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2017-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20170327224701

いわゆる戦前全体主義思想って

天皇陛下への滅私奉公矯正する一方で

国民天皇陛下の子供みたいな思想があるから

その場合障害からってじゃけに扱うのもいろいろとまずそうなきがした。

ナショナリズム全体主義ってのは「国民の一体感」が必要から

障害なり貧困なりで「分断」が起きるのは戦争起こしてでも防ぎたいだろうし。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316191915

文化祭関係なく、学校行事の度に

滅私奉公的なことを言い出す人はいたけど、

あれって森友学園とどう違うんだ?

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

の皇運をクラスに置き換えたようなことを毎日毎日聞かされて発狂しそうになったのは自分だけか?

リベラルはてなー的にはあれはどう思うんだろ。

キャラ文化祭廃止!」

キャラって運動会だけを嫌ってたか?どっちかというと、文化祭も嫌ってた覚えがあるんだが。

少なくとも自分は、先生の言うとおりに適当にやってりゃいい運動会ある意味楽だったしそこまで嫌いではなかった。




しかし、文化祭に関しては大嫌いだった。あの「クラスみんなお友達」「みんなで協力しましょう」みたいな構図。

クラスに貢献しなさい」「宿題なんかやってる暇あったらクラスに尽くしなさい」「そして文化祭で優勝するのだ」とかいう気味の悪い言葉の数々。

戦時中滅私奉公を思い出して、ネトウヨ高校生だった自分ですら、ヤバイと思った。リベラルはてなーなら、これこそ問題にするべきではないのか?

クラス所属してるかどうかも怪しいような陰キャラとしては、文化祭のほうが嫌だった。

なぜクラスから自分は何の利益萌えていないどころか、スクールカースト底辺として馬鹿にされ、迫害されているのに、尽くさねばならないのか。

クラスの片隅でラノベ読んでるような気持ち悪い自分が、クラスのために努力なんてなんでしなきゃいけない。

そして、自分も含めた陰キャラたちは、文化祭の方を廃止せよという思想だったように思えてならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170316131621

http://anond.hatelabo.jp/20170316131621

自他の区別がついてたら運動会自由参加になるでしょ?

自他の区別がつかないアスペがそうやって運動会正当化するのめっちゃワロ

いや、結果がどうこう以前に、参加しないって事前の練習も含んで意味が無いってことだから

教育においてくっそムダな時間大人快楽のために滅私奉公ってサイアクでしょ。

金ももらえないのにフェラさせられてるレベル虐待なんだけど、

自他の区別がついていないアスペ親は自分の心地よさを最優先させるから仕方ないね

2016-11-20

ママがおばけになっちゃった批判のあれ

母親なんてたまには明日自分死ぬかもしれないと思わんとしんどくてやってられん!!!

の子の為なら死ねるけど、延々続く毎日滅私奉公しんどいんだよ!

しんどいから寝たいけど子供が同じ遊びを何度もやりたがる、寝たいけど明日私が死んだらこの子もっと愛を送れば良かったと思うだろうな…的な刹那的な気分にたまにはなりたいんだよ!!!

ママ死ぬ話なんて子供が怖がり傷つくとか、世の中には祖父母が死ぬ話とか色んな絵本があるんやからたまには母が死んでもええやん!!!子供死ぬ想像とか本気で怖いから嫌な気持ちは解るけどええやん!!!

寝ない子誰だとか地獄とか子供を怖がらせる絵本もうなるようにあるし!!!

子供を傷つける物は全く近づけずいつも安定した滅私奉公ができる母なんてしんどいねん!!!

2016-11-15

女性社会進出を最も阻んでいるのは女性自身ではないか

共感してくれる人はいるだろうか。

女性社会進出を最も阻んでいるのは女性だと思うことについて。

ワークライフバランスが〜等々言われているけれど、私が働く上で最も苦痛に感じているのは先輩女性社員の妬みや僻みなんです。

社会人そこそこで結婚して社会人5年目になった頃に子供ができて、そのあたりから先輩女性社員の態度が明らかに変わってきていた。子育てのひと段落した契約社員の先輩は「働きながら子育てするなんて甘い。子育てするなら家庭に入りなさい。」とよく私に言っていた。言いたいことはわかるけど夫婦共働きでないと金銭的に子育てが難しいことをやんわり伝えても駄目だった。アラフォー独身管理職の先輩は残業せずに帰る私を煙たく思っていたのか、家族持ちは扱いづらいわねと良く言っていた。キャリアを積むなら滅私奉公で働かなければいけないという考えのようで、確かにその先輩は仕事に関しては素晴らしいと思う。だからなおさら自分夫婦仲や子育てなどあれこれ言ってくるのがつらかった。仕事を続けたいなら子供は親にでもなんでも預ければ良い。仕事がやりたければ夫に主夫にでもなってもらえばいいじゃないとかいろいろ言われるのが嫌で。自分夫婦仲の悩みを他の同僚に話していたら「私はそんな面倒なら結婚なんかしなきゃいいのに。仕事だって半人前のくせに。」と言われるし。

