はてなキーワード: オープンソースソフトウェアとは
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/101101158/
Q1.役所の仕事なんて全国でほぼ一緒なのに、なんで自治体ごとに別のシステムを作るの?
A1.地方自治体の事務や財務について法律で決まっているのは大枠だけだよ。
それを実務≒内部規定に落とし込むのは各役所ごとなので大枠は似てても実務プロセスは全然各役所で違うよ。例えば同じ業務でも独自の語彙があったり、下手すると同じ語で市町村ごとに意味が違ったりするよ。
Q2.なんで新規で作らないの?
A2.80年代ぐらいにやったよ。その結果が政令市クラスに残ってて今回京都市が更新しようとしてるような、メインフレーム上のシステムだよ。
A3.みんなが使ってるWindowsとかLinuxとかのOSがなかった時代のコンピュータだよ。IBMとかがベンダーごとに作っていてOSもベンダー謹製だよ。性能はいいけどメチャ高いよ。
システム内でクローズして専用線以外では他とつながってなかったから、汎用機からPCサーバへの移行を「オープン化」と言うよ。
オープンソースソフトウェアとは全然関係ないよ。
Q3.使いまわしってどうやってやるの?
A3.80年代とかに作ったシステムで動いてるCOBOLとかPL/IとかをLinuxとかUnixとかWindows上で動く言語にコンバートしてリコンパイルするよ。
DBのデータも階層型データモデルからリレーショナルDB用にコンバートして移行するよ。こういう開発形態を「マイグレーション」と呼ぶよ。
あと、バッチジョブ制御もJCLという汎用機用の言語で動いているよ。これもそのままでは動かないのでコンバートするよ。
コンバート先はperlだったり、シェルスクリプトだったり、ベンダごとの独自スクリプトだったりするよ。
COBOLとかの実行プログラム移行も大変だけど、帳票の大量印刷はたいていバッチジョブでこなしてるので、JCLの移行もめちゃ厄介で大抵もめるよ。
Q4.80年代のものを使いまわすとか。新規で作ればいいじゃん
A4.お金が無限にあればできるよ。今の時代にお金があった時代のシステムをフルスクラッチで再開発するととんでもない予算になって市役所内の決裁が通らないよ。
しかも汎用機時代の納品は割といいかげんだったのか、仕様書が残ってなかったりするから、費用はさらにかさむよ。
Q5.そんなんでよく運用できてたな
A5.当時はSEが汎用機の付属品みたいについてって、困ったらオペレーターとして介入して動かしていたみたいだよ。
そうやって現場感覚バリバリでやっているので、オペレーターしか知らないプロセスがあったりするよ。
マイグレーション開発では総合テスト中にそういう隠しプロセスが「発見」されたりするよ。こわいね。
上記の通り仕様書がないことも多いうえ、システム課に限らず市役所の人員は基本ローテーションするよ。
導入当初の担当者が残っていることは珍しいし、30年も前に導入した汎用機のことなんてここ10年に入った職員にはわからないよ。
Q7.なんで入札にしたの? 現行ベンダに指名してやらせたほうが良くない?
A7.金額がでかいから、たぶんどこの市役所でも入札案件だよ。
随意契約(随契)は無理だし、入札業者を発注者が指定する指名競争入札は談合の温床になってたから最近はあんまりやらないよ。
(裏技としてRFPを指名したいベンダーに書かせて公募型指名入札にしたり、RFPの段階でハードを全部特定ベンダで型番まで指定するというのがあるけど、公になると多分問題になるよ。こわいね)
Q8.じゃあ役所は悪くないの?
