はてなキーワード: パワハラとは
人出不足って、昭和規模のスタイルを令和になっても引き継いでるから人が足りないんであって、別に令和スタイルに縮小すりゃ良い話なんだよな。
人が多かった時代こそ使い捨てのパワハラ無礼講の地獄だったんだよなあ。君ら粗相したらスパナ飛んできた時代知らないでしょ(笑)
付き合ってた人に思いっきり振られてから自他境界を強く意識できるようになったかな。自分の心に巣食うパワハラ野郎や厄介ファンを相対化して鎮められるのはこの時の経験があるからだと思う
労災死傷者(林業、製造、建設、陸上輸送)を厚労省が公開しているけれど
千人率で見ると55歳以上になると死傷者率は男女比がなくなるし、どちらかというと女のほうが高い
逆に55歳未満は女の方が圧倒的に死傷者率が低い
15歳〜55歳までで死傷者率が高いのはぶっちぎりで15〜19歳の男(女もまぁまぁ多い)
25歳〜35歳が男女ともに最も低い
って考えると、「男だから危険な仕事に就いている」ではなく「男女ともに死傷する可能性がある仕事において技術的に未熟、あるいは体力の過信、もしくは体力の衰えを甘く見ている層の事故率が高い」なんだよ
だから女に肩代わりさせたところで同じくらい死傷するかと言われたらしない
同じくらい死傷させるために(それ以外を度外視して)女性を多く投入すると男の雇用が減るってわけだ
でも実際にそれは起きえない
次に女性が働くための準備が整っていない(林業・建設の業務の多くが妊婦に就かせてはいけない状態)
もちろん、体力的に肉体労働を行う際の労働力が下がるため補うための投資も必要になる
フェミニストに対抗しようと「死亡率だって男女平等だ!女が肩代わりしろ」としたいのならば、さすがに醜いとしか言いようがない
辞めても何も困らないし、ダメージも誰にも何にも入らないです
斡旋や裁判になると顧問弁護士や社労士動かす必要があるので面倒だなぁってなると思います
あっせんの申込みいきなりしても効果は薄いので再放送しておきますね
いちばんの解決方法は「いちいちツッコミが入るような自分が不得意な仕事には就かない」だけど、
なんらかの事情で不得意な職のままを過ごさないといけないなら、
「ご指導ありがとうございます。改善します」と伝える。反論や嫌な顔はしない。凹んだ顔も見せない。
何を言われようが気にしていない風を装いこちらから積極的に元気に挨拶し話しかけよう。
そのうち態度は軟化する。
これでも態度が軟化しないのならおそらく誰構わず不機嫌な態度を撒き散らすタイプの人。
たぶん増田以外の人に対してもロクでもないことを言っているだろうから、
というか産休って単語が出てくる時点でガチ目に働いたことなさそう
同じ自己重要感を持つなら、ぼきゅあたちがいなくなったら大変だからぁ↑(妄想)ではなくて、
『この私が経済的ダメージを受けていいわけがない』にしなさいな
戦うにも心の体力がいるとか言ったって、これは戦わなきゃいけないシーンですね
YouTubeで期間限定で公開されてたから有名作品だし見とくか〜と思って見たらもう最悪だった。共感も感情移入も誰にもできなかった。
木っ端役者のヤスが兄貴分で売れっ子俳優の銀ちゃんに言われて妊婦の小夏と結婚して養うわけだけど、まず銀ちゃんが図々しいだろ。パワハラとかの次元じゃねえじゃん。落ち目の女優妊娠させといて「堕ろせっつってもこいつ聞かねえんだ、今俺にスキャンダルがあったら困るのわかんだろ?」じゃないよ。マジで、本当に、「孕ませた女を適当な後輩とできちゃった結婚させることで醜聞を避けたい男」の気持ちが想像できねえのよ。時代が離れてるから当時の制作陣と客の認識が「あー、芸事の世界じゃこのくらいあるのかな」なのか「いやいや、さすがにやりすぎじゃない? ヤスも断りなよ…」なのか「はぁ!?何だコイツ売れてんのか知らねえけど何様!?(今の俺これ)」なのかわかんねえよ。とんでもねえパワハラカスキャラかと思ったらかっこいい兄貴扱いでした(CV: コウメ太夫)だよ。でヤスも聞くなよ。尊敬してる先輩だとしてもそんなひどいお願いされたら軽蔑しなよ。いや、本当に貧乏で基本的人権も半分無えような身分で聞かざるを得なかったのかもしれねえけどさ、だったら後から「大部屋の俺が断れるわけねえだろ」ってキレんなよ。「俺もどうしていいかわかんねえんだよう」みたいなこと言えば許されると思うなよ。「弱いところを見せるのはおめえだけ」的な美学でやっていい範囲を超えてるだろ。うだつの上がらねえてめえの媚びへつらいを棚に上げて辛さを訴えるな。臨月の妻を蹴るな。