恨みつらみを書いてしまった。すみません。どうしても仕事か家庭かの二元論になってしまって、両立しようと頑張ろうとするとそれぞれの価値観をぶつけられることに疲れてしまったんです。自分より15歳以上のアラフォー女性から嫉妬を感じるんです。「自分若い時は女性仕事と家庭を両立するなんて許されていなかったのに、お前に両立なんかできるわけない。私ができなかったんだから、お前もできないようにあるべきだ」と感情的にぶつかってくるのをやめてほしい。男性先輩社員無理解より女性先輩社員嫉妬が怖い。とても理想の働きかたなんて、程遠いですよ。だって感情は消せないじゃないですか。怖いですよ。

2016-06-15

介護業界の質の低下とか人材不足かいうけどさ

やりがいを感じて介護仕事に就いたけど正直いって人材不足なんじゃなくて教育をする体制ができていないだけなんじゃないかと思ったよ。

大した給料も出ないのに残業残業お客様のためとか言って滅私奉公を強いられる。技術を高めるために研修に出ろと言うのはわかるけど、研修費は自己負担、勤務ではなく休みの日に自主的に行けという上司。先輩はそういう無茶な体制を乗り越えてきたと自慢し、自分達と同じ様に働けない部下をこき下ろす

どれだけ客が増えたと思ってんだよ。高齢化社会なめるな。

あんたらが若いころはゆっくり仕事する余裕があったかもしれないけど今はそんな余裕ねえんだよ。

ちゃんと指示しないくせにちゃんと仕事しろといい、自主的仕事をしたら勝手に動くなと言い。

確認をとろうとしても上司はいつも不在。確認なんかとれない。

何をやっても罵声を浴びせられ、若いからと言って夜勤を若手ばかりに振る。週3夜勤ってなんだよ。死ぬわ。

そうやって人外な扱いをしているくせに、お客様を大切に尊重しようなんてできるわけないだろ。そもそも上司としての仕事をちゃんとやってから部下に指導しろ指導できないならマニュアルを作れ。それができないなら黙ってろ。そんなんじゃいつまでも人材不足解決しない。

2016-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20160606155327

これね、はっきり言って、あなたに魅力が無いのが原因だと思う。

「女は男に養ってもらって当然と考えている」?

男の奴隷みたいになってる女を、私は何人も知ってる。

結婚してくれなくてもいい、同棲家賃を全額払っててもいい、食事も全部作る、

彼氏の分の弁当も作ってあげる、滅私奉公って感じ。

その彼氏がどんな奴かっていうと、見た目瑛太似。Fラン卒の中小企業営業職。

話していて頭がいい感じはまるでしない。ただルックスがとにかく良い。

好みの異性に対して奴隷みたいになる男女は普通に居る。

ジャニーズK-POPに貢ぎまくりの女も、二次元イケメンに貢ぎまくりの女も、何人も知ってる。

あなたの奥さんがあなたに対してそんなにふざけた態度をとれるのは、

どうせあなたは奥さんを手放せないと、たかをくくっているから。

あなたが魅力的で、他の女と結婚できる能力を持っているなら、

愛想をつかされないようにあなたの奥さんは頑張る。

原因はあなたに魅力がないこと。奥さん以外の女を惹きつける能力が無いとナメられていること。

奥さんにとってあなたが魅力的な存在ではない、「喜ばせたい」っていうモチベーションを生む存在ではないということ。

ないがしろが続いていいなら、そのままでいいんじゃない

悔しいなら、腹が立つなら、奥さんを捨ててもっと上玉の女を落とすつもりで、容姿改良に励んだほうがいいよ。

容姿大事だよ男女ともに。太った女なんかも、本当にないがしろにされてる。

2016-05-17

熱血ゾンビ

団塊世代自分たちが一時代を築き上げたとして老人となった今でも横柄に振舞っている。

目的を持つと猪突猛進目的がないなんて信じられないという。

その内容とは社長になる・政治家になる・一軒家を持つなどのいわば世間の見栄に関するもの形成される。

休日には接待のためのゴルフクラブが常備されていたし、無理やり山寺研修へと赴いたりする。

あらゆることに主体的であるように見えて実際には誰ひとりとして自分の道を歩いていない。

全て誰かがやってるから自分ができたものばかりであり、周囲がやってるから自分もやることに何も疑問がない熱血ゾンビ世代だ。

滅私奉公は体の良い言い訳しかなく滅私奉公の型に嵌められていなければならない人達だったという印象が強い。

その息子である団塊ジュニア世代自分がなく常に不満を抱えている。

団塊世代は目の上のたんこぶに敏感で自分のやりたいようにやると言いつつ企業から抜けださなかった。

ジュニア自分がなく不満がありながらも現状から抜け出せない。両者とも自分がなく自分人生を生きていない。

2016-05-10

39度のとろけそうな発熱にやられながら考えたこと

ここ42時間ぐらい39度近い発熱を繰り返している。息苦しく、頭が割れそうになり、思考もままならない。こんな状態を何度もやってきて、決定的に身体が消耗してきたのを感じる。熱が上がってくると男ながら情けなくも泣きたい気持ちになるが、うっすら目がにじむだけで、涙粒にはなりやしない。今、身体は男のセンチメンタリズムにつきあって、涙を製造している暇などないのだ。うぅ合理的。血も涙もないとはこのことか。


