はてなキーワード: 侮蔑とは
多くの婦女子諸兄には処女というのは特別意味のこもったワードらしくこのことについて書かれたブログやら何やらというのはまま見かける。
そしてそこに頻出するのが処女厨という言葉。もしこの単語が出てきたならば大体のところどんな主張を仰っているのかその想像はつく。
往々にしてこんな感じだろう。「処女を勝手に神聖視するな、処女をモノ扱いするな、処女厨こわい、きもい」
いつもならば眉を仰角30度くらいに吊り上げ一文字に結んだ口許からぐぬぬとでも漏らして終わりなのだが、今日ははっきりと言いたい。相手に処女を望むことの何がそんなにどうじてなにゆえ問題なのだ?
花も恥じらうご処女様と宮沢賢治よろしく欲にまみえむ童貞様が心も体も心身ともに結ばれ幸せそのものセカチューばりのプラトニックラブIT'S A BEAUTIFUL WORLD。
実に美しいじゃないか。
しかして正すべきのなにものもないこの世界に土足で押し入り踏み荒らしていくのが勝手に処女厨などとカテゴライズしたあげく遥かお天道様をも下す高みから見下ろしたもうたる輩だ。
彼等彼女等によれば女性に対して処女性を求める人物というのは分類学上の処女厨という範疇に収まり、それはもうおもわず目ン玉ひん向いてしまうくらいにリンカーンもビックリなご高配を賜る栄誉に預かるわけなのだ。
曰く、処女厨とは女性に対してワガママな妄想を抱いたあげくその自分本意な欲望を押し付けてくる怖くてキモい存在なのだそうな。
で、この処女厨ってなんなんだ?
ネット上には確かに非処女は肉便器とのご高説を垂れる手合いがいるが、ああいった連中のことだろうか。
ならば話が早い、あれは処女厨ではなくただ全方位に対してヘイトを撒き散らすのが目的の集団か、処女厨を隠れ蓑にした膜厨のどちらか、もしくはその両方を兼ね備えた人達だ。
まずヘイト集団は便所の落書きそのものだ、まともに相手をするのはバカと暇人だけでいい。
問題は自称処女厨の処女にあらずんば人にあらずなどとのたまう膜厨共だ。
まあこいつらの主張はごくシンプルで膜が有るか無いかの一点にのみことの是非が集約されている。膜があればよし、膜がなければわるし。
この単純明快な理論だがどう見てもおかしい。普通におかしい。ちょっとあたまおかしい。
突っ込むまでもなくこいつらはただの膜好きだ、論ずるに値しない。
まあ実際にはおお真面目に膜が云々と書き立ててる奴などそうはいないのだが、こいつらの言う所を噛み砕いてやればそういうことなのだ。
とここで対になるのが精神的処女厨という言葉なのだが、これこそが言いたかったことの一つだったりする。
精神的処女厨とは女性に対して膜の有無ではなく、それが初恋であることを求める人間のことだ。というか俺のことだ。
断言するが肉体的処女厨なんてのは2chを中心としたネタに過ぎない。
あえて矛盾点をしこたま抱え、通る道理のない所を無理やり通してしまう。
無茶な理論だと分かっているからこそムキになって反論してくる相手の存在が心地よく、横暴に振る舞えば振る舞うほど快感を覚えることのできる、そんな趣味の悪いお遊びだ。
そして冒頭に戻るが大抵の場合が処女厨と言われればこの肉体的処女厨のことを指している。いいかこんな奴はいない、存在しないんだ。
確かに処女膜という記号に萌えて燃えるやつはいるだろう、しかしそいつらは非処女を忌避しているわけではない。
ましてや肉便器肉便器などと呪文を唱え据え膳食わぬどころか膳には唾棄するべしというような信条をもったやつらでは決してないのだ。
詰まるところ相手が処女だと聞いて喜ぶような輩はいても膜がないからといって、それのみを理由にボールをストライクゾーンから一つも二つも外してしまうような輩はいないのである。
肉体的処女厨というのはたけのこ厨、きのこ厨と同じお遊びの産物に過ぎない。
では熱意と情熱をもって処女に対しそのほとばしるリビとーを思うがままに開放している彼等の言は全てがお遊戯なのかと言われればそうではない、
一分に真実の叫びが混じっており、それを担っているのが精神的処女厨というわけだ。
異性への好意、その最初の相手が自分であることを求める、つまり初恋でなければ許せないというのが精神的処女厨であることは先程述べたが、
逆に肉体的には無理矢理にレイプされていようが知らぬ内にネットペニスとやらに貫かれていようがそこに心理的な同意がなければ全くの無問題である。
なんのことはない運命の赤い糸とは言わないが好きになるのならそれが最初の恋であってほしいという叶わぬ夢であること間違いなしの想いなのだがただそれだけのことである。
で、これのどこにカースト制度ばりの侮蔑を投げかけられる要素があるというのだろうか?
