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はてなキーワード: 妄想とは

2024-08-14

anond:20240814003713

たとえ妄想と違う形になっても、復讐を実現できれば、無駄じゃなくなると思う

一般論復讐否定してくると思うけど、何も知らないやつのくだらない言葉に負けないでほしい


俺の場合、結局タイムマシンでもなければ解決できない夢にうなされてて、1日中気分が悪く、今日という時間も現に無駄にしてるから全然良くはない気がするぞ

復讐することで解決できるなら、復讐すれば済むことだしな

anond:20240814003524

俺はできもしない加害者への復讐妄想時間無駄にしたから、加害者の今に対して興味無いっていうのは良い才能だと思うよ

2024-08-13

VTuberおもんないよう

アーマードコアシリーズが大好きなのでAC6プレイしてるVtuberを1年かけて色々見てみた

以下AC6の実況全視聴した視聴したVtuber  

周防パトラ

葉山舞鈴

大空スバル

博衣こより

兎ぺこら

はづまこ

流レ星ミラ

阿弥あずさ

あと覚えてないけどもう10人くらい見た。名前忘れたが飲酒プレイしてるクアッドガリングの人は途中で離脱したけど

みんなプレイが上手いので普通に見てられるけど、なんか実況トークが無害というか無味無臭というか、無難故に旨味が無いっていうか…社会通念に従って女だからヨシヨシされてるって感じ

 

大空スバルは察しがよく頭いいんだなってのが凄いわかるし、葉山舞鈴も天然すぎてツッコミどころ多数だし、流レ星ミラのBL妄想配信もほんとにAC6好きなんだなあって思ったし、はづまこは今も対人で腕磨いて頑張ってるしところどころおもろいかなとは思ったんだけど…ほとんどAC動画は見なきゃっていう義務感で視聴してたし、二度と見る気が起きない

なんかパンチが無くてつまんないんだよな

ちな好きなAC配信者は愛の戦士、Mハシ、笑顔時間、Nathvie、加瀬康之、雨垂れ石を穿つ です

anond:20240813211409

へー随分と偏った男性観をお持ちのようで

それは妄想だな

anond:20240813211334

全然違うねそれはお前の妄想

2ch云々の話なんぞ歴史には何も残らない個人の盲言であり急に言いだした歴史修正

リベラルフェミニストが始めた戦争として処理されるだろう

死ねとか暴言吐くのは余裕がなさすぎですね

ウクライナ越境攻撃に関する妄想

++交渉材料

知識ある人たちからしたら現状では占領を維持出来るほどの戦力ではないらしいが、南部のドニプロ川の橋頭堡を維持し続けられてることを考えると実際には占領維持が可能なのかもしれない。

++橋頭堡化説

ロシア国内に入ってしまえば地雷原がないため機械部隊活躍させやすくなる。占領を維持して他に浸透するための入口にしたいのではないか

++陽動説

撤退戦でのリスクが高いらしいがロシアの防空網がボロボロでありドローンによる監視網、その他西側諸国情報収集してることを考えると大規模な部隊ロシアが送り込んでくる前に撤退可能なのではないかと思わないでもない。他を攻撃するための布石として一番ありえそうな説。また一度越境攻撃成功させることでウクライナ軍越境攻撃をしてくる、とロシア側が認識したのなら全戦線においてそれを警戒する必要が出てくるため二重の意味で陽動が可能になる。

クリミア奪還が目的なら地理的には最も離れてるので時間稼ぎに最も適してる場所だろう。

++ガスパイプラインが目的

ウクライナにもガスパイプラインが通っており占領維持が困難な戦力であるのならこれはありえないのでなかろうか。

++政治不安定化が目的

プーチン政治体制を揺らがせることが目的なのではないか説。ただこれが目的ならロシア国内革命を煽るなど直接的な行動もしないと効果が薄いように思う。

フワちゃんが言ったくらいの悪口は、幼い頃からずっとテレビで見せられてきたモノで、それがイヤでテレビを見なくなったくらいだから、今更大人らがあのくらいのことで大騒ぎしてんのはサムい偽善的すぎて気色が悪い通り越して不可解だ。

 

普段テレビを見ないから、フワちゃんやす子のパーソナリティ関係性について何にも知らない中で、

はてぶで上がってきてる記事だけ見た感じ、

今回フワちゃんお笑い芸人関取なら誰でも言ってて誰もが笑って流してるようなただの悪口でこんなに炎上して色々降板させられてるのって、

 

普段フワちゃん無礼芸をイヤイヤ受け入れさせられてる"エライおじさんたち"が、ようやくフワちゃんのしっぽを掴めたから全力で引き摺り下ろしてる」

 

という状況で合ってるのかな?

