はてなキーワード: ロジカルとは
そもそも人間の発想はお気持ちや直感ベースで、論理はその発想が正しいかどうかを検証するものでしかない。
論理で勝つことが正義であることを教える必要はないし、ロジカルな推論によって唯一の『正解』が得られるという考え方は論理を過信しすぎている。ある命題に対してロジカルに得られる結論は特定の側面を切り出したものでしかないし、最終的な判断は様々な側面を元に人間が下すしかない。
親切な補足を書いてくれた人がいるので真面目に議論したい人はそちらでお願いします。木村幹先生のツイートの意図が全く伝わっておらず腹が立ってこの増田を書きましたが、一部の人にはさらなる誤解を与えてしまい少し申し訳なく思ってます。とは言えまともな教育受けてれば読めるだろとは思わなくもないですが、教育がまともじゃないから仕方がなかった。
誤解したコメントがついていたので、休憩時間で一先ず本文の下に返信を付けました。
面倒を見た学生は、奇しくも問題提起をしている木村幹先生が所属されている大学(神戸大学)と同等のレベルの大学です。
またレポート、卒論、修論とまとめて書きましたが明らかに突然お気持ち表明をはじめるのは流石に学部1~2年生のレポートがほとんどです。ただ大学入学時点でそういった文章を書いていた学生が、多少成長したとしても卒論、修論でどのような論理展開の論文を書くことになるのかは想像がつくと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2192374
こんなもん日本の国語教育の駄目なところを煮詰めたようなテンプレートだろ。修士、博士課程の期間に学生のレポートや卒論、修論の面倒をみてきたが、突然お気持ち表明をはじめる学生は本当に多い。突然自分語りを初めて空に飛んでいって、二度と地上に帰ってこられない奴らばかり。こんなゴミを教えてないで、ロジカルライティングについてまともに教育してほしい。
論文は一部の人だけが書く文書であり必要な人に個別に指導すればいいという反論がありそうだが、このテンプレートのように突拍子もなく自身の経験ベースのお気持ちを述べることが求められるような文書を求められる機会がどれだけあるのだろうか。多くの人が業務で書く報告書や技術文書などは、事実と観測結果、先行する調査結果等を元に論考することが求められているのではないだろうか。実際にはそんな文書を書く機会はないのに、自身の経験をベースとしてお気持ちを述べさせるカスゴミ作文手法を『正しいテンプレ』として教えているのではないだろうか。
また読書感想文だからこのフォーマットになるのは仕方がないという意見もあるが、読書感想文の枠内で自分語りにならないように書く方法もある。たまたま手元に小学1~2年生向けの課題図書である『うまれてくるよ海のなか』(息子の所有物)があるのでこれを例にすると、この本は海の生き物の『出産・育児』、取り分け『お父さんとお母さんが協力して出産・育児』をする姿に焦点が当てられていて、後書きでもその点について述べられている。テンプレに従うと子供から見た我が家のお父さん、お母さんの役割分担の話とお気持ち表明をして終わりになるだろうが、この本から得た気づきを元に図書館に行って日本や世界の出産・育児の分担の状況について調べたり、あるいは海の生き物以外についても調べたりして調査結果から考えを広げ、その上で感想を述べることも出来るだろう。
テンプレを教えるのは良いが、そのテンプレがゴミだと害悪でしかない。正直、小学校の先生にロジカルな文書作成が出来るのか疑っている部分があるが、出来るというのであればそれをきちんと教えてほしい。
レポートや論文と感想文が異なるのはあたりまえで、感想文に感想を書くことに文句をつけるのは、いったりどういう論理構成なのか不思議。
国語の時間を寝て過ごしていたのでなければ読み取れると思うのだが、感想文に感想をつけることは否定していない。テンプレートに記載されている構成では突拍子もなく感想を述べた後に自身の経験について述べるにととどまっており、そういった文書構成をテンプレートとして推奨することに日本の国語教育の駄目なところが現れていると批判している。
卒論、修論と読書感想文は全然別のものです。それにいま修士、博士課程にいる学生さんたちが小学生のころはこういう教育はしていません。
テンプレートを使った教育を批判しているのではなく、ロジカルライティングを軽視した、お気持ちの表明に偏重した教育がゴミだと言っている。自分も小学生の頃にこういった読書感想文を書かされたと記憶しているが、未だにこういったテンプレートが存在することがそういった教育が継続していることの根拠ではないでしょうか。
そのくせ自分をロジカルだと思いこんでいるから歪みに気づかない。
シンプルにいくぜ。
「笑いを取るための行為だったけど、相手がセクハラだと感じた」
と
だと罪の重さが変わるんだぜ?