Q8.悪いよ。
入札案件はRFPで書かれた各項目をどれだけ満たすかの技術点と、価格点で決まるよ。点が高ければだいたい自動的にそのベンダーに決まるよ。
なので、技術点の項目に現行システムの調査にかかる項目を入れるとかして、現行機の開発・保守ベンダが高得点を取れるようにしておけば価格勝負してくるベンダーをはじけた可能性はあるよ。
もちろん現行の会社に嫌われて逃げられたとか、役所が現行の会社をめっちゃ嫌いになって声をかけなかったとかもあるかもしれないけれど、可能性は低いと思うよ。
A9.ここまで述べたようにこの手のマイグレーションは火薬庫だよ。火を噴いても爆発しなければラッキーぐらいなので、強いて言うなら入札したことが悪いよ。
A10.前にマイグレーションをやったことがあるSEだよ。もうやりたくないよ。今は転職してSIerじゃなくなったからやらなくてよくなったよ。うれしいね。
しょぼいSEだからここに書いたことは個人の体験に基づく参照情報だよ。一般的じゃないことを言ってたり、間違ってたら教えてもらえると助かるよ。
(2017.10.13 追記)
Q3がかぶっていたよ。恥ずかしくてなきそうだけどブコメに番号で言及してくれている人がいるから忍んでそのままにするよ。
あと、「オープン化」の定義が違くない?という指摘があったよ。確かに増田が間違っていたので、記事の主旨から外れるけど補記するよ。
メインフレームは本文で述べたようにOSからハードまでメーカー謹製なので独自仕様のカタマリだよ。
これに対しPCサーバは標準規格で作られているよ。こういう標準規格に基づくサーバをオープン系と呼ぶよ。
独自規格でクローズしたコンピュータから、そうでないオープン系に移行するからオープン化なのであって、専用線とかは関係なかったよ。半可通な知識で語ってしまったよ、ごめんね。
京都市で火中にいるシステムズさんのサイトの解説がこの増田よりも分かりやすくて正確だから気になる人は見てほしいよ
http://www.migration.jp/column/column01.html
完全に余談だけどオープン系のx86サーバに移行しても、システムはそんなにオープンにならなかったりするよ。
H系に頼むとDBが拝承DBになったり、Fに頼むとシステム管理が全部SystemWalkerになったり、要するにベンダ独自のミドルに入ってがっつりロックインされたりするよ。
オープンソースソフトウェアを業務に使用するのが当然の昨今のコンピュータ業界では
普通に行われてることだったりもするけどね。
もちろん出てくるのは動画ではなく新たな別のオープンソースソフトウェアだけど。
BazzFeedが「この火が消えないうちに」pixivが「マストドン」にいち早く企業として参入したわけなんて記事を出していたけど、PixivがやりたかったのはただTwitterのパイを奪うことだ。
そもそもPixivは以前から、TwitterやLINEなどの短文投稿型SNSを真似た機能を追加している。6年ほど前に追加された「ひとこと投稿」、ほとんど使われていない死に機能になっているけれど、文字数は140文字、Twitterと同じだ。Twitterを意識したものであることは想像に難くない。
コメント欄で利用できるスタンプ、あれもLINEスタンプからだろう。こちらはそれなりに利用されているようである。
これらをパクリ云々する気はない。機能の模倣はある程度どんなプロダクトにもあることだし、明確に何かの権利を侵害しているとは言い難いだろう。
ただ、PixivはTwitterのような短文投稿型SNSに近づけるための工夫を以前から行っていて、それはこれまでのところあまり上手くいっていなかった。
なぜPixivがTwitterのパイを狙うのか。それはPixivが以前、Twitterにパイを奪われたからだ。
日本でTwitterが流行する前、画像投稿型SNSの最大手はPixivだった。ふたばなどの匿名型サイトや弱小投稿サイトもあったが、Pixivにとっては特に気にするほどの勢力ではなかった。
絵師はこぞってPixivに投稿し、Pixivのuser数がステータスであった。
ところが、絵師がTwitterを日常的に利用するようになって、様子が変わった。
Twitterは流動性の高いメディアで、検索機能は弱いし、まして画像をTwitterで検索するのは非常に難しい。だから、画像のデータベースとしての機能は確実にPixivの方が強い。
一方で、リアルタイム性という点では、圧倒的にTwitterが強い。そして二次絵はTwitterでは非常に拡散しやすいコンテンツである(ある程度の質があれば、だが)。あっという間に数百数千のRTが貰える。投稿してすぐにフォロワーのファンから感想が来る。絵師にとってこれほど嬉しいことはないだろう。
その結果、絵師が描き上げた絵を真っ先に投稿するのはTwitterになり、PixivはTwitterに投稿された絵の単なる集積場と化してきてしまった。
もちろん、全部が全部そうではない。しかし、Twitterは確実にPixivの競合となり、Pixivがかつての力を取り戻すには、Twitterと同じようなリアルタイム性を手に入れなければならなかった。
そして、それは失敗した。これまでのところは。
そこに現れたのがmastodonだ。mastodonはTwitterによく似たインターフェイスで、Twitterユーザーが移行するハードルは低かった。また、Twitter社の業績不振などのニュースによる不安も、mastodonブームを後押しした。
