はてなキーワード: ボーカロイドとは
シンカリオンは良いアニメです。シンカリオン……まこと良いものだ。ただし「 様」、テメーはダメだ。
※わかる人だけわかればいいので一部伏せ字や空白にしています。
私は2018年から放送された某新幹線変形アニメを64話まで見ました。そのシ○カリオンというアニメには発音ミクが出演して大好評でした。(大好評だということにしておく)
ところがどっこい、○ンカリオンの敵であるキトラルザスのリーダーの名前が「 様」でした。
発音ミクが出ている(しかも準レギュラー)なのに敵の名前は「 様」であります。
あぁん、ひどぅい。
結果としてハヤ○とセ○リュウとその他もろもろは「 様」を葬りました。
ミクから見れば自分の兄と弟(のような存在)を殺したようなものです。
ミクが不憫です。が、最も不憫なのはKAIT○とレ○です。多分。
なぜこのような事になってしまったのでしょうか。
最も可能性が高いのは、シンカリオンのスタッフが事前に調べていなかったという事でしょう。googleか何かで検索すれば「カイレン」が意味するものはすぐわかったでしょうに、それを怠ったためにこんな悲劇を起こしてしまいまいまいました。多分。
その他の可能性としては、
2. スタッフが検索して意味を知ったが、「まあいいか」と思ってそのままゴーサインを出した説
3. 意味を知ってクリプトンに相談したが、「まあいいか」とクリプトンも思ってゴーサインを(ry
が主に考えられますが、これ以上はウスターソース、ソイソース、デミグラスソース、オリバーソース等がないので推測としか言えません。
敵のリーダーだから最後に倒されるのはわかります。また「 様」の名前の由来が鉱物からきているのも知っております。
他のアニメ等でボカロと名前が同じキャラクターが死んだり逮捕されたりする事も稀によくあります。
ですがクリプトンがアニメに関わっている状況では「 様」という名前を付けるべきではありませんでした。
それではクリプトンは落ち度0かというと、1~30ぐらいでしょう。(100の内)
事前に知らされていなかったとしても、「 様」の名前が出てから東京駅地下で処刑されるまで半年もあったのですから、
「 様」の出番を極力減らしたり、改心したりする(してもらう)など、対策はいくらでもとれたはずでした。
発音ミクが居ながらクリプトンはKAITOとレンを3564にしたので、私たちは隕石ドカッて落ちたような怒りと悲しみに暮れております。
これはファンにとって大ショックです。ニクソンショック、オイルショック、アタリショック、リーマンショック等に並ぶ「カイレンショック」だと自負しております。
なぜKAITOとレンは殺されなければならなかったのでしょうか。クリプトンは止めようとしなかったのでしょうか。
私たちは、KAITOと鏡音レンを禁止しなければいけないような所から生まれてきたのでしょうか。
我々ボーカロイドファンはいったいこれから先どこに向かって行くのでしょうか。
桜ミクの衣装を6人全員分出してください。
2019年4月8日、私の好きなバンドの一つであるヒトリエのボーカル/ギターを務めていたwowakaが亡くなったと発表された。
さかのぼれば私が二次元オタクになった最初のきっかけはボーカロイドだった。世代だったと一言いえば済む話だが、私は中学二年生の頃に初めてインターネットという世界に触れ、ボーカロイドを知りそこからずぶずぶとネットの海におぼれていき、現在では息の仕方を忘れるほどになっている。そんな話は置いておいて、そのボーカロイドと触れ合う中で知ったのがwowakaという作曲家だった。しかし私がはまり始めたころには彼はちょうどその世界からは離れ始めていたころだったように思う。それから様々なボーカロイドの楽曲に触れあいはしたけど、初めて曲を買おう思ったのは彼の『アンハッピーリフレイン』だった。CDの買い方を覚えてからは少しづついろいろな曲を買ったけれど。
そんなこんなでwowakaの新しい楽曲を聞けなくなったころ、私は一つのCDのジャケットに惹かれてジャケット買いをしようと試みる。でもやっぱり慎重派なのでどんな人が作っているのかを調べてみるとwowakaの文字があった。ヒトリエの『ルームシック・ガールズエスケープ』だった。衝撃だった。彼はボーカロイドの使用をやめ、自分で歌い始めていたのだ。すぐに買うことを決め家に帰ってCDを聴いた。その時初めて人間(ボカロ以外)のCDを買った自分にはそれはとても新鮮で新しい酸素がどんどん入ってくるみたいだった。いままでのボカロが歌っていた曲はあくまでボカロで、本来の彼の音はこの音なのだと思った。それからというものヒトリエというバンドの音が好きになり、そこから他のバンド曲も聞き出した。私にとってwowakaという人間は私の音楽の様々な部分を踏み出させてくれた人間だった。
