はてなキーワード: 蛋白質とは
主 文
原判決を破棄する。
理 由
上告代理人菊池信男、同大島崇志、同島田清次郎、同岩舩榮司、同小花弘路、同米倉章、同伊沢宏一
一 原審の確定したところによれば、(一) 被上告人のした本件特許出願の拒絶査定に対する審判請求に
おいて特許庁がした審決は、本願発明の要旨を、別紙明細書抜粋の特許請求の範囲記載のとおり認定した
上、第一ないし第六引用例に記載された発明に基づいて本願発明の進歩性を否定し、本件審判請求は成り
立たないとした、(二) そして、本件特許出願の明細書の発明の詳細な説明には、別紙明細書抜粋の(1)な
いし(10)の記載がある、というのである。
二 原審は、右確定事実に基づいて、次のとおり認定判断し、審決には、本願発明の基本構成部分の解釈
を誤った結果、同部分の進歩性を否定した違法があり、右の誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らか
であるとして、これを取り消した。
1 本願明細書の発明の詳細な説明中の前記(4)記載の方法は、リゾプス・アルヒズス(リゾプス・アリツスと
同義)からのリパーゼ(以下「Raリパーゼ」という。)によるトリグリセリドの酵素的鹸化により遊離するグリセリ
ンを測定するトリグリセリドの測定方法であるところ、これは、Raリパーゼを使用してトリグリセリドを測定する
方法に関する被上告人出願の昭和四五年特許願第一三〇七八八号の発明の構成、すなわち、その特許請
求の範囲に記載されている、「溶液、殊に体液中のリポ蛋白質に結合して存在するトリグリセリド及び/又は
蛋白質不含の中性脂肪を全酵素的かつ定量的に検出するに当り、リポ蛋白質及び蛋白質不含の中性脂肪
をリゾプス・アルヒズスから得られるリパーゼを用いて分解し、かつ分解生成物として得られるグリセリンを自
体公知の方法で酵素的に測定することを特徴とする、トリグリセリドの定量的検出法」との構成と実質的に同
一である。そして、本願明細書の発明の詳細な説明の記載による限り、本願発明は、(4)記載の測定方法の
改良を目的とするものであるから、Raリパーゼを使用することを前提とするものということができる。
2 本願明細書の(4)の記載によれば、本願発明の発明者は、Raリパーゼ以外のリパーゼはRaリパーゼ
のように許容される時間内にトリグリセリドを完全に分解する能力がなく、遊離グリセリンによるトリグリセリド
の測定には不適当であると認識しているものと認められるから、発明者が、右のようなトリグリセリド測定に
不適当なリパーゼをも含める意味で本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に広く「リパーゼ」と記載した
ものと解することはできない。
3 本願明細書の発明の詳細な説明に記載された「リパーゼ」の文言は、Raリパーゼを指すものということ
ができる。
4 そうであれば、本願明細書の発明の詳細な説明の記載により前記(4)記載の測定方法の改良として技
術的に裏付けられているのは、Raリパーゼを使用するものだけであり、本願明細書に記載された実施例も、
5 そうすると、本願発明の特許請求の範囲中の基本構成に記載された「リパーゼ」は、文言上何らの限定
はないが、Raリパーゼを意味するものと解するのが相当である。
三 しかしながら、原審の右の判断は、にわかに是認することができない。その理由は、次のとおりである。
特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性につ
いて審理するに当たっては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る
発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した
明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一
義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明
の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細
な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとす
る発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二
号の規定(本件特許出願については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法三六条五項の規
これを本件についてみると、原審が確定した前記事実関係によれば、本願発明の特許請求の範囲の記載
には、トリグリセリドを酵素的に鹸化する際に使用するリパーゼについてこれを限定する旨の記載はなく、右
のような特段の事情も認められないから、本願発明の特許請求の範囲に記載のリパーゼがRaリパーゼに限
定されるものであると解することはできない。原審は、本願発明は前記(4)記載の測定方法の改良を目的と
するものであるが、その改良として技術的に裏付けられているのは、Raリパーゼを使用するものだけであ
り、本願明細書に記載された実施例もRaリパーゼを使用したものだけが示されていると認定しているが、本
願発明の測定法の技術分野において、Raリパーゼ以外のリパーゼはおよそ用いられるものでないことが当
業者の一般的な技術常識になっているとはいえないから、明細書の発明の詳細な説明で技術的に裏付けら
れているのがRaリパーゼを使用するものだけであるとか、実施例がRaリパーゼを使用するものだけである
ことのみから、特許請求の範囲に記載されたリパーゼをRaリパーゼと限定して解することはできないという
べきである。
四 そうすると、原審の確定した前記事実関係から、本願発明の特許請求の範囲の記載中にあるリパーゼ
