はてなキーワード: プレデターとは
かりそめ天国で「昔の映画は話題作とそうでもない作品の抱き合わせだった。自分はプレデター狙いで見に行ったけど、同時上映のAngel Heartにはまった」とマツコが言っていた
Angel Heartはミッキーローク主演のサスペンス映画だ
自分はこの映画の公開からずっと後にレンタルしてわざわざ見た記憶がある
なんで借りて見たんだろうか?別にミッキーローク好きというわけではないし。有名監督だったっけ?(中高生の頃は手当り次第映画見てたので特に理由は無いのかもしれない)
なんかもう内容朧げだけど、雰囲気がすごく好きな感じだったのは覚えている
マツコ曰く「そうやってメインの映画と抱き合わせることで自分が興味無かった作品に出会うきっかけになってた」と
もし今同時上映復活したとしたら
「長すぎてやってられない」
これに尽きる
妻とか知人があんまり興味ない俺にも意見を求めてくるからちょびっと調べた俺の今の理解を書くけど、浅いと思うので間違ってたり考慮してないケースがあったりしたら教えて。ソースとかないです。拾い食いです。
なお、性別に引っ張られないようにヤバい方の親を「甲」、まともな方の親を「乙」と表現します。
●(精神的/経済的/肉体的)DVをしてきた甲から、まともな乙が子どもと一緒に逃げたケース
①家庭裁判所がちゃんとDVがあったことを認定し、共同親権は認められず、乙と子どもだけで手術や進学を決められる。子どもと甲との関わりはなくなる。
②DVがあったとは言えないと家庭裁判所が判断し、共同親権を認め、甲が子どもの人生に口出しをしたり定期的に子どもと面会したりする権利を得る。
●カルト宗教や精神的な病が原因で正常な判断ができなくなった(もしくはもともとできない)甲が、『乙はパートナーや自分の子にひどいことをする親失格の人間だ』みたいな嘘を子どもに吹き込み、一緒に逃げたケース
③家庭裁判所が乙による存在しないDVを見出し、共同親権が認められず、子どもの人生は甲に一任される
④家庭裁判所が甲の嘘を見抜き、共同親権を認め、輸血を禁止させたり進学を阻止したりしようとしている甲に乙が口出しできる
⑤家庭裁判所が共同親権を認め、子どもの人生の重要なステージにおいては話し合って方針を決める
●エイリアンvsプレデター!放置して新しい恋人と乳繰り合ってる親↔あいつと違って飯を食わせてやってるから文句禁止DV親が離婚するケース
⑥家庭裁判所が……どうするんだ?施設に送るの?ここまで終わってないけどこんな風なドイツ在住のブロガーが共同親権(子どもの生活のベースはまだマシな方の親と同居)になってた気がするからそうなるのかな?
肯定派の人たちは現在③の乙扱いされている人に「子どもをヤバ親に連れ去られた被害者なのに子どもに一生会えなくて可哀想!この法が成立すればきっと③みたいなことはなくなるから安心して」と思っていて、否定派の人たちは施行後生まれるであろう②の乙に「DVからなんとか逃げられたのに、加害者と一生関わり続けるなんて可哀想!」と思っている。
①④⑤しかないのが理想だけど家庭裁判所も間違えるだろうし、どれがどの割合になるかは分からない。海外を見れば分かるかもしれないし、日本では今まで単独親権でしかも母親が有利だったから参考にならないかもしれない。
備考
●国際離婚に際しての日本人による子どもの連れ去りは世界的にも問題視されている。話し合おうとする外国人パートナーから子どもと一緒に国外に逃げるのがハーグ条約の違反らしい。福原愛がこれをやった
●G20で共同親権がないのは日本・インド・サウジアラビア・トルコのみ(ジェンダーギャップが大きい一部の国で残っている古い制度的な扱い)
●2021年度の時点で、母子家庭119.5万世帯。父子家庭14.9万世帯。そこから死別や未婚の親を除くと離婚が原因なのは母子家庭の80%くらいで父子家庭の70%くらい
●母子世帯は平均年収373万円、父子世帯は平均年収606万円
●養育費未払いが母子家庭の3/4と父子家庭の9/10に起こっている(養育費払ってないくせに口出しはするわけ!?と否定派はまだ見ぬ②の甲に怒っている)
