「動機づけ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 動機づけとは

2023-04-10

anond:20230409204221

内発的な動機の無い人間は家庭を持つなりして型にはまった方がいいんだろうな。

家庭を持つのが難しいなら何か別のコミュニティ社会に貢献するという形で動機づけするのは全然ありだと思うけど、自発的にそれをやるほどの気力もそもそもないということなのかね。そういう意味では家庭(というか子供)の強制力というのはよく出来てるシステムだよな。

2023-03-16

それをすることでどんなメリットが具体的にあるのか

あるいはやらないことでどんなデメリットが具体的にあるのか

こういう動機の部分は何で手に入るのかと考える

教育かもしれないし、経験値かもしれない

なんにしろ肝の部分

自分学生時代に当たり前のように勉強してた

それは親が勉強しないデメリットを繰り返し語っていたからだ

大学にも行ける家庭環境ではなかった親、対して普通に勉強して良い大学に入った友人との人生における格差を何度となく聞かされた

当然、親は自分勉強やすいようにと取り計らった

自分は当たり前のように勉強していたが、大前提勉強することのメリット・しないことの大きなデメリットを繰り返し教えられたことで強い動機づけがあったということなのだと思う

外見の美しさのためにダイエットできるのは痩せれば人並み以上に美しくなるという自信確信がある人だと思う

自分は痩せたところで大差なく容姿10人並み以上にはならないと理解している、なので美しさのために痩せようとしたことは無い

最近になって痩せようとあれこれ努力しているのは命がかかる問題になりつつあるから

まり自分ダイエットへの動機づけ容姿ベースでは無意味である

自分にとってのダイエット動機づけは、健康面の大きなデメリットダイエットをしないことでどのように身体を悪くしどう死に至ることになるのか、というイメージを親の死によって明確化されたところが非常に大きい

2023-03-15

ダイエット方法論はもちろん有用だけど、まず先に必要なのは動機づけだと思う

痩せりゃいいなんてことは誰でもわかってる

なんなら健診に行くたびに痩せろと言われる

最近はいろいろ数値悪くしてこのままだと治療コースだと言われ続けている

それでも自分は長らく、やるべきなのはわかっているし出来る範囲努力もしてるつもりだけど痩せない、と思ってきた

実際はそこまで痩せようという動機もなく危機感もなく、ろくにダイエットについて調べようともしなかった

2023-03-03

anond:20230302235714

露骨にやらなくても皆の賃金を上げたり幼稚園保育園の充実をすれば」とか言うけど、現状の深刻さでは、それらだけでは動機づけとして弱すぎるんだからもっと露骨出産奨励もしなきゃいけないでしょうよ。


別に弱くないでしょ

そもそも俺は反出生主義者だから言わしてもらうけど、反出生に傾くような社会をつくってしまった時点で負け

働かないと生きていけない世界で働いたらパワハラ長時間労働安い賃金…産まれない方がいいだろ常識的に考えて。みんなサザエさんシンドロームになって月曜に自殺率跳ね上がって奴隷トロッコに乗ってイライラしながら仕事してんじゃん

出産奨励小手先しかなく、反出生に傾いた社会を少しずつ元に戻すのは賃金を上げたり幼稚園保育園を充実させて家事育児負担を減らしたりする必要があるよね?

時間をかけてその傾きを少しずつ戻すしかない

えっ時間がない?

それって無能自民党脳死少子高齢化問題を任せていた結果30年間を無駄にしたジャップ自業自得ですよね?30年かけてゆっくり社会は反出生に傾いていったんですよ

移民でも入れればあ?入管拷問したりナチュラル人種差別奴隷扱いしてクソやす賃金レタス作らせたりしてるような安い国ジャップランドにそれでも来たがるようなアホ外人がいるんならだけど

2023-03-02

出産奨励自体気持ち悪い」になってない?

政府や国が出産奨励する施策人権侵害で、頭数を揃えようという姿勢で、グロくて気持ち悪い、みたいな人増えてない?

今の日本問題の多くは少子化に突き当たるんだし、少子化対策って、どうのこうの言ったって出産奨励じゃん。

露骨にやらなくても皆の賃金を上げたり幼稚園保育園の充実をすれば」とか言うけど、現状の深刻さでは、それらだけでは動機づけとして弱すぎるんだからもっと露骨出産奨励もしなきゃいけないでしょうよ。

というかそもそも出産子育てという行いや人体機能自体が、目をそらしたいよくないもの、生々しくグロものだと思ってる人が増えてないか

出産子育てグロテスク、あるいは自傷的行動であり、強く望んでやる人は止めないけど決して素敵な行動ではないし目をそらしておきたい世界にとっての消しきれない悪行みたいなものから子供を産むのは良いことみたいな文脈で扱いたくない、まして他人からやりましょうと言われるなんて耐えがたい」みたいな嫌悪感インターネット世論から感じる。