 

フワちゃんが"エライおじさんたち"に失礼なことを言う場合、"エライおじさんたち"は笑って流さないと「無粋」「古臭い」「大人気ない」とバッシングされるでしょ?

でも、

フワちゃんやす子に失礼なことを言う場合オーディエンスは「かわいそう」「裏垢誤爆に違いない」と言って、いつもなら守られてるはずの、フワちゃん側を叩き始めるわけだ。

 

これだけ見ると、"エライおじさんたち"差別な感じもするけど、

"エライおじさんたち"も若い女差別をしているんだよね。

ダウンタウン浜田突っ込みで同じようなことを言うのは、"エライおじさんたち"は笑って喜ぶじゃん。

なんたら言う関取が「アホ●ね」ってツイッターでリプするのは、"エライおじさんたち"は笑って受け入れるじゃん。

浜田に「●ね」って言われて「傷ついた・・・」なんてい言う芸人がいたら、そっちが叩かれるのは目に見えてる。

 

から、"エライおじさんたち"は、若い女差別主義をもっていて、でもそれが良くないことだとわかっているか普段は表に出さないようにしてるけど、今回はフワちゃんが足をすべらしたから、「いまがチャンスだ」と、ラジオ出演やテレビ出演やCMキャラクター降板させてるのかな。

 

とか考えたけどこの界隈についてな〜〜〜〜〜〜〜んにも知らんから全部妄想憶測です。

 

でも、関取お笑い芸人が言う「しね」と、フワちゃんが言う「しね」って、健常者からしたら明確に善と悪に区別できることなんかな?

僕は違いがわからないし、ここまでは冗談からセーフで、これ以上は悪意だからアウトだとか、発言者でも裁判官でもないのに、かってにジャッジできない。

それに仮にそんな線引きが本当に存在したとしても、しねはしねじゃん。冗談でも本気でも。僕個人はどっちもイヤだし受け入れられない。だからテレビを見るのをやめた。

まあでも、はてぶでもわりとみんな「これはアウト」「ライン間違えたね」など言われてて、

みんなからしたらくべつできることなんだなって。

で、浜田シネとか関取シネと違って、捌かれるべき悪なんだな。

 

わかんね〜〜〜〜。やっぱり僕は発達障害なのかな〜。って考えて、まじ鬱。

心療内科では定型っていわれたけどな・・・

anond:20240813083946

妄想はいい加減にした方がいいが無理なんだろうな

anond:20240812151810

10人?