さらに、mastodonはオープンソースソフトウェアであった。サーバー運営のノウハウと十分なインフラがあれば、即座に立ち上げが可能であり、また、開発者がいればいくらでも改造可能であった。
初めは個人の立ち上げたmstdn.jpにユーザーが集中したが、個人運営ではいずれ限界が訪れることは明白だ。こちらはこちらでさくらのインターネットなどが後押しをする体制になっているようではあるが、現状の運営権は個人の手にある。
Pixivが運営するインスタンスとなれば、データ全消しなどが発生する可能性は低いだろう。そうしてオタク系ツイッタラーは大勢pawooにアカウント登録した。
pawooが二次児ポで国交断絶されたというニュースも、ユーザー数増加に拍車をかけた。つまり登録すれば海外からシャットアウトされるレベルのエロが見れるのだから。
こうしてpawooは十分なユーザーを手に入れた。Pixivはあれほど欲しかった「画像投稿型リアルタイムSNS」の雛形を棚ぼたで手に入れたのだ。
こう考えると、pawooの国交断絶は実は大した問題でないことが分かる。Pixivが欲しかったのは、自由でオープンな世界中と繋がるSNS基盤なんかではない。ユーザー数が十分にあって好きに改造できる二次画像を中心にしたSNSだ。
だからむしろ、うるさいことを言ってくるくらいなら国交断絶くらい構わない。pawooの中で盛り上がればいいのだ。もちろん、新規のユーザーを獲得するためにも、その盛り上がりは多少は外から見えた方がいいけれど。
だからpawooが今本当にやりたいことは国交正常化ではない。Pixivとの連携を強化する機能の追加、より多くのユーザーを内部に囲い込むための仕組み作りだ。
もちろん、企業というものはそういうものだ。全く利益を出さないものに投資をするわけがない。それ自体はそんなに悪いことでもない。
だが、Pixivが今回これだけ即座に動いたのは、以前からリアルタイムSNSの計画があったからであって、使命感などではないのだ。
あぁ、これは流行らないなと思った。
ASCII.jp:Twitterのライバル? 実は、新しい「マストドン」(Mastodon)とは!|遠藤諭のプログラミング+日記
記事をまとめると、Mastdonの特徴は次の4つに集約されると思う。
・ほぼTwitter
・サーバーの分散化によるリスク回避(中央集権体制に対するアンチテーゼ)
いうなれば、Windowsに対するLinux郡の構図である。
だが、いまだかつてWindowsより流行ったLinuxなど存在しない。
人類の歴史は、中央集権→革命→群雄割拠→中央集権→革命を繰り返すことで進歩してきた。
Twitterという中央集権に対するアンチテーゼたるMastdon、ないしGNU Socialは「革命→群雄割拠」に当たる。
しかし、Mastdonに「革命→群雄割拠」を起こし、Twitterに取って代わる素晴らしい特徴があるかと言われれば無いだろう。
OSS化されただけのTwitterのクローンである以上、結局Windowsに取っては変わらないLinux同様、Twitterに勝つことは出来ないと思う。
また、群雄割拠の先には新たな中央集権体制があることも忘れてはいけない。
Windowsという中央集権のアンチテーゼであるLinuxは現状どうなったかと言えば、
ほぼUbuntuとAndroidに集約されたと行って過言でない。
UbuntuとAndroidは明確に用途が異なるから交わることはないけども、群雄割拠の末にたどり着いた中央集権の構図である。
同様に鯖とか研究用とか用途ごとにディストリビューションはあれどとりあえず集約されている。
Mastdonも、最終的にはLinux群と同様に集約されるだろう。
おそらく、".cloud"(+".jp")しか残らない。だってLinuxのディストリビューション以上に差がないもん。
集約された時点で、「サーバーの分散化によるリスク回避」という特徴が死ぬ。
じゃあどうすればいいのって話だけど、
=鯖ごとにアカウント作る必要あり、鯖ごとに切り替えて投稿する必要あり
→ .cloudへの集約による中央集権化
→ 特徴が死ぬ
↓
↓
→ 面白そうだけど、なんかアレ感がある
つまり、
・サーバーの分散化によるリスク回避(中央集権体制に対するアンチテーゼ) → 意味がない
・テーマごとにサーバーを変えることも出来る → Google+の二の舞い
うーん…OSS大好きおじさん(老害)しか残らない未来しか見えないなぁ…
とりあえず誰かマスダドン鯖早く立てればいいんじゃないの
いい記事なのだが、いくつか反論や補足が必要だと思ったので書く。
このGPLのコンパイラとはGNU bisonやGCC(GNU Compiler Collection)について指しているのがほぼ明確なのでそれらについて書く。
確かに著作権法を元にしたライセンスは、ソフトウェアの出力結果に対してソフトウェアの著作権ライセンスが影響しないと解釈するのが妥当であるというのは正しい。
ただしこれは"著作権ライセンス"に限った話である、つまり著作権ライセンスでは不可能な制約がEULAなどでは課すことが可能であるということを意味する。
詳しくはGNUの書いた記事の"契約を元にしたライセンス"という項を読むと良い。以下に引用する。
https://www.gnu.org/philosophy/free-sw.html
