はてなキーワード: 日教組とは
詳しく私の立場を言えば、自衛隊に就職する可能性のある子を持つ親である。
現在高校二年生、とある理由で将来の進路の一つに自衛隊が入っている。
息子は中学からずっとその為に頑張ってきていて、将来その方向で就職できることを望んでいる。
理由って何だよ!と言われるだろうから、申し訳ないがフェイクを入れさせて欲しい。
全く違うが方向性としては一緒だと思うのでそれでイメージして欲しい。
息子は船に乗りたいと、この四年と少しの間、土日も休まずその為の訓練を積み重ねてきた。
高校受験もその為に少し遠い学校を選び、毎朝六時に家を出て頑張っている。
だがいざ二年になり、この先どうするかと将来を見た場合、船に乗ることはそう簡単ではない事を知る。
まず専門学校も狭き門な上、入っても乗れる保証はない。大学はそもそもレベルも倍率も高い。
残念ながら頭の良い方ではないので大学はあまり視野に入れていない。
それでも息子は船に乗りたいと言う。
客船で船員として働くのでもいいじゃないかと思うが、どうしても機関が弄りたいのだそうだ。
進路指導の度に堂々巡りを続け、だが「それなら海自しか…」という一言を呑み込んでいる。
海自に入れば多分船には確実に乗れる。
なら現状、一番近いのが自衛隊だ。
(フェイクが入っているので、いや、船に乗りたいならこんな仕事が!とは言わないでほしい。)
今、憲法解釈で毎日揉めているような世の中で、たかが船に乗る為に命を危険に晒すのかと言われることは承知しているし、
私達の世代は日教組のガチガチの反戦教育を受けて育っているので夫婦共に戦争は絶対悪だと思っている。
解釈の汲み間違い一つで最悪の事態を招くだろうと懸念もしているし、自衛隊に入る以上NPOだろうと戦地に行く事に
なるかもしれない。海であっても弾を積んでいれば狙われる恐れも十分あるだろう。
そしてそれが妄想では終わらない可能性があることもわかっている。
我が子が死ぬかもしれない。
だがバカ息子は「船に乗りたい」と言う。
バカだ、本当に、どうしようもなく。
できるだけ止めようと思っている。現実に私の子供の命が懸かっている。
だがそれでも、どうしても船に乗りたいから海自に入るという選択肢を、
「現実に死ぬ可能性があり、それは自分の為でも家族の為でもなく、日本の為の、もっと言えば他人の為の死であり、
会った事も会う事もない上の人の命令一つで決められるようなことであり、しかも戦争において人間の尊厳は無いに等しい」
「だが厳密には自衛行為であり戦争ではなく、勝てば官軍であるように最悪の場合無意味に死ぬ事もある」
「それでもその夢は、諦めた場合その先の人生が無価値になるような夢なのか」
それら全てを知った上で、彼が選んだ場合。
それほど強い夢なら折れよう。
誇りに思う。
私のようなブラック企業務めよりはよほどいいさ。
だが。
だが私は、自らを護る権利も無く、むざむざと殺されるのだけはどうしても、勘弁して欲しいのだ。
具体的な話をしてくれ。
そのご大層な自衛権とやらは、この子や他の隊員の命は守れるのか。
日教組の人たちは
他国の国歌が
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂したりとか
敵の不浄なる血で耕地を染め上げたりとか
強硬なる争いだとか猛烈なる闘いだとか
この身を捧げて祖国を守ったりとか
敵の砲火に立ち向かったりとか
敵を撥ね退け神に身を委ねたりとか
今は帝国でもなんでもない(元帝国)なのに帝国をたたえたりとか
名指しで連合王国の一員をディスったりとか(ディスられた側は王の名前しか出してないのに……)
大砲轟き銃声鳴り響いたりとか
そういう実情を知らないのでしょうか。
命を捧げて自分たちが生活していく土地や未来を守ろうという意志とか、自由を得るまでの戦いへの敬意とか、歴史とかが込められてるじゃないですか。
大体そもそもお隣の歌詞に海が涸れて山がなくなるまで国よ続けみたいなのあるじゃあないですか。
(参考:http://www.world-anthem.com/index.html。どうでもいいけどメキシコ国歌の歌詞がぱっと見ギリシャ)
それはそれとして。
他国の国歌の歌詞をおとしめる意味は全く無いのですが君が代には戦のいのじも勝利のしのじもでてきませんよ。
元ネタは長寿を祈る歌ともとれるし、ラブソングともとれる、超平和な歌ですよ。
天使にラブソングをではMY GUY をMY GOD に読み替えたり
him がhim(彼、恋人)ともHIM(大文字ヒム、神)とも読めたりするのと一緒で
恋歌の恋人を君主に置き換えるなんてすてきじゃね? と私は思うんですが。