はRaリパーゼを意味するものであるとし、本願発明が採用した酵素はRaリパーゼに限定されるものであると
解した原審の判断には、特許出願に係る発明の進歩性の要件の有無を審理する前提としてされるべき発明
の要旨認定に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右違法は原判決の結論に影響
を及ぼすことが明らかである。この点の違法をいう論旨は理由があり、その余の上告理由について判断する
までもなく、原判決は破棄を免れない。
よって、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七
条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官 藤 島 昭
裁判官 香 川 保 一
裁判官 木 崎 良 平
明細書抜粋
「リパーゼを用いる酸素的鹸化及び遊離するグリセリンの測定によってトリグリセリドを測定する場合に、鹸
化をカルボキシルエステラーゼ及びアルキル基中の炭素原子数10~15のアルカリ金属―又はアルカリ土
類金属―アルキル硫酸塩の存在で実施することを特徴とするトリグリセリドの測定法。」
発明の詳細な説明
(1) 「本発明はグリセリドを鹸化し、かつこの際に遊離するグリセリンを測定することによってトリグリセリド
(2) 「公知方法によれば、差当りアルコール性アルカリでトリグリセリドを鹸化し、次いで生じるグリセリンを
測定することによりこの測定を行なっている。」
(3) 「この公知方法の重大な欠点は、エタノール性アルカリを用いる鹸化にある。この鹸化工程は、さもな
ければ個有の精密かつ容易に実施すべき方法を煩雑にする。それというのは、この鹸化はそれだけで約70
℃の温度で20~30分を必要とするからである。引続き、グリセリン測定そのものを開始する以前に、中和し
かつ遠心分離しなければならない。」
(4) 「この欠点は、1公知方法で、トリグリセリドの酵素的鹸化により除去され、この際、リゾプス・アリツス
(Rhizopus arrhizus)からのリパーゼを使用した。この方法で、水性緩衝液中で、トリグリセリドを許容しう
る時間内に完全に脂肪酸及びグリセリンに分解することのできるリパーゼを発見することができたことは意想
外のことであった。他のリパーゼ殊に公知のパンクレアス―リパーゼは不適当であることが判明した。」
(5) 「しかしながら、この酵素的分解の欠点は、鹸化になおかなり長い時間がかかり、更に、著るしい量の
非常に高価な酵素を必要とすることにある。使用可能な反応時間を得るためには、1試験当り酵素約1mgが
必要である。更に、反応時間は30分を越え、従って殊に屡々試験される場合の機械的な実験室試験にとっ
ては適正が低い。最後に、遊離した脂肪酸はカルシウムイオン及びマグネシウムイオンと不溶性石鹸を形成
し、これが再び混濁させ、遠心しない場合にはこれにより測定結果の誤差を生ぜしめる。」
(6) 「従って、本発明の目的は、これらの欠点を除き、酵素的鹸化によるトリグリセリドの測定法を得ること
にあり、この方法では、必要量のリパーゼ量並びに必要な時間消費は著るしく減少させられ、更に、沈でんす
る石けんを分離する必要性も除かれる。」
(7) 「この目的は、本発明により、リパーゼを用いる酵素的鹸化及び遊離したグリセリンの測定によるトリグ
リセリドの測定法により解決され、この際鹸化は、カルボキシルエステラーゼ及びアルキル基中の炭素原子
数10~15のアルカリ金属―又はアルカリ土類金属―アルキル硫酸塩の存在で行なう。」
(8) 「リパーゼとしては、リゾプス・アリツスからのリパーゼが有利である。」
(9) 「本発明の方法を実施するための本発明の試薬はグリセリンの検出用の系及び付加的にリパーゼ、カ
ルボキシルエステラーゼ、アルキル基中の炭素原子数10~15のアルカリ金属―又はアルカリ土類金属―
(10) 「有利な試薬組成物の範囲で、特に好適な試薬は次のものよりなる:リゾプス・アリツスからのリパー
ゼ 0.1~10.0mg/ml」
御題をもらったので、久しぶりに料理話を書くか。
以前は自分で「チェーン鍋」と呼んでた一週間具材を足しながら鍋を食べ続ける…とかやってたんだけど、1人暮らしじゃなくなったので、オイラばっかり鍋食うっていうわけにもいかず、鍋の回数は減り気味。
となると、手も抜くって事で、最近はコンビニのアルミ鍋やスーパーの鍋セット(アルミ鍋付き)をよく買って食べてる。
でも、そのまま食べてもイマイチな事も多いので、ちょっとだけ手を加えよう。ちょっとの手間で美味しいよ!ってのが、今日のネタ。
・アルミ鍋の蓋をゲットせよ
コンビニや鍋セットの使い捨てアルミ鍋ね。こいつに合うサイズの鍋蓋があると調理が捗るので、片手鍋の蓋とか片っ端から当てて使えそうなやつを探してほしい。なるべく深い感じがいいな。野菜山盛りになった時に閉まらないと悲しい事になる。
・鍋セットは一度解体せよ
鍋セットは野菜とかでボリュームアップしてるんだけど、その野菜をそのまま煮込むとあまりよくないので一旦ボウルとかに出しましょう。
そして、根菜、白菜の白い所をまず煮る。火が通ってきたら、肉や魚を入れて、葉野菜を入れて、ニラ、ネギを最後に足すと。こんなちょっとした手間で美味くなるからやるべし。
・具材を足そう
申し訳程度に乗ってるニラやネギをマシマシにして加えても良し、肉鍋に海鮮系を足して蛋白質の出汁に深みを増しても良し、好きならば、追加でゴボウや水菜を足してもいいぞ。
上記のようにちょっと手間をかけて煮ると煮汁が濁らないから、最後の〆のうどんや雑炊が美味い!アルミ鍋をガスコンロに戻して再沸騰させ、うどんか御飯を投入。温まったら、生卵を割りいれて、蓋をして火を止めて、祈る。
半熟でうまうまな所を食うといいよ。
・食べきったらそのままポイ
お椀と箸ぐらいしか洗い物が残らないから、寒い台所での洗い物も楽だ!!
