はてなキーワード: 孤立とは
たまに彼女に誘われて、彼女の友人たちの集まりに行ったりする。
そんなとき、ぼくはカクテルをちびちび飲みながら、要するに、孤立している。
会話の流れについていけないし、冗談も言えない。
周りも気づかってくれるので時たま話を振ってくれるんだけど、
ニ、三言、何とか返事をして、また孤立する、というのを繰り返す。
時たま、グループの男と目が合うと……何だか睨んでいるような気がする。
「どうしてお前が彼氏なんだ?」って。
そう思われているような気がして、胃が痛くなる。
実際、ぼくの友人に紹介したときは、必ずといっていいほど、
あとから「超美人じゃん」みたいなメールがくる。冗談めかしてはいるけど。
インターン先の職場では、みんな彼女を一種のアイドルかのように扱っていた。
ぼくも最初会ったときは美人すぎて、恋愛対象にならなかったほどだ。
年上だったし、当然スタイルもルックスもいいイケメンと付き合っているんだろうなぁ、と思った。
そうだ、この人はお姉ちゃんだと思おう、とそれからメールで悩みを相談するようになった。
でも、恐れ多くてデートに誘ったりすることはできなかった。
付き合うようになるまでは、いやいやダメだ、自分とつりあわない、どうせ彼氏がいる、と自己否定。
付き合うようになってからも一緒に歩いていると緊張して、周りからどう思われてんだろう、と気になる。
キスもセックスも、自分から誘えなかった。ぼくなんかがこの人を汚していいんだろうか・・・って。
今でも彼女と抱き合うときは、それが頭にチラついて、100%没頭できない。
日本人もだが、ガイジンもまた人権だのヘイトスピーチだの、興味ないんだよ。左翼は「ヘイトスピーチを放置すると日本は孤立する!」とか言ってるが、そんな事は絶対に有りえん。
興味ないやつもいるし、興味あるやつもいる。また、国益のために少々のことは目をつぶる(ポジショントークってわかるかい?)なんてのは政治の世界ではよくある話。あの米国にだって親中派はいるわけで、「○○のヘイトスピーチは綺麗なヘイトスピーチ」という偏見はなくすことはできない。だからといって、そういう事例をもって「ヘイトスピーチは無害」なんてことは絶対にありえん。
そういう、「最初から敵」の奴はどうでもいいんだよ。本来は味方を増やさないといけないのに、味方を減らしてどうする。ヘイトスピーチを見聞して味方になる奴と、敵になる奴と、どっちが多いと思う? ただでさえ鯨食いで西洋人の理解を超えてる日本民族が、さらにWWIIの悪夢をつっつく(すくなくとも、そう見る層は一定数いるよ)なんて馬鹿を通り越している。
なりたい自分があるわけじゃないけど、今の自分はダメだという自覚が強くある。劣等感とかそういうあれ。私の場合は自分が社交的でないことに対する劣等感が強い。
「自分を変えたい」って具体的にどういうことなんだろうと考えてみたら「自分が何に関心を抱くか、何を好きになるかをコントロールしたい」ということなのだと気づいた。
楽しいとは感じないけれど必要だと思う事を好きになる能力、あるいは逆に、楽しいと感じるけれど適切でないと思った時に好きの度合いを抑制できるようにする能力だ。都合いいな。
非コミュだけあって一人でできるようなことばかり好きになってしまう。まあ主にアニメとかなのだが。そんで、一ヶ月とか二ヶ月とか人と会わなくても平気だったりする。平気なのだが、一方ではそういう、人と交流が少なくても平気だという自分の性格がたまらなく不安だ。私は何か秀でたところのある人間ではない。誰かから求められる人間でもない。仲間も、守るべき人もいないし恋人もいない。ちなみにそもそも人を好きになった経験がない。
そんな自分が人との交流を望まなければ、単に孤立して、朽ち果てていくだけじゃないか。
私は人と交流がある趣味を好きになるべきだ。あるいは、趣味でなくても人と交流すべきだ。コミュニケーションを楽しむべきだ。好きになるべきだ。
人間の能力はおよそ次の割合で決まっていると思う。5割は遺伝子、3割は環境、そして残り2割が努力だ。
