当日Web会議に繋いだ。優しそうなカウンセラーの人に、新しい部署に異動してから何があって、今自分がどんな症状なのかを話した。号泣しながらだったが、慣れているのか驚くこともなく聞いてくれた。会社所属のカウンセラーなので、会社の制度など細かい背景を理解してくれているのが助かった。
自分がちゃんとした人間じゃなくて周りに申し訳ない、もっとちゃんとしないと、と訴えると「あなた充分ちゃんとしてますよ。本当はもっと色々とできる能力がある人なのに、今少し疲れてしまっているんですね。」と言ってくれて、少し救われた思いになった。
あとは休みを取ることはできないのか、とか、カウンセラーでは病気の診断をすることはできないので、一度心療内科に行ったほうが良いと勧められ、今まで社員が受診した実績のある、自宅付近の心療内科のリストを送ってくれた。
しかし、心療内科に行くのはやはりハードルが高く(なんか高そうだし)、ちょっと考えますと答え、二週間後に次回のカウンセリングの予約を取ってその日は終了した。
なんか長くなってしまったので今回はこの辺で。続きはまた書く。