まぁ、気持ちにゆとりがある時がお勧めだけど、まぁ寒い夜にでもやってみてよ。
----
いくつか補足や
女性はこのにおいに敏感で「腐敗臭」「生ごみ臭」と感じることもある。
特定年齢の男性。25歳くらいから少しずつあらわれ始め、35~45歳でピークを迎えたのち薄れていく。
枕が臭くなったり枕が黄色くなる人は、特に不快な臭いを放っている。
臭いの発生場所が本人の鼻から遠いため、本人だけが気付いていない場合も多い。
肥満、運動不足、不規則な生活もにおいを悪化させる要因になる。
アルツハイマー病は、ベータアミロイド蛋白質が過度に生成され脳に凝固付着し脳細胞に影響を及ぼし発病する。
ジアセチルはベータアミロイドの活動を助け、脳神経細胞に適用するベータアミロイドの毒性を強化させる。
臭いせいで、毎晩共に寝る妻をアルツハイマー病にしてしまう可能性も…。
オッサンの頭だけでなく、ポップコーン、マーガリン、スナック菓子、ビールなどにも含まれている。
ジアセチルは皮脂が落ち切っていないために発生する。後頭部の清潔が保たれていればジアセチルの発生は防げる。
「あらゆる検査をした」というふれこみの患者さんを初診でよく拝見している医者です。
本当にあらゆる検査をして異常がない患者さんというのは診たことがありません。
もちろん有名なエーラーズダンロス症候群程度や寄生虫は当然調べてあるのだろうと思いますが、
実力のある内分泌代謝内科医に助けを求めてみるのも良いのではないでしょうか。
糖尿病家系、ということで、IGF-Iなどの代謝がおかしい場合。
非常に多彩な原因が考えられるのです。
もちろん胴が異常に長い、という事で足の軟骨の形成異常などがあった可能性も考えねばなりません。
遺伝子の問題であるならば、実際には治すのはかなり難しいわけで、
原因を追究するためのあなたの労力や努力と、その結果とが釣り合わない可能性はありますが、
例えばエーラーズダンロスの場合には血管の脆弱性がありますし、
それに類似した状態であるならば、きちんと経過を観察したほうが良いのです。
病的だと決めつけているわけではありません。まずその評価をきちんとせねば。
逆に病的でないならば、
1)骨量の評価
2)皮下脂肪厚の評価
3)消化機能の評価
4)血中脂質の合成能やタンパクの合成能の評価
(甲状腺機能などはさすがに検査してあるだろうと思うので割愛しました)
などを行います。
2)排便の回数や性状
を行います。
自分が求める体型と、人が許容する体型には「ずれ」があります。
医師や医療従事者がかかわることで、「第三者の目」が加わります。
家族や友人は心無い一言を発する場合が多いので、その一言に深く傷ついた方を多く見ます。そして怒っています。
商売でやってらっしゃる方も、その方の好みで指導をしてしまうので問題です。
あなたが薄っぺらいと思ってらっしゃる体型も、第三者の我々から見れば美しいかもしれません。
医師は、特に勤務医は、みなさんが思うよりは安月給で歩合制でもないから、商売であれこれいう事はありません。
時々面倒くさがっている人がいますが嘘は言いませんのでどうぞ信頼してください。
体脂肪の量は上手にコントロールすることはとても難しい事です。
体をつくろう、という場合にはまずいわゆる「細マッチョ」を目指すことです。
糖尿病を心配する場合には、一日あたりのC-Peptideの量、あるいはHOMA-Rなどの指標があって、
るいそう(やせ)の定義はBMI17.6以下なので、これ以下の方は内科に通院していただいて治療をするケースがかなりあります。
お役に立てば幸いです。
毒あるらしいよ
生のエノキタケに含まれる蛋白質のフラムトキシン(加熱により分解)には、強心作用も有ると言われているが、溶血作用があるので必ず加熱して食べる必要がある[2]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%B1#.E9.A3.9F.E7.94.A8
哺乳類を殺せる人間は世の中でほとんどいないからこそ屠殺という商売が成り立つのだろうし、
自分ができないことを押し付けてそのくせ自分は旨い美味い言って原型を留めていない肉の味を楽しんでいるのだから、
人間とはつくづく罪深い生き物だと思う。
何で牛や豚は駄目でイルカはいいのか猫は駄目でゴキブリは駄目なのか植物だって生きているじゃないかとか子供の喧嘩のように揚げ足取る人が後から後から湧いてくるけど、