まず遺伝子。これはどうしたって人間みな同じではないから、生まれながらに差がある。遺伝子的に強い人、弱い人というのがいる。病気になりやすい人、なりにくい人、体格の優れた人、劣った人、障害のある人、ない人、容姿の優れた人、そうでない人。コミュニケーション能力の高い人、低い人。個性だとかなんとか言って、人間の評価に公然と序列をつけるのはあまり好ましいことではないが、生物的にははっきりしている。それは生き物として強いか弱いかの差だ。
このことはスポーツの世界で考えてみれば、理解しやすい。どれだけ練習を積んでハードなトレーニングをしたって、誰もがイチローのような名選手になれるわけではない。体格をカバーするために技術を身につけるとか、基礎的なトレーニングに手を抜かないとか、そういう努力が実を結ぶ部分はあるが、じゃあ一流になれなかった選手は努力が足りなかったのかと言うと、そうではない。子供の頃からプロ選手を夢見て練習を積んでいっても、どこかで伸び代には限界があって、大きな大会に出れば、自分には越えられない壁というものがあるのを思い知り、その世界で食べて行くのは無理だという現実にぶちあたり挫折するのだ。
何も一線で活躍するだけが能ではないので、能力の低い人は低い人なりに、活躍できる場面を探せばいい。うまく自分の収まる場所を見つけられなかった人間は悲惨だ。例えば、プロ選手にはなれなかったけど球団職員になるとか、本人がやりがいをもっていきいきとやれれば何の問題もない。だが選手としてぱっとせず、打撃練習用のバッティングピッチャーになったものの、過酷な環境やプレッシャーに汲々としながら給料も安くても生きるためにやっていかなくてはいけないというのは辛い。まあスポーツには全然詳しいわけじゃないので知らんが。
とかく勉強とか、仕事の場面では、全てを本人の努力に求められることが多いように思う。思うように成果を残せないのは、頑張りが足りないからだとか、怠け者だからとか。もちろん本当に努力が足りなくて、もっとできるのにやっていないだけという場面もあるだろうが、ある程度自分ではどうしようもない部分もあるんじゃないか。
鬱病は、誰だってなり得るものだが、ただやっぱり精神疾患に罹りやすい家系とか、なりやすい性格というのはある。身体は資本なので、肉体的に弱い人は大変だと思うが、心が健康じゃないのも生きていくのに辛い。メンタルが弱いとか、自分に自信が持てないとか、それだけで競争に勝ち抜くのに不利だ。本当はそんなこと望んでいないのに、苦しさのあまり自ら死にたくなるなんてどう考えても生物的に欠陥ではないか。全て本人の自己責任とは言えないと思う。
コミュニケーション能力も同様。ずば抜けて何かの能力に秀でている人は周りが放っておかないので人格に多少難があろうが食っていけるだろうが、そうでない大部分の人にとって死活問題。社会的関係をうまく築けない人は、情報を得たり、何かを経験して成長する機会も少なくなっていくので周りから孤立してどんどん差が開いていく。変な人、と見られて近寄り難い存在となって怖がられたりして。普通の人が特に意識しなくてもできる、自然に会話したり周りに合わせたりということができないだけなのに。それとは逆に、タレントになれるような、小さいときから自然と周りに人が寄ってくるというような人は、努力して人に好かれようとか思わなくても自分のしたいように気ままに振る舞ってもそうらしい。そういう人気者は寄ってくる人がうっとうしいと思ったりするらしい。もちろん努力して自分を変えたという人がいないでもないことはわかっているが、レアケースだ。
次に3割を担う、環境という部分。これは生まれてから現在までの生育環境、そして自分の置かれた経済的、人間関係的、地理的、環境だ。人間、自分が思っている以上に周りの影響を受けるものだ。周りが頑張っている人ばかりなら自分も頑張らねばと思い、周りが適当な人間ばかりなら堕落していくのが人間だ。遺伝子は変えられないから、人を作る上で教育が重要なことの理由でもある。