ほとんどの自由ソフトウェアのライセンスは、著作権を元にしています。そして著作権によって課することができる要求には制限があります。もし、著作権を元にしたライセンスが、上記に記した自由を尊重するならば、まったく予期しない他の種類の問題があることはありそうもないでしょう(予期しないことはまま起こりますが)。しかし、ある自由ソフトウェアのライセンスは、契約を元にするもので、契約はもっと広範な制限を課することが可能です。これは、そのようなライセンスが、容認できないほど制限が強く、不自由でありうる、いくつもの形態がありうることを意味します。
わたしたちは、起こりうるすべてのことをあげることはできないでしょう。もし、契約を元としたライセンスが利用者を(著作権を元としたライセンスでは無理な形で)異常に制限するならば、そして、それがここで正当だと述べられていないのならば、それについて検討しないといけないでしょうし、そのライセンスは、不自由であると結論づけるかもしれません。
また元の記事の著者はGCCやbisonがGNU GPLのような強いコピーレフトで保護されたソフトウェアでも、それによって作成された著作物はGPLにならない(つまりコンパイラやパーサーのライセンスを継承しない)ことを根拠に考察しているようだが、実はbisonやGCCのGPLにはライセンスに対する例外が付属していることを考慮すべきである。
GCCやbisonの著作権保持者であるFree Software Foundationは著作権法の話をするとき、たいていアメリカ合衆国を想定しているがこれらの自由ソフトウェアが広く使われるあたって、著作権法とそれを元にしたライセンスが異なった解釈をされることがありうることをおそらく危惧している、そのため出力に対してソフトウェアのライセンスが影響しないことを確実にするためにこれらの例外を規定しているのではないか。
この二つの理由から、元記事の議論は世界中に対して広く配布するFLOSSディストリビューションでは(非常に残念ながら)鵜呑みに出来ないと私は考える。
加えて言えば、たとえフェアユースの規定が全世界的に利用できて、営利目的でなければ利用できたとしても、
自由.0: どんな目的に対しても、プログラムを望むままに実行する自由
(i.e. オープンソースの定義 6項 利用する分野に対する差別の禁止)
がある限り、そのような制限をディストリビューションは受け入れられないだろう。
またOracle vs GoogleのJavaのAPI訴訟はケースとしてはかなり特例であり、
一般に広く適用すればlibcすら当てはまるのではないかと私は思っている、
これを根拠にしてよいのならばそもそもコンピューター業界がひっくりかえるのではないか。
少なくともUbuntuのようなプロジェクトにおいて、私は断固反対である。
というのは現状ほぼすべてのWeb翻訳(例外があれば教えて欲しい)はプロプライエタリないし、それと同じ結果をもたらすSaaSSだからである。
Webブラウザを介して使う翻訳サービスはSaaSSの代表例であり、ユーザーがコンピューターの計算のコントロールを
持つべきであるという自由ソフトウェアの思想と明らかに相容れないものである。
このようなサービスを利用することの弊害として、(例えば)Google翻訳に翻訳処理の計算を依存することにより、ユーザーの入力をGoogleが常に把握することが挙げられます。
もちろんこれはあまり良いことではない。
多くのFLOSSシステムディストリビューションは自由なソフトウェアを主に入れるというガイドラインを持っている。
アーカイブのごく一部にnon-free(Ubuntuならrestricted/multiverse)なソフトウェアがあるが、
これは事実上妥協の産物であり、排除しても大した問題がないならば配布から除外することに多くのディストリビューション関係者は異論を挟まないだろう。
また例えばDebianはあるソフトウェアがDFSG(Debian フリーソフトウェアガイドライン)に適合するフリーソフトウェアであったとしても、それがガイドラインに適合しない著作物に依存する場合、contribというセクションに閉じ込めており、それは公式のシステムの一部ではないとしている。(建前ではcontrib/non-freeセクションはユーザー向けの付加サービスとされる)
Ubuntuコミュニティで新規に作られた著作物がコミュニティの哲学に反する物に依存するというのは、かなり致命的である。
たとえ奇跡が起こり、例外的にGoogle翻訳や一部のプロ用翻訳ツールがBSDライセンス(Launchpad上での翻訳用ライセンス)での出力を許したとしても決して褒められたものではない。
Ubuntuのbug#1に"Ubuntuソフトウェアは自由である。常にそうであったし、今後も常にそうである。自由ソフトウェアは万人に望むままの方法で使い、望むままの人間と共有できる自由を与える。この自由は多大な利点である。"とプロジェクト創始者であるマーク・シャトルワースが書いていることをよく考えるべきである。
https://bugs.launchpad.net/ubuntu/+bug/1
この反論を読んだ読者の中にはあまりにGNUプロジェクト寄りに思想が傾いていると思う者がいるかもしれないが、
いわゆる"Linuxディストリビューション"の中には数多くの重要なGNUソフトウェアがシステムの根幹をなす形で入り込んでおり(例えばGCC,bash,glibc etc...)