犯罪ってのは「こういった罪に問われるのを知った上で、こういったことがしたく、こういったことを計画的にやりました」が一番重いんだよ。
まあ「止むに止まれぬ事情」ってのを示せれば情状酌量の余地が生まれることはあるので、そことのトレードオフになる部分はあるけどな。
今回の場合は弁護士側の判断で「止むに止まれぬのラインは捨てましょう。代わりに突発的な事件であり計画性はなかったし自覚もなかったという方向にして罪を軽く出来るかワンチャンっす」となったんじゃねーかなと。
本人たちも別に「笑いを取りたくてやったんだからしゃーないっしょ。なにギャグにマジになってんの?」で無罪になるとは思ってないはず。
少なくとも弁護士は違うはず。
単純に「性欲を満たすために権力を利用した」と裁判官に判断されるよりは「教養皆無の自称おもしろおじさんの成れの果て」って判断されたほうがまだ罪は軽い可能性に賭けただけなんだよね。
理性に基づいた戦略だよ。
それを外野から感情論100%で批判するにしても「クズだ!カスだ!謝れ!衣食住は国が提供してくれるんだから給料全部を死ぬまで慰謝料として寄付しろ!」って言うなら分かる。
だけどさ「バカすぎ」「これで許されると思ってるんだ」「スゴイ頭が悪いんだね」はお前がバカすぎて可愛そうだよ。
お前の親と同僚と子供はお前以上に可哀そうだよ。
本当さ、脊髄反射する前に「だが、相手も現代社会で何十年も生き延びて社会人として今も働いてるんだ。ぶっちゃけ人間の知能にそこまで差があるわけでもないだろうし、なにがしかの考えがあるのでは?」が出来るようになれっての。
何でお前らすぐに「どうせ何も考えてない」みたいな事言うのかなー。
それはお前の想像力のレンジが狭いから自分の頭で簡単に思いつくこと以外はこの世に存在してないみたいな感覚で生きてるだけだよ。
つまりは人生全体に対して「完全に理解した」って態度で生きてるんだよ。
幼児的全能感だっけ?
さっさと捨てないとそのうち死ぬほど恥かくぜ?
前職、前前職に関して
男女比率同じぐらい。
平均年齢30歳ぐらい
いわゆる、キラキラ企業に憧れるエセキラキラ系企業にいました。
今回、興味本位というか人生経験として小規模な昭和体質の会社(JTC)に転職して半年ぐらい経ったので思ったことを自戒の意味も込めて殴り書きします。
※ぼやかしながら
理由は顧客先のボリューム層が高齢者で私服だとクレームが入るからとのこと。現場の営業さんたちは作業着で夏でも長袖長ズボン。以前、短パン的なものを着用していたら不健全だ!ってキレられたらしい。ちなみに入社して半年ぐらい経つがオフィスに顧客が来たことはない。今はクールビズ(ひさびさに聞いた)でネクタイ無し、ジャケット無しでもOK。
ある日上司に「そういえばなんでスーツ指定なんでしたっけ?お客さんとか来ないっすよね?」とバカなふりして聞いてみたら「まぁこれは仕事における作業着みたいなもんだから。あと私服で仕事すると他部署とかたまたまあったお客さんからクレームが入る可能性がある」だって。普段ロジカル思考ぶってる部長の顔が忘れられない。
支店がいくつかあるんだけど、支店間の連絡手段は基本電話。電話対応の業務自体が無くなっているこの時代に。あとメール。しかもOutlook。バカかよ。まぁメールは百歩譲っていいわ。電話がうるせぇのなんの。こういうのって部署ごとに鳴り分けしたりするじゃん?けどここしてねーの。外線1本着信したらオフィスにある電話全部鳴んの。この環境にいてみ?マジで電話アンチになるわ。元々アンチ気味ではあったけど。Slack?Teams?ChatWork?提案したさ。そしたら「無理無理。金もかかるし社内に浸透させんのに何年かかんのよ。うちはPC弱者しかいないよ?」だってさ。なんのために俺入社したんや。
んでエグいのが、たまにオフィスに誰もいなくて他部署の電話とか出る必要があんのよ。それで顧客からのクレームの対応もしなくちゃなんないときもある。俺28にして初めてよ、クレーム電話の対応。あれヤバいな。普通に「オタクの会社は詐欺師集団ですか?」とか言われるからね。そいつの名前今でも忘れてないぐらいに殺意はある。あとコールセンターの人ってすげぇなーって心底思った。
そうです。電話以外もうるせぇ。
稟議は短くわかりやすくと言っておきながら普段から話が長くわかりにくい部長の説教。(いっつも特定の社員に仕事論カマしてる。1日アベレージ45分ぐらい。)
声がデカいお局。(お局って存在初めて見た。あんなん実在してんだな。悪口エグい)
こんな環境で集中して高いアウトプットを出さなきゃいけない。電話とかはまぁシステムリプレースでなんとかなりそうとは思ってるんだけど、こういうパーソナルというかカルチャーの部分ってどうしたらいいんだろうか…。直接言う?何十個も上の大人に?うるさいから集中できませんって?まぁ言うしかないよな…なんて言い方が伝わるかな…って考えてしまってる時点で負け。他人やカルチャーを変えるより転職のほうが簡単だ。多分。
イヤホンしながら仕事?ダメダメ!喋りかけても聞こえないじゃん!あと電話取れないじゃん!