あれか、お前は脳内妄想と会話するタイプか。

壁と喋ってろ

2024-08-12

エロ漫画を描き続けた結果、女に嫉妬する化け物になっていた

俺はエロ漫画家だ。

と言っても専業ではない。所謂兼業作家で、エロ漫画イラストを描いている。

アカウントがバレたら本当に生きる糧を失うため割合はボカすが、本業作家業で去年は1300万円程度稼いでいた。それくらいの規模のアマチュアだ。

増田投稿しようと思ったのは、自分感情思考を吐き出せる場所をどこも作っていなかったからだ。俺の過失なのに、本当に申し訳なく思う。

女々しく、醜く、気持ちが悪いと自分でも理解しているが、感情吐露したくてこの日記を書いている。

結論から言う。俺は女創作者やそのファンが許せなくなった。

正確に言うと、女であることを武器にしている女創作者とそれに群がる男たちが許せない。

それは作家業に限らず、配信者やVtuberなど全てにおいてだ。

そして、それに嫉妬している自分自身が何より許せない。

ことの発端は、とある創作アカウントを見つけたことだった。

執筆の休憩がてらX(旧:Twitter)を覗いていると、ひとつのR18系の創作アカウント投稿が目に留まった。所謂ちょっと攻めた性嗜好の開示イラストだった。

その投稿からアカウント本体のページに飛んでみると、本格始動から三カ月程度で、フォロワー数は三桁台。先ほどの投稿フォロワーからすれば十分に伸びていた。

俺はメディア欄を漁り、そのほとんどが一次創作であることに驚いた。

いまどき、一次創作にこだわる奴は馬鹿だ。名を上げたければ二次創作をやったほうが遥かに効率がいい。YouTubeで有名な某絵師もそれを認めているし、推奨している。

からこそ、俺はこのアカウントに好感を持てた。

昔、一桁イイねがザラだった時代に数百のイイねがついたときを思い出した。その時はフォロワー数のエグい有名作家たまたま俺の投稿をリポストしてくれた影響が殆どだったが、それでも、俺の絵が認められたような気がして本当に嬉しかった。今では数百数千のイイねなんて当たり前だ。

から二次創作勝負しないなんて骨のあるやつだと。俺は勝手シンパシーを覚え、応援気持ちを込めて、フォローしてリポストもした。

それから1か月後、件のアカウントが気になり、メディア欄を確認した。

その中にネイルアートを施した色白で細い指の写真があった。

まぁ、分かっていた。描き文字の癖や画面の構成的に、女だろうとは予想していた。

俺は人じゃなくて、作品を観て評価しているのだから、こんな投稿別にどうだっていいはずだった。

不意に、自分の指を見た。ごつごつとした男の指。幼いころの習い事で出来た傷痕。冬場だったからか、少しささくれが目立つ。

俺が同じ投稿をしたらどれくらいの反応が貰える?

なんとなく、その投稿無視した。

俺の中でこと切れたのは、そこからまた1か月後のことだった。

そのとき、俺は1時間くらいかけたカラーラフイラスト投稿していた。

少し手心を加えたカラーラフは労力の割に結構伸びる。フォロワー勝手に完成形を想像、補完し、期待を膨らませる。

すぐさまイイねがつく。いつも通りの伸びだ。いまだに通知欄に溜まる数字を見ると心が高鳴る。この数字は俺の努力に対する報酬だ。

作品が売れるのも嬉しいが、拡散され、俺を知る人間が増えるのはもっと嬉しい。

肯定でも否定でも、コメントがつけば心が躍る。それがアンチでも、無視されるよりよっぽどいい。

通知欄を眺めていると件のアカウントもイイねをつけてくれていた。この前のネイル投稿以来、考えないようにしていたのだが、久々にアカウントを覗いた。

フォロワー数は四桁に達していた。ファンボックスなんかも始めている。いつも通りメディア欄を確認した。

そこには、セーターとスカート姿の首から下の自撮り写真があった。

どこぞのテーマパークに行ってくると、添えられていた。

300イイねくらいついていたか

俺が、それくらいのアカウント規模の時は、300イイねも貰えなかった。

俺は、その300イイねを貰うために、様々な努力を重ねた。

受験勉強に耐え、そこそこの大学に進学した。

学歴はある種のリスクヘッジになると考えていたから。

休みが多く経営の安定している大手メーカー内定を何とか勝ち取った。

安定した生活創作の基盤になると考えていたから。

二次創作はしてはならない。

それは才能のない弱者のやり方だと考えていたから。

創作者は自我を出さない。

消費者作品を求めるのであって作者を求めていないと考えていたから。

それなのに、コイツは生まれ持った性別だけでこんなにも注目されているように思え、心底妬ましくなった。

そして、コイツにとって創作とは人生の一側面に過ぎず、それ以外は幸せで満たされ、煌びやかで充実しているとさえ思えた。

瞬間、今までの人生で抱いた不満や違和感連鎖が始まり、俺の狭い世界は毒で溢れた。

どこもかしこも、脳死で女を持てはやすばかり。

女を強調したコンテンツばかりが伸びている。

卵子に群がる精子が如く、釣られた馬鹿な男たちが挙って金と時間を注ぐ。

自分に才能があると錯覚した女が調子づく。

俺のような男は才能があっても誰も見向きもしない。

結局は男の配下となり生きていくのに、どうしてそんな無慈悲なことをするのか?

