はてなキーワード: アンプとは
「コーチおやじ」というものが存在する。主な生息地は動画サイトに若者が投稿した演奏動画のコメント欄で、そこによく出没する。
主な生態としては基本的にダメ出し。やれ「ピッチが」だの「モタる」だの「音の粒が揃ってない」だの具体的な計測方法のない切り口でダメ出しをする。そして主に若い女の子がギターやベース、ドラムを演奏している動画に現れては、そう言ったダメ出しをすることを好む。
(あと最近気づいたのは、街角で弾き語りをやっている女の子にも何やら延々と喋ってるおやじもよく見かける。これはダメ出しなのか何だかわからないが、腕を組み得意げに何やら喋ってる。女の子は片付けをしたいらしく困惑した笑顔で対応するのだが、彼女のその困惑には気づかず笑顔にだけ気をよくしてペラペラ喋ってる。CD-Rを買ってあげてるのかはわからないが買ってなさそうだ。)
またコーチおやじは、女の子が習得する楽器に関してステレオタイプの先入観を持っているだめピアノ、シンセ、エレクトーンなどの鍵盤楽器の投稿動画にはまったくと言っていいほど姿を見せない。そこにも稚拙な演奏が相当あるにも関わらずである。だからロック系の曲を演奏するギター、ベース、ドラム専門に出現する。とにかく女の子がこれらの楽器がうまいことを許せないのだ。
たまにそのダメ出しに対して誰かがコメント欄で反論をすると「批評も許されないのか」「慣れ合ってヨイショコメントしかしちゃいけないのか」的な開き直りを見せる。ひどい場合はコーチおやじのダメ出しコメントばかりが動画に並び、いつしか投稿主は動画を削除してしまう場合もある。
コーチおやじの本質、それは「尊敬されたい」「愛されたい」である。「なるほど!わかりました!これからも指導お願いします師匠!」と言われたいのだ。とっくの昔に現役でなくなってる、もしくは現役時代そのものが存在しなかったかもしれない自分にだ。空想の、虚構の、眩い白日夢はこの上なく心地よいのだ。また相手が女性動画主だったらあわよくばねんごろになりたいってのもあるって言ったら邪推し過ぎだろうか。
だがコーチおやじの願望が叶う日は決して来ない。なぜならば若者たちが動画を公開するときに期待するものは「賛辞」と「励まし」だけなのだから。コーチおやじの「尊敬されたい」「愛されたい」とは対極の、はるかに青く純粋な衝動だ。コメントでもっともらしいダメ出しなんかもらわなくとも、彼らは再生数という言い訳の出来ない評価と対峙することになるのだから。こういうとコーチおやじは「再生数がすべてなのか」と半笑いで反論しようとするだろう。そうだ、すべてだ。
ここまで読んだ人は気づくと思うが、俺がまさにそのコーチおやじだった。
ここは「だった」と過去形で言わせてもらう。何故ならば俺はその空想の中の自尊心を、よりによって自分の息子に剥ぎ取られ、丸裸な状態の滑稽な初老の男である自分を突きつけられ、激しい屈辱と自己嫌悪とともに目が覚めたのだ。「コーチおやじの滑稽さ」に。(ちなみに息子は音楽はやっていないのだが、どう突きつけられたかは本題とそれるので省略する。ただ、涙ながらに訴えられ目が覚めたとだけ言っておく)
80年代に成毛茂という70年代のギタリストがやっていた深夜番組は、その骨太の説得力に薫陶を受けた何人かの門下生が凄腕ギタリストとなり、副産物として有象無象の門前の小僧を生み出した。ようするに「薫陶」ではなく「受け売り」止まりの奴らだ。俺はまさしくこのクラスタの人間。
そして90年代から00年代にかけてE〇Pとかの音楽専門学校に入ったはいいが、バンドやるでもなく真面目に授業受けるでもなく、身に付いたものはと言えば出会い系サイトのサクラのバイトによる昼夜逆転の生活習慣というだけの奴ら。
両方に共通しているものは、何ら後進が手本とできる見本となる演奏音源や映像を残すことも公開することもなく(そもそも今で言うところの「なろう」だったので存在すらしないかもしれない)、ただ曲と楽器と半端な受け売りの楽典の知識だけを元に、投稿動画をあれこれ批評と称してこき下ろす。全員が全員そうだとは言わないがコーチおやじの本質はおおむねこれだと思う。
