はてなキーワード: 路線とは
横幅が1人分しかない狭いエスカレーターに立っていたら、後ろにいた人につつかれて、「歩きません?」って言われたけど、
横幅1人分のエスカレーターで歩くほうが危険ではないのだろうか。
...とはいえ、駅のエスカレーターで横幅1人分というのは、駅も駅だとは思うけどね。ひろくしてほしい。
そういうのはわざと狭く作ってるんじゃない?
という記事があったので一応書いておくと、当該エスカレーターは神奈川県の高津駅という、各停の電車が通過する (一部の電車が止まるホームがないため) ほど小さい駅にあるため、立地上の都合でせまくなっています。実際、この駅がある路線、別の駅のエスカレーターはひろくなっています。
そのため、「ひろくしてほしい」とは書いたものの、ホームの拡幅工事がないかぎりは当該エスカレーターは広くなることはないだろう、となかばあきらめています。
置いといたけど書こう
電車と自動運転レベル5の定義は噛み合わない(「路線決め打ち」である電車と「通行場所を問わない」レベル5)
こうなってくると「電車がそういうもんに限るとおもうから〜」とか話がいろんな方向に飛んでいくので置いといたんだけれども、電車のレベル5がマジのフリーアドレスとかレールレスというのであれば、きっと路線バスの亜種で落ち着くか、もっと新しい公共交通として定義し直されるんではないかと
Adoはこの曲で初めて知ったので別にどうという気持ちはないんだけど、ひとつ引っかかるのは、この曲作詞作曲してるのはAdoじゃなくてボカロPのsyudouって人なんだよね。
うっせぇわが反感買いまくってるのは、歌詞の解釈の是非はともかくとして「社会人の苦労を知らねえJKがイキってんじゃねえよク〇が」みたいな感じだと思うんだけど、実際に歌詞を書いた人はいい年した(多分)大人であり社会の苦労を知ってるわけだ(多分)。
「大人」が「大人」に対する反感を歌った曲を女子高生に歌わせたことで、別方向のリアリティは増しているから路線として成功してるとは思うんだけど、こういう「大人」からの批判が歌手の女子高生に集中してるのを見るとなんだかなーって感じ。
勿論この曲を歌うことを決めたのは女子高生本人で別に強制されてるとかない以上、曲に対する批判が歌手自身に向かうのは当たり前なんだけども。
まあもっと本音を言っちゃえば中高生がイキッたような歌詞は中高生が書いてるからこそ趣があるのであって、実際に書いた人がいい大人でしかも大真面目だったら「あ、うん……(スッと距離を取る)」みたいな反応になってしまう。少なくとも自分はそう。
視覚障害者(白杖の方)、車椅子、歩行器や杖を使った老人、松葉杖を使う病人の方、ヘルプマークの方やその介助者等が乗る車両だ。
女性専用車は別途設置、女性専用車の位置については各路線の混雑しにくい位置の車両をケースバイケースで設定すればいいと思う。
なんでこんなことを言い出したのかというと、私が鉄道会社で車掌をしているからだ。
障害者の介助は色々と大変で、車椅子用のスロープを用意したり視覚障害者の場合は肩を掴んでもらって誘導したり、介助を断られた場合も遠くから見守ったりと駅係員の方には頭が下がる思いだ。
元気なお年寄りが多いが、元気なつもりでも歩くのがゆっくりだったり荷物を乗せるのに苦労していたりといった光景は多い。
車掌視点だと、目で確認できる範囲は精々車両側面と後ろ2両の車内ぐらいのものだ。
かろうじて見えるシルエットや、駅によっては備え付けのモニター等を使用して状況を判断しながら扉を閉め、電車が出られる状態にするのが車掌の大きな仕事の一つだ。
そんな感じなので、全員の乗車が終わって扉を閉めるタイミングになってから編成の中程からヌルっと出てこられると非常に肝が冷える思いをすることになる。
そんな感じなもので、時折杖を挟んだまま発車した、ベビーカーを挟んだまま発車したなどの事故が発生する。
事故が起こったときの車掌の責任は結構重い。業務上過失傷害罪ですよ過失傷害。
