はてなキーワード: 真木よう子とは
https://anond.hatelabo.jp/20170828024450
記事内の、オタ・非オタであるか、アマチュア・プロ(法人)であるか、営利・非営利であるか、などは本件に関係ない見当違いな意見だと思う。
真木よう子のコミケ参戦はコミケの目的に反している。というより、全くの逆の考え方をしていると思うのだ。(目的と理念については後述)
コミケは同好の士の為の場だと思う。自分の好きなものを表現したり、見つけたり、仲間を探したり、そういう場ではないだろうか?
しかし今回の真木よう子の作品は、そこに当てはまるように思えないのだ。
理由は、彼女のクラウドファンディングのページにある。参考:https://camp-fire.jp/projects/view/40020
皆様と一緒にフォトマガジンを作ろうと、試みて居ります。 出版社を挟まず、皆様の御希望の写真、ワタクシの本音。等、多数載せる予定で御座います。
とある。
つまり皆様と一緒に、皆様のご希望の写真+αをクラウドファンディング――出資者を募って皆様のお金で作ろうとしている。
先述した内容の通り、コミケが同好の士の為の場だとしたら、彼女は一体なにが好きなのだろう?
写真だろうか、それとも二番目のワタクシの本音だろうか、あるいは自分自身が好きでそれを表現したいと考えているのか。
究極的に創作はそういうもので、何らかの形式やジャンルを倣って表現するのは、その為の手段のはずだ。
彼女が自分自身を写真という媒体で表現したいなら、写真という手法で自分というオリジナルのジャンル(或いは自分の好きなもの)を表現するとも解釈できる。
しかし今回の件は違う。
彼女は、皆様をしきりに強調している。
皆様のお金で、皆様の御希望の写真を、皆様と一緒に作りたい、と。
さて、最初に『全く逆の考えをしている』と述べたのはこの為である。
つまり、彼女は表現者として自己から他者へ好きなものを提供するのではなく、他者から自己へ好きなものを提供してほしいと言っているように思えるのだ。
クラウドファンディングの使用は、この点をより顕著にしている。
より皆様とお近づきになりたく、この様な企画を思いつきました。
とあるのもそうだ。
上記の文は明らかに、好きなものを外に出したい=表現したいとは書かれていない。
(もし自分の本音やそれに類する表現したい内容があるなら、ここに書かないのは不自然だ。穿った見方をすれば、他者の好きなもの(或いは自己への好意)を内に取り込みたいようにも見える)
この根本的な表現の間違いが、"真木よう子コミケ参戦問題"の肝だと思う。
自分の好きなもの(内)を他者(外)へ出す、のではなく、他者の好きなもの(外)を自分(内)へ入れる、という目的では、まるで読者(受け手)の目的である。
例え結果的には同じ出版物であっても、コミケの、そして表現者の目的に反しているという点が、この件の問題ではないだろうか。
真木よう子氏は既に本件について謝罪しており参加中止を表明している。ネット上のコメントやまとめには、当記事と同じような発言も幾つか見られる。
それをわざわざ取り上げ反論したのは、記事の内容に不満があったからだ。
筆者に悪気があったとは思わない。コミケ文化を憂慮して書かれた記事だと思うが、結果として悪い印象を与えていないだろうか。
彼は真木よう子氏に問題はないとし、各々の批判に問題のない理由を挙げている。
(なお、当記事への批判は以下が該当するように思われる。しかし交流と表現は別物であり、作家は表現を前提に交流している。当記事の反論はその表現が目的に反しているというものだ)
彼のいうように、オタ・非オタ、アマチュアや法人、営利や非営利はコミケには関係ない。それには同意だ。