シンプルに
「哺乳類はかわいい、かわいいものは傷つけられない、殺せない」
「自分と近い哺乳動物を殺すことを容認する社会になれば、ひいては自分が殺されることを甘んじなければいけなくなる、それが嫌だから」
という理由では納得してもらえないのだろうか。
とは言え動物性蛋白質も健康のために必要だから、仕方なく哺乳類の中から家畜として向いているものを選抜して、
養殖の方法を洗練していった結果、哺乳類中のスケープゴートとしての牛豚が食用とされる習慣が根付いた。
イルカは駄目で牛や豚は云々言う人はそう言って納得してもらえないんだろうか。
まあ個人的には、食用にする分には牛や豚以外の哺乳類を殺しても、必要以上に苦痛を与えない方法で屠殺する限りは、かまわないと思うけど、
本気で哺乳類と魚類や昆虫ましてや植物を同類と考えている人がいたとしたら、
そいつこそ魚を捌くように虫を叩き潰すように植物を踏み倒すように野菜を切り刻むように人間を殺しかねない超危険人物だ。
http://anond.hatelabo.jp/20120605221253
なんでこんなこと聞いたかと言うと牛乳有害説を唱える医学者やジャーナリストが結構いて
トンでもだとは思うんだけど一定の権威がある人たちが唱えている以上検証に値することなのかなと気になったので。
いろいろ根拠を主張しているみたいなんだけど根底にある考えが、
「牛乳は牛の子供が成長するために設計されているので人間には合わない。異種動物の蛋白質を摂取するのは不自然だ。」
ということらしいんだ。
肉食動物は他の動物の肉を食べているけど共食いした方がいいということ?
母乳に関してのみそれが当てはまるというのなら、異種の動物が育てるのは困難ということになるのか。
時たま異種動物に子供が育てられているというのはどういう理由からなのか。
成分が似ているなら飲むこともあるというだけなのか。
よく異種の動物の子供に授乳をする動物の動画とかあげられてるけど、
栄養学的に問題ないのだろうか?
昔狼に育てられた人間の子供という都市伝説が教科書にも掲載されていたけど、
狼の母乳は人間の子供には消化できず吐きもどしてしまうそうで、
でも人間は牛の母乳を飲んでいるよねえ。何で牛だけ特別なのだろう。まあヤギとかもあるのかな。
どの動物にどの動物のお乳が合っているとか対応関係があるのだろうか。
仮に哺乳類のお乳は栄養成分的に大差がなくほかの動物のお乳を飲んでも母乳を飲むのと変わりないというならば、
別に同じ動物が親として育てなければいけないということもないのではないか。
※追記
狼の母乳は蛋白質や脂肪の濃度が高すぎて人間の子供には消化できないのだそうです。
嘔吐するというか「吐き戻す」と言われているそうなんだけど、単純に味覚に合わなくて飲めないってことなのかも。
どうして理解出来ないものごとを排他するように動くんだろう。そんなに気に入らないなら無視してしまえばいいのに。
やっぱりあれかな、場の空気感とか、一体感とかそういったことから得られる一種の興奮が心地いいのかもしれないなあ。
赤信号をみんなで渡るって行為は、それが何かしらの抵抗を意味することであり、同時に大きなうねりとか攻撃性というものへの帰属を促してくれる。
自分の外側も内側も同じ方向性に偏って、どんどんどんどん加速していくと、たぶんすごく楽しくて満ち溢れた気分になれるんだろう。
アドレナリンが分泌されて、脳が冴え渡って。そことわたしとが同調してしまって無限の広がりを持つようになるのだろう。
それらの主成分はおおよそ喜怒哀楽であり、感情的になることによって意図されたパニック状態に突き進むのだ、きっと。
わたしなんて主観はとっても儚いもので、いとも容易くわたしの中にある、わたしの外にある感情に、衝撃に、絶えず揺り動かされてしまっている。
フィードバックは間断なく行われており、なるほどこのような視点で見る限り、わたしというもの、ないしは人格というものがとても精巧に組み上げられたソフトのように感じられる。
そのソフトの動かすために必要なハードこそ肉体であり、人類はいまその主要な部品であるものどもを子細にいたるまで検分創成しようと試みているわけだ。
だから人間でない人間は、いつの日か創り出すことができるのかもしれない。神様じゃなくても、大丈夫なのかもしれない。
