はてなキーワード: 嗜好品とは
・転売屋のせいで買えない
・買い占めている
→ゲーム機のように大量に供給され続けるものを買い占めるには無限の資本が必要で、非現実的。また、必需品以外は買い占めても問題ない。必需品は法規制されている。
→マスクは健康な生活という基本的人権のために必要。嗜好品は不要。金がなければ嗜好品が買えないのは当たり前。
→小売経由が正常だという決まりはない。契約自由の原則から、何を誰から買おうと自由で、小売で買う人が多いのは単に便利であるという以上の理由はない。
・定価(以下)で売れ
→定価販売は独禁法違反。販売価格を強制するのは自由競争という経済の基本原則に反する。価格は需要供給曲線で決まるのが合理的(ここで言う合理的は経済学用語)
・安定供給の妨げ
→安定供給できないのはメーカーであり、安定供給されていれば転売は発生しない。また消費者としては、金があっても買えないより金があれば買える方が安定して入手できる。
→買う人はそれを了承した上で買っている
・何も生み出していない
→列に並んだり抽選に当たらなくても買えるという価値を生み出している。さもなくば転売というビジネスが成立しない。
→「気に食わない」と同義。モラルは人により異なる。株や不動産などでは転売が当たり前に行われており、転売がモラルに反するという人はそれらに馴染みがないだけ。
→メーカーの社員でもない限りメーカーを儲けさせるために行動する必要はない。個々人が自分勝手に金儲けをした結果バランスが取れるというのが経済(見えざる手)。また、メーカーがザル対策しかしないのはメーカーが損という説が間違っていることを示唆している。
→それは転売の問題とは論理的に別。それらをクリアすれば転売しても問題ない。
→良い。法律とはざっくり言うと「やってはいけないこと」を明示することでそれ以外の行為の自由を保証するもの。
・お前転売屋だろ
今、はてなで小山田批判の次くらいに熱い、ルックバック統合失調症患者問題。
ただ、一方で、漫画の描写が統合失調症患者の偏見を強めるという意見に関しては完全に否定できるモノではないとも思っている。
統合失調症患者の描写に限らず、また「差別を助長する」と言われるような描写に限らず、あらゆる物語は正負を問わず人に影響を及ぼし、社会の価値観の形成の一助になるだけの力を持っているモノだ。
その力を無視して「漫画の描写が偏見を助長することなどない!」というのは、あまりにもご都合が過ぎるだろう。
だが、それでも俺は「差別を助長するのでああいう描写はするべきではない」という意見には頷かない。頷けない。
それは身も蓋もない話だが、物語の持つ悪影響ということを言い出したら際限がなくなってしまうからだ。
マンガに男の殺人鬼が出てきたからといって「男は全員殺人鬼だ」と思う奴はいない(anond:20210719195613)
※追記 引用元を間違えていた。正しくは → anond:20210719205459
どんな属性の人間が悪役と描かれていたって、それはその属性=悪とする歪んだ価値観の固定化に繋がる可能性は十分にあり得る。
あるいはどんな作品だって、わずかな敵キャラの悪行の描写から読者に悪徳を学ばせ得るし、可愛い女の子のキャラクターの姿が視聴者に不健全な形での性的衝動を呼び起こす可能性はあるし、不健康な嗜好品を嗜む姿で閲覧者に自分もと思わせてしまう危険性はある。
もし、そうした可能性を逐一あげつらって許さないと言っていたら、世の中の物語の9割以上が死に絶える。
大人気ヒット作も、歴史的な名著も、殺され尽くす。残るのは道徳の教科書の教育的な物語くらいではないか?
いや、度々、道徳とは何かという議論が起きていることを思えば、人々の考える正義の違いによってそうした物語も誰かにアウト認定されるだろうか。
「それは暴論だ、程度の問題がある」という人もいるだろう。
そもそも、ルックバックの描写が『程度』を大きく逸して邪悪な描写をしていたかと言われたら、そんなことはないだろう。
素直に読めば、あの殺人犯は物語においてただ理不尽な死を与えてくる存在というだけで、それ以上にフォーカスされるような点はないキャラクターだ。
批判している人たちだって、おそらくその半分くらいは批判のバズりを目にしていなかったら気にも留めなかっただろうし、多少「ん?」と描写に引っ掛かりを覚えた人だってこれが無名の新人の作品だったらわざわざ声をあげなかった人がほとんどなのではないだろうか?
ハッキリ言って、あの程度で許されざる描写と認定してしまうなら、どんな物語からでもいくらだって批判点を見つけることができてしまうハズだ。
結局、批判のやり玉にあがるかどうかに『程度』なんて基準はなく、流行りものの人気作だから、人気がなくて誰かも擁護されないから、インフルエンサーが批判しているから、マスメディアが擁護しているから、キモオタしか読んでないから、馬鹿な大衆しか持ち上げていないから、芸術的価値がないから、評論家気取りが持ち上げているから、俺が気に入らないから──、人々のそんなお気持ち次第でどうとでもなってしまうものなのだ。
もしも本気で人々に悪影響を及ぼす描写の規制を考えるなら、そのような恣意的極まる基準で規制することは断じて許されない。
少しでも偏見や加害や悪徳を生む描写は一律禁止にするしかない。
もしも、あなたが「偏見を生まないためなら、あらゆる物語を殺して回るべきだ」というのなら、それはそれで良い。
だけど俺は僅かな偏見の種を積むためだけに人々から物語を奪うことの方がより重篤な人権侵害だと考える。
そして、人々がこのどちらの意見を支持するか考えた時、俺は人々は物語を守る方を選んでくれると信じている。
まだ人類が言葉すら持っていない頃から、物語は連綿と紡がれ続け、今日まで人々に愛され続け、生み出され続けてきた。
そんな物語を人類が手放す日はけっして来ないと俺は信じている。
ルックバックの描写一つではなく、あらゆる物語の『正しくない』描写全てを秤にかけた時、人々が物語を守る方向に傾いていくれることを願っている。
だから、ルックバック批判に関しては、俺は一人の物語愛好家として強く否定をするし、もしもあなたがルックバックの殺人犯の描写を批判するというのなら、その時、あなたの好きな作品も含めたあらゆる物語を殺し尽くすだけの覚悟があってその批判を行っているのか考え直してほしいとも思う。
○追記
様々なご意見をいただいている中で、気になったこと、というか聞きたいことがあったので追記。
「表現の自由も批判も認められるべき」という中立的な意見が幾つも出てきているけど、そういう意見の人達はどこに落とし所を想定しているのだろう?