模造刀持って部屋で暴れるな。妊娠中毒症で苦しむ妻のために「コレがコレなもんで」っつって健気に働いたお前はどこに行ったんだ。泣きながら抱きしめて絆そうとするな。小夏も「あんた……(泣)」じゃないんだよ。そこまでされて許しちゃ駄目だろ。小夏の身分ってそんなに低いわけ?切られ役で十人でいくらみてえな扱いされてメインの男優に厄介ごと押し付けられて断れず了承して勝手にキレ散らかす野郎よりも発言権ねえの? 何をされても許し支える舞台装置じゃねえんだから意思っつーか主体性を見せてくれよ。銀≫小夏>ヤス(銀ちゃんのことがまだ好きだけど……まあまあそんなこと言わず……的な距離感の頃)のパワーバランスが銀≫ヤス>小夏になってたけどそもそもそんなでかいパワーバランスあるのもおかしくねえ?夫婦じゃん。押し付けられて仮初のスタートだったけど悪くない関係だったじゃん。弁当差し入れしたり結婚式の司会はこいつにお願いしたとこで……とか言ったあとキスしたりしてたじゃん。40年前の映画だから割り切るしかねえの? 「たまにおもしろいし憎めない愛嬌があるけど偉そうだし変な人ではある」ぐらいだった俺のおじいちゃんがマシな人だっただけなの? ジジイババアたちはこの上下関係と暴力にまみれた社会に慣れてるんだとしたら今の時代生きづらすぎるだろ。隔絶デカすぎて同情するわ。
あとそう、芝居が古い。オーバーで、なんかこ う中川家とか友近とかゆりやんレトリィバァとかならモノマネできそうな感じ。最後の最後にあるネタバラシからするとオーバーなくらいで良いのかもしれないけど……まあ単に自然な演技が王道になったのが割と最近(なんだよね? 詳しくないけど)だからこれはしょうがないか。で画質と演技が古いのに音質だけ変に良くて浮いてて、序盤「これ吹き替えしてんの……?」と気になって会話に集中できなかった。それと間とか緩急が少なくて忙しない印象だった(セリフが食い気味で気になるところがあった)。時代柄というか景気とか世間の風潮とかが絡んでくるのかも知れんし、本当にこればっかりはしょうがないけどね。
そんで見終わってコメント欄見たら昔は良かった一色というのに反吐が出る。「この頃は本物の俳優がいた」じゃねえよ。トーク番組とかインタビュー記事とかTwitterとかYouTubeとかが無かった(あっても少なかった)から俳優本人の自我とか制作の裏側が見えなくて偶像扱いしやすかっただけじゃねえの? 今は暴かれすぎてるのとお前らが老いてから出てきた若い人がいっぱいで見分けつかないからそう思っちまうだけだろ。そらクソ恋愛映画とか原作ファンをナメてる実写化とかアイドルの副業で俳優やってますみたいなのばっかだけど思い出フィルター取ったら昔もそんなもんじゃねえの。かわいいだけの棒読み女優だの一握りどころか一つまみの銀幕のスターだのだけで回ってる粗製濫造の邦画だのにまみれてた頃がそんなに恋しいかよ。
さいごに
5年前からパートで働いている職場は、パワハラ上司がいるので、日々人が辞めていく。即日退社、退職代行もたくさんみてきた。給料面や条件も別に悪くないのにパワハラのただ一点でみんな辞めていく。
少しでも機嫌を損ねると正座して叱られる。親の顔が見てみたいだの、犯罪者など、全然言われる。無視や嫌がらせも全然してくる。上司は怒るだけ怒ったら、落ち着きだす。職場内の監視カメラもチェックされていて、少しでも喋ろうもんなら給料泥棒めと正座。上司の前を歩いても、失礼極まりないだろ正座。なんでもかんでも叱られる。してないことも叱られる。事務員さんが座ってパソコンしていても叱られる。事務員さん中腰でパソコンしてる。
みんな「こんな職場はじめて」と言って辞めていく。私だけずっといる。初めの1年くらいは泣いていたような気もするけど、途中からどうでもよくなった。私が叱られている間も、一生懸命に仕事をしている間も時給は一緒だと気づいた頃から、どうでも良くなった。最近は、上司が機嫌悪くなる波動を感じたら、自分から正座をしてるときもある。正座慣れ、叱られ慣れしてきて、座ってるだけでお金もらえると思ってる感じもある。
遅刻してしまったときも、「まあ上司のが悪いことしてるよな」とあまり反省できなかった。ミスをしても「こんなところで5年も働いてえらいよな私」と落ち込まなくなった。先週叱られたときは、むしゃくしゃしていたので「じゃあ辞めましょうか?」とすぐ言い返してしまった。
上司は「ずっとおってくれるのはあなただけや」と泣いていた。上司はお誕生日プレゼントもくれて「こんなん部下にしたんはじめてや」とはにかんでいた。誕生日プレゼントのエルメスのスカーフは、そのままお母さんに母の日としてあげた。