あのな、ご同輩。今は時代が違うんだよ。まず機材が違う。昔のようにMDやテープを何度も聴き直して音を拾わなくてもコピーができる。アンプだってライン録りで遜色ない音もできる。8トラックでピンポン録音なんてアホらしいことだってする必要もない。だけど彼らはそうやって楽になった分のリソースをどこに注ぐと思う?彼らはやっぱりその分純粋に練習に注ぐんだよ。彼らは試行錯誤の必要がない分まっすぐに練習するんだよ。俺たちよりも合理的なやり方で、何よりも当時の俺たちと同じくらいの熱意でもって。今の若い子たちの演奏が(女の子のそれも含めて)抜群にうまいように聴こえるのは錯覚じゃない。本当にうまいんだよ。
だから彼らが、あなた方やかつての俺がかすかに期待する「尊敬」や「愛情」をお前らに向けることは未来永劫あり得ないんだ。とっくに現役じゃないかそもそも現役だった時代すら存在しなかったおやじたちに。だからコメント欄で偉そうなダメ出しするのはやめよう。気に入ったらlikeをクリックして、気に入らなかったらdislikeすらクリックせずに二度と観なければいいだけの話だ。
とは言えやはり俺もいまだに「尊敬」と「愛情」が欲しいことは否定できないので、
DTMと呼ばれるものに手を出すことにした。つまり若い連中が群雄割拠する世界に、かつて打ち込み専門の誰かが言った「楽器が弾けるというのはデカい」をわずかな希望として胸に秘めながら、ひっそりと足を踏み入れることにした。pro toolを始めとした機材を大人買いした。使い方を早くマスターするためにインストラクターに素直に教えを乞うた(オヤジは金があるんだよ)。これで俺も再生数に一喜一憂する奴らの仲間入りだ。指がすっかり動かなくなったというより広がらなくなって難儀してはいるんだが、まあコーチおやじよりは健全だと思ってる。
私はずっと吹奏楽をやっている
夏になると吹奏楽部OBなので現役が自分の大会に集中出来るように、自分達の大会が近くなればホールに合わせて音作りをしている金管の子達の唇が壊れないように土日だけでも手を貸してくれないか?と声が掛かる。
今現在の子達も今私が所属している市民楽団と母校の常任指揮が一緒だから、交流があるし、とても可愛い後輩達だから協力したいが、現役時代のことを思いだし腹が立ち応援を手伝ったことはない
なんで吹奏楽部はこんなにも野球部の為に力を割かなければいけないのか?野球はそんな偉いのか?そんな気持ちを現役時代を思いだしながらツラツラと書く。
私達の部は全国常連ではないが、年によっては全国に行くし、アンサンブルでもソロでも毎回そこそこまで行くので県外からも吹奏楽部に入るために受験をする子達が居たし今もそうである。
部員皆、自分が大会メンバーになれるように努力しているが編成の関係上全員が大会に出れるわけではないので、基本的には大会メンバーから漏れたメンバーで野球の応援をして居るが野球部の保護者会の人達に人数が少ないと文句を言われていた。
私達だって自分達の大会の練習の合間を縫って応援しに来ている。
なんで朝の5時とかに集合して野球の大会会場に向かってろくに音出しが出来ない中で何よりも音量だと言われながら朝イチから自分では納得できない汚い音で楽器を吹かなければいけないのか?
太陽が出れば金管はどんどん熱を持ちピッチが合わなくなるし、持っているのも辛い位楽器が熱くなることもあった。
クラリネットは外に出したくないからとプラ菅で吹いていたらいつもと違う楽器でしょと保護者会の人達に言われ、禁止され、天気が良ければ日射し、多少雨が降っていれば雨に大切な楽器を傷付けられて泣いていた。
確かに送迎はしてもらっていたが、頼んできているんだから足を用意するのは当たり前だと思うし、応援しに行っても飲み物一本ですまされて、思い返しても納得できないことばかりだった。
文句を言うなら吹奏楽部に頼まず野球部で人も楽器を揃えて欲しい。
プラ菅禁止と言ったクラリネット、キチンとしたものは安くて30万~上を見たら切りがないし、メンテナンスだって必要なものなんですよ?
もっと音だしてとトランペットの子に言ってたけど反響なんかないスタンドで必殺仕事人のソロでそれ以上音出せって?充分響いてますよ!!納得できないならアンプとマイク持ってきて!
ホルンの子は熱持った楽器のせいで手が低温火傷みたいになってるんですよ?知ってますか?