正直乗務員は痴漢とかよりよっぽど気を尖らせている。自分の責任で人が死にかねないのだから当然だ。
まあ乗客はそんなこと知らずに飛び込んだり飛び降りたり杖挟んだり傘挟んだり。
介助者なしで乗り込もうとする無謀な車椅子や勝手に乗って降車駅で転倒する車椅子に、発車数分前に駅に来てすぐの電車に乗せろといい、断ればクレームを入れてくる車椅子の介助者。
確認のため声をかければ機嫌を損ねる視覚障害者に関係ない駅で飛び降りて騒ぎを起こす泥酔の客。
皆何かあっても自己責任だからとか考えてるんだろうけど何かあったときにはこっちの責任になるんだ。責任は自分一人だけなんて思い上がるのもそこまでにしてほしい。
最後尾は車内で一番車掌の目が届く場所だ。車椅子や白杖の客がいればだいたい目にとまる。
目にとまったら車掌は隙を見て降車駅の確認に伺えるしそうでなくても動向に注意することが出来る。会社によっては降車の手配もするところもあるだろう。
「とにかく最後尾は優先車両!」と業界全体でルールにしてくれたら初めて乗る路線でも分かりやすくていい。
自分で出来ることは尊重すべきとか障害者の自立とかないがしろにする気はないがこっちから言わせてもらえば安全第一だ。
電車のドアって万が一にも転落しないように物凄い空気圧で抑えてるんだよ。
一度挟まれてみたらいい(よくない)。大の大人でもすごく痛いから。
今の電車は加速も最高速も優れた迫りくる鉄の壁みたいなもの。駅のホームは危険の塊だから用心して行動してほしいの。
安全第一でお願い。
遅延は乗務員が詫びれば済む。数分の遅れ程度で問題になるようなスケジュールの杜撰さと心の余裕のなさが問題だろって内心多くの鉄道従事員は思ってるだろうけど取り敢えず詫びればいい。
本人たちは貧困層大事だ、生活保護大切だ、みたいに心底思っているかもしれないけれど、自分たちの政治的思想をひけらかすことがいくら隠しても滲み出ているから、生活保護擁護に回りたくなくなるんだよね。公立中は動物園があれほど星を集めて支持されたはてブで、「生活保護受給者を見下しているわけではない」なんて信用できないしさ。
こんなこと言っているけど、そもそも安倍はバカでサイコパスで愚劣でどうしようもないというのがはてなの共通認識であったよね。で、その安倍路線を100%継承した菅政権ももちろん暴れているわけで、真っ当な政府の役目を果たすなんて期待するほうが間違っているんですよ。だって、バカで愚劣でサイコパスな安倍政権で中核を担って、その路線を継承した菅さんだからね。はてな民はこのことを重々承知していながら、上のようなことを言ってるんだから、傍から見れば安倍父さんや菅じいさんに対する甘えにしか見えない。政府なんて最初から信頼できないんだから、政府支援抜きの人生設計を示したり実践しなよ。
なぜ本来はまともな言説が支持を集めず、信頼されず、自民や維新が跋扈しているのか。この現状の裏には、いわゆるリベラルのいろんな問題が凝集されているんだよ。
やらないほうが、シェアを独占してしまうため、拡大路線を取り、業界総額を向上させ他社の参入余地を広げることにより、自社の売上を向上させつつシェアを独占状態から解除する。
拡販したほうがChromeが現れて、販売数は伸びるがシェアは縮小する。
「かなり古いんですが、『麻の靴下』ってタイトルは御存知? 冬木マリが歌ってる方じゃないですよ」
話もピンポイトすぎて、俺にはピンとこない。
「まあ、人並みには」
「では靴下に拘りも?」
「いえ、特に……」
「あ~、いますよね。靴に拘ってる割に、靴下には無頓着って人。靴下だからって下に見てるんじゃないですか?」
そう息巻くと、持っていたカバンから様々な靴下を取り出し、俺の目の前に並べ始めた。
「中には靴を素足で履いてる人すらいる、サンダルみたいに……いや、サンダルにだって靴下を合わせて欲しい」
「足って意外と汗をかきやすい場所なんですよ。そこで、この靴下は吸水性のある麻を使っているんです。しかも乾きやすくて蒸れないから夏にピッタリ! 化学繊維じゃあ、こうはいかない」