出産奨励されるぐらいなら清く正しく少子化が進んだ方がいい、って実質的に反出生になりつつある。






出産しないことをネガティブに捉えてはいけない」⇒「出産ポジティブに捉えてはいけない」という飛躍が起きてそう。

「ある行為ポジティブに扱うなら、しないことは相対的ネガティブに扱われる」ってのは、飛躍じゃなくて実際そうならざるをえないと思う。そんな単純な二択じゃないんだなんて理屈も世の中にはあるが、それは誤魔化しの建前である

けど、中長期的に考えればそれは責められる事じゃないはずだ。

あらゆる論功行賞だってそうでしょ。表彰される生き方、賞金をもらえる努力が推奨されて、そうじゃない人生ネガティブに扱われることで、よりよい人材を増やそうとしている。それが回り回ってみんなの幸せに繋がる。

これまでは、個人自由意思尊重理念を語りつつ、実質的には価値のない生き方はやめましょうという干渉も両立させて回してきたけど、建前を建前じゃなく徹底させるべきってのを本気で信じる極論論者が増えて、持続性がヤバくなってる。

しかも、出産奨励嫌悪感を持つ人って、個人自由生き方大事にせよとは言うけど、そこで想定される個人自由って、今から5年か10年程度の短いタイムスパンしかなくないか

なんなら5年どころか、今この一瞬における、妊娠出産への感情的嫌悪感に駆られてないか

現時点で出産奨励メッセージ施策というある程度の干渉を受け入れることで、30年後でも個人自由幸福をある程度保てる、そういうもんだと思うよ少子化対策は。

一般人立場でこういうことを言うと「ただの平社員なのに経営者目線かよ。権威自分を同一視して気持ちいい?」みたいな揶揄もあるけど、民主主義では有権者である私たちが正に経営者なんだから、数年単位個人規模というミクロ幸福論だけでなく、社会持続性みたいなデカくて長いマクロなことも考える必要がある。

個人レベルを超えて社会全体のためになることを考えるのは全体主義に繋がるから怖い、と拒絶していては、国家主権者としてよくないのだ。


ああ、本当ならこういうのも匿名じゃなく主張したい。

でも友達付き合いしてるアカウントたちにグロテスク!って怒りと軽蔑むき出しにしてる人たちがかなりいて、ビビって理屈を語れないよ。

私は弱い奴だ。

2023-02-04

日本マスク着用系左翼世界中からキモがられる訳

2022年5月20日日本政府は、屋外では基本的にはマスク着用は必要ないと明示されており、屋内においても特定の条件下でマスク着用は必要ないとされた。

しかし、屋外でのマスク着用はすぐには無くならなかった。あまりにもマスクをしている人が多い。

世界的にコロナ禍が収まりつつあるのに、なぜマスクを着用し続けるのか?なぜ日本人マスクを外さないのか?

この現象には典型的日本左翼文化の影響がある。

日本集団主義文化であり、個人として何をしたいかという話の前に、集団として何をするべきか、ということを考える。暑い時期でどんなに不快でも、日本ではほとんどの人は外出時にマスクを着用し続けていた。これは集団主義文化でよく見られる状況であることがすでに証明されてしまった。一部の現実逃避馬鹿は、「日本個人主義だ!」と発狂しているが、現実を見たほうが良い。

しかし、今回は政府が国レベル集団としてメッセージを出したにも関わらず、多くの人はマスクを着用し続けている。

要するに、権力者よりも影響力を持つ「他人の目」というものがあるらしいのである

北米などで一般的に見られる自己観は、「個人他者とは独立した主体的存在である」と考えられる。

それに対し東アジアなどで一般的に見られる左翼的な自己観は「個人独立した存在というより、他者との境界線曖昧で、他者との接点が動機づけ認知トリガーになる」と考えられている。

日本では相互協調自己観、つまり左翼思想が主流であり、その為、「マスクをするのか、しないのか」という判断に関しても、他者存在が影響してくると考えられる。

マスクを外さな左翼日本人を見ると、「他人視線」という憶測自分で作り出していることに気づく。

マスクについて、「他人の目」で身動きが取れない状況は、社会的にはクソに決まっている。

とりあえず現状維持をするという判断が行われると、多数派マスクをし続けているという現実が続いてしまうのである。そのこと自体が「マスク着用は正しい」という間違ったシグナルを発生させてしまう。集団主義者は、そのシグナルを連鎖させるのである

現状維持」になってしま日本左翼集団主義文化のものであり、これはマスクにかぎらず、組織の中でも社会の中でも、日本の至るところで見ることが出来るものである

集団レベル文化を変革するにはどうすればよいのか。この文化メカニズム理解した上で、何をどうすれば人々は現状維持ではなく、変革に向けて動くのかということを考える必要がある。

人々が「他人の目」を意識すること自体をどうやって変えるのか。あるいは「他人の目」を人々が気にする前提で変革が進むような設計を考えなければならないのか。

マスクを外さない街中の人たちを見ると、社会設計の不全さを見ているような気持ち悪い感じがする。集団主義左翼連中は、「カレー味のカレー」を少数派が食べているところで、「ハハハカレー味のウンコを食うことこそが正義!みんなそうしてるから」などと言うのである

