はてなキーワード: ドライアイとは
小さい頃からちょっと怒られただけで泣いてしまう人間だった。自分でも何でこんなどうでもいい事で、と思うような事でも号泣してしまう。(くだらない理由で一番記憶に残っているのは小学校で9の書き方をみんなの前で先生に指摘された時)
私は泣いている姿を他人に見られる事は恥だと思っている。今でもそう思う。幼い私が泣く事を避けるために考えたのは「怒られない人間になる事」だった。怒られないようにするだけで向上心も何もなく過ごした結果、怒られることもないが誉められることもない成績の、かといって他に特技があるわけでもない人間になってしまった。
女はすぐ泣くと思われるのも嫌だった。好きで泣いている訳じゃない。何でこんな理由で泣かなければならないんだと思うと更に涙が出る。なんなんだ。悔しいのか。
涙を恥と思わなければ、もっと制御する事ができれば楽に生きられたのだろうか。立場が上の相手に怒られないように誤魔化しを重ねたり媚びへつらってみたり、虚勢張りまくって中身がスカスカの自分が嫌で寝る前に思い出し泣きすることも多い。最近は震えが加わってきて子供の頃より制御がきかなくなって笑えてきた。
涙を出にくくする手術とかないかな。
ドライアイ不可避だろうけど。
レーシック手術をして有りか無しかと問われますと、やはり一言で答えられません。
私は術後数年は「やって良かった」と思っていました。
マリンスポーツなどをやったときには、特に「やって良かったな~」と感じましたね。
「やって良かった」から「やらなきゃよかった」に変わっていった理由は、術後1,2年は1.5見えていたのですが、徐々に視力が下がり始め、15年経過した今、0.4まで戻ってきてしまいました。
成人になってからレーシック手術をしたのなら、視力は半永久的に維持できると聞いたのですが、実際は10年ももちませんでした。
またレーシックをする前にはなかったドライアイが想像以上にとてもつらいのです。そしてそれは術後より、どんどん悪化している気がします。
女性ですから、目にアイラインなどお化粧をすることもありますが、ドライアイによる涙の量が多く、すぐに目のお化粧は落ちてしまいます。冬場などは外に出ただけで、涙がぽろぽろ流れてきてしまいます。
そして自分の涙で目がしみて、痛いのです。
私の場合、レーシックをやったのは右目だけなので、左目との差は歴然です。左目はドライアイにはなっていません。そのうえ、他人が見ても若干右目の方が突っ張ったような、腫れたような感じになってしまっています。
レーシックをした病院に不調を訴えに行きましたが、ドライアイの目薬を処方されただけで、視力の低下に関しては、また手術もできますよ、と言われただけです。
世界に私より苦しんでる人はごまんといるだろうけれどとにかく重い
まず普通に腹が痛い(女性の方はわかると思うけど通常の腹痛とは位置と痛みの種類が違うので生理が来たらすぐ分かる)
気休めに貧乏ゆすりをする これは割と効く気がする
痛みは無くならないけどほかの何かに気を持っていくといくらかマシ
でも行儀は悪いと思われるだろうしもし机とかが揺れる状況だったら不快に感じる人も居るだろうからどこでも出来るわけじゃない
下腹部をさするのもよくやる わりと何処でもやる
摩擦で火傷しそうなぐらいさする 貧乏ゆすりもそうだけど生理痛を上書きするような感覚でやっている 貧乏ゆすりは足が疲れるくらいやる
人前でもするんだけど純粋に痛みを忘れるためにやってるのでアピールしたいわけじゃない
「そんなに痛いならトイレ行ったら?」と言ってくる(まあ男性に多い)もありがとう
私はそういう時はよく「大丈夫、いつもの事なんで。」と言います 遠回しでごめん
夜は眠るというより痛みによる気絶を繰り返して朝になる
生理痛が痛くて…。と言うと「薬飲んでないの?」と言われたこともある
もちろん飲んでるよ
その人は薬が効かない人も居るってその時初めて理解してくれた もし貴女が薬が効くタイプの人で、みんな一様に効くのだと思っているのだとしたら、どうか効かない人が居ることもわかって頂けると有難い
あと量も多い
生理中どうしても熱くて綺麗な一番風呂に入りたくて入らせて貰ったけど血の池にしてしまってお湯をため直す羽目になったこともある