承認おせぇ&めんどくせぇ。そもそも全最終決裁権は社長が持ってる。幸いシステム的なものは導入されており、紙の稟議でハンコリレーみたいなことはないが高額の稟議となった場合、社長が承認→対面で説明を改めて申し上げる、みたいなクソフローがある。いやなにを説明することあんねん。
例えばPC関連の備品(モニターとか)を購入する際、半端ない労力がかかる。スタートアップとかベンチャーなら「とりあえずやってみよう!」「スモールスタートで検証しつつイケそうなら全社導入しよう!」みたいなマインドがあるかもだけどここの会社ではそれがない。石橋をぶん殴っている。なんだろう、会社のお金というものを重く見すぎているというか。俺はいろいろ考えて最終的に「まぁ失敗しても会社の金だしいっか」みたいなマインド(賛否)なんだけどまぁ~~~会社にフィットしていない。
なんのために使うのか?どういう効果があるのか?費用対効果は?今のモニター(17インチのHD正方形モニター)では何が、どうして無理なのか?っていうのを嘘みたいに徹底追求される。いや詰問される。1万ちょいとかのモニターで。そして稟議のハードルが上がりシャドーITや自費購入モニターなどが横行している。
まぁモニターでこんなんだからPC本体やらSaasやらに関してはもうお察しである。PCに関しては最近なんとか変え始めることができて喜ばれたけど(俺も嬉しい)。
昭和体質の会社でお決まりのイベントといえば?そう、社員旅行である。あらかじめ言っておきたいのは社員旅行自体は決して悪ではない。参加する・しないの選択権を無くすことが悪なのだ。
入社した当初「そういえば3か月後ぐらいに社員旅行あるから。行き先は〇〇!日時はまだわかんないけど。」と言われた。「そうなんですねー」と返し、詳細な日程が来たところで断ろうと思った。
他の社員も「旅行ダリィ~」とか「こういうとこマジで昭和だよね」と陰で言っていた。30代後半の社員も40代以上の社員も。
後日、日程等の詳細が確定したと連絡。
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そして(金)(土)は現地
土・日は休日扱い。
10,000円前後を参加費として徴収。(毎月の月給から謎の厚生費がいくらか控除されている)。
ホテルは2人1室
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うーん、行きたくない。部長にその旨を伝えると社長、役員を巻き込んだ大騒動になった。詳細は控えるが。
このことで
カルチャーのミスマッチってこういうことを言うのだなと思った。
俺も悪いな、と思った
ちなみに弊部署の今季の目標の1つが「社員のエンゲージメントを上げる」だって。がんばれー
若手とベテランの年齢差が大きい
平成生まれが少ないため、平成生まれだけの社内コミュニティが形成されている
普段はみんな優しい。陰口がエグい。
入社初日、社長・役員が経営理念に関して4時間のオンボーディング
月に1回の全社朝会ではオフィス内にある神棚に二礼二拍一礼(初めて見たとき引いた)
3ヶ月に1回の全社会では経営理念の唱和&万歳三唱(初めて見たとき引いた)
女性社員は50人弱中1人。マジで1人。あとの女性はみんなパートの方々。
他人や会社のセキュリティは異様なほど気にするが、自分だけシャドーITをしても大丈夫だと思っている社員がいる
勤怠管理は社員間共有Excel。いい意味でも悪い意味でも誤魔化し放題。
このぐらいでしょうか。もっとあるかも。
最近のネット見てると、よく「コイツは非論理的非合理的な思考のお気持ち野郎だ」とか、そんな求められてもいないであろう説教をかます人間を多々見る。
それは裏返せばオレはそういう奴らとは違ってロジカルな人間なんだぜという自負を掲げているのではないかと邪推してしまうけれど。
感情を一切排して論理的に言ったら人間に生きる意味も価値もない。