大人しくしていろ。

卑怯だ、下劣だ、妬ましい、羨ましい。

全てが俺の妄想なのに、真実のように思えて仕方がなかった。

そして、憎悪と同時に俺は自己認知の歪みにも気がついた。

俺が努力と呼んでいた全ては、創作にとって何の関係がある?

俺が勉学に励んだこと、自身を抑圧することに一体何の関係が?

俺は、世界は常に公正で秩序があり、自身は報われるべき存在の一つである錯覚していた。

自身正当化するため、自分の置かれた現実さえ捻じ曲げながら生きていた。

時間にして数分だったと思う。何か夢を見ていたような気がした。

そして、今までの人生がとんでもなく惨めに思えた。

自分創作人生を顧みる。

エロ漫画家になりたいと思ったのは、学生時代寮生活で貸してもらったペンギンクラブというにエロ漫画雑誌に心を動かされたからだ。

エロ漫画家に憧れるなんて変な話かと思うかもしれないが、モテない男たちが漫画雑誌を片手に賑やかに談笑する様を見て、もし俺の描いた漫画でこんなに楽しいひと時を作れたらどれだけ幸せだろうと思えた。本当に当時はそう思った。

でもいつしか、その目的手段に成り下がっていた。

できない、やらない理由創作押し付け自分人生犠牲にして皆を笑顔にしているのだと本気で思っていた。

結果、エロ漫画を利用してチヤホヤされたいだけの、小さな世界に閉じこもった醜く浅ましいミソジニストに成り果てていた。

疲れても苦しくても、ネームを描き、作品を仕上げていたのは読者のためではなく、肥大化した自己愛をどうにかして慰めたかたからに他ならない。

俺はただ、誰かに認められ、愛されたい人間であることにようやく気がついた。

俺は今でも創作を続けている。もう習慣になってしまっているから。

自分で作った毒が消えない。いまだに女の作るコンテンツ直視できない。

承認欲求をこじらせた無名のうわ言に付き合ってくれてありがとう

anond:20240812215543

俺は不幸になる家庭の数に変化がなかったなんて一言も言ってないだろ。妄想他人の話を捏造するのもたいがいにしろ

お前は明白に「年間100人以上殺されていたのはまちがいない」と言った。その数字根拠とまちがいないとまで言う論理を示すのはそっちの責任

他のツリーだが、「わからない」に耐えられない連中が党派性に頼って思想で決めつける、ってあったがまさにそれだな。

anond:20240812214736

安倍統一教会のせいで年間100人ぐらい余計に殺されてたのは間違いない

いつもの妄想言いっぱなしの嘘つきと思われないように、こういう主張には根拠となるソースロジック添えような。

『ボーはおそれている』視聴

3時間映画で長い。視聴後に解説サイトを見て4部構成説明されてたので、ここでもそれを使う。

第1部はハチャメチャで面白すぎた。

第2部は途中で寝てしまって起きたら逃げ出してた

第3部はスマホをいじってたら筋を追えなくなって気付いたら事件起きてた

第4部はああそういう映画ねと思いつつリアルのボーはどこでどうなったのか示されず気になるし解説サイトを探しても分からなくてモヤモヤ

 

ボーが超金持ちの息子という設定が気に食わない映画。それも妄想か?

>「著作権侵害天国日本」に世界の生成AI企業が引き寄せられている


コミケマンガアニメもそうだけどさ、日本ってパクリパクられの文化じゃん。AIと相性良いと思うけどね。 銃が無い国でパクられ妄想して大量殺人した国なんて日本だけ

anond:20240812080319

いやいや、書いてあるやん。

おかあさんはまっ青になって子どもたちをかばいました。いねむり

のじゃまをした子どもたちを、 さむらいがきりころすと思ったのです。

と書いてあるから、「いねむりのじゃまをした子どもたちを、 さむらいがきりころすと思った」が答えじゃないの?