例えば特定の相手ができたとすればその相手には精神的な処女性を求めたいとただそれだけだ。俺はでかい乳にそそられるだとか、貧乳こそ正義だとかそんな好みの話である。
別に精神的"非"処女の方々を蔑んでいるだとか嘲っているだとかそんなことは一切ない。
けれど、にも関わらず、しかるにだ、なぜだか勝手に虚空の存在である処女厨とやらにカテゴライズされた挙句、ご丁寧に被害者面して散々ディスられ、いつのまにやら上下が逆転しもうちょっと大人になられたら如何でしょうかと諭されるのである。
被害妄想?そうであればよいのだが彼等彼女等が指すところの処女厨というのには確かに俺が含まれている、実際にはそれがいもしない肉体的処女厨に向けられた言であってもだ。
大体個人の好みの問題になぜ割って入ってくるんだ?そんなに憎いのか?否定も肯定もされていないというのが嫌なのか?そこに有るというただそれだけがそんなに許しがたいことなのか?処女厨という架空の藁人形を編みあげてひたすら釘で打ち据えるのがそんなに楽しいのか?
>韓流に
>多方面の日本人が
>ウンザリしてたようだ。
9万件も同意が入ってるようだけど、アホかと思った。
言外には「だからフジは叩かれて当然」という言葉があるんだろうけど、
何かを好きな人よりそれを嫌いな人・無関心な人のほうが多くなるのはあたりまえです。
テレビ局が韓流ばかりやってるのは色々事情があるかもしれないが、彼らが営利企業であることを考えれば主要な理由は「視聴率が稼げるから」だと分かるだろう。
つまり、韓流を嫌いな人がどれだけいたとしても、他の番組をやるより「視聴率が上がる」程度に好きな人が多いから流しているというだけなのだ。
もしフジで韓流を見たくないなら韓流以外の番組をもっと見ればいい。でも、最近はテレビ離れとか言ってテレビを見ない若者が増えているそうだ。
テレビを見ないくせにテレビで韓流流れているのは気に食わないのか?幼児のわがまま並ですね。
でもこんな表層のことははっきり言ってどうでもいい。
この散歩デモ参加者やネット上で韓流叩きしてる奴らの問題は、それが嫌韓に基づくものであるくせに誤魔化してるところだ。
高岡の趣旨や彼がネット右翼にどこまで共感してたのかは分からないが、少なくとも発言だけ見れば、言っているのは「韓国の番組を日本でたくさん流すのはおかしい。日本の番組もっと流せ」ってことだけ。
韓流ドラマがつまらんとか朝鮮人は日本から出て行けとか韓国は嫌いとか、そんなこと言ってないしそういう風に捉えられることを(真実は分からないが)望んではいなかったはず。
でも、ネット上のアホ共は高岡を「利用」して自分たちのレイシズム(韓国人は何やってもダメ、日本人はすばらしいという考え方)が正しいと証明されたような気になっている。
そこが許せない。
人には誰だって好き嫌いがある。
この世には子供に萌えたり老人に萌えたり死体に萌えたりする人がいるし、中国が好きな人やアメリカが好きな人やそして韓国が好きな人がいる。
韓流ドラマが嫌いな人もいる。だけど、自分の嫌いなものを見たくないからとデモを起こすバカがどこにいる?