だが、最終的にオタが非オタを排除したような結論になっているのはどうなのだろう。
とあるにも関わらず、皮肉にもこの記事はその境界問題を蒸し返しているように思える。
個人的な話をさせてもらえば、自分が子供の時分は、まだオタクが犯罪者予備軍という印象が強く、オタクというだけで世間から白い目で見られる時代だった。
だが、様々なメディアを介して有名になり人気も上がり色々な人が集まるようになり、現在は既にオタクと一般人の境界は限りなく薄く微かなものになったと思う。
そうした時代にあって、この記事は結局はオタクと一般人(あるいはそれに類する言葉)の影に怯えているように見えるのだ。
彼にはそう思えたのかもしれないし、実際そのような考えの人もいるかもしれないが、オタクであるかどうかはこの問題を正しく捉えていると思えない。
と言っているではないか。
コミケの参加に関わる内容は、コミケ参加者とすべきで、不要な言葉のくくりを認めるべきではないのだ。
これからの時代に大切なのは、曖昧な境界に怯えるのではなく、境界を取り払い同じであると主張する勇気ではないだろうか。
最初、タイトルに理念と書かず目的にしたのは直観的なものでした。(タイトルを先につけた)
なんとなくコミケの理念なんて仰々しいものでなく、もっと単純で根本的なものだと思ったからです。
記事を書いている途中で見つけたのですが、http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIsJpn201401.pdf
コミックマーケットは同人誌を中心としてすべての表現者を許容し継続することを目的とした表現の可能性を広げる為の「場」である
とあります。
当記事は、その理念の前半の表現者について、表現の目的に反している、延いてはコミケの目的を満たしてないと論じて、後付けですが一応タイトル回収?できているのではないでしょうか。
いやほんと、長々と失礼しました。
真木よう子氏は「明確なルール違反ではない」が「参加を認めると開催に悪影響を与える可能性があり」結果[表題]となるため、拒否する。
徹夜組の参加は「明確なルール違反である」が「参加を拒否すると開催に悪影響を与える可能性があり」結果[表題]となるため、黙認する。
なるほど、考え方は一貫している。
どうかと思うが。
問題が無いことを問題にしようとしているだけで、
どの批判意見もダブルスタンダードと化していることを文にしたい。
●「コミケは自費出版が当然だ。クラウドファンディングは間違っている。」
既にクラウドファンディングで新刊を出してるサークルは点在しているし、
これを言ってしまうと、一部の合同誌が存在を許されなくなる。
参加者を応募し、参加者同士で製作費を出し合うタイプの合同誌が存在しているのだから
作品を作る能力がなくても作品に費用算出枠として参加することは可能なはずだ。
もし、作品を作る能力が無いなら参加するなとの声があるのなら
一般参加者の存在が危うくなるし、
作品作れる作れないに関わらず同好の参加者だとの理念にも背くことになる。
この批判は共同出資のサークルをコミケから排除することになる。
●「コミケはアマチュアの場だからプロは来るな。」
実の所コミケにはプロが沢山来てるので、
今になってこれを言い出したら多くのサークルが出禁になる。
税金対策の為に法人化してるサークルだって一般ブースで出展しているんだよコミケ。
プロ漫画家の人が漫画を出し、プロアニメーターの人がイラスト集を出し、
プロゲーム製作者がゲームを出しているわけで、
よう子憎しでプロ批判をすれば既存のサークルも一緒になって批判されることになる。
今まで特に大きな問題になったことはない要素を突如問題にするのはズルくないか?