2023-01-04

婚活してみたかった

愛嬌はめちゃくちゃあって容姿も良く若い嫁で犬のように可愛いと思って自分にはもったいないくらいと思って結婚したが

無趣味教養の嫁だとなんか会話の幅が本当に狭まるのがだんだんストレスになってくる

家だとご飯とかテレビとかYoutuberの話ばっかり同じような話の繰り返し

ゲームにしても世の中のトレンドにしても新しいものに興味を示すということがまるでない

知的好奇心的に面白いって会話はしたことがないし

それどころか難しそうな話をするとウザがられる

ロシア情勢の話も円安の話もノーベル賞の話も興味がないどころかそういう話をするだけで毛嫌いされる

そのストレスってじわじわ溜まってくる

教養とか学歴とかどうでもいいと思ってたけど、どうでも良くなかったんだな

新しいものに対する興味を持てと言っても外発的に動機づけられるものではないしな

シャンプーボディーソープって成分的に何が違うんだろうねとか、AndroidよりiPhoneがこんなに日本で売れてるのってなんでだろうとか、円安っていつ終わるんだろうとか、ロシア戦争終わったら物価戻るのかなとか、そういうことを話したいんだよ。

誰と誰が結婚してるとかコムドットの誰が誰と付き合ってるとかどうでもいいしそこから何も広がらないしだからどうしたって話だよ。延々とそんな話してるのは自分にとってはちょっとストレス

一人で生きてきたタイプ人間なので自分のしたい話ができないことがストレスだなんて思ったことなかった。

婚活だと教養レベルも同じ嫁に巡り会えたのかなって

2022-12-17

anond:20221213123802

小さいお子さんがいるのに、奥さん調子が大きく崩れて仕事生活もままならなくなり、体力的にも精神的にも経済的にも大変な状況だと思う。

ブコメでも既に出ているけれど、今の状況で奥さんを無理やり精神科に引っ張っていくのは現実的ではない。病識がなく、受診拒否している人を病院に連れて行っても、往々にしていい結果は生まれない。薬を飲まない、二度目の受診必死拒否する、家族への不信感が増す、という結果に至りがち。

そのため、最初増田自身家族相談を受け付けているクリニックに相談に行くのが良い。小さいお子さんがいると時間の捻出も苦労するだろうけれど、現状だとそれが最善。その中で、奥さんの症状を伝え、受診の勧め方をスタッフ家族相談担当ソーシャルワーカーが多いと思う)と一緒に検討する。すぐには医療に繋がらないかもしれないが、一緒に問題解決を考えてくれる専門家がいる状況は、増田の心持をほんの少し楽にしてくれるんじゃないだろうか。そしてそのほんの少しの楽が、長期戦に耐えるうえでの命綱になる。

自死リスクアセスメントは実際に医療機関スタッフがするだろうが、書いている内容からすれば軽視し過ぎるのは危険。今の生活は皆の負担が大きいと思うので、個人的には入院もありかなと思う。その方が安全環境で療養できるし、増田生活を立て直せる。家族全員の心の余裕を作り出すことが、精神疾患の回復にはとても重要になる。

入院可能性を考えると、できれば通院先は入院機能がある病院がバックにあるところが良い。精神病院外来にかかるも良いし、そういった病院が町中でやっている系列のクリニックでも良いし、数は少ないけれど総合病院精神科や心療内科でも良い。その方が仮に入院必要性主治医が認めた際の話が早い。

医療機関情報は、都道府県がやっている医療機関検索システムで調べるのが多分、一番正確。自治体によって若干の差はあるが、「都道府県 医療機関検索」で検索すれば、診療科入院機能の有無とあわせて調べられるはず。家族相談実施の有無も、もしかしたら載っているかも(恐らくは個別WEBサイトまで辿らないとわからないと思うけど)。

カウンセリングの利用を促すのは、正直なところあまり良い手とは思えない。今の奥さん状態だと薬物治療と休息が第一選択肢になるし、カウンセリングでできることって受診への動機づけぐらいしかない。期待する効果が得られないことでの、奥さんカウンセリング自体への不信感を招く可能性もあるし、それは今後のことを考えると勿体ない。

実家を巻き込むというブコメもあるけれど、症状が重く希死念慮も訴える家族ケアをするのは、高齢の両親には負担が大きかろう。増田精神的な負担が減るなら状況の共有はあって良いと思うが、実家での療養はお勧めしないかな。

すぐの解決が難しいことが多いのが似たような状況でよく見られることなので、増田自身が本当に無理し過ぎないようにね。数か月~年単位の中長期戦に備え、専門機関家族の力を頼りにできる部分はどんどん頼りにしていこう。

