はてなキーワード: 粗製乱造とは
前回の続き。
広義的に「なろう的なフォーマットを主要に含んでいるマンガ」全般を指して語っているけれども、「なろう」自体が小説投稿サイトであることから、そもそもが小説のフォーマット。更に言えば「“そういったサイト”に沿ったフォーマット」なわけ。つまり、そもそもマンガ向きじゃないってパターンもある。ただ、「向き不向き以前に原作が酷い」ってパターンも多々あるのが、なろう系マンガの恐ろしいところで。
本記事はあくまでマンガの話なので原作そのものについての言及は避けるけれども、マジで「どういう判断でコレ売り出そうと思ったの?」って作品が頻発する。前回も書いたけど、こういったジャンルを“そういうもの”として割り切った上でなお酷いのが多いって話だからね。
当たり前だけれども小説と漫画は媒体が違うから、要求されることも変わってくる。原作にそのまま絵をくっつけただけでは漫画にはならないって事くらいは素人目にも分かるよね。
ありがちな失敗パターンとしては「絵は描き慣れてるけど漫画は描き慣れてない」って人が結構多い。構図が分かりにくかったり崩れていたり、コマ割がいい加減で目が滑ったり、構成ができてないから内容が頭に入りにくかったりする。まあ、そもそも絵自体そんな上手くないってパターンも多々あるけれども。
丁寧にやってる例として最近の作品から挙げるならば『狼は眠らない』とかかな。本作は漫画担当とネーム構成がそれぞれいるんだよね。つまり「絵を描き慣れてる人」と「漫画を描き慣れてる人」で役割分担しているわけ。なろう系マンガの失敗例から顧みれば、賢明な判断だね。
というか、一番の問題は粗製乱造する出版社にあると思う。「小説サイトでランキング上位になった。よしコミカライズしよう」ってノリで作りすぎてる。それを絵描きサイトとかSNSから適当に絵師引っ張ってきて描かせても、分の悪い賭けにしかならん。
編集もそういう時にさ、漫画家を選別するなり、指導するなりするもんじゃないの。これがオリジナルの漫画だったらさ、例えば持ち込みや、何らかの賞を取った漫画家に経験をつませて、編集部内で企画を練って、色々と相談してから商業レベルにしていくでしょ。それでも上手くいかないときがあるのに、その半分未満の労力しか費やさなければ、そりゃそうなるよ。
これらをちゃんとしているなろう系マンガは、どこかで不備があったり好き嫌いは多少あれど漫画としては良く出来てるんだよ。それすら出来ていない作品を世に出して、それで金取ろうと広告でゴリ押すんだから印象悪いけれども。結論としては一つ一つ丁寧な仕事をすればいいという、至極単純な話なんだよね。
一部分への言及になるけどさ。
新人女性と距離を詰めたい増田の件だってさ、「おっさんが恋愛対象になるわけないだろキモい」ってそうじゃないだろーーーーーーそういうこと言うからお気持ちとか女は感情的とかイケメン無罪とか変な流れになるんだろーーーーーあれ完全にパワハラの文脈で読むべき問題やろーーーーー
これ、ぶっちゃけ世間様のセクハラ(というか人権)への理解が低すぎるのが原因だと思うよー。
ちょっと前にさ、企業のセクハラ研修で最初に鏡を配って「鏡を見てください。部下の女性があなたに優しいのはあなたが上司だからです」ってやっているという話がバズってて、多くが好意的な反応だったんだよね。フェミっぽいこと言ってる人の間でも。
こんなルッキズム丸出しの差別的な研修(もうこの研修それ自体がハラスメントでしょ)が好意的に拡散されてる時点で「こいつら差別やハラスメントについて何もわかってねえな」って思ったし、そんな社会で周囲の流行に流されてフェミやってる人が差別とは何かハラスメントとは何かってのを論理的に考える能力持ってなくても仕方ないよ。
たぶん「世の中を男チームと女チームに分けて女チームに有利なことを主張するのがフェミニスト」みたいな理解でフェミやってる人が一定数混じってるでしょ。ていうかぶっちゃけ多数派でしょ。
一昔前、ネット上でネトウヨが流行してたときに粗製乱造されたネトウヨがロクに日本の歴史知らなかったり右翼としての基礎教養持ってなかったのと同じよ。今のネットでの流行はフェミだからね。一昔前ならネトウヨになってた人がネトフェミやってるってだけの話で、そらフェミとしての質も落ちますわな。
ネトフェミ=質が悪いアホばっかという共通認識ができることは悪いことじゃないんじゃない? 反ネトウヨの左派系人士でも、「沖縄の米軍に対して抗議しているこの人は主義主張を持った真の右翼だ。ネトウヨなんかとは違う」みたいな議論をする人はいるし、アンチフェミ勢の間でも「この人はそこいらのネトフェミとは違うまともなフェミニストだ」という言及はあったりするからね。多くの人はどこかに「まともな右翼」や「まともなフェミニスト」がいるって思ってはいるんだよ。目の前のネトウヨやネトフェミが気に食わんだけで。