またUbuntuの派生元となったDebianの成立経緯にはやはりFSFが関わっている。
さらに言えば、システムの保守を手伝う人の中にはシステムがフリーだからボランティアで頑張っているという人もいると思う。(ほとんどではないかもしれない)
のでUbuntu周りの話に限ってはこういった観点で見てもよいと思ったので書いた。
免責: これは法律の専門家によるアドバイスではありません。この情報にしたがって行動した結果に対して責任を負うことはできません。
「Web翻訳の結果をオープンソースソフトウェア(OSS)の翻訳に突っ込んではいけませんという話」
http://blog.goo.ne.jp/ikunya/e/37e5a52e10ab26fcbd4f7ff867e9eace
この話では、「もちろん、利用規約的に問題なければWeb翻訳の結果をOSSの翻訳に突っ込んでも*ライセンス的には*問題ありません。」という追記がされてます。
ですが、プログラマの間で単にWeb翻訳をOSSに使ってはいけないんだという認識が広まってるように見えます。個人的には、この認識が広まってしまうのはいやだなと感じたのでこの文を書いています。
どういう話かというと、自分が個人で開発しているオープンソースソフトウェア(OSS)のドキュメントの日英訳をするにあたってGoogle翻訳を利用するか検討して権利まわりの情報をしらべた結果、これは白に近いグレーだろうという判断したので下訳に使ったという話です。(日英両方についてのドキュメント自体も、オープンソースのライセンスで公開しています)
念のため言っておきますが、これは元記事で問題になっている人を擁護するようなものではありません。翻訳コミュニティの人たちが自分たちのものにグレーなものを入れたくないと思うのは当然でしょうし、権利問題以外にも翻訳クオリティやその他の問題行動の話もあります。
コミュニティの思想にそぐわない人が、そのコミュニティの中で作業していくのは難しいでしょう。
もとの記事のとおり、Excite翻訳の利用規約には私的利用を超えた利用についての禁止が明記されています。こういった明確に禁止されているものについての話はここではしません。
ここでは、Google翻訳に焦点を当てた話をします。Google翻訳の利用規約はどうか?というと、Googleの利用規約については翻訳結果の利用についての記載がありません。
https://www.google.com/intl/ja/policies/terms/
記載がないということは、使用してよいのか?使用してはいけないのか?いったいどちらなのでしょうか?
機械翻訳の権利問題と似た構造の話に、GPL(GNU一般公衆ライセンス)で許諾されたコンパイラによってコンパイルした結果の利用があります。
GPLの本文には、GPLのプログラムの出力結果自体にGPLのものを含む場合にのみその出力結果にGPLが適用されることについての記述がありますが、GPLのものを含まない出力結果についてどういう許諾がされているかの記載はありません。
これについては、コンパイラによるコンパイル結果に対して、コンパイラの著作者はなんら権利を持たないと考えるのが一般的です。
https://www.gnu.org/licenses/gpl-faq.ja.html#GPLOutput
著作権法は人々があなたのプログラムとかれらのデータを使って作った出力結果の利用に関して、あなたに何の発言権も与えていません。
コンパイラと機械翻訳ツールとの違いが、対象が人工の言語であるか、自然言語かので違いしかないと考えるならば、Google翻訳の結果をOSSに利用することも問題ないということになります。
ウィキメディア財団の法務チームは、Google翻訳した文書のウィキペディア内での利用についての見解を公開しています。
https://meta.wikimedia.org/wiki/Wikilegal/Copyright_for_Google_Translations
これはアメリカの法律に基づく話ですが、CC-BY-SA 3.0やそれに類似するライセンスのコンテンツをGoogle翻訳で翻訳してウィキペディアで使用してもGoogleの著作権を侵害する可能性はとても低い(very unlikely)と結論づけています。
要点をまとめると以下の通りです。
ウィキメディア財団の見解には含まれていませんがアメリカの法律でいえば、さらにもう一つ「フェアユース」にあたるのではという話があります。これはGoogle自体がよく知っている話かもしれません。
これはAndroidのAPIにJavaのAPIが流用されていることについて、OracleがGoogleを訴訟したものです。
これについて、Java APIについての著作権が認められたものの、Androidでの使用は「フェアユース」に該当するとGoogleは主張し、カリフォルニア州サンフランシスコの地裁では著作権使用料支払いの対象にはならないという判決が下っています。
「フェアユース」というのは、アメリカの著作権法上の概念で、以下の4要素を判断指針として考えて公正な利用と認められれば、著作権の侵害とはしないと考えるものです。
ということになり、4つの要素どれをとっても、フェアユースであると認めることに対して有利に働きます。これは、AndroidのJava APIの流用と比べても、さらにフェアな利用であるように見えます。