そんなものに500人以上(らしい)集まったということが、どれほどアホなことか、考えなかったんだろうか。中学生とかもいたらしいが、頭の足りない(狭いものの見方しか出来ない)人間が多そうだなという印象は確かにある。
だからこそ先の話になる。好き嫌いだけでデモは起こせないし人は集まらない。
フジを批判するということでようやく集まったという感じだが、それにしたって結局は「俺は韓流が嫌いだ。韓流流すなバカ野郎」ということになって、好き嫌いの次元に落ちてしまう。
韓国人、韓国、そして韓国の文化に対する侮蔑の気持ち、「あんなくだらないもの」という見下す感情があるからこそ、個人の好き嫌いにも関わらずデモが起きてしまったということの真相だ。
そんな事情を知ってか知らないか、多分知ってる人間もいるんだろうが、J-castによれば著名人の中にも何人か「フジ批判」に同調する人間がいるそうだ。
バカとしか言いようが無い。自分たちの発言の影響力をまるで分かっていない。いや、分かっていてやってるからこそ許されざるバカなのだ。
今までネット上の嫌韓勢力はどちらかというとアマチュア的、細々とした大学サークル的に活動してきた。テレビでは全く報道されないし、当然著名人もスルー。
なのにここにきて、表向きは「韓流ばかり流すフジテレビへの違和感」という形でこの嫌韓勢力に加担する人間が現れた。
確かに違和感を訴えるだけなら嫌韓勢力について何も知らなくても可能だろう。だが、それで彼らの無知が許されるわけではない。発言の影響力が一般人のそれとは比べ物にならないと自覚していれば、不用意な発言は控えるはずだ。
実際に「しな」も「嫁」も元の批判となった侮蔑的な文脈を踏まえて侮蔑的に使う人今でもいるじゃん。
使う本人が「悪気はないんだ」といくら思ってたとしても、そんなの目にする人全員にいちいち説明することなんて不可能なんだから、そういう人と同一視されないように使用を避けるのは大人の知恵だよね。
小林くんが「カッパという言葉は侮蔑的に聞こえるので止めて欲しい」と要請した。
他人の会話やブログにまで割り込んで「カッパと聞くと私が傷つきますやめてください」と言う小林くんがいる。
以上の話を踏まえるなら、
「他人の会話やブログに割り込んできて『カッパは差別用語じゃない』と言ってる人がいます」から、
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/moonsun3/entry-10936389385.html
正直に感想を言う。
キモチワルイ。
もうさ、これ差別憎しで語られててさ、「差別の実態」を憎んでるんじゃないんだよな。
「今現在どういう実態があるんだよ?」って言うと、「そんなことは語りつくされている」だのなんだのかんだの、
自分達左翼クラスタ(笑)の常識を当たり前としたうえで、「無意識に行われる抑圧が云々」「そも無関心が差別を云々」と始まる。
お決まりの流れ。
提示される反証に対して反論していくうちに、どんどんと理論武装して原理主義みたいになっちゃってる。
だから元来侮蔑的な意味をもち生まれた言葉(オタクとか)をそのものずばりの意味で自分が相手に使っても問題ないが、
「カタワ」や「部落」はその意味が込められていなくとも使っちゃいけないんだよ。
なぜって?