●協議離婚に関するアンケート(回答者1000人)での「別居の相手と話し合わなかった理由は何?」の回答:話をしたくなかった=37.9%、突然出ていった・突然追い出された=33.8%、相手が応じなかった=13.1%、DVや虐待で余裕がなかった&話し合いをすることが危険だった&別居時取り決めることに関する知識がなかった=それぞれ4.1%ずつ
俺の考え
国際的な問題になっている連れ去りを国内でも違法にするために共同親権にしたいのはわかる。「外圧に負けるな!日本では未来永劫単独親権のみであれ!」とは思わない。我が子と引き離されて親権取られて養育費もちゃんと払ってそれでも面会させてもらえない親とかいるだろうし、遅かれ早かれ共同親権になっただろう。そのことに異論はない。行ったり来たりで子どもが忙しいとか学校どうするとか両方新しい恋人作って子どもの居場所がないとかの問題もあるみたいだけど……銀の弾丸なんて無いからそこはしょうがないのかなと思う。夫婦別姓も然りだけど、制度として選択肢が多いほうが良いように思うし。
ただいくつか疑問もある。養育費を払わない奴に強制的に支払わせる仕組みを先に作るか同時に整備するかして、養育費を払わず口出しをする甲が生まれる可能性を潰してるの?【追記:ありました】あと家庭裁判所の負担はかなり増えるだろうけど親権の認定は数カ月〜数年待ちでミス多いですとかにならないの?いろいろなシステムにおいて「事前に整えておく」か「大きな転換になるから現場の人は大変だけど、一気に同時に変える」の方式を取るべきじゃないの?変更足りてなくない?そもそも父親と母親の単独親権の割合を半々に近づけてからの方がみんなの抵抗少ないんじゃない?あと新聞とかテレビとかネットニュースの人たちはもっと報じてくれない?俺スポーツ興味ないんだよ。
追伸
話し合いをしなかった理由:話し合いたくなかったからとか養育費未払いがいっぱいとかさ、もっとみんなちゃんと生きてよ。いい大人にお気持ちで動かれちゃ子どもも裁判所もアンハッピーですよ。「あ、こいつ話通じねーわ何話しても無駄じゃん」になる直前とかなった直後の、まだ話し合いするだけの理性が残ってるうちに離婚切り出しなよ。対話の拒否が一番子供っぽいよ。
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https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240308-OYT1T50047/
今までの法律は「別居してるけど親なんだから……扶養してあげたら?いや義務ではないけど……」といった感じだったけど、新しい法では「お前にも親権あるんだからお前も親のままだよ。当然養育費も出すよね?」という理論で養育費の支払いを義務付けられるっぽい。
何回かプレ維持してる位なんで、小遣い稼ぎに有料でコーチングやってるんだけど、
基本的にどの人もちゃんとメモ取ってたり真面目に話聞いてくれてダイヤ・マスターまでは行ける位になってるんよ。
社会人の方だったり学生さんだったり、普通にストリーマーやってる方だったり。
ただ、Vtuberの中でも女Vtuberはやる気の無さがやべぇの。
明らかにマウスの感度が低すぎて振り向きが超遅い&マウスの切り返しでバッタンバッタンするから視点暴れまくり
感度をもう少し上げてみてくださいと言ったら、私はこれで慣れてるから・・・・と拒否
エイム練習のソフトをやらせたら、感度低すぎてそもそも追えない(要は普段普通に走ってる敵でさえエイムが追えない)
なんならキーボード操作もガチャガチャうるさいだけで無駄な動きだらけ
一度PAD(いわゆるゲーム用コントローラー)も試してみたら?と提案したら、PADはダサいからやだ
お前はどうして欲しいんだ・・・・
これ、一人じゃなくて複数人似たり寄ったりの状況なんよ。
正直ブロンズランクのK/D0.02とかいう化け物のコーチングは無理と判断。
恐らく「プレデタープレイヤーと知り合い」とか「ランク同行してもらって盛ってもらおうと思った」位の考えだったんだろうなぁと。
俺はASD/ADHD(不注意優勢型)のハイブリッドだが、明示だろうが黙示だろうが納得できないルールに従うのは難しい。
無意味だと思うルールに従うのが苦痛でバイトを二度辞めた。定型発達者が無意識にこなす「とりあえず従う」がとにかくド下手なのだ。
幼稚園の頃、よその教室に出入りする際は「失礼します」「失礼しました」と言う規則があった。
