2011-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20110320195728

戦後の混乱期に闇市を拒否して餓死した裁判官がいたけど、彼は「法に殉じた」という意味では

首尾一貫しているが、その行動が総合的に見てどうだったのかは別問題であるように

(彼には妻子はいたんだっけ?)。

その話は聞いた事があるけど

その裁判官が平時からいかなる場合にも法を守れ」と言ってたのなら

彼の言動は最後まで一貫してたわけだ。

誰も彼に「言ってる事とやってる事が違いますねw」と言えなくなった。


我が身が可愛いからとか

いざ事に臨んで自分にそんな覚悟無かったと気付いたとかで

節を枉げるのは大いにやればいいのさ。

それで助かる命や不安解消の方が大事って判断は当然あるだろう。


ただ、その場合は言ってきたこととやってる事が合わなくなったわけだから

その人のこれまでの発言は検証されて笑いものになることがあろうし

その人のその後の発言が冷笑や侮蔑を持って迎えられる事もあり得る。

いわゆる「生き恥」っていうのはそういうことだ。

好死悪活にしかず、という価値観は否定しない。

でも悪活のコストリスクは降りかかる。

なにもかもが都合よくチャラになるわけないだろう。


別に厳しい事や残酷なことを強いてるわけじゃないよ。

自分が出来もしない事は述べたり人に強いたりしなきゃいいだけだ。

日頃のちょっとした心がけの問題でしかない。

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