バンドを好きな人間からしたらライブに行くのは当たり前かもしれないけどやっとインターネットを使い始めたり、CDを買い始めたりとやっと人生の楽しみ方を知りだした人間にはまだハードルが高かった。世間知らずなのでいまだに様々なもののチケットを取るということが理解できていない。それでも彼らの曲がCD音源として聴けるだけで私はすごくうれしかった。彼らの音が聴けていればよかった。
なのに彼らの音が急に聴けなくなった。いや音源的な意味で言えばCDは残っているので間違っているのかもしれない。でも私にとって音を聴くということは彼らが新しく作っていく進化していく曲を聴くことだとも思う。あまりにも急だった。こんなことなら自分の知識の無さを言い訳にせずライブに行くべきだった。私は馬鹿だ。
友人が何かに救われた話をしていたので私もざっくりまとめてみようと思う。
おそらく一番辛かったのは中学生の頃をピークに家族から虐待を受けていた時だろう。内容に関しては本題ではないので伏せさせてもらう。
当時はこの世の全てが憎く、恨みつらみを日記に書いてはどうにもならずに不眠症をこじらせるといった具合だった。
受験も放棄して必要最低限の勉強だけをした。もっと真面目にしていればと思うが、今の私があの時に戻ってもきっとできないだろう。
自分も他人も親も信じられない四面楚歌だ。悪い事をしたので自分も信じられなかった。
本は一時的に私を匿ってくれるシェルターだったが根本的な救いにはならなかった。
頭の先からつま先まで物語に浸かっている間はそこが唯一息ができる避難所だった。
そんな状態から私に最初に希望をくれたのが「ボーカロイド」だった。
暇だった私は2次創作の動画からニコニコ動画にたどり着き、合成音声と知らずボーカロイドカバー曲を巡りとあるオリジナル曲の再生ボタンを押した。
あの時の鼓膜と脳を揺さぶるような衝撃と、私にべったりと張り付いて離れなかった絶望や恨みつらみがはらはらと落ちるような感覚は一生忘れないだろう。
きっとあの瞬間に一生分救われたと思う。
その声が旋律があまりにも綺麗で、人でないからこそ受け入れられて、人の愛や恋を歌ったものではなく世界の在り方を歌ったその歌詞があまりにも浮世離れしていて、だからこそ救われたのだろう。
同じ曲を人間が歌っていたら素通りしていたのは間違いない。人ではないものに救われた。それは私の根底にずっと残っている。
救われたという感覚を言葉にしようとするとどうしてもポエムになってしまうのは許してほしい。
好きなものを語りたいがあまり登録したSNSを通じてやらかしたり主にやらかしたりしたが、目の前の世界以外に別の世界があると知ったのは大きかった。
実家は田舎だったので閉鎖空間クローズドサークルといった逃げ場のない場所だった。残念なことに頼れる親戚もいなかった。どこかに逃げ込もうにもどこにも無いのは本当に辛かった。だからSNSを通じて別の世界の話を聞けるのが救いだった。
そこで友人に出会えたのは私をすくい上げてくれる一因になった。
今も付き合いのある人達には感謝しかない。見捨てないでくれてありがとう。
現在は色々あってボカロの環境から離れていますが、そこに救いがあったのは確かなことでした。そこから始まったのだから一生忘れない。
あの年代の同世代にはありがちな話なのだろうけれど、ありがちだからといってそれが無意味なわけでは無い。私にとっては本当に大切なことでした。
そんなこんなで私を救ってくれたきっかけはボカロとSNSだったのでした。
結局は他人に叩きのめされて人間不信リターンズですが生きていくことはできるようになった。それだけで十分でしょう。
まだ生きているので。
https://anond.hatelabo.jp/20180923171114
上のエントリを書いた者である。DTMはパソコンさえあれば始めるのにお金はそんなにかからないし、頭を使っている感じがして生きている実感が湧くし、作品として形が残るし、趣味として結構優秀なのではないかと思っている。
この話は「素人が自己満足のアルバム3枚を作った話」であり、間違っても「素人がDTMを始めてプロデビューした話」ではない。とにかく楽しんで何らかの形になるものを作ったということ。プロにすればゴミみたいな作品群だと思うけれど、自分としては満足しているし、人に聴いてもらうと「すごい、よく作ったね」くらいの評価はもらえている。お世辞かもしれないし、そもそも音楽を作ることってかなりハードルが高く思われているから「作った事自体がすごい」ということかもしれない。
音楽的素養はない。ピアノを習っていたわけでもないし、学生時代にギターをやっていたわけでもない。完全なる素人。