犯罪者や死刑囚のエピソードを見ると、幼少期にどう育てられたかが影響していることが多いように思う。生まれながらに根っからの悪人なんて者がそうそういるわけではなく、身近に愛情を与えてくれる人がいたら、正しい道に導いてくれる人がいたら、別の人生があったのではないか。死刑の永山基準で有名な、永山則夫のドキュメントを見たときにもそう感じた。通り魔殺人なんか起こした人の報道を見ると、そこに至るまでの段階に本人の責任が大きいし、同情は出来ないし、決して許せることではないが、ただなぜ犯人がそのような心境を持ったのかについては理解できることがある時がある。社会から疎外され(たと感じ)、自分には失うものが何もないと思い、自暴自棄から破壊衝動を起こすというのは異常心理でもなく動機としてはわかりやすい。ただ選択として間違っていたというだけだ。犯罪に至るまでの環境に何か別の要因があれば、また別の未来もあったかもしれない。
どの世界でも一流の、活躍している人には、一流の者同士の付き合いがあり、お互いを刺激し合い、高め合う関係ができている。一方で、一人頭の悪そうな不良を捕まえてみれば、周りは同じような輩ばかり。低学歴、低所得の層には犯罪に手を染める物も自然と多くなるし、何かあれば足を引っ張り合う関係がある。転落していく人を助けてくれる人はあまりいないが、下で待ち構え、上昇していこうとする人の邪魔をする人はたくさんいる。だから自分を変えたいと思ったら所属する場所を変え、付き合う人を変えるべきなのだ。
あとは、残りの2割が本人の努力だ。努力を継続できるかということ一つとっても、遺伝子や環境による影響から完全に免れられないことは書いてきた。努力を継続するための工夫としては、目標の管理の仕方とか、精神と肉体は両輪なので難題に挑戦するときは身体は鍛えた方がいいとかあるが、そういうことは今回の主題ではない。
この数字は僕の経験と知見から導き出したものだ。科学的根拠や出典を問われてもない。だが、そんなに実態と離れていないし、なかなか絶妙だと思っている。半分は生まれながらに決まっていると言うと、ある意味残酷でショッキングだが、環境と努力は自分で変えられるものだから、残り半分は本人次第と言うこともできる。遺伝子と、環境もある程度までは与えられるものだから8割が運っちゃあ運ということもできる。
もちろん近代文明社会としては、誰にでも生きやすい社会でなくてはいけなくて、生まれもっての能力での差はなるべく埋めるべきだが、理想としてあるべき姿と現実は違う。そうした能力に差があることは誰しもわかっていて、受験、就職、結婚相手や付き合う人を選ぶ場面で常に競争にさらされている。皆少しでもよりよい条件の相手を求めている。能力の劣った人は優れた人に比べてハンデを負って生きていかねばならない。世の中は全然公平になど出来ていない。与えられたカードで勝負するしかない。
211 ソーゾー君 [] 2013/01/06(日) 23:20:09 ID:whleZ7hA Be:
http://alisonn.blog106.fc2.com/blog-entry-378.html#comment_top
>アメリカ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮、イラクとか、全部同じ勢力が仕切っているわけで、
>ネグリが主張するとおり、支配は一元化されているのだと思いますよ。
↑このブログ主のあからさまなロックロス対立論ベースのコメントに質問もしたw
欧州はどの勢力が仕切ってるんですか?
ロシアは中銀と市銀と地下資源を殆ど国有化し国益派のプーチンが主導権を握ってますよ?
中国は共産党=国益派と香港華僑=売国派が争っている状態で支配できてませんよ?
北朝鮮は昔は孤立していて利害関係の一致で手を結んでいましたがロシアのプーチン派が
イラクではなくイランですよね?アフマデネジャトはイスラエルと争わないように舵取りしてますよ?