近頃youtubeなどでゲーム実況の配信を見ていると、一部の視聴者がコメント欄に間違った情報を書き込み、それに対して別の視聴者が「エアプは黙れ」「エアプ湧きすぎ」などと反応してバトルになっている光景をよく目にする。
「エアプ」とは「エアプレイ/エアプレイヤー」の略で、まあ英語としては意味不明な和製英語だが、ざっくり言って「その場で話題となっているゲームを自分ではプレイしていないのに、あたかもプレイ済みであるかのように訳知り顔で振る舞う奴」というような意味である。
実際のところ、このようなコメントを書き込んでいる人間の中には、原義の通り実況対象のゲームをプレイしていないのに偉そうにコメントしている「エアプ」や、あるいはコメントで配信者を混乱させて楽しんでいるような愉快犯も少なからず存在していると思うが、
しかし、一時期ゲーム開発・運営に関わった経験から言って、おそらく大半は「プレイ済みでありながらシステムを正しく理解できない・していないプレイヤー」によるコメントだと確信している。
熱心なゲーマーには想像もできないことかも知れないが、以下に書いていくように、ゲームシステムの理解には実に様々なハードルがあって、それぞれの段階に実にたくさんのプレイヤーが存在しているのだ。
まず、根本的にゲームシステムを理解することが難しいプレイヤーというのが一定の割合で存在している。これは、開発側のプレイヤー統計の数値などを出さなくても確認できる実例がある。
Steamなどの実績システムで、細かめに実績が設定されているゲームを適当に選び、グローバル実績解除率を確認してみてほしい。
作品のジャンルや難易度、長さによって傾向差はあるものの、多くのゲームで最序盤のうちに2~4割のプレイヤーがドロップアウトする解除率の「壁」のようなものがあることがわかるはずだ。
この内には、「遊んではみたが好みに合わなかったから辞めた」というようなプレイヤーも一定数存在するだろうが、やはり一定数は「システムが根本的に理解できず、先に進めなくて諦めた」プレイヤーなのだ。
また、サイドクエストやアイテム収集、カスタム要素などに関わる脇道的実績に関しては、「ストーリーを進めなくてもその要素を少しでも触ればすぐ取れる」というような実績でも解除率が低い傾向にある。
これも同じようなことで、そもそもそのシステム自体を認識していなかったり、認識した上でもシステムが理解できず、放置しているのだ。
そういうわけで、実績からはプレイヤーのゲームに対する理解能力の割合というものを窺い知ることができる。事実として、ゲームプレイヤーのうち何割かは「そんなもん」なのだ。
システム理解の最初のハードルを乗り越えてプレイを継続したプレイヤーであっても、ゲームの理解度には大きな開きがある。ゲームのアクティブユーザー数に対して、攻略wikiなどを利用してデータ面の情報収集をしながらプレイに臨んでいるプレイヤーの割合は、体感では7割ぐらい。
そしてその7割のうちでも、大半はわかりやすいFAQ系のページや、キャラなどの性能評価などをざっと洗っているだけのことが多い。システムの内部的な確率や計算式などパラメータ的な側面を詳細に解説しているページは、如実に閲覧数が低下しているのが見て取れる。
「内部計算式や理論を理解した上で、この部分が強いからこのキャラは強いのだと理解し説明できる」というようなレベルに届かず、「キャラのページに強いと書いてあるから強いらしい」レベルの理解で止まっているプレイヤーはかなり多い。
このようなざっくり理解にとどまっているプレイヤーや、そもそも攻略情報を見ていないプレイヤーは、知識の不足分をイメージや経験則や直感、時にオカルトなどによって補ってプレイしている。そしてその内容は残念ながらしばしば間違っているのだ。
そして、このハードルを乗り越えてゲームシステムの理解に努め、しっかり情報収集しているプレイヤーでさえ、そもそもその情報源となるwikiなどに書かれている情報が事実である保証がないという問題にぶち当たる。
内部的な処理の説明に関しては攻略サイト側が勘違いして記載しているパターンも多いし、確率などが絡む要素についてはさらにひどい。(このあたりの内部ロジックを過度に隠蔽するゲーム開発側にも罪はある)
そもそも匿名のwikiであれば悪意を持って誤情報を書き入れることも出来るだろうし、近頃は広告収入目当てなのか粗製乱造的なゲーム攻略サイトも目立つようになってきた。