読書をし、運動に励み、賃金労働や金稼ぎに繋がるスキルを身に着け、家庭を持つ。感情を一切無視して論理だけで言えば、それは不快を避け快楽を最大化するという「お気持ち」ベースの全くもって無駄な行いということになる。
ハサミはモノを切るという使命を帯びて作り出されるが、生物にそういった意味はない。自我を持ち動き回るという点を除いてその辺の石ころと何も変わらない。
サルトルだかの実存主義やウェーバーの資本主義の精神みたいな、前世紀からされてる話。
感情論と善悪を区別しろみたいな事言う人いるけど、論理という道具を使って既存のそれを顧みる事はあっても、詰めていけば快不快の多数決だろって思うけどね。
人をブチ殺して回りたいというのは社会的にあまり良しとされないお気持ち。それが良しとされないのはどこからかポップした善悪や規範、まして論理でもなく「殺されたくない」というまた別のお気持ち。
そのお気持ちの多数決をまとめてちょっと論理で整えてやったものを善悪と呼ぶのではないかと思う。
まあこの程度の話、お気持ちを非難するインターネットの聡明な皆さんがまさか通っていないはずはないと思うけれど、ではお気持ちを捨てた生き方とはどのようなものでいらっしゃるので?って思う。
とても論理的でいらっしゃる皆さんも恐らく寝食に労力を割き労働に励んでいるのだろうけれど、なぜそんな無駄な真似を?
わざわざ自殺する道理もないけれど、わざわざ生きる道理もないよね。
でなければ合理性や論理を極めて、「無」を受け入れて、涅槃の境地を目指すような生き方しかないと思うんだけど、そんな人を見かけた事はない。
今日はそんな事を考えてました。
私は子供欲しいなあって気持ちが何故かいつもある側の女ですが、こういう気持ちを言葉にしてくれる人がいてくれて嬉しいです。子供欲しい、と積極的に思っている側の私でも正直いろいろ不安で怖いなと常々思ってるからです。
子育て環境を整えてこなかった人達だって良くなかったのに産まない女が増えて異常だ、みたいな他責思考な言論や、少子化対策を真剣にやろうという風潮ある状況下なのに的外れな政策が散見されたり…‥。
こう思ってはいたものの、私はロジカルもメンタルも弱くてこういう主張をインターネットでもなかなかできないんですよね。論理の甘さを詰められそうだし、メンタル弱くていちいち真に受けてしまいそうだし。
なので、投稿主さんのメンタル面と論理面の強かさがすごく感じる主張を読めて私はめちゃめちゃ元気出ました!でもこんな言葉を尽くして細部まで丁寧に書かれているのに、すっごい的はずれなコメント書く人多すぎて私はびっくりしています
子産み問題について私自身はもう少し考えようかと思ってますけど、強かで自分持ってて素敵な主さんが今後も良い人生送れることを祈ってます!
まともなコメントもあるけど
松本人志が審査員ばっかりしてたら、松本人志色の強い芸人しかこの世界で生き残れないので、
中田の意見を否定しているわけじゃなくて、これはおもしろい切り口だと思う
まったくその通りでテレビ番組だからTV局のプロデューサーとかの人選なんよなあ
偏差値65
マネーで計算すんのか、影響力で計算すんのか。いろんな見方あるけど。中田くんもそんなに言わんで。松本さんが審査員全部辞めるわってなったら、スポンサーもつかんわ、番組成り立たんわってなったら、これどないすんの?
すまん、ほんこん。ワイはお前を完全に舐めてた
感情に任せてコンテキスト無視したとんちんかんな文句言うネトウヨと同じレベルの無能な芸人とはちゃうかった
さんまさんの意見にも通じる。TVやし。そうよね、スポンサーつかんかったらTVとして成り立たん。その視点はまともよ
偏差値50
誰よりも神格化してるのかな
なんでそうなんねん。
番組を作ろうっていうお笑い関係者が松本を神格化しているっていうのはあっても
中田は違うだろう。
そして、中田の発言に論理性ゼロのコメントを出す人間こそが松本神格化して全てを擁護しようとしているんじゃないのだろうか?