公正・平等という多元的な価値観を、「みんな同じ」という一元的な価値観に勝手に翻訳して誤解してるのが日本人じゃないの。少なくとも、戦前はともかく、戦後の教育が「みんな同じ」=画一性をすり込めなどという方針であった時代なんてないので、それを「教育のせい」と言われると違和感があるな。:(言うまでもないことかとは思うけど、公正とか平等というのは、本来、民族・主義・主張が異なっていても公正に平等に扱われるべき、という主張であって、多元的なルーツをもつ集団を前提としてるよね。)
もっとも、日教組は「日教組は長い期間、文部科学省(旧文部省)などの教育行政が、トップダウン方式で画一的な教育を指向することに反対し、現場の教員による柔軟で人間的な教育の実現を訴え対立」してきたと主張してるので、一部の人からは「画一性をすり込めと言われている」と見られていたのかもしれないけど、それ自体も誤解だと思う。
なぜアグネス・チャンが大使を務める日本ユニセフ協会が何故とりわけ槍玉に挙げられるのか。
(もちろん、それだけが理由ではないことは言うまでもないがここでは割愛する)
「中国人」であるアグネス・チャン(英領時代の香港生まれなので国籍はイギリス(厳密には本国生まれと扱いが異なる))が
ネトウヨの感情を刺激したからこそ、これだけ燃え上がったのだろう。
もし広告塔が韓国人だったらどうだったのかといえば、似たようなことはあったのかもしれないが、
少なくともチベットやウイグルを引き合いに出した非難の声はないだろう。
あと、もう一つ。アグネスが槍玉に挙げられていることによる影響を上げておく。
誰かがはてブで言っていたように、アグネスは弾除けの役割を果たしている。
他の団体や、警察、自民党の中の規制推進派が取り上げられることは少ないし、
ネトウヨ、とりわけ自民信者は自民党が規制推進寄りの姿勢を取っている現実や、
アグネスと安倍総理の交友関係などの不都合な話から目を背けることができるわけだ。
この日記の論点は2点。
1点目はなぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのかという疑問提起
2点目は文中の疑問にサヨクの人がどう答えるのかという純粋な疑問
中学の頃からの友人で両親が高校の教員をされていて日教組に入っている(本人がどうかは僕は知らない)友人A
一時は親友と言っていい関係だったと思うけど、今は疎遠となっている。といっても2年に一度くらいは会うのだが。。。
なぜ疎遠になったかというと、普段はとてもクレイジーで面白いやつなのだが、なにかことがあると(例えば現在の原発問題や尖閣諸島問題など)、勝手に「サヨク的発言」を熱く語りだし、面倒くさいから。また、それに反論すると即座に「軍国主義的」「国にだまされている」等とレッテルばりをして悦に入る。非常に鬱陶しく、場がさめるので自然と疎遠となった。
ここで1点目の論点。なぜ現代日本ではサヨクの人の方が言論や議論を否定したレッテルばりと一方的な言説を行うのか?
議論があるところには多かれ少なかれレッテルばりがあり、「サヨク」の人からは当然「ウヨク」の人はすぐに「売国奴」といったレッテルばりをするという反論があるだろう。
ただ、これは勿論僕の印象でしかないのだが、現代日本では例えば軍備の必要性を問うた場合に即座に「軍国主義」「帝国主義」などとののしられ、議論を行うことが出来ない印象がある。逆に売国奴などとののしる「ウヨク」の人はごく少数だ。
大抵の議論の場において僕の印象では、
『XとかYとかって条件があるからどうしても沖縄に軍が必要で、、、』
『うーん。そう考えざるを得ないし、なかなか難しいけど、、、』
『うん。戦争は嫌だよね。でも、攻められたら怖いし、守る必要があるからね』
『でもまあ相手が軍を持っていて攻めてくる可能性があるからね、だからこっちとしても対抗できる力は持っていないとね』
『ああ、軍を持ちたいって思想の人なんだね』
『?いや?戦争とか軍とかないほうが良いとは思うんだけど、でもあるのはしょうがないって話をしてるんだよ?』
『だからそういうことを言い訳にしてまた軍国主義に戻したいっていうんだろ』
『?いや?そんなことは言ってないんだけど、、、』
『やっぱり軍が欲しい、戦争をしたいって人にだまされてるんだよ』
というパターンにおちいることがほとんどのような気がする。なぜサヨクの人たちはこうやってすぐに軍国主義やだまされているというキーワードを用いて議論を終了させようとするのだろうか。本来的な思想として、左翼的な思想の方が議論親和性がありそうな気がするのに、なぜこうも情緒的でレッテルばりばかり行うのだろうか、、、