このような理由で最初から誤情報が書かれているサイトを読んでしまう、というパターンもあるが、近年はアップデートなどでゲームのデータや判定計算などに随時調整が入ることが多いため、攻略サイトの側がキャッチアップ出来ず、過去の情報が残っていて結果的に嘘になってしまっているケースも多い。
また、個々のプレイヤーの側でも、そうした調整が行われたこと自体を把握しておらず、過去の時点での情報理解で止まっていたせいで、結果的に嘘を言ってしまう……という事例も少なくないだろう。
そういうわけで、自分のシステム理解が間違っているかもしれないとか、攻略上どの選択が一番有利だとか、確率論的にどの選択が一番丸いとか、システム上の最高効率を考えた場合の立ち回りとか、最新のメタゲーム動向とアップデート情報とか、そういうことをとことん突き詰めて「最新かつ正確な情報を抑えてアドバイスできるプレイヤー」というのは、上記のような大量のハードルを全て飛び越えた一握りのスーパーエリート層であり、逆に言えばそうでないプレイヤーはどこかで間違った認識を持ってしまっている可能性がある。
そして、その上で、多くのプレイヤーは各々の段階において「それでよし」としてゲームを遊んでいる。ここまで割と否定的なニュアンスで書いてしまったが、ゲームは娯楽なんだから各々のスタンスでやればいいし、たとえシステム理解が間違っていようとなんだろうと、本人がゲームを楽しめているならそれが一番なのだ。
しかし、ゲーム実況のコメント欄という空間においては、こうした様々な理解段階のプレイヤーが同じ視聴者として接触してしまう。
そして、各々の視聴者は自分のプレイ経験の範囲で事実を言っているだけなのに、ごく一部のスーパーエリートを除けば上記のハードルのどこかで引っかかってしまい、「エアプ」として責められてしまうことになる。
「誰もがエアプ扱いされる可能性があるから優しくなろう」とか、逆に「スーパーエリートを崇めてそれ以下のプレイヤーは黙るべきだ」とかそういうことを言うつもりはないし、そもそもこの問題を解決できるとは思っていない。
ただ、従来このようなプレイヤー同士は、それぞれ分かたれたコミュニティの中で活動している傾向が強かった。そうした垣根がなくなり、いち視聴者として一つのゲームを楽しむ実況配信という環境において、対立が強く表面化しているのはとても悲しいことだと思っている。
都会の粗製乱造園は経営側もスタッフもろくに経験ないから保育の質めっちゃ低いけど
それでも園不足で園児には困らないし保護者も他のまともな保育園を知らないから文句言わないので改善されない
ってのどっかで読んだのを思い出した
たまに経験豊かで意識も高いベテラン(出産退職後の再就職者とか)が中途で入ってきて質が低いのに気付いて改善しようとしても
既存スタッフは誰も問題に思ってないからベテラン側が追い出されてしまうと
それでもとりあえず死にはしない、って程度の保育は受けられるし
そういう園が今後はどんどん増えていくんだろうって話
でもってまともに教育されてない子を押し付けられる小学校教師なんかが困るんだろう
まあそれなら元増田も楽しく働けるかもね
世の中全部がこうなる!ってもんじゃないからあまりこういう議論はどうかと思うが一応突っ込んどく。
スマホゲームの高コスト化はガチャありきのものだからガチャ自体が白眼視されつつある中でどこまでできるか不明瞭。二次創作と組み合わせて長期コンテンツ化をなしとげたfateや艦これはまあともかく。
アニメなんか粗製乱造で作画の良さが大前提ではあるが乱造過ぎて儲からなくて先が見えない。
ディズニーやネトフリの大作はまああるにはあるが、バズといえるほどじゃないだろう。そもそもあの辺りは一般のサブカルとは一線を画している。
スマホゲームとネトフリがギリギリあり得るか程度だがさすがに君のは20年前のネット時代前の感覚過ぎる。
鬼滅の刃みたいにバズりかけのものを一気に物量でばずらせておしまい。というのがギリギリあるんじゃないかと思う。儲かるが長期的なコンテンツにはならない。
ただ昔のアニメのワンクールごとに嫁が変わるというのが、たまたまバズったもので嫁が変わるになるかぐらいだと思う。自称最先端を歩んでいるという連中向けに、コロコロ最先端のコンテンツが変わっていってもらわないと困るから程度で。
DX(Digital Transformation)って企業ITのお金をSIerからGAFAをはじめとしたクラウドサービスベンダー(SaaS,PaaS)に振り向けていこうよって一大ムーブメントなの?
