はてなキーワード: 神様とは
ここ半月ほどではてブで三桁ブクマついてる読み切り漫画全部読んでみたけど、あんまり面白いのない。
「片付けられない神様」読んだなかで一番きれいに収まってる作品。「部屋が物で埋まっているのは悪か?」という問いにはもっと強いメッセージが欲しかった。
「16歳の身体地図」生理って難しい題材を重くなりすぎないで描いてるのは凄い。生理を扱わないならもっと軽やかな作品になったのでは、とも思う。
「影追い人」ジョジョが好きなのは分かるからいっそ完全にバトルものにしたほうが良かった。
「邪神打線」キャラが立ってて良い。野球が題材である必要があまり無いような気がする。
「不老不死の男たち」絵も話も完成度が高い。ただ女の子が話を進めるためだけに登場して死んでしまったように感じられたのが残念。
「胸の中のコンチェルト」何もイベントが起きない漫画。主人公がぐるっと一周回って同じ位置に帰ってきたのに何も変わらない。つまらない。
「やすお」誰でも思いつきそうなアイデア。読者はこんな絵でこんな展開にしたら胸糞悪くなってくれる、みたいな計算が見えて話に乗れなかった。ひどい出来。
育休取れない社会はおかしいとか言ってる人。普通に考えて木っ端労働者が取れるわけないですよね?
もしあなたがgooglerや自民党員や高級官僚としてで、余人をもって代えがたい仕事をしているなら別ですけれども、まさか誰でもできる仕事なのに権利を求めてはいませんよね?
とても簡単なことですが、雇用者が労働者を守るためにかけられるコストの上界は、あなたが生み出せる付加価値と一致しています。
googleが福利厚生を充実させているのは労働者を失った時の損失が大きいから。裏にひっくり返して逆から眺めてみて、損失が小さいならばいなくなっても痛くない、となります。
このごく単純な論理から考えて、子供を設ける予定だといったあなたを落としたあの会社は、別に意地悪をしているわけではないのです。あなたが欠員した際の穴埋めにかかる費用、復員したときの引き継ぎと馴染むまでのその時間。それらを勘案した結果不合格になったのです。渋い顔をした面接官は、あなたが嫌いなのではなく、それを自分がフォローするのを渋ったのです。
職業に貴賎はありませんが、就きうる人の多寡はあります。少なければ少ないほど神の手によってあなたの価値はまとまり、多いほどあなたの価値は分断されます。
誰でもできる仕事をするあなたはそれだけ価値が低く、そのような労働者をなぜコストをかけて守らないといけないのですか?その穴埋めにコストをかけるより、はじめから健康な、穴をあけなさそうな労働者を雇ったほうが合理的ではないですか?
私は人権というものを見たことはありませんが、もし人権侵害なのだとして、あなた達が言うべきはこうです。「生産性の低いことは重々承知しておりますが、どうかその合理的な判断を曲げて、私達に慈悲の手を差し伸べてくれないでしょうか。ああ神様仏様菅様どうか御慈悲をお恵みください。アーメン」
あなたを私に取り替えてみて矛盾のない文章。この文章によって私とあなたの可換性は示されて、また一つ私の価値があなたと等分されたことを露わにしています。あなたと私を取り替えて、齟齬が生じる、べきだ、と思いますよね。
デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。
自我というものの存在を確立したデカルトの三段論法は西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我の存在を規定できるという点だった。
でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在を証明する時代の要請があったのだけれどそれについては後で触れる。
時代は流れてフランス革命が起こり国民国家が誕生する。国民国家が誕生すると神が死ぬ。
どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈で正当化されてきたのかということを説明する必要がある。
「王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。
神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間を支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民を支配する権利がある。
中世の神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、
彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要な公共事業として神の存在を証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。
ところが、王が打倒されて国民が自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。
そして神に変わったものは国民の自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対なものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。
これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。
なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。
なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。
フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析の手法が全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。
フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神を科学のまな板の上に載せたこと」それ自体。
フロイトは夢分析の過程で人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去のトラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。
患者自身は自分が理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。
これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我がコントロールしているとされていたのだから。
フロイト的無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。
あの映画のオチでヒロインは忘れていた過去のトラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。
これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、
犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか
梅干しの写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。
映画の映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラの写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。
こういう感じで無意識が人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。
フロイトは原始的な欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識の概念をさらに発展させていった。
表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。
たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。
心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいないから鼓動も不随意運動には入る。
呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているときは随意運動で意識していないときは不随意運動といえる。
ところで人間の意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。
脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞の代謝とか。
さらにさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。
さてそうすると、どうなるかというと、人間が自分の意識で自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間の活動の大部分は無意識がコントロールしていることになる。
意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。
ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞の代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから。
ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的な言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかいう名前をつけた。
意識ではなくエスが人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。
「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。
「生きるのは苦痛である。苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである」
「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」
「よって生むのは無責任であり生むべきではない」
しかし人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。
第一の登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識が存在しない。つまり無意識である。
無意識の相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論で無意識(エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。
で、重要なことはその「エス」自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである。
今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。
精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子の排出だって不随意運動なのでこれらはエスである。
胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識も自我もない。
だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である。
それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。
自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルトの呪いがとけていないのだと思う。
「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。
生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓は勝手に動いている。
どう見ても肉体は生きようとしている。
やっていることと言っていることが違う。
でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかないからである。
自己の定義を自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。
エスの定義は自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり「自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。
流石にそこまで悟ることは難しいが、自己の定義を自分の不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。
あれ? ここはどこ?