遺伝子って何なんだろう。どうしてあんな四つの塩基に支縛られなくちゃ駄目なんだろう。
先天的に結果が生じている問題に原因を求めるなんて愚の骨頂だけど、どうして生命は子孫を残そうとしているのか、次世代に種の存在を繋げようとしているのか解せなくなる時がある。
どうして進化なんてしたんだろう。どうして生命は死ななければならないんだろう。最初から死なんていう絶対的な区切りがなかったよかったのに。
そうすれば今にいたるまでふよふよとした蛋白質の塊のまま海中を漂っていたはずなのに。どうして死なんてものが存在しているんだろう。どうしてわたしは死ななければならないのだろう。
いや、わたしは死なないのではないだろうか。この世の中にあまた存在しているわたしというソフトウェアには、死というものから解放されているのではないか。
だって、ソフトウェアは途切れることしかしないから。強制的にシャットダウンすることしか無いから。それが死というものなのらしいけど、いまいちパッとしない。
死ってなんだ。そして気がついたけど、肉体って本当にハードウェアと換地して考えていいのだろうか。筐体は一体何と互換されるべきなんだろう。筐体こそが肉体を指しているんじゃないのかな。
ふむ。筐体が血肉で、遺伝子の並びがハードウェアで、わたしというものがソフトウェアなんだろう。
でも、そうだとするならば、人間ではない人間の血肉は後天的に生まれたことになり、何よりも先ずハードが揃っていなければならないということになる。
それが人間だ、機械とは違うのだというのならば、そのとおりだと首肯せざるを得ない。
医薬品として売ってないあたり、たぶん花粉症の症状を軽減させたデータの裏は取れてないんだろう。
陽性荷電した高分子を利用した商品で有名なものを言えば、たとえば髪の毛のリンス剤や柔軟剤とか。
蛋白質は陰性に荷電しやすい。
なので、たとえば陰性に荷電しやすい髪の毛や羊毛の荷電をキャンセルすることによって、毛同士の反発を減弱させて広がりを抑える。
逆性石けんでググったらWikipediaがヒットしたので貼り付ける。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E6%80%A7%E7%9F%B3%E9%B9%B8
クリスタルヴェールというものを初めて知ったので成分をみないとなんとも言えないが、たぶん成分的には似てるんじゃないかな。
柔軟剤やヘアリンスの成分なら安全性のデータもあって認可もおりやすいだろうし。
やはり生体分子なので。(生命体の体は陰性荷電した高分子と、陽イオンミネラル類と水で出来てるといっていい)
とはいえ、イオンにトラップされてるというよりは、クリスタルヴェールとやらを塗った部分の水や油の膜にトラップされる花粉のほうが圧倒的に多そうな気がする。
この仮説なら、たぶんヘアリンスでも同じ効果が期待できるんだが、だれかヘアリンスを鼻の下に塗って効果を検討してくれないかな?
たぶんアスパルテームかな。
安全性に疑問符が出たり出なかったりで認可されたり取り消されたりを繰り返してるサッカリンは日本じゃあんまり清涼飲料水には使ってない。
アスパルテームは代謝産物のアミノ酸のフェニルアラニンがフェニルケトン尿症の人にはよくないとされている。
といっても、砂糖の200倍甘いわけだから使用量も砂糖の200分の1なわけだから、フェニルケトン尿症であっても飲みすぎなければ。
それから、アスパルテームのラットへの発癌性についての報告があったけれど、眉唾なデータ。
ただ、アメリカだと一部の健康志向の消費者が敏感になっていて、アスパルテームフリーと書かれた菓子がけっこうある。
そんなわけで、アセスルファムカリウム、スクラロースに取って代わられつつある。
あとは、たとえカロリーがなくとも甘みがあるものを食べるとインスリン感受性に影響があるという報告があるけど、それも健康被害という視点からすると無視していいレベル。
まあそんなところか。
あとは、買ってはいけないの人はサッカリンとアスパルテームにはベンゼン環が含まれてるから発癌性があるかもしれないからダメみたいなことを言ってたけど、ベンゼン環なんて蛋白質を構成するアミノ酸によく含まれてるわけで、それがダメなら肉類のほとんどがアウトだから気にしたら生きていけない。
元増田ではないんだが、俺からもちょっと質問させてほしい。
質問番号は⑧からにしとく。
⑧ 栄養面で気をつけていることはあるか?