この批判はプロのサークルや法人化サークルを排除することになる。
●「写真集はコミケに相応しくない。ファン層がコミケに相応しくない。」
別にコミケはアニメ漫画ゲームの祭典ではない。
プロ料理人の料理本や、牛肉の写真集なんてものもあるし、
動物の写真集や手作り和紙人形を出品するお爺さんもいる。
それらを無視して女優の写真集はコミケではダメとはおかしな話。
当然一般参加者側もアニメ漫画ゲームだけのオタクしか来ないわけじゃない。鉄道オタクもいればアイドルオタクもいる世界。
何らかの強い好きがあるという意味でオタクと表現するなら、"女優オタク"たちが来ても問題ないはずだ。
勝手に「アニメ漫画ゲームオタクの為のコミケ」にしないで欲しい。
●「コミケのコの字も知らない一般人が雪崩れ込んできたら危ないだろ。」
一理ある話ではあるけど、
オタクであれば初参加でもコミケのルールを守るが、オタクじゃない人はルールを守らないって、
その選民意識は一体どこから来るのか。
漫画目当ての人はコミケに理解があるが、女優目当ての人はコミケに理解が無いって
そんな統計あるんだろうか?無いならただの偏見じゃないか。
「女優目当ての人はオタクに偏見を持ってるに決まってる」っていう偏見じゃないか。
●「ファンイベントでやればいい、コミケでやる必要が無い。」
つまり、大きな名前のある人はコミケに参加するなということだろうか。
例を出すと、東方というジャンルの公式は、既に法人化しているし、商業ルートで外伝出してるし、
東方専用のイベントも行っているわけなのだが、
東方公式はコミケに相応しくないものだからコミケから出ていけとなるのか?
第一コミケでやる必要が無いって、部外者が決めることではない。
二度目になるが、今まで問題なく続いてきたものを突然問題にし、
これがルールだと宣うのはズルくないか?
●「値段が法外すぎるからコミケに来るな。」
30P程度の本で500円とは一般書物からすりゃ法外な値段だが、それでも問題はないはずなのだが。
それを400円にする権利も600円にする権利も、あるのは製作者側だけのはずなのだが。
どんなに安いものでも興味がないなら買わないし、高いものでも自分が欲しいなら買うって世界で、
できるのは興味ないから買わないって程度のことで、値段が高い=コミケから追い出せとは繋がったら、
大手サークルも追い出されなければならなくなるだろう。
●「これがまかり通ったらコミケが芸能人に奪われる。」
多分それはよう子の前にいた芸能人サークルに言うべきだっただろう。
むしろ彼らを皮切りにしていると言っても過言ではないはずだ。
そしてサークル参加者を選ぶのは我々ではなくコミケ運営である。
オタクでも芸能人でも、受かったり受からなかったりするんだから、
コミケが芸能人まみれになることがあるとしてもそれはコミケの判断であり、
言うべきは参加芸能人ではなくコミケ運営になるはずだ。
企業ブースみたいな芸能人ブースはできるかもしれないけど、
それを判断するのもやっぱりコミケの運営側だ。
あと別に芸能人だからって売れるわけでもない。
●「存在がコミケを破壊する可能性がある!」
クリーンなオリジナル写真集を出そうとしてるサークルを危険視するのは
私にはよくわからない。これに声を上げるならもっと別に言う所あるのでは?
まだ問題の起こってないことに、わざわざ悪い未来を想定して
まるで既に問題が起こったかのように騒ぎ立て、
参加辞退したことに対し「惨事を未然に防げた」ように表現するのなら、
コミケの作品の何割が「コミケを破壊しうるもの」扱いされるのか。
二次創作はグレーだし、エロ描写も猥褻描写に引っかかる可能性があるもので、
時々版権元やコミケ運営からNGを食らう作品が出ているわけで、
「惨事を未然に防ぐ」にはこれらにも自粛辞退してもらうのが筋ではないのか。
●「コミケのルールを守れないなら参加はダメだ。」
言ってることは正しいように見えるが、
その実態は突如新たなルールを引っ提げて、特定の相手に押し付けているだけだ。
上記の通り、よう子炎上で言われ出したルールなんてものは、
今まで取り沙汰されることはなかったものだった。
これが今まで本当にずっとそのルールが守られていたのであれば良いが、
既存のサークルは許しながら、新しいものにはお前はダメだと言い張り、
さも昔からそうだったかのようにアピールする歴史修正主義者の戯言だ。
●「なんか嫌だから参加しないでほしい。」
結局"なんか嫌"が不信の元の大半のように感じるのだけど、
変にそれに正当性主張の為の理由付けをしようとして、
いらぬ所にまで攻撃仕掛けていってない?と思う。
"コミケを守る為に"って主語が大きすぎない?