病気のおかげで、ひとつ哲学的な問いに対する答えが見つかった気がする。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。

もともと守るものなんてなんにもないと思っていたクチで、私はひどく働いていた。フリーランスになったばかりで頂いたお仕事ひとつも断りたくなかったのだ。業種や詳細は控えるが、朝起きて仕事して倒れるように寝て、また仕事、そんな生活。これは滅私奉公というやつで、守るものがないからこそ発揮できる強さだ。自分の身体のことなんてチリほどにも大事にも思っていないから、こういう働き方ができる。

結果、身体を壊して入院した。そして、発熱を繰り返すと、否が応でも自分の身体のケアを考えなければならなくなる。ただ元来が、滅私奉公型で働いてきた人間ゆえに、自分のためだけに頑張るという発想ができない。一体誰のためにいつまで続くともしれない発熱や痛みと戦えばいいのか?陳腐オチ申し訳ないが、頭をよぎったのは、入院に際していろいろと世話をしてくれた彼女存在だった。守るべきものがある強さとは、身を粉にして働くこととは正反対で、守るべき誰かのために自分自身をも守れる強さなんじゃないだろうか。だっていつまでもこんなところでへばっていたんじゃ、気を尽くしてくれた彼女に対して申し訳がたたんだろう。

さて一度、話を戻そう。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。前者は、自己犠牲型で強力なパワーを発することができる。後者は、他者のために自分をもいたわることができる。どっちがいいのかは置かれた状況次第だか、長生きしそうなのは後者だと思った。

退院したら、きちんと彼女にいつもありがとうと伝えよう。あなたのおかげで今頑張ってます


入院中の病院より高熱にうなされながら

2016-03-24

若い奴のワガママ」論が国を殺す

 近ごろの若い女は無知ワガママから子供を産まんのだ。ここは一つ、ワシが正しい知識を授けてやろう。そして女どもの性根を叩き直してやらねば!

って考えが長年の間違いのもとだったんじゃないの?そんなやり方をずっと続けてたから、今の惨状があるんじゃないの?

少子化は、子供を産み育てることを厭う考え方を植え付け、日本人を根絶やしにすることを目論む勢力の陰謀なのだ」って電波は論外な。



人類だってまだそこまで本能ぶっ壊れてないんだから、将来に絶望してなければ大抵の女は子供産むんだよ。

今は収入低くてもいずれ昇給するはずとか、妊娠しても仕事辞めなくて済むとか、出産しても一人孤独子育てしなくて済むとか。子供産んでも大丈夫!って安心できれば子供産むんだよ。

産みたい気持ち邪魔しないだけでいいんだよ。



公務員大企業正社員ばかりがホイホイ結婚して子供作ってるのは、奴らがワガママじゃないからじゃねーよな。

ワガママが許されるほど身分保証されてるから、将来に不安がないからだよ。



個人のワガママを抑え付けて、全体に奉仕させるとどうなるかなんか、ソ連北朝鮮を見りゃ分かるだろうよ。

「我が社のために大事な話をします。社員滅私奉公しなさい。雇ってもらった恩を考えれば、残業代がほしいだの有休が取りたいだのとワガママは言えないはずです。君らも会社が潰れたら困るだろうに」とほざくブラック企業で働きたい奴がいるかよ。



若いうちから「女の務めは国のために子供をたくさん産むことだ」と叩き込み、公共心とやらを養ってワガママを許さなければ、二人といわず四、五人産むはずだ万歳妄想に浸る国でいいのか?

仕事してお金稼いで、子供にいい教育暮らしをさせたい、やりがいも感じたいし社会参加もしたいって「ワガママ」を当たり前に叶えられる国にするのか?



あの校長みたいな理屈をのさばらせとくなら、日本死ぬよ。

2016-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20160322232109

正直言うと、感情的には私も校長意見には賛同できてないから反論するのが心苦しいんだけど、個人的にはやっぱり今回の発言免職に追い込まれるのは処罰が重すぎると思う。

 

少子化社会問題で、個人に帰結させるべき話ではない」ってのは全くもって正論

ただ、この国の教育のあり方として「お国のために滅私奉公しなさいよ」と教えることが罰に値することかというと、残念ながらそれは違う。

最初投稿でもチラッと触れたけど、学習指導要領には個人よりも社会を優先させるような(ある意味においては個人の権利制限することを是とするような)教育方針が実際に散見できる。

この校長発言ある意味現在日本マジョリティたちの意見を分かりやすくまとめたものであって、オブラートに隠されていた主張を明けっ広げに表現したに過ぎない。

お国のために女性は我慢して子供を産んでくれ」という主張は個人的には賛同できるものではないが、処罰に値するほど「世の常識から外れているとも思えない。

校長思想が如何に誤っているとしても、それがこれまで是とされてきた主張であるならば、今回だけそれを処罰対象にするのは公正ではない。私はそう思う。

この件についても「正すべきは社会の方であり、校長個人に帰結させるべき話ではない」のではないだろうか。

 