「その表現は人々や社会に悪影響を及ぼす良くない表現だ」という批判は、その表現の存在そのものを悪と認定するものだと俺は思っているのだけど、中立派はそうは思ってはいないのだろうか?
それとも、「邪悪だけど存在は許すよ」という立場なのだろうか?
俺自身も表現の及ぼす悪影響というモノは認める立場だけど、でもその悪影響をあって当たり前のことと受け入れるのではなく批判という対応を取るのなら、それは「その表現を許さない」という表現への殺意の表明なのではないかと受け止めている。
言い方は悪いが、「悪だとは叩くけど、その表現の命に自分から手をくだすつもりはありませんよ」という態度は、卑怯な責任逃れなんじゃないかとさえ思う。
自分なりの落とし所を持っている人がいたら教えてほしい。
shinonomen 批判=表現規制ではない。批判のお陰で読者は統合失調症への偏見に留意することができた。自由な創作と批判の双方を享受できる状態が最も健全だ。
「統合失調症への偏見に留意する」機会を作るなら、「この表現は良くない」と批判するのではなく、「統合失調症の人もそうでない人と同じで、人を殺す人もいればそうでない人もいますよ」とフラットに啓蒙するだけで良くない?
誰でも一度は舐めたことのある飴。
ウィキペディア情報によれば、なんと神武天皇も食べたという話が日本書紀にあるらしい。
実際に神武天皇が舐めたかはともかく、日本書紀が書かれた頃、既に飴はあったと。
そんな太古の昔からある飴も、時代とともに色々アップデートされてきた結果、今もなお代表的な嗜好品の一つとして健在なわけで。
酸味料を入れる、香料を入れる、色をつける、果汁を入れる、そして最近は酢や塩を入れたり。
そこに来て、個人的に微妙に思ってしまうのが、砂糖系の甘味料のみで味をつけ、他は一切フレーバーなしで無着色の、昔ながらの飴。
黒飴とか、鼈甲飴をそのまま丸い飴玉にしたみたいなやつとかね。
これ、現代人の口に合うか?
自分が学生の時分にも既にジジババ向けとなっていて、それより下の世代は見向きもしなかったのに、今こんなん作っても全然売れないんじゃね?
だいたい砂糖系の甘みだけの菓子なんて、今どきの嗜好的に重すぎるでしょ。
金平糖とか綿あめのように、極力軽い口当たりを目指しているとかならともかく、黒飴・鼈甲飴はその対極のどっしり系だし…。
あと、菓子は見た目の楽しさも重要な要素なのに、色的に黒とか茶色ばっかりで全然面白みがない。
嗜好品を求めて婚期逃しててくれまじで
俺はそろそろ嗜好用大麻が解禁するって海外のある街に行った際、地元の人の大麻についての価値観にカルチャーショックを受けた。
そこから、自分なりに調べたりしているんだが、雰囲気で「やばいやつ」、「人間をだめにする」みたいな考えが日本では流布していることがとても気になっている。
今、一部の地域で嗜好用大麻が解禁しているが、欧米では数年後にはほとんどの地域の嗜好用大麻が解禁になるだろう。
ここから、先進国での大麻についてのギャップが更に生じてくると思うし、日本はどういう道を歩んでいくか?というのを正確な情報を得て、
幻覚剤はLSD、マジックマッシュルームなどで大麻はそこに分類されない
ここは環境要因などといったところによるところがあると思うで一概にゲートウェイドラッグというものは定義できないとおもう
ただ、データとして上げたいのは日本の大麻、覚醒剤の摘発数(https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000544241.pdf)
大麻の摘発数が上がる一方で覚醒剤が減少しているというのをみると、
大麻がゲートウェイドラッグではないという1つの反例となるのではないか?
肉体依存というのはないとは言われているが、酒などと同様に精神依存はある
逆にグリーンラッシュという言葉で大麻ビジネス産業でとても利益を生み出している
まずは、大麻というのが長年に渡り、酒、タバコと同じように一般社会に行き渡っているから
また、摂取割合はさほど変わらないのに有色人種が逮捕される割合が多く、人種差別の温床となっていたから
一時的な健忘症となり日頃悩んでいるような慢性的なストレスから開放される
五感が研ぎ澄まされ、娯楽が楽しくなる
空腹作用があり、食べ物が美味しく感じる(逆にこの作用により肥満になりやすい)
注意散漫となる
今の日本の大麻摘発数の上昇を見ると、使用者が増えているのは確か
このまま進んでいくと、他の国と同じように蔓延し、解禁すると思っている
逮捕者が大量発生してなし崩しに解禁というのは脱法行為が正しかったみたいでとても気持ちが悪い
しっかり、討論をして、どうやっていくのか話し合って解禁するのか?それとも正当な理由、根拠でこれからも禁止していくのか?というのを国民は考えるべきだし、国は方針を出してほしい