(ちなみにGoogleの利用規約には、「カリフォルニア州の抵触法を除き、本規約または本サービスに起因するまたは関連するいかなる紛争に関しても、アメリカ合衆国カリフォルニア州の法律が適用されます。」と書かれています)
著作権情報センターのサイトに、 コンピュータ創作物についての文化庁の報告書が記載されています。
http://www.cric.or.jp/db/report/h5_11_2/h5_11_2_main.html
この報告書は、機械翻訳のユーザーが機械翻訳システムを使用するために行う原文の編集や出力の編集が創作的寄与となりうることを認めている一方で、機械翻訳の開発者が翻訳物の著作者になるということについては否定的です。
なお、原文解析等のプログラムの作成者及び汎用的な辞書データベースの作成者は、一般的に翻訳物の作成の精度、正確度等を高めることに寄与することとなるが、特定の翻訳物の作成自体にかかわっているわけではないので、その著作者とはなり得ないと考えられる。
これは平成5年とかなり昔に書かれた報告書であり、それから機械翻訳の技術は大幅に進歩しましたが、創造的個性の表現を目指して作られているもので無い機械翻訳であれば、やはり翻訳の結果の利用について問題がないようにみえます。
これにしたがえば、単純に文章をそのまま機械翻訳に投げ入れた出力結果は、原文の著作者の著作物。機械翻訳に投げ入れる前や後に十分な編集をしていれば、加えてその編集した人間の二次著作物になるということになりそうです。
これまで、どうしてGoogle翻訳の結果をOSSに使うことが白に近いと言っているかを説明してきました。
では、どうしてグレーなのかというと、新しい種類の権利問題なので判例がないからです。実際に訴えられたら負けました、ということもまったくありえない話ではないでしょう。
だいたい、ここまでが話したいことの半分です。ここからはグレーなものの良し悪しの話をします。
著作権などの権利問題についてグレーなことをやっているOSSというのはそれほど珍しいわけではありません。
有名なところでいうと、Monoが思いつきます。AndroidのDalvikがJavaのAPIを真似したものであるのと同じように、MonoはMicrosoftの.NETフレームワークを真似しています。つまり、Monoについても訴訟リスクはあっただろうということです。
しかし、OracleとGoogleが対立したのとは対照的な道をMonoはたどります。
2016年、Monoのプロジェクトを運営していたXamarin社は、そのMicrosoft自身によって買収されました。権利的にグレーだったMonoがMicrosoft公認のプロジェクトになったというわけです。
権利的にグレーだからといって、プロジェクトとして失敗に終わるわけではありません。
すこし元の記事に話をもどします。冒頭にも書いた通り、Ubuntuの日本語化プロジェクトに対してWeb翻訳の結果を突っ込むという行為は、批判されるべきだと思っています。
まずは質の問題です。現在のGoogle翻訳などは、UIの翻訳に向いていません。UIのほとんどは、意味合いが文脈に依存する単語や短文です。UIの翻訳は、実際にその機能を動かしながら、動作にあった訳語を割り当てていくべきです。
Google翻訳などを使って一括で、訳語を割り当てても良いUIの翻訳はできません。
( UIにとっての良い訳については、元記事のいくやさんがとても良い話を書いています: https://github.com/ikunya/howtotranslatelibo/blob/master/howtotranslatelibo.md#ふさわしい翻訳の考え方 )
次に、白に近かろうがリスクのあるものを入れることになるということです。Ubuntuの日本語化ローカライズであれば、すでに多くのユーザーが使用しているでしょうし、そういうものについてリスクのあるものを後から入れることになります。
そういったことを独断で黙ってやるというのは、歓迎されたものではありません。少なくとも、コミュニティに対して事前に方針を聞いたりすべきだったでしょう。
つまり、クオリティが低い上にリスクのあることを黙ってやったわけで、もちろん批判されるべきでしょう。
とはいえ、OSSには個々の事情があります。次は自分の場合の話をしてみます。
まずは質の話です。
自分のプロジェクトの場合、Google翻訳を使ったのはドキュメントです。日本語で書いたドキュメントをあたらしいGoogle翻訳に入れてみたところ、そこそこのクオリティの翻訳が出力されており、自分でゼロから翻訳するよりも、原文を翻訳しやすく修正したり結果に対して修正を加えていったほうが質と速さの両面でよいと判断したので、Google翻訳を使用しました。
次にリスクの話です。
OSSが企業に権利問題で訴訟されるということはめったにありません。OSSは公益性の高いものなので、むやみに訴えれば社会からの反感を買いますし、ほとんどの場合は訴えても大した金になりません。
訴えられるとすれば、そのOSSが十分に儲かっている場合です。もしOSSで大金が儲かったらGoogleから訴えられてしまう!どうしよう!と考えるのは、宝くじに当たったら強盗におそわれてしまう!どうしよう!と考えるのに似ています。
まず宝くじは当たらないですし、宝くじが当たったらそのお金で対策を行えば良いだけの話です。