ここがキーで、だからこそ「言葉狩りじゃない」とくるし、「○○は私にとって痛い言葉」ってな反論にも対応可能になってる。
現象としては同じイジメでも「外国人」「アイヌ」「癲癇もち」がいじめられてると、社会の差別の表れで、
「オタク」「デブ」「のろま」などで為されるものとは行為の意味が違う、とか言いだしちゃうからね。
そういう属性を持つと言うだけで、実態よりもそこに差別行為があったんだろう?と下種の勘繰りに比重が重くなるのは、まさに他人事と言った感じ。
属性の代表であるかのように担ぎ上げられて、すわ差別だと大事にされるのって、良い迷惑じゃなかろか。
もちろん、そうした「特別扱い」を喜ぶ向きも、そういう属性もちには多かろうが。
俺がニコニコ動画ユーザに対して違和感を覚える事柄が、呼称の問題だ。
ユーザの間では「ニコ動」と呼ばれることが多いこのコミュニティだが、
俺みたいにニコニコ動画嫌いな人間から言わせてもらえば、その呼び方自体気持ち悪い。
となれば「ニコ動」と言う呼称は、ニコニコ動画に少しでも好意的な人間が発していると思われる。
一方で「ニコ厨」という呼称がある。
根幹にある「厨房」と言うスラングが使われなくなって久しいが、
本来「ニコ厨」とは侮蔑を表す言葉であり、別に「中毒の中→厨」等ではない。
しかしネット上では、ニコニコ動画をニコ動と呼称する者たちが、
ニコ厨と言う言葉を自分たちに当てて使うケースのなんと多いこと。
自虐による保険という手法が無くも無いが、正直な所見ていて嫌悪感が増す(保険・開き直りであればなおさら)。
ただでさえニコニコ動画が嫌いなのに、ユーザが持つ「大多数側にいる」と言う安心感から来る粗雑さは、コミュニティ自体の質をも落としている。
mixi足跡機能がリニューアルされてリアルタイムな足跡表示が無くなったのを改悪だ改悪だと騒いでるバカがいる。改悪反対コミュは12万人近くの参加者になる騒ぎである。ニコ動においても機能がリニューアルされる度に改悪改悪と騒ぐバカがいるが同類である。この種のバカを私は「改悪バカ」と名付け侮蔑の対象としたい。何がバカって毎回改悪改悪言い続けている点である。改悪し続けたらとっくにサイトは潰れているはずだが潰れていない。改悪し続けているならとっくにそのサイトのユーザを止めているはずだが辞めてもいない。これをバカと言わずして何と呼んだら良いのか。改悪でもなんでもなくて単なる慣れないデザイン、慣れない使い心地、慣れない機能であるだけなのに、バカはそのことを理解できず改悪だと思い込んでしまうわけである。サイトのリニューアル、ソフトのバージョンアップには必ず何か改善の狙いがあるはずだから、脳のある人間であればどこが狙いなのか見極めて理解しようとするはずだ。だが、バカはそこまで頭が回らないからバカなのである。ユーザ目線、自分目線でしか物事を見れないから、ちょっと不満があるだけですぐ改悪だなんてことが平気で言えるのである。もしそこで理性と知性があれば、リニューアルの狙いを推察し、さまざまな可能性を考えるから安易に改悪だなんてことが言えない。とてもじゃないが言えるわけがないのである。信じられないことに、こんな当たり前のことをいちいち言わないといけないくらいのバカが世の中にはいるものだ。バカほどうるさいとはよく言ったもので、賢明な諸君であれば口を慎み安直な意見表明は差し控えるであろう場面でも、バカは何の迷いもなく不満を喚き散らす。その姿がバカ丸出しであることもバカであるがゆえに理解できない。今回の改悪バカの正体もざっとこんなところだろう。mixiといえば、mixiニュースでも多数バカが散見される。あまりにも目も当てられない惨状のため、ニュースを見るだけのつもりが日記が目について日本の未来を憂えてしまうことが少なくない。だから、最近はめっきりmixiを開いてもmixiニュースを見なくなった。もし興味深いニュースを発見しても、タイトル等でググってmixi外で見るようになってしまった。とかく此の世は生きにくい。それもこれもバカのせい。
2011年3月、大震災の後に発生したみずほ銀行のシステム障害。
その障害に関する調査報告書がみずほ銀行ホームページの一角に配置されています。
http://www.mizuhobank.co.jp/oshirase.html
この調査報告書、最近読んだ文書では特におもしろいものでした。
ただの報告書かと思っていたら、涙あり・笑いありの波乱万丈な内容だったからです。
・笑いどころ
えっ、そんな障害対応してるの?www 信じられないwww
という箇所がいくつかありまして。
手動対応してさらに障害が拡大するところとか、かなり笑えます。
そんなのが複数個所にあるんですよね~
・泣きどころ
みず○ほのえらい人「おい、早く障害対応しろ!オンラインが遅れるだろうが!」
み○ほのえらい人「営業開始が遅れたらお前、責任取れるのか!」
○ずほのえらい人「いつまでかかるんだ、この○○(←侮蔑的な言葉)が!」
みず○のえらい人「時間までに復旧しなかったらどうしてくれるんだ!」
言われる側である現場のみなさんの辛さを考えると、自然と涙が出てきます。
笑いと涙を交えながら、いろいろと考えさせられる点もありました。
1つは障害対応について。
上席者がシステムについてほとんど理解していなかったことが報告書からわかります。
・リミット値とは何なのか?