イスラエルを敵視させようとイスラム教徒を煽っているのは最高指導者のハメネイで
↑こんな書き込みをしたら即削除・・陰謀論者は中身スカスカだから困るよねーw
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
まあヘイトスピーカーやネトウヨがイラつくのは当然だろとしか言えないが、そうでないのにイラつく。
NHK_PRの発言、ツイート単体は説教がましいとはいえ、イラつくものでは無いと思う。
「ヘイトスピーチをするネット弁慶はボランティア行け」の裏にある文脈があって、それにイラつくんだ。
裏の文脈について文章化してみよう。
「ヘイトスピーチ」
こんなところか。
これはNHK_PRのツイートだけ読んだときにも感じたが、被害妄想の行き過ぎと思い自省した。
NHK_PRは東北についての発言だと補注したし、考えすぎというものだ。
でも日経ビジネスオンラインの記事で書かれた絵を見て、被害妄想ではないとわかったね。
むしろ、この「ネット弁慶」は間違いなく上で連想した文脈に依っていると思った。
というよりNHK_PRの補注を理解すれば東北の話だし、お門違いだが、ネットでの受容のされ方の一部、日経オンラインビジネスの記事とかが、被害妄想ではないと思った。
ただネットで威張りちらす人という意味で「ネット弁慶」と語ったのかもしれない。
だけどそれは前都知事がシナ、シナと呼べばいいじゃないかと語る時、その裏には差別の文脈があるのと同じ構図だ。
というか、証拠がある。
日経ビジネスオンラインの記事に付属していた絵が、上での連想を裏付けている。
http://cdn-ak.b.st-hatena.com/entryimage/133730370-1361466019_l.jpg
『内弁慶 内定もなく泣いている 親のスネこそ泣きどころなれ』
ヘイトスピーチをするような輩は「ネット弁慶の無い内定」「ニートで親のスネ齧り」と言ってるわけだ。
ネット上でヘイトスピーチしてないでニートは働け、ボランティアに行け、ということだろう。
なにをいってるんだ?
これを「よく言った!」「これが批判されるなら日本はおかしい」と称賛してる人、おかしいとは思わないのか。
「ヘイトスピーチをする人間は《…》のような立場にあるから、ヘイトスピーチをするんだ」
とでも主張したいのだろうか。
あるいは「ヘイトスピーカーはルサンチマンを抱いているから」とでも言うのかな。
まあ社会心理学がそういうならそうなんだろう。
社会が不安定化すれば、ナショナリズムが高揚する。貧困層が増え失業者が増える。「内定もなく泣いている」人間も増えるだろうし、ニートやひきこもりも増える。
このまえ話題になっていたひきこもり支援サイトも、ひきこもりには愛国的な人間、中国韓国を異様に嫌う人間が多い…などと書かれていた。とはいえ事実なのか偏見なのかわからないが。
その程度の関連性はあるだろうよ。でもヘイトスピーチと、それらを結びつけちゃいけない。
ニート、ネット弁慶だけじゃない。その背後にある文脈に並べ置かれた言葉。
ニート。ひきこもり。ぼっち。友人ゼロ。非コミュ。コミュ障。キモオタ。etc...