実際Linuxでは、特許周りの対策としてOpen Invention Network(OIN)を設立しています。Linuxなどソフトウェアに対して特許を主張しないことに同意した企業から特許を買収して、そういった企業に対してロイヤルティー・フリーで許諾を行っている会社です。
これによって、Linux関連のソフトウェアに対して訴訟をしてきた、いわゆる「パテント・トロール」に対して訴訟をやり返すなどの対抗手段を得ているわけです。
権利問題で訴訟されたことによって失敗に終わったOSSというのはほとんどありません。多くのOSSは、作者が飽きたり、面倒な作業にうんざりしたり、誰にも使われなかったり、競合に勝てなかったりしたことで、フェードアウトしていきます。
結局のところ、自分の場合はGoogle翻訳をつかったところで、Googleにも、自分にも、ユーザーにも、世間にも不利益はなく、むしろドキュメントの質は上がって、Googleも翻訳を改善するためのデータを得られます。
わずかなリスクを避けるために、時間を割いた上、質を落とすというのはくだらないですし、そんなことに時間を使うくらいならコードを書いていたいものです。
結局、Web翻訳の結果をオープンソースソフトウェアで使うべきか、そうではないか?というのは個別の話でしかなく、ひとまとめにWeb翻訳の結果をオープンソースソフトウェアの翻訳にいれてはいけないとか、使うべきとかそう簡単には言えません。
質が悪いしリスクがあるのであれば単純に禁止で済む話ですが、機械翻訳が向上して、質が良いがリスクのある例が増えると話はさらにややこしくなります。
各OSSの翻訳者のコミュニティは機械翻訳の利用についてそのプロジェクトで使って良いかの方針を定めてやっていくしかなく、後からコミュニティに入っていくような人が機械翻訳を使いたい場合はコミュニティの方針を確認した上でやっていくしかないんだろうなあと思うところです。
似たこと考えたことある
・人がやるにはコストが大きい
・著作物が完全にID管理されて、一発で一次ソースが出る状態になっていない
・相場がない
・提供側が、どのように使われるか把握できない
・少額決済に合ったシステムがない
あと背景として
・コンテンツ業界の文化(コンテンツに興味あるけど、政治とか業界に興味がない)
ここらへんがネックだね
ITで言うところのオープンソースソフトウェアのライセンスくらいに流行ればいいとも思うけど、IT界隈ですら「揉めたときどうするか」とか「支払いの経路」などはあまり解決されていない
クリエイティブ・コモンズとか、本当はそこら辺をDeNAみたいな大きい会社が積極的にやってほしかったんだけどね(もう遅い)
現在情報系の研究室に所属していて,どの分野に進もうか苦慮している.
なぜ今情報の分野を専攻しているかというと,15歳で情報系に進んだから.
それ以外に理由はない気がする.入るまでプログラミングという言葉も知らなかったし.
これらの分野は恐らく図鑑というものを作りやすい分野だと思う.なぜなら(すでに当たり前だと思っている)事実が多いから.
それぞれのトピックの関連性が繋がっていたとしても,あるトピックを理解するのに,別のトピックを完全に理解していないということが,少なくとも小・中学生が読むような図鑑に求められた記憶がそれほどない.
当時から面倒くさがりで人一倍怠惰であった僕だけれど,そう言った図鑑を読む時間は熱い空白と少々の心地よい疲れがあった.
時間を忘れてというのは言い過ぎでも,暇つぶしに漫画ではなくそ図鑑を選び,隅から隅まで文書を読むことに苦痛を感じたことはなかったし,むしろもっと多くを語ってほしいと思っていた.
何も意識しなくとも,文章の内容が一回読めば理解し,記憶できる.今から思えば,現在では全く味わうことのできない感覚を,小さい頃の僕は知っていた.
一方で,思い返すと15歳から情報学に触れてきて,このような楽しさを感じたことは思い返せば今までで一度もなかったような気がする.
僕が楽しいと感じていたのは,同級生たちと点を競い合うゲームのことかもしれない.
中学生までは,何の苦もなく成績優秀者に名を連ねていたので,そのゲームは好きだった.
入学当初で既に高校数学をマスターするような人もいたし,既にLinuxで自宅のサーバ・ネットワーク環境を構築しインターネットの恩恵を享受している人も居た.
人が知識を習得するときに感じる感覚は人の数ほどあると思っているけども,少なくとも僕は,小さい頃に図鑑を読むような感覚で情報分野に触れることができなかった.
本当にただの一度もないのだ.図鑑を読む時のあの空白と疲労が.
つい先日もプログラミングのアルバイトに応募して,見事に落ちたわけだけれども,何も思わなかった.
オープンソースソフトウェアの公式の「このソフトは〇〇を行う素晴らしいソフトウェアです」の類から始まる英語を読まなくていいのかと思うと,開放感と少しの嬉しさすらあった.
こういうことに気づけた半分は就活のおかげなので,その辺は少しだけ感謝している.
僕の場合は,小さい頃の興味と今の望む生き方が80%くらい一致していると思う.僕は単純な人間だ.
例えば,アルゴリズムのような,「あることを実現するために,いくつも道がある」ような学問は苦手だ.
多分多くの人に誤解されるし,僕自身もよくわかってないけども,植物とか昆虫がどうしてこういう挙動をするのか,というようなことを考えるのは不思議と好きだ.