2022-10-06

anond:20221006195814

そりゃ人によるだろ

「作者がすごい=愛好する俺すごい」と錯覚するようなのがファン層なら作者が金持ちアピする動機づけがあるけれど、そうじゃないなら不要軋轢を避けるために金の話を避けてもおかしくない

2022-09-19

anond:20220918121812

自己肯定感というむずがゆい言葉否定して、

十代女子馬鹿から、という、わかりやす言葉を選んだだけにみえる。

むずがゆいだけでばっさり否定したところで、わかった気になりたいだけというかね。

動機づけなくして、動機に付け込む構造存在しない、という点では対なんで

どちらかを否定すれば、何か解法がみつかるというわけじゃないし。どちらかに焦点をあてるのが正解というわけでもない。

その十代が大人になって欲望コントロールできるようになったとして、

職場で居場所を見失い、昇進も頭打ち結婚含め、あらゆる自分探しをはじめ、

やがておばさんになって、最後キラキラ起業なんかにはまっていくわけだから

自己肯定感と呼ぶか、馬鹿と呼ぶかは別として、付け込まれる弱さというのは、人生のどのステージでも、男女問わず付きまとう。

そういう弱みに付け込んだ搾取構造というのは、わりと一貫していると俺は思うけどな。

2022-08-16

anond:20220815073632

今は「そこまでするくらいなら子供1人で十分」って夫婦の方が圧倒的に多いんじゃない?

そうなのか?

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000111.000032757.html を見る限り、2, 3人の子供を希望している人が多数に見える。

https://resemom.jp/article/2018/07/23/45798.html を見る限り、実情は二人子どもがいる家と一人っ子拮抗していて、3人以上いる人がそれなりにいるか夫婦当たりの出生率が1.5を切らないんだと思う。

増田はどういう立場からものを言っているか知らんが、当事者からすると結構深刻な悩みよ。

一人もいないと一人いるからいいじゃんって思うだろうし、未婚だと結婚できるだけいいじゃんって思うんだろうけれどさ。

アメリカ不妊治療クリニックはそれなりにお高いが、個室の待合室になっていて、子連れでも行きやすい感じらしいが、日本はそうじゃないからな。

「一人いるのにもう一人希望して申し訳ありません」みたいな気分で通い続けるので精神衛生上もよくないんだよな。

それでもって別にそのクリニックの成功率公表されているわけでもないから、下手糞に何年も付き合わされ、年を取らされお金が消えるみたいなことも普通にある。

あと、世間に責められるからやるというよりも、子供に責められるからやるとか、自分理想のためにやるという動機づけの方が普通じゃないの?

「お友達兄弟がいるけれど、うちにはなんでいないの?」とか、「友達にお母さんに頼んで兄弟を作ってもらったらいいよと言われた」とか、言われたことあるか?

あと、育休が気まずいなら、産休だけでええやん?産前産後休暇が終わったら即0歳児保育に突っ込む人なんて今時ざらにいるでしょ?

2022-05-29

anond:20220529224535

説明が難しいが… 社会の役に立っている喜び、だろう。

自分の働きに対して、みんながそれを必要としてくれていること、誰かの役に立っていること、がリターンなんだ。ボランティア動機に近いと思う。

逆にパチプロなどはおそらく、このタイプ動機づけを持たないと思う。想像だが。

およそパチンコのものの楽しみと金銭的成果がリターンだ。

仕事の楽しさ、金銭的成果、社会奉仕の実感… 動機づけは色々あって、労働者によって向き不向き、感度の高さの差がある。俺はカネや社会性より、仕事学問的意義に喜びを感じるので、儲けていても時々砂漠歩いてるように感じることがある。

2022-05-21

趣味の場に収益化をもたらすな

アマチュアクリエイター収益について

ワイの経験上、やはり収益化されていない趣味の場の方が面白いと言わざるを得ない

報酬動機づけされるとやる気を失う「アンダーマイニング効果」なるものがあるけど

本当に問題なのはしろ逆で、報酬「に」やる気を向けてしま貧乏人だと思う

言動KPI報酬だけになるので、もう見てられないぐらい面白さを犠牲にし始める

こういうやつも無報酬のままリビドーをぶつけてるような遊び場が結局は一番面白い

生活の原資なんか普通に仕事で得ろ

2022-05-12

anond:20220512130119

そういうリスク考慮してもなお(元増田が話した内容に過誤が無く全て真実であるなら)30万円は割高だと思う。

その家族とどうしても共同生活を営みたいというとても強い動機づけが無ければ、許容できない程度。

まあ他人生活のことだから自分グダグダ言っても詮無いことなので、顕名ではなく増田ブツブツ言うに留める。

2022-03-09

anond:20220309011900

いま、ウクライナにおける市民の損害は図形構造的進捗を見せており[和訳者註: 多角形に拡大しているということか]、我々への抵抗は強まるのみである歩兵による市街への進入はすでに試みられており──20の空挺集団のうち、"限定的"成功を収めたものは一つのであるモスルの侵攻を思い出してほしい。これは法則である──すべての国家で発生する。新しいものではない。籠城戦をする? ヨーロッパにおける直近の十年紀において──セルビアが最も好例であり、都市は籠城下においても年単位機能を維持できる。ヨーロッパからの人道的支援車列は時間問題である[5]。我々の条件的締切日は六月である。条件的というのは六月にはロシア経済存在しないかである──何も残らないであろう。概して、来週には(ロシアにおいて)、二大勢力(主戦と反戦)のいずれかで崩壊が起きるであろう、単純に現在の緊張は持続不可能であるからである。我々は何らの分析も持たず、我々はこの混沌への予報を出せず、誰も何も何らの確証を持って言うことはできない(ロシアにおいて)。