しかし俺は納得できなかった。
以上の理由からいつもルールを無視して教室移動していたが、ある日先生にバレて廊下に出され、「言うまで入れない」と命じられた。そして授業が終わるまで、ひとり外で泣き続けた。
現在はこの手の日常マナー問題は「犬が尻を嗅ぎ合うようなもので、集団に馴染む意思を表す記号である」と解釈することでクリアしている。
それはそうと、未だ解せないのが外食時にテーブルで「いただきます」「ごちそうさま」を言う人。あれは何なんだ。
スタッフへの感謝ならレジカウンターで直接言えばいい。食材への感謝というが、死骸に手を合わせて何が伝わるというのだ。プレデターに「血肉になってくれてありがとう」とか言われて喜ぶ人がいるだろうか。そんなんええから殺さんでくれと思うのが生き物として自然だろう。食卓でマスターベーションをするな。
「残すと食材に失礼」という謎の負い目もそう。獲って殺した時点で失礼もクソもない。
「米粒残すな農家に失礼」もわからない。稲刈りの時期は田の周りに獲り溢した米が点々と落ちている。米に神が宿るならまず農協にクレームを入れろ。
俺は味覚・嗅覚・触覚が過敏で手先も不器用なため、食事関係の苦手がとても多い。そのため食事教の教義に従わないと無条件で人格否定してくる人間全般に激しい怒りを抱いている。何が「育ちが悪い」だ、死ね。
少し話が逸れた。
インターネットには我こそは発達障害者の代表でございという顔で障害特性を語る当事者が多く本当に辟易する。発達障害はスペクトラム、千差万別、100人いれば100通りの特性がある。傾向こそあれ白と黒に分別できるものではない。
作業所に通っていた時期があるが、知的障害の有無を問わず誰一人として「同じだ」と感じる人はいなかったし、むしろ相入れない人の方が多かった。
だからさぁ、断定調の方がバズりを狙えるのはわかるんだけど、他の当事者が誤解されかねないんで止めてくれませんかね。anond:20230930021538もそうだけど。俺あんたらと全然違うよ。
その証言を読んでいると、ジャニー喜多川という人は性依存症だったのではないかと思えてくる。
その勝手な印象について書いていく。
ジャニーの行為は、あまりに執拗で、強迫的に反復され続けている。
対象が未成年の少年という問題を抜きにしても、病的な印象を受けてしまう。
そんなことを考えていたら、調査委員会の報告書で、ジャニー喜多川氏自身が幼少期から性被害を受けていたという話が出た。
その話は報告書のメインではないが、これを読んだ時、さもあらんと思った。
ジャニーも性被害者だったのならば、彼もPTSDを抱えていたのかもしれない。
「だから免責だ」ということではない。
そうではなく、性依存症ではないかという疑いの裏付けを得た気がしたのである。
であるなら、なぜ被害者たちが加害者たるジャニー喜多川に純粋な憎悪を見せず、
「それでも尊敬している」
「感謝している」
と述べるのかも、わかる気がしたのだ。
あくまで印象だが、ジャニー氏は少年たちに依存していたのではないか。
というか、成長できずに、彼自身のメンタリティは少年のままだったのではないか。
愛想がよくても、精神的には大人の社会に対して孤立を感じ、真に仲間と言えるのは少年たちだけだと感じていた。
つまり、彼は少年たちに依存していたのではないか、と思うのだ。
そのあたりが、ジミー・サヴィルやハーヴェイ・ワインスタインと、ジャニーの違いではないか。
ジミー・サヴィルの被害者は、ジミーの番組に出た際に記念のバッヂを渡すと言われて楽屋に連れて行かれ、ドアを閉めるや否や、暴力とともに性行為を強いられたという。
しかしジャニー氏の暴力性は、精神的な依存の延長線上にあったのではないか。
だからわかりづらい。
ジャニー氏が少年たちのために、食事をつくってやったりなんだりと、ごくまめに面倒を見てやっていた話はよく知られている。
(もちろん性加害がそれで減じられるわけはない)
彼は、少年たちの前に、きらきらしい世界への導き手として登場する。
すごい人である。
雲の上の人だ。
そのすごいジャニーさんが、無名の自分にせっせと心を砕いてくれる。なんて良い人なんだろう、と少年たちは感動する。
それはいわゆる単純な「グルーミング」だけではなく、ジャニー氏にとっても楽しみだったのではないか。