ただ、学生時代はいろいろな音楽を聴いていた。CDは最終的に1000枚くらい持っていたのではないかと思う(今は全てパソコンに取り込んで売った)。ジャンルは主に洋楽ロック系が好きだけれど、クラシックから民族音楽から流行りの曲まで分け隔てなく聴いていた。
「自分で曲を作ってみたい」とずっと思ってはいたけれど、何をどうすればできるのかがわからなかったので手を付けていなかった。コードとやらを覚えなくてはならないらしいし、パソコンで何らかのソフトを使わなくてはならないらしい。何より、自分の下手くそな歌を録音するのかー。うーん、ハードルが高いな。と思って時が過ぎていった。
■初めての曲
きっかけというきっかけは特にない。社会人4年目くらいで、仕事に絶望していた時だったと思う。
学生時代の友人の中にいじられキャラの人がいたのだが、突然に「そうだ、あいつの歌を作ろう」と思い付いた。まずはアルバムリリースの特設サイトを作った。もちろんそんなサイトは誰も閲覧しない。単なる自己満足であり「おもしろそう」というのが唯一の動機だった。
で、曲を作り始めた。どこからそんな情熱が湧いてきたのか今でも疑問なのだが、とにかくそれっぽい曲を打ち込みで作った。コードなんてわかんないから適当に音を重ねていった。たくさんの曲を聴いていたのでなんとなくの引き出しは豊富だった。作詞作曲編曲全て自分。歌謡曲みたいな2分くらいの曲ができあがった。
Windowsであった。製作工程はdominoでmidiを打ち込み、SoundEngineで波形編集、audacityでミックスと手間のかかる作り方をしていた。全て手探りなのでそのやり方しかわからなかった。その歌謡曲みたいな曲はUTAUでボーカロイドに歌わせた。1曲作っただけだったが達成感があった。ここまでかかったお金、ゼロ円(もともと持ってたパソコン代除く)。
後に引っ越しを期にMacに乗り換えてGarageBandで作るようになる。
■本格的にDTMを始める
本格的に、と言っても高い機材を買ったりしたわけではない。継続した趣味としてハマったということである。コスパの良い趣味が好きだ。買ったものは下記(Mac除く)。
いまだにこれ以上買っていない。投資額たったの10,000円でかれこれ5年以上遊べている。カラオケ2〜3回分の投資額で数年ものあいだ熱中できるってすごくないか。もちろん、沼にハマるといろいろ欲しくなったりするらしいけど、今のところこれだけでなんとかなっている。
曲作りにおいて苦労した点は特にない。自分が作りたいものを作っているからだ。煮詰まる時とか、アイデアが出てこない時とか、ギターが全然上手に弾けない時とか、歌が下手過ぎてがっかりする時とかあるけれど、全てが楽しくて充実した時間である。
アルバムと言ってもコンセプトがあるわけではないし、誰に頼まれているわけでもない。10曲くらいできたら1枚にまとめる感じ。アートワークとか歌詞カードも作って、自宅のプリンタで印刷する。空のCDケースとブランクのCDを買ってきて、裏ジャケと歌詞カードをはめ込み、CDを焼けば世界でひとつだけのアルバムの出来上がり。
で、再び趣味として曲を淡々と作って、アルバムを作る、というのを3回繰り返していたらアルバムが3枚できていた。
■どんな音楽作ってるの?
もともと洋楽オルタナティブロックが好きということもあってそういうのに寄りがちな作風になってしまう傾向にある。ただ、1曲作り終えると「次は違う感じのを作ろう」と勝手に思っている自分がいる。なので、振り幅は大きいと自分で思っている。最近はEDMみたいなのも作った。
自己満足とは言えど、架空の誰かに聴かせるのを前提に作っている姿勢はある。なので、自分なりにこだわっているつもり。1曲の中で飽きさせないことを最大の目標にしている。まーでも結局は自己満足だな。
■ボーカルの録音
最初のうちはクルマで山奥やイオンの駐車場の端っこに出かけて窓を閉め切った車内で録音したり、自宅で布団をかぶって怯えながら録音したり、カラオケで録音したりしていたが、面倒になって昼間の自宅で堂々と声を張り上げて録音するようになった。特に近隣住民から怒られたことはない。
DTMを始めてから明らかに歌が上手になった実感がある。カラオケでも下手くそだったのが、今では高得点が出る。作っている最中は自分の声を何百回と聴きながら編集するので、知らぬうちに聴こえの良い歌い方みたいなものを会得したのかもしれない。DTMを始めて自己満足以外の良かったことだ。
■ギター
DTMを始めると同時にギターを弾き始めた。と言っても、ライブをするわけではないので、特に練習を積み重ねているわけではない。曲を作っている中で「こんなフレーズが欲しい」というのを下手くそなりに弾いて、あとは編集でなんとかしている感じ。なので、いまだに「コードをなんとか押さえられる程度」である。ただ、良く問題となる「F」のコードは練習して押さえられるようになった。