・リミット値を増加することによる影響は?
・データの復旧はどのようにして行うのか?
これらの疑問を理解している人がどれだけいたのか。
いたとしてもどれだけの時間がかかるのか。
報告書では訓練不足を指摘していましたが、その前提となるシステムへの理解が
組織としての体制の悪さ、丸投げ体質による上席者のシステムに対する知識・理解不足、
という弱点が浮かび上がったと思います。
ということを自ら露呈することとなりました。
多大な費用と時間が必要で、しかも利益は出ない対応となります。
しかし問題点が明らかになった以上、対応しないわけにはいきません。
最後に、この報告書の偉大なところは。
大規模なコンピュータシステムを所有するすべての企業に対して、
警告する内容となっているところです。
コンピュータシステムに関わっている人には、ぜひ読んで欲しい文書です。
「ばかな、こんなこと、ウチの会社では起こるはずがないwww」
って。
この報告書を読んで、
「ヤバい、ウチでも起こりそうだ…」
と恐怖したならば。
読み手によっては相当なホラーものとなるでしょう。
駐車場の整理係を日本人がやっている素晴らしさがわかりますか? 「120万人の移民」に脅えるドイツの実情
| 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/4642
これについて
ちょっと突っ込みたい。
移民が駐車場の整理係をしていて悪いことはない、ダメなのは単純労働者を食えなくすることだ。
2011/05/13
人気1位のコメント。
実に良識的で、一見正しい。
パーツごとに読めば正しい。
それは当然だ。
この良識性、「外国人差別しません」「職業選択の自由尊重」のタダシサは揺るがしがたいものがある。
が。
「移民ならば労働力の買い叩きに応えられるから」に他ならない。
生活保護受給者以下の生活に耐えても、
移民を増やし、
単純労働者は全体に確実に今よりずっと「食えなく」なっている。
この自明の繋がりを無視して
「移民がどんな職についても悪くない」「差別反対」なんて断片的レベルに落とし込んで話を誤魔化す。
これは欺瞞としか言いようが無い。
aozora21さんも、この人に星をつけてる人も、欺瞞に気づかないような知性の人ではないと思うので、
これは意図的な不誠実だ。
単純労働者を保護したいなら、飽和している労働力をさらに輸入するような無計画なことを控えるのが一番良い。
hobbling
低機能とか移民を差別する国に優秀な移民は絶対来ません。移民を奴隷ではなく共に生きる同朋として日本人と同じ権利を与えるのなら移民賛成。
2011/05/13
☆はひとつだが、
”一見いいこと言ってるけど意味不明”コメントの良い例なので挙げる。
「高機能」な移民にとっては良い職場で、むしろ能力を精査してくれないほうが困る筈だ。
つまり、この人の指摘は本件からずれている上に間違っている。
(ずれていようが間違っていようが「差別反対」調であれば星を受けるのははてなの悪い点)
日本人と同じ扱い・同じ給与を与えるなら大量移民は日本に必要ない。
charliecgo 差別
この名前からしてドイツへの移民らしき筆者がトルコ系移民を差別する構図がたまらんですな。名誉白人?