それって単に食い物にされるのがSIerからクラウドベンダー変わっただけだろ
通産省も「2025年の壁」とか言い出して、今までのやり方はもうダメだ的なメッセージを出しているように受け取れるけど、クラウドサービスベンダーから金もらってんかね?
システムを作り込むな?
いやいや 自社のポカ避けや不良対策の粋を集めたものが十把一絡げのお仕着せのシステムで賄える訳ないでしょうよ
オートクチュールでパーティーに行っていたのを、金かかるからパーティーもファストファッションでいいじゃんってのと一緒だろ
あと流行りのNoCode、LowCodeのプラットフォームってどうなの?
安全装置のないクルマが粗製乱造されて街中を走り回るイメージしかないのだが
島根オリジンのヤツから派生したRoR(Ruby on Rails)がもてはやされた折も、導入されていくつか大きなシステムになってるが最近は導入当初のようにササッと開発してササッと使って成果を出しましょうってのとは程遠い存在になりつつあるのだが
作品として白人男性の物語として作られていたのだから状況としてはフラットではないよな。
暴れん坊将軍の舞台がいきなり中国になれば誰だって理由を求めるのではないか。
リメイク粗製乱造は昔からあるんだから「最近になって増えている」理由ではない。
そういう「思いつきの辻褄合わせ」的態度を批判しているんだが。
でも説明できないんだろ?
やはり辻褄合わせ的に「商業的理由」をパッチワークしているだけだ。
ダメではないだろ。
「主人公は本来は白人男性であるべきで、それを女や黒人にするのは『置き換えている』のだ」と言いたいのか。
昔から活躍していたレイアやメイス・ウィンドゥもポリコレ要員とか言いたいのか。
更に主人公が女性の作品の大ヒットが続いたからそれにもあやかろうというわけで、単なる商業的判断。
それこそ文化の盗用だろう。
最初から倫理ではなく、最初から「大口客敵に回したら儲からねーだろボケ」と言う話しかしてないが。
ダメではないだろ。
差別の解消にも作品の質の向上にも貢献していないということだ。
それに「ネタがない」どころか世界中からコンテンツを買い漁って溢れてる。
ここでもやはり機械的なキャストの置き換えが失敗を招いているというだけだ。
それこそ文化の盗用だろう。
ましてやローカライズによってキャラが変質することは許されるべきではない。
不当な圧力を商業性によって肯定してしまうことこそ唾棄すべき態度と言わざるを得ない。
いくつか突っ込みが。
「女や黒人が活躍するのが面白くない」と言われてもお前の趣味だろうとしか。
ハリウッドにネタがなくて昔のリメイク粗製乱造になってるだけ。
んで「昔のリメイクしたいけど忠実にリメイクすると比較されて昔の方が良かった言われるよな絶対」
「そだ、性別変えたろ。それだと前作の知名度利用できつつあんま比較されなくなるし」ってのはよくある発想。日本だって山ほどあるだろう。
・海外では現実に、日本のアニメを公式でそのまま見ることができない。肌色部分は塗られたりするし、サンジが食べてるのがタバコじゃなくてペロペロキャンディってなに?
海外進出する際にその国に合わせてローカライズされるのは当たり前。
今のアニメ業界は中国が大事なお客さんで、その中国を敵に回してまで庇うほどの価値がある作品・作家ではなかったってこと。
例えば百田直樹は何言おうが作品は出版され続けてるし映画化もされてる。それは庇うほどの(売り上げを出す)作家だから。
・クリエイター本人へのモチベ。宇崎やヒロアカや娘の友達とか、雑に批判されて、ダメージがないわけねぇ。モチベ低下によって連載が止まることは普通にあるし。
フェミニズムだけじゃないので、ポリコレ全部関係含めて紹介するね。
・スターウォーズの主人公が謎に女とか黒人とかになる(しかも面白くなさにそれが影響したと思われる)
・似たことはどの作品でも大なり小なり常にある。これは見ていればわかる。
・名作映画女版の粗製乱造。よくできてるのもあれば悪いのもあるが、作るのが前提みたいになってるのはちょっと。
・海外では現実に、日本のアニメを公式でそのまま見ることができない。肌色部分は塗られたりするし、サンジが食べてるのがタバコじゃなくてペロペロキャンディってなに?