5年前からパートで働いている職場は、パワハラ上司がいるので、日々人が辞めていく。即日退社、退職代行もたくさんみてきた。給料面や条件も別に悪くないのにパワハラのただ一点でみんな辞めていく。
少しでも機嫌を損ねると正座して叱られる。親の顔が見てみたいだの、犯罪者など、全然言われる。無視や嫌がらせも全然してくる。上司は怒るだけ怒ったら、落ち着きだす。職場内の監視カメラもチェックされていて、少しでも喋ろうもんなら給料泥棒めと正座。上司の前を歩いても、失礼極まりないだろ正座。なんでもかんでも叱られる。してないことも叱られる。事務員さんが座ってパソコンしていても叱られる。事務員さん中腰でパソコンしてる。
みんな「こんな職場はじめて」と言って辞めていく。私だけずっといる。初めの1年くらいは泣いていたような気もするけど、途中からどうでもよくなった。私が叱られている間も、一生懸命に仕事をしている間も時給は一緒だと気づいた頃から、どうでも良くなった。最近は、上司が機嫌悪くなる波動を感じたら、自分から正座をしてるときもある。正座慣れ、叱られ慣れしてきて、座ってるだけでお金もらえると思ってる感じもある。
遅刻してしまったときも、「まあ上司のが悪いことしてるよな」とあまり反省できなかった。ミスをしても「こんなところで5年も働いてえらいよな私」と落ち込まなくなった。先週叱られたときは、むしゃくしゃしていたので「じゃあ辞めましょうか?」とすぐ言い返してしまった。
上司は「ずっとおってくれるのはあなただけや」と泣いていた。上司はお誕生日プレゼントもくれて「こんなん部下にしたんはじめてや」とはにかんでいた。誕生日プレゼントのエルメスのスカーフは、そのままお母さんに母の日としてあげた。
https://x.com/noeasywalk/status/1786037637058535611
私はこの方とは逆で、組合を途中でやめたものだし、そこまで大きな話はなにもない。ただ、どうして組合員が低下しているのか、運営をしている方に伝わってほしいと思う。ただ、10年ほど前の話なので、今とは違うかもしれないということはご留意いただきたい。
私はある政令指定都市で小学校の教員をしている。組合は初任のときに入った。勧誘を受けたというより、職場のほぼ全員が加入していたので、「入るのが当たり前」という雰囲気にとてもじゃないが抗うことなどできなかった。私の働く都市の組合は規模も大きく、どの学校に行っても、7、8割は加入している。
仕事内容など説明を受けないまま入ったが、正直に言えば、いったいなんの活動をしているのか、最後までわからずじまいだった。とにかく、動員・研修・署名。その繰り返しだった。
動員はノルマがある。年に数回あるイベントに、入っている組合員で割り振られる。急に(少なくとも私にはそう思えた)「ここに行ってほしい」と言われることもあり、仕事を終えて会場や路上に行くこともあった。プラカードをもち、シュプレヒコールを上げている。「憲法改正反対!」とか、「自民党を倒せ」みたいなやつだ。これがいったい、教員の処遇となんの関係があるのか、私にはよくわからず、ただぼうっと立ったままそこにいるだけだった。
研修は夏季休暇や課業後に行われる。授業研究会のようなもので、テーマが割り振られ、指導案などをつくり、壇上などで発表する。これも学校ごとに年ごとに役割が決まっている。私がしたものは、「おんなじのでいいから」と、前々からある指導案を少し手直ししたものを発表した。これは年に何回かあり、自分の発表がなくとも、他の学校のものを見に行く義務があった。
ストは1回だけしかけたことがある。給与改定かなにかの交渉を本部がしているということで、朝組合員で一室に集まり、授業が始まるまで待った。結局、委員会がなにか譲歩をしたのか、組合側が譲歩したのか、よくわからないままストは中止された。それからは、ストの話は一度もない。
そして、これらのことは、全て勤務時間外か、勤務中に行われた。
何年かして、私の家族の具合が悪くなり、医療費やそれに類するもので、保険内診療だけで20万円を超えるぐらいになった。加えて、子どもも生まれ、育児にも時間を割かれた。組合費は月5000円ほどかかっており、前述したように、授業準備や家族との時間を削って動員などにも参加することは、かなり負担になっていた。ついに耐えきれなくなり、分会長に相談し、組合の運営に退会願いを申し出た。特に留意されることもなく、すんなりと退会することができたので、嫌味のひとつでも言われるのではないかと危惧していた私としては拍子抜けした。