これらは包括するような属性、たとえばコミュ弱者とか、そういったものがあることは感じるが、明瞭な言語化は難しい。概念がない。
キャラとして成立している。
なのに、ヘイトスピーカーを批判するときに、これらの属性が持ち出される。
ルサンチマンを抱いているからヘイトスピーカーになるわけでもない。
ヘイトスピーチを口にするその時まで、ヘイトスピーカーじゃない。
偏見と差別から逃れられない人間の性はあれども、悪しと思い言葉を飲み込む。よくあることだ。
まるでヘイトスピーチだけでなく、性格、置かれた立場まで悪いかのような語り口だ。
差別を批判する言葉、その横から滲み出た偏見、これこそ差別だね。
「ヘイトスピーチは悪い」「レイシストは悪い」本来はこれだけで良いはずだ。
でも、反差別を声高に主張したい。力強く語りたい。
正義の立場と言葉の力みが、自らの抱く無自覚の偏見を漏出させる。
「ヘイトスピーチをするネット弁慶のニートはボランティアに行け!」
ニートには何の罪もないし、ネット弁慶もまあ、イタいだろうけど罪は無い。
それでも罪があるとしたら、ヘイトスピーチとは違うレイヤーでの罪だ。
「あっ、レイシストだ。批判してやろう。どうせお前らは《…》なんだろう。友達もいなくてルサンチマンがあるから人種差別してんだろ。見え透いてるぞ?」
見え透いてるのはそっちだよ。お前らの持つ偏見。
お前らだよ。具体的に言うと、差別を批判するときに差別者以外を、叩きやすい属性を巻き込むお前ら。
そういうお前らだよ。
みんな見ているぞ。
反差別を語る美辞麗句の横から漏れでた差別の言葉が、淀みとして溜まっている。
お前ら良識ぶった人間の語る反差別の枠組みがイラつかれている。
良識を語る口をよそに、こちらを見る偏見の視線が、お前らの語る反差別への信頼性を損なわせる。
「@NHK_PRは、ネット弁慶にヘイトスピーチを向けている」という、身も蓋もない反論はイタいけども、まさに象徴的だと思った。
誰がなにを嗜好するかにまで道徳的瑕疵を見出し飽きたらず、生まれ付きの属性をもってして、社会構造の抑圧者であることを自覚せよと原罪を見出し断罪する。
まあ、こういう告発者は極端だが。
ま、ヘイトスピーカーそれ自体より、ネット弁慶を批判したいよね。
批判しやすい、叩きやすい、ゆうちゃんみたいな、ネット弁慶を矢面に立たせたいですよね。
反差別への信頼性が損なわれたから、差別主義者が増えた、新大久保で跳梁跋扈したとは言わないよ。
だが、イラつくわけだ。
お前らは楽しげに「奴等はルサンチマンを抱いてるから」「《…》だから」とヘイトスピーカーやレイシストを批判する。
自分がどれだけ幸せで良識あるかをアピールするために、他人のルサンチマンや、世間様に叩かれている無関係な属性を出汁に使う。
無関係な属性は、相手に図星だろ?と思わせたいから使うんだよな。
ようするに、その属性は弱いってことだ。
強い属性なら「オウ、わしは都知事やで?凄いやろ。おまけにあいつは弁護士や!」としかならんわな。
新大久保のヘイトスピーカーに対して「お前巻舌の得意なヤンキーでコミュ強者なんだろ?」という指摘もあまりみない。
動画を見る限りこちらのが適確だと思うんだけど、何故かネットの殻を破ったネット弁慶、滑舌が悪いという言葉が似合いそうなヒキニート、元ぼっちだとかキモオタ、彼は学校で孤立していましたなどが槍玉に上げられる不思議。
事実はお前らはヘイトスピーカーに、叩きやすい属性を見出したいということだ。
反差別の枠組みには抵触しないが、偏見を向けて許される弱い属性。
それを反差別の出汁に使う。
言葉に勢いを持たせたいだけに、差別者に図星と思わせたいだけに、無関係な弱い属性を出汁に使う。
それがお前らの視線。イラつくわけだ。それを丁重にお返しした。
丁重にお返しできなかった人は、本物のヘイトスピーカーになる。
丁重に差別を批判できなかった人が、他所に誤爆してるんだから、似たもの同士とも言える。
これでもまだ範囲が広いけど「嫌サヨク」に留まっている人はまだ理性的だね。
チョンだシナだの言うのは、イラつきが明後日の方向に暴発した、本物のヘイトスピーカーだ。
それはお前らの影の実体化だと思うよ。
似たもの同士、仲良くしとけばいいさ。
こういうのを見つけてきて自分のダメさ加減から逃避したいだけかもしれないが…自分そのものって思うんだこれ。
こういうのってそんなにおかしなことなのか。俺はまったくおかしいとは思わないんだが。
診断
DSM-IV-TRでは次の診断基準のうちの少なくとも4つ以上を満たすことで診断される。