で、友人Aであるが、僕もすこしイライラして一度がんばってもう少し議論してみたことがある。
『とにかく軍を持ってはだめっていうのは納得がいかないよ。何度も言うけど攻められるのは怖いよ。攻められることがないくらいには軍を維持しておきたいよ』
『非武装なら攻められないよ』
(『なんでそんなこといえるんだよ』『非武装なら普通攻めないよ』)x2
『・・・ちょっと話し変えるけど、南京大虐殺についてどう思うの?僕は少なくとも強調されすぎてることが多いと思うんだけど』
『あんな悲惨な事件はないよ。ひどいことだよ。こういったことを繰り返さないために軍を持っちゃいけないんだ』
『南京大虐殺では非武装の人を日本軍がたくさん殺した。そう言ってるって理解していい?』
『もちろん』
『それは非武装でも攻撃される可能性があるっていうことだよね。しつこいけど、僕は南京大虐殺ってやつについてちょっと疑いを持ってるけど、それは別として』
『・・・』
第2の論点はここである。友人Aはここで黙ったのでどう考えているのか分からないのだが、他のサヨクの人はこの疑問にはなんて答えるのだろうか。もちろん、僕は国家として武装していない状態と都市が占領された後に非武装民がいることについて差異が少しあることを理解している。ただ、この条件下ではほぼ差異無く扱えると考えている。非武装の人を虐殺したという例(虚偽の可能性もあるが)を持ち出し、自分たちが非武装なら攻め込まれず非武装であるべきと説くその矛盾になぜ気づかないのか。
どれも10代20代の若者ばかりでじいちゃんばあちゃんがアイスボックス入ったとか聞いたことないし
それどころか見ようによってはそいつが虐めたように思われる。
また、いじめる人間の親が権力者だとこの構図をひっくり返す事は非常に困難だ。
困難な上に日教組などは権力者に有利になるように処置するような長い物に巻かれる主義のクズ揃いと来てる。
教育社会では、完全な縦社会が形成されているから、上への報告でいじめ問題を上げるのは将来的に不利になる現実があるため、校長はそれを報告したくても出来ないジレンマに陥っている現状だ。そのために学校を顧みないクズ教育者が成り上がり易い社会が形成されている。
例えば、現在の大津市教育長やたつの市教育長はいじめ問題で自殺した学校の元校長だ。
上への報告をしっかりせず教育者として立派に職務に当らないから、いじめを更に助長していく。
「喧嘩両成敗」の因習はこうした古い教育体質のために必然的に起こっている。
このために、いじめ問題が棚上げされるのは見るに偲びない。
はてなでブログを書くような人間は全員、子供のころはいじめられっ子だったに違いないと確信している私。
こうして増田で書いている私も当然いじめられっ子だったわけですが、それについての思い出話をひとつ。
いじめられっ子といっても、そこまで酷くならなかった(囃し立てられる程度)のですが、
それは初期の段階で「やり返した」からだろうなー、と思います。
よくマッチョな人が「いじめを話し合いによって解決するのは無理」とか「体罰を否定した日教組による戦後教育の歪みが云々」とか言ってますが、
彼らの話は正しいのかもしれません。まあ、殴り返して余計にいじめが酷くなったという話もまま聞くところですので、
いじめっ子を殴ってそれで沈静化した私のケースはむしろレアなのかもしれません。
ところで、いじめっ子は3人1組の場合が多いように思われます。
3.体が小さくて、いじめられっ子の側に回ってもおかしくないのだが、上手く立ち回ってそれを回避しているタイプ
さて、殴り返すとしたら誰を殴るべきでしょうか。普通に考えれば1ですよね。
でも怖いんです。人気があるからいつも誰かと一緒にいるし。
だから3を殴る。自分よりも弱くて、いかにも殴りやすそうな相手を。
正直、ビビりました。殴った相手が壁に頭をぶつけて、病院行き。
正々堂々喧嘩したのならともかく、自分より弱い相手を一方的に殴って怪我させたわけですから、いろいろ考えますよね。
菓子折り以て謝りにいかねばならないのか、とか、もしかして警察!?とか。
不思議なことにそれっきり何もなかったのですが(牧歌的な時代ですね。15年くらい前)、すると今度は「なんて卑怯なやつなんだ、自分は」
という罪悪感が襲ってきました。
実際、そうなんだと思います。一番弱い相手を狙って殴り、それで鬱憤を解消しようとしたわけですから。
「正当防衛」なのでしょう。たぶん。
でも、いじめっ子のような誇りも信条もないような人種と違って、栄誉あるいじめられっ子の私はプライドたかびーちゃんなので、そう思うのは仕方がない。
