はてなキーワード: 社会貢献とは
まだちゃんと読めてないんだけど
お っ さ ん じ ゃ な く ね ?
50過ぎくらいで言ってるのかと思った。
まだまだひよっこなのでは。
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一応読んだので追記。
本題の方は、「他者から評価されるものをひとまず得意なことと認識すればいい」だと思う。
苦手なものに対して何らかの対策を試みても無理なものなら、無理だと認めて、必要ならば人にあらかじめ伝えた方がいい。開き直って伝えないのは最悪。伝えたほうが円滑なコミュニケーションにつながる可能性がある。しかし伝わること・理解されること・配慮を期待すること、いずれもしないほうがいい。
仕事についているなら、出来る限りのことをしていく。
他のことはできるようならした方がいいけど、したくないならしなくてもいい。
やってみたいことややりたいことがあるならやるといい。
好きなことがあるならやるといい。
いずれもないなら、なにか見つけたほうがいい。けど、別段なくてもいい。
納税して、適当に買い物したりで経済回して、ってそれだけで十分じゃないかな。
何か評価されたいなら、てっとり早いのは数をこなすことだと思う。
数の暴力は強い。下手なレビューでも何百もあったらそれだけですげーってなるじゃん。
そう思った。
働いてるだけで社会貢献になっているっていうのは忘れないでいてほしい。役に立ってないならクビになる。
吐き出させてくれ。
自分語りと戒め。
私はクリエイターになどなれない貧困な想像力と不器用な手先の、どこにでもいる事務職員だ。
好きなアニメキャラの誕生日を祝い、神回に大泣きし、休日はツイッターに10時間張り付くザコオタクだ。
そんな私が某神作品と出会ったのは数年前のことだ。この作品を仮に【T】とする。
私は【T】関連に100万円は使ったと思う。100万円なんて大したことがないと自分でも思うが、楽しんだ時間も莫大で、始めて声優イベントに行ったり、監督にファンレター送って返事に一喜一憂したり、グッズのために毎日ゲーセンに通ったり、ツイッターで缶バッジを交換したり、私の人生は変わった。【T】に込められたメッセージを実行し、恥ずかしくないファンになるべく社交性を意識し、服を買い、美容院に通い、ダイエットをして、資格を取ったり転職したりした。
私はその過程で、単なるファンではなくクリエイターになりたいと思った。クリエイターとして【T】に関わりたいと思った。ツイッターでハマってはすぐ冷めるような奴らとも、【T】に込められたメッセージに感動したとツイートしながらいつまでも努力しないやつらとも違う、そんな存在になりたかった。
しかし私には小説も絵も、その他なんの才能もなさそうだった。熱意も湧かなかった。
そこで思いついたのは、とりあえず仕事上の付き合いがしたいというものだった。
とにかくビジネスで【T】と関わることができれば、ただのファンよりも上の存在になれると思っていた。
【T】に出会って4年目。私は転職先で新事業の開拓が可能な部署に配置された。更に1年後には新事業の開拓をしなければならない仕事の担当になることができた。
新しい職場ではアニメやゲームとのコラボの前例はなかったが、新人だろうとアルバイトだろうと意見を出せて、カネもあった。
そのタイミングで、【T】は私の職場と付き合いのある企業とコラボを始めた。
私は、こんなに条件が整う奇跡なんて、今後無いであろうと思った。
調子に乗った私は、社長室でいかに【T】が素晴らしい作品なのかを説明した。必死だった。自分の仕事がいくら増えようと、このチャンスを逃してはならないと思っていた。
社長、課長、係長、付き合いのある企業からOKを貰い、【T】に関係する4社に連絡し、企画を立ち上げ、予算を確保し、契約を結び、スタッフロールに名前のある人やツイッターでアニメ監督と絡んでいる業界人とも会議して、名刺を交換した。コラボ商品のデザインを考え、あーでもないこーでもないと悩んだ。気付いたときには、そのまま世に出ることになっていた。夢は順調に叶ったのだ。
そうして全てが順調に進んだわけだが、私の心はボロボロになった。
なぜか。
「この企画は来年◯月までに一度終了してください。あと◯ヶ月で【T】の主人公が変わるので」
私には何の覚悟もなかった。