///

みっともない言い訳になるが、書かずにはいられないので……

私は自分リバタリアンだと自認しているので、感情的には今回の校長発言には相当頭にきている。

それでも校長処分するのは感情論に流された結果であって正当性はないと思ったからこそ、こうして投稿した。

あなたの主張は正しいと思うし、あなたのような考え方で動く社会であって欲しいと願っている。

2016-03-08

子育て自己責任について

とある雨の夜、保育園からの帰り道。

1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。

住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。

朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。

結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車タクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバス横断歩道の手前に停車してくれた。

3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔バス運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。

自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。

つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。

まず、十分な金銭的体力が必要だ。

出産費用にはじまり医療費教育費はもちろん重くのしかかる。

家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。

年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。

子どもを育てるコスト負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。

私たち夫婦は貯蓄も保険も、ずいぶんと積立額を増やした。

問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。

成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。

となれば、椅子取りゲーム競争に勝ち、立場給与を力づくで手に入れるしかない。

勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。

それも競争社会における自己責任なのだから仕方がない。

そしてその競争に参加するには、子ども存在は重たい足かせになる。

家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子ども時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事効率化する。

だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。

子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。

この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟実践要求する。

この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。

では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。

私たちの親世代一般的だったように、企業戦士専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。

答えはノーだ。

なぜなら、私たちの親世代私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。

かつて、日本企業滅私奉公要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。

のしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。

今は違う。

主たる生計者が期間限定雇用に甘んじている状況は珍しくない。

正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。

から私たち共働きを選んだ。

どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。

競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金必要とする子どもたちに応えるためだ。

そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。

数が足りない認可園に入れないリスク対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。

秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考ポイントを加算するためだ。

11月まれ1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所入園できれば、私たち夫婦収入でも対処できる。

本当は4月5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年仕事を離れることになり、復職ハードルが高すぎる。夏から4月までをシッターで乗り切るのはあまり経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。

結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。

そこまでして復職しても、いわゆるマミトラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。

保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。

同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。

それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。

誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。

保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。

ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。

行政提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービス活用している。

そこまでしてでも、母親正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。

少なくとも私はそう考えている。

母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。

そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。

誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。

自己責任」という言葉のなんと暴力的なことか。

ひとり、あるいは複数人間新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。

それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから自己責任範疇である

費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。

それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。

もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。

ここまでは、物質的な話だ。

子どもを育てるには、物理金銭的に大変な努力必要なのはもはや否定できない。

次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。

公共交通機関子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。

冒頭、娘が呟いたように、横断歩道ゆっくりしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。

私は別に子どもいるか配慮してほしいとは思わない。

必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。

それでも、子ども連れでいることで向けられる世間まなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。

一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから安全確認するまで辛抱強く待つ。

走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。

帰省の時期、私たち家族はよく新幹線を利用する。

もちろん、指定席子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。

大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。

飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。

万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。

少しでもぐずれば即座に席を立ち、デッキであやす

だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両デッキ自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。

一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。

子が公共の場所で泣かず、疲れたわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。

この国で、親子で公共の場にでかけることはあまりにも苦しい。

容赦なく投げつけられる批判まなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。

人の親なのだから、当然のことだ。

だが、そう理解していても、親だって傷つく。

育児仕事を両立し、世間には頭を下げて生きていく。

自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。

仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。

今のところ、私たち家族はそれを実現できている。

本当に幸せなことだ。

川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。

だが同時に、ひどく不安にもなる。

私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?

家族健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?

身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。

本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。

仕事に集中し、結婚出産もしなければ、私がとるべき自己責任対象は私1人分でよかったはずだ。

(もちろん、親の介護は忘れるわけにはいかないが)

幸せを求めて、家族を築いたのは私のエゴなのかもしれない。

そのエゴの対価を、私ごときに支払い切れるのだろうか。

長くなってしまったし、いささか愚痴っぽくもなってしまった。

ただ、保育園子どもをいれられなかった親が怒り、子ども障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。

そして私はこれから子どもを持つかもしれないひとに伝えたい。

今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲子ども全員にまで広げるということだ。

そこに伴う困難は、おそらく想像を絶するものがある。

それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。

…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。

この国は総論としては少子化を憂い、子どもを求めている。

だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティしかない。

私たちは誰もが自分幸せ自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。

子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判さらされることが増えると覚悟してほしい。

それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクペナルティ度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。

どうか、人生の大きな決断は慎重にしてほしい。

私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。

まだまだだな、と思うばかりである

2016-01-24

ベッキー不倫純愛とか擁護されると

売れて印税収入ウハウハのバンドマンに近づいて略奪するよりは、売れないバンドマン滅私奉公で支える方がより計算のない恋愛っぽく純愛に近いイメージなのだが、どっちかと言うとダメンズウオーカーの方に近いかもしれんが、少なくともベッキー純愛じゃなくね?と不思議になる。