直感に頼って行動するのであれば、そして高ぶった感情とともにするなら、それがポーカーゲームということにはならない。しかし我々はなんらかの選択肢が奏功することを祈って賭金を積み増すしかない。これにおける悲劇計算違いを起こして全てを失うことは容易にあり得るということだ。概して、ロシアに出口はない。勝利可能性のある選択肢はなく、敗北しかない──ここが瀬戸際だ。(英訳者註: 休憩。続きはあとでやる)(英訳者註: 続きの後半はもっと面白く、前向きなおどろきで終わる)

100%、我々は前世紀の過ちを繰り返したのだ、"弱い"日本を足蹴にして素早い勝利を得ようとして、わが陸軍がまったく壊滅状態にあることが判明した時の。そして我々は勝利まで戦い、そしてボリシェヴィキ陸軍で再教育のため徴兵した。そしてこれらかろうじてもののわかるボリシェヴィキどもは反戦標語を拾い上げあのようなことを始めたのだ…… :kyoumokawaii:

前向きな点の中から: 我々は懲罰部隊前線に送ったようなことは徴候もないようあらゆることをなした。もし政治犯社会的不要分子徴兵したならば陸軍士気は負の領域に入る。

敵(ウクライナ)は動機付けられている。怪物のように動機づけられている。戦いを知り、潤沢に有能な指揮官もつ。彼らには武器支援がある。我々は単純に人的破局(human catastrophe)の先例を樹立するであろう。

我々が最も恐れていることとは: 首脳部は古い問題を新しい問題で覆い隠そうとしている。大まかにこの理由により、2014年にはドンバスが起きた──我々は西側に対してクリミアでのロシアの春を攪乱せねばならず、ためにドンバスのいわば危機西側の注意をすべて引き付けてくれねばならず、そして交渉材料になったのだ。しかさらに大きな問題がそこで起きてしまった。そして我々はエルドアンにサウス・ストリーム(ガス)から4本のパイプを引き込むよう圧力をかけることを決断してシリアへ進入した。これはスレイマニ([イラン・]イスラム革命防衛隊)が自分たち問題解決のため我々に意図的誤情報を渡した後のことだ。結果として、我々はクリミア問題解決することができず、そしてドンバス問題も去ることはなかった。サウス・ストリームは2本パイプに後退し、シリアは[和訳者註: ロシア支援に]ぶら下がっている──我々が去ればアサド転覆し我々はまぬけに映り、とどまることは難しくまた要点をなさない。

筆者はなにものが"ウクライナ電撃戦"を考えついたのか知らない。我々があらゆる事実入力を受け取っていたならば、我々は最低限でも初期計画議論余地があり、大部分は再検討を要することを指摘していたであろう。大量の再検討がなされなければならなかった。

いまや我々は首まで[英訳者の表現]に埋まっており、我々は何をすべきかも理解していない。"非ナチ化"や"非武装化"は強固に定式化された変数をもちそれにより目的達成度を評価しえるものではなく解析的分類たりえない。[6] いまや我々は、いずれか精神的に破綻した助言役がヨーロッパに対して衝突を仕掛け、制裁緩和を要求するよう首脳を説得するまで待ったまま動けない状態にある──彼らは制裁を緩和するか、あるいは戦争になる。そしてもし西側が拒絶すれば? その場合において筆者は我々が、1939年ヒトラーのように真の国際紛争に引き込まれ可能性を排除しない[7]。我々の"Z"は鉤十字と等しくなるであろう。

局地的核攻撃の(ウクライナにおける)可能性はあるか? ある。軍事的目的のためではない。かような兵器防衛突破の役に立たない。しかし他のすべて(西側)を恐怖させる目的を伴う。

2021-11-22

主人公ヒロイン復讐するタイプの陵辱エロゲエロ漫画

なんか「主人公ヒロインに見下され酷いことをされた」という動機づけが下手だと

「この女ムカつく!犯っちまえ!」みたいなのよりも「この時点では主人公は何一つ非がないのにこんなに突っかかってくるって、この女は頭がおかしいんじゃないだろうか」

ってなってエロい気持ちに集中できなくなるからもうちょっと設定頑張ってほしい

2021-11-14

2021年最もシコれたエロゲ

トラトリトル。これいっぱい出た。さっきも出した。

11月に入って良いのが来たね。

回想開放せずに全キャラエンドまで楽しめたわ。

主人公魔法強制的思考を変えられるというのもショタエロくなる動機づけとして良かったね。

回想に入ってないちょエロベント結構多いのが残念だったけどね。

 