ビタミンB12が不足しやすいとかって聞いたことがある。
スポーツするひとだとわざわざプロテインを飲むくらいなんだから、スポーツしないからいいっていやそれまでだけど、やっぱ足りなくなりやすいんじゃね?
⑨ 肉風味(かつおぶしの香やコンソメやブイヨン)も苦手なの?
⑩ ぶっちゃけ外で食えるもの(外食もコンビニも含め)ってなくない?
毎日弁当作れればいいけど、そうもいかない日もあるよね?
⑧とかぶるけど栄養偏るのも致し方ない、栄養は特に気にしないって感じなのかな?
実は知人に菜食っぽい人いたんだけど、いつも栄養が偏ってるように見えた。
いつも思うんだけどこういう感性の人って実際に存在するの?
確かに誇張はある程度入ってるかもしれない。でもそれは「過剰でなくても実際に在り得る」を前提としているからこういうネタを書けるんでしょ?
理解できないんだよね。見るたびに「よく思いつくなー」って思う。俺には人間なんてほかの動物と同じでただ少しだけ意思表示が言葉として詳細に可能なだけとしか思ってないから。
極端に言うと肉塊。蛋白質。地球上の炭素循環のごく一部。それと単純に衛生面で汚い存在。
人間には「自分と同じ様に複雑で豊かで合理性のある感情感性(ただし誰かに対してではない)が備わっているのか?利己的で目先の事しか考えない本能で生きるだけの動物なのではないのか?」こういう懸念を抱いてしまう。
筒井康隆の変態的(と言われている。俺には無機質にしか感じない)描写とか森鴎外の恋愛(と言われている、俺には茶番にしか感じない)文とか読んでると共感できない部分が多すぎて逆に俺がサイコパスか何かのゴミクズなんじゃないかってくらい不安に思ってしまうんだよね。
だいたいさ、国防としての食料自給率を論ずるならだよ、畜産だと思うんだ。
食料自給率を論ずるうえで、まず満たさないとならないのは第一に考えなくちゃならんのはカロリー需要をみたすことでしょ。
医学的に言えば、一日に必要な水分、カロリー、塩分があればすぐには死にはしない。
日本の場合、水と塩はまず足りなくなったりしないわけで。
だからまずはカロリー。
ま、妥当に考えれば穀物。
カロリーあたりの製造単価が安いし、保存が効くし。
次は植物油。
でもカロリーは米で満たされるからなかったらないでいいわけで。
カロリー需要をみたしたらさ、もう少し国民の健康考えたらなにからどのくらいカロリーをとるかだと思う。
タンパク質からカロリーをとるか、炭水化物からとるか、脂質からとるか、まあそのバランス。
一番安くカロリーを満たすにはオール炭水化物由来、米に塩ふって食ってろってことになるんだけどさ、健康的な生活を考えたらそのバランスだろ。
一番難しいのは蛋白質をどう確保するかって話だ。
だからさ、やっぱ畜産をどうするかっていうことを考えないとなんないと思うんだ。
そういうとみんな野菜は大事!ビタミン!ミネラル!とかいうけどさ。
稲作との親和性が悪い。
トウモロコシや小麦に比べて飼料転用や副産物を畜産で使ったりしにくい。
っていうか日本って稲作にこだわったりする必要あるわけ?