2011/05/13
相手の名前に目をつけながら「差別」しか言わずに言い分を封殺しようとする。
複雑さに欠け、論ずるに及ばない。
私に言わせればこの人の物言いからも濃厚な差別の匂いがするが。
(「この苗字は在日だろw」で済ませて言い分に取り合わないようなやり口と同一なのは誰の目にも明らかだ。)
hatoken
2011/05/13
こういう同類も多数。
ほかにもゴロゴロいる、職業や経歴や年齢や女性であることに汚い侮蔑を剥き出しにしながら彼女の「差別」を非難する人達は全員脳の病院にいけ。
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1と2は「話をそらして反撃したい」という、所作の共通点がある。
さらに言えば、そういう所作を選んだ動機も共通しているように見える。
つまりこの人達は
社会で影響力のある悪辣な移民推進論者とは別の、もう一方の移民推進論者なのだ。
後者の彼等は、前者のように「移民を奴隷扱いしたい」という邪悪な考えは持たない。
儲けの代わりの動機はイデオロギーであり、
「差別反対」
という概念が彼らを突き動かしている。
イデオロギーは自由だが、
彼等がその実現のために大量移民推進を選ぶのは非常に無責任で短絡的と言わざるを得ない。
「移民の奴隷労働、労働力の買い叩き、先住単純労働者の搾取激化、社会保障払底、
という必ず起こる弱者直撃の悲惨に、気付いていながら知らん振りしているからだ。
そのあなた達が、自分の頭の中のイデオロギー(というより趣味だなこんなの)のために
移民や社会的に弱い労働者を奴隷労働地獄に叩き落す、社会を混乱させて市民に苦しみを味合わせる、一部の資本家だけ栄える、
なんて現実を招来してよいのか。
「BLはファンタジー」
とはいえ、BLややおいっていう世界は、ゲイになんらかの意識を向けているものと思っていた。
だけど、そうではないのかもしれない。
JUNEでさえ、やおいでさえない。
その言いようは一部ノンケのそれとおなじで、なんの意識も配慮もない。
一般に、ホモって言う呼び方は広く使われているけど、少しくらい配慮があるところなら別の言い方をする。
ホモっていう語が侮蔑的な響きを持っていることは、ゲイでも腐でなくとも知っているはず。
一方そういう呼び換えをする腐も、年齢層は高いイメージがある。作家にも多い。
ボーイズラブっていう語が広まったのはわりと最近で、それ以前から腐っていた層かもしれない。
以前、801板でこういう言質があった。
「ボーイズラブっていう言い方はきれいすぎる。わたしが好きなのはもっと生々しい、ホモだ」
BLという呼び方がこそばゆいのか恥ずかしいのか知らないけれど、それ、若干ドヤ顔で言ってませんか。
戦後の混乱期に闇市を拒否して餓死した裁判官がいたけど、彼は「法に殉じた」という意味では
首尾一貫しているが、その行動が総合的に見てどうだったのかは別問題であるように
(彼には妻子はいたんだっけ?)。
その話は聞いた事があるけど
その裁判官が平時から「いかなる場合にも法を守れ」と言ってたのなら
彼の言動は最後まで一貫してたわけだ。
誰も彼に「言ってる事とやってる事が違いますねw」と言えなくなった。
いざ事に臨んで自分にそんな覚悟無かったと気付いたとかで
節を枉げるのは大いにやればいいのさ。
それで助かる命や不安解消の方が大事って判断は当然あるだろう。
ただ、その場合は言ってきたこととやってる事が合わなくなったわけだから
その人のこれまでの発言は検証されて笑いものになることがあろうし
その人のその後の発言が冷笑や侮蔑を持って迎えられる事もあり得る。
いわゆる「生き恥」っていうのはそういうことだ。
なにもかもが都合よくチャラになるわけないだろう。
自分が出来もしない事は述べたり人に強いたりしなきゃいいだけだ。
初めまして。
政治学や経済学を学んだ事がない一市民からですが、昨今の政治のについて思う所がありまして。
無学ながらも書き込みをさせていただきます。
*
つまりは「政治に対する評価の作法を知りたい」と言うお話です。