そっか……あたし……死んじゃったんだ……
ふわふわしたところで神様っぽい人から説明を受けてたような気がするけど、あたし自身もふわふわしてたから何も覚えていない。
気が付いたら、なーろっぱ風の街並みの中にいた。
部屋着姿なのが恥ずかしい。
「あのーちょっとお聞きしたいんですけど……」
娘たちと一緒に見たアニメや暇つぶしに読んでいた漫画とかでなんとなく異世界のセオリーはわかってる。ほんとになんとなくだけど。
こういう時は果物やさんっぽいおじさんが優しい。
「ひょっとしてお貴族様ですか?」
「そーかい。変わった服着てるからてっきり変わり者の貴族が来たのかと思ったぜ。で、なんだ? 聞きたい事って。客じゃねーのか?」
「出来たら、そこの美味しそうな果物を幾つか頂きたいところですけど、多分お金がないんですよね」
「財布を忘れたのか?」
「ええまあ(現実世界に忘れたというか、神様から貰い忘れたというか。神様がお金くれたのかどうかはわからないけど)」
「で?」
「ええと、お聞きしてよろしいでしょうか?」
「ああ、多少はな」
やっぱり親切な方でした。顔は怖いけど。
「あの、お金もないので宿も取れないのですけど、こういう時ってどうしたらいいんでしょうか?」
「まあ、そうなりますね」
「そこをまっすぐ行って(中略)ギルドがある。ねえちゃんでもなにがしかの仕事はあると思うぜ」
お礼を言って、ギルドに行くことにした。
高一、高二の時は部活が忙しいことを言い訳にして、本当は自堕落な生活のせいだけど、勉強をサボっていた。親にそんな自堕落な生活をしているのに京大志望なんて鼻で笑われるよって言われて、自堕落な生活をやめたくなかったから、京大志望って書くのをやめた。地元の某旧帝大に志望を変えた。でも、本当は京大の総人が大好きで、総人に行きたいと通奏低音のように思っていた。高三になったら京大に志望を戻して、死ぬ気で頑張ればなんとかなるのではなんてアホなこと考えて、自堕落な生活を続行した。
高三になって、自堕落な生活を抜け出すのは無理だった。染み付いた自堕落はどう足掻いても抜け出せない。土日の勉強時間なんて最低0時間、最高六時間、平均5時間だった。平日は塾で自習してたけど、毎日1~2時間ぐらいは寝てた。模試の判定は某旧帝大でCかDしか取らなかった。京大は怖くて一度も書かなかった。
共通テストは直前にやり込んだらなんとかなった。2番目に行きたかった学科のボーダーギリギリを掠めた。だから、一番行きたかった学科は諦めて第一志望を2番目に行きたい学科にした。そのあとは関西の某私立受けたら落ちてて、そこから二週間ぐらいはそこそこ本気で勉強した。
入試当日、今までの自堕落な受験勉強に自信が持てなくて、会場までずっと泣きそうだった。仮想的な自信を頑張って想像したり、駅名から下ネタを考えたりして慰めた。会場についてからも、ただひたすら大学に大して、●大様、愛しています、どうか受からせてくださいとずっと祈っていた。幸い、入試問題は自分の得意科目が難しくて、苦手科目が簡単だった。
発表までの期間は何もできなかった。後期の勉強に手がつかなくて、小説書いたりしてた。
合格発表の日、受かるかどうかは五分五分だと思っていた。浪人になる未来が怖すぎて震えていた。
合格の文字を見たときは信じられなかった。浪人しなくてよくて、高い私立に行かなくて済んでホッとした。同時に、合格を大して喜んでいない自分の存在にも気づいていた。
奇跡の合格だと思った。大学生活頑張らないと、流石にバチが当たると思った。
大学に入学して二ヶ月経った。頑張ろうとは思うけど、頑張るとはどういうことなのか、わからない。授業もサークルもバイトも新しいことはひと段落したから、できつつあるルーティーンをこなすだけになっている。このままでは本当に神様的な何かに申し訳が立たない。この四年間頑張らないと、そのさきの人生の生きる意味を無くす気がする。このまま頑張らずに生きるんだったら、死んだ方がマシなような気がする。
こんなことを考えていると、段々と通奏低音が大きくなってくる。総人を目指して本気で勉強していたら、第一志望の学科に入れるほどに勉強していたら、人生はもっと変わっていたのではないか、自分はもっと成長していたのではないか。そうやって過去のイフにしがみついて現実から目を逸らそうとしてしまう。