2016-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20160104120258

昔の母親子供と夫と夫の家の奴隷として滅私奉公する事がごく当たり前のように求められていたわけで。

昔の母親がそれに耐えてまで「子供を産む人生」を選んでいたのは、「子供を産まない人生」のハードルがとてつもなく高すぎて

常人にはそちらを選ぶのが不可能だったからというだけ。



今の母親は一応人権くらいは認められてるからなあ。

2015-12-25

日本没落を食い止めるために、あなたたちができる7のこと

日本経済は没落し、軍事力も弱い。その上国民白痴ばかりで、自己中心的思想蔓延している。そのため凶悪犯罪もあとを絶たない。

このままでは日本は滅んでしまう。それを防ぐための処方箋提示したい。

1.自分がよければそれでいいという考えを捨て、社会に尽くそ

 今の日本おかしくなったのは、滅私奉公という

 社会に尽くせるなら、自分の命や財産なんて喜んで捨てられるはずだ

2.社会のためなら家族恋人、友人を喜んで殺める気概を持とう

 社会のためなら人の命なんてなんてことな

3.自分が人に迷惑をかけたら自傷しよう

 痛みを与えることで、人に迷惑をかけない人間性を身につけられる

4.医療費削減のために風邪を引いたりしても病院に行かない

 愛国心があれば病気けがで死んでも問題ないはず

5.テレビラジオ映画漫画アニメゲームポピュラー音楽小説ラノベのような、白痴化を促進させるものには触れない

 この手のメディアによって、我々は自己中心的な卑しい心性をインストールされている

 それとともにこの手の下劣メディア麻薬のような働きを果たし、人間本来持っている滅私奉公という欲求を捻じ曲げる

6.冷暖房を使わない生活

 自分の体と心を鍛えるためにも、冷暖房や防寒着を使わない生活を送ろう

 冷暖房頼りの快適な生活が、人間自己中心的にさせた

 

7.こんな駄文を真に受けない

まさか釣り丸出しのこんな文章に騙される人はいないと思うが一応

2015-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20151218135136

> 江戸時代さながらの滅私奉公ロイヤルティ能力以外に求められる

これは大いにあるな。

田舎からしかたない、ちょっとひどすぎるけど。

http://anond.hatelabo.jp/20151218134811

小売やサービスも有るんだったらチャンスはありそうだね。地方企業プロパー会社経営者に対しての江戸時代さながらの滅私奉公ロイヤルティ能力以外に求められると思うから大変だとは思うけど、がんばっていきまっしょい

2015-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20151110113007

それが嫌だから働く、ってのも実際は多い。

今の2,30代の子母親(5、60代)の子への滅私奉公っぷりって半端ないからね。まさに子の奴隷しか言いようのない母親が多い。

今の若い母親共働き指向って、母親と同じだけの滅私奉公育児をするのはとても耐えられない、でも専業主婦なのに母より劣る育児しか出来ないってのも気が咎めるから

そこから逃げる為の言い訳共働き、という言う面も強い。

仕事しているから」と言えば育児の手抜きが許されると思っている人って多いからね。

自分母親並みの育児をするよりは、大したことな仕事をした方が楽なんだよ。



この「母親と同じような育児なんて自分には出来ない」ってのは、少子化の一因でもあるだろうね。

仕事しているから」じゃ言い訳にならない、或いは産んだら仕事続けられないと思っている女は

母親と同じような育児ができないから最初から産まない」となりがち。

男は男で「父親と同じような収入が得られない、父親と同じような社畜にはなれないから最初から結婚しない」となってたりするが。

世代育児ハードルを上げ過ぎたんだよ。

2015-11-04

いじめを苦に自殺する奴は戦時中日本を思い出せ

なんでもいいから日本人主人公になる第二次世界大戦DVD子どもに見せればいい


天皇陛下ばんざーい  →飛行機でぶち当たりに行く特攻隊

サイパン島上陸  → 敵に撃たれて目の前で死んでいくみかた。

集団自決 国家総動員法 滅私奉公 贅沢は国民のなんとかだ!

全部見るべきだ。



いじめどころで自殺してる場合じゃない。


死にたくなくても生きるか死ぬかわからない状況で必死に頑張ってる人を一度でもいいから見るがいい

2015-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20150918090553

特に子供産んだあと妻側の性欲がどうなるのかは完全に運だよな。運が悪かった場合基本的に諦めるしかないと思う。

はてなで絶賛される記事みたいに、仕事辞めて在宅フリーランスになる勢いで家庭と妻に100%滅私奉公してやっと「仕方が無いからたまにはヤッてやってもいいか」と思ってもらえるくらい。

ていうか子供作る前にそうなる可能性は考慮して覚悟しておくべきだと思うんだけど。

2015-07-21

月曜日憂鬱理由

たいていどの職場でもある朝礼っていうやつ

あれが週明けの憂鬱な気分のもと

意識高い系のことしゃべって、

滅私奉公しますてきなこといって、

会社に対して忠誠を誓うような踏絵をさせる

ほんとうざい

2015-07-06

映画ラブライブまどか☆マギカ叛逆の物語

どちらも「公と私のいずれを優先するか」という話だった。



μ'sメンバーの私的感情としては「続けたくない」で全く揺らいでない。少なくとも9人で続けられるぜヒャッホウ、という反応は皆無である

続けたくないという意志犠牲にしてでも、ファンの要望ドーム大会という公的な大義のため続けるべきか、という話である

要はスクールアイドル界のために円環の理になれということである

真姫が「何で自分たちがそこまでしなきゃならないのか」と切れたのもむべなるかなである



いずれを優先すべきかは最近政治状況でもよく議論になるところだが、娯楽映画で「普通高校生が己を犠牲にして滅私奉公する」なんて話を見たくはないので、映画としてはあの展開で正解だった。