長時間の応援の為に座っているチューバやスーザに立てって強要しないでくれませんか?その楽器見た目通り大きいんです、重さもあるんですよ。
先輩達や私達の大会の結果や、2000超えのキャパで1日複数公演を有料でも埋められて、それを十何年も継続出来るだけの実力がある部活だから新しい楽器購入の時学校からの部費や毎月徴収していたお金で賄い切れない部分を支払いしてくれる企業やスポンサーも居た。その事を考えるとよっぽど野球部より期待されてるのに?なんで?ってなる
野球部やその保護者達は無償で引き受けていることに感謝をして欲しい。
吹奏楽部は吹奏楽部の本来の部活を努力している中で、頼まれたから引き受けている。
考え方のやり方に納得できないならなんで頼むの?自分達で楽器の準備も演奏して欲しい
吹奏楽部は吹奏楽部として一人一人が夢や目標を持って吹奏楽部に入部している。
ほとんどが全国金賞っていう夢だ。
野球部と同じように大会で次に繋がるようにその時の全力を出す。
より全力の力を引き出すために毎日基礎連やパート連、大会が近いなら合奏をしたり、合宿をしたりやっていることは何一つ変わらない。
それを知って欲しい。遊んでいるわけじゃない、真剣に、全力で楽器を演奏している。
泣くなら悔し涙じゃなく喜びの涙を流したい
文化部と言われているけど、部内でオーディションして大会に出れるか出れないか決まったり、金賞でもダメ金なら次への道がなくなったり、
本当に何一つ変わらないと思う。
私達の努力は私達の為の努力で他の部活の為の努力ではないのになんで野球部と吹奏楽部は吹奏楽部が浪費させられるのがまかり通るのか…
楽器の演奏が華やだから欲しいって理由ならば、野球部内の有志や野球応援をしたいって人を募って応援団を作ればいいのにそれをしない理由は?なんで?
エレキギターはだいたい30万までは値段に比例して良い音が出ます。それ以上は、好みの問題になってきます。この素材がいいだのあれがいいだの好みによって値段がプラスアルファしてきます。
初心者は3万ぐらいのギターから始めたらいいです。できれば5万。5万ならそこそこの音が出ます。もちろん、1万のギターでも良い音出せます。でも、すぐ壊れたり、整備したり、弾くことと関係のないところでつまずいてしまいがちになり挫折しやすくなります。ですので、できればそれなりの値段のギターをカウンターのが個人的におすすめです。
ギターをはじめてみて、これは続くなと思ったら、思い切って15万~20万のギターを買いましょう。このクラスのギターになるとだいたい良い音がします。だいたいですが。良い音で練習すると練習が楽しくなります。それに弾きやすいものが多いので上達しやすくなります。
ギターと平行してエフェクターにはまっていく人が多いでしょう。ギタリストの宿命みたいなものです。
そして、このエフェクターの森を抜けるとアンプに凝るようになります。
最後に最初に戻ってやっぱりギターだよみたいなセリフを言い出します。このサイクルを繰り返していきます。
これは桜が散ってくのと同じなのです。春になれば咲いて、過ぎれば散る。
仕事が終わって家に帰り、ビール500mlを嫁と半分に分けて、4歳の娘と風呂に入った。
ごっこ遊びが好きになってきて、自分も人形をもって対応するのがちょっと恥ずかしい。
そのあとホルモンを平民さんのやり方をまねて焼き、それをアテにしてタカラの焼酎ハイボールレモン、角ハイボールを飲んだ。
で、今。
そういえば音楽はAmazonで適当に古いのをかけている。便利だね、Amazon。
アンプは30年くらい前に父親が買ったものが片側しか音がでなくなって今年買い替えた。
観葉植物に水もやったな。
霧吹きで葉っぱに吹きかけた。
家の電球の一つが消えた。交換が必要だったからヨドバシで注文した。
昼ご飯は遅くて、松のやのカレーだった。結構うまかった。松のや好き。
お気に入りだった底浅幅広の器の端が欠けたのもあったし、妹から久しぶりにあう親へのプレゼントは?みたいなことをせっつかれて。
藤野陶芸市は、藤野に在住する陶芸家が中心となった市だ。なので市場のようにぎゅっとしたのと違って、各工房がそのまま出店になっている。
地図を見るといい感じに散らばっていてディズニーランドのアトラクションを回るようで楽しそう。そう思っていた。駅から降りるまでは。