昨夜の皆既月食のニュースを今朝やってたんだけどバックミュージックで月光がかかってたわけよ
なんか思うところがあってYoutubeの鬼束ちひろのチャンネルにあった本人の歌ってる動画を見てみたわけよ
そしたらもうね、ぞわぞわって来たね
それと同時にぶわーって色々思い出されて来たわけよ
そういえば俺、当時はガッキーなんか比べ物にならないくらい鬼束ちひろ好きだったわ
高校時代に、後にも先にも経験のない自分に好意を寄せてくれてる女子が自分のために歌ってくれた曲が鬼束ちひろだったとか
そんなの全然大した理由じゃないし、歌詞のセンスとか天才的過ぎて生も死も超越した幻惑に駆られることもあったけどそれよりも
なんかこう、鬼束ちひろスタイルっていうの? 神様かよ...ってペラペラの薄皮一枚の服を着て、裸足で、必死の形相で歌ってる姿
目の前で本人が歌ってるのを見たら、ぜったい涙がぶわーって出てくるんだろうな
もういい年なんだろうし、どこで何してるか全然知らないけど、自分もいい年だからまぁいいよね
引退する前か、自分が死ぬ前に一度、直接ライブとかで聴いてみたい気がするけど
芸能人とかアーティストのライブとか全然興味ないので果たして実行に移すだろうか。。
鬼束ちひろへの想いが溢れ出てきたので書き殴った。後悔はしていない
いつどこにいても最高の気分になれる魔法。
この先、君と僕とは一生巡り会わないだろう。
僕はただ画面越しに君を知っているだけ。
4k8k、VR、どんなに進化を続けても僕の頭の中の妄想には追いつかない。
現実なんか一つ残らずクソだ。
一度だけ握手会に行ったことがあるけどあれは僕の知っている君ではなかった。
僕の頭の中で、僕の好きなようにさせてもらう事が最高の喜びであり癒し。
新卒3年後離職率7割超の世間ではブラックと呼ばれる仕事で働き20年になるが、僕がこの仕事を淡々とこなせるのは現実に1ミリも期待していないからだ。
妄想という最上級の快楽を日々磨いてる僕にとって日々の糧を得る場所などなんでもいい。
どんなに辛いことがあってもいつでも何度でも妄想の中で好き放題やれるからどこにいたって天国にアクセスできる。
リアルで自己実現を求めるのは自由だが、絶対に妄想の中の自由には勝てない。
妄想の中であんなに自由になれるのになんで全てが鎖で繋がれた現実に不満をぶつけわがままを言うのか僕には全く分からない。
現実は自己実現の場所ではなく、社会の中で与えられた役割を果たす場所だ。
君は僕のことを知らない。
歳も取らないし現実のスタイルも関係なく、一生僕好みのシチュエーションの登場人物として妄想の中に生きてもらうから。
金もかからずあらゆる場所で、この僕たった1人で到達できる至高の快楽。
まぁ知らない人なんかいない超有名な架空のモンスターなんですけども
巨大な爬虫類というかほぼ恐竜でデッカいツノがあって空飛べる翼があって火を吹く
まぁ翼はあったりなかったりは容姿のバラつきは多少はあるんですが
その伝承が伝わったりしたからそういう形で受け継がれて残ってるのかなと思ってたんですよ
実はそうじゃなかった
有名なドラゴンの造形というのは後付けで形成されたものだったんですね
大蛇ですよ
ツノもない翼もない火も吹かない
とにかくデカい蛇で人間を丸呑みにすると恐れられている描写なんですね
それを知ってですね
私は人類というのはとにかく蛇を恐れてきたんだなと感じました
毒のあるマムシとかの方がずっと恐ろしい
それでも日本の伝承にも恐ろしい存在として大蛇がメジャーなんです
そしてですね
それぐらいポピュラーなんです
つまりですね
真にポピュラーなモンスターは今あるドラゴンじゃなくて大蛇であり
そういう風に見ればですね
今の子は、どうなんだろな。
とか
神様語って悪い事する人いない
とか
わりと真面目に考えてたが。
(だいたいそれで騙される)
国って信用できないとなると
勉強は、身に入るのかね。
子供らは。
あいつらの言ってる事は、信用ならん。
そうなったら