上記の主張を全て正統的なものと認めたら
参加者応募NG、出資参加NG、プロNG、法人サークルNG、
アニメゲーム漫画以外の作品は全てNG、写真集も当然NG、
コミケ検定で合格しなければ参加してはダメ、
個別イベントのあるジャンルはNG、値段は全て一律の基準に則ること、
有名人はNG、少しでも危なそうな作品は全てNG。
てなことになると思うのだけど、
そっちのほうが既存のコミケを破壊する結果を招くんじゃない?
正直に俺が気に食わないだけだと言っておかないと、
コミックマーケットに流れ弾が直撃することになるよ。
320ページの雑誌制作を一人でやるのは無理だから助けがいるのは当然。
でもクイックジャパンの編集長がこの件に関わってるのは注目すべきこと。
なんででしょうね?
論客たちは自分の考えるコミケの理念について語り、いいねとRTを増やしている
これが、これこそがインターネットだ!というパワーを感じる
ムラ社会に対する批判が成り立つのはその社会がマイノリティに対して排外的、たとえば在日外国人や移民、難民などを排除しようとするときのみである。
一方、オタクの社会は今日いかにオタクが増えたように見えるからといって変わらずマイノリティの社会には変わりない。
実際にオタクは「オタク」と(今もなお蔑称を用いて)括られる存在である。
翻って、真木よう子は曲がりなりにも華々しい芸能界の住人である。むしろ彼女こそがマジョリティ側の人間であり、マイノリティ側への脅威になりうる存在なのだ。
先ほどの在日外国人や移民、難民などと類推して当てはめられる存在ではなく、むしろ「未開地」を開拓しに来た先進国の住人に近しい。
よってこの論理は的を外している。
・普段表現の自由を主張するオタクが表現の自由を抑圧するのは矛盾している
オタクが戦っているのは法的な表現の抑圧である。もし彼らがその戦いに負けたら彼らは表現の手段を失う。
一方、真木よう子は法的には依然として表現の自由が与えられている。彼女の芸能界におけるポジションがいかなるものかはよくわからないが、コミケに出せないからと言っても彼女にはまだ写真集を出すチャンスはあるだろう。
もちろんだからと言って真木よう子がコミケに参加すべきでなかった、という話にはならないが、この批判が当たっていないことは疑いえない。
いや、真木よう子って誰だよ?
そりゃニュースは見るけどアニメ以外のバラエティ番組なんて全く見ないよ。アニメばかり見ていたせいで学校で同級生と話せず、ぼっちの日々を過ごしたオタクじゃないんだねみんなは。
真木よう子の件。
それを排除したオタク達はおかしい。確かにそうなのかもしれない。
真木よう子は悪くない。それも賛成しよう。
『圧倒的にセンスがない』。
コミケは別にオタク要素がなきゃ売っちゃいけないルールはない。それはおおいにその通り。
老若男女、古今東西のオタクが一同に会する『オタクの祭典』であることもまた事実。
そこで本を売ると宣言した以上、オタク層を意識しないことは得策とは言えないし、
おそらくは真木陣営もその層の新規開拓を狙ってのことと容易に想像できる。
既存のファンとの交流であればそれこそファンミーティングを開けば良いのだし、
そもそもクラウドファンディングで投資をする人物は少しでも彼女に興味があるわけだから。
旗色が悪いと見るやコミケ出場を撤回したあたりからもそこは間違いないように思う。
以上を前提として、ここ最近でコミケで名を上げた芸能人を見てみると…
幸子しかり、西川くんしかり、叶姉妹しかり、ちゃんとオタク層向けのマーケティングをしてきているのだ。
対して。
彼女は一体何をしにくるのだろう?
彼女は『コミケで売れたい』ために何をするつもりだったのだろう?
彼女は『コミケで売れたい』と願う他の同人作家と席を争うに足りただろうか?