でも俺は今年はまだ来ると睨んでんねん。

めぞパンプキンの新作NPCエロゲを心待ちにしてんねん。

作者がTwitterで今月中位には出せそうみたいに言ってんねん。

前作からボリュームをかなり上げたと言うが、正直それには一抹の不安がよぎる。

でも俺はひたむきに待ってんねん。

2021-10-16

anond:20211015010702

水無田 気流氏の講演に行った時だったかな、スウェーデンなんかがかつて世帯課税していて、それが女性たちの労働意欲を奪っていた。

今は夫婦別々に所得税を課せられるので男性に気兼ねすることなく働けるようになったみたいな話をしてたんだよな。

その講演では日本でも配偶者控除をなくしてそれに近づけたのでよかったみたいな話をしてた。

配偶者控除があったころはセレブ主婦労働抑制があったと思うんだけれど、それを撤廃したら労働の分配という点では悪くなっただろうなぁと思う。

セレブ主婦青天井お金を稼ぐ動機づけを与え、そうじゃない人から抑制するんだから

2021-10-09

ミリシタはイベントがつまらない

はじめに

ミリシタについて思うところがあるので書きなぐっていく。すべての文末に「(※個人の感想です)」が省略されている。

かい部分をいちいち説明することはしない。わかる方に伝わればいい。別に伝わらなくてもいいけど。

 

ミリシタはイベントがつまらない

先ごろミリシタにてイベントダイヤモンド・クラリティ』が開催された。

ざっくり言うと今年から新たにテコ入れされたはずの比較的大きめなイベントだったわけだが、これが酷かった。

2M効率とか報酬地図とか要求ポイントとか、言いたいことはいろいろあるが、個人的に一番疑問だったのは、

 

運営はこのイベントユーザーに何をさせたいのか?」

 

という点。これが本当にわからない。

まことに失礼だが運営アホなんじゃないか? というのが率直な感想

 

ダイヤモンド・クラリティ』、楽しい

ダイヤモンド・クラリティ』では、イベント限定衣装を含む報酬コンプするためにはアホほどリズムゲームライブと呼ぶ)を回すことを要求される。

その救済措置としてか、大量にオートライブPASS(ご丁寧に期限付き)が配布された。オートライブPASSというのは操作しなくても放っておくだけでライブクリアできるよ、というアイテム

 

まり運営の想定通り大量のオートライブPASSを使ってアホほどライブを回そうとするとどうなるか?

ユーザーはただひたすら画面を眺めるだけ、という素敵ゲーム体験になる。

厳密には1曲2~3分ごとに何回かタップする。次の曲をまた眺める。配布オートライブPASSで足りない分は自分プレイする。

アプリバックグラウンドにするとライブは一時停止されるので、プレイ中は端末が占有されることになる。

 

……楽しいか?

運営はこのゲーム体験(と言えるのかすら疑問だ)がユーザーにとってポジティブものだと思っているのか? 自分らでテストプレイしてる? 楽しかった? 正直に言ってみ?

 

ダイヤモンド・クラリティ』以外のイベント楽しい

ダイヤモンド・クラリティ』に限らず、ミリシタのイベントははっきり言ってつまらない。

結局のところ周回するだけ。毎回同じ。

ついでに美咲ちゃんのやべーレベルのクソデカ独り言社長に呼ばれてたことを思い出す流れも毎回同じ。(これはどうでもいい)

あと去年の誕生日の「〇〇、ここにいたのか」っていうなぜかアイドル屋上で待機してるやつも毎回同じ。(これもどうでもいい)

 

ミリシタのイベントにはカタルシスがない。イベントならではの工夫、イベントを楽しんでやる動機が薄い。

動機づけとして思いつくのは①イベコミュアナザー衣装称号スコアタぐらいだが、

基本的にすべてのイベントを走るガチ勢以外だと担当のイベぐらいしかまり走る魅力がない。

(ここでの"走る"とはスパドリや石を使うという意味で、3万pt程度は普通に元気を消費していれば達するので走るとは考えていない)

最近イベント報酬ユーザーへの圧を強める方向で調整されているっぽいので、そのうちますますライト層の客離れを招くんじゃないか危惧している。

 

ミリシタのイベントに足りないものは何か?

例えばイベント間中のみイベント曲をプレイすると何かしら特別演出が出るだとか、特殊ノーツが落ちてくるだとか、あるいは特殊ギミックがあるとか、いまそこでしか味わえないゲーム体験提供するべきだ。

そういう意味真夏ダイヤのしょっぼいビンゴ方向性としては近いが、もちろんいろいろと改善余地がある。テンポとか報酬とか、そもそもあれをビンゴと呼べるのかとか。

できればライブ後ではなくライブ中の特殊演出として考えるべきだ。ノーツが次々落ちてくるライブならいくらでもやりようはあるんじゃないかと思うが……。ノーツをいじると視認性の問題がめんどくさいんだろうか?

