はてなキーワード: プロレスとは
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アホ言うな。女女ちゃんはカワイイやないか
私すっぴんな事が悔やまれる(´・_・`)10;プロレスラさんと撮ってもろた(≧∇≦) pic.twitter.com/EcCaEVqIqZ— アンビバレント女々 (@mememememiti) 2014, 8月 19
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なんか起きたら視野が狭くて目が変と思ったらめっちゃ腫れてとる10;何で!?(´・_・`)10;目が見えんから仕事休んだ pic.twitter.com/QP9sdwk6JC— アンビバレント女々 (@mememememiti) 2014, 8月 17
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ぱろぺろさんに便乗♪( ´▽`)10;ウォッカうまい誰か再婚して♪( ´▽`) pic.twitter.com/z5ZQLq9Nax— アンビバレント女々 (@mememememiti) 2014, 8月 8
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女女ちゃん結婚しちくり~
1980年代の小学校では、ある玩具が爆発的に流行しては、教師により特定の玩具の持ち込みが禁止されるという状況にありました。
コマなど駄菓子店で売られる玩具については、ほとんどが早期に禁止を言い渡されています。
その後、玩具は子供側に「これは勉強に使うものだから」という言い訳がある、文具店で販売されるものへと移っていきました。
キャラクターがキャップ部分についたシャーペン、色鮮やかな練り消しゴムなどです。
それらも、爆発的に流行して教師が持ち込みを禁止するのは、他の玩具と同じでした。
消しゴムは玩具性が低いとみなされ、子供たちが「自分の考えで」何かを選んだと主張するのに便利な品でした。
例えば、消しカスがひとつにまとまる消しゴムは、練り消しゴムの禁止が教師から告げられたあと、自家製の練消しを密造するのに使われていました。
練り消しゴム以外の、教師にとがめられない消しゴムは、おもに以下の3タイプでした。
・上記の箱が失われ、カドも無くなって、ほぼ円盤上になったもの
・片方が白く、もう片方が灰色の砂消し(すなけし、砂消しゴム)
小学校では休み時間になると、ボールを持って校庭へ飛び出す子供たちとは別に、教室にとどまり、学習机上で上記の消しゴムを使った「ピンピン」で遊ぶ子供たちがいました。
ピンピン基本ルール
1. 複数人が1つの学習机の端に、自分の消しゴムを置きます。
3. 自分の消しゴムを弾き、他の人の消しゴムにぶつけて机から落とします。
1. 自分で弾いた消しゴムを机から落としてしまった場合、勝敗はカウントされません。落とされた消しゴムとともに、落ちた地点に再配置します。
2. 攻撃する消しゴムの持ち主は、親指で溜めて人差し指や中指で弾くほか、逆に親指で弾く、プラスチック定規をばねとして使う、ノック式ボールペン(側面のスイッチで収納するタイプのもの)の戻る勢いを利用する、などの弾きかたがあります。
3. 狙われている消しゴムの持ち主はタイムを取り、机に密着させる、角度を変える、立てて相手ごと落ちやすくするなど消しゴムを置きなおすことで防御ができます。
4. 攻撃側も消しゴムの置きなおしができます。攻撃者と隣接してピンチの守備側が消しゴムを立てる→攻撃側も消しゴムを立てて底を弾こうとする、などの攻防があります。
5. 他のプレーヤーは、攻守の2人が時間を掛けすぎていると、早くやれと急かしていました。
文字を消す能力はないが小学校に持ち込むための言い訳に消しゴムの名がついた樹脂製玩具として、「キン消し」(キン肉マン消しゴム)の発売以前、「スーパーカー消しゴム」がありました。
スーパーカー消しゴムは他の消しゴムとピンピンで争うには軽量すぎ、おもにノック式ボールペンが戻る力で弾く方法で、スーパーカー消しゴムのみで対戦されていました。