昼に藤野駅に降りたがバスがない。次は13時といきなりサドンデス落とされた形で、案内所でもらった地図から見た目1番近い場所をグーグルで検索すると30分。歩いているうちに抜かされる感じはないし、いくか。歩き始めて、橋を超えていきなり坂にぶつかった。
ここ登るのか。諦めの境地で突き進むとなぜか坂が終わらない。グーグルマップでみると道が蛇行しているではないか。もしや…
かくして最初のお店につくときは息も絶え絶えでしばらく魂が抜けていた。
広場みたいなとこで楽曲団による演奏をやっていて、それを遠耳に藤野の地ビールであるクラフトビールを飲んだ。六百円といい値段したけど2杯もつい飲んで。いい風が吹いていてとても美味しかった。
ちょうどいいお皿を見つけて即決すると陶芸家のひとに夏みかんもいただくなんて嬉しいこともあって。
さあ2拠点目に行こうか。そう思ったら4キロ先だった。バスもやっぱり一時間は後。歩くしかなかった。
山の中に目が浮いていたり、全宇宙の遺伝子を表現したモニュメントがあったり芸術の道を延々と進んで。
やっとついた先で、まず休憩所を探した。ハーブティーをおばあさんが百円で売っていたのでお願いするとティーポットと一緒にでてきた。青空喫茶に風がよく合う。ごちそうさまでした。
次の拠点までまた歩いた。
途中でベトナムのかき氷売ってる路地のひとに誘われてまた休憩。杏美味しかった。
神社の露店では強く吹いた風に浮きかけたテントをがしっと掴むなんてハプニングもあって。
まだこの先に山荘があるんです〜と親切そうなお店の人に地図を渡されたらいくしかなかった。
また歩いた。
蔵を借りてLPを流しているオジサマに出会った。ドイツのアンプは世界一ーと延々と語ってくれた話は楽しかったが確かに音は良かった。
そんなこんなで。
徒歩16000と全然大したとこないはずなんだけどやっぱり皿が重いんだと思う。
すごく眠たい。満足感ある疲れが残った。
私の部屋にはJBLのCONTROL 1Gというスピーカーがある。
普段はTV用に使っているのだが、パソコンで作業するときにスピーカーで音楽を聴きたくなったので、机の上に置いてみた。
そんなに高価なものではないし、アンプも安物のAVアンプで音源はPCからBluetoothで飛ばしているので、正直全然期待していなかったのだが、ちょっと鳴らしてみると卓上と私の上半身辺りの空間が音楽で満たされ出したではないか。
音も絞っているので、低音は出ないものの、高域は良く出ているようで、音のエッジが立って私を心地よく撫でてくれるようだ。
イヤホンやヘッドホンでは感じられない立体的な表現に私は酔いしれて、こうして感動の文章をつづろうとした次第だ。
このスピーカーを買って8年、この部屋ではハロゲンヒーターに次ぐ付き合いの長さだが、改めて魅力に気付かされて惚れ直したところだ。
このスピーカーは、エッジを劣化しにくい素材に張り替えられたリペア品で、当時ヤフオクにこうしたリペア品スピーカーを多く出品されている方がいた。
リペアの腕の良し悪しというのは、私にはよく分からないが、少なくともこのCONTROL 1Gは私のお気に入りであり、何年経っても感動させてくれる名機だ。
ただ一度取引しただけの縁だったが、このスピーカーの第二の親のような方である。
おそらくジャンクとして打ち捨てられていたであろう、このCONTROL 1Gを救い、私と引き合わせてくれた彼には本当に感謝しかない。
ここまで書いたところで、ふと彼の近況が気になってしまい、履歴をたどってその後の評価を覗いてしまった。
すると、残念ながらあれから体調を崩されて、今は出品を行っていないようであった。
リペアの受注もされていたようだが、最後の納品前に体調を崩され取引を全うできなかった様で、落札者から悪い評価(システム上、キャンセルは「悪い」か「非常に悪い」しか付けられないらしい)と前述の事情の説明、そして出品者のご回復を祈るメッセージが残されていた。
果たして、出品者が無事に回復されたのか、それを知る術も無いのだが、どうかお元気でいてほしいものだ。
そして、彼が世に送り出したCONTROL 1Gの兄弟たちも、どうか新しいオーナーの元で愛されて続けていてほしいものだと思う。
ぼく「22k、値下げ不可やで」
ぼく「(タヒねば良いのに...)そんなに値下げしたいなら先に25kまで上げとくから、言ってくれたら23kまで下げるよ」(値上げする)
???「では値下げお願いします」
23kで売れました