幼少期,本は好きだけれども,周りと議論ができなかったのが,このような思考をすることになったのに少し関係がある気がする.
親によく言われることだけれども,子供がそのまま大きくなったというのは,僕に関して言えば非常に的を射ている.
さて,タイトルの進路の話だが,本当に途方に暮れている.
現在専攻している分野には,少なくともプライベートをかけてもいいとはつゆほども思っておらず,しかもこのままいけばこの分野の業界に就職してしまう.
奨学金の返済もあるし,親には何かあった時にも経済的に頼るわけにはいかないので,このまま就職してしまうが,3~5年後には学部とはいかなくとも,植物・古生物系の大学院に入り直すという選択肢を考えている.幸い先例というか,その進路をとった人がいるので,話を聞くのも良い.
年齢的なそれもあってかコードを書くのも、もう潮時かなあと考えていた。実際、離れていた。
最近、案件で少し変わったツールが必要になり、オープンソース辺りで誰か公開してないだろうかと探してたところ
完全に合致するわけではないが、まあまあ使えそうなオープンソースのソフトウェアに出会った。
最初は、動けば良いかな。と。適当に利用出来れば良いかなと思っていたのだが
なんとなくのぞいた変更点の差分のソースコードの美しさに驚いてしまった。
・ 動きが変わらずとも丁寧に関数や変数の名前を修正していること
・ 機能の変更に合わせて、リファクタによる共通化がおこなわれていること。
数名のメンバーで保守されていてメインの開発者がこの辺りをまとめてるようだ。
普通、この規模のソフトウェアの場合、動き優先になってしまう。
というかそもそもメンテがされてないこともあり、ここまで丁寧にメンテされているモノはほとんど無いと思われる。
コミュニケーションも適切に動いていて、投げっぱなしになることなく開発の相談も行われている。
丁寧でありながら忍耐強い。このソフトウェアが支えられている理由で、美しいと思った理由がそこにあるのだと思う。
http://mikumikuplay.com/boeigun/
「ミクミク防衛軍」はブラウザで簡単に遊べる3Dアクションゲームです。このゲームは前作ユニティちゃんバズーカのオンラインマルチプレイ版です。ゲームのルールは簡単で、バズーカで敵を5匹倒すタイムを競うというものです。プレイヤー複数人で同時プレイすることが出来ます。ゲームのジャンルはサードパーソンシューティングになります。
複数人同時プレイの場合、自分が打とうと思った敵を他のプレイヤーに先に打たれてしまうと、別のプレイヤーの得点になってしまいます。なので、速いタイムを出すためには他のプレイヤーより先に敵にバズーカを命中させることが重要です。いかにして他のプレイヤーより早く敵に弾を当てるか?それを競うゲームとなっています。
ゲームクリアタイムはサーバに保存され、ランキングをゲーム画面やWebサイトで確認することが出来ます。
ゲームの開発は個人で行いました。
このゲームは多数の3Dモデル、音声ファイルを使ったオンラインマルチプレイ3Dアクションゲームです。
このようなゲームを個人で開発するのは一般的に難しいと考えられがちです。
1. 3Dゲームの開発には高度なプログラミングや数学の知識が必要?
3. オンラインマルチプレイを実装するのは難しい、サーバを用意するのも大変?
私は以前から3Dゲームの開発ツールUnityを使っていたので、1の問題は解決されていました。Unityを使うと高度なプログラミングや数学の知識がなくても3Dゲームを作ることが出来ます。
ゲームに使う3Dモデル、音声ファイルの素材もUnityのアセットストアやMMDモデル、無料素材を公開しているWebサイトで調達することが出来たので2も解決しました。今回使わせていただいた素材やオープンソースソフトウェアは以下のURLに一覧しています。
http://mikumikuplay.com/boeigun/page/thanks
初音ミクなどのMMDモデルをUnityで使用する際にはデータ形式をUnityで扱える形式に変換する必要があるのですが、MMD4Mecanimというツールを使うことで簡単に変換することが出来ました。
3のオンラインマルチプレイ実装ですが、Photon Cloudというクラウドサービスを使うことで簡単に実装することが出来ました。Photon Cloudはオンラインマルチプレイのサーバー機能とクライアントSDKを提供しています。これらをUnityから使用することで驚くほど簡単にオンラインマルチプレイゲームを実装することが出来ました。どれくらい簡単かというとPhoton Cloudにアカウント登録してAppIDを取得し、アセットストアからSDKをダウンロードしてサンプルシーンを起動するだけでマルチプレイゲームが動作しました。このサンプルを元にして機能を追加していき、このミクミク防衛軍が完成しました。
開発作業はニコニコ生放送で配信していました。するとリスナーがゲームの機能やデザインについてのアイデアをコメントしてくれたりして捗りました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm24672370
https://www.youtube.com/watch?v=z5T_SaMFJbA&feature=youtu.be
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。