必要な道具がひとつ多い、スーパーカー消しゴムどうしでは戦いに変化がない、などの理由で、流行はしたものの早期に廃れていきました。
私のいた小学校でキン消しが流行したのは、ピンピンにおいて、キン消しが適していたためです。
机の端で守備側がキン消しを立たせると、机から相手ごと落ちないようにするために、攻撃側には繊細な力加減が求められます。
重量がある「サンシャイン」、回転させてぶつけることができる「アシュラマン」は特に子供たちから愛用されていました。
プロレス技のポーズをとった姿のキン消しは安定性に欠け、ピンピンでは負けてしまうので嫌われました。自立できるポーズのキン消しがピンピンでは好まれました。
キン消しで漫画内のシーンを再現するような遊びは、ほとんどされていないか、ごく早期に飽きられていました。
私の周囲では、キン消しはピンピンのための器具として扱われていました。
たたかれ過ぎのような。
ぼくがプロレスを本気にし過ぎてるだけなのかね。それならいいんだけど。
青二才さんのオフレポの最後の一文「言いたいことは…察して」の本意が分からん。
最初読んだ時、ぼくはコウモリさんへの祝福の意だと解してたんだけど、違ったのかな。
「何かもっと軽いノリで、キャッハウフフ&うぇーいしてる人達と、それを遠めに三角座りして見てる人達がおるみたいな感じやと思てたわー。」
って書いてて、まさにプロポーズはオフ会をそんな感じにさせる燃料になってると思うんだけどなぁ。プロポーズは軽いノリを越えてたのかな。
プロレスは大河ドラマなので、歴史ある人はそれだけで有利なジャンルであって、
彼のキャリアを考えるに尊敬されるべきレスラーなはずなのだけど。
なんとなく丸っこい体つきがキモいとかでもない。髪型もまぁしょうがないと思える。
性格の悪い設定も、鈴木実はSだったわけなので、いじめっ子キャラは生まれつきだ。
この間、大社長が「飯伏と竹下が3団体所属」みたいなツイートをした直後に
あーなんかうぜえなこのヒトと思いつつ、自己顕示欲のないレスラーなんて
この大人げない感じは、レスラーとしてはむしろ美徳であるはずなのに。
もしかしてU系全般があんまり好きじゃないんじゃないかと思ってみたが、
船木の銀の衣装が剥がれてマットにくっついちゃってたり、
船木は嫌いじゃない気がしてる。今は興味ない。
田村はワリと好きですね。今でも好きかも。現役なのか知らんけど。
デンデンデデデンデデデデじゃなくて、チャー↑ラー↑↑ラー↑↑↑で
結論が出ないまま終える。
「ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。
最初に立場を明らかにしておくと、増田は、典型的な富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波。富野信者なので。
で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。
「UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語のメッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品に対して、茶番だの陳腐だの説得力がないだのただの二次創作だなどと言うのはいいが、それを一番、自覚しているのは送り手自身なのではないか、という疑念をぬぐえずに今に至っている。
どういうことか。
「ガンダムUC」というのは「ラプラスの箱」という秘密を廻る物語だ。
これはほとんどマクガフィンに近く、中身は実はどうでもいい。とにかくこいつが連邦の中枢により隠蔽されたことで、宇宙世紀の歴史(とニュータイプ思想)は歪み、1stガンダムから「逆襲のシャア」まで続く戦乱の歴史が巻き起こることとなった。しかし歪んでいようが何であろうが、百年続けば、それは秩序の一部となってしまっている。
既存の秩序の維持するため、「箱」を隠蔽するか? 混乱を呼ぶとしても、「箱」を公開するか?