だが、どちらかというと周りの組合員の反応の方が私には堪えた。いわゆる分会というものが校内で開かれると、私は職員室に残ったままなので、私が退会したことはすぐに伝わる。みななにか言うわけでないが、遠巻きにされる印象はある。直接「なんかあったときあなたは守れないから」と、皮肉めいて言ってきた職員もいた。学校を異動しても、組合員の割合は高いので、すぐに質問をされる。子どももいたので、フレックスや看護休暇などの制度を使っていると「子育てして制度の恩恵を受けているくせに組合に入らないのは何事だ」と言う職員もいた。私は、すみません、いろいろありまして、と頭を下げて答える。一度、事情を説明すればわかってもらえるのかと、家庭の状況を伝えたこともあったが、「みんな状況は同じだ」「だからこそ組合に入ってみんなでよくしていかなければならない」と、彼我の隔たりを感じ、それ以降は説明することを諦めた。
でも、と私は思う。果たして、いまある制度や境遇に、いったいどれだけ組合が関与したのだろうか。どちらかというと、世間の流れや、他県の事案に追随した結果なのではないか。よしんばそこに組合の努力があったとしても、どうして、いち組合員にそのように言われなければならないのか。権利を行使するには、金を払い、労働力を差し出さなければならないのか。それをしない者を、できない者を排除してきたのが、凋落している組合の本質なのではないか。
一度、保護者から大きめのクレームを受けたことがある。私は電話応対をしただけで、その対応はしごく一般的なものであり、今でも自分に瑕疵はないと思っている。だが、校長は、とにかくその保護者に頭を下げてほしいと言ってきた。私は当初拒否をし、経緯も文書にして伝えた。周りの教員も同情的に見てくれたが、誰も助けてくれる人はいなかった。その数年前に、組合員だった職員が管理職のパワハラに巻き込まれたときは本部にかけあってくれたのとは対照的だった。確かにそれはその通りだった。組合員でないものを助ける義理はない。だが、今回の投稿主の方が仰ってるように、それこそ新自由主義のもたらした分断なのではないだろうか。
結局私は、自ら弁護士に相談し、このようなケースにおける最善の方法についてアドバイスを受けた。最終的には保護者に頭を下げることになり、彼は訴えることもちらつかせたが、弁護士の「そんな裁判引き受けるヤツいないですよ」という言葉で、毅然とした態度で望むことができた。このとき思ったのは、自分の身は自分で守るしかない、ということだった。
本当に皮肉な話だが、組合のどんな活動結果よりも、組合費の負担(年6万)と時間内外の業務がなくなったことが、私の生活をいちばん楽にした。だが、それでも、私は、労働組合は必ず世の中に必要だと思っている。組合がなければ、この社会はもっと悪くなっていたし、力が弱くなったとはいえ、最後の防波堤のような存在だ。しかし、本当に残念なことに、今の私は、私の生活を維持することに精一杯で、未来の教職員の労働環境まで考えることができない。だから、この先、私が組合に入ることはないだろうと思う。
そう思っていたから、今回の投稿者の方の内容は胸にしみた。特に最後の部分の「分断」を憂う内容は首肯することばかりだった。彼のような人がいたら、私はまだ組合にとどまり続けたかもしれない。
だからといって、組合が組合員でもない人間を助けろ、とは口を裂けても言えない。それを私の側から言うのは驕った考えだ。でも、もっとなにかできることはないのか、とも思う。いま、私は組合員ではないので、組合の手紙は届かない。だから、彼らがいったい今、なにと戦っていて、どんな成果を出しているのかなにも知らない。これは本当に不幸なことではないだろうか。全国の教職員組合は、このような非組合員が、だんだんと増えていっているのだろうということに、ぜひ目を向けてほしい。
脳みそのクッソ浅い部分しか稼働しなくなってて、Twitterとはてブしか見てない。
「これをやるに至る歴史/背景」とか
「やらない言い訳」とか
「おれの正しさ」とか、
私がそう判定した(嗅ぎ取った)話を1秒も聞けない。
「で、やるんですか」とか
「つまり何をすればいいんですか?」とか
「ではこうすればいいのではないですか?」とか
「あの部署(人)と調整できてないってことですか?」とか
「人によって違うのでは?」とか
ツッコんでしまう。
お気持ちとかどうでもいい。
1秒でも早く結論が欲しい。