・過去の反ポリコレ発言がツイッターから掘り起こされたせいで、ジェームズ・ガンがガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの監督を外される(大ブーイングにつき復帰)。なおガーディアンズ・オブ・ギャラクシーはもともとブラックジョーク全開の映画。
・日本でもアニメ化まで言っていたラノベが作者ネトウヨだから止められたことがあったな。復帰は無かった。
・クリエイター本人へのモチベ。宇崎やヒロアカや娘の友達とか、雑に批判されて、ダメージがないわけねぇ。モチベ低下によって連載が止まることは普通にあるし。
・スティーブン・キングが「面白さが第一でなければならない。ポリコレに即しているかどうかが基準であってはならない」と従来の本人の考えを改めて述べたところ、炎上した。
最後が一番やべーと思う。
人権先進国とかいう欧米さんでは、面白いことよりもポリコレが優先するという雰囲気がもう明確にある。そういうの日本に持ち込んだらだめだって。表現の自由の危機は現実だし、つーか欧米では危機乗り越えてもう死に体だぞ。
そういえば事前登録していたな、と思い出してやってみたidola
ファンタシースターシリーズは結構好きだし、作品単品の雰囲気も悪くないので、事前登録段階ではなかなか期待していた
…が、チュートリアル時点でもう「金だけはかかってるけど何もわかってない馬鹿が作ったゲーム」だとわかってしまって辛い
調べてないけど、おそらくあんまり売上よくないんじゃなかろうか
例えば、大抵のなかなかおもしろいアプリは、ゲームと「ガチャ」という集金装置の距離感をちゃんと意識している
ゲームに組み込まれていたり(ゲームの中に存在している、ランダム性のあるコマンドが実質ガチャになっている)、
ゲームの外にあるがシナリオの中に組み込まれていたり(ガチャにシナリオがある。キャラを戦闘要員としてスカウトするとか、自陣に召喚するとか)
まったくゲームに関与しないメタ要素になっていたり(あくまで「ガチャ」でしかなく、ゲーム本体とは一切関わらない)
idolaは、上でいうと二番目と三番目の合いの子になっている
つまり、「なぜかシナリオで話しているのにガチャると他人のふりをして騎士団に加入の挨拶をしてくる」という状態
何となく「他のゲームがこんな感じだから」でなんとなく模倣した結果がこれなんだろう
このゲームは随所がこんな感じで話にならない。見た目は明らかに金がかかってるのに
メタ発言とストーリー内発言がチュートリアル中にデタラメに並ぶし、本当になんにもわかってない
こういう「それっぽいけど辻褄が合ってない」ゲームを見ると悲しくなる
金のかかった粗製乱造
ファンタシースターシリーズは正直PSU以降死んでると思うけど、idolaはもうちょい頑張ってほしかった
とくにジェンダーはひどい。
フェミニストがそれをやりすぎた。
どんな仮説を立ててもそれを実証することは困難を極める。
「1990年代のオウム真理教とそれにまつわる報道がどんな社会的影響をもたらしたか」
なんて命題、再現性がないのは誰でもわかるだろう。タイムマシンを用意して過去に戻って何度もやり直すことはできないのだから。
だからこそ、研究対象については非常に繊細に扱わねばならない分野のはずなのだが、逆に「実証しなくてもいいんだな」とめちゃくちゃやりだしたのがラディフェミ一派。
だからオタク界隈は「うるせえ。疑似科学のスカタン馬鹿ども。親の金で大学まで行って疑似科学で遊んでんじゃねえ。疑似科学でオタクdisしてる暇があったらいまからでも科学の教科書を一から読みなおせ。疑似科学の手法など高校生でも知っとるわい」と反発してる。
「実証が不可能」だけど、大学教授がえらそうに雑誌に書けば学問の権威だけで真実っぽく世間に流布されるんだよね。それを、フェミニストたちは政治運動の道具として世界的に最大限に活用してきた。でも「実際には何の根拠もない」ってことがバレ始めてきた。再現性がないからって、適当に理論を組み立てて、適当に調査して(調査すらしてないこともある)、適当に論文を書き(論文すら書かない奴もいる)、適当にdisる。これで社会学者が名乗れた。でも最近はこの構図も崩れ始めた。
社会学者もあんまりにも「実証が不可能だし適当にかいてもいいだろ。キモオタ相手だし」と油断しまくって粗製乱造しまくったせいで、「初歩的な間違い」や「捏造」が白日の下にさらされだして、社会学自体がやばいんじゃね? と言われだしたからだ。