少年たちは後者を選ぶ。たとえ波乱の未来を到来させるとしても、「不正義による秩序」より、勇気を持って「正義による未来」を選ぶ。物語が描くべき正しい選択、正しい若者のあり方だと思う。
かくして宇宙世紀は箱の呪縛から解放される。人の革新=ニュータイプ思想のもと連邦とジオンの戦いが形を変えて繰り返される不毛な連鎖から解き放たれる。これはもちろん、終わることを許されず、次々と続編を創ることを余儀なくされたガンダム産業の比喩でもあり、だからこそガノタの胸に響く。
もちろん、我々ガノタは、その選択の先に待つ「F91」や「V」の時代が、必ずしも希望に満ちた未来でないことを知っている。だが、そうだとしても、「これまでと同じことをひたすら繰り返すだけ」より「失敗覚悟で新しい世界を創る」ことを選択した若者たちの決断は、とても尊いものとして描かれる。
それを見届けて、シャアもアムロもようやく成仏する。一年戦争の呪いから宇宙世紀が解き放たれた瞬間である。
富野信者が、勝手なことしやがってと怒るのはわかるが、しかし、ともかく、それがこの映像が発したメッセージなのだ。
だが、恐ろしいことに、劇場で上映されたこの作品は、実に4年間、7巻かけて書いた結末を、直後にみずから全否定するのだ。スタッフロールが終わり、何が始まるか。
突然に、1stガンダムのリメイク、「機動戦士ガンダムORIGN I」の予告が始まるのである。
http://www.gundam-the-origin.net/
「一年戦争の時代」からの解放をテーマにした物語のラストで、唐突に「一年戦争」がリメイクされますよーと嬉々として宣言されるのである。よーやく成仏できたシャアは30分待たずに現世に呼び戻される。この予告編は意図的に、映画「機動戦士ガンダムⅠ」の予告に似せて作ってある分、余計ループ感は強い。
唖然とした。個人的には「UC」7話はそこまで引き込まれるものではなく(イデオンネタは超大喜びしたけど)、「及第点」ぐらいの印象だったが、それでも感動を返せ、という気になった。本篇終了後即座に全否定される映画なんて聞いたことがない。一体、原作者や監督やスタッフは、どうしてこんな暴挙を認めたのか。本当にそれでいいのか。このあたりの意思決定の構図はよくわからないから、とりあえず「送り手」と一緒くたにする。ともかくこの送り手が、自分で発した「箱の解放」とか「一年戦争の呪縛の終結」とか「歪んで腐敗した旧体制から混乱覚悟で新しい時代へ」なんてメッセージをまるで信じていないし尊重する気もないことだけはあまりに明らかだ。
新しい時代なんて創るつもりはないよ。
え? じゃあ「UC」はなんだったのって? ほらわかるでしょ、本音と建て前ってやつですよ、おたくもニュータイプだったら察してくださいよ、ねぇ。ほら、キュピーン! って。
これはそういう宣言だ。
ハルトーシ少年は継承した「富野の箱」を手みやげにサンライズ財団の重鎮となり、バンダイム・エレクトロニクスのガンプラを売る人になりました……それが4年かけた「ガンダムUC」の結果です、と言っているのだ。おかしいですよ晴敏さん! そんなの富野信者の晴敏さんの言うことじゃないですよ!
そんなわけで「UC」の内容についてまともに批判することの意味を私は見失った。だって送り手が、自分の語った物語を信じてない、それどころか一番ひどい形で全否定を行ってしまっているのだ。今更何を言っても単なる死体蹴り、いや、それどころか、そのような批判こそ、送り手はむしろ望んでいるのだとさえ思えてくる。
つまりこういうことだ。
メチャクチャ単純化すれば「UC」での賛否両論というのは、ガンプラオタクと富野信者の対決である。前者はとりあえずMSVが一杯出てくれば喜ぶし、後者は富野神の書いた聖典に他の誰かが一筆書き入れることなど許さぬと批判する。ガンプラオタク濃度が濃いヤツは「UC」肯定するし、富野信者濃度が濃ければ「UC」否定という話だ(繰り返すが、メチャクチャに単純化すれば、である)。
だが、両者は本当に対立しているのか? 前者の主張は「ニュータイプ思想とかどうでもいいから新しいMSV一杯出せ」であり、後者の主張は「下銭な二次創作者如きが富野神のニュータイプ思想(宇宙世紀史でもいいが)に手を触れることなど一切まかり成らん」である。
この両者は必然的に「永遠に一年戦争の外伝だのリメイクだのを作り続ける」という結論に帰結するしかない。前者は積極的に、後者は消極的にそれを肯定する。そして送り手もまた、それこそを望んでいるのはすでに見たとおりだ。
そうしてガンプラオタクは送り手の造ったMSVのプラモを買い続る。富野信者は彼らを嘲笑うことで「自分こそ富野神の思想を守り続ける孤高のニュータイプ」という立場を確保できる。
しかし、私は富野信者として、そこに安穏とすることはできぬ。そんなことをすれば脳内カミーユ・ビダンが「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!」とスイカバー突撃をかけてくるからである。散っていたお禿様の髪に顔向けできぬからである。富野信者であるということは、富野を聖典とすることではなく、富野のように生きることだと信じているからである(だから、今度の「Gレコ」だけが本当のガンダムなんですよ、という立場にも私は立つことができぬ)。
(大人しくガンダムを卒業すればよいのはわかっている。それができれば苦労はしないのだ!)
