はてなキーワード: 朝練とは
毎日のように遊び呆けていた小学生時代も終わり、中学生になった。
最初は不安だったが1年の頃はそこそこ楽しかった。 新しい友達も増えた、部活も楽しい、小学生の時ほどではないが遊びにも行けていた。
2年生になり学習塾へ通い始めた、テストの順位が下がってきていたからだ。
学習塾に入ったことによって、元々少なくなっていた自分の時間がさらに狭まり、無いも同然になっていた。
4時に起床し、5時から朝練、8時から授業が始まり16時に終わる。そこから18時まで部活をして帰宅。
だが19時から学習塾があるので、すぐに家を出て、家に帰れるのは21時過ぎ。ここに来てやっと自分の時間が取れる。
かと思いきや、また明日も朝練があるのでもう寝なくてはいけない。
ただでさえ1日に8時間は睡眠を取りたい自分にとってはかなりキツいスケジュールだった。
溜まり続ける睡眠不足、疲労、ストレス、解消する術も無かった。
夏休みに入り、これで少しは休めるかと思ったがそうもいかなかった。
依然として部活はあったし、学習塾も受験が控えているということもあり張り詰めていた。
そんな夏休みも終わり、始業式の日がやってきた。
その日は頭痛持ちだったこともあり、朝から酷く頭痛がして布団から出られずにいた。
「頭がすごく痛い」
そう母に言うと、自分の予想していたものとは違う言葉が返ってきた。
「それじゃあ休む?」
少し困惑した。てっきり「頭痛薬でも飲んでさっさと行ってこい」くらいは言われると思っていたからだ。
しばらく考えた後、こう答えた。
「休む」
甘えた。 間違いなく歯車が外れた瞬間だった。 引きこもりの誕生だ。
それからはタガが外れたように休んだ。
最初は今日も頭が痛いと仮病を使っていたが、1週間もすればなんの理由もなくただ家で寝ていた。
結局そのまま学校には一度も登校せず、卒業式にも行かなかった。
今思えばさっさと部活をやめていればこんなことにはならなかったと簡単に言えるが、この事に気づくのに2,3年は掛かった。
当時の俺はそんなことにも気付かないくらい切羽詰まっていて、ストレスで正常な判断が出来なくなっていた。
部活をやめれば内申点に傷が付くと思い込み、ストレスが溜まるのは自分が弱いからだと思い込んでいた。 実際そうだけれど。
全国大会まで出場した。うちはかなりの強豪だった。
しかし自分はドレミファソラシド、これだけの範囲しか吹けなかった。成績が良かったのは・・・まぁ先輩が上手だったのだ。
せめてもう2つ、上のレとミまでは吹けないとマジでお話にならない。(ラッパ吹いてる人からしたらまだお話にならないと思うが)
飲み込みが良い人なら1週間で僕の実力には追いつける。
もちろん、僕にやる気はなかった。1年目で辞めようと思っていた。
しかし、当時1年生は僕しかおらず、運の悪いことにその年から熱意のある顧問に変わっていたので、
半ば無理やり部を続けさせられたのである。
とはいえ、僕はほとんど部活をサボらず、朝練、放課後、土日に朝から晩まで練習して、
夏休みのほとんどは1日中ラッパを触って、森に囲まれて死ぬほど練習する合宿にも参加して、
ラッパという楽器が本来難しいのもある。唇の薄い自分には不向きだったのかも、と今では思ったりもする。
しかしあれだけ膨大な時間の中で、高音を出せないと鬼のように怒られることを知っていながら、
それでもドレミファソラシドというのは大変に貴重な体験なのではないだろうか。
これの原因は、はっきり言って私にあります。
それは分かっています。だけどずっと抱えていたものをここに書かせてください。
例えば、Aちゃんの話です。Aちゃんとは同じクラスで、最初はよそよそしかったのですが、同じ趣味があり、意気投合しました。人見知りだった私にはAちゃんは頼れる姉みたいな存在でした。
けれどAちゃんは、突然私に冷たくなりました。私は最初理由が分からなくて本人に問いかけました。ごめんなさいと謝りました。でも何も言ってくれないし、あっそ、と冷たい返事が返ってきました。
それ以来Aちゃんとは話していません。Aちゃんと私の共通の友達にAちゃんが怒ってる理由を尋ねてみたりもしましたが、その友達からは、一言だけ、【私が何かしたらしく、それが気に入らなかったらしい】と言われました。
私は、どうしてそれを直接言ってくれないのだろう、私はエスパーじゃないから、相手が何を考えてるなんか分かるはずないのに。そう思いました。
結局Aちゃんとは学校を卒業するまで仲直りは出来ませんでした。
卒業前にもう一度ごめんなさい、と伝えましたが、それがどう捉えられたのか、それは分かりません。
ただ、私はどうすれば良かったのか、今でも分かりません。
他には、Bちゃんの話です。
Bちゃんは、同じ運動部の部活に所属していました。趣味も似ていて、部活以外でも仲良くしていて、一時期は一緒に帰ったりもしていました。