1.家族を含めて、親密な関係をもちたいとは思わない。あるいはそれを楽しく感じない
2.一貫して孤立した行動を好む
3.他人と性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても少ししかない
4.喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない
5.第一度親族以外には、親しい友人、信頼できる友人がいない
6.賞賛にも批判に対しても無関心にみえる
特徴
本障害の特徴は、身の回りへの興味・関心と自己表現力の欠如である。人との交流を避け、口数は少なく、抑揚も乏しく、よそよそしい。そして、人と深く関わることによって自分と相手が変化することを怖れる。相手にのみこまれ自分の独立性を失ってしまう恐怖におびえる。そのため、他人との関わりを避ける。彼らの心には、よく知らない人と親密であるという不確かな(空想の)観念が存在することがある。
彼らの反応には攻撃的な行動が滅多にないため、ほとんどの脅威は、現実のものであれ想像のものであれ、空想上の全能感もしくはあきらめによって処理される。彼らはしばしば孤独に見える。しかし時に、このような人は独創的、創造的な観念を抱き、それを展開して世間に提示することがある。性格は、非社交的で静寂、控えめ、そして無頓着である。仕事では、コツコツと成果を上げ、評価されるが、自分が納得すればそれでよく、「嬉しい」という感情が起きない。少年期~青年期に「私はこれがやりたい」など、自分の意志を両親など周りの大人から否定(もしくは過干渉)され続けて育ち、自分の意志を表現しようとは思わなくなった(あきらめた)人に多くみられる。
本人は、本障害によって、生活する上で困ることが何一つないため、カウンセリングなどを受けに行くことはなく、また行ったとしてもすぐ診療をやめてしまう。しかし、それによって、他人に迷惑をかけることはないので、本人が困っていなければ、診療をする必要はない。
朝鮮学校で思い出した。
誰かが言ってたが、補助金出さなかったら日本社会から孤立してしまう(だから支給しろ)って理屈は、金を出せば日本社会に馴染む努力するはず、て発想の裏返しだから、ある意味朝鮮学校の関係者たちの思想をバカにしてるらしい。
カネで手のひら返すような連中じゃないだろと。
桜宮高校の件は、明らかに違法な指導方法が行われていて尚且つ自殺者まで出てるのに、原因究明の目処すら立てずになし崩し的に現状維持するのは明らかにおかしい話。
最低限、問題の体育教師の出勤を、再発防止の目処が立つまで停止する位の事はすべきなんだろうけど、何故か教育委員会か全く動かない(実際問題の教師は校長の判断で一時的に休んでるだけでその気になればいつでも復帰させられる)。橋下はそこにキレて、生徒を人質に予算執行停止のカードを切ったと。
フィリピンが言ってるのは「日本の再軍備は正しい」でも「日本と仲良くしたい」でもなく「中国と日本で潰し合えばラッキー」だから。
下の日経の記事だけど、こういう話も出てるくらいだから、とりあえず現時点では、
[FT]日本の再軍備を支持するフィリピン、中国との均衡探る :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO49419940R11C12A2FF1000/
ケチャマンって言葉がありまして(下衆な言葉だしもう死語だけど)、キメェからできれば遠慮したい男が普通です
んで、ケガレ観念があった前近代の時代は、ケガレイコール気枯れであって、近づくと活気を奪われてしまうんですよね
近づきたいっすかね?
おぞましくて近づきたくないものであると設定することで暴力にさらされるリスクを軽減したのだという横増田の論は、民俗学の世界観では的外れじゃないですよ
そもそも、集落に何人女がいると思ってんですか?
「女の家」と言って、月経期間の女が何人か集まって作業や雑談をしてたわけでして、孤立はしませんよ
確かに差別ではあるんですけど、差別することで手を出したくないようにするって発想も確かにあるんですよ
アイヌが子供にうんことかいう名前を付けて神様が手を出さないようにしていたって話、聞いたことないですか?
(和人もしてたんですが、マジョリティの理屈なんて聞きたくないでしょうからマイノリティの理屈で説明しました)
「女性は差別されてきたんだ!許されざる差別だ!女性への抑圧だ!それ以外の解釈は許さん!」って前提と結論を最初から決定しているフェミニズムの世界観の方がよっぽど異常だと思いますよ