個人的には氏のこと全然好きじゃないんだけど、コミケの理念に反していたかというと決め手にかけていて問題があるとはいいがたいかなあと感じていたので、まあ本当にまずかったら準備会が落選させるだろう(通ったらそれはそれ)と思っていた。
ただ、氏への嫌悪感とは別に、発表されたあの企画でなんかいやだなあと感じたのは、キャンプファイヤーで出資者へのリターンで完成した写真集を後日郵送という形にしているのに、真木よう子氏がTwitterでただファンと会いたかったみたいなツイートをされていたところ。
企画に賛同して多少なり出資しようと考えるようなファンの人は、都合がつけばもちろん当日直接参加する真木氏に会いに行きたいファンだと思う。
実際にコミケに当選していたとして、氏のスペースがどれくらいにぎわったのか、どれくらいのファンがいる方なのかがわからないけれど、下手をすればスペースには長蛇の列で、頒布されている写真集を手に取らないと氏と交流することができなかったかもしれない。
そういう場合、すでに出資して郵送で現物を受け取る予定のファンは、氏の写真集をもう1冊手に取らないと会えないかもしれないのだ。そこがどうもいやだなあと感じた。
もちろん実際の真木よう子氏のファンは、彼女の企画も応援するし当日彼女と交流するためにもう1冊写真集を手にとるのも別に嫌とは思わず、むしろ喜んで受け入れるのかもしれない。
好きで応援している芸能人の力になれるのはうれしいことだし、そんな人の写真集は1冊と言わず2冊3冊、場合によってはもっと手元にあっても全然いい、むしろどんどん買う、なんて人もいると思う。(もともとおたくには、実用、保存、布教用に3冊購入も当たり前なんて認識もあるのだから)
でも一般的に考えたら同じ内容の写真集は1冊で十分だろうし(だって何冊買っても収録内容は同じなのだから)、例えば出版社や書店を介しての写真集発売イベントでチェキを撮るには5冊購入なんて特典がついてる場合以外は、好き好んで同じ内容の書籍を2冊以上買ったりしない人も中にはいるかもしれない。
コミケへの個人でのサークル参加はいちおう原則非営利なのだから、何冊刷って売ろうがそんなに大きな利益は出ないはずであるし、出版社や書店を介する写真集と違い売上の冊数が次につながるかどうかに直結することもないのだからファンは本当に欲しい分だけを手に取ればいいはずだ。
けれど前述のようにキャンプファイヤーへの出資者は事前に一律の郵送で写真集を受け取る形になるのだから、真木よう子氏はファンと会いたいと言いながらも、そういうファンの負担のことをあまり考慮していないのではないかなと、そういう印象を受けた。
単に彼女が会いたい、交流したいと思っているのがそういう点を嫌とも思わず喜んで何冊も写真集を受け取ってくれるようなファンで、1冊で十分と思っているような層ははなから彼女が会いたいと思っているファンではないのかもしれない。(それはそれでよくわかるので、そういうことなのかもしれない)
もしくはそもそも前提として、そんなに長蛇の列ができる規模ではないので、会場頒布分を会場で手に取りたい人波が引けたあとで、キャンプファイヤーの出資者と頒布物の受け渡しなどなしに交流する時間がとれたのかもしれない。それなら私のいやだなあという感想はお門違いだ。
また、キャンプファイヤーのリターン詳細に、たとえば希望者には会場で直接お渡ししますという一文でも入っていればこんな印象は受けなかったなと思うのだけれど、当日のお渡しを希望する出資者を名簿なりで管理してチェックし受け渡す作業というのも煩雑で、場合によっては列がさばけず周囲の迷惑になるかもしれないので、出資者には一律郵送という対応も仕方ない部分もあるんだろう。
ただ、全体的に出資を募るにしても説明不足、いろんな状況の想定不足な感が否めないと思う。
なので、個人的にはどうしても先に書いたような印象を受けてしまった。
自分の懐を一切傷めず写真集を出しファンの負担を考慮せずファンに会いたいという、彼女の世界には彼女の都合だけしかないように見受けられて、元々全然好きじゃない女優さんを今後もたぶん好きにはならない理由だけがさらに増えた一連の流れだった。