まるで、こっちが接客されてるみたいだ。
「いやあ、俺ズボラなんで片方だけ失くしたりとかしやすいですし。そういったものに高い金だすのは、ちょっと……」
「それは安い靴下を買っているからですよ。安い靴下はね、紛失しやすいよう意図的に設計されてるんです。薄利多売が目的の、靴下業界の陰謀なんです!」
「良い靴下があればサンタクロースや、ポッターに出てくるドビーだって大喜びですよ!」
13人の客、その9人目はこれといった特徴のない人だった。
「そうですねえ……お客さんがよく観るジャンルは?」
なにか肩書きを自称するわけでも、言動にクセがあるわけでもない。
「原作のない邦画で、現実路線の作風が好きって感じでしょうか」
「あー、そうかも」
「では最近やってた、この『代々木、イン、マルマイン』とか、どうでしょうか」
「ふーん、いいんじゃない?」
「では、これ何日レンタルで? それとも、お買い上げ?」
「え?」
だが、この“普通の客”も、結局は“今まで挙げた客の中では”という意味でしかない。
「え、ビデオ借りに来たんですよね」
「え?」
「え?」
「違うんですか。じゃあ、なんのために聞いてきたんです」
「うーん……なんでだろう?」
そこで話は終わった。
というよりも、終わらせる他なかった。
映画秘宝はもう終わりだろう。
廃刊というのは今はほぼないとかいうきゅうかいまめちしきはともかくとして、あの気持ち悪いことした編集長切って別の人を編集長にして存続するような余裕のある体制じゃなかったぽいじゃん。
まさか会社ごと消滅してた方がマシだったなんていう展開は予想外だったけどよのなかそういうものかもしれない。
映画秘宝って当初は70年代とか80年代にあった誰も見てないような映画をおもしろおかしく紹介するみたいなのがコアにあった雑誌で、オトコの映画雑誌みたいなホモソーシャル的要素は確かに強くあったのはあったのだけど、どちらかというと一人で映画館にいって映画見るような人向けの映画を紹介みたいな路線だった気がする。
ファミリー向け、カップル向けの映画ばっかりじゃなくてこんな映画もあるんだぜ、みたいなのはインターネットがそこまで普及してない時代にはありがたいところではあった。だけど、なんだかんだでそんなにヘンテコ映画のネタが続くわけもなく「これ前も見たよ」とか「言われるほど変な映画でもねえな」みたいなのが多くなってきて雑誌買わなくなっていった。買わなくなった理由はそれだけじゃなくて広告が増えるのは良いんだけどBOXセットの宣伝で、シリーズ全作揃ってないのになんか褒めてたりしてアホかいなみたいに思ったのもあった。
昨年増田で「何もねぇと思ってた土地に根を下ろすと決めたのだ」的な文を書いた。
引越しは4月にした。今は家関連だと、チマチマと使わない物を引越し会社のくれた段ボールに詰めつつ、断捨離をする毎日だ。
そんな時、私の相方の宝物を入れた箱を見つけた。
こんな箱は私も持っていて、中学の時分からもらった手紙や年賀状などが詰まっている。
残りの1つ、相方と断捨離を進めつつ年賀状を見てみたら、妹の友人から学生時代にもらったものらしい。
ふーん、と思って目の前で読んでいたら「XXXXと会えなくて寂しい、本当にめちゃくちゃ大好きだから戻ってきたらまた遊ぼう、メールしよう」と書いてあった。
これはこれは。かなり“想われている“ではないか。
ほほー。なるほどなるほど。
相方に声をかけた。「とっても好かれていたんだ?」
「うん。よく一緒に遊んでいたし」
差出人を見た。我が家に妹と共に泊まりにきたことがある人だった。
「付き合わなかかったの?」
「うん、べつに」
「へえ、なんでなんで」
「いいから手を動かして」
それ以上は聞くこともせず、断捨離を進めた。
その日の夜、私は考えにふけっていた。 相方は私より早く寝るのでその隣で、kindleで活字を眺めていたが1文を理解することもなかった。