偏差値35
真っ直ぐ勝負ってそんな自分ルール持ち込んで文句言われてもなあ
偏差値30
いやいや中田そんなこと言ってないし
おまえがおもしろくないって考えるのは勝手だけど、それ擁護にはなってないし
ただただ浮いたコメント
偏差値25
いっぺんやってみ、審査員!、こんなこと言われたら腹立つわ
いっぺんやってみって何よ。中田のコメントは別に俺にやらせろでもなければ、やったところで何も意見が変わるものでもない
偏差値15
この意見が一番ひどい。
そのべきって何だよ。権力者だけが権力者に意見言えますって何だよ。
そんな考えだから独裁が生まれ、多様性が失われるってことがわからんかなー。権力の犬かよ。
頭のいいポジション狙って学歴ロンダリングに夢中だけど、到底無理だよ
芸人でロジカルにもの考えられるのあとはカズレーザーくらいかな?
この件では何も意見言ってないと思うけど
他誰か何か言ってたっけ?
松本人志が審査員ばっかりしてたら、松本人志色の強い芸人しかこの世界で生き残れないので、
真っ直ぐ勝負ってそんな自分ルール持ち込んで文句言われてもなあ
この意見が一番ひどい。
そのべきって何だよ。権力者だけが権力者に意見言えますって何だよ。
そんな考えだから独裁が生まれ、多様性が失われるってことがわからんかなー。権力の犬かよ。
頭のいいポジション狙って学歴ロンダリングに夢中だけど、到底無理だよ
誰よりも神格化してるのかな
なんでそうなんねん。
番組を作ろうっていうお笑い関係者が松本を神格化しているっていうのはあっても
中田は違うだろう。
そして、中田の発言に論理性ゼロのコメントを出す人間こそが松本神格化して全てを擁護しようとしているんじゃないのだろうか?
この件では何も意見言ってないと思うけど
https://anond.hatelabo.jp/20230531183222
これはよかった。この増田は賢い
結婚して子供を産むのが正しいの、生まないのが正しいのでケンカしてる光景はインターネットでザラだ。
そんなもの正しいと思ってる人には正しいし、そうでない人にはそうでないだけの話で。意味があると思ってる人にはあるし、無いと思ってる人には無いだけ。
当然の話で、人が生きるのも、社会に参加するのも、生物が種を残すのも、理詰めで言えば何の意味もない。存在の話ではなく当為のそれなんだから。
大人の義務や責任?どこから湧いた?生産性?何の為の?社会の維持?何の為に?人権思想?何の為に?生きるため?なぜ?
子供を作る事に限らず、人の営みはリンゴが上から下に落ちていくのと本質的には何も変わらない。
現実的な議論としては、人権思想が公理であり土台となっていて、そこで一旦は打ち切られる訳だけど。それにこれはあくまで「お気持ち」や「主観」から離れた場合の理屈だ。
まあ人権という公理から導き出される規範も一義的なものではなくて、それぞれの解釈が対等だからまた言い合いになるんだけど。
その対等な言い争いは民主主義と呼ばれて割と尊重される。しかし人権を認めるのであれば、人に結婚出産をするな、しろと強要できる道理はどこにもない。
そもそも社会を生き長らえさせる意義を感じていない人間に対して、子供を持つ事がいかに社会の持続に必要かを説いても無駄。
人生に先立った苦しみなどなく、行い次第で如何様にも幸せになれる。と信じている人間に対して、辛く苦しいだけの生を生み出す残酷さを熱弁するのも然り。
前提が揃っていない段階で話をしてもボタンの掛け違いになっている。
共通認識を揃え、対等な異なる意見を持ち寄って考えを深める事はあっても、最終的にどちらに転ぶかは自分の納得の問題だ。
全ては無意味、と言うとすぐ冷笑と抜かす人間がいる。無意味を開き直り、さらに他人を巻き込もうとすればそうかもしれない。
しかし規範において、理詰めで言えば無意味である事実は変わらない。
それを歪めるのは不誠実な物の考え方ではなかろうか。いくら生活の為にはある程度の忘却や思考停止が必要と言ったって。
ともかく、無意味とはいっても自分の中で実感や確信に基づいて意義を見出す事は可能だし、多くの人がそうしてきて、今もそうしてる。