物事の見方は常に多角的な側面があり、解釈も様々ならば、今の政治に対する好意的な解釈、或いは選挙結果を信じる方向の内容もあるはずですが、そちらに話が全く向かない。
私も民主党政権がろくな事をやっていない、と言う意見に賛同しますが、しかし政治家と市民というのはここまで意見が乖離する物なのか。構造的に市民と政治家の間は(語られることのない)壁があるのではないか、とも思う次第です。
政治家を批判するな、と言うわけではありません。実際に政治家は国を担保に「自分のやりたい方向のギャンブルに賽を振り続けているような」ニュースばかり。もっと見通しのある具体案が欲しい、何より具体的でなければならない。
言い換えれば国民に対するプレぜーテーションがなっていない。これは事実かと思います。
しかし私は政治家ではないので、そう思い至ってもどうしようもない。
私の勝手な思いこみですが、政治家がプレゼンテーション不足なのと同様、国民も政治家に対するプレゼンテーションが巧くいっていないとおもうのです。
双方のコミュニケーションの絶無っぷり。互いに互いを見下しているディスコミュニケーションの連鎖。
某都知事が市民のマイノリティに対して常識というマジョリティを(暴力的に)問いた時のように、「頭がおかしい」と言う一言に全てを任せるその無責任さは、双方の胸の内にあるのではないか。
というのも。
日本の政治は何故痛々しいのか?:http://www.tachibana-akira.com/2011/03/2321
エントリー中にあるブードゥー社会と言う単語。災厄が起きる度に首が据え帰られる人柱制度。と聴いて何となく思い至ったのですが。
失笑を買うであろうな、と思いながらも「今、この国は現状クーデターの真っ最中なのではないかな」と思う訳です。
国会議事堂の前には人が集まらないし、プラカードは白紙どころか存在していない。
熱狂的なクーデターとは真逆の、主張が無ければ暴力も無く、冷笑的な圧力がかかるクーデター。
まあクーデターの語彙に反すると失笑を買うかもわかりませんが。事実失政を侵した、潔白ではない権力者達は例外なく首を取られています。そんな潔白な政治がどこにあるのか、という疑問を秘めながら。
そのような、権力者達が次々と処刑されていく現状に対して、せめて何をすれば彼らは処刑されずに住んだか。
政治家に対する適切な評価軸とは何で、政治家に意見をするにふさわしい場はどこなのか。
政治の現状を知るにふさわしい場所はどこで、政治を収める場からの意見はどこにあるのか。
相手とマトモに会話する為には「相手の立ち位置」「置かれている環境」「相手自身の言葉」という三つのことが最低限必要なはずです。
せめてその三つを知りうる環境と、市民が政治家に対してプレゼンを仕掛けられる場はどこにあるのか。
そして、具体的に社会がどうなった時に政治家に感謝の意を述べるべきなのか
具体的にどういう方向を向いた時に政治家に批判の声を向けるべきか
感情的に侮蔑するのではなく、より具体的に何を、どうすればよいのか。
国民も政治家も多数の意見から成り立っているので、全て理性的にと言うわけにも行きません、決して同意できない内容もある。
しかしせめて、感情的ではない具体的な評価軸ぐらいは決めたい。
つまり
「どういう方向に向かったら私は喜んで良い」のか。
楽観視は油断と腐敗に繋がる事は重々承知した上で
状況に対する対処に「夢や希望」はなく、機械的に分析し対応し続けるのがよしとされるのも承知した上で。
どうなれば、喜ぶべきなのか。どういう局面になれば政治家を褒めるべきなのか。
それが全く見えてこない。国という物が巨大な組織である以上、政策が効力を表すには最低限一年以上が必要な筈ですが、残念なことに今が惜しい。だが民主党には変わって貰わなければならない。時間が惜しいのにまた政局が混乱する。
じゃあ、次の選挙と言うことになった時。
同じ事を繰り返さないために市民の側からできることは何なのか。
書き上がってから、随分まとまってない文章だなあと見返しながらも