俺も国語は苦手だったし、国語というのは国語教師自分たちしかからないオレオレ解釈をさも当たり前のように語る気持ち悪い世界だと思ってたんだけど、

大人になって、自分の子供の国語のまるつけをやるようになって、必ずしもオレオレ解釈世界ではないなとは思うようになった。

多くの国語問題文章中に書いてあることに気づきましたかという問題から文章中にコピペすればいいことがそれなりに書いてあるんだよな。

"普通"はこういう気持ちになって、こういうものみたいな、そういう気持ち悪いやつは要らない。

まあ、某学習教材の自由記述問題は、「それはあなた妄想ですね」って思う模範解答を書いていたりすることもあるので、

その時は俺も子供に正直に「文章中にこれについてのことは書いていないけれど、常識的にはこう答えるらしいよ」とか、

「お父さんもなんでこれが答えなのかわからないけれど、なんかこれが模範解答ってことにされているらしい」と話してるかな。

前者はステレオタイプとされることを肯定するような説明言葉を何も入れてないのにステレオタイプが答えにされているときに言うかな。

学習教材にそのことを相談したら、理由説明特になく、模範解答以外があり得ないという答えしかもらえなかったのでそれ以来相談してないし、

この学習教材はちょっとおかしい時があるから子供にも上記説明をするようになった。

閑話休題

この文章が40行目で終わっていての質問だったら、俺は元増田の答えも間違いだとは思ってないんだ。

だって、お母さんは侍が怒るかどうかを気にしてい入るけれど、侍が怒ることを恐れているとは書いてないからね。

「侍が怒っては大変だ」も「私も心の中の怒りの感情が押さえられなくなってしまうかもしれない」という意味解釈できる。

侍が怒ることに怒りを覚えたり、殺意を覚えたりするという感覚ステレオタイプではないけれど、ありえないわけでもないと思う。

でも、42行目がある以上、これは単に元増田文章を読み落としているだけと思うね。

2024-08-11

anond:20240811232644

えーなにそれ怖いじゃん!!

検索しても本当っぽい情報出てこなかった時点でなんか「お憑かれ様」に似てる話だったら怖いな~、とか妄想してたんだよね。

誰かがそういう意図で悪いまじない広めようとしてた、とかだったら怖いよね。

anond:20240811230043

お前の思うチー牛象全部箇条書きしてみてよ

その後AIに聞いて、お前の言ってる事全部頭おかし妄想に過ぎないの証明してあげるから

早くしろカス

自分の書いた小説面白すぎて続きが気になる

数年前、育休中の不規則な空白時間を虚無ってた時に、書き溜めたもの

話の元は、小学生の頃に妄想していたファンタジー世界の話で、暇な時間を使いに使って設定は練りに練っており、それを記憶から掘り起こして文章に書き起こしたわけだ。

何度も頭の中で反芻した話を文字に起こし、細かな不足は整えて読める内容にしたそれの存在を、復職してからずーーーっと忘れてた。

それをこの暇なお盆になんとなく読み返してみたのである

めちゃめちゃ面白い話だった。

個性的キャラクターテンポの良い会話、随所にちりばめられた伏線、こまかに練られた世界観設定、散らばっていた個々のエピソードが繋がっていく爽快感

これ、キャラ設定とかまとまってないの??

って片っ端から探したけどない。

どうやら当時は別の話を考え出してそちらに注力してしまったようだ。

えぇ〜気になるぅー!先生続きまだですかぁ!

ってどんだけ面白い話書いてんのか気になるかもですが、これが他人が見たら面白くないんだわ。(他一次創作ピクシブかに投稿経験アリで立証済み)

なんたってオーダーメード私好みの話だからね。

あぁこれの続きかけるの私しかいないなんて

仕方ないから書いてやるか!

先生の続編にご期待ください!