そもそも意味などを問う以前に、まず生きる事そのものが価値のある、というよりあまりにも当たり前のものだと思っている人も少なくないんだろう。
むしろその方が多いかもしれない。もっともそれにしたって、意識的であれ無意識であれ生を肯定する規範、信仰、納得を持っている訳だけど。
世界に元々用意された意義なくて、そこに「正解」を用意したらそれは宗教だ。
別に宗教が悪いとは1ミリも思わないけれど、それを押し付けるのがいかにグロテスクかは歴史を見れば明らかで。
他者の生き方に口出しをしてかくあるべしというのは、自分の選択に腹の底から納得できていないじゃなかろうか。これは理屈の話と言うよりは邪推だけれど。
一度きりの人生、自分の選択が、価値観が「間違い」だなんて思いたくはない。そんな疑問が浮かびもしないほどの実感と納得がある生き方をしたいもんだ。
でもそう強い人ばかりでもない。自分の選択に自信がないが、自分の中に納得の源泉がない。だから外部にそれを求める。他人に肯定してもらいたい。
同じ意見を持つ人間と集まって、互いに肯定し合う。あるいは単純化した二項対立の上、自分の対岸にいる者を「間違い」だと断罪し、そして自分は正しいんだと思う。
そうした正当化が健全か不健全かは知る由も無い。が、考えの異なる者同士、互いに説教や罵倒を受ける道理は無い。
視野狭窄、知識が足りていないように見える人間に対して「こういう見方もあるよ」と助言する事はあるかもしれない。教育とは、学びとはそういうものだ。
しかしそれが強く押しつけがましく攻撃的で否定的、あるいは過剰に肯定的なものですらも、そこには自分と同じでない他人への苛立ちがあるのかもしれない。
社会の利害調整を問うなら互いに言い分もあるだろうけれど、生き方の問題に口を出すのはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)だ。
その点、受け売りの胡散臭い政治思想とアイデンティティや価値観が悪魔合体している人は非常に厄介という事になる。
まあ上から目線で説教する道理もなかろうけど、なかった所で誹謗中傷やらにならない範疇で批判をするのも勝手だ。
よしんば中傷じみた人格攻撃でも、そんなもんネットに溢れてるし、それで捕まるのも稀だ。という事を踏まえて平気でやる人間がいるのも事実としてある。
悲しいね。
等しく無意味な人生に価値を見出せるのは自分だけだ。上手い飯を食うでも、芸術を愛でるでも、ギャンブルに狂うでも、何だっていい。
愛に囲まれ他者から存在を肯定してもらうのも、神様を信じてみるのもいい。それは一見外部の他者が価値を与えてくれるように見える。
しかし結局それによって得た納得が湧き出るのは自分の心の中だ。
「敵」を罵り「仲間」と慰め合って拵えた後ろ向きの納得よりも、内から発される声に対して真摯に耳を傾け、それに従った方が良い、ような気がする。私は。
まあ私だってきっと自分の考えに腹の底から納得できていないから、こんなサイトに長々と文章を書いているのかもしれない。
勿論意味など最初から問わない、忘却するという選択肢だって大いにあり得る。今際の際に蓋していたものが頭を過るのが怖くて私は出来ないが。
人をブチ殺して回りたい、それが私の納得する生き甲斐だ。こう思うのだって非難される、というか過剰に誹られる謂れはない。
なんなら思うだけではなく、法だの人権だのがいくら殺人はダメと言った所で、別に実行する事は可能なのだ。現に殺人事件は一定的に発生している。
出来るからやって良いなどとは言っておらず、可能な事実があると言っているだけですからね。
当然我々が恩恵を受ける司法や人権思想のもと、社会によってしばかれるだけだが。バレなきゃしばかれないけど。
茨の道が待っていると知った上で尚もその納得、価値観を手放さないというのなら、私は敬意すら覚える。当然自分が殺されるのは御免で、それはまた別の話だが。
個人主義、民主主義社会の範疇における多様性とはそういう事なんだろう。
お気持ちがどうとか主観がどうとかいった言葉を使って何か言った気になってる人がいるけど、事実でなく規範を語るなら感情論で当然なんだよね。
絶対的な真理、善、正義を信じる本質主義者なんで、と言われたらそれまでだけど。