ガンダムはロボットアニメでありサブカルチャーである。ガンダムはビジネスとの兼ね合いの中でしか生まれこないし、それこそがガンダムの強さ、ガンダムの同時代性の源であることは、絶対に否定できない(ガンプラ売りに徹した「ガンダム」は嫌だが、押井守映画のような文学モドキの「ガンダム」なぞもっともっと嫌だ)。
だからハルトーシ少年だって、私が↑で書いたことは百も承知かもしれない。きっと彼は叫ぶだろう。
「やりました、やったんですよ、必死に! その結果がこれなんですよ! 映画の「ローレライ」(と「戦国自衛隊」と「亡国のイージス」)がコケて、右傾エンタメ作家の席は百田尚樹に奪われて、今はこうして富野の二次創作を書いてる! これ以上、何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」(註1)
私は、彼に答えるべき言葉を持たない。こんな時は、富野神に還るしかない。神は言っている。
"Century color Million color" ――せいきの色はまんこの色であると。
違う。
ターンAターン、だと。∀だと。全肯定であると。
送り手が自分のメッセージを一切信じていないなら、それを批判して何の意味があるだろう。逆だ。有効なのは、相手が信じていないメッセージを、こっちが文字通りに全肯定してやることだ。つまり∀UCだ。
バナージが何も考えずに箱を開けた、その蛮勇を評価するように、富野のニュータイプ思想を継ぎ、「逆シャア」の先を書こうとした覚悟は評価する。
駄作も愚作も一杯出来るのを承知で、宇宙世紀のその先が語られるのを心から望む。
できるかぎり応援する。
それしか、ガンダムに対し、緊張感を持って向きあう=富野的である方法は、ないような気がするのである。
むろん、それは、終わりのないディフェンスである。
ガンプラオタクからはそっぽを向かれ、富野信者の罵倒に耐えねばならぬ。
しかし、それでも、えんえん一年戦争をリメイクし外伝を造り続けるよりマシだと信じる。
その向こう側に何もなくても――いや、しかも脳波コントロールできてしかも手足を使わずにコントロールできるマシンにセシリーが触手レイプされ、バイク戦艦が街々を踏みつぶし、カテジナさんがオデロもシュラク隊も鏖にして、月光蝶でみんな灰になったあと、全人類が無限力に溶け合って何もかもが因果地平の彼方にスペースラナウェイする哀しみが待っていたとしても――、かまわないのである。
STAND UP TO THE VICTORY!