思えば、相方は優しく(本当は否定する力がない、自分に自信がないだけ)
見た目が良く(歯並びも良くて、清潔感も良く、身長が高すぎず低くもない)
そして他人に依存しやすかった。(これってつまり自立していない人なのかもしれないが)
刺さるヒトには刺さるタイプだよな、と思った。
私が選ばれたのは、たまたま学生時代に席が4年間前後だったことや、
一緒に飲み歩いていたことが、
相方の人生のよきタイミングに合って、 功を奏したのかもしれない。
当時はただの友人と思って深夜の2時に呼び出して酒を飲みに行こうなんてやったりもしたが、
3年の夏とうとう告白はなく、私が折れる形で付き合おうと提案したのだ。
(母に言わせれば、実家に帰っても学校のことを聞くと相方の話が多かったのでいずれ付き合うだろうと思われていたが。)
あの時の自分に今でも心の底から感謝している。 相方がいなければ私は家を買っていなかった。そもそも買えなかった。 仕事一筋に打ち込んで、キャリアアップしたりしなかっただろう。
私の無茶ぶりにいつでも応えて、共に悩み・苦しみ、
本当にただラッキーだったのだろう。
結婚は妥協、と一時期友人にゲラゲラと話していた自分がいたが ブン殴って車の後ろに繋いで5kmくらい引きずってやりたい。
相方は完璧だ。 人間としては完璧ではないかもしれないが、私にとっては完璧だ。 デコとボコがぴったりとハマった、あの感じをいつでもひしひしと感じる。
私は継続が苦手で、1週間にまとめて家事や掃除をする(が、相方が来てから家事をほとんどしなくなってしまった)
代わりに私は辛い作業を軽くする提案をするために相方の作業を見る。(ルンバを買おう、食洗機導入しよう、弁当のおかずは1週間分作り置きしてしまえば朝詰めるだけになるよ、などなど)
…他所から見れば、私はたいそう嫌われ者に写り、吊し上げるだろう。
実際、私自身は私の評価が低い。なんでいまだに相方が結婚したままでいてくれるのかわからない。
もしかしたら、愛などはとっくにかすれているのかもしれないが、慈悲深い相方のことだ。
相方無くしては私は生きられないだろう、と哀愁の眼差しで私といてくれているのかもしれない。
熟年離婚やなんか路線かこれは、と普段から考えながら、 私は少しでも家事をしようとチラッと掃除機をかけたり、食器を洗ったりするのだった。
今日は天気がいいから洗濯も回してやったぞ。 干すのは面倒だから乾燥機だが。
アニメがここまで大きくなったのはアクション物を同じ様な予算で作ろうとしたらアニメの方が有利であり、それこそ特撮よりアニメの方がクオリティが高い時代もあった。
全体的低予算の恩恵を受けた事を認めたうえで邦画のダメダメを予算のせいにしてはいけない理由を語ろう。
チャンバラ以外のアクションがダメダメ。銃は論外、素手の格闘でさえ現代の韓国に劣る。
現代の韓国というのはあれですよ。下手に武術特化スターを出すとジャッキーチェンみたいに後継者不足に悩まされるから「コンスタントに誰かがかっこいいアクションをする」という路線。
なぜここまでチャンバラ以外のアクションがダメダメかと言えば、今でこそ美少女に許されないのは戦車と小銃になっているものの、当時はスポーツカーと拳銃すら叩かれていた。
そういう時代を知っているだけに黒人女性のOO7に対する美辞麗句をチャラチャラ口にするジャップが嫌いなんですよ。
そもそも世間体を気にするっていうか、左翼の癇癪に弱すぎる俳優が真面目にリアルな射撃の演技をするわけがない。
「もっとこだわるべきものがあるだろ、キリッ」という常套句で正当化。足を引っ張る左翼のせいでアクションのノウハウを磨きようが無いのですよ、日本の銃器メーカー並に。
そんなことがわからんのなら、好きなだけ「日本はケチとクズばかりで韓国は素敵な金持ちがいっぱい」と喚けばいいのです。
こんな奴らが半地下の家族を賛美しているかと思うと情けなくなってくる。しまいにゃ韓国版バラモン左翼を告発するアニメが爆誕するぜ。