名探偵コナンのグッズラインナップでカップリング妄想してる人

Xでキャラグッズのラインナップからこれは公式カプになる匂わせだ!って喜んでる人を見たんだけど、

グッズの企画が、例えば映画なら上映の一年前位から計画されてるから

あんまり期待しない方がショックが大きくなくてすむよ…

プライズとかも映画アニメ連動させて企画してるから

ゲームなら企画から実装までのサイクルが短いからまだしも

コナン関連は匂わせだ!→セット購入ってオタクが元から多い

そもそもグッズの企画まで作者の監修がいってるかというとそうではない

いってたらそのコピーはつくだろうけど、大体はキャラグッズの会社企画提案するだろ

あとその会社先生の頭の中を覗ける訳ではないからな

匂わせだと妄想するより、先生の出したもの粛々と受け入れるしかないと思うぞ

独身限界おじさんだが、趣味SF小説を原価割れ転売している

 非モテ独身友人付き合いなしの限界アラフィフおじさんだが、独り身なので金だけは余ってる

 とある夜ひとりでお酒を嗜んでいる際にふと、そんなことを思った

「あれ?俺って生きてる意味なくね?」

 子供は勿論のこと、振り返ると自分人生は何も残していない糞して寝るだけの物だった。

 他人に誇れるような事はSF趣味ぐらいで、学生の頃からSFを熟読してきた。

 10代で既に生粋SFオタクだった俺はセンス・オブ・ワンダー世界妄想を膨らませてきたものだ。

 自分に出来るのは、この素晴らしい世界をより広めることかもしれない。

 本来であれば酔っ払い妄言に過ぎないが、幸いにも一緒に飲みに行く友人はおらず、翌日でも妄想を覚えていた。

 実行に移すしかないとSFの神はそう俺に告げている。そう捉える事にした。

 俺は自分が好きだったSF小説、影響を受けたSF小説、名作であると思っているSF小説Amazonで次々に購入し、週末に近場で行われるフリーマーケットに申し込んだ。

 フリーマーケットを見に行ったことは当然あるものの出店側となるのは記憶に乏しい。

 緊張し、前日の夜などはドキドキしてなかなか眠れないほどだった。

 当日は幸いにも晴天で、俺は用意した思い出のSF小説たちを売りに出した。

 どの小説も一冊200円で、中には価値を知る人が見れば驚愕するような作品も混じっている。

 当然、儲けは度外視だ。そんなものはどうでもいい。

 俺は、良いSFをただ多くの人に読んでほしい、知ってほしいと思い、出店しているのだから

 思いの外よく売れた。

 自分にとって思い入れの深い作品が売れると非常に嬉しく、小学生ほどの男の子が「幼年期の終わり」を興味を示し、買っていったときには感慨深い思いになった。

 あのワクワクしている表情、子供の頃の自分を見ているような、そんな気がしたのかもしれない。

 その日の晩酌は、いつもと少し違って感じられた。気づけば自然と笑っているような。

 そんな心地の良い酩酊感があった。

 久しく忘れていた感情のような、暖かいものを感じられたんだ。

 俺はこれといって世に何かを遺すことは出来なかったかもしれないが、少しでもSFに恩返しをしたい。

 だから俺は、この活動を続けていこうと思っている。

大きな物語が、人々を突飛な行動に突き動かしている気がする

大きな物語があれば、日常の小さな物語も何らかの意味を帯びてくるという、物語としてのありがちな構造が、人々に「大きな物語」を懇願させてしまっている。

まりネットやら社会活動やらの大騒ぎは、物語個別物語でなく、物語という存在全般だ)が扇動しているものだと言って良い。

日常のつまらない行動に意味を帯びさせるために、何らかの大きな行動に加わるというのは、物語による扇動効果しかないのだと、いつ誰が気づくのだろうか。

そして、昔の物語は、そういった大きな行動はいつか破綻をきたすことを結末としてちゃん提示していた。

現代物語は、大きな物語と小さな物語という構造は維持しつつも、大きな物語破綻が結末として描かれていない。

人々の、大きな物語に対する幻想を打ち砕かせていない。ただ、扇動するだけだ。

から現代の人々は大きな物語に耽溺し、その中で色々な過ちを犯し続けている。

まりインターネットやらに見られる大きな物語同士の抗争は、物語構造改革によって抑制できるのではないか

大きな物語扇動した上で、その悲惨な結末を如実に感じさせる、そういった純粋文学を描けば、抗争は治まるのではないか

ある妄想精緻に実現した上で、その論理の中で徹底的にダメ出しを行う、言うなら「行きて帰りし物語」的な構造文学が求められているのではないのか。

人々を、日常の小さな物語を堅実に歩ませるために。突飛である大きな物語に、感染させないために。

そう、ポリコレと呼ばれる物語抑制策も、そういう文脈解釈されるべきものなのかもしれない。

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