この一件から学んだことは、自分がそこまで強くもなく、本当の悪に立ち向かえるような勇気も持ち合わせていないこと。
一般化するなら以下のような感じでしょうか。
1.人間は自分が被害者であると強く思えば、どこまでも攻撃的になれる。
2.しかし、その矛先は多くの場合、問題の元凶ではなく、単に自分よりも弱い人間に向かう。
何でいじめられた私が反省せねばならないのか自分でもよくわからないのですが、要するにいじめとは
いじめられ続けても傷つくし、やり返していじめを終わらせても傷つく
という何このクソゲーな代物なわけです。
外国の作った試験を自国の教育に公的な形で組み込むとか、本当に正気の沙汰とは思えない。この場合はしかも、いちNPOが作っている試験だ。その試験に対しては、一体誰が責任をとるのか。
たとえばTOEFLを大学受験もしくは卒業あたりの目標として設定するとする。そうすると中、高の英語教育ではその目標に向かって勉強が進められるようになる。推進論者は、「そのことによって英語能力があがる!コミュニケーション取れるようになる!グローバル化!」と主張する。
だけど、この試験の作成に、ある種の「悪意」が入らないと誰が言えるのだろうか。
たとえば、TOEFLのリーディングセクションで、何らかの問題で、そのような解決策をとればアメリカに有利になるような言説ばかりを読ませるようにしたらどうだろう。あるいはライティングで、日本に不利でアメリカに有利になるような論の展開をとらないと減点される、という状況になったらどうだろう。子どもたちは一生懸命そういう「言説」を勉強するだろう。そしてそれをそのまま主張するようになるだろう。ライティング、スピーキングという意見表明が求められるセクションがある以上この危険性は大きいと思う。(それゆえ、移民に対する語学試験は思想調査とふるい分けの機能をも持ちうる)
語学の試験だからといって、そこに思想の偏向が入らないとは限らない。「日教組の偏向教育」には声を大にして異を唱えるのに、教育を外国に丸投げするような政策にはなぜ抗議の声があがらないのか。意味がわからない。
http://www.geocities.jp/gakuen_kova17/1042447885.html
Q01:休日には日の丸を揚げる人はウヨだとおもう Yes No
Q02:式典で君が代を一人で拒否もしくは起立のところを着席したことがある
Q03:朝日新聞(あるいは世界・赤旗)をとっていて、反日報道を読むと心が躍る
Q05:大東亜戦争は当事国全てではなく、日本だけに戦争責任がある
Q08:自分こそ日本の過去を心から反省する「愛国者」だとおもう(私財投げ打って賠償等は絶対しないが)
Q09:社民党や共産党の街宣車やビラをみると、つい心のなかでエールを送る
Q12:学校での発表や作文で「侵略戦争」や「平和憲法」と述べて、花◎が付いたことがある
Q14:酒の席で「日帝」や「自衛隊は違憲」と一席ぶって惨めな思いをしたことがある
Q15:中核派革マル派もしくはブサヨ過激派団体の会員である(会員だった)
Q19:石原慎太郎が嫌いだ
Qオマケ:ずっと護憲でいくべきだ
Qオマケ:ブサヨ(腐サヨ)、クサヨ(臭ヨ)といわれたことがある
【Yesの数】
20以上:あなたを真性のアフォ認定し、社会悪として隔離する必要があります
オールNO!です。うおおおおおおおぽおおぽぽおおお!!
Q01:休日だけでなく、365日欠かさず「日の丸」を掲げるであります!
Q03:「朝日新聞」は読んだことなどありませぬ。読めない字も多いです!
Q06:日本の伝統文化を愛する男が、女性にモテないのはおかしいです!
Q08:自分こそが心からの「愛国者」です(日本の為に命を捨てる覚悟です!!)
Q09:社民党や共産党の文字を見るだけで、「反日」という言葉が反射的に浮かびます!
Q10:本田勝一(ママ)という人はサヨンボなんだそうなので、読みません!
Q12:数学の試験で「アジアの解放」や「自主憲法制定」を述べて、0点を取りました。
Q13:戦後民主主義、個人主義は大嫌いです。国家主義者です!
Q14:合コンで「反米」や「国軍の創設」を一席ぶって、サヨ女を論破しました!
Q15:統一協会に誘われましたが、募金や壷売りがキツイので辞めました。
Q16:靖国オフには参加したいと思ってます。でも、なぜか呼んでもらえないのです。
Q17:古新聞の山のなかに朝日、毎日が多いと、ライターで火を付けます!
Q19:石原慎太郎は大好きです。犯罪系晒し上げ川柳も作りましたよ。
Qオマケ:いますぐ改憲です!もう我慢できません!!うおおおぽおお!
お前健全すぎて怖いよ(w