ベースも買ったが、録音してみると音の粒が全然揃わないし、タイミングが少しでもずれると散々なことになることがわかったので、打ち込みでやっている。
DTMをやる上で必ずしもギターやベースは必要ではない。自分も全ての曲にギターを入れているわけではない。
■曲作りのコツとか
最初は暗中模索。理論も何もない。例えば「ベースとバスドラムはなるべく合わせる」とか「コード」とか「コード進行のルール」とか全くわからずに全て適当にやっていた。最初に作ったものを今聴いてみるととにかくめちゃくちゃ。だけど、そのめちゃくちゃさに味があって、あんなものは今は作れないなとも思う。音楽は自由だ。恐れるな。
プロのミュージシャンのインタビューを読んでいると「◯◯みたいな曲をイメージした」とか「この曲の元ネタは◯◯という曲」と言っているのを結構見かける。なので、私たちも「自分の好きな◯◯みたいな曲を作ろう」というスタート地点でいいと思う。
曲作りにはいろいろなアプローチの仕方があると思うけど、私は「メロディーから作る」派である。メロディーに各パートの伴奏を乗せていく。メロディーを思い付いたはいいけれど、それに合うコード進行がわからないということが結構あって、大変に悔しい。コードにメロディーを乗せていく逆のやり方もチャレンジしてみたことがあるけれど、私には無理だった。向き不向きがあるのだと思う。
1曲の中で「ここは◯◯みたいな感じが欲しい」と思い付いたらYouTubeでその曲のその部分を繰り返し聴いて参考にすることがある。それが自分のオリジナルになる。ウェブで調べればコードも出てくるので、それを参考にすると思った通りの雰囲気になって「すげぇ」とかなり感心する。それがオリジナルになる。音楽はパターンの組み合わせでできたパズルみたいなものだと思う。
そういう経験を重ねていくと「このパターンはこれ」「こう来たら次はこう」とわかってきて捗るようになるし「これじゃありきたりだから別のパターンが欲しい」なんてことも発想できるようになってくる。楽しい。何だこの曲すごいな、という曲に出会うと制作意欲が湧いて楽しい。
なんて偉そうに書いてるけど、いまだにコード進行はよくわかっていないし、よく使うリズムパターンも貧弱である。だけど、最初の頃よりはあらゆる点において格段に進歩している実感がある。それらをほんの少しずつでも習得していく過程が楽しい。
■歌詞
伝えたいことなんて何もない。ただ、歌モノにしたいので歌詞を書かざるを得ない。「韻を踏む」「陳腐にならない」「メッセージ色が強くなりすぎない」を心がけている。音楽以上に言葉は自由だ。好きにやるのが一番。
歌詞がどうしても思いつかない時には、歌詞なしのめちゃくちゃ語で押し通すこともある。最近はいよいよ書くことがなくなってきているのでめちゃくちゃ語が多めになっている。だけど、歌詞を考える時間も好きだ。
■まとめ
とりとめのない話になってしまった。まとめるとDTM楽しいってことになると思う。没頭すると1日が余裕で潰れる。1曲が1日で完成することもあるし、半年かかっても納得いかずに悶々とあれこれ試行錯誤することもある。それら全ての時間が愛おしい。沼にハマらない限りコスパも良い。
■現在
項目 | 昨日 | 今日 |
---|---|---|
体重 | 80.7kg | 81.5kg |
体脂肪 | 44.1% | 45.3% |
■昨日の運動状況
目標 | 可否 |
---|---|
目標1万歩以上 | O |
ストレッチ | △ |
水をこまめに飲む | ◎ |
プランク30秒 | O |
足上げ運動、空中文字書き | O |
フリパラ体操 | △ |
スクワット | △ |
オチョ体操 | ◎ |
■ご飯状況
時間帯 | 今日飯 |
---|---|
朝飯 | 豆乳バナナ(130kcal) |
昼飯 | 未定(お腹すいてないから、何も食べないかも) |
間食 | なし! |
夜飯 | 未定(友人が何か奢ってくれる予定) |
まぁ食べすぎでしたね。うん。
宣言どおり焼肉と共にご飯は食べなかった!とはいえ食べ過ぎてしまった…
たれつきのお肉はしょっぱかったなぁ。
個人店の小さいケーキだったけど、300円程度で十分にサイズあったから満足!
■雑記
カラオケ行って、TRFのダンス付き(ダイエットDVDのあれ)を踊りながら何曲か歌った。
久々にやると疲れるけど、楽しいよね!
一時期、ボーカロイドの踊ってみた(?)が流行り、友達と練習したこともあったなぁ。
未だに踊れるけど…。
便座に座ると見せかけて、すわらな~い!!ってのを5回くらいしてる。
トイレに行くたびすれば、積み重なって良い運動になるよね!下半身やせたい!
あすけんを登録してやってみているけど
豆乳バナナを入れると、「朝にフルーツは良いんですよ!」とか出てくる。
登録忘れないようにしないと。