いま、自分は少年たちに喜ばれている。好かれている。その仲間になっている。
彼らの魅力を引き出し、輝かせることも、天職と思っていたかもしれない。
言うなれば、彼は、少年たちの魂と一体化したかったのではないだろうか。
性行為がその手段だったかどうかまではわからない。単純な性欲もあっただろう。
しかし少なくとも、性行為は、ジャニーにとって精神的な苦痛を忘れる行為ではあったのではないか、と思うのである。
もちろん、性加害は許されない。
彼自身、性加害でこわされていたジャニー喜多川は、その苦しみを忘れられる行為として、性行為に依存した。
相手は「変な人がいるな」と横目で見ただけなのに、「目で誘ってきた」と思ったりする。
ジャニー喜多川もまた同様ではなかったろうか。
単に自分が「NO」を言える環境を与えていないだけなのだが、そのへんの事実は無視したのではないか。
考えたくなかったからだ。
少年たちを愛している。
彼はそう信じていただろう。
これは愛だと少年たちに信じさせようともしただろう。
実際のところ、ジャニーがやったのは、相手に依存し、傷つけ、侵略する行為だった。
しかし、それを愛と呼んだ。
その依存は、まるでほんとうに愛されているような一体感を少年たちに与えただろう。
被害者たちがジャニーを否定できないのは、意識的に計算されたグルーミングのためというよりも、そのためだと考えると、理解できるのだ。
それを癒すことを少年との関係に求めていた。少年たちに愛情を注いでくれていた。求めていた。
ジャニーの苦しみに巻き込まれただけだが、繊細で優しい者ほど、そんな相手を捨てることに罪悪感を持ってしまうものだ。
性愛でなくても、自分の問題にこどもを巻き込み、押しつける大人はけっこういる。
毒親と言われるのはそういう人たちだ。
ジャニーにとって、孤独の苦しみも、愛されたい・愛したい、という願いも、真剣なものだったかもしれない。
しかし実際のところジャニーが愛したのは、目前の少年たちではなかった。
彼が見ていたのは、少年たちに投影したジャニー喜多川……喜多川擴という、孤独な少年だったのではないか。
自分では愛しているつもりだったにせよ、ジャニーはただひたすら、「自分が」、救われたかっただけだった。
おそらく心底では、愛されてなどいないとわかっていたはずだ。
依存を深めれば深めるほど、孤独も深まり、それを忘れようとなおいっそう依存していき、性加害はやめられなくなっていっただろう。
そして被害者は増え続けた。
それは愛ではない。
それを愛だと思ってしまうと、「愛された」人間の苦しみはふくれあがる。価値観が歪む。呪いになる。
「あわれだけれど、愛ではない」と言わなければならない。
かつては、ジャニー自身が、プレデターのためにおなじように苦しめられた少年だったのかもしれない。
誰も彼には「それは愛ではない」と教えてくれなかったのだろう。
そして歪んだ結果、彼自身も、少年たちを歪めるプレデターになってしまった。
だが時代的にも、年齢的にも、メリー氏にはできなかっただろう。
当事者の会は、声に出せてよかったと思う。
彼らは少なくとも、少年を歪める者にならないですむだろう。
だがいま、声を出せない被害者もいるはずだ。
それでも、カウンセリングなどをうけて、ジャニーの呪いを解いてほしいと思う。
あわれに思ってもいい。憎めなくてもいい。
それでも、あれは愛だと思う必要はない。
米俳優ケヴィン・スペイシー氏、セクハラ裁判で勝訴 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3430158
スペイシー被告に無罪評決 英、性的暴行など全9件 | 共同通信
https://nordot.app/1056954426149126908
どちらの裁判でも訴状に上がった全件について完全に罪状を否定されて勝訴している。
ケヴィン・スペイシーってMeToo運動で訴えられた人間の中でも最大のプレデターでワインスタインの次くらいにやべーバケモンみたいな扱いされてたのに、これもうMeToo運動最大の被害者だろ。
弁明に自分は同性愛者であるとカミングアウトしたことも「都合よく性的マイノリティーの立場を利用している」とか言ってめちゃくちゃに叩かれてたよね。