植物として生育する北限の北見あたりまで稲作したり、山間にトラクターなんて当然はいれない数畳の面積の棚田つくったり。
無理っしょ。
民主はそれに所得保障するつもりだったんでしょ。
トウモロコシだったら米より生産効率いいしさ、茎まで家畜の餌になるし、水田に比べると設備投資いらんし。
今ある水田の全部トウモロコシに転作しちゃえばさ、ウシのエサもだいぶまかなえちゃうだろうしさ。
まあ、問題はトウモロコシで刺身定食を食うのはすごく嫌だってことだな。
慣れでなんとかなんのかな。
さすがにこれは略したいんだが…
Methionylglutaminylarginyltyrosylgl-
utamylserylleucylphenylalanylalanylgluta-
minylleucyllysylglutamylarginyllysylgluta-
mylglycylalanylphenylalanylvalylprolylphe-
nylalanylvalylthreonylleucylglycylaspartyl-
prolylglycylisoleucylglutamylglutaminylser-
ylleucyllysylisoleucylaspartylthreonylleucy-
lisoleucylglutamylalanylglycylalanylaspart-
ylalanylleucylglutamylleucylglycylisoleucyl-
prolylphenylalanylserylaspartylprolylleucel-
alanylaspartylglycylprolylthreonylisoleucyl-
glutamiylasparaginylalanylthreonylleucyla-
rginylalanylphenylalanylalanylalanylglycyl-
valylthreonylprolylalanylglutaminylcystein-
ylphenylalanylglutamylmethionylleucyalan-
ylleucylisoleucylarginylglutaminyllysylhisti-
dylprolylthreonylisoleucylprolylisoleucylgl-
ycylleucylleucylmethionyltyrosylalanylaspa-
raginylleucylvalylphenylalanylasparaginyll-
ysylglycylisoleucylaspartylglutamylphenyla-
lanyltyrosylalanylglutaminylcysteinylgluta-
myllysylvalylglycylvalylaspartylserylvalylle-
ucylvalylalanylaspartylvalylprolylvalylglut-
aminylglutamylserylalanylprolylphenylala-
nylarginylglutaminylalanylalanylleucylargi-
nylhistidylasparaginylvalylalanylprolylisol-
eucylphenylalanylisoleucylcysteinylprolylp-
rolylaspartylalanylaspartylaspartylasparty-
lleucylleucylarginylglutaminylisoleucylalan-
ylseryltyrosylglycylarginylglycyltyrosylthre-
onyltyrosylleucylleucylserylarginylalanylgl-
ycylvalylthreonylglycylaranylglutamylaspa-
raginylarginylanylalanylleucylprolylleucyla-
spaaginylhistidylleucylvalylalanyllysylleuc-
yllysylglutamyltyrosylasparaginylalanylala-
nylprolylprolylleucylglutaminylglycylphen-
ylalanylglycylisoleucylserylalanylprolylasp-
artylglutaminylvalyllysylalanylalanylisoleu-
cylaspartylalanylglycylalanylalanylglycylal-
anylisoleucylserylglycylserylalanylisoleucyl-
balyllysylisoleucylisoleucylglutamylglutam-
inylhistidylasparaginylisoleucylglutamylpr-
olylglutamyllysylmethionylleucylalanylalan-
ylleucyllysylvalylphenylalanylvalylglutami-
nylprolylmethionyllysylalanylalanylthreon-
ylarginylserine
母が死んだ。
父は、家族葬にし、葬儀は極力地味にすると決め、親族以外一切連絡しなかった。
父が家族葬に決めたのには理由がある。母と同世代の人は大抵年金生活者だから、気を遣わせて無用な出費をさせないよう、
「極力派手な事はしない。」
と方針を決めていたのだ。
少人数なので、不快な出来事は起きにくいはずだった。
通夜の前日、母方の伯父が生花を出すと言い張り聞かなくなった。その伯父は元町会議員((実は、祖母の連れ子だった母とは直接血は繋がっていない。))。葬儀委員長だった父の弟((近所に住んでいて、私たち家族とは深い付き合いがある。冠婚葬祭に詳しい。))が渋々それを受け入れると、今度は父方の伯父が声を荒げて生花を出すと言い出した。
嫌な雰囲気になった。
翌日、火葬場で母が焼かれた。程なくして、骨を拾う事になった。マイクロバスが用意された。