姉(生理痛は痛いが量はそうでも無い)に汚すなんてありえない!ナプキンの付け方がおかしいんだ!って責められてショックだったな
生理の重さの厄介なところは
家だったらこまめにトイレ行けるし 大学の授業は一時退出自由なのでそろそろヤバいなと思ったらいつでもトイレ行ったらいいけど
小〜高はなんで授業中トイレ行くのに許可がいるんだ 恥ずかしいからなるべく毎回の小休みの時に言ってたな
中学生くらいまではナプキンを変える音(バリバリって音がすんだよ)を聞かれたくなくて職員用トイレ使ったりしてたな
高校の時模試当日に生理になって問題どころじゃなくて一通りマークしたらずっと貧乏ゆすりしてた
勿論めちゃくちゃ点数悪くて先生にどうした?って言われたけど(ガリ勉だったから)返却日は別に生理じゃなかったし笑うしかできなかった
女になんか産まれなかったら良かったってベタなセリフを祖母に向かってわんわん泣きながら言ったこともある
環境の変化からか高校に入って半年くらい生理来なかったけどラッキ〜〜〜って正直思ってた
来ない月はラッキー
大学生になって薬も全く効かず寝ることも起き上がることもできないほどなことが続いたから治療を受けようと思った
Twitterで月経困難症で治療することへの偏見について描いた漫画をいくつか読んだ事があったから逆に堂々と行った
その漫画みたいに20代が産婦人科にくることをうるさく言う人とかは居なかったかな
なんかもう全てが初めて
最終月経開始日?そんなん記録してないわ…(通ってた間はする事にした)
先生は男の人だった「あーなんかここのこれがアレで痛いのかもね」(もうちょっとちゃんと言ってた)
ひと月飲んで すごい!ほんとにピッタリのタイミングで生理が来た!
…が。
生理痛は全く変わらず。
まだ初月だから、効果が現れてないだけかも!と2ヶ月飲んでみた。
けど、改善の様子なし。なんならきっちり生理来る分損な気がする。
効く時もあるし飲まないより飲んだ方が精神時に楽なこともあるしずーっと飲んでたけど、
この時イブじゃなくてロキソニンSが歯痛にめっちゃ効いたこともあって浮気してたけど、飲みすぎたのか有り得ないほど便秘になったので現在は怖くて使えてません…。
で、2ヶ月飲んでも改善しなかったことで絶望しながら再び病院に相談したら薬が変わった。
ジエノゲストになった。
こっちはめちゃくちゃ効いた。
代わりに副作用で説明をされたとおり不正出血があり、毎日経血があるような状態でナプキンは外せなくなってしまったけど、生理痛があるよりマシ!わぁい!
で数ヶ月元気に過ごせた。
ただ、薬がひと月分で4000円くらいで、貧乏学生には辛かった。(歯医者も通ってたしコンタクトも乱視ドライアイ用の高めの買ってたのでタイミングが重なると地獄)
数ヶ月の間にあれだけ痛かったことを忘れて、「純粋に毎日血が出てるの嫌なんですけど…」と気持ちが動いて行った。
薬はいつまで続ければいいか、辞めたら治ってるかとかも分からないと言われた。
もしかしたらもう治ってるかもしれない、と薬を辞める決断をした。
お薬手帳を見たらちょうど薬を辞めて1年。
辞めてから生理痛は毎回少しずつ痛くなってきて、あの時よりはすこーーーしマシだけど、またあの時みたいに痛くなるのが怖くて最近また通おうかなと思い始めている。
でもせめて薬がもう少し安ければなあ。
生理痛の重さは人それぞれだけれど、さすがに不公平な気がする。
友達沢山フォローしたTwitterでは生理痛について呟いたことないけど、小学校の頃からの友達2人だけフォローしたなんでも呟ける所謂裏アカ(じっさいは初めて取得した垢)では生理が来る度に生理痛が痛い痛いって呟いてた
別にその2人に聞かせるためじゃなくてただの愚痴のはけ口なんだけど
ある日1人が私の「生理痛なのにバイトして偉い!」って言う自分を鼓舞する意味の呟きに(1人で呟く位許してネ)リプをくれた
「ちょう偉い」
って。
「私何年かに1回酷い月あるけどこないだそれで仕事どころじゃなかった、毎回これとか大変お疲れ様」
って。
そしたらさあ。
涙がポロポロ出てきたよ。
生理と共に生きて約10年、親も友達も(たまに理解の相違はあるけど)生理痛については優しい対応を受けてきた 母も重い人だったし
少なくとも私の周りには生理について心無い発言をする人はそんなにいなかった
それでも、痛さとか汚した時の虚無とか結局は誰とも共有できないし
生理で何かを出来なかったり休んだりする被害は自分にかかってくるし
毎回辛いですよね、私も重いと言っていいと思うけれど、重かろうが軽かろうが、結局その辛さを理解できるのは自分だけ
生理に苦しむ人。それを乗り越えて日々頑張る人。
偉いぞ。
偉いぞ、私。偉いぞ、あなた。
たぶんないと思うけど「友達」、これを見ても茶化さないでね。本当に救われたんですよ。
予想外に沢山かつ暖かいコメントをありがとうございます これが優しい世界か
オススメして頂いたもの、出来るものから試してみようと思います〜そういえばタンポンはなんとなく敬遠してました この際挑戦します
ない!(ある)については勢いのまま書いてしまいましたスミマセン(笑)
なんて優しい方々 お付き合い下さりありがとうございました
「メンタルが繊細すぎる」みたいな風に取り上げられがちだけど自分が興味あるのは「外的刺激や痛みに敏感」のほう
眩しさが原因で具合が悪くなったり目や耳の痛みや違和感で病院に行って異常なしと言われ医師に嫌な顔をされたり
あとまあ整形外科でも痛みに弱いって言われたりとか色々ある
目はドライアイのせいもあると思うんだけど
人から見ると些細なことで本当に自分ではやばい死ぬ吐く倒れるもう無理みたいな感覚になるんだけど周りに一切理解されないのね
高層ビルのブラインド越しの西日とか それだけが原因とは言わないけど仕事辞める原因のひとつになるくらいにはしんどい(辞めたので今は無職)
まあそういうことがあるので病院で相談とか検査とかできて改善策なんかもあるのかな?と気になるんだけど調べてもよくわからない
体質なはずなのにメンタルがどうこうでHSPにもいいところがみたいなのかレッテルに逃げるなみたいな記事ばっかり出てくる
まあ結局HSPでもそうじゃなくてもなんら解決策とかないんだろうな だから気になるけどきっと知っても意味ない
こんな状態で生きてるのがいけないんだな
見慣れない漢字4文字だと思うが、実はなっているという人が多いものだと思う。
眼瞼下垂とは、まぶたの筋肉が弱くなったり、まぶたの皮膚が重かったりするために、まぶたが本来の位置まで上がらない病気だ。
まぶたをあげるために目の筋肉をフルに使うために目の疲労感が激しく感じられたり、ミュラー筋が使われ続けることにより交感神経が刺激され続け、自律神経が狂うという、発症するとやっないな病気だ。
後天性の原因は、主に目をこすったりコンタクトのつけ外しによる、まぶたを過度に引っ張る行為だ。
俺が発症した原因となった行動は、おそらく小学生の頃コンタクトのつけ外しを母にしてもらっていて、その時に強くまぶたを上げられたことだと思う。
以下、発症の経緯と手術を終えるまでを書く。
3年ほど前、ずっとコンタクトを使用していた生活から眼鏡中心の生活に変えた時に、眼精疲労が朝から一日中続くようになった。
同時に、首や肩のコリが激しく、常に体に力が入っているという状態になってしまった。今から思うと自律神経が乱れていたのだと思う。
最初は眼鏡の度数があってないのかと思い、何度かレンズを変えるも全く解消せず。
ここから約2年半の間は、この謎の症状に名前をつけることに必死だった。
当時田舎に住んでいたため、眼科は近くには1つしかなく、何度もそこに通ったが、結局出されるのはドライアイの薬だけだった。
眼精疲労解消法では効果がなかったため、俺は斜位を疑うようになった。
しかし、田舎の眼科ではこれを訴えても正確に診断してくれることは一切なかった。
この時ちょうど大学受験の年だったが、眼精疲労や自律神経の乱れからとても勉強に集中できる状態ではなく、行きたい大学に受験することを諦め、指定校推薦を使い東京の私立大学に行くことになった。
2年前に上京した時は、有名な眼科や眼鏡屋があるため期待していたが、眼科には田舎の病院と同じようなことしか言われなかったので眼鏡屋を信頼するようになった。
しかし、眼鏡屋ではちゃんといろいろな検査をしてくれ、斜位に関しても細かく調整をしたレンズを作ってくれたのだが、眼精疲労が治ることはなかった。
大学生で高いレンズに手が出ず、親に沢山のお金を払ってもらったのは心が痛んだ。
結局、大学1年生の冬頃には、「斜位は見た感じわずかしかなく問題はない。コンタクトを長く使っていた人は眼鏡になれないから眼精疲労が起こっているのではないか」ということを言われ、これ以上何をしてもムダだという思いと、高いレンズを買ったのにという思いからくる絶望感もあり、斜位を治すという方向で動くのは諦めた。
眼瞼下垂は実は斜位を疑い始めた頃からこれもありえるな〜と思っていた。
「まぶたを手であげれば力が抜ける」簡単な診断方法でも当てはまったからだ。
しかし、手術が必要ということでやりたくないな〜という思いがあり、一度形成外科に行ってみたが「違うでしょう」と言われたのでしばらくは疑わず、斜位の眼鏡を作ることにしていた。
前述の通り治すことを諦めてしまい、しばらくは何をするでもなく、このまま一生を過ごすんだという暗い思いを抱えながら過ごしていた。
顔はストレスで肌荒れがひどく、精神的にも余裕がないため人間関係でも失敗しまくり、精神科にも通っていた。
ツイッターでアイプチという商品があると知り、気になり調べて見ると、どおやらまぶたを少し上げて二重を作るものだとわかった。
俺は一重だったので、二重の自分が気になりやって見ると、なんと体が少し楽になり、眼精疲労も少し改善されたのだ。
調べてみると、まぶたにはミュラー筋というものがあり、これは交感神経で作用しているため、眼瞼下垂でまぶたが落ちてくると、目を開けようとここが刺激され続け、交感神経も刺激され続けるため力が入るということらしい。
こうして、いよいよ眼瞼下垂を疑い始めた。
最初は、手術というハードルは高く、別にこのままでもいいやという落ち込んだ暗い気分で、そこから何をするでもなかった。
しかし、同時期海外旅行に行った時、飛行機の座席で、眼瞼下垂からくる体の力みから眠れずとても辛い思いをし、さらに隣の席の人はぐっすり寝ていたのを見て「明らかにこれはおかしいだろう!絶対治してやる!」と決心した。
帰国した後、さっそくネットで眼瞼下垂の名医を探し、レビューもよく見て、1つの病院に行った。
前述の通り、最初に1度、眼瞼下垂ではないと診断されているため、今回はどれだけしつこくても眼瞼下垂を認めさせてやろうみたいな気持ちで行ったが、いざ診察を受けるとあっさりと眼瞼下垂症と診断された。
やっとこの謎の症状に名前がつき、治るんだという安心感と喜びで、家に帰って軽く涙したのを覚えている。本当にあの時は嬉しかったし、希望みたいなのを感じることができた。
昨年の秋、いよいよ手術の時が来た。
保険治療ではまぶたを切開する手術しか出来なかったのでそれにしたが、正直むちゃくちゃ怖かった。
まぶたを切って糸を通して筋肉を縮める!?何言ってんだお前!?
いざ手術すると、もちろん麻酔で痛みはないのだが、まぶたの脂肪を焼き切るという作業の際に、リアルに焼肉などで脂肪が焼ける匂いが感じられ、とても生きている心地がしなかった。
終わって見ると、目がとても腫れており、明らかに失敗で異質な目になってしまったと軽くショックを受けた。
しかし体はとても軽い!目の痛みもない!ストレスが嘘のように消え、頭もスッキリした気分であり、ああ自分はやっと普通になれたんだ、これで自分はやっとまともな生活に戻れるんだという思いでいっぱいだった。
麻酔が切れるにつれ術後の痛みが出てきたが、薬を飲むことで痛みは抑えられた。
1週間はとても人前に出れるような姿ではなかったが、抜糸を終え腫れが治るにつれ、綺麗な二重の目になった。本当にいい先生だったんだなと、今頃感謝した。
しかし、以前より目の形は当然だが変化し、バイトや大学の友達からどう思われるかという問題があった。
眼瞼下垂という複雑でマイナーな病気をうまく説明できる気もせず、手術も二重整形の手法と全く同じなため整形と最初は間違われた。
しかし嬉しいことにけなされるなどということはなく、むしろイケメンになったということも言われた。いい友達で本当に良かった。
この後1度、左目が少し開きが落ちてきたため再手術をして今に至る。
やっと3年間の戦いが終わったような感じで、人生を明るく捕らえられ、気の持ちようも随分変わった。
肌の調子も変わり、フケや肌の角質がボロボロ落ちることもなくなり、とても嬉しい限りだ。
眼瞼下垂というのは、コンタクトのつけ外しによっても起こり得る病気であり、潜在的に当てはまる人が大勢いると思うし、これから増える病気だと思う。
まぶた一つでこんなにも体に影響が出る恐ろしい病気の知名度が低く、普通の眼科では見つけてくれないというのはとても怖い。
もしこれを見ている人で、同じような症状に苦しみ、まぶたを手で少し上げてみるとそれが改善するようなら、眼瞼下垂を疑ってみてほしい。
また、コンタクトをつけ外しする時は、出来るだけまぶたを引っ張らないようにした方がいいだろう。まぶたというのはデリケートだ。擦ったりするのもなるべく控えよう。
小学生の頃よく吐いてしまい、親に迎えに来てもらうことなんて当たり前で、点滴を打った回数も覚えきれないほどだった。
中学生の頃に過敏性腸症候群で何時も無自覚にオナラをしてしまい、クラスメイトに遠巻きにされた。ファブリーズをかけられたこともある。
緊張するとお腹が痛くなり、運動神経がない(バレーのレシーブもできないレベルで)から体育が憂鬱で緊張するものになって、結果お腹が痛くなる。見学になったり保健室で休んだり。体育の先生には嫌われていたと思う。
3年生になると受験のストレスで体調を崩してしまった。自律神経がおかしくなった。3学期にはほぼ毎日早退。過呼吸をよく起こし、授業も受けられず先生には心配された。数少ない友達にも焦りから辛辣にあたってしまい、遊びに誘われることもなくなった。
受験は倍率2倍の高校に入学でき、さて新生活だと意気込んでいたけれど、膨大な課題につき寝るのは12時、7時からの朝学ための5時起き、満員電車のストレスのコンボで5月に意識を失ってしまった。救急車で運ばれ、一体何が原因なのかと色々質問されたが結局はなにもわからなかった。親に心療内科に連れて行ってもらったけど、何もわからず。その1年はただ眠って過ごした。次の年になったら復学できるように祈ることしかできなかった。
結果から言うと、復学はできなかった。それどころか体調はもっと悪化した。体がそわそわと落ち着かず、ずっと吐いていたし、海にいけと何度も何度も幻聴が聞こえた。行ったけど何もなかったが。
そして1番最悪だったのは夜中に外に出ることだった。記憶にはないけれど、親によると雨の日の深夜2時に大きな通りの1歩手前でぼうと立っていたらしい。もしかしたら車に轢かれていたのかもしれないと思うと今でもぞっとする。
これはさすがにおかしいと心療内科の先生に相談、即日保護入院が決まった。一応と頭のレントゲンを撮って、肉体的な病気ではないと診断される。
最初はずっとトイレで吐いて、歩き回らないと足が死んでしまいそうで、心臓が嫌に跳ねていた。落ち着きがなく、貰えないとは分かっていたけれど(一日2回4時間あけての薬だから)ナースステーションで何度も薬を強請った。
あとご飯が美味しくない。高齢者が多いから納得ではあるのだが、若い私はもっと洋食を出して欲しかった。しかも量が多くて食べ切れない。残したら食べた方がいいよと言われ、口に詰め込んだがすぐにトイレで吐いてしまった。
夜寝る頃になると相部屋の人がボソボソと呟き出す。お母さんごめんなさい、とか、なんでそんなことせないかんと、とか、あんたらが悪いから私はこうなったんだ、とか恨みつらみを一通り呟いて泣いていた。私は眠れなかった。
そんな生活にようやく慣れたのたとき仲良くなったのは自傷癖のある人(今後Aさんとする)と二重人格の人(今後Bさんとする)。どちらもいい人なんだけどBさんは被害妄想が酷く卑屈だった。
お見舞いに来た私の父(初対面)に突然「生きててごめんなさい」って言ったぐらい卑屈。3人で話している時に「私その話苦手なんでやめてくれませんか」とか言ってくるしAさんと話してたところ入ってきて「私の悪口ですよねすみません」って言って勘弁してくれって思った。「私年下の子を見ると嫌悪を感じるんですよね」私もその時精神的に不安定だったからしんどくて。私も年上の方と話すの苦手です、ぐらいしか言えなかった。とある日、ふいに裏人格が現れた。どうやら主人格のお兄さんらしい。暇すぎて何往復もしていた短い廊下で呼び止められ「こいつお前の社交性があって素直な性格嫌いだから」って言われてそうなんだ…とちょっとだけ傷ついた。
1ヶ月経ったころ、人数の関係で病室移動。アルコール依存症かつ躁鬱病の人、統合失調症の人、夫に自殺をきっかけに鬱になってしまった人と相部屋になった。色々身の上話をし合って、色んな人がいるんだなあと思った。
「今日は眠れなかった」は挨拶みたいなもので、決して不健康アピールではないのだと知った。
いきなり叫び始めて八つ当たりし始めたおばあさん、食後お腹痛くなったらしくて看護師さんに「ご飯に毒を盛りましたよね」とか言ってる人などもいた。
私はパーキンソンの症状が出て体の震えが止まらなくて常に視線が上を向いて口から泡が出そうになった。夜になっても眠れない時に看護師さんに言ったら「我慢出来るならしてほしい。皆そうだから」って言われた。あいにく土日を挟んでいたので、その2日間はその状態が続いた。出勤してきた主治医に症状が辛いから何とかしてくれと頼んだら「えっ、なんで」との反応。パーキンソンの薬はちゃんと出すように言ってあるとのこと。「あー、薬が切れてるみたいですね…ナースセンターにっと言っときますね」っていう明らかに病院側の過失だった。
特に謝られることもなく薬は出された。飲んだら治ったから、まぁ、よしとしよう。
入院して3ヶ月目、高校はどうするかのはなしに。さすがにこれ以上留年するのは…と思い通信制高校を探し始めた。
退院間近になると外泊や外出で外からの刺激を受けて大丈夫かどうかのテストをした。そこで何も無ければOK。私はポケモンの映画を見に行った。
退院してからはなるべく刺激を受けないように、テレビや動画を見ないようにと忠告された。眠たくて眠たくて、昼も夜もひたすらに寝ていた。
すると指で広げないと目が開かないという状況に。眼科に行ったけど、ドライアイの薬しか貰えなかった。
通信制高校は登校が楽そうなところを選んだ。暫くはゆったりとそこに通っていた。しかし今年の2月、悪夢をよく見るようになった。人を殺す、人が死ぬ、自分が殺される、など。しかもどれもがリアルで起きた時に感覚が残っていた。首が痛かったり、虫が肌を這いずる感覚があったり。
小学4年生からの記憶がなくなっていたのだ。朝起きると難しい漢字が読めない。上手く計算もできない。けれど記憶をなくしたのは3週間程度だった。よかった。
記憶が戻った今も精神年齢は10歳な気がする。その頃から家族に、それこそ子供のように甘えるようになった。
それからはまた家でのんびりしたり登校したりしてゆったりと暮らしていた。開かない目のことが気がかりだったが。
しばらくすると6月になって、また幻聴が聞こえ始めた。今度はひたすらにしねしねしねと耳元で囁かれるような幻聴。
鬱が酷くなる。
それからは高い建物を見るとあそこから落ちたら死ぬかな、風呂に入ってるとここで寝たら溺れるのかな、睡眠導入剤をたくさん飲んだら眠るように息絶えるのかなとずっと死ぬパターンを妄想していた。
そこで現れたのはヒョウモントカゲモドキ。
ペットショップで一目惚れをした。元々爬虫類が大好きな私にとってその子はとても魅力的に感じた。親と相談して買ってもらい、毎日かごを眺めるようになった。すると生活が一変する。ヒョウモンに餌をあげるために、と義務感が湧いていたのか、今まで夜型だった生活から夜8時に寝て朝4時に起きるようになったのだ。毎日3食、十分な睡眠時間の確保など健康的な生活を送ることが出来た。
そうなると気になってくるのはやはり目が開かないこと。神経内科はどうだろうかと主治医に言われ、紹介状を書いてもらい行ってみた。結果は特に異常なし。それを主治医に報告すると、もしかしたら薬が悪いのかもしれない、とのこと。あまり主流じゃない副作用だから確信は持てないけれど、これ(薬の名前は忘れた)減らしますねと薬を出された。それから体調が悪くなった。吐いて寝込んで精神的に不安定になって泣き出して。1週間後に予約を入れたのでふらふらとしながらも病院へ。目は開かない、具合は悪い、最悪な状況だった。次の薬で良くならなかったら入院してもらいますね、と薬の量を増やして服用している。
それで今日に至るのだが、目は開くようになった。吐き気もない。ただ睡眠時間が狂ってるだけ。
これは入院しなくていいのだろうか。そう思う午前1時。