https://twitter.com/ramushiKi_S_W/status/1072825748937859072
レコードの針には、大きく分けてMMカートリッジというものとMCカートリッジというものがある。
レコード針は小さな発電機の様なもので、簡単に言うと、レコードの溝に合わせて針が動くことでコイルと磁石がスコスコと出入りして電流が流れて、その電流がアンプで増幅されてスピーカーを揺らす、と行った感じで音が出る。
中学校の理科で習ったフレミングの法則とか誘導起電力とか、あの原理だ。
ちなみにMMというのはムービングマグネット、つまり磁石の方がスコスコと動く。これに対してMCというのはムービングコイル、つまりコイルの方がスコスコと動く。
メーカーやクラスによっても違うので一概には言えないが、一般にMCカートリッジの方がMMカートリッジよりもレコードの溝から音を再現する能力が高い、と言われていて、30kHzとか40kHzの高音をちゃんと出すためにはMCカートリッジの方がいい、と言われている。
(もちろんそのためにはアンプもスピーカーもカートリッジ以上の十分な性能がなければいけない)
…
ところで、私こと増田はMCカートリッジを愛用してたのだが、最近針がヘタって調子が悪いなあと感じながらもなかなか新しいカートリッジを変えずにいた(※正確には針ではなくカンチレバーというバネの様な部分がへたってきているみたいだった)。
調子の悪い針を使うとレコード盤を痛める心配もあるので、ここ半年くらいは思う存分レコードを聴けずにいた。
しかしふと谷山浩子の古いレコードを聴きたくなり、思い立って、一応保管してたプレイヤー付属のMMカートリッジを取り付けて聴き始めた。
…
その、音の良いことときたらなかった。ここ二、三年で聴いたレコードの中で、間違いなく一番良い音だった。
私個人が怖くなかったし、実際に語ってみてもやはり怖くはないから
これは不思議な話なんだ
中学生の頃、学校から家に帰って玄関を開けると、管楽器の音がした
それは、私が玄関に入った途端、まるで、楽器を吹いていることを知られたくないような様子で消えた
私には、2つ上の兄がいたが、兄は当時から友人にギターだのアンプだの借りては母に注意されていた
だから私は、また兄が友人から楽器を借りて、それを知られたくなくて急いで吹くのをやめたのだと思った
案の定、兄の部屋へ逃げるように身を滑り込ませる人影を見た
私は、隠したいなら好きにさせようと、深追いはしないでその時は見て見ぬふりをした
母にはその日の夜に、兄がまた友人から楽器を借りたようだが、私達には知られたくないようだからそっとしておいてあげてくれと言った
よく考えたら、玄関を開けてから聞いたその音を、玄関の外では私は聞いていなかった
話は少し遡るが
小さい頃、うちは両親が離婚して、私は母に引き取られた
何年も会っていなかったが、私が中学生の時、父方の祖母から父が死んだと連絡があって葬式に呼ばれていた
遺品整理の際、父が使っていたホルンを、私が譲り受ける約束になっていた
私一人では取りに行けず、しばらく祖父母に預かってもらっていたのだが
かなり昔のゲームだし手をつける気になるとは思わなかった。すごい行動力だ。
でもコーデの楽しさや自由度は今尚どんなゲームにも負けてないと思ってるし、オススメなのは変わらない。
プレイヤーが色んなコーデを紹介してるキャラシミュサイトもあるんだけど、IEでしか動かないんだよね。時代の流れだ…
だからURL貼ってもちょっと見れないかもしれないが我が娘はこんな感じだった。
http://labo.erinn.biz/cs/?115743
http://labo.erinn.biz/cs/?115739
染色システムが変わっていて、染色アンプル(ほぼ課金アイテム)を使ってミニゲームをしてランダムで染めることになるから、衣装やアンプル代を稼ぐために生産や狩りをすることになると思う。
学生時代にバンドをやると無駄にモテる、そこまでイケメンじゃなくてもモテる
イケメン扱いされているとオタクであることなんか些細なこととされて、むしろ女の子からグッズを貰うことすらあった
俺がどういう形でオタク文化に触れていたか?と言えば、そもそも小学生の頃から電子工作が得意だったんだ
中学生の頃BOSSのオーバードライブエフェクタの回路図を入手し、エフェクタの自作へ手を染めた
はじめてのエレキとアンプはジャンクで売ってたヤツでこれも自分で修理して使いはじめた