だから、私はこう思う。
真木よう子は、ドラマのキャラから言って姉御肌で、後輩の男子には、ケリとか入れてきそうなイメージだったから、
陰キャ達から、事前に拒絶されても仕方ない。
ドラマって言っても、モテキとか、SPとかの童貞早く捨てろよ、とかって素で言われそうだし。
棲み分けするのがイイよ。
一般の人たちでコミケに興味があって行きたいと思ってたけど、敷居が高くなって行けなくなった人もいるんじゃないの
そういう人たちのことも考えればみたいな意見を目にしたけど
今回ので敷居が高くなって行ける気がしなくなったのなら、コミケ行きたい欲がそれほどでもなかったと言うだけのことで
真木よう子氏の問題もそうなんだけど「コミケという特殊な環境」を理解していない人がコミケに参加する(一般でもサークルでもね)ことって怖いなあ…と個人的には思うよ
時折コミケに不慣れな方から「世間一般では常識として正しいけど、コミケという環境下においては著しく非常識な対応」をされることがあるんだよね。
例えばだけど、
夏のコミケはお盆時期の暑さが厳しい時期の開催だからサークルへの差し入れ品には
・すぐその場で食べる必要が出てしまうもの(アイスとか。サークル参加だと本当に忙しいので食ってる暇なんてない。ドロドロに溶けると本当に処分に困るので迷惑)
なんかはみんな持っていかないようにするのがマナーなんだけど、
一般常識として夏の手土産としてはゼリーやちょっとしたケーキなんかを持っていくのは常識だし、普通は喜ばれる品物なんだよな。
でもそんなルールはコミケという特殊環境下では一切通じないし、迷惑極まりないわけで……
趣味人としてコミケに参加し続けているうちにそういうルールって学んでいけるし、
初参加だとしても周囲に精通している”先輩”がいればそういう情報って伝授されていくものなんだけど、
最近はなかなかそうはいかないみたいで、自分の周囲でも「コミケを理解していない人のヤラカシ」の話題はよく聞くんだよなあ。
指摘して素直に聞いてくれる人もまあいるけど、なまじ世間一般ルールには反してないがゆえに「これは世間一般のマナーとして合ってるのに!」「オタクだから世間一般のマナーを知らないのか!?これは普通」だとか言って逆ギレしてくる輩もいるのが辛いところ……(確かにオタクには世間一般からしたら常識はずれな人もいるかもしれないけど、オタクにはオタクのマナーってもんがあるんだよ…)
話題になってる女優の方も、そういうコミケ独特のルール・マナーって理解してるor周囲にちゃんと導いてくれるセンパイはいるんだろうか…いないんだろうなあ…
理念には反していないかもしれないけど、真木よう子がコミケの理念を分かってたか?ってのには疑問でしょ
コミケがどんなイベントなのか(過酷・普通のコンサートやファンミ感覚で行ったら無理)を理解していない自分のファンに大して何も説明しないで、
それを諭そうとしてたTwitterオタクの意見は無視して自分へのアンチ意見だけを選んで掬い上げてファンとオタクの対立を煽ってたような姿を見ちゃうとどうもね……
そもそもコミケは徹夜対策の警備費(大部分は企業スペや有名参加者目当ての徹夜参加者)がかさんでいるせいで年々サークル参加者へのしわ寄せ(参加費の値上げ)が来ているけど、
それについては同じくサークル参加者の元増田はどうも思わないんだろうか?
営利目的の企業スペース誘致や話題集めになる芸能人参加者の増加がこのまま続けばどんどんサークル参加費は値上げしていって本来のコミケ層の「アマチュア」を圧迫するわけじゃん?