当然こんな話でショックを受けたことをツイッターに書くこともできないし、そんなことよりも◯月までに企画を終えられるように社内で調整する作業に追われた。
【T】の主人公の交代時期はこれまでも不定期的だったので有り得ないことではなかったが、私はそのとき主人公が一番好きだった。
ストーリーは、主人公交代を事前に知らないファンを想定して進む。当たり前だ。
ファンではなく、多少なりともビジネスの関係者なのだから、作品の展開における重要事項の説明があるのは当然だ。それを私は正直考えたことがなかった。
私はバカなので、「まさか部外者に重要情報を教えることはないだろう」なんて甘く見ていた。
ツイッターでも掲示板でも、誰も情報を漏らしている人はいない。いるのかもしれないが、きっとツイッターの鍵アカ等くらいしか漏らさないのだろう。仕事をクビになりたくないのだから、誰からも漏洩するわけがない。漏洩しないなら、当然重要事項はどんどん共有すべき事柄だ。
それに、契約を結ぶような関係なのだから、もう部外者じゃない。
みんな、きっと、どの作品も、どのコラボ商品の関係者も、その作品がいつどうなるのか説明を受け、そして誰も秘密をバラしたりしないのだ。
結局のところ、私は「関係者になる」という憧れのために「何も知らないファン」としての楽しみを失った。それは、想像よりも辛く、苦しいものだった。
【T】は間違いなく素晴らしい作品だ。私の短い人生では、【T】よりも信じられる作品に出会うことはないだろう。今回の件で、【T】の多少の利益に貢献できた。私は今後、また何年も何年も【T】を楽しみながら生きていく。ただ、来年からまたビジネスとして関わっていくか、私は迷っている。
表題通りだ。私は29歳だから、まだ35歳ではないけれど、その上限が30歳の人もいれば、27、28でそう思う人もいるだろう。
私は、普通に生きていて、好きな仕事をして働いて、信じられる友達もいて、社外のビジネスパートナーもいる。毎日が楽しいし、仕事も向上心を持ってやってる。お母さんのことも、妹のことも大好きで、長期休みは毎回帰省する。そのたびに、地元の友達と会うのが楽しみだ。地元を離れて5年ほどたつが、それでも変わらずに仲良くしてくれる友人たちがいること、帰省のたびに涙が出るほど嬉しくなる。
楽しんでいるのに、これまでの人生に満足しているのに、なぜ難ありと言われなければいけないのだろうか。難って、なんだ。
私は、このままの人生を歩んでいたら、結婚しなければ、社会の腫瘍にでもなるのか?そんな暗い未来を頭の隅で考えながら生きていくなんてごめんだ。
私はいま、人生を楽しんでいる。仕事を通じて、社会貢献もしている。
でも、だからって独身に対してひどい価値観を持ってる人が多過ぎやしないか。
学生が終わるとき、社会人になるのが怖かったけど、実際なってみたら楽しかった。
長らく処女なのがコンプレックスだったけど、はじめてセックスをしたとき、「そんな、そこまで処女とか気にしなくてよかったんじゃん」と思った。
大人になるほど、今のところ人生はどんどん豊かになってきている。
正確にいうと、私は、発達障害であることは未診断(医師からの診断は下っていない)の人間だ。でも、小児癲癇を起こした事があった事が原因か、ワーキングメモリが著しく低い。
話の核心を掴む事が下手だし、抽象的な会話・会議だと、もうお手上げ状態。ADHDと自閉症スペクトラムの混合型で、白に近いグレーゾーンだと医師からは言われたけれど…私が働いている姿を診たら、きっと「黒」だと思うだろうな、と思うほど、人として危ない職歴を経てきた。
まず、クビを何度も経験してきた。20代で4社かな…。その間、してきたアルバイトも、学生時代にしてきたアルバイトも、塾の個別指導の講師以外はすべてクビだったり、周囲に申し訳がたたなくて退職したり。
もう、自分が社会貢献できる事なんて無いし、寧ろ社会に迷惑だと思っている。手に職を、と色々と資格の本を見ると、「国家資格者なら、社会人として一からスタートできるかもしれない」と淡い期待、つまり野心を抱いてしまう。
私に出来る事、というよりも、あの世に逝くまでにどの様に生計を立てていくか。どの様に尊厳を護って生きていくか。それが大事なのに。
因みに生活保護という選択肢は考えていない。せめて、最低限、衣食住の自立が出来る資格は何か、模索している。