はいえ単に拒否るだけでなく、代案を出してくるのはさすがホノカチャンである

かくして私を守りつつ、公についてもある程度の成果を出す結果となった。



一方でホムラチャンが何故あんなことになったかといえば、結局は新房世界が優しくなくて、代案が存在しないことに尽きる。

今後まどマギに新展開があっても、「まどか普通中学生として生活し、かつ魔女化の問題も起きない」なんて選択肢存在しないのだろう。

そんなものがあれば、じゃあTV最終回まどかがそれを願ってれば済んだじゃんという話になってしまう。



公を優先して私を犠牲にしたのはまどかさんである

滅私奉公は見たくないとは言ったが、といってTV最終回に不満があるわけではない。

しょせん娯楽のアイドルとは違い、魔女化やワルプルは人命に関わることなので仕方ない面もあるし…。

何より他者アイデアではなく、まどか自身自発的に選んだことというのが大きい。

やはり公と私のどちらを優先するにしても、当人自発的に選ぶことが物語的には大事である



そうなると自分意志円環の理を選んだμ'sというのも見てみたい気はする。

引き続き9人で歌って踊れるとはいえ、基本はA-RISEが紹介したジャーマネチームとやらが方針を決めるのだろう。

当然費用もかかるし金を稼がねばならない。あの熱狂的人気を持続するのが目的から変装しなければ町も歩けない状態は続く。

海未は弓道部を、ことりデザイナーの道を諦めることになるだろう。

管理が苦手そうな凛ちゃんの目がだんだん死んでいくのを想像すると少し興奮する。

まどかに一番近そうで円環化を推進しそうな花陽が、それに深い罪悪感を抱えたりするとなおよい。



そうなると悪魔化は誰が行うのか。

YAZAWA映画内では続行に反対していたが、プロ意識が強いだけに一度プロと決めたらファンを優先し、体制擁護者になりそうであるさやかポジである

とすれば真姫が適任である。元々親と周囲の期待で医者になるという大義に鬱屈したものを抱えていた。

スクールアイドル界なんて知らねー!楽しかった頃のμ'sを返せ!という気分になっても仕方ない。

まり悪魔姫ちゃん

ええやん。

2015-05-26

Fate Stay Night UBW 20メモ

そこだよね 翻訳日本語ニュアンスの違いとかいろいろあるんだろうけど、

この物語は、『可能性の1つに過ぎない未来自分が厄介なことに自分文句つけてきた』

なんてものじゃなくて、『命題の結末』としての未来が、その命題破綻していて

『間違っている』ことを告げ、お前は間違っているその在り方をどうするのかと問うてきた

それに対する士郎の答え っていうのがUBW主題なんだよ

士郎と切嗣の「全ての人を救う」という在り方は、そのもの最初から間違っている

でも 『誰かを救いたいという願い 全ての人に涙してほしくないという祈り』

その一番最初の一点、そもそもの最初の願いそのもの

それが決して『間違いなんかじゃない』というのが、士郎とこの物語の答えなんだよ

劇場版ときもその部分が描けていないと不満に思っていたか

次回予告でそのポイントをちゃんと押さえてくれることが分かって凄く嬉しい


アーチャーは別の媒体だと自分生き方を「サバイバーズ・ギルト権化」だと言ってるな。

メサイアコンプレックス英雄視されることが自己承認欲求の昇華に繋がるから士郎には当てはまらないと思うよ。

士郎は他人自分を認めて貰いたいとかこれっぽっちも思わない人間だし、凛に心配された時すら凛のお人好しさに感動してるし。

しろ自分価値が低くて、生き残った事に罪悪感を持ってて他人を助けなきゃ!!ってなるから確かにサバイバーズ・ギルトの方が合ってると思う。


「士朗がアーチャーになる可能性はほぼ無い」ってのは、

きのこが凛というキャラを通じて残したささやかな救いであって、それ自体はこの話のテーマじゃない。

これは士朗の救済の話じゃなくって、あくまアーチャー(士朗の未来)の救済の話。

「悔しいけど私じゃあいつを救えない」って言葉の通り、凛ではどうやってもアーチャーは救えない。

アーチャーは、他でもない士朗によって救済されるんだよ。

それは守護者でなくなるとか、そういう設定上の話ではなく、

もっと根本的な、自己肯定によって。

アーチャーが苦しんでる本当の理由は、守護者になったからでも、地獄を見たからでもなく、自分を見失ったからなんだよ。



確かクリア後のタイガー道場(?)でアーチャーセイバールートの士郎なのか?っていう疑問に対して

セイバールートではイリヤが生きているため士郎を止める人間いるから、アーチャーになることはまずないっていう回答がある。

UBWルートにおける凛の存在も同様。

士郎は絶望しないからアーチャーにならないんじゃなくて、士郎一人だとどこまでも突き進んでしまうから

その士郎を止めてくれる人が近くに居るかどうかが士郎のアーチャー化の有無に関わってるんだと思うよ。

止めてくれる人が誰も居ないとアーチャーのようになってしまう可能性があるってぐらいに思っておけばいいかと。


正しいだけだと「正しく出来なかった人達」を取りこぼす事になるからな。

最初の士郎の願いって、まさしく正しい答えを選べなかった(その場所にいなければ良かったという正解)人達をこそ救いたいってものだったわけで、だからこその正「義」の味方なんだろうな。

まり選択肢ミスった後に出てくるタイガー道場こそ士郎の目指すべきポジション・・・ってアレ?