今回真木よう子が非難されてるのって、そういう積もり積もったコミケオタクの鬱憤が
「他のコミケ参加者を顧みない営利目的の外部からの参入者」の典型である真木よう子へ向いた形もあるんだろうよ。
叩かれてる理由はオタク的ではないとか、そういうことじゃなくて単純に自分本位な真木よう子の行動にムカついたオタクが多いってことじゃないのか
「個人的な体験談をダシにしてコミケ不参加を強制すんな」に対して「スペース前に人集めて周囲のサークルの妨害するなという言い分は正当」と言われてもだから何?なんだが。
日頃表現の自由を叫んでるオタクが真木よう子を排除するな!みたいな言説見るけど
オタクが全員言論の自由を擁護する活動してる訳ではないしオタクが全員真木よう子に批判的な訳じゃないだろ
お前の言うオタクって誰だよ
個人的には氏のこと全然好きじゃないんだけど、コミケの理念に反していたかというと決め手にかけていて問題があるとはいいがたいかなあと感じていたので、まあ本当にまずかったら準備会が落選させるだろう(通ったらそれはそれ)と思っていた。
ただ、氏への嫌悪感とは別に、発表されたあの企画でなんかいやだなあと感じたのは、キャンプファイヤーで出資者へのリターンで完成した写真集を後日郵送という形にしているのに、真木よう子氏がTwitterでただファンと会いたかったみたいなツイートをされていたところ。
企画に賛同して多少なり出資しようと考えるようなファンの人は、都合がつけばもちろん当日直接参加する真木氏に会いに行きたいファンだと思う。
実際にコミケに当選していたとして、氏のスペースがどれくらいにぎわったのか、どれくらいのファンがいる方なのかがわからないけれど、下手をすればスペースには長蛇の列で、頒布されている写真集を手に取らないと氏と交流することができなかったかもしれない。
そういう場合、すでに出資して郵送で現物を受け取る予定のファンは、氏の写真集をもう1冊手に取らないと会えないかもしれないのだ。そこがどうもいやだなあと感じた。
もちろん実際の真木よう子氏のファンは、彼女の企画も応援するし当日彼女と交流するためにもう1冊写真集を手にとるのも別に嫌とは思わず、むしろ喜んで受け入れるのかもしれない。
好きで応援している芸能人の力になれるのはうれしいことだし、そんな人の写真集は1冊と言わず2冊3冊、場合によってはもっと手元にあっても全然いい、むしろどんどん買う、なんて人もいると思う。(もともとおたくには、実用、保存、布教用に3冊購入も当たり前なんて認識もあるのだから)
でも一般的に考えたら同じ内容の写真集は1冊で十分だろうし(だって何冊買っても収録内容は同じなのだから)、例えば出版社や書店を介しての写真集発売イベントでチェキを撮るには5冊購入なんて特典がついてる場合以外は、好き好んで同じ内容の書籍を2冊以上買ったりしない人も中にはいるかもしれない。
コミケへの個人でのサークル参加はいちおう原則非営利なのだから、何冊刷って売ろうがそんなに大きな利益は出ないはずであるし、出版社や書店を介する写真集と違い売上の冊数が次につながるかどうかに直結することもないのだからファンは本当に欲しい分だけを手に取ればいいはずだ。
けれど前述のようにキャンプファイヤーへの出資者は事前に一律の郵送で写真集を受け取る形になるのだから、真木よう子氏はファンと会いたいと言いながらも、そういうファンの負担のことをあまり考慮していないのではないかなと、そういう印象を受けた。
単に彼女が会いたい、交流したいと思っているのがそういう点を嫌とも思わず喜んで何冊も写真集を受け取ってくれるようなファンで、1冊で十分と思っているような層ははなから彼女が会いたいと思っているファンではないのかもしれない。(それはそれでよくわかるので、そういうことなのかもしれない)
もしくはそもそも前提として、そんなに長蛇の列ができる規模ではないので、会場頒布分を会場で手に取りたい人波が引けたあとで、キャンプファイヤーの出資者と頒布物の受け渡しなどなしに交流する時間がとれたのかもしれない。それなら私のいやだなあという感想はお門違いだ。
また、キャンプファイヤーのリターン詳細に、たとえば希望者には会場で直接お渡ししますという一文でも入っていればこんな印象は受けなかったなと思うのだけれど、当日のお渡しを希望する出資者を名簿なりで管理してチェックし受け渡す作業というのも煩雑で、場合によっては列がさばけず周囲の迷惑になるかもしれないので、出資者には一律郵送という対応も仕方ない部分もあるんだろう。
ただ、全体的に出資を募るにしても説明不足、いろんな状況の想定不足な感が否めないと思う。
なので、個人的にはどうしても先に書いたような印象を受けてしまった。
自分の懐を一切傷めず写真集を出しファンの負担を考慮せずファンに会いたいという、彼女の世界には彼女の都合だけしかないように見受けられて、元々全然好きじゃない女優さんを今後もたぶん好きにはならない理由だけがさらに増えた一連の流れだった。
コミケってクラウドファンディングで資金募っちゃダメなん?