社会学自体はきちんとやればよい学問だが、なにぶん、構造上の問題で偽物がはびこりやすい。
当分ボコボコにされるのが良いと思う。根拠を求める批判に耐えられない学問など学問ではないからだ。
日本は、資源が無い。そう昔から言われてきた。それで、戦前は侵略大国に、戦後は加工大国、高付加価値大国になった。
そして、いま、文化大国を目指しているらしい。それで、あれもこれも、政府に、補助しろ、カネを出せ、と喧しい。
だが、その文化と言われているものが、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホか。
祭りも年に1回。あれも、麻薬やギャンブルと似た昂奮を伴う。たまにならいいが、常習化すれば、まともな生活が破綻する。
ところが、いまやプロスポーツイベントは、年中、隙間がないほど。プロスポーツなんて、やればだれかが勝つのだから、かならずニュースになる。
それで、あれはもともと新聞やテレビがネタ切れにならないように販売促進で始めたもの。
政治なんかに関心をもって庶民が騒がないように、報道番組の半分も使って、国民を中毒にしている。
アイドルも、夢を売る、と言えば聞こえがいいが、もてないブサたちが余計なことをしないように、夢だけを味合わせ、カネを巻き上げ、力を奪い、去勢する。
貧乏人を見てみろ。収入も少なく、衣食住もまともにできていないくせに、家賃の高い町中に住みたがり、部屋の中はガラクタだらけ。
これこそが、現代の典型的なバカ貧困層。自分自身の境遇がみじめであればあるほど、
他人のものごとを追いかけ、身の回りはわけのわかないブランド品、スポーツファングッズ、アイドルグッズ、アニメグッズが溢れかえる。
そして、生活費の中で突出した通信費。次から次へと新機種に乗り換える。
ちょっと前まではパチンコだったが、そのカネと時間の消費がプロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホにシフトしただけ。
貧乏人にも文化は必要だ。それはそうだ。しかし、文化はあくまで彩り。
まともに自立した衣食住も成り立たないのに、その彩りで彩るべき衣食住を破綻させてしまうなら、元も子もあるまい。
一刻を争うビジネスの現場にいるわけでもないのに、年がら年じゅうスマホをいじり、ツイッターやフェイスブックで自慢話ばかりしていて、
仕事が留守では、生活が向上するわけがない。まして、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメなど、自分自身の現実の生活ではない。
自分の生活もまともに成り立っていないやつが、人の「応援」など、おこがましいにもほどがある。
いや、庶民はカネづるだ。余計なことに関心を持たず、意味もない粗製乱造のガラクタ(「プロールの餌」)を買い続け、
稼いだカネをすべて費やしてくれればそれでいいのだ、ということか。
しかし、麻薬中毒、ギャンブル中毒と同様、プロスポーツやアイドル、マンガやアニメ、スマホの中毒の連中は、自分では生活を作らないし、作れない。
バイト程度の収入しかなく、すでにカネを吸い上げられて貯金も持たない。おそらく結婚もできないし、家も建てない。
いまは生活保護だの、奨学金貸与だの、サラ金より見えにくい政府からのカネの注ぎ込みで、見せかけのまともな生活を維持しているが、
経済バランスとしては、とっくに破綻しており、また、将来的にも改善の見込みは無い。
このバカたちにカネを湯水のごとく注ぎ込んで、むりやり回しているのが、文化大国とやらの日本経済。
だが、虚構のソフトの大量生産だけでファンダメンタル(実体経済)の向上が無い以上、
このキリギリス国家は、生活保護や奨学金貸与などへの大盤振る舞いは、いずれ限界に達する。
そのとき、富裕層、というより、まともな中間残留層は、自業自得の自己責任、と言って、貧困層の援助を拒否するだろう。
ろくな稼ぎもないくせにガラクタ集めの追っかけで散財しているだけの身の程知らずの穀潰しは、遠からず親族たちからさえも見捨てられるだろう。
追記:読解力の無いやつがステレオタイプにサブカル批判と勘違いしているが、源氏物語でも、ヘーゲルでも同じこと。
文系オーバードクターなんて、そんなのだらけ。中毒のように限りなく他人のことばかりを追っかけているから、自分がどんどん貧しくなる。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。