註1:いや、もちろん田母神俊雄と戦ってくれればよい。ついでに百田も撃てばよい。実は「ガンダムUC」の小説版には、田母神論文事件を露骨に批判した箇所が存在する。詳しくはこちら → http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html。小説版が出た頃には、ただの右のヤバイ人だった彼が、若者の支持を受ける保守系政治家候補となってしまった現在こそ、福井の田母神批判はアクチュアリティを増している。
って言えば、「あーいうのね」って想像つくと思う。
自分や他人の捻くれた自意識やそれ故の行動を140字ギリギリに書いている人たち。web漫画の『独身OLのすべて』みたいなツイットばっかりしている人たち。
かねてより低質だと思っていたのだが、とんでもなくレベルが低いのを見つけてしまった。ライターということで一応プロだし本も出しているんだけどレベルが本当に低い。
例えばこんなの。なんだかはてな記法が上手くいかねえや。
http://www.cyzowoman.com/2014/05/post_12176.html
(引用始)
なぜそう思うかと言うと、亀井は女性の失礼な質問に対して、「出会いがない」「夜中にドンキ(のような庶民的な店で)騒いでくれる人はいない」と、率先して「格下」をアピールしていたからだ。女が自ら「格下」アピールをする時、そこには「本当は自分の方が格上だけど、女同士の関係を良好に保つには、平等なふりをしなければならない。だから、私がわざわざ下に下りてあげる」という思惑が介在するものである。やはり亀井には、自分達は業界ではマイナーであっても、一般人と比べると遥かに「格上」なのだという自意識があるのだろう。
(引用終)
これ凄い文章だと思う。最初の一文は事実を列挙しているだけ。二文目は一般論で、この亀井さんに適用できるかどうかは分からない。それなのにも関わらず、「やはり亀井には、~」と結論がくる。見事な三段論法。
時間がなくてこんな低質な記事書いているのかと思って、ほかの記事がブログも確認したが全て同レベル。全て自分の妄想を開陳しているだけ。根拠のない悪口みたいなもんだ。
この人は多分リアルの世界でも、こういう妄想を現実と混同して、悪口とか言っているんだろうなと。女性の男性に隠している所の自意識なんて、こんなもんじゃねえかと。
それで思ったのが、このライターみたいなこと書いてるアルファツイッタラーって一杯いるよなあと。女性の性的であったりプロレス的な自意識を暴露する系(犬山紙子とか峰なゆかとかあーいうの)のツイッタラー。
この仁科っていうライターの得意技みたく一般論を勝手に適用すれば、ツイッターっていう140字だから隠せているけど、実は皆、このライターと同レベルの妄想を開陳しているだけなんじゃないかと思い始めた。
ある童貞の一日。
家族よりも早く起床した彼は、窓をあけて清々しい空気を思いきり吸い込むと、「よし、今日もがんばるぞ」と心の中で意気込む。
まだ誰も起きて来ないのを確認して、こっそり父親の部屋のゴミ箱から見つけたエロ雑誌でオカズを探す。
口角をわずかに上げて、鼻息をあらげる彼は、浮世の煩わしさなどまだ見つけたばかりだ。
今日は学校で友達とどんなことをして遊ぼうかな、やっぱり鬼ごっこがいいなあ、きのうの休み時間は女子の机をタッチしてエロ菌とか発生させたけど、あのとき脇を通った花子ちゃん、ほんとうにいいにおいがして、僕だけ笑っちゃったんだよね。うへへ、うへへへへ。
思い出し笑いをする姿もかわいらしい。
やば、もうこんな時間だ、と時計を見て焦る彼は、ベッドの下に収集したオカズを隠すと、こんどは自分の準備に取りかかり、ようやく起きてきたお父さんとお母さんに「おはよう。いってきます」と言って一足先に家を出る。
まだ恋を知らないけれども、あこがれは抱いているので、男と女がキスする場面などを読むと、顔を真っ赤にしてうっとりした心地になる。このとき少し立って少しばかり慌てる。
もちろん友達も童貞だから、恋の話はするとしても女性器の形を想像する程度の微笑ましいもので、たいていは妖怪ウォッチやポケモンの話になる。
友達の中でも断然に奥手な彼は、女子からの人気も高いけれども、柏木由紀が目の前に現れるまでは貞操を守り抜くと心に決めているので、休み時間は全力で友達とプロレスの技をかけあう。
むろん告白を試みる女子もいるが、彼はそのたび「タイプじゃないから」と断った。
家に帰ると、いつもならデュエルモンスターズのデッキ整理をするが、この日は終日暑かったため、さきにシャワーで汗を流すことにする。
下着を脱いで「友達はチン毛が生えたって自慢してたな」と思いながら、だれも入ってこないのにタオルを巻いて湯船に入る。
きょうの学校もたのしかったなあ、花子ちゃんってほんとうにいい匂い、ぐふふ、ぐふふふふ。
透きとおるような純白の肌を思い出して、いっそう妄想が神々しくなる。
秘部がいちばん大事な箇所だけれども、彼はあえて大切なところには手を付けない。
楽しみは後にとっておきたいから。
でも、つねに清潔で、臭くはないのである。
適当に改変した。
現実は知らない。