同人活動自体は、熱狂的に欲しい人にとっては事前にお布施することでブツを確保できるからメリット大きそうだし、つかってる人いそうだけど。
芸能人がネームバリューを使ってコミケ出展するのに、活動資金はクラウドファンディングで募るということだけを切り取ると「わー真木よう子ケチくせーな」という気はしてしまうが、
一方で、真木よう子のお宝グッズをお布施で事前予約したいという熱狂ファン層にとっては悪いことではなさそう。
まぁそれならコミケでやるなよファンクラブ作れよって言われるとまーそーかねーかもねー、とも思わないでもないけど、そんぐらい別にいいじゃんとも思う。
この問いを考えたやつは誰なんだ。芸能人というのはそれ自体がブランドだ。だから即売会に既に確立したブランドが入り込むことは忌み嫌われるわけだ。叶姉妹も自分たちの写真集を売っていればだめだっただろう。しかし彼らは他ジャンルの同人誌を発表するという方法で筋は通した。建前上、サークル主が金持ちだろうがなかろうが、たまたまどんな職業についていようが、それ自体は参加資格を疑われるようなものではない。
「真木よう子って誰?」という問いはこれを拡張するものだ。彼女が出してくるのは職業ジャンルのコンテンツなのだろう。しかし彼女には芸能人としての地位がない、ようだ。彼女が誰なのかを誰も知らなければそれは実質的に一般サークルと変わらないということをオタク達が承認することになる。この転がりの良いフレーズがどこからどのようにして来たのかは追及されるべきではなかろうか。
2001年 村上隆のSUPER FLAT展がアメリカで開催される。村上氏はこれ以前から活動している。2005年のリトルボーイ展ではオタク文化のきっかけはアメリカにあるという主張もしている。
2004年 中川翔子がブログを開始。オリジナルの言葉に加え2ちゃんのVIP板などで使われる表現を「しょこたん語」として広めたため反感を買う(これ自体は数年後の出来事?)。
2004年 電車男が書籍化。翌年には映画&ドラマ化。これらのメディアミックスの印税などはどこに行くのかが疑問視される。また2ちゃんねるにそれまでと違う層が流れ込み雰囲気を変えてしまったと言われる。
2005年 のまネコ問題。エイベックスがアスキーアートに「インスパイヤ」されたものとしてそっくりなデザインの「のまネコ」なるキャラクターのグッズを販売する。
2005年 とらぶる・うぃんどうず(OS娘)漫画化問題。ふたば☆ちゃんねる発祥のキャラクターが電撃大王で突如漫画化。しかし編集の上から目線の態度にふたば住民からは非難殺到。
2006年 アメトーークのガンダム芸人回に品川祐が出演。黒い三連星を黒い三連戦などと言い間違って批判される。
2009年 矢口真里がファミ通でコラム連載。他にもオタクキャラで売り出そうとして知ったかぶりを繰り返し、2ちゃんでコピペ化される。
2011年 カオスラウンジ騒動。ネット上のイラストなどを素材として作ったコラージュ作品などを発表し批難を集める。
2017年 真木よう子がコミケで自身の写真集を売るためクラウドファンディングを開始。コミケのマナー違反だとして批難を集める←★NEW!
他にもあったら教えてください。