 

もしかしてこのところ実装曲が体感難しくなっているのはこの点を考慮してのことだったりするんだろうか?

ライブ難易度底上げしてしまうとリズムゲームの不得意なユーザーが離れてしまいかねないので、あくまイベント期間限定で考えるべきだ。

例えばイベント期間を通じてステータスを積み上げていき、そのステータスに応じてライブで得られる報酬スコア加速度的に大きくする、など。

あるいはイベント限定でOMを超えるようなふざけた難易度を用意してミニゲーム的にコンボ数を競わせるとか。フルコンスクショSNSが盛り上がるかも。上述の「目新しいゲーム体験」にも通じる部分が大きい。

 

イベントに限らずライブ報酬そもそもしょぼい。ドレスリップ何千個もいらない。現状ライブ報酬機能していない。

例えば複数集めることで好きな衣装レンタルできるアイテム実装して、イベント中はそれが落ちやすくするなど。

 

その他

ミリシタに関しては他にもいろいろと言いたいことがあるけど(例えば触れ合いがいちいちめんどくさくてつまらんしあざといというか狙いすぎというか「小悪魔キャラという設定だったはずの美希が言うならともかくこのアイドルにこんなセリフ言わせる??」的な不快感にも近い飽きがあることとか、今更感すごいけどドレスアップルームでポット操作するのにそんなパンツ見せるようなかがみ方しなくていいから……っていう呆れ嫌悪とか、3Dモデル歌織さんの胸でかくしなくていいからとかそういういたずらにエロに寄るのやめてくれる?っていう感情とかちなみにわたし男性ですけど)もう疲れたのでこれぐらいで勘弁してやろう。これまで少なくない額課金してきたしミリシタがより良い方向へ発展していくことを祈ってます運営さん。

2021-10-02

責任能力がないか無罪」がよく分からない?

俺は裁判ってのは

見せしめとして犯罪者人生破壊する

・人に危害を加えうる猛獣調教を施す期間や殺処分の可否を設定する

国民に信じさせたい正常世界の濃度を調整する

って機能を持った精度だと思ってる。

そして、このどれに当てはめても責任能力がないことが無罪になる理由がわからない。

見せしめとして犯罪者人生破壊するという観点で考えるなら

起こしてしまった犯罪という行為に対して「狂ってたから仕方ないんです」では犯罪者予備軍たちに「狂ってるふりすればいいだけじゃん!!!」という動機づけをしてしまう。

犯罪予備軍度が低い人に対して「でも狂っちゃったら裁かれるならもう頑張って生きても結局裁かれるかも知れないしバレない程度に犯罪してこ」と感じさせる部分はあるかも知れない。

だがそれだって「もしも狂っても犯罪をしない内に病院に行ったり、犯罪をしないように普段から距離を置いていこう」と考えさせる効果もあるはずだ。

危険予知運転の基本として教習所で「速度を低めにする。かも知れない運転はしない」と誰もが教わっただろうが、それらを道交法以外の部分にも応用していく。

狂ってしまった瞬間の自分の瞬発力を予測し、日頃から犯罪との距離をとり、そして近づいていると感じたら早めに病院に行く。

キチガイ無罪否定はそういったことへの動機づけになるはずだ。

人に危害を加えうる猛獣調教を施す期間や殺処分の可否を設定するという観点で考えるなら

有罪判決によって懲役死刑を課する目的本質は、犯罪者無辜なる者達が暮らす社会から遠ざけることだ。

そして、戻ってきても再び犯罪をさせないように調教を施すことである

調教に失敗した場合リスクを考えると生かしておくこと自体不適切判断した場合はもはや殺処分しかない。

犯罪者に対する処置保健所による害獣指定と大枠は変わらない。

実刑判決を受けた人間人権の何割かを奪われ、そのへんのペットよりも悲惨階級生物となる。

さて、それでは気が狂っていたか責任能力がないとされた人間はこの調教を逃れる権利を与えられるべきなのだろうか?

与えられるべきではないだろう。

狂ってしまたからといって犯罪を犯しておきながらキチンと処罰を受けなければ、犯罪に対しての価値観が歪んでしまう。

さながら某アーチスト過去障碍者イジメをイキりながら自慢したように、歪んだ価値観からは歪んだ行動が生まれるばかりなのだ

歪み始めた価値観矯正するためにも治療と並行して刑務所での調教も施すのが本人のためではないだろうか?