切嗣覚悟があった。大勢を救うためならば少数を殺す事も必要であることを知っていた。その少数がたとえ肉親出会ったとしても引き金を引く覚悟があった。でもそれは間違いだったとアンリマユに気付かされた。 

それが間違いだと気づかされたというのは違うんじゃないか?

切嗣小数を殺さずに済む方法聖杯に求めたが、自分自身がやっている少数の犠牲の受容を極端な形で拡大解釈して大勢犠牲にして小数を救うという最悪の回答しか得られなかった

少数の犠牲の受容という現実的解決方法のものが間違いだったのではなく、それ以外の方法は結局ないんだということに気づかされた

しかも、聖杯はそれよりももっと最悪な解決しか引き出せなかったんだ

アーチャー場合契約時点で理想を追求するには自身が無力すぎることを痛感している状況で理想を実現するための力を求めていた

契約して力を得ることで理想を実現できると思っていたが、力を得ても少数の犠牲を受容しなければならないという現実を覆すことはできなかった

それどころか、力があるがゆえにその現実をいやになるくらい体験させられたということだと思う

その結果の「絶望」なんだろうけど、彼のは厳密にいえば「失望」であって「絶望」とは違うんだよな(少なくともアニメ描写を見ている限りは・・・

現にアーチャーはあれだけ失望し続けながら、なおも救おうとしているわけだし



端的に言えば「動機」と「結果責任」の問題なんだろうな。

100人を救おうとして1人も救えない。

1人を見殺しにして99人が救われる。

動機」の観点では前者が正しく、「結果責任」の観点では後者が正しい。

考え方は様々だけど「全員が救われる事が理想である」という点では異論はないはず

仕方がないという現実理想理想でなくす理由には成り得ないし、

決して届かないとしても理想を追い求めることは間違いじゃないだろう。現実を見失わない限りにおいては。

現実と向き合いながら理想劣化させることなく生きていくのは人として味わうことができる最上級苦痛かもしれない。

その上、そこまでして行き着く先には何もない(理想は実現しない)というのだから、こんなに酷い話(現実)もないだろう。

それでも、それら全てを踏まえたとしても、「何が正しいのか」と問われれば「答え」は決まっているよね。

それは「誰かの願い」であって「誰もの願い」でもある。


士郎は目につく人みんなを助けたかった。人類全部なんかじゃなくかつての自分のような目の前で危機に陥ってる人を。せめて自分の手の届く人たちを。士郎はその通りのことをしようとした。でも自分英雄なんかじゃなくただの人で無力だった。死後の命を預けてようやく英雄になり、英雄になってようやく目の前の人を救えるようになった。つまり衛宮士郎は死後を売渡し、エミヤにならなければ人を救うことができない」英雄エミヤは間違いなく士郎の理想であり到達点。自分理想を正しく達成した成功例。しかし死後、待っているのはただの殺人。救いたいはずの弱者を殺す役目。「人を救う」という理想を叶えるということはエミヤ(英雄)になるということ。

エミヤ(英雄)になるということは人を殺す道具になるということ。士郎の理想とする英雄では誰も救えない。

救う術を知らず、救うものもなく、誰かの為にならなければという強迫観念、憧れただけでは人は救えない。

エミヤが忘れていたのはその憧れただけの理想にも願いがあったこと。

エミヤはずっと正しい選択をしてきた。愚直に真っ直ぐに不器用に。でも"この"衛宮士郎は時には正しい選択を否定するという決意をした。


うそう。士郎がよくUBWルートだと真相知ったか守護者にならないってSSでも結構あるけど例え全てを知っても士郎は守護者として契約ちゃうんだよ、ね。

ただアーチャーのように絶望後悔はしないって言ってるだけで。もし真相知ったか契約しないって言うのはすでに見返りを求めている、自己愛があるって事だからそれは士郎ではない。UBWキモはそんな士郎を絶対守護者にしないように凛が頑張るって話だから詠唱にあるような誰にも理解されない士郎にはしないって言ってるklと)


アーチャーが数ある士郎の未来の姿の失敗例の一つに過ぎないのならアーチャーは士郎にこだわらないし

士郎もアーチャー言葉に信念が揺らいだりしない。士郎がアーチャーにほぼ必ず行き着く理由がある。

士郎もアーチャーも二人とも核が同じだからだ。「誰かを救いたいという願いが綺麗だから憧れた。」二人はこの核からなる人間

その強い憧れを叶えるためにできることは限られている。過激な思想を持つ人間が行き着く先が銃を手に取るしかないのと同じ。


いやあ士郎はかっこいいよね。

例え絶望約束されていても自分が間違いじゃないと信じた理想を貫き通す以上絶対に後悔しないと言い切ってるんだもの

これは士郎の目指したもの共感できるかどうかとか関係ない熱さだよね。

特にアニメ演出では、結構クール独白が多くて、ブレなさの表現が上手いから余計ね。

士郎は甘いのでも現実が見えてないのでもない、現実悲惨さを知りながら揺らがないんのだものね。かっこいいよ


アーチャーが後悔したのは守護者になってからってのを理解してない人が多いのかもな

アーチャー生前助けた人々に裏切られて絞首刑に処せられても一切そのことについて後悔してなかった今回士郎が言ってたように完全に正しかった正義の味方だった身を捧げる覚悟も出来てたしそれで良いと思ってた