その子は、部活引退の約2ヶ月前、私のせいで辞めてしまいました。
元々Bちゃんは部活に滅茶苦茶熱心な方ではなく、よく休みたい、とか呟いている子でした。
そして運動部のメンバーの中でもあまり強い方ではありませんでした。
けれど本人は勝ち負けを気にしている素振りもなかったし、ズル休み等していたので特に本人に何も言いませんでした。
ここで理由を聞かなければ良かったのですが、理由を聞いてしまったのが私の過ちです。
Bちゃんは、どれだけ努力しても強くならないから辞める、と言い出したのです。
私は頭に血がのぼるのが分かりました。
はっきり言って、その子はお世辞にも努力してるようには見えませんでした。朝練にも殆ど来ない、居残りもしない、休憩時間もずっと駄弁っていて、ズル休みもしていました。
私は朝練も行って、居残りも出来る時はして、ズル休みは一度もしたことがありませんでした。
Bちゃんに、【上手くなりたいなら、もっと努力したら!!?】と感情的になって言ってしまいました。
結局Bちゃんは部活を辞めました。
後々考えれば、私にももっと言い方があったのではないかと思うのです。そうすれば、今も仲が悪いなんて状況にならなかったのではないかと思っています。
後悔ばかりの人生です。
けどここで少し吐き出せて良かったです。
長文失礼しました。こんな私を許してください。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
■この記事のテーマ:私の母校の薙刀部が漫画のモデルになった事実を基に、運動部漫画と現実の運動部の違い、運動部の光と影についてを書いた。
(文化部にも言えることとは思う)
その2:部活の活動時間・日数(あくまでも一般論として親のサポートと部活熱心な顧問の実態についても書いた)
■書いた目的:小中高校生とその保護者に「部活選びは将来の進路のことも見据えて慎重に考えて欲しい」と伝えるため
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今年2017年に舞台化、映画化された漫画『あさひなぐ』の薙刀部のモデルとなったのは私の出身高校の薙刀部だ。
私は『あさひなぐ』を読んでない(観てない)けど、ネットであらすじを読む限りは爽やかで熱い運動部漫画という印象を受けた。
野球にせよサッカーにせよ何にせよ運動部漫画は、運動部のきれいな部分しか見せない。
■飲酒について
時々ニュースになる先輩から後輩への暴力、指導者から生徒への暴力(いわゆる体罰)、生徒の飲酒喫煙などはまず扱われない。
先輩後輩間の暴力と顧問やOGの体罰というのは聞いたことはないが、薙刀部所属の生徒複数人は高校生(未成年)のうちに飲酒していた(喫煙は聞いたことがないし見たこともないが)。
私が知っているのは学校行事の打ち上げ(夕食会)のことであり部活関係で飲酒があったかは知らない。
しかし時・所が部活とは関係なくても未成年の飲酒は犯罪だ(軽犯罪だが)。
私も含めて先生にちくる人が誰もいなかったから彼女達は退学や停学にもならないどころか部活も引退まで続けていられた。
彼女達が飲酒していた証拠はない。少なくとも私は持っていない。
私は母校の薙刀部もしくは母校全般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。
「部活を頑張っている高校生(未成年)が裏で飲酒や喫煙、いじめや後輩への暴行をしているというのは、特定の学校や特定の部活に限った話ではない」ということを言いたかったから書いたのだ。
部活の活動時間の長さ、活動日数の多さについても、部活漫画で触れられることはほとんどないと思われる。
(ちゃんと調べたことはないが)
多くの教師がTwitterなどで発言したり、マスコミが報道するようになって段々有名にはなってきたけど、今の部活の活動時間はとにかく長いし、活動日数も多い。
土日のどちらか1日は休みだったのか、土日両日が部活だったのかまでは知らない。
先生にも親戚付き合いはあるだろうし。
正直なところ、大学進学を目指すならこういう部活と勉強を両立させるのはすごく大変だ。
両立して、学年トップクラスの成績を維持するような生徒もいたが稀な存在だった。
薙刀部の部員ではなかったけど、同じぐらい忙しい部活に入っていて、勉強は試験1週間前から慌てて始める生徒達も高校にいた。
そういう生徒はさほど珍しい存在ではなかった。
『あさひなぐ』に限らず部活を扱った漫画等の影響でその部活をやりたがる小中高校生は多いだろう。
それ自体は悪いことではないけど、自分が卒業後(または将来)どうしたいのか(具体的に言うとどんな職業に就きたいか。高校受験や大学受験の場合はどんな学校に行きたいか)きちんと考えて、親ともよく相談して入部するか否かを決めて欲しい。
部活って、一度入ると辞めたくなっても辞めづらいので。
そうして悩んでいる間に勉強が疎かになって行きたい高校や大学に受かりにくくなってしまったら、時間の無駄なんじゃないかなと思う。
AO入試またはスポーツ推薦入学という手段もあるので、卒業さえすれば勉強できなくてもいいかもしれない(極論だが)。
私は今の入試のことは何も知らないので、入試のことも含めて親と相談してから入部を決めて欲しい。
■親のサポートについて
話は逸れるが親(ほとんどの場合母親)も子どもが運動部に入ると、朝練や土日の練習に間に合うようにお弁当作ったり、ユニフォーム洗濯したり、部費を支払ったり、大会の送迎・応援に行ったりと、子どもの部活関係の仕事が増える。
そういう意味でも生徒の皆さんは忙しい部活に入る場合は必ず親(ほとんどの場合母親)に相談して理解を得てから入部して欲しい。
母親が外で働いていようが専業主婦だろうが、母親にも母親の人生がある。
大抵の親は子どものやりたい事をサポートしてくれるものだが、だからといって甘えないように(既に理解していたらお小言すみません)。
親にとって部活関係の仕事が大きな負担で、やりたくてもできないケースもあるのだから。
どこの部活の顧問かは書かないけど、部活が教師という職業のやりがいになっているかのような顧問は何人かいた。
そういう先生方は生徒・学生時代からその部活をしていて、部活の顧問になりたくて教師になった様子だった。
うち2人は体育教師。
母校に限らず、体育教師には部活の顧問になりたくて教師になった(体育大学に入った)人が全国的に多いんじゃないかと思う。
近年ネットでもそういう体育教師がいるって話を読んだことがある。
いや、体育以外の教師にも特定の部活の顧問になりたくて教師になった方もいるようだが。
しかし、国語や数学、英語なら入試に関わるから生徒や保護者から分かりやすい授業や学力向上や進学実績を求められるけど、体育は違う。
小学校ならまだしも、高校ともなれば生徒本人も運動ができない事を改善しようとしなくなるし(少なくとも私の目にはそう見えた)、保護者もそういう要望を体育教師にはしない。
部活以外の生徒及び保護者からあれこれ言われないから、部活の顧問に力を入れるなら教科は体育(もしくは音感や技術家庭など実技全般)が適任なんだろう。
そういう部活の顧問は、部活を生き甲斐にするタイプであることが多いだろう。
(部活にあまり興味ないけど保護者や生徒の要望で活動日数を増やしているケースもあるだろうが)
先生にとって部活が生き甲斐なら土日や夏休みが練習でも平気、それどころか嬉しいのだろうけど
活動日数や長時間の練習が負担になり苦悩する生徒もいるし、子どもの部活をサポートするのを負担に思う親もいる。
そういう生徒や保護者は珍しくはない。
私は『あさひなぐ』のモデルとなった薙刀部を(部員ではなかったが、同じ学校に在学して)知っている。
だからこそ漫画で描かれる運動部と、現実の運動部の違いを(運動部の光と影と言ってもいいが)、小中高校生に知って欲しい。
母校の薙刀部に限らず、運動部・文化部を問わず、部活に入る前は活動日数や時間の長さ、先輩達が飲酒喫煙や暴力に手を染めていないか、先生のパワハラ(体罰含む)を可能な限り調べて欲しい(生徒だけでなく保護者も)。
入部する前に親子でよく話し合って欲しい。
私個人的には部活をする学校生活は良い物だと思うし、本人にやる気があって部活に打ち込む中高生を悪くは思わない。
部活で勉強が疎かになり受験や就職試験に落ちたら、その人にとって部活は弊害だったと言わざるを得ない。
すぐには答えが出ないことだが、中高生のうちに「自分は将来何になりたいのか、どんな人生を送りたいのか」をよく考えて欲しい。
将来の目標や卒業後の進路に、特定の部活が必要なのかよく考えて、親ともよく相談して欲しい。
部活でやった事を将来の仕事(スポーツ選手や演奏家など)にできる人は少ない。
しかし、部活をやることで勉強が疎かになったり、健康を損ねること(多すぎる練習や飲酒喫煙などで)になるんだったら、その部活には入らない(続けない)方がいいと個人的には思う。
繰り返しになるが、私は母校の薙刀部もしくは母校全\般を貶めるためにこれを書いたのでは全くない。同様に『あさひなぐ』という作品とその関係者を貶める意図も全くない。
多くの漫画では描かれることがない「部活の実態」を伝えることで、小中高校生とその保護者に後悔のない選択をして欲しいと思い書いた。
(『忙しい部活に入るな』って意味ではありません。プロ野球選手になりたい少年には野球部が必要であるように、部活が子どもの将来に必要なら是非入部して欲しいと個人的には思っています)
なお、母校の名前は書かないでおく。
今の薙刀部のことは全く知らないし、現役の生徒達がかわいそうなので。
都立校、とだけは明かしておく。
学校の公式サイトの薙刀部のページにも『あさひなぐ』の薙刀部のモデルはウチだという主旨のことが書かれているし、検索すればすぐに分かりますよ。
最近、部活問題だとか民営化しろだとか、教員の多忙だとか、いろいろ話題になっているから、一教員として書いてみる。
教員には、原則残業手当、休日出勤手当とかはつきません。すべてサビ残、サビ出勤。
教員の仕事は、家で教材研究したり、研修会に出たり、突然放課後生徒対応したりと、残業ってくくりで測れないからってのが理由。
そのかわり教職調整額ってのが付くけど、残業代にしたら一日当たり20分足らずの額。
まずここ押さえてくださいね。
で、当然時間外勤務は義務じゃない、サービスだから、「やらなくても良い」、もっというと「やりたい人が勝手に好きでやってる」という扱い。
土日祝日などの休日の仕事も、勤務時間外の仕事も、すべて「その教員がやりたいから勝手にやってる」という扱いで、当然残業手当も休日出勤手当もつかない。
(一応土日の部活は、特別勤務手当って名前で、4時間以上やれば4000円くらいもらえるようになってる。4時間未満だとゼロ。4時間以上なら8時間でも12時間でも4000円程度。交通費だけで足が出るから、時給換算するとコンビニでバイトしてた方がマシw)
人によるし、学校による。
今学生の人はわかると思うけど、先生たちが朝職員室で打ち合わせしてるでしょ?
はい、ここでまず一つ目の矛盾。勤務開始時間は8時15分とか8時半とかなのに、多くの教員はその前に出勤して登校立ち番とか補習とか朝練の部活とかやってる。
これらは全て、「勤務時間外にその教員が、好きで勝手にやってること」という扱い。
当然お金は発生しない。
ある人は、「生徒のため」と使命感に燃えて、ある人は「みんなやってるから」と同町圧力に負け、ある人は「やって当たり前」と何の疑問も抱かず、今日も搾取されています。うへぇ。資本主義の原則を身をもって教えてるんですね。さすが先生!
8時15分に朝の打ち合わせが始まる学校は、16時45分には勤務終了です。
当然そう思いますね。
あれは全て、「教員が勤務時間外に好きで勝手にやってる」という扱いです。
だって好きで勝手に学校設備借りてやってるんだもん。まぁ可哀そうだから、事故とか怪我があったら学校の保険適用内にはしてあげるよ、程度。
大抵の公立中学、公立高校の運動部は18時程度までは部活をやると思います。それは全て、教員のサービス残業によるものですので、あしからず。勤務時間より後、教員は部活をやる義務はありません。「その教員が好きで勝手にやってる」という扱いなんです。
これを読んでる公立学校の中高生、顧問の先生は勤務時間後はボランティアで付き合ってくれてるわけで、練習日を増やせとか、練習時間延ばせってのが、いかにわがままな要求か自覚しましょうね。
で、放課後部活があるせいで、授業の準備とか、担任だったらクラスの事務作業とかは、部活が終わってからになる。
勤務時間がとっくに終わってから、ようやく仕事開始って、ナニコレ。
「先生なんてそんな仕事あんのかよ。」って声が聞こえてきそうですが、近年どんどん増えてます。保護者にプリント一枚配るのでも、お役所的な書類作って、「これこれこういうプリントをいついつに出します」ってのを回覧して、許可とらなきゃいけない。
要はお偉方が責任取らないで済むように、何をやるにしても「事前に報告がきちんとなされていました」という事実を作るために、公務員っぽい書類を作らなきゃいけない。
学校によっては、授業一つやるにしても、その授業の案とか出さないといけないんだぜ?
正直、これら書類を勤務時間内に全部終わらせようとしたら、忙しくて授業なんてやってる暇がないってのが、教員のブラックジョーク。
さらに、まじめで頑張る先生ほど、授業の準備とか、教材の準備とか、自分のクラスのこととかに時間をかける。
当然サビ残です。
で、冒頭に「人によるし学校による」と書いたのは、人によっては「部活顧問なし」「授業準備一切しない(すべて去年使ったプリントをそのまま配るだけ。テストも去年使ったのをそのまま)」「担任してても自分のクラスのために勤務時間外に時間使わない」って教員もいるし、それで成り立ってる学校もあるから。
てか、教員が定時出勤定時退勤しようと本気で思ったら、このくらいしないと無理。
でも、ほとんどの先生はある程度の情熱を持って教員になってるので、人によりけりだけど、頑張っちゃう。だから多忙。勤務時間外になってようやく授業準備したり、テストの採点したり、家に持ち帰って頑張っちゃう。
大体、定期テスト終わってその日に部活あって、いつ採点すんだよ。土日も部活で、家に持って帰ってやるしかねーわ、ってのが多くの教員の現状。
それが嫌なら、全部○×問題とかで、速攻で採点できるテストにするしかない。
教員は民間経験者少ないから、世間知らずが多いってのは、本当。
だから上記のような状況でも「それが当たり前」だと思ってる。
ブラック度合いにかけては自信があるIT土方からの転職だけど、それ以上にブラックよ?
なにより問題なのは、「頑張っても頑張らなくても給与は一緒」ってとこ。
ブラック企業に勤めてた頃は、一応歩合なり、成果報酬があった。
土日返上で働いて案件仕上げて、納品数多くすれば、その分歩合でお金貰えた。
公立学校教員は、基本的にクビにならない。それでいて、基本的に勤続年数に応じて給与が上がる。
だから、事件になるような問題起こさなければ、どんなに仕事サボってても、やる気なくても、給与が上がっていく。
逆に、どんなに頑張ってても、やる気で休日返上で仕事してても、同期と給与一緒。
「生徒のため」を理由に労働力搾取されちゃう人は、無限に搾取されちゃうシステム。いやー、夢持って教員になっちゃったせいで、俺も順当に搾取されてますわ。
土日休みたいよ?
でも、生徒から「部活もっとやりたいっす」「全国いきたいっす」とか言われたら「よーし、頑張るか」とかなっちゃうタイプ。
「受験近いんです」「先生の教え方がわかりやすいから、教えてください」とか言われたら、「よーし、放課後と土日、補講やるか」とかなっちゃうタイプ。
予備校行けない生徒、家庭環境が悪くて家で勉強できない生徒のために、長期休業中も学校開放して自習&補習やる。
部活で全国まであとちょっとの連中のために、やりたいだけ練習やる。
あれ、気付いたら俺、去年10日しか休んでないよ? 365日中だぜ?
なのに、土日祝日すべて休んで有給休暇全て消化した人と、同じ給料だぜ?
うーん、他に類を見ない、素敵な職業ですね。
教員の給与が高いってんなら、法外な時間外労働をなくすのと引き換えに、基本給引き下げもやむなし。
でもさ、「教育」って数値で出る結果だけが目標じゃないじゃん。
指導要領でも、教育の目的って「人格の形成」とかいう、わけわかんないのが目的にされちゃってるわけで。
大学進学率だとか、就職率だとか、そんなんじゃ教育が成功したかどうかなんて測れねーのよ。
いやさ、じゃぁどうやって測るかって言われたら、そりゃ無理なんだけど。
というわけで、色んな奴が色んなように(人様に迷惑をかけない範囲内で)生きているのが面白い社会なんだから、そういう「色んな奴」を育むために「色んな教員」がいていいと思うし(いわゆる老害教員含め)、そういう「色んな大人がいる」ってのを身近に見られるってのが、学校教育の良いところの一つなんじゃないですかね、ええ。
だから民営化して成果主義効率主義とかにならないためにも、公教育ってのは必要なんじゃないかなー、と。
ただまぁ、生徒たちに「働き方」を見せる大人として、「サビ残当たり前」「滅私奉公」ってのを植え付けるのは、ちょっとなーと思うわけです。
教育にすべてをささげる熱血先生もいてもいいし、そういう人を必要としてる生徒もいると思うけど、のらりくらりの浮雲先生もまたどこかで必要とされてるんじゃないか、そういう人がほとんどいなくなっちゃったのは、物凄い損失なんじゃないか、と。
3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。
中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。
辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。
中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。
1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。
その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会に進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。
また冬が来た。
去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。
「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍が口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。
真冬で太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。
一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。
県大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。
僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。
東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。
勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。
僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。
ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。
2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。
そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。
設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会に運動部が出場するのは初の快挙だった。
僕らは涙を流しながら抱き合った。
顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。
数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会の舞台に立った。
1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。
実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。
全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。
詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイクで大会に臨んだ。
だがこの判断が間違いだった。
ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。
下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。
集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。
僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。
僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。
仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。
自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。
同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生の勧誘やらを前に迷っていた。
「これから先でも戦えるのだろうか」
全国大会で天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元の友達皆が行く近場の学校に入学しようと考えていた。
そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。
僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。
正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。
結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心はボロボロだ。
それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。
前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。
色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。
僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。
この事実を教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑だから走れ」と練習を強制された。
当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。
僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。
そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。
今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。
歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。
この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。
1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。
ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。
それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎの区間だったが。
少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。
怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。
それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。
僕は迷った。
でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。
少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしまい練習ができなくなる。
救いなのは大学はある程度自由にトレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。
ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝のメンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。
県大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。
正直箱根駅伝のメンバーにもなれない人間は実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。
でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。
中学の時、朝練が急きょなくなりいつもより早めに教室に入ったら、隣の席の女の子が何人かでエロ本を読んでいた。
「何やってんだよ・・・」ってクールな感じで切り抜けたけど、「絶対言わないでよ」って言われてから、その子からのボディタッチが日に日に多くなった。
ある日の帰り道、方向が一緒だったので一緒に帰っていたらエロ本の話になって「ウチくる?」って話になり生まれて初めて女の子の家に行くことになった。
部屋に入るまでは特に思わなかったけど二人きりになった途端、なんだか急に恥ずかしくなってドキドキして無口になった。
親は仕事でいないらしく童貞の俺でもこの状況はやれると確信できる空気だったのだけど、無言の空間に怖気付いて「用事思い出した」って言って帰った。
あれから席替えやらクラス替えがあったけど、あんまり話さず高校も別々になった。
そんなクラスメートの女の子から突然Facebookで友達申請&メッセージが来て飲みに行くことになった。仕事で上京しに来たらしい。
もう30近いし中学のころからさすがに老けてたけど、笑顔の素敵な巨乳の女性に成長していた。
仕事の話、高校や大学の話、どこかに旅行行った話など他愛もない話で盛り上がって楽しかった。
2件目を出てそろそろお開きかなと思い「品川駅まで送ってくよ」と言ったら「泊まっていい?」と言われて、あの日の思い出がよみがえった。
女の子の部屋の匂い、キスしそうな空気の中で逃げ出したこと、置き去りにした俺の青春が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。俺はもう子供じゃない!
一呼吸置いて「おう、いいよ」と返事をしたら「増田はいくじなしだからやっぱやめとこ」って笑顔でそう言って、その子は本当に新幹線に乗って帰ってしまった。
これ、やれましたかね?
労働者の権利があるなら学生の権利というのもあっていいだろう。
例えば大学生の権利というのは非常に弱い。自分は工学部卒なのでどうしても理系の話になってしまうが容赦してほしい。
・実験をすっぽかしたりすると一発で留年。実験に1回遅刻しただけで留年の場合も。
・必修科目落とすと場合によっては1科目落としただけでも一発で留年確定。再試験が無い場合、ぶっつけ本番のテストで一定の点を取らないと一発で留年する。
・そこそこの病気になると留年。学校休んで葬式行くのが許されるのは親など極限られた親族が死んだ時のみ。
・研究室ではこき使われる。アホみたいに拘束されて夏休みほとんどもない。
特に奨学金を打ち切る指定暴力団学生支援機構が悪質だ。奨学金は経済的に困窮している学生に教育資金を援助(貸与)する仕組みだ。では、経済的に困窮している学生が、なんらかの事情でコロッと留年して、奨学金が打ち切られたらどうなるか?経済的に困窮している学生は経済的に困窮しているから、当然大学をやめざるを得ない。経済的に困窮している学生だった無職は、高卒の肩書と数百万円の借金を背負ったままどうやって生きていけばいいというのか。留年するやつが悪い、と思うかも知れないが、大学生というのはがんばっていても留年するときは本当にあっさりと留年するものなのだ。理系なら学生の4割が留年する学科も珍しくない。
お金の話は置いておくとしても、アホみたいに課題を出してくるのも問題だ。課題が多すぎて土日はほとんど休めないという学生は少なくない。
・朝から晩まで馬車馬のように勉強させられる。課題も山ほど出る。
・部活もある。朝早く出て朝練、放課後は遅くまで練習。部活強制とかいう謎の制度を持つ学校も多い。
・それだけでなく、休日に授業がある。たまになら別に良いかもしれないが、毎週土曜日に必ず補習がある学校や地域も存在するらしい。
・教師の主観で評価を付けられる。中学校の場合、評価が悪いとろくなところに進学できない。
・服装や髪型の規定が異常に厳しい。染めるのはもちろん、ちょっと髪が長いだけでアウト。中高生には基本的人権すら認められていないのか。
これでは中学生高校生は死んでしまう。冗談じゃない。日本でブラックなのは企業と皇室だけではない。なんと学校までもがブラックなのだ。
こんな調子では勉強と部活以外のことができないではないか。いくらなんでも学校の束縛が強すぎる。あれはするな、これはするなという調子で私生活を制限しまくった上で学校で勉強ばかりさせているから大学生になった途端何していいのかわからなくなったり、「学校が人生のすべて」みたいな固定観念ができて、ちょっといじめられたくらいで自殺してしまう子供が出て来る。悲しいことだ。
アホみたいに勉強するのが尊いと思っている人は多いが、そんなことはない。学生にもっと自由な時間があれば、やりたいことや趣味や生きがいが見つかるかもしれないし、将来やりたいことが見えてくるかもしれない。その結果として、将来やりたいことを実現するために勉強するのは確かに尊い。しかし勉強しか知らないから勉強をするというのはただの思考停止だ。尊くもなんともない。
そもそも学校の勉強、特に中学高校の勉強というのは進学先、就職先によっては本当に糞の役にもたたない。理系に行くなら古文漢文は100パーセント無駄だ。教養は大事とか言う奴は居るがそんなことはない。教養がなくても幸せに生きている人はいくらでもいる。教養があって良いことといえば少し悦に浸れるということくらいだ。クソつまらないし99パーセント受験以外で役にたたない古文漢文のために、最も頭脳が柔らかくて、最も体力があって、最も感受性が豊かな10代の後半に、死にそうになりながら学校と自宅を往復をすることに意味があるだろうか。しかしそれでも学生たちは古文漢文を勉強しなければならない。なぜなら受験で必要だからだ。
最近でこそマシになってきたが、一昔前は、教師というただの小汚いそのへんのオッサンが、か弱い小学生や中学生や高校生をぶん殴るという異常事態が全国規模で発生していたし、それが当たり前のこととして受け入れられていたから周りも何も言わなかった。そのくらい学生というのは「勉強して当たり前」「親や教師の言うことを聞いて当然」という考え方に迫害されて生きている。我々はもっと学生の権利を考えるべきではないか。
・朝練夜練や休日練習を学業や私生活を犠牲にして頑張って全国制覇を目指すような人達
のことを指す場合が多い。
それに対してエンジョイ勢は
・勝ち負けにこだわらず皆で楽しくやろうぜ的な人達
のことを指す場合が多い。
後者は兎も角として、前者もガチ勢からは怠け者扱いされているのが現実で、
ガチ勢と試合すれば負けてしまい敗北感を味あわなくてはなりません。
練習時間が倍以上違うのだから差がついて当たり前、でもそれは決して怠けているからではありません。
プロではないのだから学業や私生活を犠牲にしない程度に頑張っている方が普通で健全なのです。
その健全な生徒たちがガチ勢に負けたからといって敗北感や劣等感を持つ必要は無いのです。
しかし現実に全国レベルで良い成績を収めようと思えば、やっぱりガチ勢にならざるを得ません。
つまり学業や私生活を犠牲にしなければチャンスを与えられないという奇形的努力が必要になります。
これは教育機関として間違っています。生徒はプロではないのだから。
別にガチ勢を否定しているわけではありませんが、エンジョイ前者にも何らかの形でチャンスは与えられるべきでしょう。
学業や私生活を犠牲にしないレベルで頑張るというのは、人間的生活を営む上で尊重されるべきです。
賀茂川の橋と橋の間にはぴょんぴょんと飛んで川を渡れる飛び石があっていろんな人が飛んでいる
カメラを回し始めてすぐお調子者っぽい若者、大学生かな?大げさな身振り手振りで・・・ああ危ない!
やっぱり川にハマっちゃった。
今度は小学生の男の子が2人。小学生は小さい分、1つずつ確実に飛ぼうとするから意外にハマらないみたいね。
デートのカップルかしら。ハマればいいのに!あーあ、渡りきっちゃった。
時計は進んで夜、午前0時過ぎ。
千鳥足のサラリーマン、渡るつもりかしら。危ないよ。やっぱり一つ目から飛び損ねちゃった。動かないけど大丈夫かな。うつ伏せのままどんどん流されて行ってる。
まだちょっと肌寒い早朝。賀茂川には散歩やジョギングの人が行き交ってる。
昨夜のサラリーマンの姿は無いけどどうだったのかしら。ちょっと心配。
真っ黒に日焼けした男の子、部活の朝練習の高校生かな。用具の入った大きなバッグを持ってピョンピョンピョン。
さすが運動部員。あららハマっちゃった。意外。油断しちゃったのかな。
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なんの変哲もない地方の公立校。たまたまミニバスケット経験者に上手い子が多かったからか、顧問教師が張り切った。
毎日朝練、放課後練。夏休みも毎日練習。休みはお盆の1日と年末年始の2日だけ。1月2日から練習だった。今振り返ると頭がおかしいとしか思えない。
私の学年の部員は20人くらいいたが練習を休む人はほとんどいなかったように思う。休むと陰口を叩かれた。
バスケットは5人でやるスポーツだ。ベンチには15人が入れた。バスケは野球やサッカーと違って何回でも交代出来るし、一度ベンチに下がっても再び交代してプレイすることが出来る。バスケは走りっぱなしのスポーツだ。ものすごく疲れる。
でもうちのチームは6人目のプレイヤーが育たなかった。顧問も育てようとしていたが途中で諦めたように思う。もともと一番上手い5人がスタメンなのだ。それに劣る6人目が、試合経験もスタメンより少ないのに突然交代してスタメンと同じように活躍するのは難しい。
土日は毎週のように練習試合を行い、1日2試合から3試合全てにスタメンだけが出場した。
チームの最終的な結果は県大会1回戦敗退。
スタメンは体力的にも精神的にも本当にきつかったと思う。1人は途中で疲労骨折をして一時離脱した。
練習も長くて嫌だったけど、不合理ことが多すぎで嫌だった。
■練習内容
朝練7:00~8:20頃まで 制服に着替える時間がなくてユニフォームで授業受けてたこともある。
昼練といって昼休みに練習するので、昼食は5分位で終わらせるか、別の休み時間に食べる。
授業の6限が終わって、9時前位までの練習は普通。
8時台前半だと今日は早いという感じ。
外部コーチ達が「朝練はいらない。」「睡眠を増やしたほうがいい。」と言っていたが変わることはなかった。
食欲がなくなるから食べられなくなる。
■学業
いつも眠たかった。肌荒れするし授業中は寝まくってた。
宿題は見せてもらってばかりだった。長期休みの宿題は1回もしたこと無い。
行事にまともに参加したことは一回もない。
機嫌が悪かったら、とにかく八つ当りされた。
体育の授業終了後、野球のことで嫌味を言われる←(俺)
・自分含め3人であるところの水抜きをしていたら、「そこはネット張るからしなくていいだろ!」と
練習メニューを聞いていないのに言われ、
「罰として、それぞれ正門前、隣のコンビニ、裏の工場の前に立っとけ」と言われ
自分は一番遠い工場前に立たされた。後にマネージャーが呼びに来る。
・合宿中は
・合宿中に試合に負けて、夕食中に部員同士で会話をしながら食べていたら
「悔しくないのか?」と怒られたので
しかし、作った人がいたからか「お前ら黙ってて食べていたらまずそうだろ!」
と言うので部員たちは「これは旨い!」などと不自然に話し始める。
練習が数時間中断したりする。
「数年ぶりにパチンコやってきたわw」
とか言っていた。この時だけは一生消えとけ、と思った。
・「与えられた練習メニューは、なんでこういうことをするのか考えるな」という。
「説明したら時間がかかる」とか言ってたが
説明できないだけじゃないのか。
・駄々をこねて、「練習メニューを教えてやろうと思っていたのに」
後に嬉々として戻ってくる。
する予定だったのに、時間を早めて一旦集合先を自分の高校に変更。
理由は「お前らに○○と呼ばれる筋合いは無い」と言うためだけに。
・地獄耳だから、ある部員が監督の批判をしているのを耳にしたら
・お菓子の試供品を部員に配付したのに「なんで食べてるんだ?」という。
とても個人で買えないような器具を「買え」と命じる。
(八つ当たりしたいだけなので、結局買っていないが)
・「帰れ!」と何回も言ってきたが、いつも自分達部員は帰らなかった。
それでも「帰れって言ってるんだから帰れ!」と言ってくる日々だった。
ある日同じことを言われたので、部員同士で相談して本当に帰った。
いつも何回も同じことを言われる繰り返しなので。簡単に本当に帰ったわけではない。
後日「帰れって言われて帰る奴がいるか!」
結局何をしても怒られる。
こんなことをしているが、校外には「野球を通じて人間をつくる」みたいなことを言っている。
(俺は「ハァ?バカじゃね?」と思っていたが)
・野村克也を意識しているのか、部員から年賀状きているか確認する。
これ以外にも不合理なことがたくさんあったけど
もっと変なエピソードもあるのですが、匿名ダイアリーなのでやめておきます。
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これ、野球をやりたいっていう部員を利用したやりがい搾取みたいなもんだな。
サッカーみたいに別のチームに移りやすかったら、こんな部は成り立っていなかっただろう。
思い出して書いてたら本当に馬鹿らしくなってきた。
砂の栄冠って漫画のガーソくらいなら余裕で歓迎です。
妹の中学生の息子がすべての時間を陸上部の活動に費やしてるらしい。起きて朝練、放課後は部活、帰宅後はクタクタで飯、宿題、風呂、寝るだけという毎日。特にめずらしい話とは思わないがこれでいいのか。
不健全なことをしたり考えたりする余裕を与えないので親や教師は安心なんだろうけど、実はこれが無個性な社畜すなわち奴隷の生産に繋がっていると見る。
部活なんてその道でプロになるか一生の趣味にでもならないと全くの時間の無駄。大会で勝てるほどレベル高いのは稀だから成功体験も得られない。友達との単なる暇潰し。だったら普通に遊ぶか勉強するか、興味のある事に手を出すのに時間使った方が良い。
毎日適当な負荷メニューが上から与えられ、それをこなしておけば叱られないから何も考えずにやり続ける。こういう人生が多すぎる原因は部活という教育方法にあったのだ!子を持つ親はよく考えるべき。