もちろん、一時的狂気によって外れたと思われるタガが殺人と行った禁忌にまで及ぶのならば殺処分検討していくべきだ。

国民に信じさせたい正常世界の濃度を調整する

ここだけは少し悩ましい。

裁判とは人類による人類のための人類によるシステムだ。

まり裁判とは需要に対して齎された供給なのだ

その需要とはなにかといえば、究極的に「悪いやつは裁かれる。正しいやつは裁かれない」というシンプル勧善懲悪論の肯定だろう。

人類全体の教養レベルが向上したことで、現代人の道徳観は昔ほどは短絡的でなくなったにしろ、未だに基本的な部分はこのシンプル理論に基づいている。

そして、裁判というシステム需要はこれによって支えられている。

裁判においてキチガイ無罪が成立すべきか否かとは「キチガイ故に犯罪をしたものは悪いやつなのか?」という命題に置き換えられる。

悪いやつという曖昧定義の中身に「実際に犯罪をしたら悪いやつ」「望まずに犯罪をしたのならギリ正しいやつ」といったものが含まれている。

これらの衝突によって生まれた歪の間でキチガイ無罪は宙に浮いている。

時代によって変わっていく価値観によって、最近社会では多少人間として欠落していても許していくべきという方向で世界はまとまっている。

が、それでもなお「人に大きく危害を加えないなら」という注釈がつきがちだ。

そしてキチガイ無罪に対して考えるべき点は、「現代精神医療を持ってすれば多くのキチガイが治るキチガイである」ということだ。

強い薬の服用によって元の人格が歪むリスクや様々なホルモンバランスが崩れる可能性もあるが、それでも治せるキチガイの数は非常に多い。

そうなると現代価値基準では「人に危害を加える前に病院に行く選択肢もあったのに、チンケなプライドや我が身可愛さにそれを忌避した時点で悪いやつ」となるのではないだろうか?

道徳観が進歩たからこそ多様なあり方が肯定されたが、同時に医学進歩したことキチガイで有り続けるという愚行権行使が許されにくくもなってきている。

ロボトミー手術を受けろと行っているわけでもなく、単に1日3錠のカプセルを服用しろというだけのことを嫌がって、人に迷惑をかけることが、現代道徳では許されるのだろうか?

許されないことのほうが多いだろう。

やはり、キチガイ無罪は通らないな。

少なくとも現代社会においては。

2021-08-17

anond:20210817122124

ワクチンを打つ動機づけにはなるよな。ワクチン接種が概ね終わって重傷者を社会が受け入れられる段階になったら廃止したらいい。永久のものではない。

2021-08-03

anond:20210803233912

なんていうか「作品が好き」なんじゃなくて「内容が気になる」なんだよな。

その作品自体エコシステムとか作者の人格かには興味ないっていうか。

まあでもソシャゲーで「推し」とか言ってるタイプオタクなら上手く動機づけさえしてやれば作品のものを盛り上げてくれるんじゃないかな。

2021-08-01

anond:20210801020932

野党のものもまあそうなんだけれども、現在活動が活発な支持者たちも問題ではある

野党普段委員会質問や、支持者たちのSNSコメントが基本政府逆張りポピュリズムぐらいしかない。

加えて何故かいつも「国民は」と言うので本人たちの主体性が見えづらいのと、勝手意見代表されてるのでどんどん心証が悪くなる

というか勝手集団意見のふりして出される意見がおよそ真逆だったりすることが多いと敵意が強くなるから、最低限「国民は」って言うのやめて、アンケート調査お気持ち以外の理由づけや動機づけをするだけでも風向き変わると思うんだけどなあ……

2021-07-20

小山田圭吾氏と「公正世界信念」と「防衛帰属」(7/19 Session #ss954)

荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547

荻上チキ氏)

この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。

1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回インタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。

そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピックパラリンピック楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難さらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。

90年代音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。

この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。

今回のは、過去いじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。

そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去インタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめ手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。

そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。

過去いじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所データなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。

やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的あだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。

ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。

ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめ文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。

インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。

他にも様々なダウン症児童などに対する侮蔑的発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。

こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。

なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります

これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。

内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。

逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。

良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。

そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。

その不安感は、要は「もしかしたら自分努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。

その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害非難被害者が悪いというんですね。

どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。

こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。

でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。

要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。

この感覚のものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。

一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要動機づけを与えるし、社会適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。

ただ、こうしたような「被害非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。

加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果かいうのを社会拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。

今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。

ではその回復手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復手段ほとんど難しいんですね。

例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪たからといって回復できるとは限らない、つまり加害者被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。

一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。

少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。

一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。

そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています

から今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントひとつになるわけなんですよね。

で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさら助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。

から今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。

ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。

これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。

例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。

それを見ると、結構典型的な「防衛帰属」だなって思うわけです。

どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしま可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分防衛するために、責任所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。

そういうふうに、どこに責任帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。

からネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というもの擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分メディアの振る舞いとか、90年代表現かいものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。

そういうような「防衛帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。

そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね

ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。

それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。

それが行われてない現段階においては、このオリパラテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。

ではその後どうするのか。

これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識かいろんなことが必要になりますよね。

どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います

いろんなものを浮き彫りにした一件でもありますよね。

80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。

今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん