はてなキーワード: 自己肯定感とは
「トラバがいっぱい付かないかな~」「ホッテントリに入らないかな~」とちょっと人に見てもらえる事を期待しながら投稿している。
と言っても、大半は話題にもならない。
力を入れて書いたエントリーが一つのトラバもブクマもつかず、ただそのまま流れていく時が殆どだ。
「面白いエントリーすら書けない俺って……」みたいな気持ちになったり、バズってるエントリーが羨ましくなったりすることもある。
ただ、たまにホッテントリ入ったりすることもある。
(大体悲しい事にあんまり力を入れて書いたものじゃない場合がほとんどなんだが)
あんなに話題になりたかったのに、いざ話題になってもそこに充足感、満たされた気持ちは湧いてこない。
話題になったら満たされると思ったのに満たされない。
まあ増田に限った話ではないが、増田に書くのならこの例が一番分かりやすい。
本来は「ふつう0点、バズったら加点」であるところ、「バズらなかったから減点、バズったら0点」になってるんだろう。
はあー自己肯定感が低いなって思う。こういうのどうやって直すんだろ。
私はリスカやってたな。
自傷は「低すぎる自己肯定感」と「健康な身体」のバランスが取れないので、身体を傷つけて心の低みに合わせる行為だと思う。身体と心の同一性を保つための(ある意味)自衛だと思うのでむりにやめたほうがいいとは言わない。
スーパーで買いものしてたら後からじゃらじゃらーって聞こえて振り向いたら独特の雰囲気のばあや(小銭を手に持ってる時点で独特)がおろおろしてた。無視するわけにもいかないし大丈夫ですかって声かけて一緒に小銭拾った。拾い終えたかと思ったら棚の下にひとつ行ったって言うから小学生が自販機の下の小銭集めてるみたいな恰好で探した。童心に帰ったようでワクワクした。嘘である。ちょっと恥ずかしいけど自分のことなんてどうでもよかった(自分のことがどうでもいいから)。反対側の棚のほうに行ってたから一声かけて取りに行った。ありがとうとか面倒見がいいねえとか言ってもらえたけど無視して自分が不愉快になるのが嫌なだけだし、人への親切は自己肯定感のなさの裏返しだと思うと複雑だった。事あるごとにそんな気持ちになる
ストロングゼロ350ml x 6 を毎日飲んでるような人間が酒をやめるとどうなるか、の3週目。
15日目…身体的な離脱は引き続きなし。コーヒーは飲んでしまう、まあいっか。髪の毛を変なふうに切られてむかつく、半日で立ち直る。よい。近く思いきってホラン千秋みたいにする。
16日目…身体的な離脱は引き続きなし。部屋の模様替えを進める。コーヒーは飲みすぎ。本の並び替え、ラグとソファーの位置を変える。などする。かなり楽しい。
17日目…身体的な離脱は引き続きなし。多少弱まった気もするけど引き続き自己肯定感あり、すこし落ちても湧いてくる。コーヒーは飲んでる。ニトリとダイソーと無印を行ったり来たり、模様替えまだやってる。
18日目…身体的な離脱は引き続きなし。自分が好きなものを自覚、落ちたときはすぐに触れるようにする。キッチン以外はだいたい片付く、いい感じ。でもキッチンはやる気しない、日々の営みに密接な場所は難関。まだうつ?もともとズボラ。
19日目…身体的な離脱はなし。仕事っぽい会話でアプセットしそうになる、が会話中に自覚しつつコントロール。とてもよい。そのあと飲みたくなる、仕事と飲酒が紐付いてることを認識。ストレスの解消方法が自動的に飲酒に向かってることも認識、別の道をいくつか作ることを意識的にやっていく。オイコス奇跡の30%オフで喜ぶ。
20日目…離脱なし。友達とお酒のむ。たのしー、超だいすきなひとたち。ありがたい。お店で中ジョッキx3、別れて散歩しながらストロングゼロ350mlx3、飲んでも酔う感覚がない、飲まなくてもいいんじゃないかと思う、と思いながらストロングゼロ。飲むと際限なくなることを理解する(口が寂しい、という理由でのむ)。この日は飲むと決めてたので習慣飲酒と区別した飲酒、明日以降の変化を観察する。もし飲みたくない・飲みたいを自覚して飲まないを選択できるのなら私の認知で行動を変えれることになる。でも頭いたー、これは飲みながら書いた。
21日…すこしだるい、飲酒のせい。すこしのみたいような気がする、これは習慣飲酒のバグ。とりあえず身体が疲弊してると思うのでごはん食べる。写真でとった友達の顔を見てふふふとなる、高い自己肯定感。
この一ヶ月、永田カビさんの「現実逃避してたらボロボロになった話」を何度も読んでる。自己分析と前を向いていくための努力を見習うための本。自分の感情を分解していく作業(12話)を自力でやってるのはちょっとスゴい。
●2週目
https://note.com/moaikids/n/n8d1d1813ee08
会社への満足感が低かったらブリリアントジャークみたいに振る舞っちゃうよね、ということを書く。
人間は社会でしか生きられないので、他者を攻撃することは通常マイナスにしか働かないんだけど、特定の条件下では「ブリリアントジャーク」のように振る舞ってしまうことがある。その特定の条件っていうことに私は心当たりがあって、自己肯定感などの満足度が不足している、または他人から軽視されていると感じた時だ。例えば、組織が大きくなる時に管理職が増えた時に、新人管理職はメンバーのパーソナリティへの理解が浅いので、古株の尊厳を無視した人事変更が行われることはよくあって、世渡りが下手な人はそのような出来事に対して態度を硬直してしまう。そして、自分の能力を誇示するために攻撃的な発言が増えてしまう。これってブリリアントジャークやん。
まあ、その心当たりは私が最近体験したことです。かなりつらいです。自分の心は能力をわかってもらえていないというフラストレーションで満たされている。自尊心が邪魔をして自己開示できずに、リーダーに対して建前でしかコミュニケーションができない。誰も自分の味方がいないような感覚。管理職との1on1はやっているけど硬直してしまった態度をほぐして欲しいというサインに気が付けない管理職に責任転嫁する自分。私はもっと仲良く楽しく仕事がしたいけど同僚が距離をあけてくるので会社に行きたくない。当然ならがら攻撃的で協調性が低くなってしまった私の評価を下げる管理職。LANケーブルを首に巻いておけって話なのは承知しています。さよなら。
自分でも意味が分からないくらい自己肯定感が高い。ネットでよく見る自己肯定感が低くて悩んでる人の気持ちに全然興味が持てない。大変だね、とは思うけど。
SHELLYのインタビュー記事を読んだら「日本の文化として自分のことを謙遜するのはよいと思うが、親が子のことまで卑下するのは子供の自尊感情を損なうのでやめた方が良いと思う」的なことを述べていた。有料記事だから途中までしか読んでないけど。
母は私が小さい頃から他人が私のことを褒めると「そうなんですよ〜」とか言って喜ぶだけで全く謙遜しなくて、寧ろ幼い私が「お母さん!ああいう時はそんな事ないです〜とか言うんだよ!恥ずかしいよ」とか言ってたらしい。母が笑い話として語っていたのでそうらしい。
幼い頃は母に常識がないと思っていたけれど、母が正しかったのかなと今更思う。
私も今は子供がいて、特に赤子時代は街で知らない人に可愛いとかなんとか話しかけられるんだけど、なんて返したら良いのか分からなくて困った。
ありがとう、と言うには自分が褒められてる訳でもないし。でも謙遜するのも自分が言われてる訳でもないし。そもそも世間話が苦手だから曖昧に笑って誤魔化していたような気がする。
世間的には子供が褒められると、子の他の欠点を持ち出して謙遜するのが一般的な気がするけど、それはやらないなぁ、今その話関係ないしな。「でも好き嫌いが多くて」とか「家では暴れん坊で大変で」とか。書いてみるとそのくらいは普通の世間話だな。でも子のことで困ってる事が今は特に無い。
もっぱら心の問題とされているけど
自分が醜形なことを恐怖しているのではなくて
だからこれを醜形恐怖なんていうオサレな病に矮小化して語らないでほしい
ブスは綺麗に可愛くなりたいとは思いこそすれ
ブスを刺しに来るお前(語彙力足りない表現)が怖いんだよ
お前恐怖症といったほうが正しいです
醜形恐怖でー
とかいうブスマウンティングをキメられるたびに、ブスを舐めてるなとしか思えない
セルフ・ハンディキャッピングが得意なところがさすが、格下を踏んで自己肯定感を高めるマジョリティさまでおみそれする
私は幼い頃から自分は可愛くないんだと本気で思っていた。今考えてみれば父親が外国人のような顔立ちをしており、それに似ていた私は割と良い方ではあったのかもしれない。ただ、当時私はそれが嫌だった。
中途半端な奥二重、思春期特有の汚い肌。しょーもないベタさだけど好きだった男の子にそばかすのことをつっこまれて本当に嫌になっていた。こんな私なんて、と自己肯定感はどんどん低くなって、生身の人間と交流するのが怖くなってアニメや男アイドルに現実逃避してのめり込んでた。男性アイドルに夢を見まくっていたから、身近の男の子たちが苦手で、気軽に男の子とお話できる女の子たちが羨ましくて妬ましかった。それが小学生から中学生までの話。
中学3年後半あたりからある程度お化粧とかおしゃれに興味は持つようになった。アイドルとアニメは相変わらず好きなまま。高校生になってちゃんと美容室に行って髪の毛をボブにして、アイプチで二重にしてみたり、部活とチャリ通学で少し痩せたりもした。そうしてみるとある程度自分にもほんの少し自信がついた。相変わらず生身の男と話すことは怖かったし、こんな私なんての気持ちは消えなかった。それでも大変ありがたいことに2人の男の子に告白してもらえた。ハーフみたいで可愛い。そう言って貰えることが増えて、昔コンプレックスだったものが少しずつ自分の良さであることに気づき始めていた。時代の流れもあったのかもしれない。とはいえそれでも拗れた性格は治らず、アニメと男性アイドルに全てを捧げていた。そして大学生になって、YouTubeなどの動画でメイクや綺麗になれる方法が具体的に知ることができるようになった時代とかさなって、私もそれなりに綺麗になれるようになった。
小顔マッサージの仕方、美肌になる方法、眉毛の書き方、髪の巻き方、自然なデカ目にする方法、
何もかもを試してやった。
そうすると自分の顔まあいけるんじゃね?そう考えるようになって、男性とも積極的にお話するようになった。相変わらずアニメと男性アイドルは好きだったけど。でもアニメが好きな男性を好きになったから共通の話題があってそれもまた功を奏していた。気がする。他には授業中に私を見かけて話しかけてくれた後輩の子や、友達の紹介などでも出会いがあったし、合コンでは自分の顔のクオリティはある程度自分の及第点をクリアしていたから、顔を気にせずお話に積極的になれたし、コミュニケーションも取れていたから何人か声をかけられることもあった。それでも私の拗れた性格は本当にしつこくて、付き合えたところで私なんかよりもっといい人、可愛い人たくさんいるだろと本気で思っていた。結局上手くいかない、セフレ止まりばかりだった。私の美意識を上げてくれていたのは大学での出会いの為というよりは、アイドルに認知やファンサをもらいたいがためのものだった。大学生で時間だけは無駄にあったから、毎日1時間のウォーキング、ストレッチ、マッサージ、ヨガ、筋トレ、全身浴で体を温める、野菜中心の生活、何もかもに気を使っていた。
運動の効果もあってか、気持ちも前向きになったし、生理の諸々の辛さもなかった。同時にメイクの技術は上がっていく。それもこれもネットで情報が気軽に手元ですぐ見れる環境もあってこそでもあると思う。この時代に生まれてよかったなと今でも感じてる。
大学生の時は自分磨きの方法を模索して(勉強もちゃんとしてたけど)、外見における自分のコンプレックスの解消方法を見つけることが出来て、気持ちもポジティブ、もはや武器になるとすら思っていた。社会人になってその武器をフル活用して、職場の人やお客様にも綺麗な人と認知されたり、連絡先も聞かれたりして、本当に嬉しくて完全に自信になった。
同期に誘われた合コンで念願の彼氏もできた。趣味嗜好の理解があって、優しい人。今は結婚も考えていて、順風満帆とは言えないけど、楽しい毎日である。
自分の見た目をとても気にしていた過去は、究極に自信がなくて、凄まじいほどに自己肯定感が低かった。
こんな私なんて相手にされないから、恋愛なんて馬鹿げてる、と外見にかけるお金をアニメ男性アイドルに費やして現実逃避しまくってた。
そこから少しずつ自分のできることを懸命にしていったら、自分の顔が好きになって、余裕と自信が生まれて、コミュニケーションに積極的になれるようになった。コミュニケーションが取れるようになると、自分はこんなことも出来たんだって気づいてもっともっと自信がもてて、自分が好きになれる。そうなると、そんな自分のことを大切にしたいと思ってくれる人と出会えて、承認欲求がとっても満たされる。
あの頃そばかすで泣いていた自分に大丈夫だよと言ってあげたい。
そう本気で言ってくれる人に出会うために努力した自分をほめたたえてあげたい。
正直まだ気になるところはあって整形もする予定。ある種醜形恐怖症な感じもあるけど、現状である程度欲求は満たされてるから、何事もやりすぎないように気をつけないとなとは思う。
顔での差別が顕著だなと感じた余談。
職場の窓口に小さい女の子が親御さんと一緒に別々で来た時。1人目が橋本環奈ちゃんばりの可愛さの子で、もう1人が普通の子だった。環奈様似に対して私たちはテンションが上がって、窓口に置いてある飴を積極的にあげようとしたり、かわいいね〜と声をかけたりもした。その後に来たもう一人の子に対しては、親御さんの手続きが終わるまで特に何もしなかった。その一連の流れがあって、そのあと職場の人達と対応差に思わず苦笑してしまった。
逆の立場を私も経験したことがあって、お祭りの屋台に行った際に、前に並んでいたお姉さんに対しておっちゃんが「綺麗だからもう一本あげるね!」と言っていて、その次の私には無表情無言で対価に見あった分だけを正しくいただきました。悔しいと思う反面まあまあ切ない思いをしてややトラウマにもなったので、気をつけないといけないなと思った…
小学生の頃は頭がよかった。暇つぶしに塾に通って、自分の実力相応の学校を受験、いわゆる御三家の中高一貫校に入学したけど病気して通えなくなり仕方なく中退。ちなみに中高では成績全然よくなかったし格好よくもなかった。
で、自分はそこから拗ねてしまった。どうせバカだし、高校さえ卒業できないし。
どうにか大検とって現役の歳で大学受験しようとしたけど、あの環境にいれば自然とするであろう努力も病んだ身体でひとりだとできない。結果、MARCHさえ受からなかった。そこで折れた。
今思えば試験受ける体力がなくて受験中に朦朧としてほとんど試験受けてないから当然なんだけど。出願したから受かったボーダーフリーのいわゆるFランにとりあえず入学したんだけど、ガラの悪いやつや勉強に興味のない品の悪いやつが多くてショックを受けてやめてしまった。大学は勉強するところだと信じてたのに違ったんだよな。
中高の同窓生は仲良かったし、みんなと違う道を歩いてきたよ人生ネタだよって話してた。少しずつ自己肯定感も吐く具まれてきた。
でも最近思うんだ。みんなそこそこいい学校出て大手でバシバシに先進的なことをやっている。俺は手取20弱で旧体制の誰も名前知らない中小企業。
手取として金に変換された瞬間にまた折れてしまった。病気さえしなければ、諦めさえしなければ。最近は自分の人生が恥ずかしい、きっと誰もバカにしないんだけれど。自分が仕事をまじめにやっていないツケでもあるんだろうな。胸が張れない。
自分語りが長くなった。
それで、とにかく俺はプライドをズタズタにしてしまったんだよ。頭よかったなんて過去の話に過ぎない。元増田が守り続けたプライド、俺は傷つけ続けてしまった。だから俺は元増田のことすごく格好いいと思うよ。残るものが空疎かもしれないけれど、枠を作ることは大切だから。その枠が元増田を守ることはあるよ。
いつか元増田が躓いて、自尊心がやせ細ったとき。かわいいと言われなくなったとき。もう何もないじゃんって喚き散らしたくなることあると思うんだけどさ、枠さえありゃいくらでもキラキラしたもの詰めていけるから。
もう10年くらいの付き合いになる友達と忘年会と言う建前のとりとめのない飲み会をして、
二軒目でキャバクラ?ガールズバー?(正確な区分がわからない。1対1ではなく、同じソファに座るけどお触り不可)に行き、
3件目でおっパブ(だと思う。公式サイトにはそう書いてあった)に行ってきたけど
おっパブに行くのは人生で初めてで、まあ勉強になるかくらいの気持ちで行ったんだけど、
なんというかただただ虚無だった。
勿論おっぱいはあった。確かにそれはそうだ。だけどあの空間を楽しめるほど自分は自分が好きでなかった。
思うに、キャバクラなりガールズバーなり、その手の女の子と会話する店に行って楽しめるのは
2.ある程度割り切れる
この2つが必須条件だと感じた。
ちなみに、1は無いけど2だけある人はソープとかデリみたいな抜きメインの店に向いていると思う。
逆の人はなんだろう…マッチングサービスとかすればいんじゃないですかね?
話を戻して1でも2でもない自分の場合、自己肯定感の足りない人間があの手の店に行っても、嬢の話すこと全てが嘘に聞こえる。
嘘に聞こえても、そこを割り切ってロールプレイの一種として楽しめればいいのだが、
そこが割り切れないと、「こんな自分のためにリップサービスさせてすみません」という気持ちのほうが勝ち、より気分が落ち込んでいく
更に、周りの友人達はおっパブを楽しめているわけで、そうなってくると「自分は本当に彼らの友人足る人間なんだろうか」とまで考えてしまう
いるのか?
見た目も普通、能力も特にすごいものはなく平均的で、性格もまあ穏やか、特にモテようとかいろんな人と付き合おうという意志はなく普通に過ごしているのに複数の女性から好意を向けられる男
女にはいるじゃん それもけっこういる
なんつうか普通の容姿があったら自動的に多少は好意を寄せられるのって純粋に自己肯定感が高まって羨ましいですね と思う 僻みかな
君は昔の自分だ。と思った。
僕は現在25歳の素人童貞だが、二か月前初めての彼女ができた。
ただ、それまでが地獄だった。
他人の恋人の話に激しく嫉妬して、やり場のない感情を抱く。周りと自分の違いに恥ずかしさを覚える。それ以上聞かないで。いやだ。
こんなにも人を愛したい、彼女が欲しいと思ってるだけなのにどうしてダメなんだ。
なんで、デートに断られるのか。死ぬほどモテ本読んだんだぜ。モテると聞いてオナ禁だって1年以上やったわ。ハゲてんのに美容室行ったんだぞ。
もともと乏しい自己肯定感だが、さらに自信を失っていく。人に目を合わせるのが怖い。声が小さくなっていく。
僕は大学卒業する年の3月をデッドラインと定め、それまでに彼女が作れなかったら風俗に行くと決めた。
結果全くモテず大学卒業とともに童貞を卒業し素人童貞が誕生した。風俗嬢から「卒業おめでとう」と囁かれた時にはどっちの意味だ?と笑ってしまった。
僕は二村ヒトシ著「すべてはモテるためである」を君に読んでほしいと思う。
この本では、冒頭で「なぜモテないのかというと、それは、あなたがキモチわるいからでしょう。」と述べられている。
しかし、それだけではなく、どう自分のキモチわるさと向き合うかを真剣に書いた本だ。
そこでは、自分の居場所を作ることが大事だと書かれている。自分の好きなものへのキモチは、人の目を気にする必要のないものである。
恋人がいることがすべてに思えるかもしれない。セックスがしたくてたまらないかもしれない。
それでも、まあいいやと思える何かがあればいいと思う。それは僕の場合、Jリーグのチームの応援だった。チームが勝った瞬間はすべてどうでもよくなって、そこに救われていた。
君にもそういう居場所があるかもしれない。なければそれを作ってから、ゆっくり彼女を探せばいいと思う。僕なんかより恋愛工学の人やナンパ師の方が彼女の探し方について詳しいと思うけど、出会ってラインしてご飯誘ってデートして、みたいな順序でね。そういえばアルテイシア著の「モタク」っていうモテ本もよかったなぁ、恋愛の順序がきちんとわかったし、今の彼女にそれ参考にしてLINEしたりデートしてた。
君が僕の話を聞いてくれるかはわからないが、僕は君のことを応援している。
この前、僕は気になってた後輩とデートに行って告白した。正直、彼女の外見はそんなにタイプではなかったけど、今彼女と話すのがすごく楽しいし、ときどき自分にこんな愛おしい存在ができたことに気づいてコッソリ泣いてしまうんだ。本当に好きだと。僕の青春はくすんだ灰色のままだけど、だからこそ今があると思える。まだ素人童貞のままだけどね。
母がスピ系に堕ちた者だが、事前に見抜く方法というか環境が人を変えると思うんだよね
母は専業主婦だったけど家事がそれはそれは下手で頭が悪く、自己肯定感がガリガリ削れていったはず
既婚子なしなんだけど子供いらないかなと思い始めてて(夫40代前半、自分30代中盤)
子供ほしい!という人ってどんなことが楽しみで原動力なんだろう…て悩んでる
夫は子供ほしいって言ってるけど、
産休とか補助もらえるにしたって職場から年単位で離れるんだ~と思ったら
自分の社会性とか個人の存在への不安のほうがでっかくなってしまって
産めるのか、育てられるのか、に加えて
私個人が生きていけるのか?みたいな自己肯定感への不安がやばい
慰めてほしいとかじゃなくて、なんで子供ほしいのかわかりたい。
夫は欲しいから欲しいみたいな感じで、欲しい以上の情報がなかったからシンクロできなくて…
こんなに悩んでるのに無理して作らない方がいいのでは?とか
負のループです