そんな覚悟まりきった正義の味方でも守護者として人類の滅びを救うために延々と滅ぼす可能性のある事象とその関係者を殺し続けることには耐えられなかっただけ

UBWの士郎でも正義の味方として突き詰めるならエミヤになるしかない。ただ凛が人間として幸せにしてそれは回避されるだろうけど人としての幸せ手に入れる時点で正義の味方として完全じゃない


たとえ本物になれなくても、抱いた理想が間違いでないと思えるならば、それを追い求めることは正しい、

といことがテーマだと、どっかのインタビューきのこが言ってたな。

ただ、それは非人間的な機械のように生きることには変わりないと。

で、桜ルートは、別の解答を示すために作ったらしいね

一人の大切な人を守るために、理想に折り合いをつけ、機械のような男が人間になるはなしだと。

どちらが正しいという話でなく、それぞれの解答がある。


アーチャーが失敗例だと思って語ってる人が多いのはどうなんだろって思ったけど、来週で変わるかなあ

結局士郎は道を変えない(アーチャーと違う道を選んだりしない)ってのは話の肝だけど、伝えづらいよね

>>33

>「アーチャーは失敗したエミヤの一例でしかない」

>「アーチャー(失敗作)を目撃したこと(と、遠坂との絆を得たこと)によって士郎はアーチャーと違う道を歩むことが約束された」

テーマとしてはむしろ正反対だよ。アーチャーが失敗例っていうならそもそも衛宮士郎自身が生まれた時から失敗例になってしま

士郎はアーチャー忠告されたからって違う道を歩むような人間じゃないってのがややこしいところだし自分殺しの動機でもある


今回の話も対比。抗魔術で身動きできない凛は瀕死のランサーに救われた。原作ゲームでは

凜は、なけなしの魔宝石ランサーを救おうとするシーンがあったらしいけど、人が誰かを

助けたいと思う気持ちに、何の打算もなく反射的な時もある。

慎二ランサーの槍先が刺さっただけで逃げ出したけど、それが普通人間の反応。

何の覚悟もないし、痛い物は痛い。士郎はアーチャーに串刺しにされたけど、セイバー

そばにいてアヴァロンのおかげで治癒したけど、それがなくても立ち上がれただろうけど、

それでは、何の解決にもならず、いずれ未来選択肢の一つに負けていた。

からこそ、ここで救われた弱い士郎は、心が折れず、正義の味方を夢見ていられる。

救いたいのは、他人のためでなく、自分の願いだから正義エゴなのだから


衛宮士郎は、切嗣と凛、そしてアルトリアという3人にかつて命を救われた弱者ということを。

からこそ、誰かを救える力を求めたけど、その理由を「人の為」と「偽った」からアーチャー

疲れてしまった。憧れたのは綺麗だったから、余りに幸せそうに笑った「爺さん」のために、

大勢の両親、友人、知人や知らない誰かを救えず、見捨てて、死を受け入れた虚無から生きよう

と思っただけなのに。アーチャーは力を得たけど、それ以上の暴力に打ちのめされ、滅私奉公

しすぎて、正義が摩耗し、絶望のあまり、己れの願いすら呪いと捻じ曲げてしまった。

士郎は、救われる以前から、弱いからこそ、負けられない頑固者だったのに。


アーチャーは失敗作なんかじゃない。英霊エミヤってのは正義の味方を目指した衛宮士郎としては最高傑作だ。衛宮士郎正義の味方であることを突き詰めるとどうやってもあぁなる。凛との繋がりが出来てUBWの衛宮士郎エミヤにはならないことが確定してるけど、それって特別な一人が出来たことで正義の味方としては不純になるってことでもある。


ところでやっぱり、Zero…というか、虚淵さんのセイバーの像が、原作と深刻なズレを起こしています

Zeroしか通過してこなかった視聴者は、原作であるSNのセイバーの行動や思考がわからずに、なかなかに頓珍漢なことを言っている

あと相変わらず慎二ヘイトためってる人は、型月的にも平凡な人なんだな

非凡以外の何者でもない、あの作品の大半の登場人物たちにとって、慎二は本当に極限まで「どうでもいいやつ」なんだ

から殺意というもの対象にもならない


物語序盤の士郎の人助けって気味が悪いくらいなんだよね。

数回前の凛にも怒られてたけど、自己犠牲が強すぎて中身がない。手段目的になっている。

その原因は「キリツグの代わりにその夢を叶えてやろう」っていうだけのものしかなかった。

そのまま大人になってしまたか英霊エミヤという存在が生まれしまった。

でも今ここで、未来過去自分と向き合うことで、手段意味見出した。

「キリツグの夢」が「自分の夢」とイコールになったと言えばいいのかな。

これからもやることは変わらないだろう。でもそこには〝中身〟がある。

きっともうエミヤようにはならないだろう。


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