金持ちがネオリベにかぶれるのも貧乏人がその逆になるのも当然だろうし、いくら事実と論理を積んだ所で最終的には感情論。
勿論ノブレスオブリージュを語る金持ちも、支配者への忠義が大事だと思う貧乏人だっているかもしれない。
それもまた価値観や納得に基づいたものであって、どちらに転ぶか、必然性はない。
「ブーメラン」はロジカルを自負するインターネットマンの口癖だけど、言行不一致は理屈ではなく感情の問題だ。
殺人犯が「人殺しはダメ」と言ったらどの口が言うかって話だけど、言ってる事は間違ってない。
でもやっぱりコミュニケーションにおいて心象というものは無視できないので、お気持ちのない、ポジショントークでない意見など神様にしか言えない。
まあいくら社会性に則った無難な話をした所で、「こういうヤツ、バカですw」みたいな強い言葉を使った話にばかり注目が集まるのも悲しい事ですね。
義父は保険の営業で、我が家も夫・私・子どもと全員いくつか契約させられており、毎月4.5万ほど支払っている。
現在第二子妊娠中なのだが、またもや契約させられるのかと思うと、出費としても痛いし、なにより義父に不信感があるので契約がいやすぎる。
不信感をもったのは、結婚・出産時に半ば強引に契約させられたことももちろんあるのだが、決定的な出来事がある。
・結婚したときに義祖父からご祝儀を100万円いただいた。ありがたく頂戴するつもりだったのだが、「まだ若いふたりには大金だから」といつのまにか義父がその100万を持っていた。
そしてそれを「毎月1万円ずつ振り込むから、この契約してくれ。投資のようなもので、これはご祝儀を増やすための方法だ。おくりものだ」みたいなことを言われた。そして契約させられた。ちなみにこの保険は毎月1万円を超えている。
・ファイナンシャルプランナーに契約内容を見せると、「なんでほぼ同じ保険ふたつも入ってるんですか…これはひどいですね」と言われた
私の実家は遠方なので、子育てをしているとどうしても義両親に頼らざるを得ないときがある。
それを思うと関係性を悪くしたくはなく、ぐっと抑えて契約しているが、第二子のことを考えると気が重い。
どうやったら穏便に断れるのだろうか。
○ご飯
朝:コーンスープ。チーズ。クラッカー。昼:カロリーメイト。玄米ブラン。夜:ヨーグルト。冷奴。キャベツと人参とエノキのスープ。目玉焼き。
○調子
○最悪なる災厄人間に捧ぐ
・はじめに
透明人間の少女クロと、その彼女以外全て見えなくなった少年豹馬の出会いから始まり、セカイを定義する理に挑む、ヒロインや主人公の命が世界の命運と直結してる系の恋愛もの。
視点人物である主人公はヒロインのクロ以外の人間を認識できないという突飛な状況で物語が展開する。
その都合上、20時間以上のプレイ時間の間、延々と二人っきりでストーリーが展開していく。
そんな強烈な縛りを設けながら、パラレルワールドや時間移動やループなどのセカイを定義する色々な技法を使い、様々な展開が繰り広げられる。
なので二人っきりというのはある意味本当であり、ある意味大嘘なのが、すこし不思議系の味わいがある見所。
・辛いくて重い
最悪なる災厄人間である豹馬と、透明人間のクロにはひたすらに最初から最後までずっと辛い展開が続く。
衣食住と言った基本的な部分の不自由から始まり、精神と肉体の両面から削る悲壮的なシーンが多い。
進めば進む程、最初に手に入れたものがこぼれ落ちていく展開なことも苦しい。
最悪なる災厄人間という言葉に込められた呪詛の重みの凄まじさとその悪意に読み進めるのが苦しくなった。
かなり人を選ぶ描写が多く、特に児童虐待と自殺の方法がかなり具体的な文章で書かれていたのは、露悪的が過ぎたとも思う。
ただこの二つは物語の根幹でもあるので単純に削ればいいとも思わない、しかしそれにしたって残酷な表現だった。
善意の空回りや、悪意のないシステム的な辛苦ではなく、妬み嫉みからくる悪意なのもシンドく、自分勝手な悪意に振り回される。
・クロは豹馬が大好き
登場人物は二人っきりだが、様々な事情で多種多様なクロが登場する。
勉強好き、運動好き、いたずらっ子、寝るのが好き、キャリアウーマン、猫、お人形さん、占い好き、ヤンデレなどなど、見た目も中身も違う沢山のクロが登場する。