私たち家族だけだろうと思っていたら、母方の親類が押し寄せるように乗り込んできた。それにつられてか、父方の親類まで乗り込んできた。マイクロバスは、満杯の親類縁者を乗せて火葬場に着いた。
生花にこだわった父方の伯父は、焼却炉を覗き込んでしたり顔で頷いていた。
母方の伯父の一族は、母の骨を見て、
「ほらほら、骨が黒くなってる。あっちも、あっちも。黒いところが病気のところなんだよね。」
とざわめき始めた。
「焼くと、病気だったところの骨が黒ずむ。」という俗説は、私も火葬場に行くたびに聞かされた。時には火葬場の責任者が骨を指して、
「ここが病んでいたところ。」
などと言う事もあった。
しかし、母の病巣は肝臓で、蛋白質主体であるその病巣が800℃以上で1時間30分以上焼かれてその痕跡を残すとは考えられない。
さらに、母が骨に転移などを起こしていなかった事は死の直前に行われた検査で明らかになっている。
しかも、彼らが「黒くなっている。」と騒いでいたのは、淡褐色になった骨髄の部分だった。そこに病巣はない。
生焼けなら可能性はあるが、いつからこのような俗説が流行り始めたのだろう。
親戚はざわめき始めた。
「こりゃあ、痛んだろう。」
「辛かったろうね。」
母は自宅療養だった。癌であるにもかかわらず痛みを一切覚えず、モルヒネを最期まで使わなかった。
父の献身的な介護で、母は快適に過ごしていた。死の6日前まで穏やかだった。笑顔もあった。
医師が何度も「痛みは本当にありませんか?」と聞くのがおかしいと笑った事もあった。
そして、医師が驚くほど母は長く生きた。念のためと入院してすぐに死んでしまった。
何も知らない親類縁者が、2年にも及ぶ父の献身的な介護を見ることもなく、穏やかだった母の生活を見ることもなく、勝手に母を苦しんだ事にし、母は辛かったんだ、不幸だったと言い始めた。
奥歯を噛み締めながら母の頭の骨を箱に収めていると、伯母((生花を出すと言い張った伯父の妻))が私の背後に近寄り、こう言った。
「○○ちゃん、あの黒いとこが病んでるとこ。」
怒りで涙が溢れた。
火葬場を出る時、私の顔を見て従兄弟((生花を出すと言い張った伯父の長男))が
「あいつ、大丈夫かぁ?」
と言った。
彼は、母が病気を克服するために頑張ろうとしていた2年前に家に来て、まるで通夜のような顔をしていた。
2年前には通夜のような顔をしていた従兄弟だが、初七日法要には最前列の端っこでいびきをかいて眠っていた。
通夜の前に母方の叔父と競って生花を出すと言いだした父方の伯父は、母の祭壇をカメラで何度も撮影し始めた。宗派が違うので面白かったのだろうか。
その夜、葬儀委員長だった叔父と、もう一人の伯父と父と私とで、遅くまで飲み、話し込んだ。
「火葬場に、野次馬が来てしまったんだな。」
父は私にこういった。
「所詮、花を並べて皆に見せることでしか、母との関係を示せない人たちなんだ。」
葬儀に行く人にお願いしたい。
どんな形であれ、ずっと一緒にいた者が骨になっている家族の周囲で、あれこれ言い立て騒ぐのはやめて欲しい。
葬儀で眠いなら、席を外して欲しい。
中国産のメラミンが混入された牛乳を原料とした粉ミルクにより乳児が発病・死亡したニュースは新聞、テレビ、週刊誌などなど何度も取り上げられた。
日本国内のメーカ数社に安全性を確認したところ日本国内産やオセアニア産(オーストラリア、ニュージーランド)の牛乳を原料としているので安全だと主張します。
しかし自社製品を検査せずに原料乳が中国産でないから安心、とメーカーは言い切ります。これはどのメーカーに聞いても、全てそのように即答されます。
育児用ミルクには牛乳蛋白質成分の『ラクトフェリン』という物質が含まれています。
世界最大級であるニュージーランドの輸出企業『タツア乳業協同組合会社』のラクトフェリンからメラミンが検出されています。
http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/foodsafe/news/08092902.htm
国内メーカーは「その企業とは取引していないこと」も理由に安全としています。
『タツアも中国市場で汚染が発見されるまではメラミンの検査などしてなかった』
森永砒素ミルク事件では、森永は事件が発覚した当初は、製品そのものに問題があったことは認めたが、責任は無いと主張した。原材料メーカーを信じていたから当社には責任は無いと主張した。今、まさに同じような状況になっているにも関わらず、森永含めメーカー各社は、検査はしていないが、問題は無いと言われているので安心、とにかく問題は無いと主張する。
主張はするが根拠が全く無い。しかも、メラミン検査をする予定が無いという。根拠が「そう思うから」というだけで安心しているメーカーが不思議でならない。
http://anond.hatelabo.jp/20071102203403
あるなら、死後の世界って一体何?
http://anond.hatelabo.jp/20071102205435
認識機能が停止しているなら死後の世界があっても無意味なのではないだろうか。
人間は自分の認識する情報にのみ、周囲の世界を見出す事しかできないから。
もし人間の認識の能力が自分を構成する分子一つひとつまで及んでいたならば、今こうしている間にも自分の体を構成する分子一つひとつがどこにあるかとかそういう事まで意識できるし、死後にも分子一つひとつが細かで単純な意識に分散し、それらはまた何らかの物体を形成するのを何かを思いながら待つ事になるのだろうか。でも現実には分子レベルの話は大袈裟すぎるけど、意識の宿る脳でさえ、それらを構成する神経細胞、電位差を生み意識を宿す張本人達である神経細胞そのものを意識する事はできない。意識そのものに、「自分は電位差によって生じたものだ」などとは認識できない。これは意識を宿す媒体と意識そのものが、下位互換でない事を示している。もしかしたら、媒体と意識とでは離散的なものかもしれない。だったらただの蛋白質とかに、いっその事シリコンとか半導体とかに電気を適当に流せば今俺が感じ取っているような意識が生まれるのか?とか思ってしまう。