もしも私が資格を得たとして、その先の社会で他人様に迷惑・イラつかせてしまわない様にしなければならないし、世間様に迷惑をかけないことが大前提だと思っている。
「迷惑をなるべくかけない手に職で安定した生活を送れる仕事とは何か」という野心を捨てられず、未だ「社会の一員」として「人として」生きたいと考えている自分は、拗らせている大馬鹿野郎だ。
ちょっと面接で疲れたので愚痴がてら書いてく。
面接してる数はそんなに多くないけど
「え、そんなこと言っちゃう、書いちゃうの?」みたいなのが場面にちょいちょい出くわす。
経歴書は結構華々しく、○人月のプロジェクトを無事障害なくリリースした、という記載があったので
「どういった動き方をしたんですか?」と深掘りします。
するとどうも歯切れの悪い回答が多い。
で、訊いていくと本人の活躍によるものではなく他の人の動きによって成功していたパターンだったり
その○人月のプロジェクトのごく一部だけを担当していたりする。
確かに間違ってはいないのですが、大きく見せて面接で突っ込まれてしどろもどろになるのはいかがなものかと。
よく見る度:★☆☆☆☆(1名だけ)
残念度:★★★★★(期待値が上がってたぶん、落差が…)
これについては賛否両論あるかも。自分の人生だから自分のスキルを磨き続けたいという気持ちはわかります。
でも転職理由で「前職より御社のほうが成長できると思い」とか「御社に入ってもスキルアップをして…」と言われると、あなたを育てるために採るわけではないですよ、と言いたくなります。
20代とかなら成長枠としてはありかもしれないですけど、30後半くらいでこれを言われるとちょっと残念な気持ちになります。
たぶん言い方の問題で「こういった技術を身につけて社会貢献をしていきます」と、あくまでもスキルアップは手段なんですよ、みたいなオブラートに包んだ形にしてくれればいいのですが…
よく見る度:★★☆☆☆
残念度:★☆☆☆☆(40半ばの人が「あと5年はスキルアップに専念したい」って言ったときはさすがに脱力した。ライザップじゃないけど結果にコミットしてほしい…)
前職の社員数が2桁規模の人にありがち。
これを一番最初に言われると安定を求めてるのかな?という気持ちになってしまいます。このご時世、大きい会社でも安定してるとは限らないんだから
大きい会社で何をしたいのかってことを言ってオブラートに包んでほしいです。
無理がある(それ大きい会社じゃなくてもよくね?みたいな)場合もありますけど。
よく見る度:★★★☆☆
残念度:★★★☆☆
素晴らしいことです。休みの日は1日寝ていたい私と大違いです。
でも自己学習してると言えるレベルが面接官側と大きくズレてることにより学習の内容が薄いと見なされる可能性があります。
「意欲はあるけど行動が伴っていない」と判断される諸刃の剣、期待値が上がったぶんマイナスに働きます。
もちろんこれも年齢や成長枠採用の場合なんかではアリですが…
相手がその自己学習をしている技術のプロの場合でも見せられるレベルかどうかは一考したほうが良いかと。
これは前職が受託開発系かつ転職経験がない人にありがちです。
よく見る度:★★★☆☆
残念度:★★★★☆(ドキュメントを見てフレームワークをインストールしただけの人、それはアピールしないほうが良い)
このパターンが一番多いです。年齢、前職問わず。
これを言う人に「最新技術というと例えばどういうのですか?」と当然聞きたくなります。
これについて答えられない人もいます。バズワード拾ってるだけかい、と残念な気持ちになります。
「クラウドとかIoTとかAIとか」と答えられる人もいます。(最新技術と言われてクラウドを挙げられると「おや?」という疑念がわきますけど)
「それらの中で特に興味があるのは?何か最近試したりしてますか?それを使ってどんなことをしてみたいですか?」とさらに質問をすると、だいたい中身がありません。
バスワード拾ってるだけかい、と残念な気持ちになります。
自己PR欄に「最新技術に興味がある」的なことを書くんだったらなんかしら試してたり実現したい世界みたいなのを期待するわけじゃないですか。そうじゃないなら書かないほうが良いですよ。
よく見る度:★★★★★(落とした人の半数くらいこれ)