しかし、どの彼女たちも基本的に主人公の豹馬が大好きという共通点がある。
ここは疑う余地のない絶対の聖域になっており、上述した辛いストーリーを乗り越えていく中で支えになる。
数多の苦難を乗り越えていく中でほぼ唯一の絶対に信用していい箇所がココだ。
それだけに、二人の関係値に名前を付けれないとするシーンの重みは凄かった。
世界中に二人っきりだからこそ、その二人に名前がある関係は結べないというのは、すごくロジカルでありつつ、愛は究極の差別なのだなあとしみじみ思った。
・Bさん好き
そんなわけで徹底して二人のストーリーなんだけど、数少ないそれなりに出番があるモブキャラのBさんが僕は気になった。
というのも、成人女性でありながら小学生女児のクロを教祖のように崇めペコペコする態度が可愛いかった。
主人公、クロ、Bさんで女性同性愛を含んだ三角関係的なサイドストーリーなんかがあったら面白そう。
まあ正直ただのミスリード要員で、あまり深掘りもされていない脇役なんだけど、妙な存在感がある。
・おわりに
人の悪意に振り回されながらも、二人っきりの世界で、客観的な善性を見出していく、ある種の道徳的ポリシーの高さが見所だった。
あくまで二人しかいないのは彼らの主観で、実際には周りには他人がいるという複雑な世界観にしたからこその、セカイ系に振り切らない良いバランス感だった。
セカイの存続と彼らの選択が密接な関係にある展開自体はらしいんだけど、その上で立ち絵も無い第三者達を意識した物言い、立ち居振る舞いを身につけていくのは、作者の真摯な態度のように見えて好きな展開。
28歳、男。
大学院を出て新卒で戦略系のファームに入り、3年ほど働いた後同業種に転職した。
タイトルに記載したとおり、ここ数か月自分の様子がおかしい。最近Twitterを介してはてな匿名ダイアリーをしばしば目にし、気になっていたので備忘的に今の状況を投稿してみた次第。
前提として、仕事自体は心から愛している。普段何気なく目にしている製品やサービスの裏側は私の好奇心を刺激して止まないし、チームで一丸となって課題を特定し、あるべき姿の定義とそこに向けた道筋をロジカルに定義するプロセスは非常に美しいと感じる。勿論コンサルタントとして自身の能力や会社のリソースを活用し、彼らの課題解決に資するものなら、これほど喜ばしいことはない。
労働時間は長いし、その割に給料も大したことないというのが正直なところだが、実家の太さも、顔面の強さも何一つ持ち合わせていない私が成り上がるためには最高の環境だと思う。
具体的には、
・ 始業ギリギリまでPCを開けない(普段は早朝からPCを開いてダラダラリサーチや資料準備をしている)
・ 原因不明の発熱(37-38℃くらいを行ったり来たり)が1週間程度続く
・ 食事の喜びが感じられなくなり、平日食べるご飯の味がしない
といった感じだ。
原因として明らかに長時間労働と業務上のプレッシャーが該当するように思えるが、早朝から深夜まで馬鹿みたいに働いて睡眠不足なのはここ数年変わってないし、上司の激詰めは今に始まったことではない(寧ろ新卒の頃のほうが酷かったような…)。
正確なところは専門家に判断いただこうと思っているが、個人的には環境要因というよりは、自縄自縛的に事故っているように思う。
日々逆立ちしても敵わないような優秀な人間に囲まれ、彼ら彼女らに間接的に自身の至らなさを指摘され、それによって自己嫌悪に陥るサイクルを何年も繰り返してくると、能力の輪郭がはっきりしてくる。当然輪郭は一定努力によって拡張できるものと思うが、たかだか数年の努力で優秀な人間が積み重ねてきたものに敵うはずがない。「ああ、自分の限界はこの程度なのか」という現実が受け入れられず、肉体的・精神的にエラーが出ているものと思う。
病院で適当に診断書を書いてもらえれば休職は容易に可能だが、これは私にとってこの業界から渡される引導であり、今後ここでキャリアを築くことは難しくなるだろう。私はまだ、ここで働いていたい。
等身大の「この程度の仕事ができる自分」と「この程度しか仕事ができない自分」をどのようにして受容し、乗り越えてきたか(或いは、回避してきたか)、先人の知恵を拝借させていただきたい。