残念度:★★★★★(Web界隈ってたぶんテクノロジーの進化だとかアーキテクチャの変遷のスピードが早いと思うんです。他業種にいたことないので知らんけど。そんな界隈に来ようとして「最新技術」とか言うならちゃんとキャッチアップしてほしい)
職務経歴書に書くということは、面接で深掘りされること、そして期待されていることなので安易な気持ちで書かないでほしいなぁというのが採用側の意見です。
あと慰めってわけでもないけど、採用されなかったからと言って卑屈になったりしないでくださいね。採用する側になって初めて気付いたんですけど、転職って本当に巡り合わせだなぁと思っていて、採用したいポジションに収まるかどうかなんですよね。結構いいなぁと思う人がいても、オーバースペックだったり、今いる人のポジションとかぶってたり、数ヶ月前だったら空いてたのに!みたいなのがちらほらあるので。転職活動頑張ってください。
広告業界の片隅にいる増田です。友人・知人がたくさん電通にいるのですが、彼らが普段水を得た魚のようにやっているFacebookで、今回の岸勇希氏セクハラ事件に関する言及がゼロ、他人のシェアへのいいねなどの反応もゼロです。12/17の日曜日に記事は掲載されたわけですけど、恐らくその直後に緘口令が敷かれたんだと思います。残念な会社ですね。
ところで、最近の広告業界というのは「ソーシャルグッド」という言葉が流行っていました。英語だけど分かりやすいですよね。「社会的に良いこと」です。なぜ流行ってたかと言うと「ソーシャルグッド」なものが広告業界の賞をここ数年取りまくっていたということがあります。まさに今回の事件の加害者である岸氏もアクアソーシャルフェスというトヨタの広告で、 グッドデザイン賞などを取っています。これの概要が「ソーシャルグッド」をよく表していると思いますので引用します。
「企業の広告費を変えたら、社会が変わる。広告費の使い方をデザイン。」 AQUA SOCIAL FES!!は、TOYOTAのコンパクトハイブリッドAQUAのキャンペーン。水をきれいにする全国50の様々な活動に参加できるプラットフォームである。本キャンペーンの新規性は、「広告費で社会貢献活動を実現」した点。これまで企業予算からしか行われなかった社会貢献活動を、明確に販促のためとして広告費を利用することで行ったフレームは、広告が社会を変える新しい取り組みである。週末毎に各地で開催をくりかえし、今年はすでに約100回開催。年末までに全134回を開催、来年以降も中長期的に続けていく。
引用してみて思いましたが、素晴らしいですね。ディレクターは残念な人だったわけですが。
この言葉が流行り始めた時、大体2013年くらいですが、正直に言って引いたことを覚えています。電通の根本的な働き方や姿勢が全くソーシャルグッドでないのに、ソーシャルグッドな広告を作り、賞を取って、外にはこれからはソーシャルグッドですよ〜って言っていく。まったく説得力がないと私は感じたのですが、企業的には受けてたようで、順調に広がってきました。そんな様子を見て「隗より始めよ」という言葉を業界の人は知らないんだろうなって思いましたよ、本当に。
「ソーシャルグッド」の理念はとてもいいのですが、制作物の目的に据えるよりも、まず自分が属している企業や自分自身の身近なところから変えていくべきです。それをしなかったので、本当に気味が悪かった。片方では「ソーシャルグッド」を唱えるのに、法令違反、パワハラ、セクハラは相変わらず横行し、社内で自殺者が出る。それがここ数年でした。今回の件で少しでも変わってくれたら、片隅の私にとっても僥倖ですが、どういう成り行きを見せるか、正直不安です。
元増田です。
こんだけ個人主義の世の中でわざわざ子供作るにあたっては、社会に対する義務とまではいかなくても、自己実現の一環として社会貢献としての次世代育成ということを念頭に置いてる人は多いと思いますよ。
そもそも「自然な欲望で子供作るだけだとヤバい」という認識が広く深く浸透してるから子供が減ってるんだろうし。
自分は幸運にも、どっちかというと社会に生かされて教育してもらってありがてえと考えているので、元エントリのように考えております。
働き始めて10年たって、仕事がすごいできるわけじゃないなとわかったので育児にシフトしました。もし自分がいまより仕事がすごいデキてたら子供作らなかった可能性は結構あると思う。配偶者がキャリア志向だから二人とも善良で仕事してたら育児できない。